ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』(西永良成訳.集英社,1992年),
   『微笑を誘う愛の物語』(千野栄一・沼野充義・西永良成訳.集英社,1992年),
   『冗談』(改訂版.関根日出男・中村猛訳.みすず書房,1992年)の書評.



初出:『週間読書人』第1949号(1992年9月7日).p. 3.

赤塚若樹


 はじめてイギリスで出版された『冗談』は、オリジナルとはまったく違ったかたちに変えられてしまっていた。それはチェコスロヴァキア占領から一年後のことだった。これにたいしてクンデラは〈タイムズ・リテラリー・サプルメント〉に抗議の手紙を送り、その中でテネシー・ウィリアムスの『地獄のオルフェウス』のロシア語訳とモスクワで上演された自分の戯曲がともに改変されていたことを述べてから、『冗談』の英語訳にふれて、「ロンドンの本屋とモスクワの芸術担当の役人の心性には神秘的な類似があるようだ。彼らの芸術にたいする軽蔑の深さは等しくはかりがたい」といっている。けれども「これが問題の核心なのではない」とつづけるクンデラはその手紙をこんなふうに結んだ。「私はただイギリスの読者に、もし改竄者による本よりも作家による本に興味があるなら、『冗談』を読まないように頼みたいだけだ」。

 ほかの国々でもクンデラの作品は必ずしも誠実な翻訳者にめぐりあえたわけではなかった。翻訳について懐疑的になったこの小説家は、80年代中頃にみずからの小説の翻訳を徹底的に見直す作業を行ない、その結果1990年にクンデラの小説のフランス語訳にはすべて「チェコ語のテクストと同じ価値の真正さ」が与えられることになった。クンデラはまた、その校閲の過程のなかで自分の小説にとってのキーワードからなるエッセーを発表しており、それはのちに『L'art du roman』に収められている。このエッセー集には現在『小説の精神』という邦題がつけられているが、クンデラがこれほどまでに翻訳にたいして敏感になっていることを考えるなら、どのような理由があるにせよ、このタイトルは『小説の技法』と素直に訳されるべきだったにちがいない。

 さて、今回『不滅』につづいて、さらに三冊のクンデラの本――千野栄一・沼野充義・西永良成訳『微笑を誘う愛の物語』、関根日出男・中村猛訳『冗談』、西永良成訳『笑いと忘却の書』が出版され、これでクンデラがみずから認める《作品》のなかで邦訳されていないのは、小説『別れのワルツ』と戯曲『ジャックとその主人』(アメリカでの初演ではあのスーザン・ソンタグが演出をしたという)のふたつだけになった。これらの邦訳書では底本としてチェコ語版とフランス語版の両方がもちいられているが、その理由はすでに述べられたとおりである。翻訳に翻訳者の感性――たとえば母国語の語彙にたいする好みなどが反映されるのは当然のことであり(これは外国語の能力の問題ではない)、そうしたことがこれらの邦訳書のなかにみられるのはいうまでもない。けれどもいま注目すべきは、そのことよりもむしろ、この3冊の邦訳者たちがそれぞれ、クンデラと翻訳の不幸な交渉を理解したうえで、この小説家の作品をたいへん誠実に翻訳していることのほうなのだ。『笑いと忘却の書』では《ゲーテがゲテッゲテッと笑って》いるが、この翻訳を不誠実と呼ぶのはふさわしくない。西永氏はそこで、ささやかな「遊び」を実践することによって「軽さ」を導きだし、クンデラのいう「非=真面目」な精神を翻訳のなかに注ぎ込んでいるのである。いずれにせよ、これらの翻訳書にかんしては、クンデラが〈タイムズ・リテラリー・サプルメント〉に掲載されたような手紙を送ることはないはずだ。

 みずからが「小説家」であることを強調するクンデラの文学的経歴において、この3冊の本はとても重要な位置を占めている。クンデラははじめ詩作や劇作を行なっていたが、小説を書いたときにはじめて「自分自身の世界」をみいだし、短編集『微笑を誘う愛の物語・第1ノート』とともに小説家としてデビューしたのだった。今回邦訳されたのは3つのノートから選ばれた総合版『微笑を誘う愛の物語』(1970)。つづいてクンデラは『冗談』(1967)の成功によって小説家として確立され、チェコ事件と重なったそのフランス語訳の出版とともに世界的な小説家となっていった。その後フランスに招かれたクンデラは、1979年に『笑いと忘却の書』を発表し、そのために亡命の意思がなかったのにもかかわらず、11月22日チェコスロヴァキアの市民権を剥奪されてしまった。こうしたことがこの3冊の本にまつわる伝記的事実であり、そのどれもがミラン・クンデラという人物にとって重大な出来事となっていることは疑いえない。

 けれどもそのような伝記的事実は、そこに収められたクンデラの「小説という芸術」のまえでは二次的なことにすぎない。たとえば「小説の技法」。「形式」にたいしてかなり意識的なこの小説家ははじめての長編『冗談』ですでに、喜劇に終わる復讐劇、モラヴィア民俗芸術についての省察などを多層的に構成し、登場人物の一人称の声を交錯させることによって、ひとつの人間的な出来事のさまざまな側面を描きだすことに成功している。ここに萌芽としてみられる技法のいくつかは、クンデラによって意識的に発展させられ、『笑いと忘却の書』において結実することとなる。そこでは、文学的虚構、歴史的事実、自伝、エッセイ、音楽論などの要素によって構成される「ポリフォニー」という技法と、忘却、笑い、境界などの主題にもとづいて展開される「変奏」という技法が全面的に駆使されており、それによってひとつの芸術的達成が実現されている。この小説について、もうひとつ指摘すべきは、語り手「私」が自由に小説に介入してくるようになったことである。たしかに『微笑を誘う愛の物語』の「エドワルドと神」でも語り手「私」が介入してくるが、それは舞台のうえで、《紳士淑女の皆さん》といいながら物語の節目に登場する進行役の枠組みからでるものではなかった。けれども『笑いと忘却の書』において「わたし」の役割はかなり拡大されることになる。この語り手「わたし」は、クンデラ的技法の実践にとって不可欠なだけではなく、『存在の耐えられない軽さ』と『不滅』にもつづけてあらわれて、その挑発的な口調とともにクンデラの小説のひとつの特徴にさえなるのである。

 そのクンデラの小説には〈歴史〉が落とすかげりがつきまとっている。たとえば、登場人物のあいだにさまざまな冗談が重なりあう『冗談』にあって、もっとも残酷な冗談を仕掛けるのは〈歴史〉である。けれどもこの〈歴史〉のしかける冗談は、『冗談』だけにみられるわけではなく、『微笑を誘う愛の物語』にも『笑いと忘却の書』にも描かれている。いや、これはクンデラの小説すべてに共通するテーマとなっているのだ。「エドワルドと神」はこういっている。《人生ではいつも、こんなことが起こるものだ。つまり、ある劇で自分がある役を演じていると想像しているうちに、いつの間にか舞台装置が変えられてしまう。その結果、自分ではそんなこととは夢にも思わなかったのに、全然別な芝居に出演する羽目になる、というわけである》。クンデラによって描かれるのは、こうした〈歴史〉をまえにする人間の可能性としての愛である。もの悲しく滑稽な愛のかずかずを映しだす『微笑を誘う愛の物語』。著者みずからが「恋愛小説」と呼んだ『冗談』。では、その愛とはなにか? 『笑いと忘却の書』の第6部で、語り手「私」はこう定義する。「愛とはたえざる問い」であると。クンデラの「愛」の小説とは、つまり〈歴史〉にとらえられた人間の可能性へのたえざる問いかけなのである。そしてそこにはいつも「冗談」の悪魔的な笑いが響いている。

 そういえば、クンデラは「冗談はあなたの人生原理ですか」とたずねられて、こんなふうに答えたことがある。「わたしは4月1日生まれです。これはそれ自身の形而上学的意味を持ちます」。




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