1998年3月 明日香

天武天皇陵
Ancient tomb of the Emperor Tenmu

梅の花が咲き始めた。近鉄飛鳥から欽明天皇陵、猿石、鬼の雪隠・俎板を見ながら歩くと楽しい。
天武天皇の歌で最も有名なのは、額田王への返歌、「むらさきのにほへる妹を憎くあらば人づまゆゑに吾恋ひめやも」(万葉集巻一 21)だが、隣りで眠る奥様にはあまり聞かせたくはないと思う。

ところで、686年の天皇崩御のときの皇后の挽歌三首のうちの一つは「向南山(きたやま)にたなびく雲の青雲の星離りゆき月も離りて」(巻二 161)で、この歌は杉本苑子さんによると「沈潜した、静かな彼女の外貌を髣髴させるような一首です。夜空を翔け去ってゆく魂魄へ、じっと眸を凝らしている彼女の青白い横顔には、暗い、妖しいロマンティシズムがただよっています。」(「万葉の女性歌人たち」)とのこと。
確かに、天武天皇の死を悲しんではいるが、どう詠んでも哀しみに耐えきれない人の作った歌ではない。敢えて言えば、壬申の乱を共に戦った同志への哀悼の歌という感じがする。翌月には草壁皇子のライバルの大津皇子が葬られたことを思えば、挽歌でありながら彼女の暗く静かな決意を詠んだ歌とも言える。   次へ     「ときおりの奈良」に戻る