庭の池
Pond of the garden

池越しに南門を見る。鎌倉後期の四脚門だ。手をかけていない庭が好ましい。
紀貫之は古今和歌集の序文で「在原業平は、その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくてにほひ残れるがごとし。」と紹介している。あふれる情感に言葉が追いつかないという意味であれば頷ける。
百人一首にもある「ちはやぶる神代もきかずたつた川から紅に水くくるとは」(古今和歌集巻第五)もそのような歌だ。古今集では「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」、との註がある。題詠歌ということのようだが、水を括り染めにするという表現は超現実的でさえある。また、二条の后とは、藤原高子、業平のかつての恋人の一人だ。
寺はもとは平城天皇の私邸で、萱葺きだったので「萱の御所」と呼ばれていたそうだ。この池が当時からのものかどうかはわからない。