第参話 ココロ、コトバ、コダワリ(後編)

written on 1996/9/1



 「ごめんなさい。アスカから碇君には教えちゃダメって言われてるの。
  理由も聞かないでね」

 「………そう。
  いいんだ………ありがと。それじゃ………」

 トウジからイインチョーの電話番号を聞いたまではよかったものの、こん
な言葉を聞かされて………僕は溜息をついて受話器を降ろした。

 久しぶりの部活で疲れた身体をベッドに横たえて、見慣れた天井を見上げ
てみる。

 そっか………
 
 そうだよね………

 お互い、避けてたんだよね。

 そんなつもりじゃないのに。

 なんでこんなになっちゃったんだろう。

 もう一度溜息をついて、僕は枕に顔をうずめた。


      *          *          *

 
 ヒカリから今日2度目の電話が来たのは8時を少し過ぎた頃だった。
 受話器を取った瞬間聞こえてきた笑いを押し殺してるような声に、あたし
はなんだか嫌な予感がした。

 「もしもーし。アスカ? アスカだよね?」

 「………あたしだけど。何よ、その嬉しそうな声は」

 「ふふ〜ん。今ね、碇君から電話があったのよ」

 ヒカリの言葉を聞いた瞬間、心臓が急にドキドキし始めた。
 だからあたしはすぐに声をだせなくて。

 「………………………で?」

 「『で』って、どーするの? ほっといていいの?
  教えられないって言ったら、すごく元気ない声してたわよ」

 「べ、べつに、あたしに関係ないじゃない」

 「ふ〜〜〜〜〜〜ん。あんまり意地張ってるとロクなコト無いわよ。
  あとから泣きついたって知らないんだから」

 「はんっ。あたしが、ヒカリに、泣きつく? なんで? どうして?
  そんなことあるわけないでしょっ」

 「………あ〜あ、碇君、かわいそう。
  後から電話して慰めてあげよっかなー」

 「あ、あんたには鈴原がいるじゃないの!」

 「それとこれとは話が別よ。それにアスカには関係ない話だしー」

 「う゛っ………………何が言いたいわけ?」

 「鈴原から聞いた碇君の電話番号教えとくね。
  気が向いたら電話してあげたら? 碇君、すっごく喜ぶと思うなぁ」

 「し、仕方ないわね。そこまで言うなら電話番号だけは聞いてあげるわ。
  ほらっ。早く言いなさい」

 「はいはい」

 メモを取るあたしの耳に、ヒカリの笑い声がやたらと気に障る。

 「ふふ。ほんとにあなたたちって面白いわ」

 「ヒカリに言われたかーないわよ」

 「ま、早く私ののろけ話も余裕を持って聞けるようになってもらわないと
  つまんないしね」

 「ほんっっっっっとに嫌なヤツ!!!!」

 こうやって最近は、いつもヒカリにやりこめられるあたし。

 ずっと昔、鈴原のドコが好きになったのか訊ねたときに『優しいところ』
なんて頬を赤らめていた頃が懐かしいわ。
 いつの間にかすっかり追い抜かれちゃったな。
 女として成長していくヒカリの姿は、羨ましくもあり、頼もしいなんて思
ったりもする。

 そして明日のお昼の待ち合わせを約束してから、あたしはヒカリとの電話
を切った。

 受話器を置いたとたん、あたしの視線は知らず知らずのうちに机の上にあ
る時計に飛んでいた。

             『20:37』

 くだらないバラエティー番組を見て笑いながら、あたしはチラリとまた時
計を見る。

             『21:20』

 履修表を提出するために、サブノートタイプの端末を叩きながら、画面の
端に出ている時刻を確認しているあたし。

             『21:36』

 複雑な履修システムと、楽に単位が取れる講義の怪情報に、あたしは頭を
悩まされる。

 あーもー、どれとろうかな?
 興味ない講義はラクしたいし、誰か詳しい子いないかしら。
 こんな時、サークルとか入ってないと、不便よねぇ。
 
 ………そう言えばシンジは、陸上部に入ってるんだっけ。

 もう一度あたしは時計を確認する。

             『21:42』

 仕方ないわよ、何とるか聞くだけなんだから。

 ………それが理由なんだってば。

             『21:46』

 受話器を上げながら、あたしは最後にまた時計を確認した。
 
 まだ、起きてるわよね。
 寝てたりしたら承知しないんだから。

 それにしても、

 あたしとあろうものが、いったいなにやってんのかしら。

 これじゃわざわざ口止めした意味が無いじゃない。

 あああああ、もお、自分から電話してど〜すんのよお!

 と、最後に一叫びした後、はやる気持ちを抑えながら、あたしはボタンを
軽快に押し始めた。

 たぶん、顔は、笑ってた。


      *          *          *


 いつのまにうつらうつらしていたのだろうか。
 僕は電話のコール音で目が覚めた。
 
 こんな時間だから、きっとケンスケがコンパの報告でもしにきたんだろう
と、あまり気乗りしない気持ちで、僕は枕元に置いといた子機の受話ボタン
を押した。

 「もしもし」

 「ぐーてん、あーべんと、シンジィ!」

 受話器から出てきた声に僕は絶句した。

 とても元気で、とても心地よくて、とても聞きたかった声だった

 僕はしばらく声が出せなかった。

 何故か胸がいっぱいになって。

 この時僕は、初めて実感した。
 
 どうしようもなくアスカを好きになってしまっていたんだと―――


 「シンジ? どうしたの?
  はは〜ん、さては私の声が聞けて、嬉しくて声も出ないんでしょ」

 「………ン」

 「え?」

 「あ、いや、何でもないよ。それよりもどうしたの突然?」

 僕は出来る限り嬉しさを押し殺して言葉を続けた。
 アスカがどうして電話してくれたのかとても気になったから。

 「んーとね、ちょっと授業のことで聞きたいことがあって。
  シンジは教養の講義って、どれをとるつもりなの?
  らくちんな講義の情報って入ってない? 
  興味がないのはやっぱり楽にとりたいと思ってね」

 自分がどんな言葉を期待していたのかはっきりとはわからなかったけど、
アスカから返ってきた言葉は、少なくともその期待に応えるモノではなかっ
た。 
 けれども、とにかくアスカに避けられている訳ではなかったんだとわかっ
ただけで、僕はとても嬉しかった。

 そして僕たちはそれから3時間も話し込んでしまった。

 学校のこと、友達のこと、部活のこと、住まいのこと、料理のこと。

 たぶん二人だけでこれだけ話し込むのは初めてだったと思う。
 心地よい緊張感と、ポンポンと飛び出してくる歯切れの良いアスカの言葉
が気持ちよくて、僕はいつまででも話せるような気がしてた。

 でも時計の針が1時を回ったとき、さすがに悪いような気がして、
 
 「………もう1時になっちゃったね。
  そろそろアスカも眠くなってきたんじゃない?
  話、長くなって、ごめん………」

 「そ、そうね。寝不足は美容の大敵だし。
  だけどシンジが気にすることないのよ、あたしが電話したんだから」

 「うん………あの、その、それで、さ。えっと、やっぱり、いいや……」

 「なに? 言いたいことがあったら、はっきり言いなさいよぉ」

 「………うん。
  えっと、あの、電話番号、教えて………くれないかな………なんて」

 永久に感じられる一瞬の沈黙。

 「………別に、いいけど」

 心なしかアスカの声が暗くなったような気がして僕は慌てた。

 「あ、その、いやならいいんだよ。
  なんかイインチョーにも……口止め………してたみたいだったし……」

 「誰もイヤとは言ってないでしょ! 
  はい、ペン持った? 言うわよ? いい?」

 「あ、ちょ、ちょっと待って、………えっと、あ、いいよ!」

 僕が電話番号を書き終えたと同時に、アスカがポツリと言った。

 「あんたの口から直接聞いて欲しかっただけ。それだけよ。
  ………じゃ、おやすみ、シンジ」

 「え? あ、お、おやすみ、アスカ」

 この時の僕は、出来るだけ優しい気持ちでおやすみの言葉を告げるのに精
一杯で、アスカの言った言葉の本当の意味を理解したのはずっと後のことだ
ったけれど、

 失いかけていた絆が、たった一本の電話で取り戻せたような気がして、

 僕はもう二度と、この絆を離さないようにしようと、心に誓った。



<第四話へ続く>



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