第伍話 Drivin' Children (Part-B)
written on 1996/9/23
沈黙が続く車内。
第3新東京市を出て約20キロほど進んでいる。
5年前までは海中に沈んでいた地域にさしかかっているため、すでにあた
りに人が住んでいる気配はない。
「ちょっと」
窓の外を見ながらぶすっとした表情のアスカ。
「え?」
フロントガラスから視線をはずさないまま答えるシンジ。
「だまってないで、少しくらいはしゃべんなさいよ」
「あ、ごめん。運転に気を取られてて………」
「あんたバカァ? 車なんてもう30分はすれ違ってないわよ。
そんな肩に力入れて運転しなくたっていいじゃない」
アスカ、小さくため息をつく。
「でも、ほら、何か飛び出してくるかもしれないし」
「何かって、何よ。こんなトコ誰も住んじゃいないわ。
はあぁぁぁぁ。相変わらず臆病者ね、あんたって」
「臆病者って、それはちょっと違うと思うんだけど」
「うるさいわねッ。じゃぁ、小心者とでも言い換えて欲しい?」
「そんな言い方しなくたって………」
「はいはい。あんたに楽しい会話を求めたあたしがバカでした」
「………」
わずかに瞳を曇らせるシンジ。
アスカにはそう見えた。
「………ま、まぁ、仕方ないわよね」
「………」
「人にはそれぞれ短所・長所ってもんがあるわけだし」
「………」
「シ、シンジにも、ほら、別にいいところが無いワケじゃないし」
「………」
「いいところが無いっていうか、その、結構あるかな〜、なんて」
「………」
「………怒ってるの?」
「………」
「ねぇ、シンジってば」
「………」
「シンジ………ごめ――――
消え入りそうなアスカの声に、たまらずシンジは頬をひくつかせる。
「………っぷ」
「!!」
「あはははは。別に怒ってないから気にしないでいいよ」
「!!!!」
「これくらいで怒ってたら、アスカ相手に身が持たないしね」
「!!!!!!!!」
「あれ、アスカ、どうしたの?」
「……………」
アスカは顔を真っ赤にして、何かをこらえている様子。
それを見たシンジは、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「こんちきしょおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!
だましたわね!!!! このあたしをだましたわねっ!!!!!!
シンジのくせに、シンジのくせに、シンジのくせにぃぃぃ!!!!!!」
「ご、ごめんっ! ほらっ、たまには、これくら――――っ!
アスカ、あ、危ないって! ほんと、ほらっ、うわあああああ!!!!」
アスカがシンジにつかみかかったため、危うく車が横転しそうになる。
その後アスカの怒りをおさめるのに一苦労したシンジは、もう金輪際アス
カをからかうのはやめようと心に誓った。
そして再び車は運転を再開する。
「もォ、しんじらんない! ったく、どこで教育を間違ったのかしら」
腕を組んだアスカはまだ怒りがおさまらないようだ。
「ごめんってば。そんなに怒ることないじゃないか」
「これが怒らずにいられますかってーの!」
「………あ!」
「なによ」
突然素っ頓狂な声を上げたシンジに、無愛想な態度で答えるアスカ。
「う、ううん、別に、そんな大したことじゃないんだけど………
この先、お店なんてあるかな?」
「はぁ? さあ、わかんないけど、たぶん無いと思うわよ」
「そっか………」
「どうしたの?」
「はは。その、朝御飯を途中で買おうと思ってて忘れちゃったみたい」
「………え? そ、それは、困ったわね。
って、あの、きっと何とかなるわよ。ほら、その………」
妙にそわそわとしだしたアスカを見て、シンジにしてはめずらしく、ぴん
と感じることがあった。
「……もしかして後ろのアレ、そうなの?」
ちらりと、後部座席に置いてあるバスケットに視線がいく。
「え、ああ、あれは、そ、そうよ。
お店なんてきっと無いだろうから、仕方なく作ってきたの。
ちょっと材料が余ったから、ついでにあんたの分もね」
「そうなんだ………」
シンジは少しだけ頬を赤くしてにやにやと笑っている。
「な、何よ? 何がおかしいのよ?」
「ううん。こういうのってさ、やっぱり、凄く嬉しいなって思って」
ありがとう、とシンジがニコっと微笑む。
随分大人びたとはいえ、昔の線の細さをそのまま残しているシンジの笑顔。
この純粋な笑顔は全く犯罪ものね――――と、シンジの笑顔にどぎまぎし
ている自分を感じながらも、アスカは努めて感情を押し殺す。
「ま、ま〜ね、食事くらいはあたしがもってやろうかと思っただけよ」
「食事くらいはって………他はもしかして全部僕?」
「あったりまえじゃない!
このあたしと二人っきりの時間が過ごせるのよ。
感謝されても恨まれる筋合いはないわっ」
「………それ、本気?」
ジト目で睨むシンジを見て、いつの間にこんな手強くなったのかしらとア
スカはたじろぐ。
「う゛っ………ちゃ、ちゃんと半分出すわよ!」
「あ、はは。それは、どうも………」
付き合わされたのはこっちなのに割り勘なんて、とは死んでも口に出せな
いシンジであった。
* * *
新しく舗装された道路の終点が見えてきたのは、立入注意の標識を通り過
ぎて2分ほどたってからだった。
ここから先の道路は、あちこちにひびが入ったり、土砂がつもっていたり
と、5年前に陸の上に姿を現した当時の姿そのままである
以前に比べ地軸がかなり元の位置に近づいたため、海面の水位は5年前よ
り10mほど低くなっていた。
車は静かにスピードを落とし、中の二人は小さく息を吐いた。
「この辺で食事をとっておいた方が良さそうね」
アスカが地図を見ながらつぶやく。
出発してから約2時間。時刻は8時を回っていた。
シンジはうなづいて、車を完全に停止させた。
二人が車を出てドアを閉めた瞬間、潮の匂いを乗せて、海からの風が強く
吹いた。
「うわぁ!」
歓声がシンジから上がった。
そして、空を見上げるようにして、大きく空気を吸い込む。
「海だ……」
「ほんと、海って感じがするわね」
車を挟んだ向こう側で、アスカが髪を掻き上げながら同意した。
そして気持ちよさそうに伸びをしているシンジを一瞥すると、後部座席に
積んでおいたバッグから大きい水筒を取り出して、バスケット片手に、無言
で海岸の方へ向かう。
「あ、待ってよ!」
何度も海の匂いを吸い込んでいたシンジは、そんなアスカを見て慌てて追
いかけようと走り出した。
が、思い出したように車の後まで戻ると、トランクを開けて、ゴソゴソと
中から一枚のレジャーシートを取り出して戻ってくる。
シンジが追いつく頃には、アスカはちょうど二人が並んで座れるくらいの
スペースがある堤防の前にいた。
「ここ……で、いいかな」
つぶやくアスカの後ろからシンジの足音が聞こえてきた。
「ここにするの?」
くるりと振り向いたアスカの目の前には、シンジの顔。
「文句無いわよね」
「もちろん」
シンジは微笑むと、シートを敷いた。
そして二人は海岸沿いの堤防に並んで腰掛けた。
静かな海には、時折白い波がたてる音だけが響く。
昔は幾隻もの船舶の往来があったこの相模湾も、今は一日に20隻を越え
るかどうかの交通量しかない。
セカンド・インパクトで壊滅的な打撃を受けた東京湾沿岸の都市は、いま
だ復旧の目途がたっていなかった。
波の音だけが聞こえる中、アスカは無言でバスケットのふたを開けると、
手際よく中身を二人の間に並べていく。
色とりどりのサンドイッチがシンジの目に飛び込み、空腹感を刺激した。
パン生地は種類が豊富で、具も様々に凝ったものが入っているのが見て取
れる。
シンジは水筒に手を伸ばすと、二人分のコップに中身を注いだ。
いい香りが辺りに漂う。
「紅茶なんだ……」
シンジのつぶやきを聞きつけて、アスカが手を止めた。
「嫌い?」
「ううん。好きだよ。アスカがいれてくれるの」
昔2、3度だけ飲ませてもらったことがあるのをシンジは思い出した。
「そ、そう。これ、結構高かったの」
微かに頬をゆるめると、アスカはおしぼりをシンジに手渡した。
「食べていいわよ」
海を見ながらアスカが言った。
「アスカは食べないの?」
「いいからっ、早く食べなさいよ」
アスカの剣幕に押されて、シンジは慌ててサンドイッチを一切れ口に運ん
だ。
ゴクンという音に続いて、感嘆の言葉が漏れる。
「おいしい!」
その言葉を聞いて、アスカはパッと海から視線を戻した。
「ま、このあたしが作ったんだから、とーぜんね」
それまでの言葉少ない表情から一転して、アスカは得意満面の笑みを浮か
べ胸を張る。
「ほんと、お世辞抜きでおいしいよ。
アスカがこんなに料理が上手だなんて知らなかった」
シンジは何度もうなづく。
「ドイツにいた頃はよく自分で作ってたから」
照れたようにアスカは言った。
「だったら、あの頃も手伝ってくれれば良かったのに」
「シンジが唯一人並みにできる仕事まで取り上げちゃ、可哀想だと思ったの
よ」
「それ、ひどい……」
「本当のことを言ったまでじゃないのー。
あの頃のシンジは、ほんっとに冴えない男の子だったもん」
じゃあ、今は違うの?――――と、喉元まで出かかった言葉をシンジはか
ろうじて飲み込んだ。
聞いてどうするのさ、と、頭の中で自分に言い聞かせる。
けれど、
『必要とされている自分を、言葉で確かめたくないかい?』
何かが囁く。
これまで感じたことのない明確な欲求。
知りたい。
知りたくない。
好き。
嫌い。
「あたしもヤな女だったけどね」
くすくすと笑うアスカにつられて、シンジも笑い出す。
急ぐことはないよね。
僕たちには時間があるんだから。
* * *
こうしていつの間にか昔話に花が咲き、食事の間も会話がとぎれることは
なかった。
あっという間の楽しい時間の後、温かい紅茶の入ったコップを手に、シン
ジがぽつりと口を開いた。
「料理くらいはアスカに負けないようにと思ってたのにな」
悔しそうに、けれどどこか嬉しそうな笑みを浮かべるシンジ。
ふふ〜んと、得意げにアスカは笑う。
「日本の料理はまだまだだけどね。それでも、随分上手くなったわよ」
「あれ? 和食、苦手じゃなかったっけ?」
「Do in Rome as the Romans do」
「え?」
「郷に入っては郷に従えってコトよ。もうドイツに帰る気もないしね。
それに、慣れれば日本料理っておいしいわ。
低カロリーってトコも気に入ったし」
「ふ〜ん。そうなんだ」
紅茶をくいっと飲み干すと、シンジは手を合わせた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
こくんと、アスカは首を傾げて応える。
そして、ごく自然にシンジが後かたづけを始めると、アスカは再び海を眺
め始めた。
波の音だけが辺りを支配する。
手際よく荷物をまとめたシンジが顔を上げると、アスカは足をぷらぷらさ
せながら、目を閉じて、気持ちよさそうに海からの風に顔をさらしていた。
シンジはアスカの柔らかな表情に目を奪われた。
最近のアスカは、昔のように張りつめた雰囲気を見せることがほとんどな
い。
アスカらしい強気の口調も、生来の気性からくるものがほとんどで、無意
味に攻撃的なセリフを投げかけることもない。
エヴァンゲリオンという鎖から解き放たれたアスカは…………
そう、
そうなんだ。
シンジはこれまで一度も見せたことのないようなまなざしを向ける。
でもその視線は、アスカが目を開けて顔をこちらに向けた瞬間、消えた。
「ね、そろそろ、いく?」
「うん……そうだね」
シンジは波間に視線を落としながら答えた。
「どうしたの?」
アスカが顔を近づけて、シンジの顔をのぞき込んだ。
「な、なんでもないよ」
かぁ〜っと顔が熱くなるのを感じて、シンジは慌てて立ち上がった。
そしてぽんぽんとお尻を払うと、ひょいっと軽いステップで堤防から飛び
降りる。
「ほら、行くよっ」
「ちょ、ちょっと待ってよォ」
意外にも情けないアスカの声を背に受けて、シンジは車に向かって駆け出
した。
* * *
朝食を取ってからの行程は、ようやくRV車の性能を活かせる場面ではあ
ったものの、予想以上に困難な道のりだった。
道路をはずれて迂回したり、
車の天井で頭を打ったり、
無造作に生えている草木にタイヤをとられたり、
この2時間で30キロ程度しか進めなかった
そして、ようやくある程度スピードがだせそうな道路が続くところまでや
ってきた。
「ふ〜〜〜っ。やっと一息付けそうね」
そう言うと、いきなりサンルーフを開けて、立ち上がって身体を乗り出す
アスカ。
「ア、アスカ?」
「ほら、もっと飛ばして!」
「危ないよ! あんまり運転に自信ないんだから!」
「い・い・か・ら! もっとスピード出すのっ!」
「………知らないからね、もぉ」
シンジは軽くアクセルを踏む足に力を入れた。
「いやっほ――――――っ! 気っ持ちいいぃぃ!!!
ねぇシンジィ、あんたもやってみなさいよお!」
(アスカが運転してくれたらね)
聞こえないようにシンジはつぶやいた。
「なんか言ったあ?」
絶対に聞こえていないハズなのに、アスカって妙に勘がするどいんだから。
返事の代わりにシンジはぐっとアクセルを踏み込む。
次の瞬間、上からアスカの悲鳴が降ってきた。
が、それも一瞬、すぐに歓声に変わる。
「これよ、これ! やっぱりシンジを連れてきて良かったわね〜!」
ガックリと顎を落とすシンジをよそに車は順調な走りを見せた。
そしてようやくたどり着いたのは、伊豆半島の先端。
石廊崎と呼ばれる海岸だった。
道路が一番海に近づくところに車を止めると、二人は車を降りた。
<Part-Cへ続く>
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