これは、新世紀エヴァンゲリオンのもう1つの局面を描いた物語。
ひょっとしたら有り得たかもしれない、もう1つの物語。
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新世紀エヴァンゲリオン外伝
『邂逅』
第八話「他人の干渉 −前編− 」
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「シンジの奴、今日も来なかったな」
ケンスケは主のいない机を見て言った。
「鈴原もまだ退院出来ないし…」
「結局、7月はほとんど学校来なかったよな、3人とも」
ケンスケはヒカリの方を向いた。もう世間は夏休みに入り、学校は休み
である。今日彼らが学校に来ているのは、疎開していく友達を送る為だっ
た。もはや学校にはほとんど生徒は残っておらず、皆疎開してしまった。
その為学校側も出来るだけ大人数で見送ろうと、残った全生徒を登校させ、
大規模な送迎会を催したのだ。
だが、その会にもシンジ達の姿はなかった。
「学校どころじゃないのかもしれないな、今や」
世間は夏休みに突入した。常夏の国となった日本では、年中暑い中でこ
の時期が一番暑くなる。子供達は長い休みを思う存分楽しみ、家族でレジ
ャーに行ったりする。トウジやヒカリ、ケンスケも例外ではなかったが、
彼らは何処にも行かなかった。それは、シンジやアスカのことを気遣って
のことだった(もっとも、トウジはずっと入院しているが…)。
エヴァのパイロットに夏休みはない。使徒は人の休暇など関係無しに襲
来してくる。それが明日なのか、明後日なのか、誰にも分からない。だか
ら、日々の鍛練及び使徒に対する準備は欠かせない。
準備の1つに、ハーモニクステストというものがある。
エヴァはパイロットと精神を同調させることによって動き出す。ハーモ
ニクステストはその調整を行う為の物である。エヴァの操縦はパイロット
の精神状態に大きく左右される。普段からこまめにチェックしておかねば、
いざという時にエヴァが動かない、という事態になりかねない。
「酷いものね…昨日より更に落ちてるじゃない」
リツコは“惣流・アスカ・ラングレー”と書かれたモニターを見て唸っ
た。第14使徒襲来後、アスカのシンクロ率は確実に落ち始めていた。
「今日調子悪いのよ。2日目だし」
ミサトは、アスカが初潮を迎えたことを話した。リツコは首を振り、
「シンクロ率は表層的な身体の不調に左右されないわ。問題はもっと、深
層意識にあるのよ」
ピピピピ……点滅するアスカのシンクログラフを見て、リツコは溜息を
ついた。マヤにデータの記録を取ったか確認すると、
「3人とも御疲れ様。今日はもうあがっていいわよ」
労いの言葉をかけて、テストを終了した。
*
更衣室でただ独り、シンジは浮かぬ顔でスーツを脱いでいた。
初号機の中からサルベージされて1週間。身体は普通に動いている。特
に障害らしい障害もなく、以前の自分と何ら変わりはなかった。
変わったのはむしろ、自分の回りの環境だった。ミサトの話で自分が初
号機の中に1ヶ月もいたことは聞いていたが、その間に何があったのかは
全く知らされていない。ミサトはシンジのサルベージと本部施設の修繕で
手がいっぱいだったと語った。
「さて……かえろっか」
時間は3時を少し回った所だ。夏休み中は実験等が昼間の時間に移され
た為、シンジ達は早めに帰ることが出来た。少し前なら、アスカと一緒に
帰るところであったが……
更衣室を出たところで、シンジはレイと出会った。
「あ、綾波。アスカ知らない?」
「…先に帰ったわ」
「そう…」
この頃ずっとこの調子であった。シンジはサルベージされてから、アス
カの自分に対する態度の変化に気付いた。何故かは分からないが、自分に
対して敵意を抱いていると感じた。
「碇君」
少し気が沈んでいたシンジに、レイは言った。
「弐号機の修理が完了したって赤木博士が言ってたから…アスカはエヴァ
の様子を見に行ったのかもしれないわ」
「うん……分かった」
そう言ってシンジは、レイの横を通り過ぎていった。確かにケイジにい
るかもしれないが、行く気にはなれなかった。
少し落ち込み気味のシンジの背中を、レイは肩越しに覗いていた。
トイレの洗面所。アスカは下腹部を押さえ、うめいた。
「何で女だからって、こんな目にあわなきゃいけないのよ……。
子供なんて絶対要らないのに!」
吐き捨てるようにそう言うと、洗面所を後にした。
弐号機も零号機同様、修理が終わっているとリツコから聞かされていた。
アスカはケイジに様子を見に行く為、エレベーターを待った。
エレベーターが止まり、ドアが開いた。中にいたのは、見知った顔。
「……っ!」
アスカは露骨に嫌な顔をし、ずかずかとエレベーターに乗り込んだ。中
にいた綾波レイは、相変わらず無表情でアスカの方を見ていたが、アスカ
は仏頂面でそっぽを向いていた。レイに声をかけようともしない。徹底し
て無視する構えだった。
レイはそれを許さなかった。
エレベーターが動き出して数刻、レイは徐に口を開いた。
「碇君が探してたわ」
いきなりそう言われて、アスカは弾かれたように顔を向けた。少し考え
たが、アスカはまたそっぽを向いた。
「碇君、心配してるわ」
「はん!弱者に憐れみをかけてるつもりかしら。やらしい!
あの男が心配してるのは私じゃなくて、自分自身よ。私が話し掛けない
から、独りぼっちで寂しいだけなのよ」
シンジを小馬鹿にするようにアスカは言った。レイは相変わらず淡々と
した口調で言葉を紡いだ。
「何故、そうやって心を閉じるの?それではエヴァは動かないわ」
キッとレイを睨み、アスカは怒鳴った。
「心を閉ざしてるっていうの、この私が!?」
「そう。エヴァには心がある」
「あの人形に?」
小馬鹿にしたようなアスカの口調。
「分かってるはずよ」
「あんたから話し掛けてくるなんて、明日は雪かしらね」
アスカの挑戦的な口調にも、レイは全く動じない。アスカは苛立ちを募
らせていた。
「何よ…私がエヴァに乗れないのが、そんなに嬉しい?心配しなくても使
徒が攻めてきたら、無敵のシンジ様がやっつけてくれるわよ。
私達は何もしなくていいのよ、シンジだけがいればいいのよ!」
息を切らせるほど大声で怒鳴り、アスカは肩で息をした。
「あ〜あ、機械人形みたいなあんたにまで同情されるとは、この私もヤキ
が回ったわね」
「私は人形じゃない」
きっぱりとした口調で言うレイに、アスカはカッとなった。
「うるさい!人に言われたまま動くくせに!あんた碇司令が死ねって言え
ば死ぬんでしょ!」
「そうよ」
ぱんっ!
乾いた音がエレベーター内に響いた。
ほぼ同時に、エレベーターのドアが開いた。
「やっぱり人形じゃない!あんたって人形みたいで、昔っから大キライな
のよ!」
赤くなった頬をさすりもせず、レイは無表情にアスカを見詰めていた。
「皆、皆、大キライ!」
アスカは声の限りそう叫んだ。エレベーターのドアが閉まり、レイの姿
が消えた。アスカはしばらく場に立ち尽くしていたが、やがて身を翻しそ
の場を後にした。
エレベーターが再び動き出した。
「怖いのね…自分の存在が無くなるのが……自分が要らなくなるのが」
レイは打たれた頬にそっと触れた。
「……碇司令…」
*
(何よ…ファーストまで私を見下して。大した戦績もあげてないくせに)
アスカは大股で通路を歩いていた。怒鳴ったせいで喉が渇いたので、自
販機でジュースでも飲もうと考えながら、歩を進めた。
角を曲がれば自販機のある休憩所だ。アスカは角を曲がり……慌てて引
っ込んだ。そっと休憩所を覗うと、シンジがベンチに座ってジュースを飲
んでいた。
(もう帰ったんじゃなかったの?さっさと帰りなさいよ!)
アスカはぼーっとしているシンジの姿と、そのシンジの前に出られない
自分に苛立ちを感じていた。シンジは缶コーヒーを飲み干すと、一息つき、
缶を横に置いた。しばらくしてポケットから何やら取り出し、それをぼん
やり眺めていた。
(……あれは…)
さっきまでの気分は何処へやら、アスカはずかずかとシンジの前に出て、
缶コーヒーを拾い上げごみ箱に投げ捨てた。いきなりアスカが現われたの
で、シンジは呆気に取られた表情でアスカを見上げた。アスカは腰に手を
当て、シンジを見下ろしていた。
「それ、あの女から貰った物でしょ?」
「え…うん。マナから貰ったんだ」
「まだ持ってたのね」
「……形見、みたいな物だから」
そう言って、ペンダントに視線を落とした。
「未練たらしい男ね」
そう言われてシンジは、弾かれたように顔を上げた。アスカは蔑むよう
な目でシンジを見下していた。
「もう会えないって分かってるのに」
「…いいんだ、別に」
『マナは助かるんですね』
必死の思いで、シンジは加持に問い掛けた。マナが軍隊の追手を振り切
り、こそこそ隠れずに生きるには、戸籍・軍の名簿から存在を抹消しなけ
ればならない。それだけではない。マナ自身も“霧島マナ”という名を捨
て、別の人間に成りすまさねばならなかった。だがそれは、両親は勿論、
シンジやミサト達、友人・知人とも縁を切り全くの赤の他人になることと
同義だった。
マナは嫌がった。だが、シンジはそれを強くすすめた。シンジとて、マ
ナと別れたくなかった。ましてや全くの赤の他人になるなど……。
シンジは手の中のペンダントを握り締めた。
「時々こうやってペンダントに触れてると、マナが何処かにいるんだって
実感出来るんだ。会えなくても……日本の何処かで、一生懸命生きてる
んだって思えて………それに」
シンジは再びペンダントに視線を落とした。
「一生、会えないわけじゃないよ……10年もしてほとぼりが冷めれば、
きっとまた会えるよ」
「それまであの女が生きてればね」
シンジの表情が凍り付いた。俯いていたので、アスカには分からなかっ
たが。
「だってそうでしょ?何時戦自に見つかるか分からないじゃない」
「マナは……死んだことになってるんだよ?戦略自衛隊が知ってる訳…」
シンジは俯いたままでそう言った。
「あたしが戦自に密告したら?」
ばっ。シンジは弾かれたように立ち上がった。途端に接近する、シンジ
とアスカの顔。アスカは思わず一歩後ずさった。
「……何よ」
「どうして……どうしてそういうこと言うんだよ」
「あの女が私達にどれだけ迷惑かけたか、分かってんの!?はっきりいっ
て邪魔なのよ、あの女は!」
「マナはもうネルフとは関係ないんだから、アスカが干渉することないだろ!」
何時ものおどおどしたシンジからは想像もつかない強い口調で怒鳴られ、
アスカはもう一歩後ずさった。
「関係あるわよ!今みたいにあんたが何時までもあの女のこと考えてたら、
エヴァの操縦に支障が出るかもしれないじゃない!エヴァっていうのは
パイロットの精神状態に大きく左右されるんだから、あんたの意識がエ
ヴァじゃなくてあの女に向きっぱなしだったら、シンクロ率が落ちるか
もしれないじゃないの!
エヴァの敗北は、人類の破滅と同義なのよ!忘れたの!?」
「アスカは……アスカはマナが嫌いだから、そんなこと言うんだよ!」
「ええ嫌いよ!あの女のせいで私達が死に掛けたの、忘れたの!?」
もっともと言えばもっともなアスカの意見に、シンジは言葉を失ってし
まった。アスカは髪を掻き上げ、横目でシンジを見た。
「あんたみたいな浮ついた気持ちでエヴァに乗られると、私達も迷惑なの
よ。もう、やめれば?エヴァに乗るの」
そう言い放って、アスカはすたすたと行ってしまった。シンジは俯いた
まま立ち尽くしていた。
通路を曲がりしばらく歩いたところで、アスカは立ち止まった。肩が微
かに震えている。
(何が心配してるよ………私のことなんか全然見てないじゃない!)
別れた女を忘れられない……否、忘れようとしないシンジの姿。
(あんなのに…あんな奴に負けたなんて……!)
アスカは近くにあったごみ箱を、思い切り蹴り倒した。
*
「アスカのプライド、ガタガタね」
「無理もないわよ。あんな負け方しちゃ」
ここは喫煙室。リツコもミサトもコーヒーを口にしていた。
「ていうより、シンジ君に負けたと思い込んでる方が、大きいわね。
……もう限界かしら、3人で暮らすのも」
ミサトは遠い目でそう言った。
『あら、無敵のシンジ様にそのような雑務を…申し訳ないわね』
『ミサトも嫌、シンジも嫌、ファーストはもっと嫌!でも…自分が1番嫌!』
風呂場で暴れる昨日のアスカの姿が脳裏に浮かんだ。
「臨界点突破?楽しかった家族ごっこもここまで?」
からかうような口調でリツコが言ったので、ミサトはリツコを睨み付けた。
「猫で寂しさ紛らわせてた人に言われたかないわね、そんな台詞」
リツコは顔をしかめ、目を逸らした。
「……ごめん、余裕ないのね、私」
「いえ……私こそ無神経だったわ。ごめんなさい」
「ううん、家族ごっこだって言われても、文句言えないわ。本当の家族な
ら……家族なら……」
家族なら、こんな時何をしてやれる?ミサトは考えたが、すぐにやめた。
自分に家族と呼べる環境がなかったことを思い出したからだ。父親のいな
い、母親が泣いてばかりの暗い家庭。そればかりが頭の中で渦を巻いてい
た。
「家族として…こんな時、アスカに何をしてあげればいいのかしら……」
「難しい質問ね」
リツコは溜息を吐いた。
「アスカの不調、1番の原因は彼女自身が心を閉ざしてるからよ」
「心を閉ざす?それがエヴァのシンクロと関係あるの?」
「そうよ」
ふぅんと言ってミサトはコーヒーをすすった。
「じゃあ、アスカのシンクロ率が落ちてるのは、アスカが心を閉ざしてる
表れだって言うこと?」
「そういうこと」
心を閉ざす……ミサトは自分が失語症にかかった時のことを思い出した。
「心の問題ってのは、他人がどうこう出来る物じゃないことの方が多いの
よ。閉ざされた心が開かれる時、それは何気ないことがきっかけになる
ことが多いわ」
リツコはコーヒーカップを置いて立ち上がった。
「私達に出来るのは、きっかけを作ること。アスカが心を開く、ね。まあ、
深刻に考える必要もないと思うわ。今は少し自信を失ってるだけよ」
「自信……か」
ミサトはリツコの言葉を自分に言い聞かせるように反復した。リツコは
コーヒーカップを置き、席を立った。
「行きましょう、そろそろ」
リツコはそのまま喫煙室を出ていった。入れ代わりに日向が入ってきた。
「日向君、どうしたの?」
「葛城さん、ちょっとお話があります」
*
本部施設の外部。所謂公園で、ミサトと日向はベンチに座っていた。
日向が持ってきた情報は、エヴァンゲリオンの量産の情報だった、すで
に世界7個所で建造が始まっているとのこと。日向は使徒の複数同時展開
を想定したものではないかと語った。
だが、ミサトは怪訝な顔をした。
「非公開ってのが気になるわね。どうせ建造されたらネルフに回されるも
のでしょ。戦力増強なら、先に知らせてくれてもいいじゃない」
「確かに…」
「きっと、何か別の目的があるのよ」
そう言ってミサトは、加持が自分に手渡したマイクロチップのことを思
い出した。全てを解読したわけではないので何ともいえないが、その辺り
のことについても、きっと触れられてるに違いない。ミサトはすぐにでも
帰りたい衝動にかられた。だが…
『総員、第一種戦闘配置。対空迎撃戦用意!』
鳴り響く警報とアナウンス。
「敵襲!?」
言うが早いか、ミサトはすでに本部施設に向かって駆け出していた。
アスカはプラグスーツに着替え、自分の機体・弐号機の前にやってきた。
弐号機はもう修理が完了しており、切られた頭部も元通りになっていた。
「やっと直ったのね。あんな無様な負け方して」
アスカは弐号機に向かって言い放った。
「あなたは私の人形なんだから、黙って私の言う通りに動いてればいいのよ」
物言わぬ弐号機。
「全く、何で兵器に心なんか必要なのよ。邪魔なだけなのに。とにかく、
私の命令に逆らわなければいいのよ!」
物言わぬ弐号機。アスカは眉をひそめた。
「……バッカみたい」
その時、突如警報が鳴り響いた。
『総員、第一種戦闘配置。対空迎撃戦用意!』
「使徒、まだ来るの!?」
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