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洗髪について

〜うつほ物語と源氏物語との比較から〜    9801003 日文2年 飯野貴子

  1. 発表の目論見

王朝物語文学時代、女性の美しさの一つとして“髪”があげられる。女性の顔を見ることが困難で逢ったので、“髪”の様子などから女性を見極めることもあった。

例えば、『源氏物語』の末摘花である。豊かな黒髪をもつと聞いて、源氏は手紙を送るのである。当時は、髪の様子が素晴らしい=美人であろうという仮定があったのである。

このように女性にとって“髪”という存在がとても大きいことがわかる。当時はとても長い髪であったので、手入れも大変だったのであろう。この発表では、手入れの中でも『洗髪』という所にポイントをおいて、調べていこうというものである。

  1. 『洗髪』の定義

先にも述べたように、当時はとても長い髪であった。よって、洗髪は一日がかりで行われたと考えられる。

日本風俗史辞典では『洗髪』について、次のように定義している。

髪を洗うことは垂髪の古代から記録がある。洗髪によって、頭髪の粘りや汚れ、嫌な匂い、かゆみなどを取り去ることは、『枕草子』に、心ときめきするもの「かしら洗いけそうしてー」とある。『延喜式』(九二七年)によると、宮廷に汁槽として、「ゆする」(米のとぎ汁)のための白米と、「洗料」(洗粉)としての小豆が出ている。この時代は髪油の代わりにも「ゆする」が使われ、また、鎌倉時代頃からは【びなんかずら】の粘液が使われていたが、水溶性なので【むくろじゅ】や【さいかち】でも手軽に洗えた。『うつほ物語』には、女の髪の美しさが喜ばれ、「御髪すまし」といって髪洗いの描写がたくさん出ている。〜中略〜

 とくに女子の長い髪の洗髪には苦労した。まず天候を見定めて洗髪料の調整にかかわるので一日がかりの仕事で、年に何回という洗髪だった。〜以下略〜

また、『扇面古写経』には『洗髪』についての絵が残されている。二人がかりで川に髪を流して洗っている図である。

では、実際に物語文学ではどのように『洗髪』の表現がされているのであろうか。日本風俗大辞典では、『うつほ物語』は髪洗いの描写が多いとされているが、どのような描写であるのか、王朝物語の最高傑作とされている『源氏物語』と比較して述べることにする。

  1. 原文の資料

  1. うつほ物語

『うつほ物語』では『洗髪』の描写に「みぐしすまし」という言葉が用いられる。「みぐし」とは御髪のこと、「すまし」とは洗い清めるという意味である。

『藤原の君』

かくて、七月七日になりぬ。賀茂川に御髪すましに、大宮より始め奉りて、小君たちまで出で給へり。賀茂の川ほとりに桟敷うちて、男君たちおはしまさうず。

その日の節供、川原にまいれり。君たち御髪すまし果てて、御琴しらべて、七夕に奉り給ふほどに、春宮より大宮の御もとに、かく聞こえ給へり。

→こうして、七月七日になった。賀茂川に御髪を洗いに、大宮をはじめとして、幼い姫君たちまでお出かけになった。賀茂川の河辺に桟敷を設けて、男君たちもそこにおいでなる。

その日、七日の節供は河原で催した。姫君たちが御髪を洗い終ってから御琴を弾いて、七夕に奉納しておられるときに、東宮から大宮のもとにこのような歌が贈られてきた。

賀茂川の水をふんだんに使って貴族の女君たちが数人揃って行う、「みぐしすまし」=『洗髪』は相当の見物であると思われるのに、作者はこれに触れていない。

『初秋』

かくて、宰相の中将、三条殿にまかりでて入る。北方御衣などをひき着て、その日、御髪すまし、乾しかねて給へるに、仲忠簀子についいる。〜中略〜

御髪のほど、丈に二尺ばかりあまりて、すこしこまろがれする髪をかき洗いたる、すなわち一背中こぼるるまであり、更に一筋散りたるもなし。姿の美しげなる事、更にいとめでたし。丈だちよきほどに、姿の清らなる事、更に並びなし。顔かたちも更にも言はず。仲忠、これを見るままに、藤壺を思ひ出て、この北のを、更に親と思ひ忘れて「いづくになりし天女ぞ」と思ひいたり。

→こうして、宰相の中将、三条殿に参上する。北の方(仲忠の母)御衣などを引き寄せて着て、その日は御髪を洗い、乾しきれないで、乾かしていらっしゃる所へ、仲忠が帰って、簀子に畏まる。

御髪の長さは、身丈より二尺ほど長くて、少々小さくふくらむ癖のある髪を、さっぱりと洗ったのが背中一杯にこぼれる程で、全く一本も乱れていない。姿が美しいことは、更にとても素晴らしい。背丈もちょうど良いし、姿がすらりと美しい事は、誰もおよぶものがあるまいと思われる。仲忠がこの美しい姿を見ている中に、藤壺を思い出して、この北の方を、親だということも忘れて、「どこからおりた天女か」と思ってぼんやりしていた。

ここでは、『洗髪』についての詳しい描写はないが、『洗髪』を行った後の女性の魅力について書かれている。

『蔵開き』中

かくて、大将の君まかで給ひて、参りて見給へば、日の御座所にも、御帳の内にも宮おはしまさず。怪しと思ひて、中務の君に「いずくにぞ」との給えば「西の御方に御ゆする参る」と聞こゆれば「あさまし」と思ひて「などかまかでは侍るとは聞し召してらむを、今日しもおほろけに。久しくすます御髪のやうに。すまし乾さむ程、命短からむ人はえ対面給」はらじかし。さて犬は」との給ふ。

→こうして、大将の君は退出して参上した所、宮の昼の御座所にも、御帳の中にも宮はいらっしゃらない。不思議に思って、中務の君に「どこにいる」とお聞きになったところ、「西の御方は御髪洗いをなさっていらっしゃいます」と申し上げたので、「呆れたことだ」と思いになって、「私が退出するとお聞きになったろうに、どうして今日に限っておろそかにするのか。久しぶりで髪洗いをするように(何も急いで私が帰る日に洗わなくてもいいのに)。洗って乾かす間、命の短いひとは待ちきれないだろうよ。さて犬宮はどこにいるのか」とおっしゃる。

久しぶりに逢う日に限ってなぜ髪を洗うのかという場面である。『洗髪』についての描写はないが、『洗髪』によって逢えないということで『洗髪』を嫌なものとしている。

『蔵開』中

宮つとめてより暮るるまで御髪すます。御ゆする度々して御許人並いて参る。すまし果てて高き御厨子の上に御褥敷きて乾し給ふ。女御の君の御前に当たり手、廂に模様に立てたる御厨子なりや。母屋の御簾を上げて御帳立てたり。宮の御前には御火桶据えて、火起こして薫物どもくべて焚き匂はして、御髪炙り、拭い集まりて、仕うまつる。

→宮は朝早くから日の暮れるまで髪洗いなさる。湯汁で度々洗い、御側に女房たちが並んでいて、その度にゆするを参るのである。清水で清めてしまってから、丈の高い御厨子の上に褥を敷いてその上に髪をお乾かしになる。厨子は女御(仁寿殿)のお部屋の前に廂に横さまに立てた。母屋の御簾を上げて風通しを良くして、御几帳を立てる。母屋においでになる宮の御前には火桶を据えて、火を起こして薫物をくべて匂わし、濡れた髪の湿りけを侍女たちが集まって拭いて、火に炙って乾かすのである。

ここでは『洗髪』についてどのように行われたのかということが細かく描写してある。

まず、「つとめてより暮るるまで」ということから、『洗髪』が一日中かかるということである。

次に『洗髪』の仕方について述べてある。米のとぎ汁(ゆする)で何度か洗い(梳くのではないかと思われる)、その後、きれいな水で洗い直すとある。その作業を数人かの女房で行っているのである。

その次の描写では、『洗髪』後の乾かし方について述べてある。「高き御厨子の上に御褥し敷きて乾し給ふ」とあり、御厨子とは棚のこと、褥とはふとんのことであるから、棚の上にふとんを敷いて、その上に髪をおいて乾かすのである。その後の描写から、棚は宮の前に置いて、廂に向かって横向きに立てている事がわかる。そして、風通しを良くするために、御簾を上げ、それだけだと外から丸見えになってしまうので、回りに几帳を立てている。また早く乾かすために宮の前に火桶を置いて、薫物をくべながら、侍女たちが濡れている髪の湿り気を拭きながら、髪を火で炙って乾かすのである。

ここの部分は『うつほ物語』のなかでも、『洗髪』について詳しく描写している部分である。他の場面でも、『洗髪』について書かれている部分があるが、そのほとんどは髪の美しさの描写であって、詳しい手入れの仕方は書かれていない。

  1. 源氏物語

『源氏物語』でも『洗髪』についての描写があり、ここでは「みぐしすまし」という言葉以外にも、「御ゆする」が用いられている。

『葵』

あやしう、われにもあらぬ御ここちをおほし続くるに、御衣などもただ芥子の香にしみかへりたり、あやしさに、御ゆするまいり、御衣着かへなどしたまひて、こころみたまへど、なほ同じようにのみあれば、

→不思議にも、自分が自分でないような御気分を、次々と思い浮かべてごらんになると、お召物なども、すっかり芥子の香に染みきっている。不思議さに、髪をお洗いになり、お召物を着替えたりなさって、ためしてご覧になるが、やはり同じように芥子の香がするばかりなので、

六条御息所は、葵の上の所に物怪として現れ、その祈祷に使われている芥子の匂いが離れないので、髪を洗うという描写である。ここでの『洗髪』は髪を洗っても匂いが消えないという強調のためにあると考えられる。

『若菜』

宮より明石の君のはづかしげにてまじらむを思せば、御髪すましひき繕ひておはする、類あらじと見えたまえり。

→女三の宮より明石の君との気の張る御対面をお考えになって、お髪を洗い、いっさいを身繕いをしておいでになる姿、二人とあるまいとお目見えになる。

この『洗髪』の描写は、紫の上が女三の宮よりも明石の上のことを意識して、髪を洗う場面である。ここも、明石の上への意識の強調ではないかと考えられる。

『若菜』

女君はあつくむつかしとて、御髪すまして、少しさわやかにもてなしたまへり、臥しながらうちやりたまへりしかば、とみにもかはねど、つゆばかりうちふくみ迷ふ筋もなくて、いと清らにゆらゆらとして、

→女君は、暑苦しいということで、髪をお洗いになり、やや清々下封をしていらっしゃった。横になったまま髪を投げ出してらっしゃたので、すぐには乾かないが、一本も膨らんだり乱れている毛はなく、たいそうさっぱりとした感じでたっぷりあり、

女君とは紫の上のことで、夏まで洗わなかった髪を洗った所である。一月十九日以来洗わなかったのであるから、さぞ汚いであろうが、そのことには触れずに紫の上の美しさを強調しているのである。

この二つは『洗髪』を何かの強調として意味づけているのである。

他にも『総角』に「御髪すましなどつくろはせて」、『東屋』に「かしら洗はせ」などの描写があるが、いづれも『洗髪』をすることによって、女性の美しさがきわだつということを意味している。

  1. 考察のまとめ

『洗髪』とは…

一年の中陰陽道の説でしてはいけない日が数多くあり、年に数回しか出来ない。

また、一日かけて『洗髪』を行う。

『洗髪』の仕方は…

ゆする(米のとぎ汁)で洗う。

清水で洗う。

御厨子(棚)の上に褥(ふとん)をひいてその上で乾かす。

廂に沿って横づけにして風通しを良くする(御簾を上げ、几帳を回りに立てる)

火桶を前に置き、薫物を焚く。

湿り気をとりながら、髪を火で炙る。

これを複数の女房がつきそって行う。

また、『うつほ物語』と『源氏物語』の『洗髪』についての描写の違いについては、

『うつほ物語』…行事として

       …洗髪によって導き出された女性の美

       …洗髪を行う女に対しての男の気持ち

       …洗髪の仕方

など多種多様。

『源氏物語』…洗髪は物語の流れのきっかけ、強調である。

<参考文献>

日本風俗史辞典 日本風俗史学会 弘文堂

うつほ物語の総合研究 索引編自立語1 勉誠出版

                 2

           本文編1

              2

源氏物語研究 玉上琢磨 角川書店

日本古典文学体系 うつほ物語 岩波書店

絵巻物による日本常民生活絵引 第1巻 渋澤敬二 

                   神奈川大学日本常民文化研究所編 平凡社

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