二上山雄山からの葛城山系
Mt.Katsuragi from Mt.Nijo

太子町から鹿谷寺を経て登ってきた。右が雌岳で山頂はこちらの雄岳にくらべると開けていて、方位盤などがあり、陽を浴びながら寝そべっている人もいた。ここから山頂まではほんの少しだが、途中どこかの大学の先生と学生10名ほどがハンマーを手に登山道の石を調べていた。サヌカイトが多いことは知っていたが、石鏃なども見つかるようだ。地質調査か、考古学の調査かを尋ねればよかったと、後で思った。

左の山は葛城・金剛山系で、葛城は古代「鴨族」の神、一言主神の根拠地だ。
この神の運命は波瀾に富んでいる。まず、雄略天皇に挑み、怒らせて土佐に流された。「時ニ神、天皇ト相競ヒ、不遜ノ言アリ。天皇大イニ目眞(イカ)リ、土左(佐)ニ移シ奉ル。」(釈日本紀)次は、300年ほど経った奈良時代に赦されて戻ってきたら、あろうことか役小角にこき使われる。葛城から吉野へ石の橋をかけさせられた。あまりのことに役小角は朝廷に訴えられ伊豆に流されたが、三年後に戻ってきて一言主神を谷底に蹴込み石の葛でしばってしまう。まさに踏んだり蹴ったりだ。(「日本霊異記」)

前半の話は先住民としての天孫族への抵抗、後半は仏教への抵抗である。「日本霊異記」の作者は薬師寺の僧景戒(きょうかい)で、彼は妻帯し、半俗の生活をしていたようで、いわゆる高僧ではないが、それだけに分りやすい言葉で仏教の功徳を説いている。一言主をそこまでコケにしたのも仏教に容易に帰順しない一言主=葛城の鴨族の抵抗に相当てこずったというのが真相ではないか。鴨族は京都の上鴨神社、下鴨神社も残している。しぶといのだ。   次へ