伊美谷下流部
The lower reaches of the Imi valley

8世紀は律令制がこの地域にも及んだ時期であり、伊美川下流の田圃は条里遺構跡と推測される。伊美の谷は右に曲がっているために狭まっているように見えるが、平地の半分ほどが山蔭に隠れている。「同じき天皇、この村に在して、勅りたまひしく、『此の国、道路はるかに遠く、山と谷とは阻しく深くして、往還疎稀なり。乃ち国を見ることを得づ』と詔りたまひき。因りて国見の村といひき。今、伊美の郷と謂ふは、其の訛れるなり。」(豊後風土記)とある。とすれば、国が見えたのではなく、見えなかったことになり、やや釈然としない。また、谷が弓のように屈曲しているので、「伊美」は「弓」の謂いであるとの説も何かで読んだ覚えがあるが、これも捨てがたい。    次へ