2003博多〜湯布院走り旅
千田虎峰さん

「寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす」は種田山頭火が66年前の秋、11月に由布院に遊んだときの句である。私もこの連休に憧れていた湯布院を福岡からの120キロマラソンで訪ねることができた。湯布院は小高い山々に囲まれた盆地で、峠から見下ろすと噴湯の白い煙が上がっているのが見られる温泉地だ。散策するとこの町のいたるところに熱い湯が噴出しているのが分り、町民の生活の切り離せないものになっている。そして、町民の皆が外来者を客としてもてなす気持ちが良く分る。地図片手に歩き、尋ねてみると本当に親切に心からのもてなしが伝わってくる。(実際街中は分りにくいので散策地図がどこにでも置いてある。)
その湯の町を優しく見下ろすように由布岳が聳えている。昨晩の冷え込みで頂上付近はうっすらと初冠雪が朝日に輝がやいている姿を宿の露天風呂から眺められた。昨日の夕方は水分峠の登りに真正面に豊後富士の名にし負う優美な姿を夕日を受けて見せてくれた。双耳峯と別名があるコニーデ火山だが万葉集にも歌われた名山で、今回は悪天候のため2時間程の登山をあきらめた。
未通女がはなりの髪を木綿の山 雲なたなびき家のあたり見む万葉集読み人知らず)
湯布院は町村合併までは由布といい、古くからある学校名や通りには由布院が残っている。
未通女ををとめとかなが振ってあったが理由はわからない。万葉時代はおおらかだったと聞くが。
早朝の露天風呂では、村田氏から由布岳や雲仙普賢岳の登山や走友の活動の話を聞くが長湯が気にならないほどの単純炭酸の名湯だ。
 
湯布院への走り旅は九州の走友、松崎氏からのメールで始まった。メールで彼が暖めていた用意周到な企画を知り、矢も盾もたまらず申し込んだ。福岡を夜9時にスタート、大宰府・甘木・日田・天瀬・玖珠・九重の町と山越えのある主に国道をたどるコースだ。夜間走行は3,4人のグループが固まって走り、前半は私は吉田()、吉田()、稲畑さん達に引っ張られ吉田氏の案内で筑後川を遡った。甘木の豊富な果樹園、庶民的な原鶴温泉など興味ある案内は眠気を追っぱらってくれた。夜が明けてからの後半は1人旅が続いたが、玖珠で佐藤さんに追いつかれて23キロの坂道を引っ張っていただき、ちょっとしたトラブルがあったが湯布院へゴールできた。国道は何度も下見した松崎氏もびっくりの大型トラックの量とスピードで、水分トンネルをはじめ歩道の無い危険個所もいくつかあった。明るい内に峠を越えられたが暗くなって越えてきたグループは大変な目にあわれたと想像する。天瀬では開店草々の喫茶店英国屋でモーニングをとりおいしいコーヒーを口にして休憩、玖珠では山田うどんの山かけうどんで精をつけた積もりだ。どちらも朝の仕入れ時に我々を見て歩くでもなく走っているようでもないので、どういう団体かと不思議に思っていたと言う。
玖珠を過ぎ出発前の松崎氏指摘のリタイア決断個所をいくつか通り過ぎ、決断を迷っている時に追いついてきた佐藤氏にはっぱをかけられリタイアをあきらめる。長い坂をとぼとぼと見え隠れする姿を追い、トラックを気にしながら九重の山道を登った。主峰由布岳が真正面に見えたときは疲れが吹き飛ぶようだった。佐藤氏と制限時間を気にして「秒読みだなー」と峠を下って湯布院の町を目指していたが5時の時報が鳴っていた。  
                                                
翌日は電動自転車を借りて街中を走り回った。観光客の多くなる前に金鱗湖畔の天井桟敷で窓からの紅葉を楽しんで朝のコーヒーを飲み、夢想園まで走らせて代表的という露天風呂も味わうがこの程度の風呂ならホテルや旅館に多数あるようなスケールの大きな温泉町だ。                                              完