新春特別企画 吉原史朗邸を探る!
(早稲田大学ワンダーサイクリング同好会第27代企画担当)
復活しました。“自宅拝見”シリーズ。ボクがワンダー現役の頃、機関誌『銀輪』上にひとり暮らしの方々の部屋を訪れ、その荒んだ生活実態を赤裸々に暴露するという人外な不定期連載企画がありました。
まぁ、言うなればそれの続編みたいなものです。『銀輪』の時と異なるのは、画像データの多用によりビジュアル面において強化されたこと。活字媒体のみで読む者に過剰なまでの想像をかき立てるという効果はないでしょうが、お楽しみいただけること請け合いでしょう。
なお、吉原史朗氏の許可は現時点(98.1.19)においては取り付けておりませんので今後どうなるかは保証の限りではありません。
1998年1月2日午後7時30分。
都営地下鉄新宿線“曙橋”駅。
寒風吹きすさぶ中、降り立った駅前は閑散としていた。正月三が日である。至極当然なことだ。
待つこと数分。これからしばし世話になる部屋の主、その名も吉原史朗氏がボクを迎えに現れた。
今回の主人公 吉原史朗クン
今夜は新春企画(?)ということで、昨年暮れに晴れてひとり暮らしを始めることになった吉原クンの引っ越し記念というか、部屋の披露というか、まぁ、折角だし誰かひとを呼びたい!という本人の衝動からか、「鍋を突こう」ということになった。
その他参加者は、海運会社の倉庫職人(意味不明!?)島村“ゲマちゃん”岳クン、公認会計士の浅野典久クン、いつの間にかサラリーマンになっていた黒田“アーサー”寛クン。
歩くこと10分程。行政区分上、新宿区になるこの辺りだが、なかなかどうして下町風情がそこかしこに温存されている。普通の1戸建ての民家がごちゃごちゃと乱立し、道路もぐちゃぐちゃだ。区画整理の対象地域に指定されているのだろうか。(まぁ、今さら無理だろうが)
なんとか辿り着いたそこは3階建ての典型的アパート。築後10年足らずと言ったところか。家賃が高い都心においてはなかなかの物件に違いない。
吉原クンの部屋は3階の一番奥。扉を開けるとその香りから既に鍋が始まっていることが理解できた。
さて、その後の展開であるが、今回は吉原クンの部屋の紹介なので割愛したいところなのだが、手短に述べるとしよう。基本的に鍋を喰って酒を飲んで騒いでいただけなのだが、酔っぱらったボクがお椀の鍋汁をひっくり返したり、酒をこぼしたりで、新居に対して行う仕打ちとは到底思えない所業を繰り返し、その結果部屋の主たる吉原クンを内心ブチ切らしたのは想像に難くない。そのような険悪なムードの中、途中で帰宅した黒田クンを除き、みんなで雑魚寝したのであった…
本題に戻って、吉原邸を分析してみたい。
彼の部屋のつくりは、おおよそ以下の通りになっている。
よく判らないが、典型的な1DKルームなのだろう。フローリングの床張り(図中に“10畳ほど”と記載したのは玄関までの床も含めての話)にユニットバス。室内は壁を張り替えたせいもあってきれいな雰囲気。
特筆すべきなのは、新宿高層ビル群を一望できる“窓”。3階という立地条件を最大限活用している。彼女を部屋に誘って、新宿の夜景を眺めながら甘い言葉の1つでも囁けば、イチコロだろう。なかなか戦略的部屋探しを遂行する吉原クン、侮り難し。
一方、貧弱なのは台所まわり。調理台はないし、コンロも1つっきり。折角彼女が来ても満足な手料理を食べさせてもらえないだろう。また、クローゼット、押入れ類の備え付けの収納スペースがない。これは帰ってから気が付いたのだが、すごいことに違いあるまい。今後山積する物品をどうやって収納するのか、なかなか興味深い。
いろいろ物触しようと目論んでいたボクであったが、なにしろ引っ越しして来て間もない部屋。生活臭というものがまるでないので面白そうなものはない模様。今回は“お宝採集”作業は残念ながら断念。
パソコンでもいじって、怪し気なファイルを探そうかと思ったものの、この部屋にはパソコンはない。会社の先輩からもらったというノート型が1台、棚に押し込められていただけ。本人曰く、
「仕事で嫌ってほどパソコンを見ているから家に帰ってきてまで触りたくない」
そうだ。システムエンジニア(吉原クンの仕事)たるもの、そういうものかもしれない。
窓を背にして全景 左より浅野クン、ゲマちゃん
(上をClickしよう!)
ということで、いかがでしたか?
冒頭の気合いの割りには、あまり面白いもの(ぼろ)が発見されず、がっかりした方も多いのではないでしょうか。(ごめんなさい!)
まぁ、こんな感じで不定期ながら暴露ネタで盛り上がろうと思います。
「是非、うちに来て欲しい!」
なんて向こう見ずで奇特な方、いらっしゃいましたらひとことお声掛け下さい。折をみて馳せ参じます。(笑)