清泉女子大学受講生のページへ  ・これから源氏物語における扇について発表します

・これから源氏物語における扇について発表します。

発表者は本多いづみ、都澤彩香、吉田紗季です。

・はじめに「扇」についての説明をします。

あふぎ ・・・平安初期に作られた、風をおこし涼(りょう)を取る日本固有の具(ぐ)であり、後、中国に輸出されました。

 扇には檜扇(ひおうぎ)、蝙蝠(かわほり)の2種類があり、衣冠・直衣の時には冬(十月〜三月)は檜扇、夏(四月〜九月)は蝙蝠を用いました。ただし、あらたまった場面では、檜扇を使用していました。 

 @檜扇(冬扇)。

   ・檜の薄板を、五枚から八枚を一単位として数孔の穴を空けて重ね、下端を糸や金銀の要(かなめ)でとめ、上部を一枚ずつ白糸で綴じたものです。

 各橋(ほね)は末を一文字、本を小丸につくり、手元がわずかに細くなった形態をしめします。こちらは下の「名称説明」の部分に場所の名前が載っているので、そちらを参照して下さい。

   ・男子のもつ檜扇は天皇・皇太子が蘇芳染の赤檜扇を用いられる以外は白檜扇で、儀式用に使われ、本来公卿が儀式のときに次第などを覚え書きした備忘録的なものとして素木(しらき)のまま用いられていました。

・平安時代以降、婦女盛装時、つまり唐衣裳着用(からぎぬもぎよう)のときに持つものを袙扇(あこめおうぎ)といい、形は男子用の檜扇と同形でありますが、その板の枚数が多く、彩絵がほどこされており、板の綴じ糸は五色の糸でその余りを長く垂らしたものを用いていました。

 A蝙蝠(夏扇)。

   ・平安中期にいく本かの細い竹骨にその要で綴り合わせて広げてから紙を張り、折りたたみをできるようにしたものです。紙は両面には張らず片面は骨が露出しています。

   ・地紙(じがみ)をたたんだ幅と同じ大きさの骨を用いたものは平骨扇(ひらぼねおうぎ)とよばれていました。

   ・広げると蝙蝠(こうもり)が翼を広げた形に似ているところからの名称です。

   ・彩色が施されいてるものもありました。

・予備知識として、当時は扇合(おうぎあわせ)というものも行われていました。

 扇合とはもの合せの一種で、扇を出し合ってしるした詩歌・書風・また趣好の良否に 関し、判者がその優劣を決める遊戯です。

・各種、扇の絵は各自、見ておいて下さい。

裏のページにいって下さい。

・参考文献はここにある通りです。

・次に、作中の扇について述べたいと思います。

まず、夕顔の巻についてです。

・わらはの、をかしげなる、出で来て、うちまねく、白き扇のいたうこがしたるを、これに置きてまゐらせよ、枝も情なげなめる花を、とて取らせたれば、という所で

 訳は、女(め)の童のかわいらしいのが出て来て、(随身を)手招きする。(近寄ると)ひどく香でいぶした白い扇を、「これに載せてさしあげなさい。枝もぶざまに見えます花ですもの」といって、渡したので、です。

 この頃源氏は亡き前春宮の未亡人、六条の御息所のもとに通っていて、その途次五条の大弐乳母が死の床についているのを見舞いに訪れると、夕顔の花咲く隣家の女から歌を贈られる場面です。

 夕顔の花の蔓(つる)が延びて手で渡すには始末が悪いので、扇に載せてわたしま

す。白は清楚だがはかなくむなしい印象を与えます。香を炊き込め、そのため、焦がしたように色づいたその白い扇の様は、持ち主がただ者ではないことを思わせます。

・次に、惟光にしそく召して、ありつる扇御覧ずれば、もてならしたる移り香、いとしみふかうなつかしくて、をかしうすさび書きたり、

  心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕がほの花

そこはかとなく書きまぎらはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかに、をかしうおぼえたまふ、という所で

 訳は、惟光に紙燭を持って来させて、先刻の扇を御覧になると、使い慣らして移り香が深くしみこんで人懐かしく、美しい筆跡で書き流してある。

  「あて推量ながら、あるいはと存じまする。白露に光る夕顔の花、光り輝くあなた  様はもしや・・・」

無造作に、さらりと書いた筆跡も、上品に奥ゆかしく感じられるので、まったく意外に興ぶかくお感じになる、です。

 これは先刻の扇が気がかりでならないので、惟光に命じて紙燭(しそく)をとり寄せてそっと扇を見る場面です。女が使っていたであろう扇は、使いならしたその白い手が思われるような、常用の香の匂いがします。また、そこに書き流された歌も気取らず見せ場を作らぬ筆の運びで女の教養が知られます。このような扇の様子から源氏は女への関心を一層募らせるのであります。

次に、若紫に行きます。

 背景は源氏は熱病に悩み、加持のため北山へ赴く。山中散策の途中とある小柴垣の庵の中に藤壺に面影のかよう少女、紫上を見る。その夜源氏は尼君に紫上との結婚を申し込む、という場面です。

・原文には、ほどもなく近ければ、とに立てわたしたる屏風の中を、すこしひきあけて、扇をならしたまへば、おぼえなきここちすべかめれど、聞き知らぬやうにや、とて、ゐざり出づる人あなり、とあります。

 ここの訳は、広くもなく近いことゆえ、外側に立てつらねた屏風の中ほどを少し引き開けて、扇をハタハタとお鳴らしになると、(奥では)思いがけない感じはするのだろうが、聞こえないふりもできないとあって、にじり出る者がある様子、です。

 解釈は、この少し前に僧都に紫上との話を持ち出した際、「そのような話は私ではなく尼君に」とあしらわれてしまったため、そのことが気に掛かっている上、熱のためになかなか寝付けず、決心して扇をならして人を呼び、尼君にその話を持ち出そうとする、という場面です。

「扇をならす」とは人を呼ぶ、案内を請うという合図です。

いきなり声を掛けるのではなく、物陰から扇をならして人を呼ぶと言った行動からも当時の人々の情緒や趣を重んじる心がうかがえます。

・次に原文に、頭の中将ふところなりける笛とり出でて、吹きすましたり、弁の君、扇はかなう打ち 鳴らして、とよらの寺のにしなるや、と謡ふ、とあります。

 訳は、頭中将は懐中していた横笛を取り出して、吹きすました。弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、(拍子をとりながら)「豊浦の寺の西なるや」と謡う、です。

 解釈は、北山に加持に来ていた源氏を迎えに来た頭中将ら、都の高官重職。そのような彼等も山奥の美しさに魅せられ酒宴が始まり、頭中将が笛を吹き出すと弁の君が扇で拍子をとりながら謡い出す、という場面です。

正式には笏(しゃく)で拍子をとりますが、その用意のない略式の時は、常に所持する扇で左の掌を打って拍子をとっていました。 

次に紅葉賀です。

・裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはほりのえならず画きたるを、さし隠して見かへりたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはづれそそけたり、似つかはしからぬ扇の様かな、と見たまひて、わがもたまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、映るばかり色深きに、木高き(こだかき)森のかたを塗りかくしたり。片つ方に、手はいとさだすぎたれど、由なからず、森の下草(したくさ)老いぬればなど書きすさびたるを、言しもあれ、うたての心ばへや、と笑(え)まれながら、

 訳は裳の裾を引いて御覧になると、扇を、それもはでな彩色の扇をかざして、こちらを見返ったまなざし、ひどく流し目を使うのだが、瞼(まぶた)はひどく黒ずみへこんで、(髪の毛も)大そうそそけている。似合わしくない扇だと御覧になって、御自分のおもちなのと取り換えて御覧なさると、顔に映る程濃い色をした赤い紙に、木高い森の絵の上に金泥(こんでい)を塗ってあった。その片すみに、古めかしいがなかなか巧い字で「森の下草(したくさ)老いぬれば」などと書き散らしてあるのを、よりにもよってとんだ文句をと可笑しく、です。

 これは、宮中には色めいた女官が多く、源氏が源典侍という多情な老女に誘われる場面です。

 扇の色合いが年齢のわりには華やかすぎて不似合いなので、源氏は(女が男に接するとき扇で顔を隠すのが習慣だから)自分の扇を典侍に持たせ、典侍のを取り上げて見ます。そこには「自分が年老いたために男が相手にしてくれない」という露骨な歌が書き散らされていました。このあくどい扇の色は、若づくりな源の典侍の趣味であると共に、源氏を誘うかのような歌を読ませるためでもあったのではないだろうかと思われます。事実、あきれられてはいるものの、源氏の興味をひく事に成功しています。

次に花宴です。

・人々起き騒ぎ、上の御局(みつぼね)に参りちがふ気色(けしき)ども繁くまよへば、いとわりなくて、扇ばかりを、しるしに取りかへて出でたまひぬ、

 訳は、人々が起きてざわめいて、上の御局に行き交うけはいがしきりとするので、まことに是非もなくて、扇だけを、のちの証拠に取りかえてお出になってしまった。

 月の明るさに酔い心地に、後宮の辺りを彷徨(ほうこう)した源氏が弘徽殿の細殿(ほそどの)で歌をよみながらやってくる朧月夜と出会い、あわただしい一夜を明かした場面です。二人がかたく契った証拠であると共に、名も告げずに別れた二人の再会のための目印として、扇が交換されています。

・かのしるしの扇は、桜の三重(みえ)がさねにて、濃きかたに霞(かす)める月をかきて、水にうつしたる心ばへ、目なれたれど、ゆゑなつかしうもてならしたり、

 訳は、あのしるしの扇は、桜の三重がさねで、色の濃い方に霞(かす)んでいる月を描いて、それを水に映してある趣向は、珍しくもないが、持主の趣味教養がなつかしく偲ばれるまで使いならしてある。

 桜の三重がさねとは、桧(ひ)扇の両端の親骨を三枚重ねにしてそれを桜(表白、裏蘇芳)の薄様(薄い鳥の子紙)で包んだものです。源氏は持ち主の趣味、教養を思わせる扇をながめて、朧月夜の君へと切なく想いを馳せるのであります。

・いづれならむ、と胸うちつぶれて、扇を取られて、からきめを見る、と、うちおほどけたる声にいひなして、寄り居たまへり、

 訳は、あの女君はどれだろうと胸をときめかせて、「扇を取られて、からきめを見る」と、おどけた声でわざと言って、身を寄せかけて坐っていらっしゃる。

 催馬楽、石川「石川の高麗人(こまうど)に帯を取られてからきくいする・・・」の「帯」を「扇」に変えて言ったものです。源氏と、しるしとして「扇」を交換した朧月夜にのみ、彼の意図がわかるので、わざと「帯」を「扇」に変えて、彼女を探そうとしたのであります。

次に葵です。

・よろしき女車の、いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、人を招き寄せて、ここにやは立たせたまはぬ、所さりきこえむ、と、聞えたり、

 訳は、相当な女車で、大そう大勢乗りこんでいるのから扇をさし出し、(君の)お供の人を招き寄せて、「ここにお立ちになりませんか。場所をさし上げましょう」と、申し上げた。

 車の立て場に困っている源氏に、場所を譲ろうとして扇を女車からさし出して、源氏のお供を招いている場面です。ここでは人を招き寄せるために扇が使われています。この後、源氏にこの扇の端を折って渡して来たものに、詠まれていた歌の筆跡を見て、相手が源の典侍だとわかるのであります。

次に常夏です。

・扇をならしたまへるに、何心もなく見上げたまへるまみ、らうたげにて、つらつきあかめるも、親の御目にはうつくしくのみ見ゆ、

 訳は、扇をお鳴らしになったところ、何気なく見上げなさったその目つきは愛らしく、顔が赤くなったのも親の御目にはかわいく見えるばかりである。

 内大臣が昼寝をしている娘の雲居の雁を、扇を鳴らして起こす場面です。もともと、扇を鳴らして人を招くという使われ方をされています。その音によって人の注意をひくということだと思われます。

次に行幸(みゆき)にいきます。

 背景は、玉鬘が父、内大臣の姿を見た後、源氏は宮仕えを勧めるが、そのためにはその素性を公にせねばならず、三条の大宮を通じて内大臣に真相をうち明け、裳着をとり行う、という場面です。

・原文には、中宮より、白き御裳(おんも)、唐衣(からぎぬ)、御装束(おんしょうぞく)、御(み)ぐしあげの具(ぐ)など、いと二なくて、例の、壺どもに、からのたき物、心ことにかをり深くて、たてまつりたまへり、

御方々、皆心々(こころごころ)に、御装束、人々の糧(かて)に、櫛(くし)、扇まで、とりどりにし出でたまへる有様、おとりまさらず、とあります。

 訳は、(秋好む)中宮からも、白い裳、唐衣、御装束、御髪上げのお道具など、またとないほどのできで、いつものとおりいろいろの香壺(こうつぼ)に、中国からの薫物、格別よいかおりのするものを、差し上げなさった。

貴婦人がたは、みな思い思いに、お召し物、お付きの女房達の使う物として、櫛、扇に至るまで、それぞれにお作りになったできばえは、優劣がつけられず、です。

 解釈は、玉鬘の裳着の場面で、源氏の妻たちが源氏の娘である玉鬘の裳着に贈りものとして装束や御髪上げの道具、薫物、櫛、扇などをきそって贈っているところです。

「お付きの女房達の使うものとして、櫛、扇・・・」とは、贈る側が皆それぞれに自分の地位をわきまえているためです。例えば玉鬘本人が使用するものは地位の高い人が贈るものであり、その他の人々は遠慮して女房達のものを用意するのであります。

次の若菜下は、源氏が柏木の密書(みっしょ)を手に入れる場面です。

・原文は、よべのかはほりを落して、これは風ぬるくこそありけれ、とて、御扇おきたまひて、で

 訳は、「昨夜の扇子(せんす)を落として。これは風が涼しくないな」と、おん扇をお置きになり、です。

 解釈ですが、この場面は朝から暑い夏の日であることが分かります。源氏が自分の置き忘れた扇子を探しに来たのですが、この時、源氏が持ってきていた扇は、涼しい風の来ないという原文から、檜扇である事がわかります。

またこれらのことから、その日の暑さなどによって一番合うものを選んで身につ   けていたと思いました。

つぎに鈴虫で源氏が、女三の宮に訓戒する場面です。

・原文は、

  はちす葉をおなじうてなと契りおきて露のわかるるけふぞ悲しき

と御硯(おんすずり)にさしぬらして、香染なる御扇に書きつけたまへり、です。

 ここの訳は、

  「来世(らいせ)は蓮の葉を二人いっしょの台にしようと約束しておいて、蓮の葉にお  く露のように別々でいる今が悲しい」

と(宮の)御硯に筆をおつけになって、(宮の)香染(こうぞめ)の扇にお書きつけになったということです。

 解説ですが、香染なる御扇というのは丁子香(ちょうじこう)で染めた、いいにおいのする扇のことです。普通の姫君の持ち物とは違って、赤や銀は使いません。尼の持ち物です。これらの歌のかかれた扇と共に女三の宮の身辺にもようやく一応の落ち着きを感じることが出来ます。

 ここでの解釈ですが、扇に書きつけるという動作においては、後の「幻」の部分で解釈します。

ここでは特に扇の色や匂いに注目したいと思います。訓戒を受けた三の宮は尼の持ち物を身につけ落ち着きをもっていることが分かります。

尼の扇とはここから分かるように、赤や銀などを使わず、簡素であるがいい匂い   のつけてある風流な扇であったのではないかと思いました。

次に夕霧の巻で、ここは夕霧が小野に行く場面です。

・原文は、まばゆげに、わざとなく扇をさし隠したまへる手つき、女こそかうはあらまほしけれ、それだにえあらぬを、と見たてまつる、で

 訳はまぶしそうに、わざとともなく扇で顔を隠していらっしゃる手つきは、女はこうありたいものだが、女でさえこうはできまいと人々は拝見する、となっています。

解説で、「まばゆげに、夕霧が受けている光」ですが、これは弱い光ではあるが、それでも光を受けて人に顔を見られるのをきらって顔をかくしているというところです。

ここでの解釈ですが、扇で顔をかくすというのはこの文からも分かるように、女性の方が多かったようです。そのため女性は美しく顔を隠すのがよいとされていたようです。具体的な隠し方としては、わざとらしくなく自然に隠すのがよいようですが、この場面では夕霧が女性よりも上手く顔を隠しているので、理想であると賞賛されています。

次に幻ですが、ここは紫上の一周期の場面です。

・中将の君の扇に、

  君恋ふる涙はきはもなきものを今日をば何のはてといふらむ

と、書きつけたるを取りて見たまひて、

  人恋ふるわが身も末になりゆけどのこり多かる涙なりけり

と、書き添へたまふ、

 訳は、中将の君の扇に、  

  「あなた様を慕う涙はきりもなく流れるのに、今日の日を何の果(はて)と言    うのでしょう」

と、書きつけてあるのを取って御覧になって、

  「なき人をしたう私も余命少なくなってゆくが、まだまだ残りの多い涙であっ    た」

と、お書き添えになる、です。

 ここの解説で、当時はことある時に扇を新調し、それに心のたけを示す歌を書きつけると言う行為を行っていたようです。

 次に解釈で、この場面では中将の扇に源氏が自分の気持ちを書き添えたものですが、当時は自分の気持ちを扇につけることもあった事が分かります。またおそらくこれは、墨で書きつけたものであるから紙の扇であったのではないだろうかと思いました。

次に總角(あげまき)で薫が、匂宮のことを言う場面です。

・宮は、教へきこえつるままに、一夜(ひとよ)の戸口によりて、扇をならしたまへば、弁参りて導ききこゆ、

 訳は匂宮は、お教え申し上げた通りに、あの晩の戸口に寄って、扇をおならしなさると、弁が参ってご案内申し上げるです、です。

 ここでは人を呼ぶために使われています。

 解釈は、扇のならし方としては私は扇をとじる際、パチンととじる音かと思ったのですが、原文に他の例もないので、、若紫と同様にハタハタと仰いだのではないかと思います。

次に宿木(やどりぎ)にいきます。

 背景は、 大君(おおいぎみ)の妹である中の宮は匂宮の子を身籠もっていましたが、匂宮は六の君と結婚してしまい、一人苦悩します。そんな中の宮に薫は同情します。

薫は女二宮と結婚した後、宇治で偶然大君によく似た浮舟を垣間見る、という場面です。

・原文には、折りたまへる花を、扇にうち置きて、見居たまへるに、やうやう赤みもて行くも、なかなか色のあはひをかしく見ゆれば、やをらさし入れて、とあります。

 訳は、お折りになった花を、扇に置いて見ていらっしゃったのだが、だんだん赤味をおびてゆくのも、かえって色あいがみごとに見えるので、そっと御簾(みす)の下からさし入れて、です。

 解釈は、花は朝顔のことで、赤味をおびるとは、朝顔がしおれて枯れていくことをさします。

大君に似ている中の宮。大君は生前、中の宮を薫に、自分の身代わりに、と言っ   ていた。そのことを薫は中の宮に朝顔を贈りながらうたいます。

手で直接渡すのではなく扇に載せて花を贈るところからも風情が感じられると思います。

・次に、なよよかなる御(おん)ぞどもを、いとどにほはし添へたまへるは、あまりおどろおどろしきまであるに、ちやうじぞめの扇の、もてならしたまへる移香などさへ、たとへむかたなくめでたし、というところですが、

 ここの訳は、着なれたお召しものに、いっそう香をたきそえていらっしゃるのは、あまり仰々しいほどであるのに、丁子染の扇の、使いならされたための移り香などさえ、たとえようもなく立派だ、となります。

 解説ですが、丁子染とは、丁子を濃く煎じ、その汁で染めたもので、薄紅で黄色をおびたものです。

 解釈で、ここは薫のもとへ中の宮から面会を求める手紙が来たため、薫は入念に仕度をし、出かけるというところです。

薫は生まれたときからよい香りをもっています。しかしこの日は更に香を焚きしめ、匂いのする丁子染の扇を持つ。(丁子は植物でそのつぼみを乾かしたものを蒸留して油を取り、香料とする。そのため丁子で染めた扇も香りを放つ。)薫は他人と異なる特徴をわざと際だたせて、その匂いで中の宮を圧倒するつもりなのであろうかと考えられます。

次に東屋です。

・原文には、恐しき夢のさめたるここちして、汗におしひたしてふしたまへり、めのとうちあふぎなどして、とあります。

 訳は、恐ろしい夢が覚めたような気持がして、汗をびっしょりかいてうつぶしていらっしゃる。乳母はあおいだりなどして、です。

 解釈は、浮舟は、母から姉の中の君のもとに託され、二条院に暮らしていたところ、姉の夫である匂宮にせまられ、こわくて、汗をびっしょりかいてしまた。乳母も右近も声を聞かせるだけで何もできなかったので、汗をかいた浮舟に扇であおいで風をおくるという場面です。

この頃の扇と言えば女性が顔を隠すためのものと思われがちですが、本来はこのように使われるために作られたものなのです。

・次に原文には、うちとけたる御ありさま、今すこしをかしくて入りおはしたるもはづかしけれど、もて隠すべくもあらでゐたまへり、とあります。

 訳は、くつろいだ御様子が一段と魅力をたたえて入って来られたのも顔もあげられない思いだが、身を隠すわけにもゆかず坐っていらっしゃる、です。

*この場面には原文に直接「あふぎ」は記されていないのですが、「身を隠す」道具は扇や几帳 だったため、記載しました。

 解釈は、浮舟は大君の形代として宇治に連れてこられたが、薫がくつろいだ姿で入ってきたので普段着でいる自分が恥ずかしく、几帳や扇で身を隠したかったが、できな

かったという場面です。

・次に原文に、いとはづかしくて、白き扇をまさぐりつつ添ひ臥したる、かたはらめ、いとくまなう白うて、なまめいたる額髪(ひたいがみ)のひまなど、いとよく思ひ出でられてあはれなり、とあります。

 訳は、たいそうきまり悪くて、白い扇を弄びながら物に寄り臥しているその横顔が、ぬけるほど白くて、みずみずしい額髪の間から見える顔など、ほんとうによく(似ていて姫宮が)思い出されて感慨深い、です。

 解釈は、浮舟が話し相手にならないため、薫は一人琴をひきはじめます。そんな薫に浮舟は「昔からここに住んでいたらもう少し感慨は深いことでしょう。何故、あんな所(田舎)に長年居たのか」と言われて困り果て、白い扇をもてあそびながら物に寄り臥している場面です。  

次に蜻蛉で、西の渡殿(わたどの)の女一の宮を薫がすき見する場面です。

・原文は、黄なる生絹(すずし)の単(ひとへ)、うす色なる裳きたる人の、扇うちつかひたるなど、用意あらむはや、と、ふと見えて、で

 訳は、黄色い生絹の単衣(ひとえ)に薄紫色の裳を着た人が、扇をつかっている所などは、いかにも嗜み(たしなみ)のある人と、ふと見えて、となります。

 解釈ですが、ここでの扇を使うという動作は、普通一般の使われ方のことで自分の顔をあおいでいる姿だろうと思いました。

参考文献はこちらに載せてあるとおりです。

〈参考文献〉

 ・源氏物語評釈  (角川書店)

 ・源氏物語大成  (中央公論社)

 ・源氏物語必携  (学燈社)

 

最後にまとめとして、

・当時、扇はあおぐものとして、また女性が顔を隠すものとして用いられただけでなく、自分の気持ちを歌として扇にかいて贈ったり、人を呼ぶのに使ったり、ときに恋の橋渡しとしての役割を果たすなど、様々な使われ方があったことが分かりました。

また扇には、それに対する趣向のこらし方によってその持ち主の嗜好(しこう)や品性をもうかがい知ることが出来るという効果もあるようで、これは扇を人々が単なる実用品としてだけでなく、自分を表現する一つの手段として考えていたためではないだろうかと考えられます。

・全体の感想として、扇の色・模様・匂い・音・使い方・使うその雰囲気など、源氏物語の登場人物を扇などの色々な小物が美しく見せているのではないかと思いました。

以上で発表を終わります。

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