NERV
第1話「遺物」


「暇ね」

赤木 リツコ博士が目の前にノートパソコンと猫の置物以外、
何も置かれていない机を見ながらぽつりと呟く。

傍らでコーヒー片手に饅頭をパクつきながら雑誌を
パラパラと見ていた元作戦部長で現ネルフ長官、
葛城 ミサトが目線は雑誌に向いたまま、二人だけの空間に声を響かせた。

「仕方ないっしょ。
 今の私達は政府のお荷物、膨大な税金を食いつぶす割に
 何の役にも立たないただの日本政府管轄の一地方機関の裏方だもの。
 やる事なんて何もないわよ」

ミサトの言葉を聞きおわらないうちに、リツコはノートパソコンの電源を入れた。
パッと画面に壁紙が映る。写っていたのはネルフ職員達と写した写真。
あの最後の戦いを前に撮った写真。ゲンドウや冬月。
三人のチルドレンに加え、オペレーター連中もみんな写っていた。
リツコはジッとその写真を眺めていた。
ミサトは時折見せるそんな仕草のリツコをいつも通り、あえて見て見ぬフリをした。

「・・・この頃の私たちにはやるべき事が・・・目的が山ほどあったのに、ね・・・」

・・・また始まった・・・ミサトはそう思う。

「今ではMAGIが上の政策の管理をしてる以外は何もしていない
 一地方機関なんて、よく存在出来てるわね」

ミサトは何を今更・・・と思いながらも

「私達の功績を考えれば、お偉いさんも簡単には
 ネルフを消すわけにはいかないんじゃないの」

と半分投げやりな口調でリツコに向かって言った。
それを聞いたリツコは画面に写し出されたゲンドウをジッと見つめる。

「そうね・・・でも今にして思えば私達のした事って一体何だったのかしら・・・?」

と、クールにミサトとは目を合わせずにいいはなった。

ミサトは怒りに眉をつり上がらせ、見ていた雑誌を感情のままに床に叩きつける。
乾いた音が静かなネルフ本部に響くのと同時に、リツコをキッと睨み付ける。

「何いってんのよ!私達は世界を救ったのよ!!それだけで十分じゃない!!!」

と異様に激しい剣幕でリツコに食ってかかった。

それを見たリツコはいたって冷静にパソコンの写真を切り替え、
3人のチルドレンだけが写る写真をモニターに写すと、
ただ写真だけをジッと見つめる。

「あなたの気持ちが分からないではないわ。
 でも世界を救って、私達に何が残った?
 結局残ったのはMAGIと意味のないネルフ。
 そしてそれを整備する一部の人間だけよ。
 後は・・・言うまでもないでしょ・・・」

リツコは少し熱くなった目線をミサトを写し、熱気を帯びた口調で続ける。

「上の議会でなんて言われているか知ってる?
 連中は自分の私腹を肥やす為にはMAGIシステムは邪魔だから自分たちの手に
 第三新東京市の政策を任せ、MAGIとネルフは解体しろとまで言ってるのよ。
 お膝元のここにもこんな言われようじゃあ、いくら私だって嫌になるわよ」

そう言われては現ネルフ代表のミサトにしても面白くない。
いや、むしろ自分もそう思っていたからこそ、言い返さずにはいられなかった。

「でも市民は、MAGIの政策には満足してるわ!
 そんな連中の言う事をまともに聞きはしないわよ!」

と、口調も荒くリツコに言い返した。彼女はかえす刀でミサトに言葉を突っ返した。

「確かに、市民は政策自体は満足してるわ。
 でもネルフが存続してることについては少なからず不満があるはずよ。
 それに政府にしても今のネルフには1円だって貴重な税金をまわしたくないはずよ。
 ただ過去の功績があるだけに潰せないだけよ。
 そんな人類の為に私達は何をあんなに一生懸命に・・・」

リツコの言葉の最中で
『コンコン』
ノックの音が彼女たちに聞こえた。
リツコが口をつぐんだ瞬間に、ドアを開けて誰かが入ってきた。

「先輩、MAGIの定期検診終わりました」

入ってきたのは伊吹マヤ。
今はMAGIの定期検診をする為、
月二度だけここに出入りする元ネルフの二尉だったオペレータである。

リツコは少し感情的になっていた自分を素早く元の自分に戻した後、
スッと立ち上がり、傍らにあるコーヒーメーカーに手を伸ばした。
リツコはコーヒーを入れながら、穏やかな口調でマヤに向かい話しかける。

「ご苦労様、他に仕事持ってるのに悪いわね」

リツコは彼女にもコーヒーを差し出し、今まで座っていたデスクに戻った。
マヤはコーヒーを受け取ると1口、口に含む。

「いえ、正直私もネルフに残りたかったので・・・
 こういう形でもネルフの仕事に関れて嬉しいですから」

そして少し落ち着いたミサトは、斜め前に立つマヤのを見つめ、

「ごめんね、マヤ。私の力が足りなくて・・・。
 司令か副司令が居たらマヤも辞めずに済んだかもしれないのに・・・」

うつむき加減で話すミサトにマヤが歩み寄り、肩にそっと手を置く。

「今、こうしてMAGIに関れてるだけで嬉しいんです。
 それにもし司令が生きてても、
 今のネルフじゃ私までは雇えなかったと思いますし・・・」

リツコはこのやり取りを聞いていて、思った。

(もし碇司令が生きていたら、こんな状態にはならなかったわね・・・)

しかし、いままでのミサトの悲しみ、苦しみ、痛み、失望、寂しさ、
そして何より愛するものの・・・「死」・・・
があっても、今までネルフの代表として、必死に
頑張ってきたミサトを近くで見ていただけに、この言葉は飲み込む事にした。

そしてマヤの発言後、少し部屋の空気が重くなった。
今まで色々な事がありすぎた。この3人にも色々な、色々な事が・・・
それぞれが色々な思いを思い起こしているのだろう。
この部屋は、悲しみで包まれてしまい、3人にとっては、長い、長い沈黙が訪れた。

そしてその沈黙をマヤが破った。

「・・・あっ・・・そういえば先輩に葛城さん、上の話聞きました?
 ついに議会が動くらしいですよ。
 なんでもネルフをここから追い出して、第二東京の官庁街に移転させるとか・・・。
 これに政府も乗り気で、早ければ3日後には議題で国会に提出されるそうです」

そのことは2人には初耳だった。
だが大方予想出来る範囲内だったので大した動揺も見せなかった。

「そう・・・ついに議会が動くの。連中も考えたわね。
 私達を官庁舎に追いやってから邪魔なMAGIを停止させ、
 自分たちで政治を取り仕切ろうって、ドス黒い魂胆がみえみえだわ」

と言うとリツコは彼女らしからぬ苦々しい表情を浮かべた。
それを見たミサトは少し驚きながらも、少し嬉しくなった。
あの戦いのあとから、リツコは前以上にクールになっていたから。
いやクールに見せようとしていたのかもしれない・・・。
リツコだって司令を・・・愛する人を失ったのだから・・・。
しかし、ミサトにしてもこんな話、納得出来るものではない。

「でもそれでは市民で納得しない者も出てくる筈よ。
 連中が思ってるほどすんなりとは行かないんじゃないの?」

これは本心だった。なぜならMAGIの政策は第三新東京市の有権者に
圧倒的に支持されていたからである。それにMAGIには専門の技術者が必要で、
特に赤木リツコの力は必要不可欠である。
そのリツコはネルフから離れる気は毛頭ない。
そうなればMAGIはネルフにしか扱えない事になる。
しかし次にリツコが言った言葉で、ミサトの考えは甘かったと痛感させられた。

「馬鹿ね・・・市民には、ネルフは更に大幅縮小して官庁舎へ、
 MAGIにはこのままネルフから我々が引き継ぎ政治に参加してもらう。
 とでも発表すれば納得させられるわよ・・・」

かつての自分も、市民にはあれこれうそをついてきただけに、
この盲点に気づかなかっとは・・・私もヤキがまわったわね、とミサトは苦笑した。

「はい。実際にそういう方向で上の広報部も動き始めたようです。
 ついさっき青葉さんから聞いた話ですから、間違いないと思います」

流石にここまで現実味を帯びてくると、
2人とも本気で捨て置く訳にはいかなくなった・・・と思った。
なにしろネルフはこの2人にとって、特別なものなのだから。
このまま消滅させる訳にはいかない。
ミサトはチラリとリツコの顔をのぞき見た。
ミサトの目の前にいたのは以前の、エヴァがあった頃の赤木リツコだった。
正直、今までリツコの顔が変わったとは思ってなかったが、
いざ目の前にあの時と変わらぬ、やる気に満ちた顔があると
『違うもんだ』
としみじみと思う。そして、それは自分にも当てはまっている。
ミサトは内から沸き上がる感覚が嬉しくてたまらなかった。
もう一度、こんな仲間とやれるなんて。
ミサトはちょっといたずらっぽく、リツコに聞いた、

「そう・・・で、どうするの。まさかこのまま引き下がるつもり?」

リツコはミサトの顔を見て、同じ事を考えたのだろう。にこりとして、

「まさか。面白くなってきたわね。マヤ、他の元ネルフの皆に連絡とれるかしら?」

マヤもいち早くこの2人の変化に気がついていたらしく、
待ってましたと言わんばかりに言葉を返した。

「もちろんです!今すぐにでも!!」
さっきまでの暗いムードはもうない。
そこには特務機関NERVの当時の強者が居た。

「どうするつもりなのリツコ?ちょっち教えてよ」

「なに言ってるの、決めるのはあなたよ。作戦部長さん」


第2話に続く

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