清泉女子大学受講生のページへ 「宇治の女君と都の女君」 木村真由美

「宇治の女君と都の女君」 木村真由美

*大君

八の宮の長女。母北の方の没後、中の君とともに、落魄した父の手で育てられ、川音の激しい宇治の川畔にひっそりと暮らす。八の宮を仏道の師と仰ぐ薫が宇治に通うようになって三年目の秋、人前では決して弾かない琴の弾奏を訪れた薫にかいま見られ、山寺に参籠して留守の父に代わって応対する。翌年八月、父宮は、いい加減な男の言葉に従って宇治を離れてはならないと、姉妹に遺言すると、そのまま参籠した山寺で死去し、姉妹は阿闍梨の諫言により、亡骸との対面も許されなった。大君はたびたび来訪し、懇切に援助の手を延べる薫の好意に感謝しつつも、父の遺言もあって、その求婚を受ける気持ちにはならない。宮の一周忌の迫ったころ、薫は恋情を訴え、隔ての屏風を押し開けて入ってくるが、大君は拒み通して朝を迎える。年齢も上で後見のない自分は、薫のような身分の高い男の妻にはふさわしくないというのが、大君の考えで、妹の将来を誠実な薫に託し、自分はその後見をしようと願う。薫が弁に案内させて姉妹の寝所に忍んで来た時、中の君を残して去ったのもそのためであったが、あくまで大君を望む薫は、中の君との一夜を何事もなく語り明かすと、かねて中の君に執心の匂宮を密かに宇治に伴い、自分の身代わりとして匂宮を中の君の寝所に入れる。真相を知って驚愕しながらも、大君は薫の希望には応ぜず、せめてのことに匂宮と妹との結婚の世話に心を尽くす。しかし、浮気な匂宮を信用しない大君の心配は次々に現実なものとになっていった。匂宮は身分ゆえに新妻を訪れることもままならず、紅葉狩りを口実に宇治を訪問しようと計画したのだったが、意に反するように多数の供人に妨げられ、空しく帰っていった。裏切られた期待は大君を絶望の淵に追いやる。女房たちが薫に肩入れする中では、薫を避け続けることは不可能であり、目前の妹の憂き目は明日のわが身にほかならない。もはや父祖の名誉を守るためにも、死よりほかに道はないと考えられた。そんな大君のもとに届いた匂宮と夕霧の六の君との縁談の噂は、大君の生の希望を奪うのに十分であった。死の床に就いた大君は、亡き後に意固地な女の思い出を残さぬようにと、恥ずかしさを忍んで、身近に薫の看護を受け入れながら、ものの枯れゆくように世を去った。薫は、少しでも悲しみの冷めるように醜さを見せてほしいと、仏を念じたのだったけれども、灯を掲げて見たその死顔はあくまでも美しく、気持ちは凍りついたように修めるすべはなかった。

 

*中の君

八の宮の娘で、大君の妹。母は大臣の娘。浮舟は異母妹。母北の方は中の君を出産して死去し、父八の宮の手で育てられ、宇治川のほとりに住む。薫や匂宮が訪れるようになってのち、宮は、甘い言葉に乗って宇治を離れるなと訓戒して、山寺の参籠に出向き、どのまま他界する。姉大君は、父宮の依頼で姉妹の世話をする薫と中の君との結婚を望み、薫が大君を求めて寝所に入った時、中の君を残して去る。しかし、あくまで大君を求める薫は、匂宮を中の君に逢わせ、自分はその間に大君と謀る。匂宮と結ばれた中の君は宮を信じたが、大君は宮の誠意を疑い、宮と夕霧の六の宮との縁談を知ると、妹と自分の将来に絶望して世を去る。中の君は匂宮により二条院に迎えられるが、宮と六の宮との縁談が現実のものとなる中で、父宮の遺言に背いて宇治を離れたことを後悔し、薫に宇治への同行を訴える。しかし折りから懐妊していた中の君には薫の執拗な恋情は迷惑であり、匂宮の強い嫉妬にも困惑して、大君に容貌のよく似た異母妹の浮舟の存在を告げる。中の君のつらい立場も、皇子が誕生し、盛大な産養が帝をはじめとする人々の手によって催されるに及び、次第に改善され、高まっていった。匂宮の愛情を受けて、中の君の生活は安定したが、二条院に来ていた浮舟が宮に犯されていると聞いても、止めることのできない立場には変わりなく、宮には、浮舟の存在を隠したと、執拗に責められ、ついには、その手紙を宮に見られて、宇治にいると知られてしまったのだった。

 

●薫と中の君の最初の出逢いについて

晩秋の夜更けである。あひばらく朝廷の政務に多忙であった薫は、しきりに八宮に対面したく、寸暇を見つけて馬を急がせている。牛車のような悠長なものでは間に合わぬ。供人もわずかな微行。木幡山の辺りはさかんに落葉して、小川のせせらぎを踏みしだいて行くと、目的の場所に近づくにつれて、しだいに名物の霧が深くなってくる。そんな淋しい夜更けの道を息をはずませて、何かよい事があるかのように目指す相手は孤独の世捨て人だと思うと、我ひとともの生涯が急に心細くあわれなものに思えて落涙するのであった。そのとき、夜霧にしめった薫の衣服から、いや身体から、例の世にも珍しい生得の香りが匂い立って、ぐっすりと寝入っている山がつも驚き目覚むるばかり・・・と本文に書かれている。身にそなわるものは、貴種、高位、財産、才貌となにひとつ不足ない。その上、この世の人とは思えむ果報の芳香まで持っていながら、その人の心の中はかほどまで一人ぼっちで頼りなく、暗い夜道を落ち葉に打たれて泣いている―――という画面である。ここまでは従来の薫の線を強調しているが、つぎの場面で薫の変化が見られる。薫はさらに馬を急がせた。川音ごうごうと宮の邸も近い。と、なにともわからぬ妙なる楽の調べ。近づくとそれは琵琶だとわかった。さらに近づくと筝の琴の絶え絶えになまめかしい伴奏の音。さては名高き八宮の御琴の音かと薫は勇み立った。八宮は山籠りの仏道修行に出かけていなかった。音楽の主は留守居の姫君たちであった。薫は家令に頼みこんで、姫君たちの部屋の見える竹垣の隙間を教えてもらった。世の好色者がするような真似を厭世家の薫がする。もともと薫は姫君たちに関心を持っていなかった。目指す人は八の宮であったためもあるし、こんな荒涼たる山里で、しかも仏道修行専一の男親に育てられた人は、さだめし、陰気で物堅いのだろうと、なにがなし決めこんでいたからである。そういう風に思わせる雰囲気が邸の中にもあったのだ。たころが、鄙にもまれなあまりにも美しい楽の音がまず薫の意外の念をかき立てたのである。川沿いの邸のことで、霧が軒まで迫り、ぼうとかすむ月光にさだかならぬも、簾を高く巻き上げて人々の居るのが見える。簀子にも召し使いが一人二人控えている。まことに人少なの侘びしげな様。女房たちの着ているものがたいそうわるい。糊気が落ちてぞべりとしているのはよほど着旧しらしく、この夜寒を沢山も着込んでいないのか、肩のあたりが細々している。いかにも宮家は手許不如意らしい。それがこんなところのまずあらわれるものだ。お気の毒なこと・・・と思っていると、さっと月の光がさした。今しも雲間を外れたのであろう。そのとき柱がくれの琵琶の女がつと顔をさし出して空を仰いだ。ふっくらと肥えていて、匂うようなあでやかさ。「扇でなくても、撥ででも月を招く事ができますのね。」といかにもわが手柄で月を招き寄せた様に言う。「入り日を返す撥のことは聞いていますけど、それは変わったおっしゃりようね。」と優しく間違いをついて、微笑むらしい女ははにかみやなのか、ずっと奥の方へ引っ込んで、その上琴の上にうつむきかかっているため顔は見えない。「でも琵琶の撥だって、お月さまに縁がございますわ。」とすかさず食い下がって、後に引かないのは、琵琶の撥をおさめるところを隠月というのをさしてのことらしい。間髪をおかぬやりとりのあざやかなこと、いかにも教養と才気を思わせる。琵琶の女の明るい才気、答える女の静かな気品。女きょうだいが打ち解けて睦みあうところに流れる優しく温かくなまめかしい空気。薫は一瞬、心を奪われてしまう。

●大君の不信について

「はかばかしい乳母がつけれなかつった。」と少女時代に述べられているように、大君にしかとした乳母さえいなかった。そんな身の上で人並みな結婚なんてできない。と大君は考えた。中の君になら、父や兄や母の分を全部姉の自分が代わってしてやれる。大君にはそういう人がいない。八宮の死後の大君の位置、彼女に与えられた役割はむごいものであった。さすがに彼女も辛かったのであろう。鏡にむかって自問自答している。わたしは駄目、こんなに髪も抜けおちて、おばあさんになってしまったのだもの、あの方はまばゆいほど美しい方、とても似合いはしない、すぐにあかれてしまうにちがいない―――。結婚を承諾しないのは、わたしが駄目だから、わたしのせいだからと鏡にむかっていう。自分をいじめる方がらくなほど、彼女の境遇は閉ざされていた。大君は熱心に薫の求婚をふりむけようとした。薫は承諾しない。大君はついに自分の身代わりに妹を寝所に置いて逃げるような非常手段さえ取った。薫は大君の決意にあきれながらも、自分の非常手段をとった。彼女たちをあざむき、大君の意向に従ったと見せて、変装した匂宮を密かに中の君の部屋に送りこんだのである。身代わりを封ずるためであった。ここから匂宮と中の君の一途に燃える結婚生活が、薫と大君の実らぬ恋と対照的に描かれ、同時に妹の結婚が姉の心労の種になり、やがて姉を死に導くようになる。薫がよかれと思ってしたことがすべて仇になり、彼は一番大切なものを奪われることになる。しかも妹の結婚は大君の内心の転機となり、薫のたぐいまれな誠実も大君の不信をうける。

参考文献

*別冊国文学

源氏物語事典 秋山 虔 編

*塙新書

源氏の女君 清水 好子 著

*学燈社

源氏物語必携 秋山 虔 編

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