博多〜湯布院120キロ走り旅   2002.11.01(金)〜03(日)

今回参加者(15名)
峯 厚、 峯啓子、 諸岡俊弘、 友野正行、 佐藤賢一、 村田博信、 宮崎信也 、吉田妙子、 田中行広、
柳真矢 、吉田健治、 千田虎峰、 川元常行、 稲畑安男、 松崎英二


11月1日博多駅筑紫口に20時過ぎ頃から15名のランナーが集まった。遠くは名古屋の千田さんも参加。皆さんリュックにタイツ姿でやる気まんまん。今から始まる湯布院までの走り旅を楽しもうと笑顔で一杯。金曜日の夜とゆうことで会社帰りの人達には不思議に見えたかも?



21時15分に予定より若干遅らせて寒い秋空の中を一斉にスタートした。国道をメインに走る為、博多の街を抜けるまでは交差点を数多く通るので、信号には充分に注意が必要です。



3名〜4名のグループに分かれ各々のペースで行きます。トップ集団は柳君、田中君、そして私。第2集団は吉田建ちゃん、吉田妙子さん、千田さん、友野さんで皆さんのんびりムードで走っていました。
針摺(ゆめタウン)20キロ付近では衛藤夫妻がおにぎりと温かい味噌汁のエイドで歓迎してくれました。寒い夜空に美味しかったなー。ありがとうございました。
    



ゆっくり腹ごしらえもできレッツゴー。しかし腰の調子が思わしくなく、痛くて走れない。仕方なくリュックの中の取材用の重いデジカメや充電器等を甘木35キロ付近で預けることにした。甘木には義兄の家があるので夜中1時半頃チャイムを鳴らすがなかなか出てこない。こんな真夜中に何物かと思ったらしい。仕方ないか。
ここで重いものを下ろし身軽になった。15分位ゆっくりさせてもらい再び走り出す。
寄り道をしたので、先頭は随分先へ行ってしまった。しかたなく一人旅鼻歌でも口ずさみながらマイペース。その後先頭の田中君と友野さんと再会したのは原鶴過ぎて杷木町だったと思う。先頭にいるはずの柳君は見当たらない。後で聞いた話によると甘木のバス停で仮眠のつもりがぐっすりと寝込んだらしく慌てて追いかけたのだが間に合わずその後、JRに乗り湯布院まで行ったそうだ。ごくろうさまでした。

日田を過ぎる頃からうっすらと明るくなるが冷え込みが一段と増しこの寒さが疲れた身体に相当こたえました。天ケ瀬(78キロ付近)を通過する頃、村田さんから携帯に連絡があり位置確認。
村田さんグループが最後尾らしく(日田の元町60キロ付近)20キロ近く離れたことになります。思った以上の冷え込みに皆さん苦労している様子。こちらも快調な走りをしていた田中君が体調をこわし上から下からもどしている。九重付近からは走ることが出来ずにあっという間に見えなくなった。最後まで一緒に行きたかったのに残念である。
私は水分峠のまでの果てしない登りもどうにか走ることができ、トップの友野さんをとらえそのまま一緒に14時過ぎにゴール。その後続々と皆さん湯布院入り。最後尾の村田さんグループは19時過ぎの到着で二日目の夜を体験し完走出来た事で大満足の様子でした。
完走後のビールの味は格別。完走したランナーの皆さんお疲れ様でした。
それといろいろと協力して頂いたゆふトピアのスタッフの皆様ありがとうございました。
    
※甘木でデジカメを置いてきた為に写真が少なくなってしまい後悔しています。腰が痛いくらいで情けないと反省しています。


湯布院への走り旅  名古屋 千田虎峰

「寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす」は種田山頭火が66年前の秋、11月に由布院に遊んだときの句である。私もこの連休に憧れていた湯布院を福岡からの120キロマラソンで訪ねることができた。湯布院は小高い山々に囲まれた盆地で、峠から見下ろすと噴湯の白い煙が上がっているのが見られる温泉地だ。散策するとこの町のいたるところに熱い湯が噴出しているのが分り、町民の生活の切り離せないものになっている。そして、町民の皆が外来者を客としてもてなす気持ちが良く分る。地図片手に歩き、尋ねてみると本当に親切に心からのもてなしが伝わってくる。(実際街中は分りにくいので散策地図がどこにでも置いてある。)

その湯の町を優しく見下ろすように由布岳が聳えている。昨晩の冷え込みで頂上付近はうっすらと初冠雪が朝日に輝がやいている姿を宿の露天風呂から眺められた。昨日の夕方は水分峠の登りに真正面に豊後富士の名にし負う優美な姿を夕日を受けて見せてくれた。双耳峯と別名があるコニーデ火山だが万葉集にも歌われた名山で、今回は悪天候のため2時間程の登山をあきらめた。
未通女がはなりの髪を木綿の山 雲なたなびき家のあたり見む万葉集読み人知らず)
湯布院は町村合併までは由布といい、古くからある学校名や通りには由布院が残っている。
未通女ををとめとかなが振ってあったが理由はわからない。万葉時代はおおらかだったと聞くが。
早朝の露天風呂では、村田氏から由布岳や雲仙普賢岳の登山や走友の活動の話を聞くが長湯が気にならないほどの単純炭酸の名湯だ。
 
湯布院への走り旅は九州の走友、松崎氏からのメールで始まった。メールで彼が暖めていた用意周到な企画を知り、矢も盾もたまらず申し込んだ。福岡を夜9時にスタート、大宰府・甘木・日田・天瀬・玖珠・九重の町と山越えのある主に国道をたどるコースだ。夜間走行は3,4人のグループが固まって走り、前半は私は吉田()、吉田()、稲畑さん達に引っ張られ吉田氏の案内で筑後川を遡った。甘木の豊富な果樹園、庶民的な原鶴温泉など興味ある案内は眠気を追っぱらってくれた。夜が明けてからの後半は1人旅が続いたが、玖珠で佐藤さんに追いつかれて23キロの坂道を引っ張っていただき、ちょっとしたトラブルがあったが湯布院へゴールできた。国道は何度も下見した松崎氏もびっくりの大型トラックの量とスピードで、水分トンネルをはじめ歩道の無い危険個所もいくつかあった。明るい内に峠を越えられたが暗くなって越えてきたグループは大変な目にあわれたと想像する。天瀬では開店草々の喫茶店英国屋でモーニングをとりおいしいコーヒーを口にして休憩、玖珠では山田うどんの山かけうどんで精をつけた積もりだ。どちらも朝の仕入れ時に我々を見て歩くでもなく走っているようでもないので、どういう団体かと不思議に思っていたと言う。
玖珠を過ぎ出発前の松崎氏指摘のリタイア決断個所をいくつか通り過ぎ、決断を迷っている時に追いついてきた佐藤氏にはっぱをかけられリタイアをあきらめる。長い坂をとぼとぼと見え隠れする姿を追い、トラックを気にしながら九重の山道を登った。主峰由布岳が真正面に見えたときは疲れが吹き飛ぶようだった。佐藤氏と制限時間を気にして「秒読みだなー」と峠を下って湯布院の町を目指していたが5時の時報が鳴っていた。  
翌日は電動自転車を借りて街中を走り回った。観光客の多くなる前に金鱗湖畔の天井桟敷で窓からの紅葉を楽しんで朝のコーヒーを飲み、夢想園まで走らせて代表的という露天風呂も味わうがこの程度の風呂ならホテルや旅館に多数あるようなスケールの大きな温泉町だ。
                                              完
 
 
 村田先輩からのメールの一文です。
先日は大変にお疲れ様でした。博多駅から延々と湯布院までの120kmを走り抜くとは
思いもよりませんでしたが何とか完走を果たすことが出来ました。
走り始めの10km地点で目眩(?)を生じ座り込んでしまったときは早々とここでストップかと情けなくなりましたが、暫くの休息で何とか持ち直し、それでも蛇行運転で朝倉街道までたどり着き、衛藤先生達のエイドまでたどり着いた時はここでおしまいかと弱気の虫が頭をもたげかけましたが、何とかそれを押しのけて走り始めたところ、徐々に体調も元に戻り、甘木の先で宮崎、諸岡、峯、佐藤各氏に追いつくことが出来、以降は何とか離
れずについて行くことが出来ました。それにしても豊後中村で100kmを超えたのですが、そこからの水分峠までの10kmはひたすら登りで歩きも交えながらまさに牛歩のごとくで、冷たい雨のそぼ降る中、寒さで手はかじかみお腹は減るし、大変な登りでした。それでも水分レストランに到着し、峯さんの出迎えを受け、空いたお腹にハンバーガーを押し込み、すでにとっぷりと暮れた峠道を峯さんの先導で下っていくのですが、その側を車が駆け抜けて行くときは、歩道も街灯もないことの怖さをつくづくと感じてしまいました。長い長い下りもやっと終わり、湯布院の町に入ったときはやれやれこれでゴールだと安堵感に包まれましたが、ゴール手前250mで路が判らなくなり、右往左往すると言うハプニング。嘘みたいな話ですが本当です。電話をかけても自分たちがどこにいるのか説明が出来ない。やっと、保養所の支配人に迎えに来てもらい彼の案内でやっとゴールでした。時間はすでに7時を過ぎており体は寒さと疲労でダウン寸前の状態。でも、先にゴールした皆さんが我々の到着を待っていてくれたのには申し訳なく、ありがたく、うれしくすべてがごっちゃになっていまし
た。その後お風呂に入り皆さんで乾杯したビールはまさに天上の美酒でした。
まっきょんのお世話でこんなすばらしい体験をすることが出来、感謝するばかりです。
今度反省会をやりましょう。ではさようなら。      
                               村田博信

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