大徳寺勅使門と三門
Chokushi-mon gate and main gate

大徳寺は入りにくい寺だと聞いてはいたが、数多くの塔頭の内、公開されているのは4院だけのようだ。秀吉が主催した信長の葬儀が執り行われ総見院にも拝観謝絶の立て札があった。開山の大燈国師(1282〜1337)以来の超俗の気風が残っているようで、好ましくもある。
ここは一休の寺でもある。名は宗純、号は狂雲子。後小松天皇の落胤ともいう。途方もなく魅力的な人物だったようだ。肖像画は日本史か何かの教科書で見た覚えがあるが、遠い親戚の伯父さんに似ているようだと思った。会ってみたいと思う反面、会うのが怖いというのが正直な気持だ。

三門は当初は単層だったが、利休が施主となって重層の普請にした。その二階に利休の像を祀ったことが秀吉の逆鱗に触れ、切腹を命じられる直接の原因になったとのことだ。それにしても、神社の楼門かと見紛うほど、三門は鮮やかな朱色に彩られていて、とても利休の侘びのイメージではない。    次へ