第七話 「もう、独りじゃない」(Eパート)

written on 1996/12/8





 部屋を出てマンションの外に出るまでの間、アスカはシンジの斜め後ろを
歩きながらずっと彼の背中を見つめていた。

 月の光が射し込む通路を歩きながら、

 沈黙が続くエレベーターの中で、

 じっと、その背中を見ていた。


「それじゃ……このへんでいいよ」

 マンションから10mほど離れた歩道でシンジは振り返った。
 アスカはうつむいたままで返事はない。

「アス――」

 もう一度シンジが口を開きかけたとき、アスカが突然顔を上げた。

「えーと、その……もう一つプレゼントがあるんだけど……」

「え? ホント?」

 シンジは驚いたように言った。
 アスカの手には何もないように見えたからだ。

 アスカの右手が左の腕をさするように動き、そして視線をまた斜め下の歩
道に戻すと、

「ちょ、ちょっとむこう向いてて」

 シンジは言われたとおりに後ろを向いた。
 その背中にアスカの声が注がれる。

「あのね……あたし……」

 アスカはシンジの背中と夜空に浮かぶ月を何度か交互に見比べた後、

「やっぱりこっち向いて」

 振り返ったシンジの怪訝そうな顔を見て、アスカは大きく深呼吸をした。

 その瞳はシンジの心を射抜くように見据えて。

 開かれた口からは熱い想いが流れ出す。


「愛してる、シンジのこと。好きじゃ足りない」


 アスカは、はっきりとした口調で続けた。
 視線はシンジの瞳を捉えて離さない。

「あたしは何度でも言えるよ。
 愛してるシンジって。
 誰よりも好きだよって」

 アスカは万感の想いを込めてその言葉を伝えた。

「アスカ……」

 これがアスカだ。と、シンジは深く感動した。
 その言葉、その態度。
 そして、その心。

 しかし、シンジにはどう答えればいいのかわからなかった。
 もちろんアスカに対して本当の意味での好意を持っているのは事実であっ
たし、それを伝えたい気持ちも持っていた。

 ただ、どんな言葉にすればこの想いが伝わるのか、これまでの複雑な関係
を思うと、すぐには思いつかなかったのである。


「……ふぅ。スッキリした」

 シンジの沈黙をよそに、アスカは気持ちよさそうに笑った。
 そして後ずさりながら小さく手を振ると、

「じゃ、ね。シンジ」

 マンションへ戻るためにくるりと振り返ろうとした。

 が、素早くその手を掴むものがあった。

 シンジがその手をしっかりと掴んでいた。

「あっ……」

 シンジの右手はアスカの細い手首を握りしめて離さない。
 それほど強い力で引き留めたわけではなかったが、アスカの身体は力を失ったかのようにシンジの側に引き寄せられた。

 トン――

 アスカはシンジの胸にもたれかかると、そっと顔を上げた。
 シンジの瞳がじっとアスカを見つめている。

「シン……ジ……?」

 微かに開いた桜色の唇から、切ない吐息が漏れる。

 シンジは何も言わず、左手をアスカのつややかな髪の中に通し、そのまま
頬に滑らせた。何かを確認するように優しく顔の形を撫でてゆく。
 首元にその手がたどり着いたとき、ビクンとアスカの身体が震えた。

 そしてシンジの両手が優しくアスカの肩を抱く。

 アスカは瞳を閉じた。

 永遠にも思える一瞬の後。

 シンジの唇が触れて。
 二人の影が一つになった。

 三度目のキス。
 シンジからのはじめてのキス。

 短い口づけではあったが、その意味の深さは複雑な時を経てきた二人にし
かわからないものであった。

 シンジが耳元で囁く。
 熱くかすれた声。

「ご……めん……。
 気の利いた言葉一つ浮かんでこないや……」

「……何も言わなくていい」

 アスカの手がシンジの身体に伸びて、そっと、ほんとにそっと引き寄せた。
 感じるか感じないかの微かな力。

「…………」

 シンジはおずおずとアスカの背中に手を回した。
 アスカはうつむいたまま、額をシンジの肩に預ける。

 お互いのぬくもりがお互いの身体に伝わる。


「……ねぇ、あたしのこと、好き?」

 アスカがささやいた。

「う、うん」

 照れながらもシンジは答える。

「ちゃんと口にして」

「え……っと、ホントに言うの?」

「そ。言葉にしてくれなくちゃヤ」

「……ハァ」

「なによ、その溜息は」

「あはははは。な、なんでもないよ」

「このあたしに、こんな恥ずかしいこと言わせてるのよ。
 男だったらたまにはシャキッとしなさいよ」

「こーゆーコトに、男も女も関係ないだろ」

「あ、なんか偉そうだわねー、シンちゃん。すっかり彼氏気取りかしら?」

「そ、そんな言い方しないでよ……
 別に言わなくてもわかってるって思ったからさ」

「何がわかってるの?」

「何がって……その、あの……」

「な〜に?」

 アスカの可愛い声に、シンジはたまらず口にする。

「ぼ、僕がアスカを……あ、愛してるってコトだよッ」

「うふふふふ。それでよろしい」

「なんだよ、もぉ」

 ふてくされた口調ながら、やはりシンジも笑っていた。

 見つめ合いながら笑う二人には、もうずっと長い間一緒だった者同士だけ
が持つような雰囲気が漂っていた。

 長い間欠けていた何かが、彼らの間を満たしていった。


 二人の距離は、この日、この時間からゼロになった。



      *          *          *



 同時刻、シンジ宅にて。


「はい。碇です。只今外出しておりますので、ご用件のある方は、
 ピーっという合図の後に、メッセージをお入れ下さい」

『あ……』

「ピーッ」

『……柿崎ですけど、出かけてるんだ……。別に用事があるってワケでもな
 いんだけど……うん。いい。またかけ直すね。
 …………あ、そうそう。今日は誕生日だったんでしょ?
 ついでにお祝いしてあげる。誕生――――』

「ピーッ」

 メッセージ録音終了を示す電子音とともに、再び部屋は静寂に戻った。

 二度目の電話は、もう鳴らなかった。

<第八話へ続く>



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