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「柏木の苦悩について」   99001036・川瀬深雪

私は、柏木の苦悩について調べました。まずは、女三宮に対する想いについてです。

女三宮は、朱雀院の姫君で、母は薄雲院の異母妹の源氏宮です。父朱雀院はこの姫への愛ゆえに出家の事を果さなかったのですが、源氏に娘の後事を托し、ようやくかねての宿望が遂げられました。源氏40歳、女三宮14、5歳で、それは世にもふつりあいな結婚でした。かねてから女三宮を慕っていた柏木右衛門督は失望しました。

 翌年の春、六条院で蹴鞠の催しがあったときに、屋内から飛び出した猫のひもが張って御簾がはねあがった瞬間、彼はその向こうに立っている美しい女三宮の姿を初めて見て、ますます懊悩し、ついに想いをこめた手紙を侍女の小侍従に頼んで宮に送りました。

そして春宮に頼んであの時の猫をもらいうけ、それをかたみのようにしてかわいがっていました。やがて、異母姉にあたる女ニ宮をえて結婚しましたが、なお女三宮を忘れることが出来ません。その頃、紫の上は病気をして二条院に移されていたので、六条院は人少なであり、柏木はしいて頼んで宮に近づいたのでした。

 次に、二人の密事がバレて源氏を恐れる二人について調べました。

女三宮には妊娠の兆があらわれ、宮を見舞った源氏は夜具の下に半ば隠してある男の手紙をみつけ、それを読んで一切の秘密を知ってしまいます。

源氏は朱雀院の五十の賀の試楽が六条院で行われた時、酔いにまぎわらせて柏木に皮肉を言ったのですが、柏木はそれを苦にして病気になってしまいます。柏木は自らの死を覚悟して最後の手紙を女三宮に送ったが、その返事は「心ぐるしう聞きながら、いかでかは。ただおしはかり給へ」(お気の毒に思ってはおりますがどうしておうかがい、できましょう。お察しするばかりです。)と、綿々とした心がつづられており、柏木は、慟哭しました。女三宮のこのそっけない返事も、源氏に対する恐れからきていると考えられると思います。柏木の病気はいよいよ重く、「泡の消え入るようにして失せ」たのでした。

 女三宮は、源氏の機嫌の悪さが何かの時にちらつくのがとても辛く恐ろしく、薫を出産した後も、しきりに出家の意志が動きます。宮は、父朱雀院に泣訴して、ついに尼になってしまいました。

<柏木の遺言>

 また心の内に思ひ給へ乱るることの侍るを、かかる今はの刻みにて、何かは洩らすべきと思い侍れど、なほ忍びがたきことを誰にかは愁へ侍らむ。これかれあまたものすれど、さまざまなることにて、さらに、かすめ侍らむもあいなしかし。六条院にいささかなる事の違い目ありて、月ごろ、心の内に、かしこまり申すことなむ侍りしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬと覚え侍りしに、召しありて、院御賀の楽所の試みの日参りて、御気色を賜はりしに、なほ許されぬ御心ばえあるさまに御眼尻を見奉り侍りて、いとど世にながらへんことも憚り多う覚えなり侍りて、あぢきなう思ひ給へしに、心の騒ぎそめて、かく静まらずなりぬるになむ。人数には思し入れざりけめど、いはけなう侍し時より、深う頼み申す心の侍りしを、いかなる讒言などのありけるにかと、これなむこの世の愁へにて残り侍るべければ、論なう、かの後の世のさまたげにもやと思い給ふるを、事のついで侍らば、御耳とどめて、よろしう明らめ申させ給へ。亡からむ後にも、この勘事赦されたらなむ、御徳に侍るべき

<訳>

そのほか心ひそかに、考えあぐねることがございますが、このような臨終の時になって、どうして口に出そうかと思いましたが、どうしてもこらえきれないことを、誰に向かって嘆きましょう。誰かれとたくさんいますが、いろいろな理由があって、どうせほのめかしたところで、何にもなりません。六条の院に少々不都合なことがあって、いく月か、ひそかに恐縮していることがございますが、たいへん不本意で、世の中が心細くなってきまして、病気になったと思われましたところ、お召しがあって、院の御賀の、楽所の試楽の日に参上して、御機嫌をうかがいましたところ、やはり許されないお心がおありのように、お目つきを拝見いたしまして、いっそう生きながらえることも憚り多く思うようになりまして、わびしく存じましたが、そのとき胸がさわいで以来、このように静まらなくなってしまったのです。一人前の者とは思ってくださらなかったでしょうが、幼うございました時から、深くお頼り申す気持ちがございましたので、どのような中傷があったのかと、これだけがこの世の恨みとして残りましょうから、もちろんのこと、例の後世の妨げになりはしないかと存じますので、何か機会がございましたならば、御記憶下さって適当に弁解を申し上げてください。私が死にました後でも、このおしかりが許されましたなら、あなたのおかげでございます。

 柏木が遺言で主張した事について考えてみました。遺言の「讒言などのありけるにか」という部分ですが、その前の「いはけなう」時からに続くことから、女三宮降嫁の計画の際、本来なら自分が承って当然のはずなのに、誰かがあの若造はダメですと中傷して自分は外れた。それなのに、紫の上がいる源氏がしかたなく貰った。だから、源氏は宮を粗略にするのは当然だし、その事情をおわかりなら、自分と女三宮が情事を重ねても、黙認して下さってもいいはずだと思い、またそれを願ってもいるのではないでしょうか。

そして、その他に、「よろし明らめ」「勘事赦されたらむなむ」も、源氏がこの事態を正確に知ること、源氏が密通の止むを得ぬことを認めることについて書いてあります。柏木は、宮が源氏のものになっても、間もなく源氏は出家するに違いない、殊によればもう寿命もきている。そうすれば、たちえ子どもが生まれても、女ごと自分が引き取れば何ということはなくなると計画していたと考えることもできます。柏木は子までなし、それを遺して死んでゆきます。事実上、勘事を赦されるとは、この子が自分の子であることを源氏が承認し、死をもって勘事を償う自分であるから、養育をも託すつもりだったのではないのでしょうか。簡単に言えば、この子薫が自分の子であるという事実と正当性を、柏木は源氏に迫っているのであろうと思われます。また、薫が成人の暁に、源氏から、「息子よお前の父はこの私ではなく、柏木衛門督なのだ」と告げて欲しかったのだと思います。

しかし、源氏はここまでは告げず、代わってこの役割を果たしたのは弁の尼でありました。

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