【源氏物語の手紙】               Text By 佐藤亜矢子

○光源氏と朝顔の手紙

 正室であった葵上が、夕霧を産んで死んでいった後、源氏はしばらく葵上の実家にとどまっていましたが、なれない籠居に疲れて朝顔に文を送りました。こうした寂しいときに、まず心に浮かんでくるのはいとこに当たる朝顔の姫君なのでした。それは時雨ふる暮れ方のことでした。                      

 (源氏)  わきてこの暮こそ袖は露けけれ

         もの思ふ秋はあまた経ぬれど

       いつも時雨は                        「葵」

<もの思う秋は何度も過ごしてきましたが、とりわけこの夕暮れは涙ぐまれてなりません。・・・・時雨はいつものことですが・・・・>

 この文は「空の色したる唐の紙」に書かれていました。ここでいう空の色は、晴れた空の色ではなく、時雨の空の色、すなわち薄墨色、と思われます。 

 「いつも時雨は」の一句が添えられているのは、「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたすをりはなかりき」の古歌をふまえてのことで、歌と添え書きがつかず離れず一体になっているところが見どころといえます。さりげない歌が、時雨の色の紙に書かれている風情はいかにも源氏の心情をにじませて趣があります。

 いつも冷静にあしらっていた朝顔の姫君も、思わず心をうたれました。まして周囲の女房たちは、これに返事をしないではあまり風流心がなさすぎる、と姫君にすすめますので、朝顔も短い返事を書きました。

 (朝顔) 秋霧に立ちおくれぬと聞きしより

        しぐるる空もいかがとぞ思ふ               「葵」

<奥様に先立たれなさったと耳にいたしましてから、ご案じ申し上げております。この時雨の空の下に、お嘆きもさぞ深くていらっしゃいましょう。>

 心のこもった弔いの一首ですが、度の過ぎた思い入れがあるわけでもなく、あっさりとしてゆきとどいているところが心にくい感じです。源氏に心の負担がかからない限度を知っていて、適当な距離を置いているところに、この女性の優れた教養と魅力がにじんでいます。

 

○光源氏と玉鬘の手紙

 (源氏) たぐひなかりし御けしきこそ、つらしきも忘れがたう。いかに人見たてまつ

      りけむ。    

       うちとけてねも見ぬものを若草の

         ことあり顔にむすぼほるらむ

      をさなくこそものしたまひけれ。              「胡蝶」

<昨夜の、たぐいのないつれない御仕打ちは辛いと同時に忘れがたく。まわりの女房たちはどう思ったことでしょうね。

うちとけてともに寝たわけでもないのに、かわいい若草は、いかにも何かあったような顔つきでうち沈んでいらっしゃるのかな。

ほんとに子供っぽい方ですね。>

 これは源氏が玉鬘のところへ行き、思いをうちあけた翌朝の手紙で、いわゆる「後朝の文」です。

 「寝」と若草の「根」をかけての軽いからかいの中にも、親ぶった姿勢をくずさない源氏は、ほどほどに心のあやを楽しんでいるふしがみえます。清らかな白の薄様を使ったところにも、玉鬘への恋にのめりこまない源氏の心の距離が感じられます。

 玉鬘はこの手紙をうっとうしく思うのですが、返事をしないのもかえって人に怪しまれると自分に言い聞かせて、「ふくよかなる陸奥紙」にこう書きました。

 (玉鬘) うけたまはりぬ。乱りごこちあしうはべれば、聞えさせぬ。

<御文拝受。気分不快でございますので、お返事は失礼いたします。>

 恋文には似つかわしくない分厚い壇紙に、一片の受取証のような文章を書いて返したのです。せめてもの、若い玉鬘の抵抗でした。

 これを受け取った源氏は、さすがしっかりした子だ、これは口説くかいがある、と返ってにやにやしていたのでした。

 

○光源氏と藤壺の手紙

 上皇の五十の御賀の試楽が内裏で行われたとき、源氏は思慕してやまない藤壺の見ている前で青海波を舞いました。その翌朝、源氏は藤壺に手紙を送ります。

 (源氏) いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱りごこちながらこそ。

       もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の

         袖うち振りし心知りきや

      あなかしこ。                      「紅葉賀」

<どのように御覧下さったことでしょうか。

あまりの苦しさに心を乱したまま舞いました。恋の思いに乱れて、上手に舞うことも出来ない私の、袖をあなたさまに向けて振った心をおわかり下さったでしょうか。>

 このとき源氏は、つのる恋心を抱きながらも、藤壺から拒否されて近づきえない時期でした。この手紙は、近づきがたい藤壺に対して、精一杯の気持ちを訴えていますが、余計なことは何も言っていません。結びはきちんとした「あなかしこ」で結ばれています。「あなかしこ」は、男性用の「恐惶謹言」に近い、まともで固い語法です。

 これに対し、藤壺も源氏のすばらしい舞に心を動かされたらしく、めずらしく返事が届きました。

 (藤壺)  唐人の袖振ることは遠けれど

         立居につけてあはれとは見き

      おほかたには。                     「紅葉賀」

<唐の朝廷で舞われた舞は遠い昔のことですが、昨日の舞の立居の見事さはしみじみと拝見いたしました。

その程度は私にもわかりました。>

 源氏の恋心をさりげなくはずしてまともな御返歌でした。唐楽のこともご存じで、異国の朝廷のことまで心に浮かべられるとは、さすがに后にふさわしい御返事だと思うと、源氏はこの短い手紙を、いつまでも広げて見入っていました。

 

○光源氏と朧月夜の手紙

 朧月夜が源氏に内緒で出家したことを知ったとき、源氏は次のような手紙を送りました。 (源氏)  あまの世をよそに聞かめや須磨の浦に

         藻塩垂れしも誰ならなくに

     さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、いままで後れきこえぬるくちを     しさを、おぼし捨てつとも、避りがたき御回向のうちには、まづこそはとあは     れになむ。                         「若菜」

<あなたが落飾して尼になられたということを、よそ事と思えましょうか。あの須磨の浦に侘び住まいして涙にくれたのは、誰でもない私なのです。ほかならぬあなたのことがもとになってのことでしたのに。

世の無常をさまざまに心に思いつめていながら、今まで出家できずにいる残念さを抱いています。私のことなどお見捨てでしょうが、あなたがこれからなさるはずの御回向の中で、まず私のことを祈って下さることと、信じております。>

 朧月夜は、今まで源氏の情愛にひかれてこの世に残ってきたこともあり、源氏を恨む気持ちがないわけではありませんでした。しかし、源氏も浅からぬ因縁を感じていると思うと、昔からのさまざまなことが思い出され、心をこめて返事を書きました。

 (朧月夜) 常なき世とは身ひとつにのみ知りはべりにしを、後れぬとのたまはせるに       なむ、げに、

        あま船にいかがは思ひおくれけむ

          明石の浦にいさりせし君

       回向には、あまねきかどにてもいかがは。         「若菜」

<無常の世とは、私一人感じているのだと存じておりましたが、おくれをとったとの御文を見まして、本当に、

なぜ、あま船に乗りおくれなさったのでしょう、と存じました。明石の浦で漁をなさったあなたさまですのに。

回向は、一切衆生のためですからなんであなたさまを除外いたしましょう。>

 「須磨の浦」に対して「明石の浦」と返し、「尼」と「海士」にかけた源氏の言葉に対してはさらに「漁り」と「海士舟」の縁語を使っています。さらりとした返事ではありますが、そこには最後の恋文にふさわしい心入れが感じられる気がします。朧月夜はこの返事を、尼にふさわしい青鈍の紙に書き、源氏に届けました。

 

○光源氏と女三宮の手紙

 女三宮との新婚三日目の朝、雪の降る暁に、源氏は紫上の悲しんでいる夢を見ました。そこでその日は紫上のもとで過ごし、女三宮にはことわりの手紙を届けました。

 (源氏) 今朝の雪にここちあやまりて、いとなやましくはべれば、心やすきかたにた      めらひはべる。                      「若菜」

<今朝の雪のせいか、、かぜ気味で気分が良くございませんので、気楽なところで休んでおります。> 

 かぜを口実に、ことわりの手紙を届けると、女三宮からの返事はなく、付き添いの女房から「そうお伝え申し上げました。」とだけ、そっけない口上だけが戻ってきました。この分では源氏の女三宮に対する取り扱いが冷淡だということが、女三宮の父、朱雀院の耳に入ってしまう、と源氏は困惑します。

 翌朝、源氏は再び女三宮に手紙を書きました。

 (源氏) 中道を隔つるほどはなけれども

        心乱るる今朝のあは雪

<二人の間を隔てるというほどの雪ではありませんが、お目にかかれない今朝、淡雪の降るに似て心乱れております。>

 雪にちなんだ白の薄様の手紙は、白梅の枝につけられて女三宮に届けられました。儀礼的な歌で、いわば挨拶のための挨拶という感じが強く、とおりいっぺんという感じがぬぐい去れません。それでも源氏は、若い新婚の妻からの返事を心待ちにします。

 なかなか返事がこないので、源氏は紫上のご機嫌をとったりしているうちに、ようやく女三宮からの返事が届きました。

 (女三宮) はかなくてうはの空にぞ消えぬべき

         かぜにただよふ春のあは雪

<たよるもののない私はおいでがありませんので、春の淡雪のように消えてしまいそうでございます。>

 これは紅の薄様に、あざやかにおし包まれていました。源氏は、いかにも恋文らしい華やかな外見にどっきりしますが、乳母の代作らしいうまくもなければ下手でもない歌が幼げな筆で書いてあるのを見て、がっくりしてしまうのでした。

 

○光源氏と紫上の手紙

 (源氏) 行き離れぬべしやと、こころみはべる道なれど、つれづれもなげさめがたう、      心細さまさりてなむ。聞きさしたることありて、やすらいはべるほどを、い      かに。

       浅茅生の露のやどりに君をおきて

         四方の嵐ぞ静心なき                  「榊」

<この俗世から離れられるかと、こころみるために寺にきていますが、つれづれもなぐさみがたく、心細さがつのるばかりです。まだ聞きのこしている法話などもあって、こちらでぐずぐずしていますが、あなたはどうしていますか。

浅茅生にやどる露のようにはかないこの世にあなたを置いたままだと思うと、四方の嵐をおききつつ、心が安まりません。>

 これは源氏が、藤壺への悲恋に苦悩する心をしずめるため雲林院にこもっていたときに、紫上へ書いた手紙です。紫上のことだけは気がかりで、手紙だけは絶やさなかったのです。 源氏の文は、いかにも幼い妻をいたわる優しさに満ちていました。恋文めいた薄様ではなく、気を許したふうに白い陸奥紙に書いてある様子もすばらしい手紙でした。この心のこまやかな手紙に紫上は思わず泣いてしまうのでした。そして紫上は、白い薄様にただ歌だけを返しました。

 (紫上) 風吹けばまづぞ乱るる色かはる

        浅茅が露にかかるささがに                「榊」

<風が吹くとまず乱れるもの、それはあなたの心変わりのように秋とともに色をかえてしまう浅茅が原の、露によりかかってくる蜘蛛の糸・・・私です・・・> 

 短い歌の中に、二条院に帰ってこない源氏の心変わりを心配しながら、なおも頼りにしている若い紫上の心がこめられています。

 源氏はこの文を見て、筆跡はほんとにうまくなるばかりだな、と独り言を言って、紫上をかわいく思うのでした。大切に育ててきた紫上が思うとおりに育ったので、源氏はいっそう紫上への愛情をつのらせました。

 

 

  参考文献

  「源氏の恋文」 尾崎左永子 求龍堂