学習指導案 青木正志 とき7月1日 ところ東京成徳大学204教室 対象者国語科教育法受講3年生 本時の目標 ・本文の意味を理解させる。 ・本文の内容を深く理解させる。 本時の展開例 テキスト高校生の国語 「小さな草に」大石芳野1限目(計1時間) 挨拶 起立 礼 本日は、教科書22ページからの「小さな草に」をやります。ではまず22ページを開いて下さい。 この「小さな草に」の筆者の大石芳野さんは1944年生まれでフオトジャーナリスト。東京都の生まれですね。戦争や内乱で傷ついた人々の今日の暮らしに関心を持ち、戦争と平和主題にした写真・文章を発表していますね。作品に、写真集「ワニの民ーメラネシア芸術の人々」・「無告の民ーカンボジアの証言」・「夜と霧は今」・ルポタージュ「HIROSIMA/ヒロシマ半世紀の肖像」などがあります。また、この「小さな草に」は、1996年(平成八)五月一九日発表。「朝日新聞」に「小さな草に」と題して連載された随筆の中の「どしゃぶり」に筆者が手を加えたものです。 では、本文を最初から24ページの2行目まで・・さん読んで下さい。 ありがとうございます。ではその続きから最後まで・・さん読んで下さい。 ありがとうございます。 先日の東京のどしゃぶりの雨に見舞われたとき、筆者は「雨と土とが手を取って踊っているようだ、屋根に当たる強い雨音が、音楽のようにも聞こえてくる。そして、情熱的に踊るダンサーがいるようだ。」といっていますが、これに対して、ベトナムの地で同じような事をいっている。各所があります。それはどこですか。・・さん答えて下さい。そうですね。地面をたたきつけるしぶきと子供達の駆け回る裸足の動きが、やがて、奇妙な調和のリズムをつくりはじめたという所と、天からの雨に両手を上げ足踏みをしながら跳びはね、水たまりに滑り込む。大胆で個性的なダンスだった。というところがあてはまります。 ではそこにかいてある23ページの7行目に書いてある「水たまりが出来た地面はまるで舞台のようだ。」とありますが、そこで、舞台のようだと感じた理由の書いてある所はどこですか。・・さん答えて下さい。そうですね。23ページの5行目の「地面をたたきつけるしぶきと子供達の駆け回る裸足の動きがやがて、奇妙な調和のリズムを作り始めた。」というところから舞台のように感じとることができます。そして、それらの様子を筆者は十行目でベトナムの人々の姿かもしれない。といっていますね。 筆者は、1981年に久しぶりに訪れたベトナムは、戦争から平和、復興へとけなげに生きる人々の姿がまぶしい程であったといっています。このけなげに一生懸命に生きる人々の姿をまぶしく感じ、前の子供達の素晴らしい舞台に筆者は、吸い付けられ、そしてそれを、ベトナムの人々の姿かもしれないと感じています。 それは、ベトナム戦争が終わった後、中越戦争、カンボジア問題と争いが続き、人々の苦境が長く訪れたベトナムの姿が本来は、このベトナム鋸ども達のように無邪気で活気のある生き生きとした姿であるはずだと言っているのですね。 そして25ページの1行目にかいてある、「自信と誇りを持って語る横顔には活力がみなぎっていた。」とはいったいどのような所から読みとることが出来るでしょうか。
・・さんこたえて下さい。そうですね。前のページの10行目から12行目に書いてある部分の「敵に存在がわかってしまうから、煙を出さないように工夫して御飯を炊いたの。でも、どう考えても生き延びたのが不思議だわ。」深いしわには、激戦地で生き抜いた辛苦とたくましさが刻み込まれていた。
という所からよみとる事が出来ますね。 そしてその前に書かれているように、ジエムばあさんの住んでいる中部ベトナムは一帯の地形が変わるほどの爆撃と砲撃を受けたということをふまえて考えて下さい。 24ページの13行目に書いてある「故郷で死ぬのが一番いいと思ったから、疎開もしなかった。今では安心して野良仕事が出来るから幸せよ。」というところでは、この時代を逃げ出さずに乗り越えたというたくましさと自分たちの街を現段階まで復興させたのはじぶん達だという誇りが読みとれますね。 そして場所は変わりホーチミンとなりますが、うどん屋で若い友達は軽くうなずいたとなっています。そして「ジエム婆さんとは違った新しい戦いが始まっているわ。ドイモイになって個性が問われるの。仕事でも、学問でも、芸術でも。個性の競争で、今や闘いよ。」といっていますが、ここはその若い友達が時代は流れすでに次の闘いが始まっているといっています。 最後のうどん屋のおばさんのセリフの「個性なんて急にできるもんじゃないわ。戦争中からずっとここで暮らして、両親と一緒にこの味を保ってきているのよ。」という所からは、前を歩いてきた人たちがいて初めて私たちの個性というものが存在することが出来ると言っていることが解りますね。 では、もう一度最初から読み直して終わりにしましょう。 それでは、今日の授業を終わりにします。 起立 礼 東京成徳大学受講生のぺージへ
(学習指導案)
青木 正志
とき 十一月十八日
ところ 東京成徳大学 二〇四教室
対象者 国語科教育法受講三年生
本時の目標
・車座というものを理解させる
本時の展開例
テキスト 高校生の国語二
「車座社会に生きる日本人」 (計1時間)
指導展開案
起立、礼、着席。
今日は教科書の四十五ページを開いて下さい。
この車座社会に生きる日本人を扱いたいと思います。
では五十二ページを開いて下さい。作者の所を〜さん
読んで下さい。では四十五ページにもどっつてください。
最初から四十七ページの後ろから三行目まで〜さん読んで下さい。
その続きから四十九ページの一行目まで〜さん読んで下さい。
その続きから五十ページの最後まで読んで下さい。
その続きから〜さん読んで下さい。
今のが、この作品の全体となるのですが、それを読み終えて、始め ましょう。
四十六ページの星マークの所の「乱世の時代になってから、人々に愛用されるようになったのではないかと想像している。」書いてありますが、作者はどのように想像して、そのように書いてありますか。読みとれる場所はどこでしょう。〜さん答えて下さい。
そうですね。作者はこの後に書いてある、「合戦前にした武士団自分たちの権益犯されそうになって、対策を練るため。ひそかに集ま った豪商たち、権力者に無理難題をふっかけられて鳩首協議するために集合した村の代表者達、そういう男どもの緊張した顔が、この言葉の背後から立ち上がってくるように思えてならない。」とういうところから、読みとれます。その後に書いてあるいったん緊急事態が解決されればたちまち一転して酒宴と歌舞放吟の場となるだろう。女達もその時は車座に花を添えその主人公にさえなるだろう。やがて、天下太平の世ともなれば、もっぱら後者の車座が全盛となる。と書いていますが、作者はつまり乱世の時代に、男達が車座に直っていたのが時代と、ともに女も車座に入ってくることができ、今の世では男だけの車座ではなくなったといっていますね。この後で、作者は車座という形はあったとしても、「車座」という言葉は日本にしかありえないと強く表していますね。その車座という事は、地べたにあぐらをかいて座り、一同の一体感を高める上で効果的であると受け止めています。その後に四十八ページ目の六行目からの「同じ事は西欧の生活様式との比較においてもいえるだろう。「 車座に座る」という表現をたとえば英語にもとめるならto sit in a circle とかto sit in a ring とかのありふれた言い方になるしかなかろうが「多くの人々が輪の形になり内側に向かって座ること」とか書いてあるように日本の車座とは外に背を向け輪を作り個々を一体のものとし、一つの閉鎖的社会を作るというニュアンスが含まれている特殊な感じがあると、言っています。十行目の星印の「そこ」とは何を指しているかわかりますか。〜さん答えて下さい。「そこ」とは「車座に座る」という表現を英語に求めた。「to sit in a circle」「to sit in a ring」などと言ったありふれた言い方をさしていますね。その次の星の「再び重大な衝突が激発する」というのは何を恐れているのですか。〜さん答えて下さい。この場合、再び重大な衝突とは戦争を恐れていると受け取れます。この作者は五十ページの三行目からの「日本人という民族はこれほど世界で話題になる度合いが増しているのに、あちら側の人たちとってはいつまでたっても少しも顔立ちや表情がはっきりしてこない。不思議にネガティブな顔の持ち主に、見えているに違いないと言うことである。それが「車座」をくんでうち向きに座 っている民族社会の避けることのできない本質的な「顔つき」などである。この「避けることのできない」とは作者は車座に組んでうち向きに座り外に対し背を向けている日本人はその個々の顔、意見が多種多様であることを外国に理解させるためには五十一ページの後ろから三行目から書いてある「事態をもっと好ましい方向へ切り開くためになすべき事の一つは日本の文化的な顔を外国へ持って行くだけでなく、できるだけ多くの外国の人々を日本に招いていろいろなところを見せてしまう事だろう。つまり車座の内側に外国人を招き入れ車座を形作っている日本人の顔がどこの国とも同じようにどこの国とも同じように多種多様である事を輪の内側から見回してもらうことが迂遠に見えてもっとも正しい方法であるだろう。」とこのように、言いたかったのですね。
では、今日の授業はここまでにします