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<学習指導案>

荒木 由夏

 とき・六月三日 一次限目

ところ・東京成徳大学 二〇四教室

対象者・国語科教育法受講者

本時の目標

・筆者の心情の変化を理解させる。

・重要語句に注目させる。

本時の展開例

 テキスト『高校生の国語U』

「蛇」 二時間目(計四時間)

指導展開案

挨拶 「起立、礼」

今日は、『蛇』の二時間目の授業です。前回は作品を通して音読してもらい、全体の流れをつかみ、本文を始めから一八ページの終わりまでと、一九ページの始めから最後までの二段落に分けてもらいました。今日はその、一段落目の読解にはいりたいと思います。

それでは、本文を読んでもらいます。〇〇さん、題名から一八ページの二行目、「もう怖く嫌な気持ちになる。」までを音読して下さい。

   (音読)

ありがとうございます。続きから、一八ページの終わり、「どんどん覆い隠されていくばかりである。」までを〇〇さん、音読してください。

   (音読)

ありがとうございます。ここでは、筆者の「今」と「子供のころ」の「蛇」に対しての感じ方が書かれています。では、教科書のその部分に線を引いてみて下さい。

   (線を引いてもらっている間、板書をして、できた人を指名し、黒板にかいてもらう。)

それでは、前に出て書いてもらいます。〇〇さん「今」のところを、〇〇さん「子供のころ」のところをそれぞれ書いて下さい。

   (書いてもらった部分が不足していれば、他の人を指名して補ってももらう。)

ありがとうございます。抜き出してもらった部分を比べてみると、「今」の感じ方では、

(書いてもらった部分を読む)

という表現から「蛇」への、恐怖感、嫌悪感を強く感じます。またそれに対して、「子供のころ」の感じ方では、

   (書いてもらった部分を読む)

 という表現から「蛇」に対する恐怖感、嫌悪感は全くないことが分かります。このことから「今」と「子供のころ」の「蛇」に対する感じ方は、大きく違っていることが、よく分かります。では、なぜこのような感じ方の違いが生じたのか考えていきたいと思います。一八ページの一〇行目の頭に「それがどうだろう」とゆう言葉があります。〇〇さん、「それがどうだろう」の「それ」とは、何を指していますか。

   (発表)

ありがとうございます。〇〇さんに発表してもらったとうり「それ」とは筆者の子供のころのように、田舎の人が「蛇」の性質や生態がよくわかっているのは、田舎で培った自然な意識であり、本能的なものの見方と言ってもいいという部分を指します。また、「どうだろう」という表現には、読み手の注意を引き、「それ」に対する後の分の転換を表し、「それがどうだろう」の後の文が重要であることを示しています。

それでは、本文をもう一度読んでもらいます。〇〇さん、一八ページ、一〇行目の「それがどうだろう」から一八ページの終わりまでよんでください。

   (音読)

ありがとうございます。つまり、筆者は田舎をはなれ、都会から都会へと移り住んできたことにより、自然な意識、本能的なものの見方というものを出所不明な情報や、勝手なイメージによって、覆い隠されてしまった。このことにより、筆者の「今」と「子供のころ」の「蛇」に対する感じ方の違いが生じたのです。

では、これらのことを踏まえて、一八ページ下の☆印〈「アルガママ」と表現しているのはなぜか。〉という問いについて考えてみましょう。まず、

カタカナで表記することにより、筆者の強調の意図がうかがえます。ではなぜこの「アルガママ」を強調する必要があったのでしょうか。

   (二・三人指名し答えてもらう)

 ありがとうございます。この「アルガママ」には、子供の頃に持っていた自然に対する素直な気持ちという意味がこめられており、またそのことを忘れてしまった自分への批判の意図的強調がみられるのです。

   (時間が余ったら、予習というこで、先を読んでもらう。)

それでは、今日の授業はこれで終わりにします。

起立、礼、

 

指導内容確認

・指導予定の内容をどの程度理解させられたか 優・良・可・不可

・板書は正確で見やすかったか 優・良・可・不可

・時間配分は適正であったか 優・良・可・不可

・発問と回答はかみあっていたか 優・良・可・不可

・説明は聞き取りやすかったか 優・良・可・不可

  学習指導案 荒木由夏

 とき:一〇月二一日 一時限目

 ところ:東京成徳大学 二〇四教室

 対象者:国語科教育法受講三年生

本時の目的:

 ・題名の意味を理解させる 

・筆者の考えを理解させる

 本時の展開例

・テキスト『感性アップの時代』四時間目(計五時間)

〜高校生の国語U〜

   ― 挨拶 ―

 今日は『感性アップの時代 』のまとめ、第三段落にはいります。前回までの 復習をします。

  冒頭から、五十五ページ七行目までの第一段落は、筆者の新しい時代を、「自分の感性を生かしながら生きる時代でありたい」とゆう希望が書かれ、また、そうするにはどうすればいいのかとゆう問題提示の段落になっていました。そして、五十五ページ八行目から六十ページ終わりまでの第二段落は、感性とか感覚は「常に未知のもの、新しい体験への興味と畏敬の心を開いていること」により感度は高まるとし、またその例としてさまざまな生命の音をあげ、それらに耳を澄まし、聴覚的想像力を思い切り広げて、聞こえない音も聞こうとしてみることにより、「世界がそれだけ広くなり、生きているーとゆう実感はより精妙になる。」とまとめられていました。

 今日からはいる第三段落は、いままでのまとめであり、この段落から著者の意図と、『感性アップの時代』という題名の意味を考えていきたいと思います。それでは本文を読んでもらいます。

  ―指名音読―                   

ありがとうございます

  第三段落の最初の文に、「去年から今年にかけてー一九八三年から八四年という年」と書かれています。最初の授業で確認しましたが、この作品は、一九八四年に発表されたものであるため、このように一五年前が現在形で書かれています。ですから、あとに出てくる「砂漠のランボオ」とゆうCMもみなさんは、多分知らないでしょうし、見ていたとしても覚えている人もいないでしょう。この段落には、少々難しい言葉が使われているので、語句の説明から入りたいと思います。まず、六一ページにある、アート・ディレクターとランボウについては、下に説明書きがしてあります。(説明書きを読む)

  ―他にも三・四説明し、質問を受ける―

それでは、内容に入っていきたいとおもいます。以前の筆者はCMを不快な余計なものと思っていました。しかし、この作品が書かれた今では、「番組の中身よりCMのほうを楽しみに見ている事も少なくない。」といっています。このような筆者の心境の変化は、なぜ起こったのでしょう。筆者は、「砂漠のランボウ」という一つのCMをとりあげ、それを「一見郷愁をそそる古い世界の一こまのようで、現在のざらついた都市世界を生きている我々の無意識の感性を、見事に表現していた。」と評価し、そして、「地下鉄の駅構内の壁にはってあるポスター」においても楽しく眺めるといっています。この答えを筆者は、「この現象は単に広告の表現技術が向上したという程度のことではなく、時代全体の感性に一種質的な変化が起こり始めていることの証拠」と位置づけています。では実際、感性の一種質的な変化とはどういったものなのでしょうか。

  ―指名―

ありがとうございます。いま発表してもらったとおり、感性の一種質的な変化とは、「商品を宣伝する手段に・・・・・・・・・作り始めているのである。」ということであると筆者はいっています。そして筆者は、それを「ある意味でそれは現実からの・・・・・・みいだしてきたのだ。」といっています。感性が別の時元に飛躍する、新しい視点を獲得する、新しい展開の思い掛けない地平を見いだすという言葉は、まさにこの作品の題名にある感性アップに大きく関わると考えられます。

次に六三ページの下にある☆印の問いを考えていきたいと思います。一〇行目の「未来が息づき始めている」ことを筆者は具体的にどこに感じているのでしょう。

―指名―

ありがとうございます。筆者は、「居間のテレビや地下鉄の連絡通路の壁という日常的な場所」に「未来が息づき始めている」ことを感じ、CMやポスターに姿を現し始めた「感性の活性化」、「想像力の自由な発動」が、筆者に「未来」の気配と予感をあたえているのです。

―時間が余ったら指名音読―

次の時間は、作品の最終的なまとめに入ります。それでは今日の授業はこれで終わります。

―挨拶―

  

  ※指導内容確認

・指導予定の内容をどの程度理解させられたか。   優・良・可・不可

・板書は正確で見やすかったか。   優・良・可・不可

・時間配分は適正であったか。 優・良・可・不可

 ・発問と解答はかみ合っていたか。 優・良・可・不可

 ・説明は聞き取りやすかったか。 優・良・可・不可

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