どうしても手に入らないもの

日曜の午後の日が落ちたあと、間接照明でどこか柔らかい石造りの広間で、さまざまな絵とアンティークに囲まれて、僕は夕食の後の紅茶をすすっていた。物音一つしない広間で、ここの主は椅子にだらしなくくずれて、ぼんやりとしていた。その表情はとても深慮しているようで、実際は何も考えていないに違いなかった。

完結明瞭に一言で表わせば”変人の見本”の男。

”精神的な眠り”。彼はぼんやりとすることをこう言っているが、そんなことを言うのは前にも後にも彼だけだ。確かに目を開けて寝ているような状態なので言えないこともないのかもしれない。確かな事は、こんなときの彼は何時間経ってもこうである。ただし、パソコンのスリープ状態のようなものであるので、ちょっとの知的刺激で目を覚ます。

「琢久は天秤座だったよね」

姿勢は変わらなかったが、視線だけが僕のほうを向いた。

「そうだったかな?」

自分の誕生日さえ記憶が怪しいらしい。しかし”Yes”のようだ。おおむね、ではあるが。

「琢久は占いは信じる?」

  琢久は少し考えるふりをしてから答えた。

「いろいろやるけど。タロットから占星術から手相までな」

妙に色の薄い黒髪に、どこといって特徴のない茫洋とした顔。琢久というこの人物、あたりまえのごとく年齢不詳で、見た目から十分怪しいうえに、本当か嘘か分からない胡散臭いことばかり言うことが多い。それでも今回は本当らしかった。

僕は彼の言葉を受けてちらりと本棚に目をやる。アンティーク調和するように置かれたどこの国の物かもわからぬ古本―黒魔術やら悪魔の召還やらの怪しい本だと思う―が並んでいる。その中には現代の占いの本が妙に浮いて、確かに混じっていた。

「今日の占い、欲しかったものを取り逃がす一日なんだって」

朝の目○まし○Vの占い。12位だった上に内容は『前々から欲しかったものが手から離れていく予感、買い物や告白は避けたほうが無難?』と出ていた。

「あと5時間で終わるぞ」

時計に目をやって、身も蓋もないことをあっさりと琢久は返してきた。裏表なく身も蓋もない男なのだ。

「琢久には手に入らなかった”もの”ってある?」

信じるとも信じないとも答えなかった男に僕は問うてみる。何でこんなことを聞いたかと言うと…今日の僕は好きな女の子に彼氏ができたというのを聞いたばっかりだからだ。占いどおりだったわけである。

「手に入らなかったもの?掃いて捨てるぐらいあるぞ」

表情はぼんやりとさせたまま、当然のようにあっさりと琢久は答えた。

「誰でもそーだろ。手に入れ損ねたものの一つや二つはある。世の中になんでも手に入る奴はいない……手に入れるという事は、大なり小なり必ずその代償を払うということだからな」

内容だけ吟味すれば意味深長なことを言っているが、彼の口調で言われると何かを中途半端に悟ったように聞こえた。

「何でも手に入るということは、それ自体が不幸だ。手に入れる苦労も、手に入れたときの達成感も知らないと言うことだからな。そして、自分が代償を払っていることも知らない、知ったときは破滅のときだ」

払う代償は無限ではない。それを知らないから何でも手に入るのだ。そして気づかぬうちに破滅する。

「―――でも手に入らないのも不幸じゃないの?」

僕は指摘する。手に入るのが不幸なことがあるのだとしても、手に入らないことは幸福にはならないのが摂理だ。

「”塞翁、万事が馬”と言う諺を?」

意味するところは、人生何が幸運か不運かは最後までわからないだったか?

「何が幸福で、何が不幸だったかなんて、死ぬ瞬間までわからんさ」

この男の言葉にはいつも無常観が含まれている。そのせいか怪しく変なくせに言う事は含蓄を含んでいることが多い。

「いつも気づくのはそれに最後だ。チャンスにしても、何にしてもな」

気づかなければ二度と触れることはない。幸福になるチャンスも、不幸になる落とし穴も、そこから這い上がる糸も――――

「琢久は、”いま”幸福?」

「それほど不幸ではないな。所詮、幸福なんて不幸でない状態に過ぎん」

「ひどく後ろ向きな幸福だね」

「不幸でないことを追い求めているうちは、けして幸福に気づくことはない。追い求めることをやめたとき、はじめて人は幸福なれるそうだぜ」

琢久は自分が幸福かどうかなんてことに、興味は爪の垢ほどもないに決まっていた。

「――――で?何の話だったか?」

自分がしていた話にも自覚はなく、尋ねてくる。手に入らなかったものはあるか?という話だよ教えてあげた。

「手に入れるために代償が必要なら、その代償は僕の中の、どこからくるのかな?」

好きなあの子に僕の方を振り向いてもらうために、払うべき代償の量はいくらで?それはどこから持ってくればいいのか?

「さあな」

本気に心底どうでもよさそうだった。

「くるとすれば、未来ぐらいしかないだろう」

琢久は答えた。まったく真剣味も説得力もなかった。

「何事も未来からしかこない、そうじゃないの?」

過去からは何もこない。過去からは何も連れてはこれない。

「そうだが……」

ようやく顔をこちらに向けて琢久は言葉を濁した。

「言ったろ?手に入れるには代償が要ると。誰も気づいてないだけだが、世の中すべてバランスだよバランス。誰もが知らねーだろーが、得るものと得ることができなかったものの収支が合っている限り、人はバランスをとっていられる。もしどちらかが増えれば、その揺り返しに人は苦しむことになる」

「幸福量保存の法則?」

「言い得て妙だな」

僕の前に呼んだ漫画の引用の、その相応しさに琢久は同意した。

「僕は幸福が多い方がいいな」

 
ティーポットからお代わりを注ぎながら、琥珀色の美味しい液体がカップに満たされていくのも幸福の一つかなと覚えた。幸福量保存の法則よれば、そのぶんどこかで不幸になっている計算になる。この液体ぶんの不幸とはいったいなんだろう。失恋では割に合わないが。

「世界のほとんどはそう思っているさ」

自分自身を含めて。

  
  「ただ、万能の神様が存在しないように、絶対普遍の幸福も不幸も存在しない。多様な価値観が混在する世の中、なにが代償で、なにに代償を注ぐか判りづらくなっている。それがわかるのは当人だけだろうな」

  僕にとって美味しい紅茶を飲めることは、間違いなく幸福の領域に属することだった。
  

「そういえば、手に入らない事が関係するお化けっているの?」

たとえばここにある10枚以上の絵とか。

ここにある絵画がすべて価値あるものだと知ったのは最近だった。これも、惹かれる人にとっては手に入らないものの一つだろう。

「いる事はいる」

彼が道楽者と語る祖父の集めた絵を受け継いだ琢久は、その手の話も受け継いでいるのだ。

怪しい男が知る、真偽のわからぬ怪しい話。

「何か知らない?」

僕はいつものように聞く。

「ここの絵には関係ないけどな……」

わずかに思い巡らして琢人は語り出す。もしかしたら、今創りあげているのかもしれないが。ただ言えるのは、底知れない妙な知識の持ち主なのだ。

「ある絵にまつわる話だ」

壁に飾られている絵越しに、琢久はそれを思い浮かべた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

人には108の煩悩があるという。それを除くために除夜の鐘は108回撞くという。

欲望は煩悩の一つだったろうか?と、多分、他人にはどうでもいいようなことをその男は考えていた。

世の中にはいろいろな形の欲望がある。食欲、性欲、征服欲、睡眠欲その他etc。この男の欲は単純だった。欲しい物がある、それだけだった。

外見はどこにでもいる若いサラリーマン。通勤の満員電車に疲れ、仕事に手ごたえを感じず、高いアパートと物価に細々と遊ぶしかない、この世に疲れたありふれた男だった。

決して金銭的に裕福ではないこの男が欲しいのは絵だった。世界的に有名なマリンアートの絵で、長期のローンを組めば決して手に入らない物ではなかった。だが男は結婚を控えており、そのために懐にも通帳にも余裕はなかった。

その日も男は通勤に使う駅のすぐそば、大手デパートの催事場の臨時ギャラリーに足を運んだ。

『悩んでいるな』

心奪われた絵の前で見とれる彼に語りかけてきたのは、男のよく知っている男だった。

「まったくだ」

男は口を動かさず答えた。しかし、彼の周囲に人はいない。

『どうする?』

男は絵の額の下についている紙切れに目をやってため息をつく。値段と、60回ものローンの値段が書き出されていた。

「どうすればいい?」

男は尋ねる。

『気がすむようにすればいい』

他人事のような気楽さで声は答えた。

「買っていいのか?」

男は苛立ちをかみ殺して問い返す。

『そうは言ってないさ』

「じゃあなんと言っているんだ」

男の感情に左右されることなく、気楽さを崩さぬまま声は続ける。

『君はこの絵を買いたいんだろ?』

「そうだ」

『君の給料はけして高くない』

「そうだ」

『しかも君は結婚を控えている』

「そうだ」

『子供も生まれる』

「―――――そうだ」

禅問答のように声は一つ一つ、男の抱えている現実を指摘していく。

『現実を見て、君にこのローンを払うだけの余裕はない』

「――――――――――――そうだ」

『妻になる人に言い出す勇気もない』

「……そうだな」

声の言うとおりだった。声は間違っていない、間違いを言ったことはない。

声は痛ましそうに色を変えて、諭すように誰かが彼の両肩に手を置く感触があった。

『君が私を感じているということは、迷っているということだ』

「そうなのか」

『そうだろ?いつもそうだったろ』

「ああ」

『迷いは恐れだ。君はこの絵に惹かれながらも、この絵がもたらす結果もよく理解していて、それを怖がっているんだ』

「そうなのかもな」

『君が欲しがっているのは、この絵だろ?いまならディジタル・データもある。手に入れる方法はあるさ』

本物の絵と、パズルやポスター、ディジタル・データとは、絵を好む人間にとっては決定的な違い存在する。それを隠して、代替品をちらつかせる事で”声”は彼の思考を誘導していった。

『なあ、ほかの手を考えよう』

「―――そうだな」

男はもう一度絵に視線を向けて、それから名残惜しそうに背を向けた。

諭されて去る男の名は、記名帳に毎日記されていた。

ギャラリーで時間を費やしたせいか、帰りの電車は帰宅時間の満員状態に比べればはるかに空いていた。暗くなった外をバックに電車の窓ガラスに映る自分の顔は、ひどく焦って、名残惜しそうだった。天井につってある広告に一度目をやって、それから目をそらし、しばらくしたら気になってしょうがないその広告に目をやる、男はそれをずっと繰り返していた。

彼が心奪われた絵のギャラリーの開催期間が載っていた。あと3日。

『もう7回目だ。そろそろ心を決めたらどうだい?』

彼自身も数えていない回数をわざわざ指摘して声が嘲笑うように言った。

「うるさい」

男は口に出して声をはねつけた。周囲の乗客がギョッとして男を見るが、男は意に介さなかった。

男はそれを単に”声”といっていた。今も自分の後ろにいる。姿も声質もわからないし知ろうと思ったことがない。でも男にはその存在が感じられたし、誰に信じてもらえなくてもよかった。ただし、この”声”はいつも彼が欲望を満たすときしか現れず、そしてそれに迷うときにしか喋らないのだった。

蟻を踏み潰したとき、お菓子を万引きしたとき、拾ったお金をポケットに入れたとき、欲しかった本を買うとき、そして女を抱いたときも、いつも後ろで控えていた。

しかし迷わない限り、何もいわなかった。

「だいたいおまえは何なんだ?」

初めて男は声に尋ねた。26年の人生で初めてのことだった。

『そういう言い方はないだろ?長い付き合いじゃないか?』

声の調子からして、肩をすくめたらしかった。

「いつもいつも人に皮肉言いやがって!邪魔することしか出来ないのか?」

『酷な事を言うなよ。それだけが私のとりえさ』

「チェッ。疫病神で貧乏神か。とんだ奴に憑かれたものだぜ」

『別に私は疫病神でも貧乏神でもないよ』

「それ以外言いようがあるかよ?」

『私は君の一部だ。私の否定は君の自己否定だよ』

「おまえが俺の一部だって?ふざけんな!!さっさと出て行きやがれ」

『それは出来ないよ』

「なんだと?」

『そうしてしまったら、君を止める者がなくなる』

「おまえなんかに止められたくねーよ」

『そうじゃない』

ぶつぶつと呟き続ける男を、周囲の乗客は気味悪そうに遠巻きにしていた。

展示会最終日。男はまたしても閉店間際のギャラリーにいた。そして、心奪われた絵の前にいた。

あたりに人影はない。普通のギャラリーなら最後の客が帰るまで閉店にはならないが、ここはデパートの臨時ギャラリーだ。そのため、強制的に閉店時間がデパートに合わせられていた。

『いいかげん諦めろ』

これまでになく強い調子で声は言う。

「言ったろ。おまえなんかに止められたくないって」

『まだ私が何かわからないのか?』

「やかましい。疫病神。俺はてめーのせいで幸せを逃してきたんだ」

『そうじゃない。私は君の幸せのために存在するんだ』

「言ってろよ」

男の心は決心しかけていた。目はギャラリーの販売員を探し始めている。

「おまえはいつもおれが迷ったときに出てきてくれるんだと思っていた。違ったな。”おまえ”と話すから俺は迷わされるんだ」

男は気づいてしまっていた。声が彼を迷わせていると。

「おまえを信用しなくなったら迷いが消えたよ」

勝ち誇って男は言った。

「おまえの負けだ。疫病神」

『―――――仕方ないな……』

声は疲れたような、それでいて決心した声で呟いた。

そのとき、不意に男の携帯が鳴り出した。男も無視することが出来ず、着信ボタンを押す。

『もしもし?どこにいるの?』

携帯電話のスピーカーから流れ出してきたのは彼の婚約者の声だった。

「ちょっと待て」

男はギャラリー内で話すのはマナー違反と思い、外へでる。

「なんだよ」

『なんだよ、じゃないでしょ!!部屋に来てみれば帰ってないし、散らかってるし、いまどこにいるの?』

「駅前のデパートだよ。ああ、用事が済んだら帰るよ。うん、たいした用事じゃないから、じゃーな」

手短に答えると一方的に電話を切る。

だが、振り返った彼が見たのは『CLOSE』の看板だった。

時計に目をやる。閉館までまだ5分あった。

「どういうことだ!?」

男はうめく。漸く疫病神と決別したというのに。

「これが最後の警告だ」

背後から、“声“がこれまでになく強い口調で告げた。男はそちらを振り返り、そして呆然とした。

『諦めるんだな』

そこには“声”が立っていた。26年間で初めてそこにそいつは在た。

自分と同じ姿をした“声”が。

「てめー何なんだ」

底知れぬ恐怖ゆえの絶叫が響く。だが、周囲から隔離されたように、男の叫びは周囲の人間には何の関心も引かなかった。

「諦めるか?」

低い恫喝の声で”声”はもう一度聞いてきた。

「いっ嫌だ!!」

疫病神と思っていたものの、その存在への恐怖は心の奥底からきていた。もう一人の自分の存在。自分という存在の価値を打ち消すもの。

「そうか」

声に感情はなかった。もともと、そんなものはないのかもしれなかった。

「ならば、しょうがないな」

声が無慈悲に宣告した。

「それで?その男の人と絵はどうなったの?」

琢久の話は概ねそこで終わりだった。興味があって僕は続きを尋ねた。

「――――男はどんな恐怖を突きつけられても、結局絵をあきらめきれなかった。しまいには……そのまま絵を奪って逃げようとしたらしい」

相変わらず絵越しに思いをはせながら、琢久は続きを語りだした。

「奪う?」

そこまで心を奪った絵とはいったいなんだったのだろう?

「強盗だよね、それ」

犯罪に走ってまで、男を駆り立てた思いとはなんだったのだろう。一番近いのは恋だろうな、後日、この家の同居人の一人は言った。

「それで?奪えたの」

「いいや」

琢久は何の感情も込めずに答えた。

「”声”が止めたんだ。彼の意識をいや、彼を構成する要素から、すべての、一つの慈悲もなく”欲望とそれに関わるもの”をすべて消去してしまってね」

男を迷わせ、制止し続けてきた存在。

「絵を買うことはとめられた。でも彼には二度と”欲望“が戻らなかった。そして、男は生きているのか、死んでいるのか、わけのわからない存在になった」

死んだ心。

動かない感情。

彼は誰かに触れようという気が永遠になく、誰かに触れられてもそれにこたえる気が永遠になかった。

それはすべて“欲望“に基づくことだから。

人の存在を欲するから人に触れる。

人に存在を認めて欲しいから人に応える。

「でも、そうしてしまった”声”は何も知らなかった。彼のそばにいながら彼を何一つ知らなかったんだ。」

今度は哀れみをこめて琢久は語った。

「男にもなれず、かといって男に気づかれ、男を壊してしまった以上、元にも戻れなかった」

亡くなってしまった者は還らない。

「そして、男だった者は”声”そのものになり、どこかへ消えていった―――そんな話さ」

漸く琢久は絵から視線をはずして僕を見た。

「こうして、この世に新しいお化けが増えたってことさ。触れたら対象の欲望を消してしまう、そんなとんでもないお化けが」

欲望のない人間は人間ではない。欲望のない人間は何も出来ない。食欲がなければ人は飢えて死ぬ。性欲がなければ人は生まれてこない。欲はなければならないし、あり過ぎてはいけない。それがすべてなくなったら、それは人の行動原理のすべてを否定してしまうのではないだろうか?

「声ってなんだったの?」

紅茶のお代わりを僕と、琢久のカップに注ぐ。

「さあね、俺にも本当のところはわからんよ」

だからこれは推測だ。

「たぶん……”声”は人間の心の働きそのものだったんだ」

彼は人差し指を立てる。そして、その上でやじろべえを踊らすような仕草をした。

「人は欲望を満たそうとする向きの心と、それを抑制しようという心がある。普通の人は知らず知らずにそれにバランスを取っている……はずだけどね」

言葉を濁したのは世相のせいだろうか。

「普通の人はそういう心の働きを意識することはない。それが自然だから。だけど彼はそれに気づいてしまったんだ。そしてそれが実体化した」

相反する”欲しくないと思いたがる”、”もしくは欲しくないという理由を見つける”自分に。

“抑制”、”自制“という名のもう一人の自分。

実体化したから気づいたのか?気づいたから実体化したのか?それは解けない疑問だ。

「”声”は抑制する側の心だった。”声”は欲望を否定することしかできなかったんだ。だから、対なる心を持っていた男を消してしまったとき、”声”はなんでもかんでも欲望を否定して、死を望むことも否定して――――結局、欲望を消してしまうお化けになるしかなかったのかもな」

ある意味恐ろしいお化けだった。過ぎたる欲望を消してくれるなら有難いが、生存の欲望も、向上したいという欲望も消されてしまうのなら、死ぬのと同義のような気がした。

「けっこう簡単にお化けは生まれるんだね」

僕は呟いた。

「となると、僕の周りにお化けが溢れているのも、別に特異な状況ってわけじゃなさそうだ」

天使に堕天使、悪魔に鬼に、人のお化けやら猫のお化けやら鴉のお化けやらと、僕の身の回りは人間以外の存在で溢れている。

「・・・・・・・・まあ、いいか」

琢久はどうでもよさそうに答えた。どうせ、本人がよければいいや、ぐらいにしか感じていまい。

  「彼らはどうやって生まれるのかな?」

  絵を手に入れようとして、どうしても手に入らなかった。それをきっかけに男はお化けになった。

「お化けなんて簡単に生まれるものさ。しょせん空想の産物だからな」

お化けを見てきたように語りながら、琢久は否定するように語る。

「そして人ほどあやふやな存在もいない」

すべてにおいて

「誰もがお化けになる可能性があると?」

琢久の言葉を半ば無視して聞いてみる。

「さてね、お化けの話の一つだからな。どこまでが真実なのやら?」

はぐらかすように彼は答えた。それで彼の話は終わりだった。

「それでも、お化けというものは確かに存在する」

僕は断言した。この目で何人ものお化けに逢ったのだから間違いない。

「そういうものさ」

琢久は僕の知るお化けの一人とそっくりに、笑った。

どうしても手に入らないもの


                 
                  あとがき

 初めてお目にかかります。河高風と申します。今回DARUさんの記事を見て、

いっちょ書いてみようということで書いたのがこれです。
 「どうしても手に入らないもの」というテーマにはちょっと合っていないかな?
と思わないでもないのですが、面白いと感じていただければ幸いです。

 ちなみに、右の猫はカビネコ(黒猫 年齢不詳 性別不詳)です。

 

 




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