1998.8.10

 

上原訳『源氏物語』現代語訳抄

桐壺巻

1光源氏誕生

 どの御世であったろうか、女御や更衣たちが大勢お仕えなさっていた中に、たいして高貴な身分ではないにもかかわらず、際立って帝の御寵愛を一身に集めていらっしゃる方があったのだった。

(このため)「最初から自分こそは」と誇り高く持っていらっしゃった御方々は不愉快な女だと見下したり嫉んだりなさったのである。同じ身分や、その方より身分の低い更衣たちは、なおさらおもしろくない。毎日の宮仕えにつけても、人々の気持ちばかりを不愉快にさせ、恨みを買うことばかりが積もりに積もったせいでもあろうか、(この更衣は)だんだんと病弱になってゆき、何となく心細げな様子で里に下がることが多くなってしまったのを、(帝は)ますますこの上なく不憫な人だとおぼしめされて、他人の非難などをすらお聞き入れなさろうはずもなく、後世の語り草にもなってしまいそうな大変なお慈しみようであった。

 上達部、殿上人なども(帝のふるまいを正視できず)目をそらすほどの、眩しいくらいの御寵愛であり、「唐土でもこのような事態が原因なって世の中も乱れて国が滅びたこともあり遺憾なことだ」、だんだんと天下の人々の苦虫の種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出されそうになって来たので、それこそいたたまれないことが数多くはあるものの、有り難い御愛情をのみ唯一の頼みとして、(更衣は)宮仕えをお続けなさっている。

 (更衣の)父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の人であり教養もある人だったので、両親とも揃っていて、今現在の世間の評判の勢い盛んな女君達にも大してひけをとることなく、どのようなことの儀式・作法にも対処なさっていたが、これといった後見人も特に持たないので、改まったちょっとした盛儀の行われる時には頼りとする人がなくやはり心細い様子である。

 (おふたりは)前世でも御宿縁が深かったのであろうか、この世にまたとない美しい玉のような男の御子までがお生まれになってしまった。(帝は)「いつか、いつか」とじれったい思いでご心配なさり、(生まれると)急いで参内させて(お顔を)御覧あそばすと、たぐい稀な赤子のお顔だちであった。

 第一御子は、右大臣の女御のお生みになった方であり、後見人がしっかりしているために、正真正銘皇太子になられるお方だと世間では大切に扱い申し上げるが、この御子の輝くような美しさにはお並びようもなかったので、(帝からすれば)一通り大切になさるようなお気持ちであって、この若君の方には自分の思いのままにおかわいがりなさるのにはまるで際限がないほどである。

 (更衣は)最初から女房並みの帝のお側仕えをなさるはずの身分ではなかった。人々の評判もとてもよく、上流人の風格もあったのだが、(帝が)むやみやたらにお側近くにお召しあそばされ過ぎた結果、しかるべき管弦の御遊の折々や、いろいろな盛儀で興趣ある催しがあるたびに、まっさきに参上させなさった。ある時などはお寝過ごしなさってしまわれて、そのまま(更衣を)伺候させておきなさるなど、むやみに御前から離さずにおそばにおいて措かれたがために、自然と身分が低く卑しい女房のようにも思われてしまったが、この御子がお生まれになって後は、たいそう格別に処遇されあそばされるようになっていたので、東宮坊ではひょっとすると、「(この御子が)皇太子におなりになるかもしれない」と、第一皇子の女御はお疑いになってしまった。この女御は誰よりも先に御入内されていたので、(帝も)大切にお考えあそばされること一通りでなく、(くわえてお子様には)皇女たちなどもいらっしゃるので、この御方の御諌めだけはさすがにやはり煩わしくもあるが無視できないものとお思い申し上げあそばされるのであった。

 有り難い御庇護ばかりをお頼り申してはいるものの、軽蔑したり落度を探したりなさる方々が多く、自身はか弱く何となく頼りない様子となり、なまじ御寵愛を得たばかりにしなくてもよいような物思いもなさっている。(更衣の)お局は桐壷である。

2母の面影

 源氏の君は、お側をお離れになろうとなさらないので、誰よりも頻繁にお渡りあそばす御方は(この君に対して)恥かしがってばかりもいらっしゃられない。「どの御方々も、自分が他の女人より劣っている」などと思っていらっしゃる人があろうか、それぞれにみなとてもうつくしくはあるが、みなすこしばかりお年を召しておいでになるのに対して、(藤壺は)とりわけ若くかわいらしい御様子で、頻りと(源氏の君の前から)お姿をお隠しなさろうとなさるが、(源氏の君には)自然とお見かけもうしあげてしまう。母御息所の面影すら(源氏は)ご記憶がないのを、「大変によく似ていらっしゃるんです」と、内侍のすけが申し上げたのを、幼心に「とてもお慕わしい」とお思い申し上げなさって、「いつもお側に参って、親しくなつき申し上げたい」とお思いになったのだった。

 主上もこの上なくおかわいがりのお二方なので、「お疎みなさいますな。不思議と(あなたを)母君とでも申しあげてもよいような気持ちがする。厭わしいなどとお思いなさらず、いとおしみください。顔だちや目もとなど、大変によく似ておられるため、母君のようにお見えになるのも、不似合いなことではありません」などと、お頼み申し上げなさっているので、幼心にも、ちょっとした花や紅葉にことつけてお気持ちをお示しになられる。(今度は帝がこの女人に)この上ない御愛情をお寄せなさっていらっしゃるので、弘徽殿の女御は、またこの宮とも疎遠な仲でいらしていた上に、もとからの憎しみの感情も抑えがたく、「不愉快なこと」とお思いになっていた。

 世の中ではまたとないお方だとお見申し上げ、評判高くおいでになる一の御子のご容貌にしても、やはり(源氏の君の)照り映える美しさと比較すれば(源氏の君の)美しさはくらべようもないのであって、世の中の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壷も(この君と)お並びになるほど、(帝の)御寵愛がそれぞれに深い方々なので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げたのであった。

  本文は大島本を校訂した 『古典講読 源氏物語・大鏡』(角川書店・1998)によります。

Text By Sakukazu Uehara Copy right 1998(C)Allrights Reserved