− 序章 さわやかリツコさん −

 『ゴジュラス初号機、弐号機、およびUのアボトーシス作業はMAGIシステムの再開後、予定通り行います』
 『作業確認。450から882−3まで省略』
 『発令所承認』

 はあ、さすがに疲れたわね。寝不足のせいかやけにアナウンスが耳に響くわ。今日でもう何日家に帰ってないのかしら?
 だるい、眠い、お腹空いた。
 ・・・いい加減うんざりしてきたわ。ああ、肩がこった。・・・やだ、年寄り臭いこと考えちゃった。

 ぶるぶる!

 私はそんな年を取っていないわ。だってまだ25歳と64ヶ月よ、若いわ。
 こら、そこ。何ブツブツ呟いてるの。言いたいことがあったらハッキリ言いなさい。ただし、年齢のことを言ったら猫神さまの生け贄にするから。
 あっ、私1人だけ勝手に喋ってたらなんのことか分からないわね。この私ともあろう者がそんなビール腹の作戦部長みたいに抜けたコトするなんて、本当に疲れてるのかしら?
 コホン! とりあえず自己紹介をしておくわ。
 私の名前はリツコ。左目の泣きぼくろがチャームポイントのグラマラスレディ、ネルフ技術部部長、赤木リツコとは私の事よ。
 今何をしているのかって?
 ふふん、聞いて驚きなさい。ネルフが世界に誇るスーパートリプルコンピューターシステム『MAGI』の定期検診を行っているのよ!
 この『MAGI』はあなたも知っているかもしれないけど、三者の審議による自己判断を行える世界最高のコンピューターシステムにして、第三新東京市の全てを管理する存在なのよ。基本原理を作ったのは私の母さん。そう、『紫色の怪』とちまたで言われている私の母、信濃ナオコ(旧姓;赤木)の手による物よ。まったく家ではズボラで何かってぇとシンジ君にベタベタするうえ、いい年こいて独り身の私に当てつけるように惚気を始める猫バ・・・母さんがこれを創っただなんて、とかくこの世は謎だらけね。

 ちょっと脱線しちゃったわ、ごめんなさい。
 話を戻すけれど、MAGIはネルフの全て・・・ゾイドの生命維持に火器管制、水洗トイレの水から街の施設までありとあらゆるものを管理しているわ。それだけに故障なんてしたらネルフの全てがストップ。そこを使徒に攻撃されたりしたら・・・!
 いえそれどころか自己判断できるコンピューターの悪い点、すなわち人類への挑戦を始める可能性が・・・あるわけないわね。少なくとも母さんとユイさんとキョウコさんと、なにより私が生きている限りは。コンピューターとはいえ命は惜しいはずだから。
 まあ、そう言うわけで故障してたり不具合がないか定期的にチェックする必要があるのは理解できたかしら?
 今回の定期検診はMAGIのバージョンアップも兼ねているからひたすら手間がかかるのよ。これが終われば、今後の実験やその他の管理等もかなり速くなるけど、今は鬼の強行軍で技術部一同半死半生。締め切り直前の漫画家みたい。一番の戦力の母さんはうまいこと言ってさっさと逃げちゃったから、頭にくるわよねぇ。
 いくら母さんが創った時とは似ても似つかない状態になっているとはいえ、母さんが手伝ってくれればもっと早く終わってここはゾンビの養成所にならなかったって言うのに。まあ、どっちが母さんにとって幸せかどうかはわからないけどね。ふっふっふ・・・。
 あら?
 そんな事言ってる間に、もう少しで終わりそうね。
 それに気づいたのか、隣で端末操作しているマヤのスピードがアップしたわ。そう言えば大学祭の時初めて会ったんだったかしら?とにかく昔から私の背中ばっかり見てる子だったけど、何も本当に私の後を追うようにネルフに就職しなくてもねえ。
 ・・・・・・それにしてもキータッチが速くなったわね。まあ、私が直々に教えてやったんだし当然かしら?

 「マヤ、さすがに速いわね」

 うえ、このコーヒーすっかり冷えてる。結構長い間考え込んでいたから・・・。
 そのくせしっかり自分の作業はしているんだから、我ながらたいしたモノだわ。それとも小人さんが手伝ってくれたのかしら。最近お世話になりっぱなし・・・やばいわ、本当にそろそろ休まないと。第一、私が最後に寝たのっていったい何時間前なのよ?
 ととと、マヤが何か言ってるわ。ちゃんと聞いてやらないとこの子すぐ拗ねちゃうから大変よね。
 目なんか輝かせて何がそんなに嬉しいの?

 「ええ!先輩直伝ですから!もう、手取り足取り・・・きゃっ

 やば・・・この子嬉しいんじゃなくて、あまりの忙しさに壊れかけてたのね。
 急いで仕事を終わらせて休ませないと何するかわからないわ、この天然娘は。

 「そ、そう・・・。あっ、待って。そこ、A−8の方が速いわよ。
 ・・・ちょっと貸して」

 あの時のことを口走られたらいくら何でもまずいから、ちょっとだけ本気をだして手伝ってあげたわ。まあ、記憶の消去は完全だと思うけど、念のために・・・ね。私のクールビューティーという評判を崩すわけにはいかないのよ。

カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカカタカタカタカタカタ(0.5秒)

 気味悪いくらい速いのよねぇ、私のキータッチって。片手なのに両手のマヤより速いんだから。我が事ながら、自分が怖くなるわ。

 「・・・・・・さすが、先輩!素敵です!
 あの時みたいに・・・。あれぇ、あの時って・・・・・・あれあれ??」

 ちょっと、マヤ感動するのは良いけど、何でそんな目をするのよ?ああ、みんな変な目で見てる。
 ・・・記憶の消去が不完全だったみたいね。このキータッチを思い出したようだわ。まあ私は薬学専攻じゃないからたまにはミスもするわ。とりあえず後でしっかり処置しておかないと・・・。
 そこまで考えたとき、いきなり私の背後から話しかけてきた馬鹿が居たわ。


 「どう?MAGIの診察は終わった?」

 ったくこっちは死にそうだって言うのにまた邪魔しに来たのね、このホルスタイン。別名、呑ん兵衛怪獣『ビールドリンカー』。なんだかアスト○モンスに食べられそうな名前ね。
 誰かって?説明要らないでしょう?
 あいつよあいつ。最近婚約したって自慢しに来るクソたわけよ。でも、そんなことが言えるのは今の内よ。いつかきっとあなたが泣いて悔しがる様な男を捕まえて見せるわ。その時まで短い我が世の春とやらを謳歌してなさい!お〜ほっほっほ!

 「大体ね・・・。約束通り、今日のテストには間に合わせたわよ」

 まあ、心ではそう思っても一応ちゃんと受け答えしてやらないとね。一応彼女のたった一人の親友だし。

 「さ〜すが、リツコ。同じ物が3つも有って大変なのに」

 そう思うならちょっとは手伝いなさいよ。まあ、ミサトの頭じゃ無理だろうけど。
 しかし腹が立ってきたわ。私がこんな苦労しているってのに、うわばみミサトはヘラヘラしてるなんてどこか間違っているわよ!
 ちょっと皮肉でも言ってやろうかしら?

 「そう思うなら少しは手伝いなさいよ。いいえ、手伝わなくても良いから自分の仕事をしなさい。こんな所に居てどうするの?
 日向君泣いていたわよ。サハクィエルの被害調査が終わっていないって」
 「あはははは。いいのよ、なんか知らないけど『良いんですよ、あなたのためなら』とか言って喜んで仕事引き受けてくれたわ。それにほら、あたしってデスクワーク苦手じゃない♪」

 ダメね、こいつ。
 皮肉の意味も分かっていないんじゃないかしら?まあ、所詮はミサトなんだし。日向君も可哀相よね、こんな奴が上官だなんて。一番可哀相なのはミサトが親友の私と、こいつと結婚しないといけない加持君だけどね。まったく早まったことを。決定打はこの間の停電事件らしいけど何があったのかしら?
 ナニがあったんでしょうね・・・。
 やだ下品。加持君みたいな冗談を言うなんて。
 加持君と言えば、この間ジオフロントで見たわね。部下の面々をこき使ってスイカ畑をつくってたわ。何考えてるのかしら?まあ、彼も常人とはいろんな意味で違うと言うことの証拠ね。ある意味ミサトとはお似合い同士よ。末永くお幸せに。
 おっと、ミサトが情けない顔でこっち見てる。 

 「言うことはそれだけ?」
 「適材適所よ。私は使徒が来たとき頑張れば良いんであって、こういうデスクワークはがんばんなくていいの♪
 大丈夫、例え使徒がいっぺんに10体やってきてもちゃんと指揮をしてあげるわよ!」

 縁起でもないこと言わないでよ。本当に来たらどうする気なのかしら?

 「リツコったら黙り込まないで何か言ってよ。怒ってるの?
 もう、冷たいんだから♪」

 あなたにだけは言われたくないわ。一応私はあなたの本性を知ってるつもりなんだけどね・・・。
 まあ、最近・・・そう、シンジ君が来てからはだいぶ影がとれたみたいだけど。
 シンジ君か・・・。初めは可愛いくて目が綺麗だけど、ジメジメした性格の鬱陶しい子供としか思っていなかった・・・。
 今もそれは変わってないけどアスカや鈴原君達と一緒にいたら・・・ねえ?可哀相に彼も朱に染まって・・・じゃない私達お互いを支え合っている。彼らを、ミサトを、そして私自身を見てるとそれが実感できるわ。
 そう思うとミサトも憎めない奴よね。なんだかんだ言っても私の親友なんだし。こんなきつい目じゃなくて優しい目で見てあげる。マヤが嫉妬を込めた目で見てるけど気にしない。
 ちょっとミサト、照れ隠しのつもり?私の飲みかけのコーヒーを・・・。

 「冷めてるわよ・・・それ」
 「う゛っ」

 無様ね。


ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ、プーーーーーーーッ!

 『MAGIシステム。3機とも自己診断モードに入りました』
 『第127次定期検診、異常なし』

 馬鹿言ってる間に終わったわ。
 終わったって事は・・・・・・久しぶりに家に帰れるのね。久しぶりにシンジ君の料理が食べられるのね。久しぶりにお布団で眠れるのね。久しぶりに人間の生活ができるのね。
 これはなに・・・?
 涙・・・?
 嬉しい、私嬉しいのね。人間の生活ができることが。ってこれはレイの科白だったわ←違う。あんまり嬉しくって、ついトリップしちゃった。
 でもそれは私だけじゃない。マヤも、名前のないその他の部下達もとっても嬉しそう。
 そんな彼女たちに報いるためにも・・・。私はマイクを手に取った。

 「了解、お疲れさま。みんな、テストは母さん1人にやらせるから今日一日休んでいて頂戴」
 
 笠原山の猿みたいな叫声をあげて喜んでる。嬉しいのねみんな。
 いまさっきユイさんとキョウコさんが簀巻きにして放りこんだ母さんだけ泣いているけど、自業自得、因果応報。知った事じゃあないわね。自分だけ沖縄に行こうとするからよ。








 あっ、言い忘れてた。

 本編・・・始めるわよ。





新世紀エヴァンゾイド

第壱拾参話Aパート
「使徒、侵入」


作者.アラン・スミシー



− 第1章  −

 碇家のリビングに一人の少女が寝っ転がってテレビを見ていた。タンクトップにスポーツパンツという、実に扇動的な格好をした彼女の名は、惣流アスカラングレー・・・ではなくて隣人の綾波レイコだった。アスカは彼女の後ろでテレビを一緒に見ているというか、テレビを見ている彼女を見ていた。ちなみに彼女の格好は家の中と言うことでラフな物だが、それでもその気になればすぐにでも外に出ていける格好である。理由は彼女の同居人があまり彼女がラフな格好をすることを好ましく思わないからだ。そういった事を気にして行動を変える当たり、彼女は結構可愛いのかもしれない。

 「あんたも飽きないわね〜。そんなに面白いの、それ?」
 アスカは何ともはしたない格好でアニメを見ているレイコに、少しばかり呆れながらも質問をした。画面ではちょうど青色のロボットが溶岩内から、ヒラメに蜘蛛ヒトデの手足をつけたような怪物を引きずり出したところだった。勇壮な音楽が鳴り、それに重なるようにレイコが返事をする。
 「うん。だって、格好いいじゃない」
 「格好いいって・・・それ私達の戦いの記録を編集して子供にも見ることができるようにしただけの映像じゃない。本部に行けば無修正でいくらでも見られるでしょう」
 アスカはチルドレンなら、いやネルフ職員ならすでに分かりきったことをわざわざ口にした。なんだか喧嘩を売っているような、小馬鹿にしているような口調で話すアスカ。暇つぶしに見ているに過ぎないレイコもさすがにムッとした顔になるが、深呼吸を数回すると腹這いの体勢から仰向けになってアスカと向き合った。
 「それはそうだけど・・・。
 でもバカにしたもんじゃないわよ。この映像、世界中で放送されているんだから。しかも最低でも視聴率30%でよ。
 凄いと思わない?」
 「まあ、確かに数字だけ聞いてると凄いと思うんだけどさ・・・。
 これって、プロパガンダじゃないの?」
 手をヒラヒラさせながら、アスカが答えた。その声と態度にはかすかな苛立ちが感じられた。敏感にその事実を察知したレイコが、落ち着かせるように話しかけた。起きあがってアスカの隣の椅子に座るとアスカの目をのぞき込む。アスカがこの手の話が嫌いなことを、資料を読んで彼女は知っていたから、アスカの怒りがうまく発散する方向に話を持っていく。
 「うん、まあそうなんだろうけどね。
 でも、ユイ母さん達も苦労してるんだなあって思うと・・・あんまりきついことも言えないよ」
 「・・・まあね。純粋にこれが活劇として楽しめる日が来ると良いんだけど」
 「へぇ〜。そんなこと言うって事は、アスカも嫌いなワケじゃないんだぁ」
 見事にアスカの苛立ちを発散させたレイコはニタニタしながら、紅き姫君に詰め寄った。どうしようもなく退屈していたらしい。
 「な、なによ・・・。急にニタニタしちゃって・・・あんたどうかしたんじゃない?」
 「本当はこの手の話が好きなんじゃないの〜?毎回録画しているとか」
 「んなわけないでしょうが。私が言いたいのは、何であんたがわざわざ家に来てテレビを見ているのかって事と、いったいいつまでレイは買い物に時間をかけているのかって事よ!!!」
 アスカが呆れた様に声を出した。ついでにニタニタするレイコを黙らせようとデコピンしようとするが、スルリとレイコは逃げ出して反撃を開始する。
 「テレビが壊れたからだよ。
 まあ、確かにお姉ちゃん遅いけど、荷物が多いんだからしょうがないんじゃない?やっぱりじゃんけんで決めないで、みんなで行けば良かったんだよ」
 「過ぎたことをいつまでも言うのは止めなさいよ!まったくシンジといい、あんたといい、リツコといい、人の失敗をいつまでもいつまでも・・・。
 後、テレビが壊れたって、先週おばさまが修理代、渡してたじゃない!あのお金どうしたのよ!?」
 「お姉ちゃんと一緒に食べた」
 「食べたって・・・何を?いいわ。言わなくて。聞かない方が良いに決まってるから(そう言えば、こいつどこぞの国の怪しげな料理の本を持ってたわね)」
 アスカは想像をしかけて慌てて止めた。ものすごぉく嫌な予感がしたからだ。どれくらい嫌な想像だったかと言えば、蛆虫が沸き立つ壺の中に腕を突っ込んだ時みたいに、彼女の顔と言わず背中と言わず鳥肌が立つくらい嫌な想像だった。
 「ええ〜〜?聞かないのぉ〜〜〜?某国の・・・」
 「聞かないわ。言ったら、殺すわよ。って、あんたなににじり寄ってきてんのよ!?」
 「え、アスカが聞いてくれないならなんか暇だし〜。攻撃されるばっかりてのは私の性に合わないし。
 と言うわけで反撃」
 アスカにデコピンされたことの反撃のつもりなのか、レイコが手をどこぞの誰かのようにワキワキさせる。その動きに何か含む物でもあったのか、幻惑されたかのようにアスカの動きが一瞬だけ止まった。そしてその隙を見逃すほど鈍い子供はチルドレンには居ない。
 「あ、こら、脇の下くすぐるなんて卑怯よ!あ、ちょっと、・・ぎゃはははっはははっはぁ!!
 「ぎゃはは・・・って、アスカそれ女の子の笑い方じゃないよ。
 それはともかくアスカって敏感なんだ〜。だから一番シンクロ率が高いのかな〜?」
 「ぎゃはは・・・ああっ、ん・・やめろって・・・」
 「くすくす・・・」
 いつの間にかテレビのスイッチが消されたリビングに、怪しく、それでいて甘い声が響くが、2人はくすぐりっこをしているだけだ。そのはずだ。そうに決まっている。そうでないといけないんだ。そうでないとこの話が指定になってしまうんだよ。指定をくらって身動きできなくなるなんてイヤなんだよ!お願いだからそうだと言ってよ!

 「いやあ・・・。やだ・・・いいかげんに、うあっ・・・」
 「アスカ・・ほら、ここも」

 ・・・・・・。


 アスカとレイコがじゃれあって(?)転がっているとき、突然玄関の扉がブシュシュと耳障りな音を立てながら開いた。普通はプシューである。その異様な咆吼にアスカとレイコは怪しく絡み合うのを止めて慌てて扉に目を向けた。
 水色の髪の不思議少女、綾波レイが自動で開く間がもったいないとばかりに、扉をこじ開けて転がり込んできたのだ。彼女の様子は肩で息をしながらもいつもと変わらぬ淡々とした無機的な感じだったが、目が違っていた。ピクピクと神経質に震え、彼女の心の動揺を三歳の子供にでも分かるくらいに表していた。

 「・・・・・・・なにをしてるの?」
 「はあ、はあ、何って・・・」
 「ナニだよ〜」
 
ゴスッ!ゲシッ!フォウン・・・ドガシャッ!!!

 「こ、この天然がぁ!!!一度と言わず、二度!三度!!、いや千回ぐらい死んでなさい!!!」
 非常に興味深い擬音と共に、リビングに大輪の紅い花を咲いた。
 暖かい湯気と、どす黒い体液を耳から垂れ流す彼女の後ろでなぜか少しばかりふらつきながら怒髪天のアスカがキングコングのような絶叫をあげる。アスカの14年という決して長くない生涯においてもここまで怒りを爆発させたことはないだろう。狂獣と化したアスカの背後ではレイが少しだけ引きつった顔をしながらこれまたお決まりの科白を言った。

 「・・・・・・・・・ごめんなさい、こんな時どういう反応をしたらいいか分からないの」
 「忘れればいいと思うわ。て言うか忘れて」
 「・・・そう良かったわね」
 「ナニが良いのよ。それはともかく、あんた絶対誤解してるでしょう?」
 「・・・別に。あなたが碇君を諦めてレイコに走ったなんて思ってないわ」
 「(この野郎・・・黙って聞いてればいい気になりやがって)・・・・・・それはあっちに置いといて。
 どうしたのよ?すっごい慌ててたみたいだけど」
 「緊急事態」

 シンジあたりが聞いたら腰を抜かして悶絶しそうなことを考えていたアスカは、深呼吸をして自分を落ち着かせる。ほどなく、レイの普段と違う態度に不振を覚えながら、落ち着かせるために 本当にあっちに置く動作をしながら話しかけた。決して先ほどの自分たちがその原因かもと考えないあたりが彼女らしいと言うかなんと言うか。
 「なによ?使徒が十匹くらい現れたの?それとも鈴原と相田が最後の一線を越えたとか?カヲルが死んだとか。あ、それは良いことか」
 「聞きたくないなら良いわ」
 「冗談じゃないみたいね。いったいどうしたのよ?」
 レイの冗談を許さないという雰囲気にアスカも真顔になる。アスカの態度が変わったことを確認してから、レイはぼそぼそと誰かに聞かれないように声を潜めて話し始めた。
 「・・・・・・碇君に悪いがついているわ」
 「蠱って、あんたも言うことが酷いわね。それを言うなら普通でしょう?
 で、誰?危険度は?」
 結構容赦のない言い方に、アスカはまた少し友人の本性をかいま見て平衡感覚が狂うのを感じながらも質問をする。ことこの事に関してのみは彼女たちは最大のライバルであると同時に協力者でもあった。もっともお互いいつ裏切るか分からない危うい関係ではあるけれど。

 「危険度A。相手は山岸さん。現在市街中心部を南東におよそ時速4キロで移動中。おそらく第三新東京水族館に向かう模様」
 「く、詳しいわね。
 それより、マユミが!?
 あの根暗女いつの間にシンジをデートになんか誘ったの!?あいつにそこまでできる度胸があったとは・・・。くっ、あの役立たずの間諜が!!」
 驚愕の声をあげるアスカ。彼女の頭におどおどした態度のマユミの姿が浮かび上がる。アスカは、マユミのシンジに向ける想いに気がついていたが、弱気でとてつもなく引っ込み思案な彼女が、シンジとデートするなど信じられなかった。どうせシンジの名前を、誰もいない暗い部屋で呼んでいるのが関の山だと思っていたのだ。かなり失礼な奴である。もっとも彼女の予想と事実は異なっていたが。
 この点に関してはアスカの経験不足が原因であろう。恋する乙女はとんでもない行動力を持っていることを、自分自身を見て気がつくべきだったのだから。あと酒を飲んだときの彼女の暴走を留意すべきだった。
 自らの失策に血がにじむくらいに唇を噛みしめるアスカの手を、クイックイッとレイが引っ張った。
 「使えない間諜への折檻ならいつでもできるわ。それより早くしないと碇君が・・・」
 レイの目がアスカに負けないほど冷徹な光を帯びる。後日、使えない間諜こと相田ケンスケが死ぬ一歩手前で兵装ビルのアンテナに縛り付けられているのが発見された。発見された時、うわごとで「赤い、青い、赤い、青い・・・うけけけけ」と呟いていたという。それが襲撃者の瞳の色なのか、それとも髪の色なのかは謎だが、たぶん両方だ。
 「わかってるわ!行くわよ、レイ!!
 あ、レイコ留守番お願いね。ポテチは塩味を残しておいて」
 「私はにんにく味」
 買い物袋を台所に放り出し、素早く身支度を整えるとアスカとレイは飛び出していった。その時自分の分のおやつを確保するあたりが、花より団子なお年頃だったりする。
 「はいはい、いってらっしゃ〜〜い。帰りはいつ〜?」
 「知らないわよ!」

 「はあ、シンちゃんも大変だわこりゃ」
 飛び出す2人に疲れきった目を向けながら、レイコは人ごとみたいに−−−−−実際人ごとだけど−−−−−呟いた。



− 第2章 春の嵐 −

 さて、アスカとレイがいささか遅すぎる腰を上げた頃、シンジとマユミは第三新東京水族館・・・ではなくそこから反対方向の山の上、展望台にいた。はじめは水族館に向かっていたのだが、突然マユミが「シンジ君、やっぱり展望台に行きましょう」と実に積極的なことを言って目的地変更をしたのだ。シンジにはその時マユミの頭頂部から髪の毛が一本立ったのが見えたとか見えなかったとか。
 とまあ、色々あったが2人は展望台に2人っきりで居た。
 非常に微妙な距離を保ちながらベンチに座るシンジとマユミ。シンジの格好は言うまでもないがかなりよい。彼は無意識に服を選んだのだが、中学生とは思えないくらいに洗練されていた。黒と言うより紺色の落ち着いた服は彼の風のような風貌を引き立たせて、魅力を120%増しにしている。ユイ達の教育の成果が実ったようだ。今のシンジはいろんな意味で第三新東京市に来たときとは大きく変わっていた。対するマユミの服装は黄色い長袖のワンピース。派手すぎず、落ち着いた雰囲気の服で、薄地だったが露出する部分が少なく、そこが彼女の性格をよくあらわしていた。

 「ねえ山岸さん。どうして急に目的地を変えたの?」

 シンジが隣り合ってベンチに座るマユミに質問をする。もちろん返答はない。彼女にだって理由はよく分からないからだ。
 女の勘・・・と答えたってシンジが理解してくれるわけがないことを彼女にはよく分かっていた。なにしろシンジが相手だし。だから彼女は沈黙と、訴えかけるような上目遣いで答えた。
 「え、あ、そうだね。山岸さんにも色々事情があるだろうしね!」
 それだけでシンジは質問をしていたことも忘れて、あさっての方を向いて1人勝手に納得した。彼としてもこの行動は少々情けないかなと思ってはいたが、所詮シンジに女の子を困らせる行動はできないのだ。だってしょうがないじゃないか!楚々とした黒髪の美しい少女の上目遣いなんだ!ここで質問を続けて相手を困らせるなんて、シンジじゃなくてもできるわけないじゃないか!
 そういうわけ(どんなわけだ)で、何となくばつが悪くなったシンジは質問を変えた。
 「あのさ・・・」
 喋りながらシンジは3日前のことを思い出していた。マユミにいきなり『あ、あの、シンジ君、今度の月曜日、訓練も実験もありませんよね?え、えっと、だから、その、もしなにも予定がないんでしたら、一緒に・・・』と言われて一緒に買い物やデートスポット巡りをしたのだが、彼としては誘われる理由が分からなかった。普通ならば上の告白でマユミの秘めた想いに気がつくと言うか、すでにある程度感づいているはずだが、いかんせん相手はシンジだった。
 
 「あのさ、今日はどうして僕を誘ったの?」

 こんな無神経なことを言われたら普通は怒りか絶望を感じるのだが、マユミの反応は違った。質問をするシンジの、子犬のように母性本能をくすぐる目にフルフルと身悶えしていた。シンジの視線はどうやらチルドレンの女の子には麻薬のような物らしい。と言うか美少年の眼差しはこの手の年頃の女の子全般にとって危険な物なのかもしれない。

 「・・・シンジ君・・・私に誘われて、迷惑でした?(ああ、何でそんな目で私を見るんですか!)」

 シンジの突っ込みで、かろうじて自分を見失う前にマユミは逆にシンジに質問をかえした。シンジはあらかじめ考えていたのかよどみなく質問に答える。
 「そんなことないよ。最近訓練ばっかりで全然自由な時間がなかったし、それに山岸さんとはあまり話す機会がなかったよね。だからと言うワケじゃないけど、話してみたかったんだ。山岸さんのこと色々知りたいし、僕のことも知ってもらいたいから」
 「ほ、本当ですか!?」
 シンジは何気なく大胆なことを言った。もちろん彼にはまったく他意はない。あくまでチルドレンの仲間として、色々とお互いのことを知りたいんだというつもりの発言だった。まあ、多少は個人的に気になるからという理由もあるのだが。しかし当然と言えば当然だが、言われた方はそう思ってくれなかった。目を輝かせ、いつも身にまとっている暗さというベールをかなぐり捨てたマユミ。彼女の姿はなんだかとってもまぶしく見えた。
 「ちょっと山岸さんどうしたんだよ?」
 「う、うれしい。うれしいです。・・・シンジ君が、私のことをそんな風に思っていてくれてるなんて」
 「え?え?え?
 山岸さん、どうしたの・・・山岸さん」

 マユミはうれし涙で目を潤ませながらシンジの胸にすがりついた。そのまま胸に頭を預けるようにして抱きついてくる。見た目と普段の行動とは裏腹に今日の彼女はかなり積極的。その柔らかい感触にシンジの理性が一部決壊する。
 このままじゃやばいとばかりにシンジは抱きついてくるマユミから慌てて身を引き離そうとするが、彼女の潤んだ目を間近に見てしまい、動きが止まった。
 「シンジ君。私のこと嫌いですか?」
 「ううん・・・そんなこと無いよ。そ、その・・・嫌いじゃないよ」
 「嫌いじゃない・・・好きでもないんですね」
 すがりつくようにしがみつくマユミの震え声を聞いて、今更ながらマユミの網にとらわれたことを悟ったシンジ。

 (しまった!あれだけ注意していたのに!またひっかかった!)
 (シンジ君・・・。ふっ、この勝負、アスカさんでも綾波さんでもマナさんでもなく、この私がもらいました!)

 シンジの顔が微妙に引きつる。アスカやレイというプレデター相手にもまれた彼も、マユミの攻撃から逃れられなかった。それほど彼女のはった罠は効果的だったのだ。アスカやマナのはる『勝ち気な女の子が時折ふっと見せる弱気(可愛いところ)』攻撃とも、レイが使う『神秘的で近寄りがたい女の子が時折見せる普通の女の子』攻撃ともまったく違う、『大人しい女の子の控えめにすがりつく視線』はさすがの彼にも免疫が全くなかった。もうシンジの心は『守ってあげなきゃ』という思いが溢れまくっていた。
 意識してこの視線ができるとは、山岸マユミ恐るべし。

 「え、泣かないでよ!えっと、えっと、嫌いじゃなくて、その、山岸さんのこと・・・す、好きだよ(うわあああ、何を!?僕は何を言ってるんだ!?まさか山岸さんまで!山岸さんまでアスカ達と同じだったなんて!!)」
 「もう一度言ってくれませんか?(王手飛車取りです!)」
 「好・・・きだよ(ふっ・・・ゴメン、アスカ、綾波、マナ。だってしょうがないじゃないか。山岸さんの攻撃はつぼをつきすぎているんだ。僕に抵抗できるわけ無いじゃないか)」
 シンジが自己弁護する一方で、マユミは会心のニヤリ笑い。
 更に追い打ちをかけるようにキュッとシンジの体にすがりつくマユミ。
 「惣流さん・・・いえアスカさんよりもですか?(さあ、シンジ君。ハイと言って下さい・・・)」
 マユミの言葉を聞いたシンジの心がぴくんと反応する。赤かった顔色が僅かに元に戻り、バクバクなっていた鼓動が少し緩やかになる。
 彼女は功を焦ったばかりに失敗を犯した。うっかり自分以外の女性の名前を出してしまったのだ。その言葉で自分を取り戻したシンジ。顔は優しく、心は冷や汗をだらだら流しながらも優しくマユミを引き離すと、ゆっくりと心に浮かんだことをそのまま言葉にする。
 「えっと、そのわからない。・・・違うな。
 山岸さんが何を聞いているのか本当はわかっているけど、僕そういうことを考えたことがないんだ」
 「・・・・・・・」
 「山岸さんのことは好きだよ。でも、アスカも、綾波もマナもみんなの事が好きなんだ。だけど誰と誰を比べるって事は、今まで考えたこともなかったんだ」
 それだけ言うと、妙にすっきりとした顔でシンジは日の光を浴びてキラキラ輝く兵装ビルを見つめた。

 (や、やばかった。あのまま山岸さんのペースに巻き込まれていたら・・・。それにしてもどうしようも無いなあ、俺って。誰が一番好きなのか自分でもわからないなんて・・・。どうしてこんないい加減な奴がアスカも綾波もマナも、山岸さんも好きだなんて言うんだろう?)
 (・・・失敗しちゃいましたね。もう少しだったのに。でも、これで良いのかもしれませんね。ハッキリされてギクシャクするよりは、今のままの方が・・・。でも、せめてキスくらいはしてもらいたかったです。未確認だけど、アスカさんや綾波さん達はキスしたことがあるらしいのに私だけ無いなんて不公平です。
 そうだ!)


 数分後、お互いに何とも気まずくなった2人がゆっくりと展望台を下っていた。ちょうど坂の真ん中くらいになったとき、何かを思いついたマユミはクスリと笑うと、両手を握りしめて思わせぶりにシンジにつきだした。
 「あの、シンジ君。これ見て下さい」
 「え、何?見たけど、これがどうかしたの?」
 小さくて可愛い手だなあと思いながらも怪訝な顔をするシンジ。それでも律儀にマユミの拳をのぞき込む。その反応に気をよくしながらマユミは言葉を続ける。
 「見たら目をつぶって下さい」
 「う、うん(なんだろ?突き飛ばしたりしないよな)」
 坂道に立っていたため、ちょっとだけ不安に思いながらもシンジは目をつぶった。
 マユミはシンジの目が完全に閉じられていることを確認すると、いたずらっぽく笑った。

 『・・・チュ』

 数瞬後、シンジの鼻をいい匂いのする柔らかな髪の毛がかすり、次いで唇に柔らかい物が触れる。その何とも言えない優しい感触にシンジはおそるおそる目を開けた。
 (いい匂いだ・・・それに気持ちのいい感触・・・って違う!これはもしかして、もしかして!)
 シンジの視線の先には、邪魔になるからか眼鏡を外し耳の先まで真っ赤になったマユミが立っていた。文字通り目と鼻の先に。恥ずかしいのか下を見つめながらも、嬉しそうにはにかむマユミにシンジは呆然としながら声をかける。
 「や、山岸さん・・・?」
 「じゃあ、シンジ君。今日はありがとうございます。また明日・・・」
 シンジの言葉が聞こえていないかのごとく、マユミはとびっきりの笑顔を向けると後ろを向いてテッテケテと走り出した。
 「惣流・・いえ、アスカさん!綾波さん!私は負けませんよ!
 自分を取り戻したシンジが慌てて追いかけようとするが、それよりも早くマユミは向き直ると大声で宣戦布告をする。シンジの背後に立っていた2人の守護天使に。

 「言ってくれるわね、あの女。私達に宣戦布告とは」
 「どうするの?これは私のシナリオにないわ」
 「問題ないわ。かなり大変なことになりそうだけど修正は効くわ。マナを加えた四角関係から、マユミを加えて五角関係にね」
 「良いの?ますます大変になるのよ」
 「良いわけないけど、マユミの想いも本物みたいだもん。しょうがないわよ」
 「そう・・・そうね。彼女も私達と同じなのね」
 そこまで言うとアスカとレイはもうだいぶ小さくなったマユミの後ろ姿を見つめた。
 
 「あ、あの〜〜、2人ともいつからそこにいたのかな?は、はは」
 「あんたがバカみたいにマユミの手をのぞき込んだ所からよ。その事に関してこれからちょっと話があるから♪」
 シンジの微妙にふるえを帯びた言葉にアスカはとてつもなく優しく返事をしたが、シンジは全然嬉しくなかった。



− 第3章 Invasion −

 シンジ達が自分たちを原稿用紙にして恋愛小説を書いている頃、某所では地獄が始まろうとしていた。

 『ATフィールドの発生を確認!!』
 『駄目です!イロウル覚醒します!!』
 オペレーターらしき者達が目の前のモニターとセンサーからの情報を見ながら悲鳴をあげた。モニターには粘土の塊のような物体がうねうねと蠢く姿が映し出されている。直径2m程の真っ白な泥団子のようにしか見えなかったそれは、花が開くようにゆっくりと触手を伸ばしていった。
 「そんな、そんな・・・封印はきちんと働いているんだ!動けるはずないんだ!!」
 1人の科学者らしい人物がそう呟くが物体はしっかりと動いていた。人間の浅知恵をあざ笑うかのように、ことさらゆっくりと。
 いくつもの恐怖に濁った目が見つめる中、物体は伸び上がるように形を変えると、触手を形成して壁に取り付いた。

バチッ!!

 壁に触手がふれたとたんスパークが走り、触手が慌てたように縮んで物体の活動が停止する。
 「そうだ!あいつの周囲の壁には常に25万ボルトの高電圧がかけてあるんだ!いくらあいつでも、これを乗り越えることなんかできっこない!!」
 痙攣して動かなくなった物体に、別の人物が自信を取り戻したのか吐き捨てるように叫んだ。よくも驚かせてくれたと、自らの虚勢をはいだことに抗議するかのように。
 「助かった・・・」
 また別の人物は脱力して椅子に崩れ落ちた。
 そのまま彼らは物体を封印して、何もかもを処理して全てを忘れようとした。物体を調査せよという命令も無視して。それ以外に彼らが平穏を取り戻すことがないことを知ったのだ。彼らの目の前の物体は人の手がふれて良い物ではないことを。だが、神は彼らに安息を与える気はなかった。

 息をするのもおっくうになった彼らの耳に再びけたたましいオペレーターの叫び声が飛び込んできたのだ。
 『イロウル活動再開!!』
 『表面の一部が発光!目まぐるしく変化しています!スペクトル分析できません!!光学兵器の可能性があります!!モニターに対閃光処理を施します!!』
 影がかかったモニターに映る物体・・・彼らがイロウルと呼ぶそれの形が再び変化していく。一本の細い触手が植物の蔓のようにゆっくりと上方に伸びていき、それと同時にイロウルの表面が虹色に輝き始める。そして、イロウルは虹色の触手を無造作に壁に突き立てた。

 「そんな!どうして放電しないんだ!?」
 彼の叫びどおり、触手は何ら妨害を受けることなく壁に穴を穿った。そのまま複合装甲の壁に同化していく。

 『データでました!イロウルの伝導率が100%になっています!』
 「そんな、生物体が常温超伝導状態になるなんて!」
 彼が科学者としての好奇心の入り混じった声をあげる目の前で、イロウルは完全に壁にとけ込んでいた。そしてほんの一時の平穏が室内に戻るが、それは終わりの始まりであることを、全ての人間が理解していた。

 数分後。

 『第6パイプに異常発生!!』
 『イロウル、第87タンパク壁に達しました!浸食部が増殖しています!!爆発的スピードです!!』
 『第8、9、10エリア応答ありません!』


 イロウルは凄まじい勢いで施設内を浸食していった。それが金属であろうと、生体組織であろうと、人間であろうと関係なく。浸食されたのが無生物の場合は静かな占領だったが、それが命ある物、人間だった場合は阿鼻叫喚の地獄を挺していた。干からび、全身の毛穴から血を吹き出して倒れた体を粘菌がはい進むかのようにイロウルが覆い尽くしていく。白い顎が人間を飲み込んでいった。
 もちろん人間達も生き残るために必死になって抵抗した。
 火炎放射器、その逆に液体窒素の散布、毒ガス、超音波、真空状態、ありとあらゆる手を使った。生きるために。そして施設再深部に隠されたとある物を守るために。
 だがその必死の抵抗も一時的には効果があっても、イロウルはほんの僅かな時間でその攻撃に対して完璧な抵抗力を身につけ、ますます貪欲に施設内部を浸食していったのだ。



 『浸食は壁伝いに侵攻しています!!』
 そして遂にイロウルは目的地まで到達した。イロウルはかなり体積を増しており、その姿は動く山を連想させた。
 「ポリソーム用意!レーザー出力最大!侵入と同時に発射!!
 なんとしてでもドグマに侵入させるな!!」
 最高責任者らしい人物の号令と共にレーザーを装備したアーム−−自動防衛システムポリソーム−−が分厚い扉の前に集結する。
 『イロウル来ます!!』
 「撃て!」 
 無数の光線が溶けかけたアイスクリームのようにのっぺりとしたイロウルの体に突き刺さった。凄まじい熱量によって部分的に蒸発するイロウル。慌てたように後退する体に餓狼のような貪欲さで再度レーザーが撃ち込まれていく。瞬く間にイロウルの体が縮んでいき、こじ開けた扉の後ろに隠れた。
 「効いてるぞ!もっとだ!撃ちまくれ!!」
 男はどこかタガが外れたかのように声を上げるが、しばらくすると勝利の高揚は絶望に変わった。レーザーの命中部分に突然赤い光の盾が現れはじき返したのだ。
 「焦点温度10万度の赤外線レーザーを拡散させるのではなく跳ね返すとは・・・。こ、これがATフィールド。神の力か・・・」
 それは敗北宣言だった。


 全ての障害を乗り越えたイロウルは目の前の物体に取り付いた。
 巨大で暗黒が支配する部屋に安置、いや封印された物体に。それは十字架に張り付けにされたかのように固定された巨人だった。その巨体にトーガを巻くように絡みつくイロウル。銀色の巨体を完全に覆い尽くしたイロウルは、やがて巨人の内部にとけ込んでいった。完全に内に溶け込んだ直後、巨人の目が凶暴な光を帯びる。
 『・・・イロウル目標に接触。エヴァと一体化しました』
 オペレーターが力無くモニターに映る銀色の巨人、数分前までは封印されていたエヴァ4号機、今はイロウルを見た。こうしていれば全て夢になるとでも言いたげに、どこか投げやりな感じで。

 それから後に起こったことは、言葉にしようもなかった。
 かつて汎用人型決戦兵器と呼ばれた巨人、エヴァンゲリオンに取り付いたイロウルはレーザーでも、高圧電流でも、物理兵器でも、たとえそれがN2爆雷であっても止めることはできなかっただろう。事実止めることはできなかった。次々とP4施設に保管されていたかつて敗れた使徒達の欠片を取り込んでいき、ありとあらゆる隔壁を突き破りながら地上を目指していくイロウル。その姿は神の使徒と言うより悪魔以外の何者でもないように思えた。

 ほぼ全ての職員が退避するか、もしく死んでいなくなった室内で10歳は老け込んだ顔をした男が、濁った瞳で最後の命令を出した。
 「MAGI6に自爆指令。我々を塵に変えたとしてもあの化け物を外に出すな」
 彼の遅きに失した命令に最後まで残っていたオペレーターが答えた。
 「駄目です。メルキオール、バルタザール、カスパー、全て使徒にハッキングされています。拒絶されました」
 「ふっふふ・・・くそっ!なにが使徒のサンプルだ!なにが使徒は完全に封印されているだ!!
 あの男、我々をイロウルの肥やしにしやがった・・・」
 「信濃博士・・・」
 それだけ一息に吐き出すと、オペレーターに信濃と呼ばれた男・・・信濃イズミは椅子に深々と腰を下ろした。その顔はこれから起こりうる事への不安に深く彩られてはいたが、やれることは全てやったというある種の満足感もかすかに伺うことができた。そしてそれが今彼を支える透明な柱となっていた。

 しばらく−−時間にして数分−−モニターに映るイロウルの姿を眺めていた彼だったが、決心がついたのか物憂げにオペレーターに向き直った。
 「・・・すまなかったな。君たちまで巻き込んで」
 「我々はこれから脱出を試みます。博士はどうするのですか?」
 「私かね?・・・・・・・・私はここに残るよ。目先に吊された人参につられて、友を、妻を、全てを裏切ったんだ。そのあげくこの大惨事だ。生きていてもしょうがあるまい」
 イズミは最後まで残っていたオペレーターにそれだけ言うと、生き残っていた回線を開き本部まで送るメールを書き始めた。遺言を送るために。そこまで決めた彼は部下達の必死の言葉にも強い拒絶だけを返した。
 「しかし」
 「くどい。良いから急いで逃げたまえ。こうなっては砂時計の砂はダイアモンドより貴重だ。おそらく奴は自分が外に出たところでここを爆破するか、局地的なインパクトを起こして消滅させる気だ。こうしている間に奴は地上に近づいている」
 「・・・・・わかりました。では!」
 職員がたった一度だけ振り返って姿を消した後、彼は静かに黙々と手紙を書き続けた。そしてそれが書きあがったのを確認すると、寂しそうな目をしながら送信した。
 「・・・・・・・・すまなかったな、ナオコ。私は一度で良いから君に勝ちたかった。
 その報いがこれか。神の罰と言うには、あまりにも大きすぎる。せめて君と子供達は・・・」



 イロウルが地上にその姿を現した数分後、ネルフ・アメリカ第二支部は消滅した。
 恐怖という名の天使の力によって。
 眼下で暗黒に建造物が飲み込まれていくのを見ながら、イロウルは3対の翼を大きくはためかせた。第三新東京市を目指して。
 そのころシンジ達は、最悪の使徒の誕生も知らずに日常を謳歌していた。
 彼らの一時の平和をあざ笑うかのようにイロウルは飛ぶ。
 人類に滅びと言う名の福音を与えるため、福音を体として。


Bパートに続く

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