日本最長のウルトラマラソンに参加して
当時二人の娘は小学生
今では二人とも高校生です。時代を感じるなあ。
夕方6:00に一斉にスタート
 平成6年スタートは5月2日PM6:00瑠璃光寺前、スタートラインには陸上雑誌で良く見る有名なウルトラランナーばかりである。
200名近くが一斉にスタート、48時間の長いレースが始まった。
 午後7時30分くらいになると日が暮れて暗くなる。山道を走るために懐中電灯を持って走らなければならない。
背中には防寒用のウインドブレーカー、食料、けがをしたときのための携帯用の包帯、ばんそうこう・消炎剤等を入れたりリュックサックを背負って走る。
 60キロ地点の豊田湖に5月3日AM0:50到着。ここのエイドステーションで、おにぎりをぱくつく。10分休んだ後、再び走る。
それにしても真夜中のランニングはきびしい。各地から参加した年配のランナー、若いランナーが一つの集団を作っている。
時には世間話をしたり、時には相手の調子を気遣いながらと、ウルトラマラソンならではの光景が見られる。
 90キロポイントのエイドステーション、ここまで来ると夜が明けてすがすがしい気持ちになる。
しかし、足の方はだいぶ張ってきているようだ。入念に手入れをした後再び出発。ここまでは、計画通りのペースである。
一睡もしていないために、睡魔がおそってきた。どうしようもなく、道の路肩で5分間だけ寝てしまった。集団で走っていた人たちには先に行ってもらう。
    川尻岬先の段々畑 川尻岬109キロ  会社の同僚(財津氏)が応援に駆けつけてくれた
   立石観音 千畳敷129キロここは風が強い
 ここからは一人旅である。
俵山から川尻湖へとこれでもか、これでもかと登り下りの連続でとうとう左膝がパンクしてしまった。ここの地点で110キロ、先は長い。
走りと歩きをいれながら、千畳敷129キロポイントへと向かう。サポートの娘二人は心配そうに見ていた。

子供達は鯨墓で待ってはいたが...                        鯨墓目指して
PM2:00千畳敷到着。素晴らしい景色である。その景色を楽しみ暇なく青海島へ。
この時点で順位は50位前後といい位置につけていた。青海島へ向かう海岸線の潮の香りと潮風が疲れた体に気持ち良かった。
 152キロポイントは青海島の最先端、鯨墓。ここまでの道のりがとにかく長い。
アップダウンの連続で左膝ががくがく、とうとう氷で冷やす始末。どうにかこうにか松崎サポート隊に助けられながら2晩の夜道を前へと進む。

 この大会のために今年になって1000キロ以上走り込んだ。必ず時間内完走はできるはずだと自分自信確信していたんだがこのぶざまな姿。
悔しくて、悔しくて涙が出てしょうがなかった。足を引きずりながら180キロ地点の三隅町、宗頭文化センターに到着。
時間は4日夜中のAM4:00前である。ここでリタイヤを告げた。本当はゴールで娘たちからかけてもらうはずだった手作りの完走メダルをここでかけてもらい、
苦しくも楽しかった3日間レースが終わった。ちなみに完走率は20%で30数名だったそうだ。

 大会から3週間が過ぎからだの疲れがとれ調子が戻ってきた。もう二度とあんなコースはいやだっと思っていたのに、足の爪が一枚、二枚とはがれ落ちるのを見つつ、
来年の5月はどんな走り方で250キロ完走できるかを考えている今日この頃である。

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