98年3月 慈光院から法起寺、栄山寺へ
From Jiko-in to Houji-ji,Eizan-ji

片桐且元は大阪城落城後ほどなく世を去った。これは且元の古城の城門を移築したもの。家康と淀君の間で苦悩した且元の居城らしく、戦うことを一切念頭においていないことがあきらかな城門である。慈光院は甥の片桐石州が父貞隆の菩提寺として建立したものだが、寺というよりも数奇屋風の住居に本堂が付属しているという感じがする。そのような寺の門として実にふさわしい。      次へ      「ときおりの奈良」に戻る