青短メインページへ 1998年度の記録へ

古典演習 履修要項・レポート作成マニュアル

[3-2 夕霧、柏木を見舞う ]レポート・山口かおり

 大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、訪らひきこえたまふ。御喜びにもまづ参うでたまへり。このおはする対のほとり、こなたの御門は、馬、車たち込み、人騒がしう騷ぎ満ちたり。今年となりては、起き上がることもをさをさしたまはねば、重々しき御さまに、乱れながらは、え対面したまはで、思ひつつ弱りぬること、と思ふに口惜しければ、

 「なほ、こなたに入らせたまへ。いとらうがはしきさまにはべる罪は、おのづから思し許されなむ」

 とて、臥したまへる枕上の方に、僧などしばし出だしたまひて、入れたてまつりたまふ。

 早うより、いささか隔てたまふことなう、睦び交はしたまふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親兄弟の御思ひにも劣らず。今日は喜びとて、心地よげならましをと思ふに、いと口惜しう、かひなし。

 「などかく頼もしげなくはなりたまひにける。今日は、かかる御喜びに、いささかすくよかにもやとこそ思ひはべりつれ」

 とて、几帳のつま引き上げたまへれば、

 「いと口惜しう、その人にもあらずなりにてはべりや」

 とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起き上がらむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥したまへり。御座のあたりものきよげに、けはひ香うばしう、心にくくぞ住みなしたまへる。うちとけながら、用意ありと見ゆ。重く患ひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてなるさまして、枕をそばたてて、ものなど聞こえたまふけはひ、いと弱げに、息も絶えつつ、あはれげなり。

12.夕霧、柏木を見舞う。

●大将の君

【柏木】夕霧。若菜下に「右大将の君、大納言になりたまひぬ」とある。その際、左大将に転じたか。「或本。左大将と云々。転任事等未見云々。但若菜上に見えたるか」(弄花抄)ともある。左、右については説がある。

【新編】夕霧。大納言で大将を兼任。

【集成】夕霧。

【大系】夕霧。大納言であるとともに左大将。

→夕霧の大将

●つねにいとふかふおもひなけき

【新編】親密な友情関係から、前から柏木の病気に心痛。

【大系】「いみじく嘆きありき給」とあった。

→前から柏木の事を心配なさっていたが

●とふらいきこえたまふ

【柏木】前年に柏木発病のときにも「大将は、ましていとよき御なかなれば、けぢかくものしたまひつつ、いみじく嘆きありきたまふ」(若菜下)とあった。

【集成】お見舞い申し上げなさる。

→お見舞い申し上げなさる。

●御よろこび

【新編】柏木昇進のお祝いに。

【集成】昇進のお祝い。

【大系】お祝いのことば。

→柏木昇進のお祝い。

●このおはするたい

【柏木】柏木

【新編】柏木の病室のある対屋。

【集成】柏木が病床に臥しておられる対の屋の近く。東の対か西の対かであろう。

【大系】病室としている対の屋のあたり。

→柏木の病室のある対の屋のあたり。

●ほとより

【柏木】諸本「ほとり」(辺)、「ほど(あたり)よりと微妙な差がある。

【大系】「ほとり」源氏物語絵巻の詞書「ほとより」

●こなたのみかと

【柏木】こちらの御門(柏木のいる対屋側の通用門か)。

【新編】帝寵厚いだけに、大勢の見舞い客が訪れる。

→柏木の要る対の屋側は。

●馬車たちこみ

【柏木】「馬車」ではない。「馬・牛車」(それぞれ見舞い客の身分を示す)である。

【新編】「馬」は身分の卑しい物の、「車」は身分ある物の乗り物。

【集成】馬や車がひしめき合って。大納言昇進のお祝い言上の訪客達の物である。

→馬や車がたくさん。

●さはきたちたり

【柏木】諸本「さはきみちたり」。「さはきたり」国。

●おもおもしき御さま

【柏木】夕霧のさま。左大将は大臣につぐ。

【新編】柏木は夕霧の思い身分に遠慮。対面できぬまま終わるかと懸念していた。『河海抄』は、病中に関白に昇進した道兼を実資が見舞った史実を掲げ、「病中の任官臥ながら客人に対面事あまた相似たり」とする。

【集成】近衛の大将ともあろう重職の夕霧に取り乱した病床ではお目にかかりにくくて。

【大系】夕霧の重々しい身分の様に対しては。

→身分の重い夕霧のさまは

●たいめ

【大系】「たいめむ(対面)」の「む」の無表記。

●おもひつつ

【柏木】柏木の心。少し良くなってから会いたいと思い思いしているうち弱ってきてしまった。

【集成】気にしながら。

【大系】柏木の心内。直ってから対面しようと思いながら衰弱は進んでしまう。

→自分の病気が良くなってから夕霧と対面しようと思ってはいたが、

●なをこなたに

【柏木】夕霧に対する柏木のことば。ここの場面は、河海抄に「栄花物語」(実は「大鏡」)の話として、「粟田殿(道兼)御病の中に、関白になり給御よろこびに、小野宮殿(実資)まいり給へりけるを、母屋の御簾下ろして呼び入れたてまつり給えヘリ。臥しながら御対面ありて、乱れ心ちいと悪しう侍りて(以下省略)」を引いており、さらに「病中の任官臥しなから客人に対面事、以下あまた相似たり」といっている。

【新編】失礼だとは思うけれども、やはり、の気持ち。

【集成】どうぞこちらにお通りください。「なほ」は、やはり。失礼をかえりみず、無理にもの気持ち。『河海抄』では病中、関白に就任した道兼を実資が見舞った話を上げて、「病中の任官臥しなから客人に対面事、以下あまた相似たり」という。

【大系】柏木のことば。

→どうぞこちらにおいでください。

●らうかはしきさま

【柏木】諸本「いとらうかはしき」と「いと」が入る。

【集成】むさくるしい様子。

→むさくるしいさま。

●つみ

【柏木】この場合の「罪」は失礼とか、無礼と言ったようなごく軽い意味で使用されている例。

【集成】失礼なこと。

→失礼な事。

●おのづから思しゆるされなむ

【新編】ことさらお許しを願わずとも、親友のよしみでの気持ち。

【集成】事情をお察しの上、多めに見て頂けましょう、の意。

【大系】親しさ故に自然と、の意。「れ」自発。

→親友のよしみでお許し頂けるでしょう。

●まくらかみ

【柏木】この句は「いれたてまつり給」にかかる。

●そうなとしはしいたし給て

【柏木】病気平癒の加持祈祷に呼ばれていた僧侶。

【新編】僧が付きっきりの重態である。

【集成】加持、祈祷に詰めている僧。

→僧などは少しの間下がらせて。

●はやうより

【柏木】夕霧と柏木は、以前から。

【新編】幼少の頃からの親密さを言う。

【集成】昔から。

→夕霧と柏木は幼少の頃から。

●わかれむことの

【柏木】夕霧の心中。

【集成】柏木と別れること

→柏木と別れる事は

●親はらからの御思ひにもおとらず

【新編】父や弟たちからの信頼が特に厚く悲しみも深いのだが、それに匹敵する夕霧の悲しみようである。

→夕霧の大将の悲しみ様は父や弟達にも劣っていないほどである。

●けふはよろこひとて

【柏木】夕霧の心中。

【集成】今日は昇進のよろこびごとの日ということで、元気になっていたらどんなに良かろうかと思うのに、(こんな具合なので)夕霧はひどくがっかりし張り合いのない思いだ。

【大系】夕霧の心内。今日はお祝いなのだから、気分が晴れているなら良いのに。

→今日はお祝いの日なのに

●心ちよけならまし物を

【柏木】諸本「心ちよけならましをと」。(昇進の喜びで)どんなにか気持ち良かろうものをなあ(実際は重病のため残念である。)

【新編】瀕死の重態でなく昇進が祝えたのであったら、とその悔しさを言う。

→本当ならどんなに気持ちの良い物か。

●思ふも

【柏木】諸本「おもふに」底本は保・国に同じ。「思ふも」の場合も「思ふにも」の意であろう。

●なとかく

【柏木】以下「おもひ侍れ」まで、夕霧のことば。

【集成】どうしてこんなにお弱りになってしまわれたのか。の意。

【大系】夕霧のことば

●たのもしけなくなり

【柏木】諸本「たのもしけなくは」と「は」が入る。「かいなくは」国。底本は保に同じ。

●けふはかかる御よろこひに

【柏木】「任官の悦に心ちもよからんと、夕霧の思うに、さもなきをなげくなり」(岷江入楚)

【新編】「任官の悦に心ちもよからんと、夕霧の思うに、さもなきをなげくなり」(岷江入楚)

●すくよかに

【大系】気分が晴れやかな様。

●おもひ侍れ

【柏木】諸本「思侍つれ」。肖柏木は「侍り」を傍書補入して上記と同文。

●几帳のつま

【柏木】几帳の帷子の端。定家本と横山本のみ「つまを」の「を」を欠き「つま」とする。国は「かたひらを」。他の諸本は全て底本に同じ。

【新編】几帳の帷子の端。

【集成】枕上に立ててある几帳の帷子の端を。

→几帳の帷子の端を。

●いとくちおしう

【柏木】柏木のことば。

【新編】このあたり、「口惜し」が繰り返される。ここでは柏木自身が死の近いことを感じて言う。

【集成】全くふがいなく。

【大系】柏木のことば。

→全くふがいなく。

●その人にも

【柏木】昔のままの自分。

【新編】本来の自分で無くなっているとする。

【集成】日頃の自分。

【大系】本来の自分らしくない。

→今までの自分。

●えほしはかりをしいれて

【柏木】当時の貴人の礼で、露頂を恥じた。「をしいれて」は烏帽子に頭をの意。「ばかり」とあるので着衣はそのまま。

【新編】烏帽子を脱ぎ取らないのが当時の儀礼。髪を押し込むようにかぶる。

【集成】室内でも烏帽子をかぶるのがしきたりである。この場合、『源氏物語絵巻』に図画されている。

【大系】頭に無理にかぶる様か。礼儀として髪を露わにせず立烏帽子を着用している。源氏物語絵巻に描かれる。

→烏帽子を無理に頭に押し込み。

●白き衣の

【新編】下着姿である。

【集成】袿。下着である。

【大系】病衣。

→病衣

●なつかしう

【柏木】「なつかし」は玉の小櫛に「すべて此詞は、なつくという詞をはたらかしたるにて、やはらかにしたしくむつましく思はるる意也、俗にいふ意とはやや異也」とある。着なれて身体にあった衣。

【集成】身について

→身体に慣れて。

●衾ひきかけて

【集成】夜具。「御衾は、紅の打ちたるに、領(くび)なし。長さ八尺。また八幅(の)か五幅のものなり。領のかたには、紅の練糸を太らかに縒りて二筋ならべて、横様に三針、差しを縫うなり。それを領と知るべし。表、小葵の綾、裏、単文なり。」(『雅亮装束抄』)

→夜具を引きかけ

●おまし

【柏木】普通「御座」。ここは、寝床の敬称。「塗籠におまし一つ敷かせ給ひて内より鎖して大殿籠りにけり」(夕霧巻)などの例がある。

【新編】以下、病室の清潔な整頓ぶりと、周囲の嗜みの良さを言う。

【集成】ご病床のこと。

【大系】清潔な病床や室内の様。

→病室となっている寝床。

●かうはしう

【柏木】香ばしい。病人特有の臭気を消すため、何か香がたきしめられていたらしい。

【集成】薫物の香りが高い。

→薫物の香りたかく

●うちとけなからよういあり

【柏木】夕霧の感想。柏木の心用意を奥ゆかしと思っている。

【新編】病人ながら、その心用意は奇特なほど。

【集成】くつろいでいながら嗜みありげに。

【大系】青表紙他本は「は」を欠く。

→病人として臥せっていながら、その嗜みの深さに。

●をもくわづらいたるひと

【大系】重態の人。

→重態の人

●物むつかしけはひ

【柏木】むさくるしい様子。

【集成】むさくるしい感じもでてくる。

→むさくるしく

●いよいよやせさらほいたるし

【柏木】諸本は「やせさらほひたる」で「いよいよ」は「しろう」について「いよいよしろう」となっている。底本は保・国に同じ。「やせさらほい」は、孟津抄「?(荘子)おとろへたるこころ也」、弄花抄「損したる心。僥」などとある。

【新編】下に「しも」とあり、「痩せさらぼひたる」容姿がかえって美の対象にさえなる。

【大系】痩せ痩せに衰えているのがかえって

→痩せているのがかえって

●あてはかなる

【柏木】定家本と大・横「あてなる」。「あてきよけなる」保「ものきよけなる」国。他は底本に同じ。

●枕をそはたてて

【柏木】白楽天の「遺愛寺鐘欹枕聴」の「欹」を「そばだて」にあてているが、意味不明。陸能源氏絵をみると、枕を縦にしてやや頭を持ち上げている姿勢らしい。「側立て」の意となるか。

【新編】枕を縦にして頭を持ち上げ、身を起こす格好であろう。

【集成】枕を立てて身を託して。「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴く 香炉峯の雪は簾を撥げて看る。」(『白氏文集』巻十六『和漢朗詠集』下、山家)詞語とでも言うべき語。

【大系】枕を縦にして。

→枕を縦にして身を起こして

●たえたえ

【柏木】諸本「たえつつ」。河と御は底本に同じ。

●あはれなり

【柏木】諸本「あはれけなり」

 [3-2 夕霧、柏木を見舞う]−現代語訳

 大将の君、いつも大変に心配して、お見舞い申し上げなさる。ご昇進のお祝いにも早速参上なさった。このいらっしゃる対の屋の辺り、こちらの御門は、馬や、車がいっぱいで、人々が騒がしいほど混雑しあっていた。今年になってからは、起き上がることもほとんどなさらないので、重々しいご様子に、取り乱した恰好では、お会いすることがおできになれないで、そう思いながら会えずに衰弱してしまったこと、と思うと残念なので、

 「どうぞ、こちらへお入り下さい。まことに失礼な恰好でおりますご無礼は、何とぞお許し下さい」

 と言って、臥せっていらっしゃる枕元に、僧たちを暫く外にお出しになって、お入れ申し上げなさる。

 幼少のころから、少しも分け隔てなさることなく、仲好くしていらっしゃったお二方なので、別れることの悲しく恋しいに違いない嘆きは、親兄弟の思いにも負けない。今日はお祝いということで、元気になっていたらどんなによかろうと思うが、まことに残念に、その甲斐もない。

 「どうしてこんなにお弱りになってしまわれたのですか。今日は、このようなお祝いに、少しでも元気になったろうかと思っておりましたのに」

 と言って、几帳の端を引き上げなさったところ、

 「まことに残念なことに、本来の自分ではなくなってしまいましたよ」

 と言って、烏帽子だけを押し入れるように被って、少し起き上がろうとなさるが、とても苦しそうである。白い着物で、柔らかそうなのをたくさん重ね着して、衾を引き掛けて臥していらっしゃる。御座所の辺りをこぎれいにしていて、あたりに香が薫っていて、奥ゆかしい感じにお過ごしになっていた。

 くつろいだままながら、嗜みがあると見える。重病人というものは、自然と髪や髭も乱れ、むさくるしい様子がするものだが、痩せてはいるが、かえって、ますます白く上品な感じがして、枕を立ててお話を申し上げなさる様子、とても弱々しそうで、息も絶え絶えで、見ていて気の毒そうである。

  青短メインページへ 1998年度の記録へ