第伍話 Drivin' Children (Part-C)
written on 1996/10/6
二人は砂浜に出た。
美しい――――とは、とても言い難い光景。
あらゆる種類のゴミが散乱し、明るい太陽の光が不気味にそれらを照らし
出していた。
海鳥の鳴き声さえも、この世界に対する悲痛な嘆きに聞こえてくる。
前世紀の世紀末、そして今世紀初頭の二度に渡って引き起こされた水位変
化は、多量の瓦礫を海にもたらした。
TV。看板。車。家。ビル。化学兵器。原子炉。
全てが海に沈み、また現れた。
沈まないモノ、分解しないモノは、今も海流に乗ってさまよい、どこかの
海岸に流れ着くのだろう。
あるいはもうゴミの氷山ができているかもしれない。
しかし、今日も、海はいつもと変わらず人の住む陸地に波を寄せる。
アスカはそんな浜辺を撮りに来たのだった。
まったく何も話を聞いていなかったシンジは、ファインダーを覗きながら
さっさと海岸を歩き出したアスカを見送るだけである。
これが――――『海』
今までシンジたちが訪れることのできた海岸は、全て政府から指定された
場所であった。
薬物と清掃船と浄化膜によって綺麗に取り繕われた海。
20世紀のロマンス映画で見たような、透き通った海水と、踏み心地の良
い砂浜。
作られた世界。
そして今、シンジの目の前には、ニュースや新聞を通してしか見たことが
なかった真実の海の姿があった。
このリアルな世界は、シンジに実感をもたらさない。
シンジは足下に埋まっている、錆び付いた鉄の塊を蹴飛ばした。
鈍い音を立てるそれを、シンジはぼんやりと見つめる。
刹那、海鳥の声がひときわ高く響いた。
ふと頭を上げると、いつの間にか、アスカの姿が遠く小さくなっていた。
シンジは声をかけるのをあきらめると、近くの岩場によじ登って、腰を下
ろす。
ごつごつした感触を噛みしめながら、シンジは膝を抱えた。
* * *
しばらくファインダー越しに映る世界に没頭していたアスカは、打ち上げ
られた魚の屍が視界に入るなり、目を背けてファインダーから顔を離した。
少しだけ眉を寄せて、そのまま空を見上げた。
突き抜けるような青い空。
ふと振り返ると、自分の付けた足跡だけがうっすらと砂浜に続いている。
今度はその足跡を辿るようにビデオを回す。
そのうち、岩場に腰掛けているシンジの姿が視界に入ってきた。
アスカは望遠を最大に合わせて、シンジを見つめた。
背中を丸めて海をぼんやりと眺めているその姿は、あの頃を思い出させる
脆弱さを感じさせる。
風に髪があおられて表情を捉えがたくしていたが、アスカは何故か胸が締
め付けられるような感覚を覚えた。
パシャリ
スチールモードで1枚だけ静止画像に落とし込むと、アスカはそのまま足
早に岩場に向かい始めた。
アスカはシンジが座っている岩場の下まで戻ってくると、そのままカメラ
を上げて、シンジの顔に角度を合わせた。
それに気づいて、落ち着かない様子で口を開くシンジ。
「おかえり…………な、なに?」
「べっつにー。相変わらず暗い顔してるんだって思っただけよ」
ビデオを降ろしながらアスカは答える。
「……暗くて、ひねくれてて、冴えない男で悪かったね。
生まれつきなんだよ…………っと、はい」
シンジが岩場の上から手を差し伸べた。
無言でその手を握るアスカ。
次の瞬間、ぐいっと、思いもよらぬ強い力で引っ張り上げられて、アスカ
は小さく悲鳴を上げた。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
「もうちょっと優しくしなさいよ! ビ、ビデオが壊れたらどうすんのよ」
アスカはつい強い口調でシンジに詰め寄るが、シンジは黙って自分の手と
アスカの身体を何度か見比べるだけである。
「な、なによ!」
「………アスカって、こんなに軽かったっけ?」
「なっ! あたしは、昔っから、このスリムな身体のままよ!」
「そうだよね」と言って、シンジは再び自分の手を見つめた。
「こっちか………」
いつの間にか変わってしまった自分に、シンジは今更のように時間の流れ
を感じていた。
「ま、少しは男らしくなったってコトじゃないの、あんたも」
アスカはそっぽを向きながらシンジの横に座り込んだ。
しばらく躊躇した後、少しだけ離れてシンジも腰を下ろす。
「……なんかさ、いろんなモノが打ち上げられてたね。
こんな砂浜がずっと続いているなんて知らなかったよ」
だが、シンジの言葉にアスカの返事はない。
「あ、あのさ、ドイツのモノとか、流れ着いてなかった?」
アスカは相変わらず海を見つめたままである。
しばらく気まずい沈黙が続いた後、アスカが独り言のようにつぶやいた。
「今度ママが日本に来るの」
アスカの唐突な言葉にシンジは何も反応できなかった。
そのままアスカの言葉が続いた。
「来るのは夏の話だけどね。
シンジは知ってると思うけど、血の繋がってない母親なの。
最初のママが死んで、あたしはこの人とパパの子供になった。
そしてパパが死んだ後は、この人と知らない男の人の子供になった。
我ながら複雑な家庭だって思うわ。
全然血の繋がりがない親子なんだもの」
アスカは膝の上に顎を乗せたまましゃべり続ける。
「それでね、その新しい父親も、ついこの前亡くなったの。
私は一度しか顔を合わせたことがないから悲しみようがなかったけど、マ
マはかなり参ってるみたいだったわ。
電話口で泣きつかれちゃって、あたしも大変だったんだから。
ま、あの人も悪い人じゃないのよね。
ただ、自分に正直なだけ。
だから、本当のママからパパを奪って……
あたしが心を開かなかったから、あの人も心を開いてくれなくて……
でも、それでも、
たった一人の家族なの……」
シンジにはアスカの気持ちが痛いほど理解できた。
そう。
例えば、僕にとってのミサトさん。
血の繋がりはなくても、どこかすれ違う時もあったけど。
それでも家族と呼べるもの、帰る場所が、待っている人が、脆いかもしれ
ないけど、絆で繋がった存在があるという事実は、幸せにつながっていた。
「……ゴメン。
シンジには誰も家族がいないのに、こんな話しちゃって」
わかるよ。
アスカの気持ち。
だから、
「気にしないでよ。
それに、こういうコト、話してくれる方が嬉しいから」
これも絆の一つだよね。
「…………うん。ありがと」
アスカがシンジの方に顔を向けて微笑んだ。
「あたし、ずっと独りで生きていこうと努力してた。
あんなに嫌な思いをするくらいなら、最初から誰もいない方がいいって。
でも、結局、独りじゃ生きていけないってわかったわ。
寂しくもないけど、嬉しくもないんだもの。
虚しさが募って、胸の中は空っぽ。
雲を掴むようにもがいてるだけ。
それって生きているって実感ないのよね。
誰かに必要とされたい。
誰かを必要としている。
誰かに支えられたい。
誰かの支えになりたい。
人間だもん、こーゆーのって、しょーがないじゃん。
でも、こんなこと考えてると、結局エヴァってあたしにとって何だったん
だろうって思っちゃうのよ。
少なくとも10年間近く、あたしの生きる理由、世界とあたしを繋ぐ絆だ
ったのは事実。
そして家庭を崩壊させた原因の一つであることも事実。
もし、あたしがエヴァと何の関係もない人生を送ってたら、どうなってた
んだろうって」
シンジはアスカの言葉を一つ一つ噛みしめていた。
まるでそれは自分の言葉のように心に染みていく。
シンジの口は自然と言葉を紡ぎだしていた。
「僕はずっと自分のことをいらない子供なんだって思ってた。
そしてエヴァに乗ることに存在意義を見つけて、それだけが自分の価値だ
と思いこんで。
でも、こうやってエヴァに乗らなくなって随分経ってから思うことなんだ
けど、もしボクにエヴァが無かったとしても、たぶんそれなりに生きていけ
たんじゃないかって、なんとなくそんな気がするんだ。
他人と触れ合うこと。慰め合うこと。傷つけ合うこと。
それはエヴァに乗ろうが乗るまいが、必ず訪れるものだから。
生きていく上で、逃げられないコトだから。
周りの人たちを見て、最近そう思うんだ。
エヴァが僕の生き方に大きな影響を与えたのは事実だけど、それだけが今
の僕を形作っているワケじゃない。
何年か前までは、そう言い切れる自信が無かったけどね」
沈黙が続いた。
アスカはじっと海を見ている。
「………ごめん。僕の方がつまんない話しちゃったね」
「つまんないかどうかはあたしが決めることよ。
ほんっっと内罰的なとこは相変わらずなんだから」
アスカが再びシンジの方を見て、あきれたように言う。
「そうだね……」
シンジはアスカの言葉に微笑んで返す。
「とにかくさ。
今、ここに、こうしていることの出来る自分を、
僕は素直に幸せだって言えるよ」
シンジの力強い口調と真剣な視線に、
アスカは言い様のない安心感を覚えた。
と、同時に、心拍数が急激に上昇していくのを感じる。
1mも離れていない距離で見つめ合っている二人。
そして誰もいない海。
お互い同じ何かを求めている。
それは、何?
とくん。
アスカの唇が何かを紡ぎだそうとする。
「シンジ………あ、あたし……………」
どもるアスカに、シンジはいったい何を言い出すのかと首を傾げている。
「あ、あたし、シン……ジと会え……て……は………ふぁ…………クチュン!」
しかしアスカの口から飛び出したのは、全てをぶちこわすかのようなくし
ゃみ。
これ以上はないというようなタイミングに、シンジは目を白黒、そしてア
スカは猛烈に顔を赤くした。
「ごっ、ごめ……ん!!
あぁ、え、っと……あ、その、ととと、とんでもないわね、あたしって。
バッカみたい!って、シンジのコトじゃないからね!
はあああ、もぉ、サイアクぅぅぅ…………」
アスカにしては珍しいうろたえぶりに、シンジはおかしさがこみ上げてく
るのを抑えきれず、くすくすと笑い出した。
ますます顔を赤くするアスカに、シンジは優しく声をかける。
「そろそろ車に戻ろうか」
「…………ウン」
こうしてシンジとアスカが車に戻った頃には、時刻は12時をちょっと過
ぎるくらいであった。
編集作業が残っているというアスカの言葉に、さっそく第3新東京市へ戻
ることになった。
道中、どちらかというと静かな時間が続いたが、それは気まずいというモ
ノではなく、安心感に包まれた落ち着いた雰囲気であった。
二人が車を返して自宅へ戻ったのは16時前後。
出発して約10時間経った頃だった。
シンジとアスカがこれだけの時間を二人だけで過ごしたのは、実に5年ぶ
りのことであった。
* * *
同日、21時。
帰宅しておよそ5時間が経過。
シンジは思い切って受話器を取った。
短縮、そして1のボタンを続けて押す。
短い呼び出し音の後、今日はずっと一緒にいた声が返ってきた。
「ハイ。惣流ですけど」
「あ、えっと……僕……じゃなくて、あの碇だけど……」
「シンジ!?」
嬉しそうなアスカの声。
シンジはほっとして言葉を続けた。
「あ、あの、今日は……その、ありがと。すごく楽しかった……」
一瞬の間。
その沈黙はシンジにとてつもない不安を与える。
そして、
受話器の向こうから漏れる小さな息づかい。
うれしさと、せつなさと、もどかしさの詰まった溜息。
「…………バカ。あたしのセリフをとらないでよ」
「ご、ごめん……」
「もぉ、シンジが謝ってどうすんの。ホントにバカなんだから……」
<第六話へ続く>
DARUの部屋へ戻る