『玉鬘』の六条院の衣配りについて        Text By 山口かおり

 

 私は源氏物語に出てくる女性の服装とその女性の印象との関係を、

『玉鬘』の六条院の衣配りの場面と照らし合わせて調べてみました。

 

 

場所:六条院の源氏の居間

とき:年の暮れ

登場人物:光源氏     三十五歳 太政大臣

     紫の上     二十七歳

     明石の姫君   七歳

     花散里     中年

     明石の上    二十六、七歳

     玉鬘      二十一歳

     末摘花     中年

     空蝉      中年

 

 

 太政大臣の位に上った光源氏は

35歳の秋に、壮麗な六条院を完成させ、妻や娘を連れ、これまで住まっていた二条院から引き移っています。

 その年の暮れに、源氏は妻たちに新年に装う晴れ着を送ることを思い立ちます。

 

 こうして選ばれた衣装は次の通りです。

 

 

紫の上   葡萄(赤紫)色の小袿 

      紅梅のうわぎ表着

      濃い紅梅色のかさね

 

・ 葡萄色とは、どちらかというと赤みのある紫です。この色は紫の上のイメージ色のようなもので、赤という色は紫と同じ位高貴な色です。

 身分が高貴ということであれば、紫の上は女三宮に劣りますが、紫式部は心の高貴さを紫の上に見ようとしたのではないでしょうか。   

 

      

明石の姫君 桜の細長

      つややかな薄紅色のかさね

     

・桜の重ねの細長は年齢の若い人が良く好んで着る衣装です。

話しは脇道にそれますが、桜の細長を着ている人の年齢の上限は

女三宮の21歳です。女三の宮は15歳のころも桜の細長を着て登場します。

21歳になっても桜の細長が良く似合う、良く言えば若々しい、悪く言えば子供っぽい女性だったのです。      

 ところで、細長とは貴族の妻や姫の の装束です。しかしどういう構造なのかということははっきりわかっていません。

身ごろの裾先が分かれているので細長といいました。そしてなぜ細長がうまれたのか。

 貴族の家では身分が高い人ほど軽装です。そんなところで女房と姫君が並ぶと唐衣と裳をつけている女房の方が単に小袿姿の姫君よりも華やかにみえる。

 

そんなわけで唐衣と裳が一続きになったものではないかと思われます。

 

 

花散里   浅縹色の海賦の織物

      紫色の 練がさね

 

・浅縹色は薄い藍色。海賦は織物、蒔絵などの模様のひとつ。波、海草貝、そなれ松などを取り合わせ、海浜風景をあらわしたもの。 

 海賦模様はめでたいものなので正月の晴れ着にふさわしいですが、

このような衣装が選ばれた理由は彼女が夏の御方であるということもあるのではないかと思われます。

 

 

玉鬘    鮮やかな赤の袿

      山吹の花の細長

 

・紫の上や明石の姫君が紅、紫系なのに対し、玉鬘は黄色である。紅、紫系の方が古典的で品格が高いとされている。

その代わり青や黄色系の色は中国風の軽やかでモダンな印象を受ける。 

 

末摘花   柳の織物に趣のある唐草を乱れ模様にした上品な表着

 

・ここでは縦糸を萌黄色、横糸を白い糸で織った織物。

 源氏は故意に末摘花にふさわしくない立派なものを送り、似合わないのをおかしく思う。

 実際、新年が明けてから彼女の様子を見にいった源氏は予想通りその衣装が本当に末摘花に似合わないと思っている。

 

 

明石の上 梅の折枝、蝶や鳥のとびちがう織り文のある唐風の白い小袿

     艶のよい濃紫のかさね

 

・色調は白と紫で、模様も唐風で格調高いものとなっています。作者紫式部は服装の描写があると、紫の上には必ず赤っぽい衣装を当てています。これは光源氏が妻たちのうちで一番尊い女性と彼女のことを思っていた現われではないか。

 これに対して、明石の上は洒落たもの、趣のあるものを紫式部は心して作中で着せています。

 

 

空蝉    青鈍色の趣深い織物の表着

      光源氏の使い料をさいたくちなし色の袿

      禁色でない薄紅色のかさね

 

・空蝉は尼なので地味目の衣装です。しかし源氏自身が着るつもりだった衣装の中の一枚、梔子の色の袿を空蝉に分けたのは、

まだ彼女に残る愛情をうっかり示してしまったことになります。

 

 この時代の衣装は身分によって制約を受けました。そして季節によっても色目に決まりがありました。空蝉の禁色でない薄紅色のかさねとは当時赤、青、紫などの色は禁色といって勅許がなければ身につけることが出来ないものでした。そう言う時代に「似合うものを着るべきだ」と言った紫式部は、とてもユニークだったと言えます。