フルマラソン初挑戦             永田勝哉
今まで運動などしたことが無い
私だったが、この歳にしてひとつ
打ち込むことが、出来たことが
何よりもうれしい。二人の息子達
の為にもいつまでも元気に走ります。


「マラソン!4時間位で走れるっちゃないと!」この一言から始まった。
2001年正月、マラソンの経験がある父及び義兄の前で、今まで運動などやった事がない私が軽い気持ちで言ってしまった。
二人から無理と言われそれならという事で2002年の菜の花マラソンに挑戦する事を決め目標を4時間台とした。それから1年間自分なりに練習に取り組んだ。
片っ端からランニング雑誌を読みあさり、ああでもない、こうでもないと自分に問い掛け練習に明け暮れる。
真夏に走り込めの特集を信じへたり込むまで、走ったりもした。2002年1月12日鹿児島へ向け出発。
夕方指宿に着き、コースの下見をする。開聞岳と菜の花が夕陽に照れされて美しかった。指宿の街に入ると、明日に備え多数のランナーが走っていた。みんな速そうでベテランランナーに見え、にわか仕立ての自分が完走出来るのだろうかと少々不安になる。1月13日7:30競技場に着く。
スタートまで時間があるが緊張のせいか何をしていいのか分からない。8:30早めにスタート地点に着く。

前半は快調な走りだったが…


1年間のいろんな思いが頭をよぎる。9:00いよいよスタート。人のペースに惑わされないようにペースに気をつけ走り始める。5キロ地点時計を見ると27分、予定通りのペースだ。目標は4時間台としていたが、自分の中では4時間を切る目標を立てていた。10キロ地点55分池田湖に差し掛かった時、私の名前を呼ぶ声がした。会社の同僚がわざわざ応援に来てくれたのだ。20キロ地点1時間50分、30キロ地点2時間46分と計ったようなペースだ。この先からが問題で30キロまでは練習で走ったがそれ以上は未知の世界だ。足も疲れてきたがまだ先は長い。35キロを過ぎると長い上り坂が続き疲労もピークに達してきた。足が上がらなくなりとうとう止まってしまった。すぐ又走り始めたが頭がボーっとして、もうどうでもいいという気持ちになる。「12...12...」と声を出し気合を入れる。40キロ地点3時間46分、この10キロで60分もかかった。これ以上ペースダウンすると4時間は切れない。止まる事も歩く事もだめだ。「12...12...」そしてやっとゴールにたどり着く。3時間57分10秒。「ヤッター!」ゴールした感動よりも、もう走らなくていい喜びの方が大きかったのが正直な気持ちだ。しかし数日経つと来年も又挑戦する気持ちに変わっている自分にあきれている。42歳永田勝哉、これでランニングの世界にはまったみたいです。

義兄も無事にフィニッシュ
来年も指宿に来ることを誓いました。


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