愛されていますか?
本当に、愛されていますか?
誰よりも、愛されていますか?
愛していますか?
少女、少年 <挿話(3)>
ベッドの上で、少年は静かな寝息を立てている。
左腕には点滴のチューブがのび、その先には透き通った液体が真っ白な病室に吊されて
いる。
少女が少年を心配そうに見つめている。
普段のそれと殆ど変わることの無い表情であっても、赤い瞳が零す不安感を見て取れる。
チチッ、チチッと鳴く鳥の声が、朝焼けに染まる窓の外から聞こえてくる。
少女はじっと少年を見つめている。
”極度の疲労”、昨日の夜、この病室でそう日向マコトから聞かされた。
何かがおかしいと思えども、少女はそれを否定しようとは思わなかった。
その不安感を口に出すことによって、知りたくないことが目の前に飛び込んでくるかも
しれない。
だから帰れずに、ずっとこの場所にいる。
”心配はない”と言うマコトの言葉も嘘に思えて、ずっとこの場所から動けない。
本当は気がついているのだ。
自分の想いに揺らいでいる。
はっきりと分かるその自らの感情が、淀むように足下にまとわりついている。
もうすぐ朝が来る。
そんな、少女は陰鬱とした感情の向こう側で、少年の指が少しシーツを引っ掻いた。
そして次の瞬間、少年がベッドの上で、ビクンと体を震わせた。
今までの透き通るような表情は消し飛び、その顔には一気に苦しげな表情が浮かぶ。と
同時に、言葉にならない叫びが、口元からこぼれる。
壊れていく静寂の空間。
吹き出す脂汗と、掛け布団を強く握りしみる両手。
一気に上昇するエントロピーと、ヒステリックな圧迫感。
少女は思わず、その少年の左手に自らの両手を重ねた。
それは突然の想いからであり、その少年の苦しみを和らげてやりたい、その一心からだ
った。
少女の手よりも遙かに冷たい少年の手が、少女の暖かさを奪い取っていく。
少年は一生懸命何かを口にしようとしている。
そのかすれて声にならない絶叫の端々が、断片的に少女の心に届いてくる。
少女は願った。
少年の苦しみが飛散して、自らの苦しみになるように、と。
少女は願った。
この想いが少年に届け、と。
そして少女は少年に笑いかけようとした。
精一杯の笑みを見せてあげたかった。
少年が与えてくれたそれを、返してあげたかった。
そうすれば少年が苦しみから解放されるかも知れない。
ただそう願って。
そして唐突に、少年はぐっと左手で少女の両手を握り返した。
少女は目を見開く。
そして少年は、ゆっくりと、やっと分かる言葉を口にした。
「アスカ」、と。
一瞬にして目の前がぼやけて、ポロリと滴が零れた。
両肩が震える。
押さえつけようとしてもそれは収まらず、さらに大きな震えになる。
噛みしめた歯の間から、押さえきれない嗚咽が零れる。
そしてカチカチとその歯が揺れ動く。
それでも少女は少年の左手を暖かく握りしめる事を辞めない。
どれ程心が痛くても、少女はその手をぐっと握りしめる。
少年の思いではないのだ。
それは少女の願いなのだから。
ただ同時に、少女はもう一人の少女の事を思った。
少女は、少年に想われている少女は今どこで何をしているのだろう。
こんなに少年が苦しみ、その名を呼んでいるのに、その少女は此処にいない。
その悔しさだけが、嫌な感情になって心の底に残った。
そして、どれ程の長さか分からない、残酷な時間は終わりを告げる。
少年の荒かった息は、やがてスゥスゥという寝息に戻り、苦悩の表情は元の澄んだ優し
げな表情に帰る。
ゆっくりと少年は、その苦しみから解放されてゆく。
少女はじっとそれを見守った。
少年はやがて少女の手を握りしめていた力を失い、再び向こう側の世界へと帰っていっ
た。
暫しその手を重ねていた少女も、ゆっくりとそれを緩め、離した。
失われた接点を少女はじっと見つめていた。
やがて、少年が完全に落ち着きを取り戻した事を確認すると、少女はすっと立ち上がっ
て、病室を後にすることを選択した。
カツカツと響く足音が、静寂の病室に響いた。
少女は病室を出て、洗面所に向かった。
闇の残る廊下は暗く、人を不安にする魔力に満ちあふれていた。
少女は洗面所にある鏡を覗き見た。
泣きはらした瞳が、赤く燃えていた。
少女は洗面所の入り口の扉を固く閉ざした。
そして生まれて初めて、大きな声を出して、泣いた。