『桐壷巻の高麗相人予言の解釈』        Text By 片岡 絢  

   自由発表                     

                    

 私は、私の担当箇所でもあった、桐壷巻の「高麗相人の予言」の部分について論文を1つ紹介しようと思います。

 高麗相人の予言は、以下の部分です。

 

 そのころ、こまうどのまゐれる、なかに、かしこき相人ありけるを、きこし めして、宮のうちに召さむことは、宇多のみかどの御いましめあれば、いみじうしのびて、この御子を鴻臚館につかはしたり。御うしろみだちてつかう まつる右大弁の子のやうに思はせて、ゐてたてまつるに、相人おどろきて、あまたたびかたぶきあやしぶ、国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき 相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ、おほやけの固めとなりて、天下を輔くるかたにて見れば、またその相たがふべし、と言ふ。

 

 今日、この解釈について、玉上琢彌氏の『源氏物語評釈』の「鑑賞」に述べられた解によると、「相人に解けなかったこの謎は、作者によって藤の裏葉の巻で解かれる。」すなわち准太上天皇就位がその答えだとし、「さて、おそらく渤海には准太上天皇のごとき地位はなく、それで相人は若宮の人相を現わすべき言葉を知らなかったのであろう」とあります。桐壷帝はかねて「倭相をおほせて」相人

の言ったことと同様の知見を得ていられたといいます。すなわち帝王たるべき相ということと、しかし帝王になったら国乱れ民憂うることがあるかもしれないという点で一致していたらしいのです。「みかどの御心に、此御子を、もし親王にもなさば、人の疑ひなど出来て、かへりて御ためによろしからじと、考へ給へることを、やまとさうとはいへる也」。これによれば光君が帝王相であるがゆえに帝王への道を歩ましめることは危険であり、国が乱れ民憂うることになろうということになります。

 さて、ここからが、森氏による論になります。

 森氏いわく、「そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ」とは、光君が天子への道を歩む過程に起こる危難、国乱れ民憂うることの恐れをいうのであろうか、そうではなくて、彼の帝王相そのものの中に危難が見られるということではないのか、すなわち彼が天子となっての治政に国乱れ民憂うる恐れがあると占ったということにあります。彼は天子にはならなかったからその具体的なことは現実に起こってはいません。

 光君の人相によって占われたすっきりしない相に「あまたたび傾きあやし」んだ相人は、天子になれば「乱れ憂ふること」があるのかなあ、と考えたというのですが、光源氏が天子になればその治政が乱れるというならば、それは彼が天子としての資格に欠けることを意味します。一体それはどういうことなのでしょうか。相人もそれゆえ臣下として摂政、関白、大臣かと考えてみても、それともちがう、天子としてもしっくりあてはまらないし摂政としてもあてはまらない、それがどういう地位かわからないから相人は不可解に思ったのだとと通説ではいわれています。しかし森氏は、光君が天子としては欠けたるところがある人相そのものの不思議、それはどういうことなのかが分からなかったがゆえに「あまたたび傾きあやし」んだのであって、それこそ物語の内実のはらむサスペンスを意味するのであると考えています。そして、この予言の答えは、「藤裏葉」巻の准太上天皇就位以前に、「澪標」巻の光源氏の「宿世遠かりけり」で示されているという説に賛同しています。

 

 おほかた上なき位にのぼり、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさに皆おぼし消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしとおぼす。あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものにおぼしたりしかど、ただ人におぼしおきてける御心を思ふに、内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず、と、御 心のうちにおぼしけり。

 

 「御心を思ふに」と源氏に無敬語であることに注意してみると、心内語ととれます。自分は皇位とは縁のない運命だったのだ、「あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」と源氏は心内に思ったのです。彼は「若紫」巻での夢占いによって自らの運命が天子の父たることを、藤壷の懐妊の事実に照らし合わせて予知していました。その実現を見て源氏は「桐壷」巻の高麗の相人の内実的意味を悟ったのです。具体的な内実は相人にも分かりませんでした。けれども源氏は、父桐壷帝があれほど自分をいとしくお思いでありながら自分を臣下に降ろされた御心を思い、それと照合し、さらに冷泉即位の事実にかんがみて、相人予言の意味を悟ったのです。

 作者はここに、あの相人予言の謎の答えを、源氏の深い感慨として示したのです。源氏が「夢占いの言むなしからず」ではなく「相人の言むなしからず」と思ったのは、作者の所為というわけです。作者が、「若紫」巻の夢占いの言ったことが相人予言の謎を明かすものであることを源氏に悟らせ読者にも悟らせたのです。

 それではなぜ、源氏は天皇になってはいけなかったのか。それは、<光天皇>を仮想して考えてみればわかります。『源氏物語』において必須不可欠である父桐壷帝の寵妃藤壷との密通が、<光天皇>として父桐壷院在世中におこったことだと仮想したなら、そういう<天皇>を『源氏物語』は持ち得ないのです。『源氏物語』は、源氏と玉鬘の関係においても冷泉帝と源氏の対立の構図を結局は避けているのです。<光天皇>の可能性は十分ありましたが、『源氏物語』の論理は、天子の治世の乱れを未然に拒否する構造をとりました。「乱れ憂ふること」を恐れなければ<光天皇>は可能であったけれども、しかし作者は相人をしてそれを未然に抑止させるべく「そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ」と言わしめたのです。これは、相人の意図ではなく、作者の意図というわけなのです。

 私はこの論文を見つけ、高麗人の予言は作者が源氏物語を源氏物語として成り立たせるために不可欠だとして必然的に仕組んだ部分だという考えに触れたとき、一つの疑問が晴れるのを感じました。それは、なぜ光源氏はあれあほどの人物でありながら最高の地位である帝になれなかったのか、なぜ申し合わせたように、当り前のようにみかどにならない身分でいるのか、という疑問でした。この論文はそういう意味で、とてもおもしろいものでした。

 源氏物語に限らず、物語には全てそれを作った人間(作者)が当然います。物語研究において作者と物語を切り離すか切り離さないかということについては、さまざまな意見があると思います。物語上の出来事について考えるとき、ひとこと「それは作者の所為だ」といってしまえばそこで完結してしまうということも生じてしまい、むやみに作者を登場させるのは危険であるとも思います。論文を読む目を養いながら、これからも源氏物語を読んでいこうと思います。