小谷城跡
Ancient castle of Odani

番所跡から前衛の金吾、巣ケ谷への道。松の木に半ば隠れているのが天正1年(1573年)の浅井・朝倉攻めのときの信長の本陣があった虎御前山。姉川の敗北から小谷城に籠って3年後のことだ。同盟者であった対岸の比叡山は焼かれ、浅倉は滅び、結果は戦う前から既に分っていた。信長はかつての長政の背反を赦すような男ではない。浅井側になった気持ちで虎御前山あたりを見ると、恐怖心が湧いてくる。向うには湖北の平野と琵琶湖が広がる。