ある秋の日。
突き抜けるような青い空と、少しずつ紅に染まりつつある街路樹に囲まれた小道を、
碇シンジは歩いていた。
…っておいシンジ。今日は平日だぞ。学校に行かなくて良いのか?
シンジはS-DATを聞きながら小道を歩いていく。
と、シンジはふと立ち止まる。そしてS-DATを耳から引っこ抜き、懐におもむろに手を
突っ込んで紙切れを取り出す。
「おっかしいなぁ……確か地図だとここら辺だったはずだけど……」
紙切れをしげしげと眺めるシンジ。
「待てよ、ここがこうでこうなってるから僕はこっちの方から来てる訳で…」
などと、薄い頭を酷使して自分の現在位置と目的地を必死で把握しようとするシンジ。
その、4つ折りの紙切れには、左半分に地図が記されており、そして右半分には。
黒く塗りつぶされた跡と「来い」という文字が書き込まれていた。
激愛SS劇場 外伝
ようこそ、NERV江
前編
ワンダース(兄)
前日。夕食を食べ終え、ほっと一息ついた時の事だった。
ゲンドウはいきなり提案した。
いや、提案と言う言葉は相応しくない。
それは「命令」だった。(爆)
「シンジ、明日会社に来い」
「………………は?」
あまりの唐突さにシンジはポカーンとする。
ゲンドウが何を言ってるのか咄嗟に理解できない。
たっぷり1分ほど沈黙が訪れる。
その間に聞こえてくるのはユイがこぽこぽ、とお茶を入れる音だけだった。
「………どうして?」
それが1分も考えた上での答えか、シンジよ。
と、ユイが「はい、シンちゃん」と言いながらシンジの前に湯呑みを置く。
玄米茶の香ばしい匂いが漂ってくる。
「他の人間には無理だからなァ」
ゲンドウは胸を轟然と反らして言い放つ。
「は?」
「気にするな、こっちの事だ。……ちょっと先走り過ぎたな、チッ……いや、シンジ、
私も考えてみたんだが。やはり子供と言うのは親の背中を見て育つものだと思うのだ。」
「はぁ」
どう答えれば良いのか分からず、間抜けな答えを返すシンジ。
「然るにだ。今の教育と言う物は点数と偏差値と内申点でがんじがらめだ!そんな物は
生きていく上での手段としては役に立つかも知れん。だが生きていく方向を自分で決め
る事にはちっとも役立たんではないか!そうは思わないか、シンジ?」
ゲンドウは喋っているうちに調子が出てきたらしく加熱してくる。
そのゲンドウの様子を見てシンジは思わず引きながらも
「う、うん…そう思うよ、父さん…(汗)」
などと調子を合わせる。
「そもそも何だあの二次方程式がどうしたとか、太平洋ベルトがこうしたとか、浮力が
ああしたとか、そういうのは!俺が生きてきた上で役に立ったとでも言うのか!その癖
教科担任の教師どもはぴーちくぱーちく囀りやがった…『このままだとどこにも進学出
来ないよ、六分儀くん』だとぉ〜!貴様らごとき旧態依然としたフレームワークにとら
われた人間どもに俺の何が分かるってんだ!オラ!オラ!オラぁぁぁああああ!!(怒)」
ゲンドウは脱線しながら一人でヒートアップして、「どごっ!どごっ!」と床に何発
も蹴りをくれている。
その様子を見て額に縦線が入るシンジ。
と、ユイが唐突にゲンドウの頭の上から煎れたてのお茶をそそぐ。
「だぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!(T-T)」
余りの熱さに床に蹴りを入れるどころではなく、部屋中を跳ね回るゲンドウ。
(注:きけんですのでよいこのみんなはぜったいまねしないでね?(はぁと))
しばらくして、ようやく熱さがおさまったのかゲンドウが跳ね回るのをやめ、うずく
まって頭を押さえる。
「あなた、落ち着きました?」
にっこりと笑いながらユイが言う。
「あ、ああ…ちょ、ちょっと…こ、興奮して、た、らしい」
まだ熱湯のお茶を浴びた頭がヒリヒリするのか、顔をしかめて頭を押さえているゲン
ドウ。切れ切れにしか言葉が出てこない。
「し…しかし…ユイ、いっ、いきなり頭から熱湯は無いだろう…普通なら大火傷で病院
にでも担ぎ込まれる所だぞ?(汗)」
「んもう、あなたったら大げさなんだから(はぁと)」
にっこり笑いながらユイが言う。
「ちょっと熱湯をかけて体表の2分の1が深度4火傷を負ってケロイド状になったぐら
いで人間なんて死にませんよ?(はぁと)」
……死ぬって…(汗)
しかしあくまでユイはにっこり笑いを1ミリたりとも揺るがさない。
その笑顔を見て、ゲンドウは引きつった笑みを浮かべながら
「あ、ああ、そ、そうだなユイ」
と答えるしか無かった。
もしここで反駁でもしようものならにっこり笑いのまま「じゃあ試してみます?」と
でも言い出しかねないからだ。
「すっ、少し話題が逸れたがとにかくだ。男子たるもの、自分の父親の仕事姿というモ
ノを一回は見ておいても損はない。というより、重要な意義がある!はっきり言って、
くだらん授業1日分とは比べ物にならないほど貴重な体験になるぞ?」
「………」
ジト目でゲンドウを見るシンジ。その目にはありありと不審の色が浮かんでいる。
……ちょっと聞いただけだとマトモな事を言ってるような気がするけど…
でも、一見マトモそうに見える意見を出してる時の父さんってロクな事を考えてない
んだよな、前例からいくと……
「何だ、その目は?」
羅将ヒョウがケンシロウをかばうシャチの目にいちゃもんをつけた時のようなセリフ
を吐くゲンドウ。
しかし、シンジはいささかも怯まずゲンドウを不審の目で見続ける。
やげて、ゲンドウはあからさまに演技臭い寂しげな表情を浮かべながら言う。
「…フッ、父さんの事を信じられないとは……寂しいものだな、シンジ」
「信じられなくしたのは父さん自身だろ!胸に手を当てて普段の行動を考えてよ!」
「皆まで言うな、シンジ!お前の気持ちは分かる……父さんにもそういう時期があった
ものだ……回りの大人が薄汚く見えて、ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけた
時代がな……」
遠くを見る眼差しのゲンドウ。
「……汚く見えるのは父さんだけなんだけど…」
というシンジの呟きも全く聞こえないかの如くゲンドウは語り継ぐ。
「しかしな、シンジよ。いつまでも人間不信でいる事は出来んのだ。自分でそれを乗り
越えるしか無い。そして自力で乗り越えたそのあかつきには、あんな時代もあったねと
いつか笑える日が来るものだ」
自分の言葉に感銘を受けたらしく、「ジーン」と言う効果音が聞こえてきそうなほど
感極まっているゲンドウ。しかしシンジはゲンドウの一人上手に付いて行けず、大粒な
汗を流していた。
「という事だ。分かったな、シンジ?」
ゲンドウは感動に十分浸りきったらしく、いきなりぐるっ、とシンジの方に首をねじ
曲げ、そう言った。
「……何が『という事』なのか分からないんだけど……(汗)」
あくまで抵抗を続けるシンジ。しかし、ゲンドウの一人芝居に気圧されて先程より抵
抗が弱まっている。
そんなシンジの様子を見て「ちゃ〜んす!」と思ったかどうかは定かでは無いが、ゲ
ンドウは畳み込むように説得する。
「大丈夫だ。騙されたつもりで来てみろ。絶対損はしないから。な?」
「……『ホントに騙されたぁ〜(T-T)』って展開はイヤだからね?」
「…大丈夫大丈夫……多分な」
「……何故目をそらす?」
その後、30分ほどゲンドウとシンジの喧喧諤諤(けんけんがくがく)のやり取りがあ
ったが、結局シンジが「叔父さんが今日死ぬ予定なので」と言って学校を休みゲンドウ
の勤める会社に訪問する、という線で話が固まった。
なお、ゲンドウとシンジがやり合っている間、ユイは玄米茶を飲みながら、「こうし
て少年は神話になるのね…」などと呟いていたが、話の大筋には全く関係ない(笑)。
* * *
シンジは、昨日のことを思い出しながら目的地に向かっていた。
ちなみに目的地とはNERV本社ではない。ゲンドウの話に拠れば「迎えをよこすか
ら、待ち合わせ場所に正午に来い」との事だった。つまり、シンジは迎えが来るはずの
場所に向かっているのだった。しかし、どうも約束の時間になっても「迎え」とやらが
来ないので、地理的感覚に自信の無いシンジは「場所を間違えたかな…」などと不安に
なっていた。
と、遠くから微かに車のエンジン音とタイヤが地面を噛む音が聞こえてくる。
聞こえてくる音から察して、運転手はかなり荒っぽい運転をしているようだ。
その荒っぽい音を聞いて、シンジの脳裏には約一名知っている人間が思い浮かんだ。
職業柄不釣り合いとも見られかねない過激な服をいつも着てくる、スポーツカーを乗
り回す女性。
…はは、まさかね…いくらあの人がチャランポラン(死語?(汗))だからってこんな
時間にこんな場所を車で走ってる訳ないよね…
シンジは自分の考えを打ち消す。
しかし、そもそも「車が走ってる」というだけで自分と関係づけて考える理由すら本
当はどこにも無い。それを自分と結び付けて考えた辺り、シンジも何かをうすうす感づ
きつつあったのかもしれない。
やがて車はシンジの視界に入ったかと思うと、次の瞬間にはシンジの目の前で止まっ
り、助手席のドアが開く。と同時に中から
「ごめん、お待たせ」
と言う言葉が聞こえてきた時。
シンジは自分の考えが間違っていないかったことを知った。
* * *
シンジが予想した人物と出会った時から、時間は若干溯る。
壱中、理科実験準備室は秋の陽射しに染められていた。
その陽射しの中で、パソコンに向かって仕事を進めている一人の女性教師がいた。
白衣に身を包んだ金髪の女性。
ふいに電話が鳴った。
彼女、赤木リツコは受話器を取る。
「はい、第壱中学理科実験準備室です。」
「私だ」
「あ………司令……」
リツコは瞬間頬を染める。名前を聞かなくても相手が誰か、彼女には声ですぐに分か
った。
司令、と呼ばれた男が告げる。
「本日1200時より“E計画”を実行に移す」
「本日1200時…?いきなりですが……時期が早過ぎません?」
リツコは怪訝な表情を浮かべる。
何故この時期にE計画を……
あの計画はもっと時期を見て周到に進めるべき事項だった筈では……?
「やむを得ない事情があるのだ。我々に残された時間はあまりに少ない」
「司令?それは一体どういう……」
「………少々口が過ぎたようだ。いずれにせよ、我々に選択の余地はない。赤木君、君
がすべき事は計画実行が『可能』か『不可能』かを言うことだ。私に問いただすこと
では無い。」
「…可能です。」
不審な点はあるが、可能か不可能かと問われれば「可能」と言わざるを得ない。
まだまだ不備な点は残ってはいるが、役立たずとは思われたくない。
「では至急取り掛かかってもらう。」
「了解しました」
「赤木君。君には期待しているよ」
その言葉を最後に電話が切れた。
…君には期待しているよ…
その言葉が甘い蜜のようにリツコの心に染み込む。
あの人の、その言葉が得られるなら。
私は何をしても構わない。
たとえ悪魔に魂を売っても……
そしてリツコは、電話のプッシュホンを静かに押した。
* * *
『────はい、こちら第3新東京市第壱中学校でぇっす』
いっそ「はぁと」と後に付けたくなるほど気の抜けた電話応対をしたのは葛城ミサト。
壱中教諭。2年A組担任だが、「担任なんかやらせても大丈夫なのか?」とほぼ全ての
教員から囁かれている、自他共に認めるスチャラカ教師である。だが、その砕けた所が
生徒に受けるらしく、人気はなかなかのモノだった。
この時間は授業が無いので、職員室でエビチュ…は無理なのでやむなくお茶を啜って
いた。他に職員室にいるのはジジイばかりで、オヤジ話に花が咲いていたため、ミサト
は何となく所在無げだった。やがて、お茶を飲み干してしまうと机に寝そべり、つまら
なさそうにボールペンを弾き始めた。
そこに電話がかかって来たので、気分転換とばかりに音速で電話に出たのも無理から
ぬ事だろう。
「葛城ミサトさんですね?」
受話器から聞こえてくる声は変声期を通したような、奇妙に歪められた声だった。
『そうですけど?おたくどなた?』
ミサトは不審そうな声を上げる。
「指令400325」
歪んだ声がそう呟くと。
『了解。指令を受諾します。──態勢完了。内容をどうぞ』
ミサトの声は急に機械的なものに変わった。
しかし、他の教員達は未だオヤジ話を続けていたため、ミサトの対応の急激な変化に
気付かない。
「至急、学校を早退せよ。理由は──そうね、体調不良のため、で良いでしょう。」
『了解』
「その後株式会社NERVに向かえ。NERV内での行動は追って指示する。」
『了解』
「以上。指令400325伝達終了」
『了解。伝達終了。ただちに指示を実行に移します』
その電話の後、壱中教諭・葛城ミサトは早退した。
しかし、早退した筈の彼女が自宅とは微妙に異なる方向に車を走らせた事に気付いた
人間は、職員室の中には誰一人居なかった。