【源氏物語の植物】               Text By 鷺森香織

桐―ごまのはぐさ科

一日本各地に広く栽培され、高さ10m程になる落葉高木

 葉は、対生、長い柄があり、広い卵形、または浅く三〜五裂する。

初夏、柄の頂に円錐形の大形の花序をつけ、多数の紫色の花を開く。萼は五裂、花冠は大形で筒となり、先は五裂して唇型。

材は軽軟、色白く、伸縮、割裂などのくるい少なく、吸湿性も小さく、音響の伝導にも適するので、琴、箪笥、家具材、下駄、箱などにする。また屑を焼いて灰とし懐炉灰に用いる。樹皮は染料、葉は除虫用になる。

二源氏物語では、「桐」は「桐壺」の語の中にのみ見られる。

桐壺は、                                    

(一) 内裏の建物の一つ、淑景舎のこと。庭に桐が植えられているからの名。(更衣の御 局、また、源氏の曹司のあった所。)                                 

 (二)桐壺の更衣=桐壺に住んでいた更衣、即ち、源氏の生母の名。

 (三)桐壺の御方、桐壺=源氏と明石の上の間の子、即ち、明石の中宮の名。

 (四)桐壺の帝、桐壺の院=源氏の父帝の通称。

 (五)桐壺=物語の第一番目の巻名。

 に用いられている。  

 

帚木―

一ははきぎ(帚木)は、「ほうきぐさ」、また略して「ははき」とも言う。

昔、信濃国下伊那郡薗原の伏屋にあって、遠くからみると帚を立てたように見え、近くに寄ると形がみえなくなるという伝説の木。

 武蔵野の逃げ水と同様、蜃気楼であり、一つの気象現象であろう。

二「ははきぎ」には、                              

 (一)「母」を意味していう。

 (二)信濃の帚木の伝説から、情がある様にみえて信実さのない者のたとえ。 

 等の意味がある。

 

夕顔―うり科[別名]かんぴょう、ながふくべ、扁蒲。[漢名]壺廬。

一アフリカ又は熱帯アジア原産の一年生の蔓草本。茎は長い蔓で地面をはうか、分岐する 巻ひげで他物にからまってよじのぼる。

葉は心臓形又は腎臓形、わずかに掌状に分裂。雄花は長柄、雌花は短柄、花冠は夕方に平開し、翌日の午前中にしぼむ。花色白。

液果は長大で長楕円形又は球状、長さ六〇〜九〇・にもなり、表面には毛があり、内部は白い果肉となる。果肉は煮て食用にする他、紐状に細く切って乾燥し、干瓢を作る。

果実の外皮は乾かして火鉢や置物等に用いる。

二名は、夕顔の意味で、夕方咲く花に基く。

現在、ひるがお科のヨルガオを誤って「ゆうがお」と呼ぶものがあるが、ユウガオとは別種。本種は、熱帯アメリカ原産、多年生(日本では一年生)の蔓草本。夏の夕方、純白、大形のアサガオ型の花を開き、香気を放つ。

三源氏物語に出てくる「夕顔」は、夜に咲く花の夕顔から来ている。つまり、夜に咲く= 夜の女ということがイメージできる。

 また、 

  白き袷、薄色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿、いとらうたげに、あえか

  なる心地して、そこと取り立ててすぐれたることもなけれど、細やかにたをたをとし

  て、もの打ち言ひたるけはひ、あな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ。

という文からも、夕顔の姿態、性情が緊密に結びついて、源氏の心をとらえて離さないのがわかる。 

 

 

紫―むらさき科[別名]ねむらさき、みなしぐさ、むらさきそう、紫草(漢字の紫草は別           種のものなので、正しくは誤用)。

一「むらさき」は、(一)植物名のムラサキ  (二)色彩の紫 の両意がある。

(参考)昔は、今の紫色(赤と青との間色)よりもっと赤味をおびているものを紫とい    ったともいう。中国の紫も、論語の「悪紫之奪朱色」などからその様な色だっ    たのではないかともいわれ、赤の濃いのを紫といったという説もある。

二日本、満州、アムールに広く分布する多年草。山地や草原に生え、高さ三〇〜六〇・。

 根は紫色で太く、地中に真直に延びて分岐、その頂から直立の茎を出す。

 六、七月頃、葉のつけ根の葉状をした包葉の間に、白色の小さい花をつける。

根は乾燥して皮膚病薬にする外、昔は重要な紫色の染料として栽培された事もあり、徳川時代には紫色染料として重要視され、「江戸紫」という一種の代表的名称さえあった。

三「若紫、紫上」という名前の由来は、

  しらねども武蔵野と言へばかこたれぬよしやさこそは紫の故 (古今六帖五)

 の一節から来ている。歌の意味は、                          

  知らぬ土地であっても武蔵野と言うとつい口実にしてしまう、ええままよそれは紫草     

  のせいだ。「かこつ」は、恨みごとを言う、の意かとも。

その元歌の一つである古今歌の、武蔵野はたった一本の紫草のゆえに他の雑草までがなつかしく感じられる、という歌意が響いて、いま紫上に引かれることを手習に託して言っている。

 

末摘花―

一 源氏物語中には、「、、、末摘花」等の言葉がでるが、これ等の言葉は、夫々次の様に様々の意味がある。

(一) (赤花)=赤い草木の花の総称。色の染色名、帯紫淡紅色。襲の色目、    

          表赤、裏二藍。あかいろ。あかばな科のアカバナ。

           (源氏物語末摘花の巻の「」は、この植物の事でなく、ベニ             バナ(後記三)から作った顔料のの事であり、赤鼻にかけて             用いられている。)

(二) =紅色の略。鮮明な赤色。くれない、。化粧品の一つ、もとの花弁

     の紅色素から作った紅色の顔料で、唇、頬、爪等を着色するのに用いた。

     又、絵具、染料とした。臙脂。紅をおしろいに和したもの、顔につけて化

      粧に用いる。  

 (三)=の略。呉藍は呉の国(広く支那をも意味)から伝来した藍の意。ベニ

      バナの事。、又、紅に染めたもの。香の名、伽羅の一種。

 (四) 末摘花=ベニバナ(後記三)の別名、紅を作る時、末の方から花を摘み取るか      らいう。 

二 源氏物語においては、       

  =紅色の顔料、紅粉。  =紅色の顔料。  =紅色の染色及び紅色。

  末摘花=赤い花から赤鼻の意。赤い鼻の人。赤い鼻の持主で、常陸の親王の末女

      で源氏の夫人となった人の通称、渾名。

三 ベニバナ きく科[別名]くれない(紅)、呉藍、末摘花。

         [漢名]紅藍花、燕支、黄藍、 紅花。

エジプト原産という。我国への渡来は著しく古い。越年草。茎の高さ一m内外。葉は互生、硬くて深緑色、広皮針形で欠刻、又は鋸歯がある。

夏、枝の先に鮮黄色の管状花が、アザミに似た頭花をつくる。頭花の経二.五〜四・、長さ二.五・位。時がたつとやや赤色に変わる。

 

あおい―フタバアオイ うまのすずくさ科 [別名]葵、賀茂葵、頭挿草、二(双)葉葵、                        日陰草、二葉草、双葉細辛。

一山中の樹陰に生える多年生草本。茎は、径五mm内外、多肉で平滑な汚紫褐色の円柱形。 地上に横たわり、長い節間と二、三の短い節間を交互して下面からは細いひげ根を出す。春、茎の先端に二〜三の鱗片が互生して扁平な芽となり、後に芽の中から長い一本の茎がのび、先端に二枚の葉が接近して互生する。葉柄は四〜八・で、葉身は心臓状腎臓型で薄質。早春、葉間に柄があり淡紅紫色の花を一個、下向きにつける。

一株に葉が必ず二枚出るからフタバアオイ、賀茂神社の祭に用いるから「かもあおい」という。

漢字「葵」の実体は、あおい科フユアオイで厳密にいえば、フタバアオイに葵を当てるのは適当でない。

二源氏物語に出る「あふひ」は、「日影にむかうあふひ」〈藤袴〉の他は、全部フタバアオ

イ、 又は「葵」に「逢う日」をかけたものである。京都下鴨、賀茂神社の祭には、冠や牛車、桟敷の簾等をフタバアオイで飾ったので、同社の祭は「葵祭」ともいい、フタバアオイを「賀茂葵」ともいう。又、祭の当日、冠にフタバアオイを挿したものを「葵かずら」という。 

 

賢木―

一 「さかき」は、(一)常緑樹の総称(二)つばき科のサカキの意味がある。

二 つばき科[別名]榊(国字)、賢木、栄木。「漢名」楊桐(漢名であるが多分誤りか)。

  サカキ つばき科

  関東から西の山中に生え、また普通に神社の境内等に植えられる常緑亜高木。

  葉は厚く、枝の先端の芽の最も外の鱗片一個が大きく弓の様に曲がって、鳥の爪の形  をしているのが特長である。

  夏、花柄のある花を腋生し、白色の花を開く。液果は球形、熟すると黒くなる。

  本種は細葉、長葉、円葉等の種類がある。

  古来、神木として神前に供され、その枝に白紙を懸けたものは玉串と称し、神を祭る  際に献げる。国字「榊」もこれから出た。

  サカキは、栄樹で、年中葉が緑色である事から出る。

  本州中部では、サカキが少ないので、代用として神前に供されるのは、殆どヒサカキ  である。

三 ヒサカキ つばき科 [漢名]野茶。

やや乾いた山地に多く生える常緑の低木、又は亜高木。

「姫さかき」が訛ってヒサカキとなる。サカキに比べ小形、サカキの少ない地方では、サカキの名で神事に使う。円葉、長葉、細葉、斑葉の種類があり、果実も黒色、白色がある。

 

四 源氏物語の巻名「榊」を「賢木」と記されるものがある。榊の意。熊本県玉名郡賢木村 (現在南関町)は「さかき」とよんでいた。

 

ヨモギ―きく科  [別名」もちぐさ、さしも草(古名)、蓬(誤用)。

一全国の野山に普通にある多年草。茎の高さ五〇〜一〇〇・。多数分岐し、地下茎は横に

なって蔓枝がでる。葉には香気がある。

夏から秋にかけて茎の頂で分岐し、複層状花序状となって、管状花だけからなる淡褐色

小形の頭花を多数つける。

春、新苗を採り、草餅の材料に、又葉の下面の毛から「もぐさ」を作る。民間薬として

もぐさの効用は多い。

二よもぎ=襲の色目、表萌葱、裏濃い萌葱、又表白、裏青、五月に用いる。

蓬生=蓬等が生い茂って荒れ果てた所。    蓬の丸寝=蓬の宿のまろね。

蓬の宿=蓬等が生い茂った荒れた宿、いぶせき住み家。

蓬が門=蓬で葺いた門。貧者。又隠者等の家の門。

  

松―まつ科まつ属植物の総称。

一日本にはクロマツ、アカマツ、ゴヨウマツ等があり、古来、長寿や節操を象徴するもの

 として尊ばれている。クロマツとアカマツを一括して「まつ」という事が多い。

二 クロマツ[別名]黒松、男松。

多くは自生、又植林する常緑高木で、高さ四〇m、直径二mにもなる。樹皮は黒褐色で、

下部は粗厚な亀甲状に裂ける。

葉は、二本が対生になり、袴がある。アカマツよりも太くて剛い。

四月頃、単性花をつける。毬果(まつかさ)は翌年秋に熟し、有翼の種子を飛散する。いろいろの変種がある。

材質堅硬で保存期長く、建築、土木材料として用い、又薪炭とする。樹脂から松脂を、葉から香料を採る。

三アカマツ[別名]赤松、女松。

広く分布している常緑高木、山地に多く自生、又植林する。クロマツより小形だが大きいものは高さ四〇m、直径一.五m以上にもなる。樹皮は上部赤褐色、下部暗褐色で亀甲状の裂け目が入る。葉は細長で針状、軟らかくて二本対生、袴がある。

雌雄同株、四月、新枝の頂上に紫色の雌花、下部に楕円形の雄花を群生する。

材は、建築、器具、土木等に用いられ、松脂をとりテレピン油を作る。薪炭、パルプ材料ともなる。変種がある。

四ゴヨウマツ[別名」五葉の松、姫小松、五葉。

庭園に栽培、又山地に自生する常緑高木、高さ三〇m、直径一m以上にもなる。主枝は水平に広がり、枝葉はよく繁る。葉は細かい針形で柔らかく、五本ずつ一所に叢生、深緑色。

材質は軟らかく、建築材、器具材に適する。

 

 

朝顔― ひるがお科 [別名]鏡草、しののめぐさ、牽牛子(漢法名)。[漢名]牽牛花。一 アジア原産の蔓性一年草。左巻きに他物にまつわる。葉は長い柄があって互生、普通は三裂する。

夏、葉腋に大形の美しい花を開く。早朝に咲き、午前中に萎むので朝顔の名がある。花は一ヶ所に一〜二個つき、萼は深く五裂、花冠は漏斗状、蕾は筆頭状で右巻きにねじれたひだがある。日本で園芸品種としてよく発達し、変種が多く、花色も今日では、白、青紫、紅、縞、紋、ふちどり等(稀に黒、黄)種々あって、葉の改良品種も多い。

二 源氏物語所出の「あさがほ」は、

 (一)人の朝の顔の意味

 (二)源氏が、朝顔を奉り、作者が「朝顔の宮」と呼んだ桃園式部卿の宮の女の名

 (三)植物の名  

 (四)朝顔の宮に関する事が出てくるのでつけられた巻の名

の四つが考えられるが、この四つの内で問題は朝顔と呼ばれる植物の実体である。その多くは書き現された生態によって、今日のアサガオである事に疑いをさしはさむ余地はないが、夕顔の巻における「朝顔」のみは、「あさがほ」という古名を持つキキョウであろうと思われる。

尚、源氏物語においては、本によっては「あさがほの巻」を「槿の巻」、「あさがほの宮」を「槿宮」と書き現しているものがあるが、これは「あさがほ」に漢字をあてる場合、萬葉集の「あさがほ」の「槿」説同様の考えや、和漢朗詠集の例の様に、当時「槿」を「あさがほ」とも読む事があったらしい事等から、アサガオにも「槿」をあてたものと

思われる。

三 源氏物語の「朝顔(斎院)」は、朝に咲く花の朝顔から来ている。

朝顔―後朝の朝の顔を暗示―を見た、とか、見ることを期待しながら、垣間見は無論の

こと、彼女の容貌・姿態に触れる記述すらない。

およそ恋の対象として誰でも描かれる容姿・雰囲気・衣装・音楽などから遠く隔てられ、

肉体を捨象した人物として、それ故にこそ源氏の求婚を拒否しうるということかも知れ

ない。

 「夕顔」と対照的に描かれている。

かずら 蔓―

一「かづら」は、茎が蔓になっている植物、蔓草(つる性草本)の総称。葛、蔓とも書き、

蔓草の茎、即ち、蔓そのものもいう。

二源氏物語においては、夕顔の子、後に髭黒大臣の北の方になった人物を、後人が「玉蔓」

 と通称している。これは〈玉蔓〉の巻の源氏の歌、

 「恋ひわたる身はそれながら玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ」

から出ているが、玉蔓は髪の美称でもある。

「かづら」は、

萬葉集五、雑歌、小弐粟田大夫「の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけらずや」

などにもある様に、蔓草などを頭髪の飾にしたもの。髪はかもじ(仮髪)、かつら(頭に 

かぶって扮する)にも転ずる。

「玉蔓」の呼称も、これを選ぶに当って、前記源氏の歌によって取ったのは勿論であろうが、蔓草の夕顔の子のゆかりによって、蔓の美称の玉蔓をとったのであろうと思われる。

 

藤―

一「ふじ」には、ノダフジ、ヤマフジ、ニワフジ、ナツフジ等の品種があり、普通「ふじ」といわれるものは、ノダフジ、ヤマフジ等で、源氏物語の「ふぢ」もこれ等であろう。

藤の蔓は強靱で、縄等の代用に供され、繊維は昔は織布の材料にした。

二 フジ まめ科

各地の山野に生え、また観賞用として庭園に植える蔓性落葉低木。幹は著しく長く延で分技、右巻きに他物に巻きつく。葉は互生、有柄の奇数羽状複葉。小葉は四〜六対。四月頃、紫色の蝶形花が多数総状花序を作り垂れ下る。花序の長さ三〇〜九〇・に及び美しい。花後、果皮の堅い大きく平たい豆果ができる。

「ふじ」は、吹き散るの意。「ノダフジ」の名は、昔の藤の名所、大阪府野田に基く。

シロバナフジ(白色花)、アカバナフジ(淡紅色花)は変種。紫藤は、支那産のシナフジで別種。

三 ヤマフジ まめ科 [別名]山藤、野藤。

本州中部以西の山野に自生、時として観賞用として庭園に植える蔓性落葉低木。茎は、ノダフジと異なり左巻き。

花色は紫、総状花序の長さ一〇〜二〇・、花はやや大形。四月頃、ノダフジよりやや早く開花。シラフジは花の白い品種。

 

四源氏物語中、「藤」又は藤を用いた言葉は、次の様に区分する事が出来る。

(一) 建物名の藤壺

   宮中の建物の一つ、飛香舎の別名。その壺に藤が植ふてあるのでこの名がある。

   禁中の西北、清涼殿の北、弘徽殿の西。

(二) 人名の藤壺

   「藤壺」と称する方が四人ある。

   (1)「藤壺、藤壺の宮」(通称、藤壺中宮)

      桐壺院の中宮。先帝の第四皇女、母は后。冷泉院の生母。藤壺を御局とし

      たから。後の人は理解を容易にする為「薄雲女院」とも通称する。源氏の

      想い人として出る。

    (2)「「藤壺」ときこえしは」〈若菜上〉とある方(通称、藤壺女御)

      御局が藤壺であったから。朱雀院の女御。先帝の皇女、母は更衣、源氏の

      宮。藤壺中宮(前記(1))の妹。朱雀院の女三の宮の生母。女三の宮が

      十三、四歳の時死す。後の人は理解を容易にする為「藤壺の女御」と称する。

    (3)「「藤壺」と聞ゆるは」〈宿木〉とある方

       今上の女御、もとの麗景殿女御。左大臣の第三女。左大臣の女御ともいう。

       今上の春宮時代に入内、今上の女二の宮(薫の妻)の生母。女二の宮十四

       の年、裳着の準備中に死す。

    (4)「「藤壺の宮」の御裳着の事ありて」〈宿木〉とある方

      今上の女二の宮、母はもと麗景殿の藤壺女御(前記(3))、薫の妻となる。

       「もと麗景殿女御たりし今上の女御藤壺の御腹の今上の女二の宮」又は「藤

       壺にお住まいの女二の宮」の意。

 (三)実物、衣服や色や宴の名、掛け言葉

    (1)「藤、藤の花、藤波、藤なみの花、藤の裏葉」等=実物

    (2)「藤衣、藤の御衣、藤の御袂」等=衣服や喪服

    (3)「藤襲、藤の細長、藤の村濃、藤の色」等=襲の色目や染色

    (4)「藤の宴、藤の花の宴」=宴の名

    (5)「藤」と音が似ているのでかけた「淵」

 

真木―

一 現今、「まき」の名をもつ樹木には、

まき科のイヌマキ(別名、まき、もんまき、くさまき)、ラカンマキ(まき)、           

すぎ科のコウヤマキ(まき、ほんまき)等があり、多くは漢字「槇」が当てられている。

二 源氏物語等に於いて、「眞木」と呼ばれたものは、前記一の「まき」とは限らない。真木の「真」は、真金(鉄)、真虫(蝮)、真帆等で、「まことの、勝れた」意味を表す言葉。真弓、真?等で、「見事さ、純粋さ」の意味を表す言葉。真清水、真柴、真楫等での、「美称」。真榊、真鴨、真鯛等で、「その種類内の標準である」意味を表す言葉。以上のように、「真木」はその材が「優れた木、優れた建築材料である」等を表す言葉の様

に思える。即ち、「真木、槇(或いは国字か)」、又は「ひ」等の漢字で表される「まき」

(一) 建築材料としては最上の木の意味の桧の美称

(二) 同じくスギも含んだ上等の建築材

(三) その他、イヌマキ等のうちに、単に「まき」と略称されていたものがあったかも

   知れない。然し、源氏物語中の「まき」にはこれに当たるものは考えられない。

   ?草冠に孤独の「孤」(読み こ・マコモ) ひ木へんに「皮」

三 (一)「真木」は、源氏物語では「槇の戸口」の他、人名としての「眞木柱」(髭黒   大臣と三条式部卿の宮の女大君との間の女、初め蛍兵部卿の宮の、後に紅梅の北の   方となる)、源氏がよりかかった真木柱、薫がよりかかった真木柱、及び髭黒の女  (眞木柱)が「今はとて宿離れぬとも」と書いて、?の先でその干割れに押し入れた   真木柱が出ているが、源氏と薫がよりかかった真木柱は、桧或いは杉材であろう    し、歌をさしこんだ真木柱をもし桧材であるとすれば、その干割れは物語のフィ    クションだとしても、緻密な材の桧の柱ならば詠草を入れるにしては余りにも大    きすぎる。但し、杉ならばそれ位の干し割れはあり得ようから、この真木柱は杉    ではないかと思われる。                          

 (二)なお、源氏物語において、桧・杉の言葉は幾度かでるが、「桧・杉」を建築材と   して表現しているのは皆無である。

    桧・杉を建築材料とする場合には、総称として「真木」といったのではないかと    推測される。

   ?かんざし

 

梅―ばら科 [別名]むめ、木花、梅、好文木。

一 落葉高木、高さ六mにもなる。支那原産。古代に日本に渡来したらしい。現在は、観賞用、果実用として広く全国に栽培され、野生状態のところもある。

早春、葉よりも早く、前年の枝の葉腋に一〜三個のほとんど無柄の花を開き、芳香を放つ。花は通常一重、五弁、白色。紅色、淡紅色のもの、八重咲きのものもあり、園芸品種は三百種以上にのぼる。核果は、球形、果肉は酸味が強い。梅雨の頃に黄色に熟する。

木材は器物に、果実は生食、又、梅干、梅漬とする。梅の実のことを単に「梅」ということがある。

二「ウメ」の語源は、

(一) 烏梅、薫べ梅で、乾燥品を薬品にする意。

(二) 梅の漢音 mui, meiの転化。

(三) 朝鮮語のマイの変化。

の三説がある。

三 源氏物語では、巻名に「梅枝」「紅梅」があり、梅関係語の所出は二十二巻に互っている。

梅は建物の名称(梅壺)と人名(女御の名梅壺と紅梅の御方、紅梅(通称))、その他は実物、襲の色目、紋様、彫刻の模様、香の名等多種多様に用いられている。

四 源氏物語の梅は、白梅と判断されるものは、わずかに過ぎず、その他は紅梅、又は紅白いづれとも判別し得ないものである。古代には、単に梅という場合は白梅を意味したといわれるが、平安時代には一般の好みが白梅よりも紅梅という観賞的な品種に傾いていたのではないかと思われる。紅梅は、古くは続日本紀承和十五年(八四九年)の記事にみられる。

 

第一部

  一桐壺 二帚木 四夕顔 五若紫 六末摘花 九葵 一〇賢木 一五蓬生 一八松風

  二〇朝顔 二二玉鬘 三〇藤袴 三一真木柱 三二梅枝 三三藤裏葉

 

 

【参考資料】

   源氏物語の植物   古閑素子著    桜楓社  

   源氏物語一  新日本古典文学大系   岩波書店

   源氏物語作中人物論集  森一郎編著  勉誠社

    ―付・源氏物語作中人物論・主要論文目録―

 

   

 

  参考文献

  「源氏の恋文」 尾崎左永子 求龍堂