楼門
Main Gate of Imahie-Jinja

智積院と妙法院との間の坂を登ると右手に楼門が立っている。新日吉神社は後白河上皇が永暦元年(1160)に坂本の日吉山王神社を勧請して創建されたとのこと。後白川上皇は平清盛とともに保元、平治の乱を勝ち抜いたばかりであり、まだ34歳。30年余りの院政の3年目にあたる。この社はもとは院の法住寺御所の中に建てられ、三十三間堂も御所の一院であったことを思えば、院の力の大きさがわかる。現在のパークホテルから三十三間堂までの、国立博物館に面した広大な一帯が法住寺御所だったはずだ。社がこの地に遷座したのは明治三十年とのことだから、社の歴史からすればついこの前のことといってもおかしくはない。帰りに坂道の「やぐ羅」で蕎麦とビール。