拙著『光源氏物語の思想史的変貌』有精堂.1994年12月より

あとがき

 私は十八歳になるまで信州佐久に生まれ育った。今から思えば、当時の私は大学進学を口実に、東京への脱出を計画していた。心ばかりが逸っていた。情報も乏しく、若者も少ない典型的な田舎から抜け出すことが、受験勉強の目的だった、と言った方がいいのかもしれない。

亀井勝一郎を愛読した頃(17歳。1979年10月、銀閣寺にて)

 高校時代の私は、亀井勝一郎の評論集を愛読していた。しかし、私の友人達は誰一人として此の評論家を知るものがなかった。それを私は密かに誇りに思ったりしていた。特に数年前、絶版になってしまった、『旺文社文庫』の親切な注と入江泰吉の叙情的な写真、さらに詳細な年譜などが魅力で、「文学研究」の世界の一端を垣間見た様な気がしたのもこの頃の事であった。亀井勝一郎が古代思想を中心に、日本人の精神史研究を自身のライフワ−クとした思想家であったことから、この頃には、私の文学と思想=亀井勝一郎という時代があった。とりわけ、この思想家が、青年時代左翼運動に身を投じ、挫折して転向したことも、この時代の多くの文人に共通する「敗北」のモチ−フとして、私の知的好奇心を刺激したのかもしれない。亀井は転向を契機として日本浪漫派に参画、日本の伝統的な美と信仰の世界に没入して行くのであるが、そんなことの深い意味については、当時の私に如何程の理解が及んでいたのか、記す必要もあるまい。ただこういう思索の日々が、人間として生を享けた私にとって、どれ程貴重なことであるのかを知り得たことは確かである。

 信州を出てから今年で十三年になる−−−−。

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 本書は<琴のこと>にのみ限定して、「琴(こと)」と表記される他の絃楽器についてはほとんど言及のない、愚直な試みである。しかし、<琴のこと>に関するテクストの、体系的な論を成していることもまた、確かなであると言えよう。

 こうした体系的な論の構想が具体化したのは、私が二十代後半となったここ数年のことである。かつて今井源衛氏の『国文学やぶにらみ』を読んだおり、氏は三谷栄一氏の『日本文学の民俗学的研究』に触れて、「A5版六○○頁余りの大冊だが、その半ばは、日本の家屋の東北隅には神がいる、という論証に費やされて、数百の事例が挙げられていた。あのような体裁が学術書のすべてでありまた最善だというつもりではないけれども、しかし、学問というものは、多くの場合、ああした、それこそ、これでもかこれでもか、という野暮な形で納得されるものなのだ」という一節がいつも頭の片隅にあったように記憶する。また、いつのことであったか、研究会の雑務のあとで、昔話研究の高木史人さんからもこの文章に関する話が出て、研究論文に関する私達の熱い思いを語りあったことが思い出される。その頃には、物語の<琴のこと>に関して集中的に読み解こうという方向性が、私の中でかなり明確に意識化されていたように思う。

 かくして本書は、ちょうど私が変体仮名ばかりの本文研究一辺倒の時代から、活字で物語を読むことの訓練に漸く慣れ始めた頃、さらにその展開の時代に到るまで、本書の構成を研究者としての私自身の歩みとほぼ軌を一になすように配列してある。つまりこれは言わば私の『初学記』であり、また私の二十代における精神史的な軌跡ともなっているのである。個々の文章にはそれらを綴った頃の私の暮らしや関心、一期一会、そして拙い思想史的な揺れをも辿りうるものであるが、それはそれとして、<琴のこと>に関して、本書以上の記述をなしたものは他にあるまい、という自負もないわけではない。

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 最後に、本書発刊の機縁を作って下さった阿部好臣氏の公私に亙る篤い御芳情と、さらには有精堂出版からの刊行を推進して下さった三谷邦明氏、また『新物語研究』の編集に携って以来御教導賜ることとなった編集長荻山直之氏にも感謝の念を申し述べておきたい。

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 かくして、本書は、前掲の恩師・先達・同学の諸氏の学恩に支えられて日の目を見たのであり、前掲の先達諸氏御一人御一人に重ねて御礼を申し上げたい気持ちでいる。

 一九九四年、私の物語論も今漸く旅立ちの刻(とき)を迎えたのである。

  一九九四年六月一六日

   母校人文科学研究所の一隅にて    上原作和