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これから「源氏物語の書道』についての発表を始めます。

発表者は、日文一年 前原 まさみ,宮崎 玲奈,渡辺 三和です。

まず始めに、プリントの付けたしをお願いします。

プリントの最後の部分の“筆跡の形容”のところ(プリントの6枚

目の裏側)の一六の(五)の訳が抜けているので後で黒板に板書す

るのを書いておいて下さい。又、書き忘れてしまった参考文献も書

いておくので一緒に書いておいて下さい。

<板書内容>

訳:この手紙を広げたまま、その端にしきりにいたずら書きなさっ

ているのを参考文献:『源氏物語とかな書道』 1988年6月5日発行 雄山閣出版株式会社

 私達は‘書'について発表するにあったて‘書'とは何かということ

を、古語辞典で調べてみました。古語辞典によると、書とは

@文字を書くこと、書法、書道

A手紙

B文書、書籍

C「書経」の略称        となっていました。

次に、『源氏物語』の中の書道のあり方としては、精緻な筆頭描写

は、書き手の性格や教養を表すにとどまらず、人間の深層を描く役

割を負わされています。

 そして、どの紙にどのように書くか?と言うことは,時には何を書

くかと言う以上に相手側に書き手の人柄を印象付ける事柄でもあっ

たので筆跡について書くときの紫式部の美的感覚は緊張しつつも、

実に楽しげな企画性にあふれています。その背景には、もちろん女

性隆起の時代に女手について語る女流の時流の自負もあり感慨もあ

った様です。

ーこれは、『源氏物語とかな書道』という文献によりました。ー

優れたとらえ方で、何を書くか以上にどのように書くかにはらわれ

ている美的感覚は、平安時代美術の特徴です。

よって、「書」に関わる描写,記述の全てこそ、この時代の人々が一

番親近感を寄せたパターン(型,類型)でした。

 紫式部の一流の卓越した「書論」,文明批評的観点に基づく「生活論」

の手際の良さを軽視するものではないが、紫式部に書道を描かせた

のは、当時の人々の文学生活のあり方であり、女房たちの書写にと

もなう美的感覚の様相が極めて高く、優れていたことに視点を向け

るべきである。

<プリントの1枚目の裏側を見てください。>

 続いて、紫式部の書論について見ていこうと思います。

 紫式部の書論は、「梅枝」の巻で、源氏の口を借りて書き表されて

います。物語のこの場所は、源氏と明石上との間に生まれた娘、明

石姫君が春宮に入内することが決定し、晴れの盛儀を控えてその準備が行われてい

るところです。広大な六条院が湧きかえり、明石姫君が持参する品

々の調達に「道々の上手ども召し集めて」というところからわかる

ように関係者が総動員されます。中でも「香」と「書」には重点が置

かれ、源氏はその先頭に立っています。書道に関するところは、源

氏が現代のかな書道がいかに素晴らしくなったかを側で手伝う妻や

紫の上に言い聞かせるところから始まります。その部分が「よろず

の事、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、かなのみな

む今の世はいと際なくなりたる。古き跡は、定まれるやうにはあれ

ど、ひろき心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける。」訳が、

「万事につけて、昔に比べて次第に劣ってきて、浅薄になってゆく

末世だけれど、ただかなだけは現代の方がこの上もなく上手になっ

てきました。昔の書は、筆法には適っている様だけれどのびのびと

した自由な精神が余り出ていなくて、どれも似ていて個性的ではあ

りません。」という部分から源氏の口は借り物なので媒体を外し、

 紫式部の思想として接することができる。では何故紫式部は、古人

の筆跡を否定したのだろうか?

本文から形態・・・定まれるようにあれど(決まって整っている様

子ですが)      

筆意・・・ひろき心豊かならず(不自由で狭く)

書風・・・一筋に通ひてなむありける(形にはまっていま

した)  

と考えられます。

 否定された古人の書というものは、おそらく空海や逸勢などの書に

相当するものだと思われます。古人の書として、空海・藤原行成の

書を3枚目のプリントの裏側に資料として載せておいたので、後で

見ておいてください。

 紫式部は、自由な書きぶり,変化に富んだ筆致を平安時代の美とし

ました。

 そのため書風が抜けきらず和様になっていない時代の物を否定した

のだと考えられます。

 2番目は、「中宮の母宮息所の、心にもいれず走り書いたまへりし

一行ばかり、わざとならぬをへて、際ことにおぼへしや。」という

部分で訳は、「秋好む中宮の母君=六条御息所が何気なくさらさら

と走り書きなさった一行くらいの、さり気ないお手紙をいただいて

類ない見事なお筆跡だと感心したものです。」

まず、六条御息所の筆跡は、「心深くおはせし」=思慮深い女性で

あり、源氏はその筆跡に対して「書の才能が格別に優れていると感

じたものです。」と述べ、過去の回想として紫の上に語っている場

面があります。「際」という語には、いろいろな意味がありますが、

この場面は「書の才能」で良いと思います。「際」そのものの意味と

しては、「きわまった果て」であり書芸に当てはめると「はたらき」

という意味を持っています。この事から、「書の才能」とは、文字

の形態,毛筆書きの線質に対する「特殊感覚」と「表現能力」(はた

らき)である。

 略して「書手」といって良い。「書士が格別である人の手紙は、さ

りげない走り書きであってもよいものだ」という紫式部の感想で

あります。

    

 3番目は、「宮の御手は、こまかにをかしげなれどかどや後れたら

ん」訳は、「秋好む中宮のお筆跡は、繊細で風情がおありだけれ

どちょっと才気が足りないと言えるでしょうね。」ここから秋好

む中宮の筆跡は、母と娘の対比で母六条御息所(故人)よりも娘,

 秋好の宮の筆跡は、か細く優美で趣があるが才能の点では、母親

に及ばないとしています。故六条御息所の書才を強調するための

比較なのでしょうか。繊細さ,優美さ,趣致(味わい)それ以上の

才能を、紫式部は仮名書道の美に要求してやまないようです。

    

 4番目は、「故入道の宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋

はありしかど、弱気ところありてにほひぞ少なかりし。」訳は,

「亡くなられたた藤壺の尼宮のお筆跡は、たいそう深みがあって

優美なところはありましたが、何処か弱いところがおわりで余韻

が足りない感じでした。

 これは、藤壺の宮の筆蹟について語っているところで、源氏の陰

の支えであった藤壺の宮の他界は、「浮雲」の巻で語られます。

藤壺の筆蹟は「気色深かった」と源氏は言っています。そして

「趣に大層深みがあり、また上品な風情がありましたけれど」と

いうようにも言っています。しかし、「筆力の弱さが所々に出て

いて、余韻が乏しかった。とも評しています。そこから、趣致、

品格を持つ書(仮名)も筆力が弱いと余韻が出ないものであると

 紫式部は論じていることがわかります。人の心に染み入るものは

余韻であり、それは単なる見た目の技巧ではありません。精神力

の集中によって生ずる‘筆力'であると説いています。

 五番目の文に移ります。「院の尚侍こそ今の世の上手におはすれ

ど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。」訳は、「朧月夜の尚侍こ

そ当代の名手でいらっしゃるけれど、あまりにしゃれすぎていて

癖も有るようです。」ここからは、朧月夜(朱雀院尚侍)の筆蹟

について読み取ることができると思います。

 まず、朧月夜の筆蹟は現代的な達筆だと言われています。では、

式部の言う「今の世の」=現代的な巧みさとは、どんな書風かと

言うと「そぼれて」は戯るという風に書き、ふざけるという意味

の動詞に接続助詞「て」がついた形です。「あまりそぼれて」は

 あんまり遊びすぎて、「癖ぞ添ひためる」というように癖が出て

いる現代的な産筆は、具体的な例がないとわかりません。達者過

ぎて筆に遊びがあり、朧月夜の個人的な癖が出ていることがわか

ります。鍛錬を積めば個人的な癖が、個性になるかといえばそう

とばかりはいえません。悪い鍛錬を重ねすぎ心技が独善的になっ

て、まるっきり格調の低い‘仮名書道'になってしまう例もあり

ます。また、見る人に不快な念を与えている癖を、本人は個性だ

と思っていることもあります。

    

 式部は、新しい感覚美を持つ女房たちに悪達者にならないように 、筆遊びは技術の余裕から生まれなければならないものであるべ

きだと考えています。筆遊びは、うっかりすると筆癖としか見る

人に写らないことを、戒めているような気がします。

    <4ページ目を見てください。>

 紫上の書風は、「物柔らかな書風」で「特別な魅力がある」と評価

しています。 さらに漢字と仮名、共に上達しなければ、雑で調

和しないものになると注意を与えています。式部は紫上の書風評

価において、藤原行成らによる仮名書道の確立が行われ、学習が

楽になった変わりにまだまだ未完成な部分も多いのだから、皆で

皆で専念しなければいけないということを読者に訴えています。

 兵部卿宮の書風は特に優れてはいないが、一つの才芸に秀でてい

ると評価しています。その才能とは、歌は古いものを選び漢字の

多い正書体だと、堅苦しい雰囲気になるものを仮名を多めにして

いることなどです。

 特に優れてはいないが、筆蹟の内にある味わいの魅力を取り上げ

たこの評価は大変興味深いものです。

次に8番目の文を見てください。

「左衛門督は、ことごとしうかしこげなる筋をのみ好みて、書きたれど、

筆のおきて澄まぬ心地していたはり加へたるけしきなり。歌なども、

ことさらめきて選り書きたり。」ここの訳は「左衛門の督は、仰 しく

もったいぶった書風ばかり好んで書いていますけれど、筆使いに垢ぬけしない

ところがあって、苦労して取り繕ってあるのが目立ちます。歌も、殊更らしく

選んで書いています。」となります。

ここからは、左衛門督の筆蹟が分かります。

この人の筆蹟は紫式部の批評は、かなり辛辣であり、左衛門督の筆蹟は才走って

いて風格を無理に付けた様な書風だけを好んで書いていると言っています。

「かしこげなる筋をのみ」とは見せようとしている非凡ぶった書風であります。

「筆のおきて、澄まぬ心地」これは筆法に濁りがある感じという意味で、このような

書は基本技に欠ける所がある為、無理な筆使いをしているということになります。

例えば腕全体、体ごと筆を運ぶ訓練をしっかり身につけていない人は、つい手先

指先だけで、筆を弄してしまうという様なことを言っています。

その様な書き手は、素材(この場合は歌ですが)それも、わざとらしく無理に選んで

自分の心で本当に良いと思い、理解し得た内容のものではなく、字面や効果のみを

考え、また偉そうに見える内容のものを選んでいると紫式部は言っています。

では何故源氏は左衛門督の様な人物に冊子を依頼するのか矛盾を覚えると思いますが、

紫式部はそれを承知の上で「悪書」というものを論ずるために、敢えてこの人物を配し、

設定したのだろうと推測できると思います。

梅枝の評価のまとめとしては、紫式部にとって最良の書とは技巧のうまさだけではない

人の心をうつ、書いた人の内面があらわれているようなものが「書」といえるのだという

ことを、源氏の口を借りて表現しているのではないでしょうか。

それでは次のページを見てください。

今回の発表のなかで、特に私達が力を入れて調べた筆者が若紫です。

紫の上の手についての記述のある部分のプリントに貼ってある(原文)右上を見て下さい。

原文の下の段の6行目の「いと若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書いたまへり。」

は、少女紫の上の筆蹟の形容であるが、ただそれにとどまるものではありません。紫式部

は、まだあどけない少女の人柄をその筆蹟を通してくっきりと浮き彫りにしています。

「書きそこなひつ」と言い、恥づかしがって隠そうとするのを、源氏は無理にとって見

ます。紫の上が書き損なったと言ったのは、実際に失敗したのか、少女の羞恥心がそう

言わせたのか判らないが紫式部の肌理の細かい演出がここの場面を一幅の絵にしてます。

「ふくよか」というのは、普通は「肥えている様子」を言います。しかし、ここでは、線

や字形が太っていたと言っているのではなく、少女の用筆だから、力の矯め方を知らず

のびやかであったと思われます。これを「ふくよか」は指しているのではないかと推測されます。

「ふくよか」というのは、この時代の理想美の一つで、紫の上がこの理想美を兼ね

備えていたことを婉曲的に描くために紫の上は手習いをさせ、その筆蹟を光源氏に見つめさせています。

次に「若紫」の巻における手本についてです。

「若紫」の巻で源氏は、紫の上のために習字の手本になるように、様々なものを書いて与えています。

源氏は類いなき理想的な能力者として設定されているので、筆蹟も人並すぐれて巧く、能書家と

いっていいけれど専門家とはいえません。貴族の家の子の女は、このように能書家の人に手本を

書いてもらい、習うこともあったと思われます。身近に指導者を求めて、「手本」のきごうを受け、

稽古して見てもらう方法も行われていたようです。

ここの‘きたく’とは書画を書くという意味です。

また、「若紫」の巻に「まだ難波津をだに、はかばかしう続け侍らざめれば」という言葉がでてきます。

源氏は北山の尼の庵で一人の少女を見出すというのが藤壷の宮の姪、紫のゆかりです。それから源氏は

祖母の尼上に会って、少女の世話を申し出て帰京してからも熱心に幾度も音信しました。尼上は返信に

「本人に御返事を申し上げさせたいと思いましても、まだ文字もろくに書けないような子供でございまして、

ふがいない次第でございます。」といった意味のことを書き送ります。この「文字もろくに書けない」が

「まだ難波津をだにはかばかしう続け侍らず」ということです。「難波津」は「古今和歌集」仮名の序に

手習詞として出ている「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」であることは

言うまでもありません。四世紀末の、王仁の作と云える歌です。この歌と、「万葉集」巻十六の

「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」の歌、二首が古来「手習い始め」の歌とされてきました。

5枚目のプリントをみて下さい。

まず、調度品としての書道用具として、硯箱・文台・料紙があります。

硯箱は現在のものよりも大きく、重硯箱といって二段重ねのものでした。硯箱の中には、硯・墨・

水滴・筆・小刀などが入っており、本来の用途の他に贈り物や手紙などを入れて贈答にも用いられたようです。

また蓋も料紙、草木の折枝、食べ物を盛るのに用いられることがありました。

文台とは、書籍や硯箱などをのせ読書や書き物に用いた長方形の低い台のことです。詩歌会では、創作した詩歌を

これに置いて献上しました。

料紙はものを書くために用いる紙のことです。「源氏物語」に見られる料紙は、主に事務的なものに用いられた

厚手の上質紙である「陸奥紙」、舶来品で高級な「唐紙」や「高麗紙」、染めたり刷ったりして色をつけて「色紙」、

豊富な色としなやかな紙質から、重ねて恋文に用いられた「薄様」(「鳥の子紙」を薄く漉いたもの)などがありました。

<参考文献>

『新々訳源氏物語』 谷崎潤一郎 中央公論社 昭和39年発行

『源氏物語 巻五』 瀬戸内寂聴 講談社 1997年発行

『源氏物語 六条院の生活』 宗教文化研究所風俗博物館 平成10年発行

『書道芸術T』 春名好重、浦野俊則、宮澤正明 中教出版 平成8年発行

『源氏物語』 小学館 昭和45年発行

6枚目からの〈筆蹟の形容〉は各自で見ておいてください。

まとめとして、当時書道とは、その書体で性格を、また書いた歌の内容で身分、教養を見分ける要素だったのだと

思われます。それを「源氏物語」の中でも人物を書き分ける技術の一つとして、紫式部は用いたのではないでしょうか。

だから源氏物語から書道を外すことはできません。書道とは、幼いときからの長い修練を必要とし、結果として

出てくる書体はその人の人格そのものであり現代、私たちがその「源氏物語」の中での表現から解釈する以上に、

書道が身近にあった当時の読者は、多くのことを感じ取っていたのだと思います。また、梅枝での当時の仮名書道に

対する評価などは、平安時代の書道の状況を詳述できてるといえるでしょう。

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