三十三間堂西面
West side of Sanju-san-gen Do Hall

新古今集のヒロイン、後白河法皇の皇女、式子内親王は平治元年(1159)に賀茂神社の斎院にト定された。斎院は上・下賀茂神社の大祭、葵祭の主催者でもある。内親王の生年は明らかではないが、馬場あき子さんの説の仁平3年(1153)または翌年の久寿元年とすれば、5、6歳の頃のようだ。斎院は紫野の今の大徳寺付近にあり、内親王は11年間の斎院を務めた後、法住寺北殿の萱御所で暮すことになる。今の京都国立博物館あたりだろうか。父の後白河院が崩御した後は御所の南東にあたる大炊御門の屋敷に移る。このため、萱斎院とも大炊御門斉院とも呼ばれた。

内親王の歌は平明な言葉の中に抑制された強さがある。
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」
「忘れてはうち嘆かるるゆふべかなわれのみ知りて過ぐる月日を」(新古今集1034、1035)