ミラン・クンデラ『別れのワルツ』(西永良成訳.集英社,2001)の書評.



初出:時事通信社(と契約している地方紙の書評欄)[2000年4月]

赤塚若樹


 これはきわめて「個人的」な作品だと思う。だからこそ、この作品には特別な意味があるのだといっておきたい。

 よく知られているように、クンデラは「プラハの春」の挫折のあと、チェコスロヴァキアからフランスへ「亡命」した作家だ。もちろん、ほかにも祖国を離れる者たちはいた。ところが、日本にはあまり伝わっていないことだが、クンデラは政治的な闘いにかかわろうとしなかったために、ほかの亡命者とはちがい、とくにチェコ本国ではかなりの反発を招いていたのだ。こうしたこともあって、この小説家は自分の境遇について、ということは「亡命」についても、けっして多くを語ろうとはしなかった。そして、そのあいだに、いつしか小説の舞台もチェコからフランスへと移っていった。

 そのクンデラが、『無知』ではふたたびチェコを舞台とし、おどろくべきことに、真っ正面から「亡命」という主題に取り組んでもいるのだ。

 二〇年ぶりにパリの空港で再会したイレナとヨゼフ。ふたりはこのあと、それぞれに、変わり果てた祖国の姿に幻滅し、自分の「亡命」が家族からも友人からも理解してもらえないことを知って、ボヘミアとの「大いなる訣別」を決意する。そこで語られていく「亡命者」の心情は、フィクションのなかとはいえ、ほぼクンデラの内面に重なっているものと考えてよいだろう。そこにつづられているのは、たしかにきわめて「個人的」な考えだが、しかし、この問題を一般論としてあつかうことなどできるのだろうか。しかもクンデラは、亡命後その全存在を賭けたともいえる「小説」によってそれを表現しているのだ。これはやはりひとつの事件だといってよい。

 ふたりの愛の物語はやがて哀しい結末を迎えるだろう。クンデラの作品らしく、誤解と無理解、そして忘却のゆえに。忘却といえば、『無知』は多くの点で『笑いと忘却の書』につながる作品だろうと思う。



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