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赤丸 「地芝居」と「地歌舞伎」 ― 適切でない呼称「地歌舞伎」―赤丸


赤丸 景山正隆  赤丸
(元東洋大学文学部教授・全国地芝居連絡協議会初代議長)


 江戸時代以来、全国津々浦々の農山漁村で、村人たちが自ら芝居 ― 昔は「芝居」とか「狂言」といえば「歌舞 伎」を指した ― を演じて楽しんできましたが、そうした素人の芝居を、玄人の「旅芝居」「旅まわり芝居」 あるいは「買芝居」というのに対して「地芝居」と呼んできました。「地芝居」と「買芝居」を総称して「村 芝居」と呼ぶこともあります。ともあれ、「地芝居」は、近世(江戸時代)の文献にも見られる、古く江戸時 代から使われてきた歴史のある呼称です。これも江戸時代から使われてきた「田舎芝居」という呼び方もあ りますが、これは、ニュアンスとして町や都市に対して差別をする見下げた響きがありますが、「地芝居」は、 村人が地元で演ずる芝居を呼ぶのにしっくりとした響きをもつ、親しみのある呼称だと思います。
 ところが、近年、地芝居を指して「地歌舞伎」という新造語が盛んに使われるようになりました。インタ ーネットで、キーワードとして「地芝居」で検索しても僅かしか情報が出てきませんが、「地歌舞伎」をキー ワードとして検索すると無数に情報が出でくる程です。これは一体どういうことなのでしょうか。「歌舞伎」 という言葉を使いたいのでしょうか。しかし、歌舞伎を「歌舞伎」と呼ぶのは改まった時で、戦前からの歌 舞伎愛好者は「芝居」という親しみのある言葉で呼んできたのです。江戸時代一般に「芝居に行く」と言っ たら、それは歌舞伎を見に行くことを意味していました。「地歌舞伎」という言葉には、「地芝居」とは反対 によそよそしい響きさえ感じられます。
 岐阜県萩原町上呂の久津八幡宮に伝わる、宝永から正徳にかけての凡そ十年間(一七〇四〜一七一五)の 祭礼文書に、地芝居が毎年奉納されていた記録がある点から、これを記録としては稀有な一例と見れば、地 芝居は、元禄時代にはすでに発祥していたと推測することが出来ます。そして、三百余年の歴史をもつ地芝 居は、その頃から「地芝居」と呼ばれてきたのです。地芝居が行われるようになった誘因としては、玄人の 「旅芝居」の影響が最も大きかったものと思われます。近世人口の八割を占めていたともいわれる農村の人々 の娯楽の主流は、地方に巡業して来る旅芝居(歌舞伎)と人形芝居(「操り」「人形操り」「人形浄瑠璃」)でした。 その影響を受けて、見たり聞いたりしているだけでは我慢出来なくなって、村人が、玄人の役者や人形遣い に教わって自ら演じるようになったのが、今も各地に伝わる(あるいは復活した)「地芝居」や「人形芝居」 なのです。村々で行われてきた「芝居」ですから、「買芝居」「地芝居」「人形芝居」を総称して「村芝居」と も呼ぶのが最もふさわしいと思います。 
 地芝居は、「習い芝居」「地下(じげ)芝居」「地踊り」などといった各地の地元に特有の呼称もあり、それ はそれで尊重しなければならないと思います。また、「地狂言」という呼称もありますが、「地狂言」は、元 禄時代の歌舞伎で舞踊のことを「所作事」と称したのに対して、セリフ劇のことを呼ぶ呼称として用いられ ていました。これと混同するおそれがありますから、「地狂言」はなるべく使わないほうがよいと思います。 また、新しい呼称として「農村歌舞伎」がありますが、これは、語呂も悪くなく、わかりやすい用語で、新 聞・テレビなどのマスメディアが使用するのには適当な言葉といってもよいでしょう。
 これらに対して、新造語「地歌舞伎」は、語呂も悪く汚い響きの言葉です。勿論『日本国語大辞典』や『広 辞苑』などの国語辞典には取上げられてはおりません。折角「地芝居」という歴史のある呼称があるのです から、わざわざ汚い言葉を用いる必要は認められません。私は、極言すれば、「地歌舞伎」という言葉を使う 人は、「地芝居」いや「歌舞伎」そのものの、実態・歴史・本質を弁えていないのではないかと疑います。 この新造語は、駆逐されて然るべきです。私は、地芝居を呼ぶ呼称とは認めないことにしています。
(元東洋大学文学部教授・全国地芝居連絡協議会初代議長・平成十五年八月)



 

この元原稿は縦書き文章ですが、PDF化がうまく出来ないので、とりあえずHTML文章にしました。
この原稿の著作権は景山正隆氏にあります。先生の許可を受けて、このHPへ載せました。渡辺

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