2003阿蘇カルデラスーパーマラソン完走記
横田哲史


 6月の朝はさすがに早い。熊本・阿蘇とはいえ、すでに空はすっかり明け、暁光に包まれるという雰囲気ではない。天気予報によれば今日の天気は晴れ、かなり暑くなりそうだ。頼みは走力こそ未熟だが、暑さには強い体質ということか。しかし、1時間程度の睡眠時間で持つかどうか。萩往還の時とは違い、スタートラインのワタシは比較的落ち着いていたように思う。

 マイウォッチでちょうど5時1分、スタートラインを通過、しばらく田中行広さんと併走する。5分30〜40秒/kmで行く予定の田中さんの背中に激励の言葉を投げかけ、すぐに単独行。こちらは6分/kmで行けるところまで行くだけだ。

 今回の作戦について。阿蘇は、前半は21.9kmから24.4kmまでの間2.5kmで400m上るとんでもない上り以外は、比較的上りが少ない。特に、コース最高点の40kmから62kmのエイドまでは下りが続き、木陰も多いと聞く。この62kmまで、急上りの2.5kmを除き、どこまで6分/kmで行けるかが勝負である。

 序盤の21.9kmは、緩やかな下りと上り、まず下りでペースを作っていく。1km過ぎ、川口さんをかわし、やがて田中和美さん、渕上さんをかわす。
 川口さんは、第1回大会以来今回で連続14回連続出場の鉄人であると同時に、ワタシや田中さんにとっての偉大なる師匠でもあるが、今回は右足の故障が癒えぬままの出場、どこまで走るのだろう。
 和美さんはウエストポーチの後ろのところに、萩往還のネームプレート(蛍光板)をつけている。阿蘇カルデラのゼッケンにも名前は記入されているが、少々小さくて読みにくい。そこへいくと、萩のネームプレートは、字も大きい上に「萩」というブランドでよく目立つ。いい工夫だと褒めていると、渕上さんは、やはり腰の後ろに大村湾のプレートを、Tシャツの下に付けていた。こちらは名前こそ入っていないが、オレンジ色でより一層目立つ。しかも、Tシャツの下というのがにくい。少しの照れ、恥じらいを感じさせるわけだ。思わず大笑い。
 やがて渕上さんには抜き返されたが、和美さんとは5kmほどのところ、道はずれでトイレをしているときに抜かれ、また抜き返すときに再会した。この娘は柄が大きくて目立つうえに笑顔が最高に明るくて、印象が際だっている。いわゆる華のある娘だね。ウルトラマラソンの世界ですぐに人気者になるだろう。

 10kmの手前の頃だったか、山口の新江田さんに、「もう何回も出てられてるんですか」と声を掛けられた。これをきっかけにしばし併走、お互いのキャリアなどで会話が弾む。新江田さんは、ウルトラ初挑戦ながら、フルマラソンは20回以上という実力者、何が何でも完走すると気合いが入っている。山口からの参加だが、萩往還はボランティア(確か千畳敷あたり)のみで未参加とのこと。来年萩で再会できたらおもしろい。
 新江田さんと併走してしばらくしてから異変が起きた。スタート前にトイレ(大)に行ったにもかかわらず、下腹に差し込みが入る。う〜ん、良くない兆候だ。これは下っている。こういう時は躊躇してはならない。久木野村役場だったか、ちょうどいいタイミングでトイレ有り。さっそく駆け込み所期の目的を果たす。予想したとおりの結果を冷静に見つめつつ、やや先行きに不安を感じる。まあ、出したいものを出せたし、あまり神経質になっても仕方ないと割り切り、3分ほどの停滞で再びレースに復帰する。

 国道325号線を左折し、いよいよ急上りに入る。7時11分、正確な距離は分からないが、確実に予定を上回るペースである。急上りは歩いてしまえばいいわけだから、無理にペースをとる必要もない。はっきりと好調を意識した。
 上りだして直後、山王走友会という幟を持った人がランナーに、「みなさんの選択は正しい。ここは歩きが正解です」と呼びかけていた。足元にも、「ここは歩き 走ればあとが地獄」というような意味の看板?も置いてある。ほとんど周りのランナーもウォークに切り替えていたが、これを聞いてワタシも思わずにっこり。30分弱、のんびりと上って行こう。

 上りきって7時36分、トップには和太鼓の演奏サービスがあって、嬉しさのあまり帽子を脱いでお礼の意を込める。さあ、と気持ちを切り替え下り出す。8時10分、29.5kmの第1関門通過(関門時間8時45分)、9時17分、39.0kmの第2関門通過(関門時間10時10分)。40kmのコース最高点までは、下って上って下って上ることになっているが、全体として下りの印象を感じる。もともと上りを苦にしないせいもあるが、木陰の多い山道、体調の良さも手伝っているのだろう。
 この辺り、渕上さん、江口さん、古屋さん、松原さん、佐藤先生等実力者達を次々とかわす(順不同)。けっこう気温も上がってきており、みなさんかなり苦戦している。「今日は調子いいねえ」などと声を掛けられ、気分は最高潮である。ところが、川口師匠からは下りのところでかわされた。すでに30km過ぎ、本人は10kmも持てばと言っていただけに、その奮闘振りにあらためて頭が下がった。しかし、こちらの得意の上りで抜き返す。後で聞いたら、フルマラソンの距離まで走ってリタイアしたそうだ。ナイスランですねえ。

 コース最高点を過ぎ、フルマラソンの距離表示を通過後にエイド。ここから約20kmは下りとなる。ひとまずの上々の走りに、いったんシューズ、ソックスを脱ぎ、足にたっぷりバンテリンを塗り込む。ついでにロングタイツをたくし上げ、膝周辺、脹ら脛にも。40km経過し、今現在の最大の懸案である足裏の痛みがぼちぼち始まっている。足裏の痛みはどちらかというと上りより下りに来る。この20kmの下りが勝負所だから、当然のケアである。しかし、さすがにゆっくりしすぎた。松原さん、江口さんに先行される。江口さんからは、「横田さん、ゆっくりするのは50kmのエイド(レストステーション)ばい!」と一声。そうだ、62kmまでは気を抜かないで走るんだ!

 少し前を江口さん、そのまた少し前を松原さん。この二人の背中をペースメーカに、順調に下っていく。江口さんを捉えたのは50kmのレストステーションの手前だったか。2.5kmおきのエイドで江口さんが給水しているときにかわした。エイドでの休憩を、本当に最短時間で通過できている。
 50kmの中間点計測ポイント、「ここで半分ね」などとボランティアの人に掛ける声も、我ながら軽い。
 10時35分、50.8kmレストステーション着。かなり暑くなってきているが、気合いが高まっているのが自分でも分かる。ここには、柳さんがなぜか一人でいた。やはり出てくる言葉は、「調子良さそうですね」。もっと大勢から言われたくって知り合いを捜したが、誰もいなかった(笑)。
 5分の休憩で、10時40分出発。当初予定ではここは10時30分出発だが、予定では休憩時間を無視していること、40kmエイドとこのレストステーションでの休憩を考慮すれば、計画どおりと評価していいだろう。毎回毎回絵に描いた餅に終わるワタシの計画だが、今回は初めて実を結びそうだ。

 50kmレストステーションからは、下りが主といっても上りもかなり交じってくる。まさに勝負所だ。レストステーションを出て少し行ったところのエイドにスイカがあった。この陽気、スイカがほんとに心身に滲みる。
 このエイドの頃だったか、足、脚に冷水をかけてみる。気持ちいいんだ、これが。特に火照った足裏に効く。エイドに水が潤沢にある大会故の贅沢三昧である。
 62kmエイド手前、再び松原さんをかわす。これだけ実績のある人とここまで併走できている。正直、自信がつくという以外、言葉が見つからない。抜きがけに松原さんからも、「実力がついたねえ」と言われ、思わずグッと来る。
 ついに62kmエイド、11時56分着。レストステーションから11kmあまりでさすがに6分ほどペースダウンしてしまったが、なんとか7時間を切ることが出来た。もちろん先はまだまだ長いが、時間内完走に向けて十分すぎるほどの手応えを感じている。このエイドでは約7分休憩。いちおうご褒美の意味を込めているが、大半は側溝を流れる冷水に足をつけていることに充てた。肉体的な消耗より、足裏の痛みの方がはるかに重大事である。

 しかし、ここまでの会心のレース展開に、気持ちが満足してしまったことは否めない。自己弁護的に言えば多少は無理もないが、こういうところにとことん拘ることがウルトラマラソンにおいては絶対必要な要素だと思う。

 残り38kmあまり。ここからのコースは、約10km上った後、レベルから下り、さらに5kmほど上ってまたレベル、4kmの逆さ落としの急坂(象ヶ鼻)を経て、8km行ってゴールとなる。2回目の上りが、疲れた身体には特に堪えるらしい。

 始まった上りの前に、早くもウォークが入るようになる。気持ちを繋ごうとするんだが、疲れがいよいよ出てきたところに、この辺りから気温もぐんぐん上昇しおまけに木陰がない。それに加え痛み(足裏)、さらには眠気が邪魔をする。特に眠気にはまいった。大村湾一周や萩往還といった超ウルトラではないのにこの眠気。やはり前日(というより当日)に1時間程度しか眠っていないのでは仕方ない。

 今回の「阿蘇スーパーカルデラ」は、けっこう綱渡り的な参加である。前日の金曜日、仕事の関係でぎりぎりまで和歌山を離れられず、関空発福岡行きの最終で福岡空港に着いたのが22時前。同じく出張中の東京から空路福岡入りした田中さんとここで落ち合い、熊本行きの高速バスに乗って菊水インターに23時32分に着き、出迎えてくれた川口さんの車で阿蘇入りしたのは実に深夜の1時過ぎだった。準備のため3時前には起き出していたから、睡眠時間は多めに見積もっても1時間半ということになる。しかも車中眠。疲れがとれているわけがない。ワタシは相変わらず寝付きがよく比較的眠りも深かったが、申し訳ないことに鼾を掻いてしまったらしい。川口さん、田中さんにはこの場を借りてお詫びしたい。

 12時22分、64.4kmの第4関門通過(関門時間13時35分)、ここから先の上りが、実にいやらしい。7分/kmで何とか走ろうとするが、とうてい無理な状態となる。つい3kmほど前までは、足裏の痛みはともかく肉体的な消耗はさほど感じていなかったのだが、このあたりから気力が目に見えて後退していく。

 この辺りだったと思うがあまり自信がない。50km部門のランナーに抜かれ際、「横田さんだよね?」と聞かれた。原田さんだった。やはり、「調子いいね」と言っていただける。ほんとに今日は楽しい日だ。江口さんが後ろで苦戦中、その後ろに和美さんが走っていると聞く。渕上さんはだいぶ腰の具合が悪いそうだ。そう言えばかわすときに、「ちょっとやばくなってきた」と言っていたような。あれは腰の具合を言っていたのか。

 72.5kmの第5関門(関門時間14時40分)を、13時24分に通過した直後くらいだったか、例の山王走友会の人が上りの途中にいた。今回は、「ここからが正念場」といった内容の看板がある。なんと、参加者名簿を見て、「和歌山の横田さん、がんばって」と声を掛けてくれるではないか。やはり名前を呼ばれて励まされるっていうのはいいね。正念場という言葉に、「ここを歩いているようでは、時間内完走は難しいですか」と問うと、「いや、この時間なら十分間に合うでしょう」と、こちらが一番欲しかった答えを返してくれた。
 今回のレースの中で、ある意味いちばん感動的だった瞬間を聞かれたら、この時と答えるかも知れない。自分の中では自らを鼓舞するために発していた言葉を、冷静 − かどうかは分からないが − な第三者から言われれば、これほど力付けられることも無かろう。
 この上りの残りの距離を尋ねると、1km程度との答え。重ね重ねありがたい答をいただける。しかし、その後の、最後の上りについては、「行ってからのお楽しみ」と躬された。

 現金なもので、少し元気がよみがえる。ほぼ上り終わった頃、やまなみハイウェイを横断する。信号のないところ、警察の方が交通整理をしてくれている。ワタシの直前に集団があり、ワタシまでの間に少々距離があった。すでに両車線に車が何台も止まっていたのでてっきり横断を待たされるかと思ったら、渡りなさいとの指示。思わずスピードが上がる。
 どんな理由で走れるようになるのか、というより、どういう理由をもって走ることを止め歩き出してしまうのか。一言で言えば気持ちなんだろう。その直前、非常に嬉しい形で励まされ元気が出た。好きで走っているランナーのために、待っていてくれる(待たされている)ドライバーが大勢いた。そういうことの積み重ねが走る力になる。逆に言えば、走ることを止めさせようとする邪悪な(!)力をどう抑えていくか。歩く言い訳、あるいはリタイアする言い訳は山ほどある。課題だな。
 やまなみハイウェイを横断するとき、帽子を取って両車線に深く頭を下げた。自分で言うのも何だが、大事なことだと思っている。

 少し思考能力が落ちてきたのかも知れない。みの仙人様の私設エイドは78km付近と聞いていたのに、やまなみハイウェイを越え待望の下りが始まった頃から倉庫を見ると期待してしまった。まだもう5kmはある地点である。

 下りが終わり、最後の上りが始まったのが14時20分頃、その直後、柳さんらしき後ろ姿が見えたと思ったら、野口さんの顔が見えた。ついにみの仙人様の私設エイドである。
 やれやれ、ようやくここまで来れた。さっそくよく冷えたビールをいただく。これが実に美味い。腹も減っていたので焼き肉もごちそうになる。ビールや肉もありがたいが、なにより知ったみなさんと愉快に語り合い、励まされることがうれしい。落ち気味だった元気が一瞬にして回復する。なんと、「九州一周1000km走り旅」真っ最中のよっしーこと野上さんの顔も見える。1ヶ月の間、できればどこかで激励したいと思っていたら、なんと激励される側になってしまった。ありがたいことである。
 柳さんから、「この時間なら、1時間ここにいても大丈夫ですよ」と言われる。あまりの嬉しさに、「でも、ここで酔いちくれて時間外になったら大笑いだよね」と切り返すと、「ここでビール飲んで完走できなかった人はいませんよ」だって。
 みの仙人様に写真を撮っていただき、ビールのお代わりを飲んだりして、結局10分近く居座ってしまっただろうか。何人もランナーが通り過ぎたが、ここで山口の河野さんと再会する。萩往還で、ライトが切れて途方に暮れていたとき併走していただいた方。写真を送ると、返事のメールに阿蘇には参加予定とあったので楽しみにしていたのだが、これまで会えずじまいだった。今回は、ウルトラ未経験の友人、原田さんのつき合いで50km部門にしたとのこと。会えなかったのも無理はない。
 さて、これ以上いるとほんとに1時間いそうになるので、河野さんたちが通過したのに併せ、14時30分過ぎ、山盛りに元気をもらって走り始めた。

 しばらくは上りにもかかわらず、しっかりと走る。河野さん達に追いつき、その後は一時併走、一緒に写真を撮ったりする。この辺りから、いかにも阿蘇といった景色が広がり始める。さすがに上りもぼちぼち終わりかかっているのだろう。写真を撮るにはちょうどいいロケーションである。
 原田さんは、ウルトラどころかフルマラソンも未経験で、先日の萩往還の35kmが最長距離だそうだ。見たところまだ若いし、これから十分強くなるだろう。

 ところで、ビールを飲んで元気が回復したのも束の間、副作用がやってきた。まずは、トイレ。やはり350ml缶2本近くは飲み過ぎか。続いてもっとも避けなければならなかったもの、眠気がやってきた。ビール飲んじゃ、仕方ないわな。
 トイレに行っている間に河野さん達から置いていかれ、単独行。しかも、田中さんから言われていた象が鼻の急坂前の単調な一本道、上りトップに近づいているはずなのに、景色は野中の一本道である。ここがたまらなく眠かった。もうウォークで、半分寝ながら歩いている感覚、よほど道端で横になろうと思った。もし手頃なスペースがあったら、間違いなくそうしていたと思う。
 15時20分、84.0kmの第6関門通過(関門時間16時10分)。残り16km、制限時間(18時30分)まで3時間10分。時間内完走はほぼ間違いないが、第5関門では最大1時間16分あった関門時間までの余裕が、あっという間に50分にまで縮まっている。いちばんきつかった時間帯と言っていい。

 やがてついに象が鼻の下りが始まる。4kmで300m以上一気に下る。この直前、例の山王走友会の人が、「鳥になる」という看板を持って応援してくれていた。いちいち応援文句を考えながら、車でポイントを移動する。好きでなきゃできない芸当だよね。でも、一回はやってみたい気がする。
 象が鼻の下り、確かに鳥になった。何しろ景色に圧倒される。これからゴールするであろう下界がはるか300m下方に見え、そこに向かって一気に坂落とすわけだ。疲れ切った脚の筋肉だけでなく、限界点に近づいた足裏の痛みにとって、これだけの坂を下ることは拷問に近いが、それでも6分/km以上のペースで半分ベソをかきながら一気に下る。
 90kmのエイドにて。あと10kmしか走れない、100km走って来ると名残惜しいなどとボランティアの人に話しかけると、若い男女は10kmしかとはとても信じられないと口を揃えた。なあに、君たちだって走り出せば1ヶ月もしないうちに、たった10kmと自然に言うようになる。和歌山にもそんな人間が何人もいるんだから。

 象が鼻を下り終わり、大きめの道路を右折、しばらく行くと92.0kmの最後の第7関門である。16時29分通過(関門時間17時20分)、あとは残り8kmを2時間かけて歩き通せばいい。大人がゆっくり歩けば時速4km、それで2時間だけ歩けば、念願の完走証が手に入るわけだ。さすがにほっとする。
 ところがこの8km、実に退屈な8kmだった。田圃の中の一本道を3回ほど直角に曲がっていくんだが、景色は単調だし、暑いし、眠いし、初完走の感傷に浸るとはほど遠い8kmとなった。最後なんだから、かっこよく走りとおりしてと思い走り出すが、5分くらいしか保たない。走っているときあんまり必死なもんだから、かわしたランナーから、「制限時間は18時30分ですよね?」と尋ねられる始末。有終の美は、次回以降の宿題となる。

 97.5kmの最後のエイドを過ぎ、距離表示も500m単位となる。残り1kmになったらいよいよ最後まで走りとおそうと気合いを入れていると、ゴールの阿蘇町総合センター前の大通り(国道?)に出た。直後に残り1.5kmの表示、少し早いがラストスパートである。警官が3つ先の信号を右折と言ったので、とにかく信号を頼りに走るんだが、この3つ目の信号が、ほんとうに来ない。ちょっと頭に来た。
 
 3つ目の信号を右折し、いよいよ阿蘇町総合センターが見えてくる。ついに、ついに辿り着いた。いつの大会もそうだが、終わってしまえば短いものだ。ゴールの手前右サイドに野口さん、柳さん達の姿が見えた。川口さん、田中さんの姿はない。えっ、初完走を拍手で出迎えてくれるんじゃないの、なあんてことを思いながら、両手を上げてゴール。17時37分、12時間37分のタイムは、この暑さと寝不足という体調を考えれば、我と我が身を褒めてやりたい。お疲れさん、よくやった。   

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