『愚王』

いもちん





−第1話−





 遠い日々を訴えたあの日。
 狂った風は人を神への誘いを閉ざした。
 それはガラクタと戦意で自らの首を絞め続けていた、

 力は暴雨となり、血は砂と化し、悲鳴は大地の息吹と同化していた。

 やがて天は怒り、地は裂け、海は高波となって「モノ」を潰す。
 愛しいほどの惨劇の愛撫は数十年にも渡った。

 だが、それは人に光明を与えるには及ばなかった。

 死に絶える大地に根を張り、乾いた空気に葉を広げ、吹き荒れる風の中、

 人は生きていた。

 更に貪欲となって。

 神は―――いなくなった。



 そして、数百年が過ぎる。



 剣と血と欲望の時代が―――。






            *     *     *



 力一杯に振る。
 ごき。
 鈍い手応え。
 飛び散る鮮血。

 自分の両手に在る大剣は、敵が利き手を振り上げた脇腹にぐっしりとめり
込んでいた。
 甲冑を叩き割り、鍛えられた肉体に意味ありげに生えた支給品の大剣は、
その身をずるりと横滑りすると、ささやかな血の返礼を全身に浴びる。

 俺は気合いと共に肉に挟まれた大剣を引き抜くと、力無く寄り倒れてきた
敵を向こう側に蹴り倒した。

 動かなくなった敵は散乱する死体の中に埋もれ、やがて耳障りな馬群の音
に掻き消されていった。

 敵。

 そう。

 敵。俺の敵。


 傭兵である俺にはそれしか頭に無かった。
 転々と戦場を駆け巡り、命辛々の戦いを繰り返し、人の生き血を啜いなが
ら俺は生きてきた。

 生きていく為の術。

 それが俺にとっては殺戮を繰り返すだけだった。
 幸せな家庭を描くこともなく、高貴な生活を望むこともなく、ただひたす
らに血糊の布団にくるまっていた。

 ただ―――たった一つの願いの為に。



「なにしてやがる!」
 罵声。
 戻る意識。
 劈くような悲鳴と地鳴りのような轟音。
「早く撤退しろ!奴ら、大砲まで持っていやがった!」
 分隊長らしき男が騎上で騒ぐ。
 その指された先には、乗り合い馬車の数倍はあろうかという巨大な荷車に、
まるで千年樹並の太さを持った筒が載せられていた。
 黒光りの鋼鉄の身をしたそれは、先端の口から燻る黒煙を吐いている。

―――ちっ、本気かよ。

「いかーーん!!!」
 こうるさい分隊長が喚く。
 それもその筈だ。たかがこんな山奥の古城を守るのに、あんな馬鹿でかい
大砲が出てくるとは誰が考えるやら。予測した奴がいたら頭がおかしいと罵
られるのがオチだろう。

―――噂通り、ログシュ公は大金持ちで、阿呆らしいな。

 敵対しているウェイズン伯爵に俺は3日間雇われた。
 たった3日間と馬鹿にする仲間もいたが、もうそいつらは皆、混戦で土と
化した。

 たかが3日。

 だが俺達にとっては3日は長い。

 明日の夕日を拝めるかもわからない。


―――こんな所で死ぬわけにはいかねーんだよ。


 俺は支給品の大剣を足下に突き刺した。
 懐から厚皮で出来た手袋を取りだし、両手にはめる。


 ごん!!!


 耳を塞ぎたくなる轟音が辺りを轟かす。

 砲台からの発射音。
 しゅるしゅると小さな空気を切る音。

 閃光。
 爆発。
 地鳴り。
 悲鳴。

 遙か後方での出来事。
 おそらく4、500人の仲間が吹っ飛んだだろう。
 金切り声を上げていた分隊長も、あまりの威力に言葉を失っている。


 俺は、背中に背負っている剣を取り出した。
 自分の背丈と同じくらいの大きさを持つ極大な剣。
 ベルトにくくりつけていたコルセットも外す。
 同時に上衣の鎧も全て外した。

「な、なんじゃ?その馬鹿でかい剣は?」
 隣に腰を抜かしていた顔も知らない傭兵仲間が問う。
 俺はその言葉を無視して、剣を抱えたまま、砲台に向かって走り出した。

「お、おいっ!そこの雇われっ!何をする気だ!」
 分隊長の声。

「俺がやる」
 一言答えてやった。
 そのまま俺は振り返ることもなく走り出す。






「おい。なんか馬鹿でかい剣を持った奴がこっちに来るぜ」
「あ?なんだぁ?」
「特攻のつもりか?傭兵のくせに」
「おい。砲台水平にして、アイツごと撃っちまおうぜ」
「いいねぇ」
「おいっ!砲を倒せっ!」
「よっく狙えよぉ」






 ざんざんざん。
 足の筋肉が歓喜の声を上げている。
 行け、行け、行けと沸き立てる。
 愛用の剣を抱える身体がそれに答える。
 ざんざんざん。
 散乱している人の形をした肉の塊を踏みつけながら駆け走る。
 両手に力が入る。
 鞣しで固められた手袋がガッチリと剣を握る。
 俺の目は真っ直ぐ砲台に向いていた。

 そして砲台がゆっくりと水平に―――俺に黒い巨穴を向けようとしている。


 ごん!!!


 発射音。
 黒煙。


 ひゅっ!



 酒樽程ある弾。



 瞬き一間に俺の目前に現れた。

 手が届きそうな距離に――





 キン!





 俺は剣を振り下ろした。


 剣先が地面に埋もれる。
 剣先を飲み込んだ大地が悲痛の叫びと削られたその身をまき散らす。



 弾は―――




 俺の後方で真っ二つに割れて宙を彷徨っていた。


 ごぼん!


 小さな爆発。
 撃った本人達にとっては思ってもみなかった小さな小さな爆発。



「ば‥‥ばかな‥‥」

「弾を‥‥切りやがった‥‥」

「ば、化けもん‥‥」


 一律した思念が飛ぶ戦場。
 この時点で既に勝敗は決まった。
 俺の勝ちだ。


 再度撃とうとした砲台を俺は横から叩き切り、向かいいる兵達を一呼吸で
全滅させた。
 砲台を失い、僅か四半刻で戦意を失った敵に味方が襲い、殺戮と簒奪が始
まる。
 ある者は仲間を殺された恨みを死骸に充て、ある者は貯蓄された金や食料
を味方同士で奪い合っていた。


 だが、俺が通る道は空いていた。
 皆が道を開けた。

 皆が俺に問いかける。
 皆が俺に付きまとう。
 皆が俺を称え合う。

 俺は勝利の酒を片手に、授与された褒金を数える。

―――これでまた夕日が何日か見れる。


 金を握りしめる。
 血に染まった手で。

 切った感触がまだ手に残っている。
 それは決して良いとは言えない感覚。

 だが‥‥

 そうやって生きているのだ、俺は。



「あんた、名をなんていうんだい?」
 誰かが聞いた。
 俺は酒に酔えない口で答える。




「‥‥ブロー。ディアブロだ」



続く‥





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