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古典演習 履修要項・レポート作成マニュアル

「柏木巻」名場面 【朱雀院の御見舞】

                        51198007 石野美幸

柏木(尊経閣文庫本) 渋谷栄一校訂

 山の帝は、めづらしき御こと平かなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、 「かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」 と、御行なひも乱れて思しけり。

 さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで、日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、 「またも見たてまつらずなりぬるにや」 と、いたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しと思して、あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて出でさせたまへり。

 かねてさる御消息もなくて、にはかにかく渡りおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。

 「世の中を顧みすまじう思ひはべりしかど、なほ惑ひ覚めがたきものは、子の道の闇になむはべりければ、行なひも懈怠して、もし後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」 と聞こえたまふ。御容貌、異にても、なまめかしうなつかしきさまに、うち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。

 例の、まづ涙落としたまふ。「患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ」 など聞こえたまふ。

 「かたはらいたき御座なれども」 とて、御帳の前に、御茵参りて入れたてまつりたまふ。宮をも、とかう人々繕ひきこえて、床のしもに下ろしたてまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、 「夜居加持僧などの心地すれど、まだ験つくばかりの行なひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」 とて、御目おし拭はせたまふ。

  1. 新日本古典文学大系22『源氏物語四』柳井滋他校注 岩波書店 1996
  2. 新潮日本古典集成『源氏物語五』石田穣二他校注 新潮社 1980
  3. 新編日本文学全集23『源氏物語4』阿部秋生他校注 小学館 1996
  4. 影印校注古典叢書14『柏木』岡野道夫校注 新典社 1980年(テキスト)

めづらしき御こと

  1. 出産。
  2. 女三宮のお産()
  3. 女三の宮の出産をさす。

あはれにゆかしう思ほすに

  1. しみじみと恋しく。娘を思う。
  2. いとしく会いたいとお思いなのに()
  3. 男子の出産の知らせを感動的に受け止める。
  4. 見(会い)たく。

御行なひも乱れて思しけり

  1. 修行の心が乱れてあれこれ悩む。
  2. お勤めも手つかずご心配になった()
  3. 女三の宮に対する心配のため仏道に精進できない。
  4. 院の仏道修行。

さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで

  1. それほどに衰弱しておられる人(女三宮)が、食をお摂りにならずに。
  2. あれほど身体の弱っておられたお方が。女三宮のこと。不例は懐妊当初の頃からだった(若菜)。 / 何も召し上がらないで()
  3. 以下、女三の宮の容態と心情を叙述。あれほどにお弱りであったお方が、何も召し上がらずに(訳)

年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、 「またも見たてまつらずなりぬるにや」

(@Aは、「年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、またも見たてまつらずなりぬるにや」)

  1. 女三宮の言。長年お会いしなかった頃よりも、父院がまことに恋しく思われなさるから。/ 先に源氏に訴えた、死ぬかもしれないという気持を父の対しても繰り返す。
  2. 今まで長年お目にかからなかった間よりも、父院がとても恋しく思われなさるのに。「たまふ」は、父院に対する敬語。宮は源氏に嫁して七年、父院との対面がなかったが、昨年暮れの御賀でお会いして、こいしさがかえってつのるという気持。/ もう二度とお目にかかれなくなってしまうのでしょうか()
  3. 昨年末の朱雀院五十の賀に、降嫁後はじめて対面した。「年ごろ」は、その対面までの七年間をいう。/ 昨年末の対面後かえって父院を恋しく思うようになった。一説には「おぼえたまふ」を朱雀院と解し、まえの「年ごろ」以下を宮の言葉とするが、とらない。/ もう二度とお目にかかれなくなってしまうのだろうか。(訳)
  4. 女三宮の心中。湖月抄「女三宮の六条院へおはしてより、終に朱雀院を見まゐらせ給はぬ其年頃のほど(私注―宮の降嫁より朱雀院五十賀までの七年間)よりも、この産後の御煩ひゆゑ、猶朱雀院を恋しくと也」とあり、さらに「又もみたてまつらず…」について、「かくご煩ひおもりゆくは、又も朱雀院を見奉らぬ身に成ぬるにやあらんとて、女三のなきたまふ也」とある。宮は死を予感していたのであろうか。

かく聞こえたまふさま

  1. 宮が、父院についてこんなふうにおっしゃっている旨を。「聞こゆ」は、お   噂申し上げるというほどの意。
  2. 「聞こえたまふ」は、女三の宮が源氏に。「かく」は、前の「またも…なりぬるにや」の内容か。一説には源氏に出家を訴えたこと。宮がこのように申しあげていらっしゃるご様子を(訳)

伝へ奏せさせたまひければ

  1. 院にお取り次ぎさせなさったので。主語は源氏。源氏に暗に院の来訪を乞う意図があったかと思わせる書きぶりである。
  2. 源氏が朱雀院に。/ 院の殿がしかるべき人を通して父の院に申しあげさせられたので(訳)
  3. この語の主語はだれか、さるべき人はおそらく女房であろうから、やはり源氏が、とみるべきか。しかし、こうしたことを朱雀院へ申し上げなくてはならないのは、源氏としては不本意だろう。

あるまじきこととは思し召しながら

@のみ「おぼしながら」

  1. 出家の身にありえないことと(朱雀院は)思いあそばしつつも。底本「おほしなから」、青表紙他本「おぼしめしなから」。
  2. 出家の身として、子への愛に引かれることの反省。
  3. 世間を捨てて出家した者が、肉親への執着から俗界に出て来る不都合さをいう。

C

夜に隠れて出でさせたまへり

  1. 『河海抄』は、『吏部王記』を引いて、延長八年(九三〇)九月二十八日申の時(午後四時前後)に、宇多法皇が、病の上皇(醍醐)を見舞って加持された例に似ているという。上皇は、翌日、出家、崩御。
  2. 人目をはばかって。「世に」ととする読み方もある。『河海抄』は、延長八年九月二十八日、宇多法皇が病臥の醍醐天皇を見舞い加持をしたとある『吏部王記』の記事を掲げる。
  3. 夜にととる。世に、とする説もあり、河海抄などでは「吏部王記」にいう宇多天皇が醍醐帝を見舞う記事を典拠としてあげている。

世の中を顧みすまじう思ひはべりしかど

  1. 朱雀院の言。世俗のことを顧みることをすまいと。
  2. (朱雀院)世俗のことを思いわずらうまいと心に決めていましたが(訳)
  3. 朱雀院のことば。

なほ惑ひ覚めがたきものは、子の道の闇になむはべりければ

  1. (現世を捨てようとしてもそれでも)やはり、迷いを捨てられない定めとは。 子を思う親心は闇にたとえる。引歌は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・雑一、藤原兼輔)。
  2. やはり煩悩を拭いきれないものは、子を思う親心の闇でございましたので。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(『後撰集』巻十五雑一、藤原兼輔)による。
  3. 「なほ」は、現世を捨てようとして捨てられぬ気持。 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一、藤原兼輔)。
  4. 河海抄以下、しばしば引かれる歌「人のおやの心はやみにあらねども子を思ふ道にまどひぬる哉」(古今集・堤中納言兼輔)をあげている。

行なひも懈怠して

  1. 修行も弛みがちで。明石入道のてがみに「念仏も懈怠するやうに益なうてなん」
  2. 勤行も怠って(訳)
  3. 「御行ひも乱れて思しけり」に照応。/ 勤行も怠りがちで(訳)
  4. 仏道の修行も懈怠(なまけ怠ること)して

もし後れ先立つ道の道理のままならで別れなば

  1. 逆縁。
  2. もしも親子の順が逆になって(宮に)先立たれでもしたら。「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(『古今六帖』一、雫。『和漢朗詠集』下、無常。遍昭)
  3. 道理に反して、子である女三の宮が、親の院よりも先に死ぬことになったら、の意。
  4. 紫明抄「すゑのつゆもとのしづくや世中のをくれさきだつためしなるらん」をあげている。親が先に、子が後に死ぬという道理。←…道理まで

この恨みもやかたみに残らむと

  1. 会わずに死別する悔しさが双方に残ること。
  2. そのまま、会うこともなく死別した怨念がお互いにあとまで残ろうかと、情けなく思われますので。父娘ともども、成道の妨げになろうか、という。
  3. 朱雀院も女三の宮も、会わずに死別したことは恨み、その妄執は永劫に残ろう、とする。
  4. そのまま。/ 「互に(副詞)」と「形見(名詞)+に」と二つあるが、ここは後者。

→Cの解釈が、「形見」となっているが「互いに」ととった方が私は、妥当だと思うので、そちらを採用する。

御容貌、異にても

Cのみ「ことにて」

  1. お姿は出家であるにしても。
  2. ご僧形にはなられても。
  3. 僧形ながらも、人間らしい優しさと昔ながらの懐かしさがある。
  4. 諸本「ことにても」。底本は、御に同じ。保―ナシ。「異にて」は他と比較してのことばではない。

うるはしき御法服ならず、墨染の御姿

  1. 正式の(僧位による)ご僧衣ではなく、黒染の衣をまとわれたお姿が。
  2. 法皇らしからぬ服装で、一般の僧侶と等しく黒染の衣をまとっている。
  3. 玉の小櫛に「すべてうるはしいといふ言は、古書にては、美麗の意なれども、物語などにいへるは、たゞ美麗の意にはあらで、俗言に、きつとしてかたいという意、みだれず正しき意にいへり」とある。従うべきか。/ 「黒染の御姿」、この語の文中の位置不明。「あらまおしう…」の主語。「見たてまつり給ふ」の目的語。あるいは「御法服ならず、すみ染のすがたなり」ともとれる。

うらやましく見たてまつりたまふ

  1. ご出家を。
  2. 源氏にも出家の素志があるからである。
  3. 源氏は以前から出家を望んでいるので。

「患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。…」

@のみ「なやみ」

  1. 源氏の言。(女三宮の)ご容態は、何か特別の病気でもございませぬ。「なやみ」、青表紙他本「御なやみ」。
  2. (源氏の発言)宮のご病状は、格別どうというお具合でもございません。
  3. 出産に原因する病気以外の何ものでもない。病悩の真相に触れまいとする言辞。
  4. 河内本は「さま」、「さまことなる御なやみ…」と読んだものか。

「…はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ」

Cのみ「…物し給」

  1. 召し上がらぬことが積もる結果か。
  2. きちんとお食事なども召し上がらぬことが続いたせいか、こんなにもお弱りになったのです。(訳)
  3. 召し上がり物もはかばかしくおとりにならないことが続いたためでしょうか、このようなご様子におなりなのです。(訳)
  4. 諸本「物したまふにこそなと」。

「かたはらいたき御座なれども」 とて、御帳の前に、御茵参りて入れたてまつりたまふ

  1. (源氏は)「心苦しいお席であるが」と言って、み帳台の前方にご座所をさしあげて。
  2. はなはだ恐縮するご座所ですが。病床近く請じ入れるのを恐縮する挨拶。 み帳台。女三の宮の病床。/ お座布団を敷いて…。(訳)
  3. 以下、急の来訪に恐縮した源氏の丁重な態度。/ 女三の宮と対面させるべく、その御帳の前に招じ入れる。
  4. 源氏が朱雀院に。/ 源氏のことば。「かたはらいたし」は玉の小櫛に「傍痛にて、かたはらより見聞きて、痛く思ふ意也云々」とある如く、傍で見ていてはらはらする意。/ 褥(しとね)」座に敷くもの。座ぶとん。/ 主語は源氏であるが、「まいらせて」となっていない点に注意したい。

床のしもに下ろしたてまつる

  1. 帳台の台座。(若菜下「床の下に抱きおろしたてまつる」)
  2. 帳台の浜床。
  3. 御帳台から板敷の上におろす。
  4. 「家の内に、一段小高く構へて、人の座席又は寝床となす所。特に御台の中に設けたるにいふ。浜床」辞典(北山)とある。今でいうベッドにあたる。

「夜居加持僧などの心地すれど…」

@Aは「よひの加持の僧」、C「よゐの僧」

  1. 朱雀院の言。夜通し加持をする僧のような感じがするものの(訳) / 病人に近く座るのでそのように言う。定家本など「よゐかちそう」。
  2. 夜どおし、貴人のお側にはべって、加持祈祷する僧。病床に近づいた僧形の自分を、こういう。
  3. 夜通し加持祈祷する僧侶。黒衣をまとって病人の寝床に接近する自分をいう。
  4. 定家本「よゐかちそう」。諸本「よゐのかちのそう」。「の」の有無には多少の相異あり、もと「夜居加持僧」と漢字であったものか。底本と宵・麦・阿は「かち」がなく「よゐの僧」。夜、貴人の寝所に侍して加持祈祷を行う僧侶。

「…まだ験つくばかりの行なひにもあらねば…」

  1. 仏の加護ということの徴がつく。
  2. 法力が身につくほどの修行も積んでいないから(訳)
  3. まだ功徳も積まず験力もないとする。

「…ただおぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」  

  1. (あなたが)会いたいと思えてならずにいらっしゃるらしい(私の)様子を、そっくりご覧になるがよい。前の「又も見奉らずなりぬるにや」に対する答え。
  2. 会いたいとお思いであろう私の姿を、ありのままとくとご覧になるがよい(訳)。
  3. あなたが会いたがっている私の姿を、じっとごらんになるがよい。僧侶ではなく、一個の父親としての発言。
  4. 諸本「おぼえ給らむさま」。横山本「…給らむさま」「ら」をミセケチして「は」を傍書する。「おぼつかなくおぼえ給はむさま」は、「さま(朱雀院の御姿)が、女三宮に付されたものと考えられる。/ そっくりそのまま。/ 湖月抄「女三のおぼつかなく思ひ給ひし我姿を見給へと、院ののたまふ御詞なり」。

★現代語訳★

出典:柏木(尊経閣文庫本) 渋谷栄一訳 

 山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして、しみじみとお会いになりたくお思いになるが、 「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」 と、御勤行も乱れて御心配あそばすのであった。

 あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで、何日もお過ごしになったので、まことに頼りなくおなりになって、幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しく思われなさるので、 「再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」 と、ひどくお泣きになる。このように申し上げなさるご様子、しかるべき人からお伝え申し上げさせなさったので、とても我慢できず悲しくお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。

 前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院、驚いて恐縮申し上げなさる。

 「世俗の事を顧みすまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でございましたが、勤行も懈怠して、もしも親子の順が逆になって先立たれるようなことになったら、そのまま会わずに終わった怨みがお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」 とお申し上げになる。御姿、僧形であるが、優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿で、申し分なく素晴らしいのにつけても、羨ましく拝見なさる。

 例によって、まっさきに涙がこぼれなさる。 「患っていらっしゃるご様子、特別どうというご病気ではありません。ただここ数月お弱りになったご様子で、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいか、このようなことでいらっしゃるのです」 などと申し上げなさる。

 「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」 と言って、御帳台の前に、御褥を差し上げてお入れ申し上げなさる。宮を、あれこれと女房たちが身なりをお整い申して、浜床の下方にお下ろし申し上げる。御几帳を少し押し除けさせなさって、 「夜居の加持僧などのような気がするが、まだ効験が現れるほどの修業もしていないので、恥ずかしいけれど、ただお会いしたく思っていらっしゃるわたしの姿を、そのままとくと御覧になるがよい」 とおっしゃって、お目をお拭いあそばす。

上の訳を一部改定した私の訳  参考:注釈

 山の帝(朱雀院)は、女三宮の初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばされて、しみじみと恋しくお会いになりたくお思いになるが、 「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」 と、仏道の修行も怠りがちに御心配あそばすのであった。

 あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで、何日もお過ごしになったので、まことに頼りなくおなりになって、幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しく思われなさるので、 「再びお目にかかれないで終わってしまうのでしょうか」 と、ひどくお泣きになる。宮がこのように申し上げなさるご様子を(源氏が)しかるべき人を通して、父院にお伝え申し上げさせなさったので、父院は、とても我慢できず悲しくお思いになって、出家の身としては、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。

 前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院(源氏)は、驚いて恐縮申し上げなさる。

 「世俗の事は顧みすまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でございましたが、勤行も怠りがちで、もしも親子の順が道理に反して、逆になって先立たれるようなことになったら、そのまま会わずに終わった怨みが、後までお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」 と父院は、お申し上げになさる。御姿、僧形であるが、優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿で、申し分なく素晴らしいのも、(源氏は出家を望んでいるので)羨ましく拝見なさる。

 例のことながら、まず涙がこぼれなさる。 「患っていらっしゃるご様子、特別どうというご病気ではありません。ただここ数月お弱りになったご様子のところに、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいでしょうか、このような様子でいらっしゃるのです」 などと申し上げなさる。

 (源氏は)「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」 と言って、御帳台の前に、御褥を差し上げてお入れ申し上げなさる。宮をも、あれこれと女房たちが身なりをお整い申して、浜床の下方にお下ろし申し上げる。父院は、御几帳を少し押しのけさせなさって、 「夜居の加持僧などのような感じがするが、まだ験力が現れるほどの修業もしていないので、きまりが悪いけれど、ただあなた(女三の宮)がお会いしたく思っていらっしゃるわたしの姿を、そのままとくと御覧になるがよい」 とおっしゃって、お目をお拭いあそばす。

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