萩往還250キロリタイヤ記
1999.5.2〜5.4

今年も萩往還の季節がやってきた。今回で四度目の挑戦である。一回目足の爪の剥離、二回目極度の股ズレ、三回目真夜中に側溝に足を突っ込み転倒ねんざ。いずれも177キロ、宗頭文化センターでリタイヤ。いつしか自分のゴールは宗頭になってしまった。

今回は万全の体調で望むつもりだったが、日頃ひかない風邪をひいてしまい、前日には39度の高熱でうなされ食事も喉を通らない。

これも大会へのプレッシャー? 250キロへの拒否反応? いずれにしても不安だらけで望むはめになってしまった。

その不安も事前説明会での小野さんのトークショーや大村湾のメンバーとの雑談で少しは気が紛れた。

スタート2時間前、車に戻り準備にかかる。偶然にも横の車が島根の知野見さんだった。9697年連続250キロ一位、そして昨年富山で一緒だった、立山登山マラニックでもダントツ一位など素晴らしい戦績を持ち、私にとっては雲の上の人である。

そんな知野見さんでもプレッシャーのあまり昨年はリタイヤしている。過去のレースのことや今日のレースのことなど短い時間ではあったが話すことができ、貴重な時間を過ごした。

スタート前
今から始まる2日間レースの前の余裕のポーズ?
本当は微熱もあって最悪の状態でした。

いよいよPM6:00スタート。今年から5分毎、50人ずつのウェーブスタート。私は第二ウェーブで昨年140キロ女性一位の田中さんに着いていくことにする。走る前から熱で異常に汗が出て喉が乾く。インスタントカメラを持参していたもののスタート風景を写す余裕すらない自分が情けない。田中さんについて走ったが、かなり早いペースに感じて辛かった。上郷駅14キロ地点(19:20到着)抜いたつもりの人達が先に着きゆっくりと喉を潤していた。早くもコースを間違えてしまったのだ。この先どうなることやら。

山口自転車道に入るころには暗くなり、背中の蛍ライトが鮮やかに連なっている。20キロ地点佐賀の佐藤先生と会う。好調のようだ。必死に着いて行くのだが少しずつ離れていくのがわかる。

体が熱く、頭もふらついて苦しかった。どうにかこうにか下郷駐輪場30キロまで着いていったが、ここで小休止。足の手入れをしていると佐藤先生は風の如く過ぎ去っていった。33キロ地点で後から元気なふたりがやってきた。大村湾一周一位の恵村さんとスパルタスロンを目標にしている山本さん。このお二人さんの練習は凄い。『ちょっと練習してくる』が志賀島10周の100キロだったり、夜中に門司から福岡まで帰宅ラン80キロだったりと、いとも簡単に平然とこなすところがもの凄い。その二人もあつと言う間に過ぎ去っていった。給水をうまくとりながら西寺交差点46キロ(23:15到着)ボランティアの女子高生達でエイドは賑やかだった。少しの時間休んだ後、真夜中の山道へ入る。

かなりのアップダウンで足が張ってきた。ここは何度通っても薄気味悪いし、特にゴルフ場付近はいやな場所である。前々回雨の中のレースでライトが切れて立ち往生した時のことを思い出した。豊田湖61キロ(AM1:10到着)食欲だけは自信有るのに昨年おいしく食べれたうどんとおにぎりが、喉を通らない。椅子から立ち上がると立ちくらみがするほど最悪の状態。先が辛いがかなり遅いペースで次のエイドへ急いだ。

大坊ダムのエイドの味噌汁はおいしかったがボランティアの『トップ集団は2〜3時間前にいきましたよ。』の一言には余りのペースの違いに愕然とさせられた。長い夜も少しずつ明けてきて気分的には楽になるのだが眠くて眠くてほんとに眠い。油谷湾を横目に走るころにはすっかりと日が昇りいい天気。海湧食堂88キロ(6:25到着)元気なおばちゃんと美人の娘さん4年前とひとつも変わってない。ここの朝食は最高に美味しい。おかゆを頂いていると立山マラニックで一緒になった東京の鈴木さんが入って来た。昨年より30分早く着いたそうだ。『かなり、バテマシタヨ。』の言葉には、余裕さえ感じられた。それもそのはずこの方は毎年完走され、しかもゴール時間を年々更新されてあるベテランランナーなのである。俵島を目指す途中、鈴木さんに撮影を頼まれ油谷湾をバックに一枚。なんと重いデジカメと他にコンパクトカメラをもう一台リュックに忍ばせていた。私は軽量のインスタントカメラを入れるのを迷ったくらいなのに。すっかり日が昇りかなりの暑さで水分補給に苦労した。今年変更になった俵島までの長い道のりを走り登る。盲人ランナーの伴走をしている吉田さんや、山本さん、恵村さんと久し振りに再会。笑顔で挨拶を交わす。暑さの中、地元の人でもめったに行かないと言われている俵島に到着。鮮やかな海の色素晴らしい景色。

小野さんの心憎い演出に改めて脱帽した。川尻までは大阪のグループと抜きつ抜かれつで、109キロ(10:12到着)

私達とは入れ替わりで山本さんと恵村さんコンビは笑顔で千畳敷を目指していた。おきた食堂の水道でアイシングをした後カレーを頂く。

少しばかり食欲が出てきたようだ。30分位休憩をしただろうか?なかなか重い腰が上がらない。ここでリタイヤする人もかなりの数で回収バスが幾度となく往復していた。重い腰を上げまた走り出すが足が前に進まず、しばらくは歩きを入れた。シーブリーズで食後のコーヒーを楽しんだ後千畳敷までのアップダウンに望む。辛かったが海を眺めながらのランは気持ち良く、疲れた体に潮風が心地良かった。

千畳敷127キロ(13:09到着)ここはいつ来ても風が強く吹き飛ばされそうだ。ボランティアの人達も大変みたいだ。ここで暖かいカップメンを頂いた。15分程休んだ後、あの急坂を下ったが疲れた足腰にかなりこたえた。下りきったところの民家の軒先で10分間位仮眠をとった。黄波戸付近を通過するころには、再び頭痛と悪寒で走ることが出来ずかなりのペースダウン。田中さんと励まし合いながら青海島へと向かった。仙崎のエイドに17:00頃到着。バナナを少し食べ再び出発。この頃から段々と雲行きが怪しくなってきていた。静が浦キャンプ場に向かう途中には雨も降り始め強風で気温が一段と下がっていた。

鯨墓にて

その為か悪寒が激しく震えが止まらない。熱もかなり上がってきている様だった。キャンプ場で暖をとるが体の震えは激しくなるばかりで走る状態ではなく、ここでリタイヤを決心した。無念のリタイヤだったが、このような体調でここまでこれたのが不思議なくらいだ。

また自分自身課題を残したが、大会に向けてのコンデションの持っていき方等、勉強させられるレースだった。

あんなに苦しめられた萩往還なのに、もう来年の5月を目指して走り始めている自分にあきれている。

5度目の正直となるか、2000年山口萩往還マラニック。

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