【「桐壺」と『長恨歌』について】        Text By 鎌田快子

                           桐の花

1.類似模倣―構想・輪郭

 まず、「桐壺」の巻を要約すると、「桐壺の更衣は身分はさして高くはなかったが、人のそしりの対象になるほどの帝の寵愛は、ついに多くの人の嫉妬を招くに至ったことは、あたかも長恨歌の、玄宗の楊貴妃に対するが如くであった」ということになる。これは、やがて更衣と帝との間の物語が、文字通り楊貴妃と玄宗との線に沿って展開されていくことを予告した物と言える。このような書き出しをしているということは、源氏物語と長恨歌、ないしは白氏文集との関係を見る上に、極めて重要な意義を有する物と言わなければならない。

 桐壺と長恨歌両編の筋書き、構想を比べてみると、それはだいたい共通して次のようになる。

(1)いずれも愛した者は帝王であり英雄であり、かつ直接その人を指すことをさけて先代となし、あるいは時代を明示していない。

(2)愛された者、つまり被愛者は、いずれも世に類なき美女であり、しかも身分があまり高くなく、ある機縁によって見出されると言う、おおむね出生・境遇を同じくしている。

(3)それが宮中幾多の競争者を退けて、盲愛溺愛とも言うべき格別の恩寵を受けた。

(4)しかし結局はそれが禍して深い嫉妬を招き、不遇薄幸な事態の中に、愛する帝王に惜しまれながら先だって死んでいく。

(5)後に残された帝王の追慕はとどまらず、日夜悲哀の涙に暮れて忘れ得ない(本巻中長恨歌の詩句がそのまま移して引用されているのは、専らこの一段に集中されている)。

(6)ついに帝王は使者を遣わして亡き愛人の霊所を尋ねさせる。命令を受けた使者はつぶさに帝の意中を伝える。

(7)別れ際に際して使者は記念の遺品を渡される。

という具合になる。

 帝王の、佳人に対する寵愛の項では、源氏物語では、「あながちに人目驚くばかり」の御覚えは「あまたの御方々を過ぎさせ給ひつつひまなき御前渡」という。あたかもそれは「承歓侍宴無閑暇 春従春遊夜専夜」にあたり、正しく、「後宮華麗三千人 三千寵愛在一身」の言葉通りであった。そして「姉妹弟兄皆列土 可憐霊光彩生門戸。遂令天下父母心 不重生男重生女。」は楊貴妃自身のみならず一家一門の栄華を示すと共に、それはまた何か「この御事に触れたる事をば道理を失はせ給ひ」「そこらの人の譏り怨みをも憚らせ給は」はかったのと相通ずるものがある。また、「太液の芙蓉未央の柳」「羽を並べ枝を交さむ」「燈火を挑げ尽して」「朝政は怠らせ云々」等と、長恨歌の詞句が直訳的に引用され、あるいは帝が傷心のあまり、ともすると政を捨てられようとなされるのを、世の人は「人の朝のためしまで引き出でささめき歎いた」と称している等、これだけを見ても、源氏物語の長恨歌踏襲の形跡は誠に歴然たるものが認められる。「朝夕の言ぐさには、羽を並べ枝を交さむと契らせ給ひしに、かなはざりける命のほどぞ尽きせず恨めしき」と述べている。ここに有名な「比翼連理」の語を引用し、長恨歌末尾の一句「此恨綿綿無絶期」の題目がここに基づいていることは言うまでもない。

 このように、源氏物語桐壺の巻がその詞句引用はもとより、筋書き・構想のほとんど全面的に長恨歌に準拠し、模倣踏襲していることがわかる。

 

2.相違と独創

 前述の通り、筋書き・構想においては、両者の間にはほとんど差異が認められない。けれども子細に検討すると、そこにはいくつかの相違を発見する。例えば美意識や女性観照の相違、あるいは神仙説や遺品の取り扱いを巡る相違がある。そしてこれは、日中両国民生や模倣と独創など、創作技法の問題にも関連するものである。

 

@女性観

(1)美の類型

 楊貴妃の美は、妖艶嬌飾の美しさであり、人為の美である。艶めかしいあでやかさがあり、作ったあくどさがある。これに対し桐壺更衣は、「いと匂ひやかに美し」と言い、「面痩せまみなどたゆげにいとどなよなよ」と言い、「さまかたちなどめでたく」「なつかしうらうたげなりし」と言っているように、これは「芙蓉如面柳如眉」を以て譬えられた楊貴妃の美に反し、優雅温和な美しさがあり、巧まぬ自然の美である。前者はいわゆる「唐めいたる粧」であって、楊貴妃―唐風―中国風の美しさである。これは、後者の匂いやかな桐壺更衣―和風―日本風の美しさと本質的に趣をことにするものである。

(2)性格・人物

 同様のことは、その性格・人物についても言い得る。すなわち楊貴妃は、どこまでも帝の寵愛の厚いことをいいことに、一人これに浸り、人を人と思わぬ思い上がったところがある。しかも自分一人の歓楽のみならず、一家一門の栄華を縦にしている。

 対して桐壺更衣はどうか。「心ばせのなだらかに目やすく憎み難かりし云々」「人がらのあはれに情あり云々」に表される如く、きわめて純良温順な性質の女であったことは、そのほか文中の至る所から伺われる。

 この相違は果たして何を物語るか。もちろん、一つには源氏物語作者個人のこれに対する美意識や観照態度にもよるであろう。が、さらには、結局日中両国民の嗜好・風俗など、いわゆる国民性の相違に帰すると言わなければならない。そしてこれらの相違は、桐壺更衣と弘徽殿女御の間にも見られるのである。

 作者紫式部は、亡き桐壺更衣に対する帝の追慕を述べたあと、その競争相手であった弘徽殿女御について言及し、両者の性格、人柄の相違をきわめて鮮明に対比させている。同じ桐壺更衣に対するに、始めは楊貴妃をもってし、改めて弘徽殿女御を配したことは、紫式部が弘徽殿女御を、桐壺更衣と相対する楊貴妃と同列に扱っていることを意味するものである。つまり、この場合弘徽殿女御は作者や更衣と同じく日本人ではあるが、その立場はこれらと全く相反する楊貴妃の側に立たされていると言って差し支えない。このように見るとき、更衣と女御との関係は、そのまま移して更衣と楊貴妃との関係としてみることができる。結局桐壺更衣―楊貴妃の関係はまた同時に日本人―中国人の関係を示すものでもあると言えよう。

A神仙説

 第二の相違は、神仙説の有無である。ここで注意されるのは、第一の相違、女性観は双方を比較しての相違であったのに対し、この第二の相違は一方にあって一方にないものである。つまり神仙説は長恨歌のみにあって相当大きく取り扱われている。しかし源氏物語では全然これに触れるところがない。

 使者派遣及び遺品委託の両段において、源氏物語ではその悲哀に満ちた情景が、いかにも読者の胸を打つ現実感をもって書き綴られている。が、長恨歌にあっては、靫負命婦にあたる使者は「能以精誠到魂魄」ことのできる道士であり、すでに一般の人ではなくなっている。その道士の訪ねた楊貴妃の在所は現世を離れた仙界であり、そこに現れる光景は全て現実を越えた想像の世界である。

 このように、一方は切実な現実感をもって人間の社会が極めて生々しく描写され、他方にいたっては出世間的な空想をもって縦横奔放に神仙の世界が描き出されている。そしてこの相違もまた、超越的・空想的な中国一面の考え方と、どこまでも現世的、即実的な我が国古来の行き方との相違によることは言うまでもない。もっとも、遺品を見て「亡き人のすみか尋ね出たりけむしるしのかんざし」とかの鈿合金釵に比し、あわせて帝の詠まれた「尋ね行く幻もがなつてにても魂の在処をそこと知るべく」という一首が挿入されてはいる。これが長恨歌の引用であることは間違いない。がしかし、何もそれ以上特に神仙説に寄ったわけではない。帝王追慕の念を「鈿合金釵」や「道士」をかりていったまでである。いわば単なる形式上の技巧で、決してそれ以上のものではない。

B遺品の展開

 長恨歌では、その物語が遺品寄託の段で終わっている。対して源氏物語はこれを一段階として事件は光源氏参内というさらに新たな展開を見せる。

 すなわち、遺品を御覧になった帝の故更衣に対する追慕の念は、これを契機としてますます増大する。が、しかしそれも所詮叶わぬことであって見れば、更衣への追慕はやがてその遺児光源氏へと移っていくのは、もちろん源氏物語ならずとも人情の自然展開であろう。帝もまた、この忘れ形見の光源氏によってせめて更衣への追慕に代え、あるいはこれを紛らそうと切なる希望を漏らされる。果たしてそれは光源氏の参内となって現れる。桐壺帝の更衣に対する追慕は、靫負命婦派遣より前に、すでに光源氏への移行を見せ、やがて命婦派遣・遺品寄託により、いよいよこれが具体化への速度を早め、ついに源氏の参内となって実現する。それはあたかも、長恨歌において「鈿合金釵」の一股一扇の各半分を分かち、「但だ心をして金鈿の堅きに似令めば 天上人間会ず相見んと」と言ったのと同一趣向乃至その延長たるを思わせるものがある。つまり一股一扇は天上と人間、すなわち楊貴妃と玄宗との間を結ぶものであった。対して源氏物語では、始めに「鈿合金釵」に相当する「御装束一くだり」と「御髪上の調度めくもの」が配される。が、それはやがて光源氏という現実のものに置き換えられ、いわば故更衣と桐壺帝との間をつなぐ永遠の鎖たらしめんとした。

 すなわち、前者は源氏物語全般より眺めると、一応長恨歌に倣ってもうけた形式的・物的遺品であり、ついでこれに代わって出現する光源氏こそ、真に本編作者の意図する実質的、人的遺品ということができる。実に帝王追慕―使者派遣―遺品寄託と続く長恨歌の筋書き・手法に一応歩調を合わせながら、しかもこの形式的・物的遺品と実質的・人的遺品という二段階の構想を設けることによって、さらにその後の事件の新たな展開に導こうと企図していることを知る。そしてここに、一面ほかを学びながら、しかも単なるその模倣に堕せず、さらに自らの創意・独創を加えるという源氏物語の優れた技法が見られるわけである。

 

                      〈参考文献〉

                        漢詩文引用より見た源氏物語の研究                               古沢未知男著

                               南雲堂桜楓社