Under the Metallic Sky - a cloudy sky 2 -
Written by みなる
突然、鼻先を何かの香りがかすめた。
そのせいで、思考を画面上の文字列へと変換し続けていた指先が、止まってしまった。
手を休めたままもうひと呼吸すると、肺がほろ苦い芳香に満たされた。コーヒーの香りだった。
・・・・・・誰か、いるの?
おそるおそるシートを回す。やはり私のすぐ斜め後ろに、いつの間にか人が立っていた。
「・・・・・・日向さんだったんですね。いつからいらしたんですか?」
「ほんのちょっと前からだよ。声掛けてたのに、マヤちゃん返事してくれないんだもんなあ。
けどその様子じゃ、ほんとに気付いてなかった?」
「ええ。全然気付きませんでした」
「・・・・・・無理もないか。連日こんな遅くまで、ここに一人で籠もって仕事じゃ」
日向さんはジーンズにライトグリーンのポロシャツといった、ラフな私服姿だ。
手にはプラスチックのカップを一つ持っている。コーヒーの自販機のものだった。
それにしても、ドアの開閉音も、日向さんの声も聞こえなかったなんて。
「人は視覚や聴覚よりも、嗅覚の影響を受けやすい」って、本当なのかもしれない。
私は、以前何かで読んで記憶の片隅にあった説に実感が伴った、ごく軽い感動を味わっていた。
その間に日向さんは、私の机の端にコーヒーのカップと、何やら小さな袋を置く。
見覚えのある青いフィルム包装袋は、私の好物、ビッツクラッカーエメンタールチーズ味のものだった。
ということは・・・・・・。
「これ、青葉から帰るついでに渡しといてって頼まれたから、寄らせてもらったよ」
「すみません、ありがとうございます」
思った通り、それは青葉さんからだった。
最近、彼とは、仕事でも滅多に顔を合わせない。
私がここ、技術部内の自席にいることが多くなり、発令所へは殆ど行かなくなったからだ。
それでも特に寂しいと感じることはなかった。
というよりは、そう感じる余裕すらなかったというほうが、正しいのかも知れなかった。
「あいつも忙しいのは分かるけど、自分で来ればいいのに。俺ってそんなに無害な男に見える?」
「さあ・・・・・・私にはよく分からないです」
本当は分かってる。でも、ちょっと言えなかった。
日向さんの目が、いつも葛城さんを追っているのに気付いていることも。
私と日向さんと青葉さんの間には、組成バランスの非常に良好な空気が流れていることも。
分かりやすい言葉を使うなら、これは・・・・・・友情、なのだということも。
「青葉っていえばさ、前から気になってたことがあるんだけど、マヤちゃん知ってる?」
「何ですか?」
「あいつってさ、リンスとかしてるの?」
「リンス・・・・・・ですか!?」
なんでまた、この人はそんなことが知りたいのだろう?
私は、青葉さんが私の好物をちゃんと覚えていて差し入れてくれた嬉しさと、そうされるまで今日は一度も彼のことを思い浮かべもしなかったことへの驚きとが入り乱れた気分でいたから、すぐにはこの突拍子もない質問についていくことができなかった。
「どうなんだろう、って時々思ってたんだよなあ。だってあいつの髪、やけにキレイだろ?」
確かに青葉さんの髪は、私の目から見てもきれいだと思う。
なんとなく日向さんの気持ちが分かったような気がして、私は答えた。
「そう言われてみれば・・・・・・確かに青葉さんって、髪、きれいですよね。
でもリンスとかトリートメントとか、そういう手入れらしいことって何にもしていないんですよ。
お風呂場にも置いてありませんでしたし。
それなのにあんなに、私のよりきれいだなんて、ちょっと許せないなって思うことありますね。
しかも寝グセもつかないんですよ。変ですよね?
あの長さって、いちばんハネやすいはずなのに。私なんて毎朝直すの大変なのに」
「・・・・・・意外だったな」
「ですよね。きっと元々いい髪質なんでしょうね」
「いや、そうじゃなくてさ。
マヤちゃんからそこまで詳しく教えて貰えるとは思わなかったな、ってこと」
日向さんはニヤニヤしながら私を見ていた。
まるで、面白いものを見つけちゃったぞ、とでも言いたそうに、眼鏡の奥の目が光っている。
はじめはどういう意味か全く分からなかったのだが・・・・・・少し考えて気付いた。
さっき私が話した内容は、私と青葉さんが共に寝泊まりしたことがあるという、証明みたいなものではないかと。
別に隠れて付き合っているわけじゃないもの、構わないじゃない。そう頭では理解している。
でも感情は理屈になど従ってくれなかった。
私は話題をそらしたいと焦るあまり、とっさに、
「あ、あの、私も前から気になってたんですけど、日向さんの髪型って、洗った直後はどうなっているんですか?
結構前髪が長かったりするんですか?」
などと、さっきの日向さんよりもっと変かもしれないことを口走ってしまった。
「・・・・・・確かめに、一度うちに泊りに来てみる?」
こんなときの日向さんの声は、妙に胸に迫る。思わずどぎまぎしてしまうほどだ。
しかし私はできるだけ冷淡に答えた。
「遠慮しておきます」
だってこの人は、完全に私をからかっているのだ。
私が動揺していることなどきっとお見通しで、さらに私がこの手の冗談は苦手なことも前から知っている上で、私の反応を面白がっているに違いないのだ。いつもそうなのだ。
「ごめん、冗談だってば。コーヒーは俺からだからさ、機嫌直して」
私は、それなら、と微笑んで見せた。
でもこれは、お約束通りのお芝居を演じたようなものだ。
元々たいして怒ってなどいなかったし、実は日向さんのこういうところを、私は決して嫌いではない。
むしろ重い雰囲気になりやすいこの職場で働く中で、彼のこういう面に救われる思いをしたことが何回もあったことを、感謝すらしていた。今だってそうだ。
私は、まだ湯気の立つコーヒーを一口飲んだ。
暖かくてほろ苦いものが、身体中に染み込んでゆくように感じた。
カップを包む両手を膝の上に置くと、黒い液体に、ディスプレイの光が歪んで反射する。
私はそれをぼんやり見ながら、こんな他愛も無いお喋りをこの前に誰かとしたのはいつだったろう、と考えていた。
「この頃、ちょっと根詰め過ぎなんじゃない? 夕飯は食べた?」
尋ねられて見上げると、日向さんの表情は、先程までとは全く違う、気遣わしげなものへと変化していた。
「・・・・・・あ。まだでした」
「ほんとに? もう11時になるぞ?
こういう状況だからマヤちゃんが忙しくなるのは仕方ないけど、せめて食事くらいはちゃんとしないと」
こういう状況、か・・・・・・その通りだわ。
「そうですね。身体壊したら、仕事どころじゃないですものね。
夜食タイムと重なって混んじゃう前に、食堂に行ってこようかしら」
「そうしたほうがいいよ。今日、日替り定食に刺身付いてたし」
「お刺身? ほんとですか!」
「ああ、マグロの赤身が三切れだけたったけど。
しかもさっき俺が食べたときにはまだ凍ってるところがあってさ。
でも今なら、ちょうどいい具合に解凍されてるんじゃないかな。
さて・・・・・・俺、そろそろ帰るね。マヤちゃんもあんまり無理しないで、食事ちゃんとしろよ。じゃあね」
日向さんは言いながら、 腕時計にちらっと目を遣ると、すぐにドアの方へと歩き始めた。
彼も恐らく、今日を逃したら、次はいつ帰宅できるか分からないのだろう。
「お疲れ様でした。それと、コーヒーご馳走様でした」
私は、ありきたりのお礼の言葉に、コーヒー一杯分以上の感謝の気持ちを込めて、彼の背中を見送った。
エレベーターの扉が開き、食堂のあるフロアに降り立つ。
夜半近い時刻のここには、昼間のようなざわめきはなかった。
食堂へ向かって歩き出すと、夜食の買い出しか、一人で三つも大きな袋を提げている男性職員とすれ違う。
彼と私の靴音だけが、やけに大きく通路中に響いていた。
通路の片側の大きな窓越しには、いつ見ても変らぬ、ジオフロントの夜景が広がっていた。
ちょうど目の高さに見えるのは、遠くの兵装ビル群。
その輪郭の所々でゆっくりと点滅する、小さな赤い光たちだった。
天から地へと逆さまにそびえるビルの群れはいつも、この空が贋物であることを私に思い出させる。
今日で一週間、だったかしら。
特殊装甲板の天井でもなく、モニター越しの映像でもない、本当の空を見上げることが無くなってから。
それは即ち、帰宅もままならぬほどの激務が続いていることを意味していた。
しかしそんなことはどうでもよかった。
却って好都合だった。
差し当たってしなければならない物事に追われていれば、余計なことを考える暇も無い。
見たくないものから、目を背けていられる。
ベッドに身を横たえてから、眠りに落ちるまでの時間は、なるべく短いほうがいい。
胸の奥に封じ込めておいたものが目を醒ますのは、いつも決まってこのときだからだ。
だから私はくたくたになって、仮眠室のごわつくリネンの肌触りを嫌う間もなく、深く眠ってしまいたかった。
何気なく眺める景色さえ、今は、折角軽くなりかけた心を重くするものでしかない。
まして定食のお刺身を呑気に食べる気になどなれず、私は食堂へ行くのをとりやめた。
来た道を引き返して売店に入ると、ここもひっそりとしていて、客は私しかいなかった。
ネルフの売店は上の街のコンビニと同じくらいに品揃えが豊富なのだが、私はさほど迷わずに商品を選んで、会計にセキュリティ・カードを通した。
帰り道、私は誰もいないエレベーターの中で、大きな伸びを一つしてみた。
腕を下ろすと、売店のビニール袋の中身が揺れた音のあとで、全身に心地良い脱力感が広がった。
胸の中には、日ごとにその灰色を濃くしてゆく雲が、あれからずっと垂れ込めたままだというのに。
部屋に戻った私は、意外な光景を目にした。
それはライトグリーンの背中・・・・・・日向さんが、私の机の前で上体を屈めている姿だった。
驚く私。彼は顔だけをこちらに向けて言った。
「マヤちゃん・・・・・・刺身、食べてこなかったんだ」
「日向さん・・・・・・帰ったんじゃなかったんですか?
どうして・・・・・・出入口のロックはちゃんとした筈なのに・・・・・・まさか、忍び込んで・・・・・・?」
思い当たる節はあった。
私は今、公開不可のデータを持っている。
脳裏に、三時間前の冬月副司令とのやりとりが蘇った。
シンクロテストが終わり、他の職員がみな退室した実験場。
それを見計らい、私は副司令に話し掛けた。
「副司令。実は・・・・・・少し気になることがあるんです。こちらをご覧頂けますでしょうか」
私はモニターに、問題のデータを映した。副司令がそれを覗き込む。
「・・・・・・で、このデータから、君ならどのような結論を導き出すかね?」
「有り得ない、とは思うのですが・・・・・・彼、フィフス・チルドレンは恐らく、自分の意志によりエヴァとのシンクロ率を自由に設定できるのではないかと推定されます。
・・・・・・信じられませんが、そう仮定すると、全ての計測結果の辻褄が合います」
私は躊躇しながら答えた。
副司令は暫く沈黙した後、穏かではあるが有無を言わせぬ口調で、私にこう命じた。
「私も同じ考えだ・・・・・・伊吹君、このデータは極秘だ」
「・・・・・・はい」
アスカの代りのエヴァ弐号機パイロットとして、マルドゥック機関により選定された五人目の適格者、渚カヲル。
全ての経歴は抹消済み。但し、生年月日はセカンド・インパクトと同一日。
これ以上のことは、MAGIにより調査を進めているが、未だ不明・・・・・・。
今日、そんな謎だらけの彼の、初めてのシンクロテストが行われた。
そこで渚カヲルは、コアの変換もなしに弐号機とシンクロするという、システム上有り得ないことをやってのけた。
・・・・・・この少年には、何かある。
私でさえそう思ったのだから、その場にいた葛城さんや日向さんも、同様の疑念を抱いたに違いない。
日向さんがあの少年の全データを欲するのは、考えてみれば当然の流れだ。
日向さんは体を起こして向き直り、私を真正面に見据えて言った。
「こんな扉のセキュリティぐらい、どうってことないさ。
でもマヤちゃんの仕事熱心さについては、ちょっと小さく見積もり過ぎたかな。
データの隠し方はかなり巧妙で手間取ったし、こんなに早く戻って来るとも思わなかった」
何を言っているのか分からない。
ただ、普段は好もしいと思っていた彼の軽い口調が、今はどうしてか、不快に聞こえる。
その原因、胸の底から突き上げる感情は、多分、怒りだ。
落ち着かなくては・・・・・・でも、だめだ。自制できない。
「日向さんがここにいる目的が何かは、見当がつきます。
私としては厳重に隠したつもりですが、そんなもの日向さんにとっては、扉のセキュリティと同様に
『どうってこと』なかったでしょう?
だから、あとは私がこの部屋を長時間空ける機会を作るだけだった、ってことですか?
私のスキを作るのなんて、コンピュータよりもずっと簡単で『どうってこと』なかったでしょうね!!」
随分と皮肉めいた言い方だ。しかも最後の方は、吐き捨てるように叫んでいた。
「マヤちゃん・・・・・・」
こんな私を見るのが初めての彼は、それきり言葉を継げずにいるようだ。
立場上いけないことだが、データを盗まれたことに対しては、さほど腹が立たなかった。
それよりも、私の彼に対する好意と信頼を利用されたことが、悔しくて、悲しくてたまらなかった。
この感じは、前に葛城さんが家に来たときに抱いた感情と似ている。
でも私にとって、日向さんは葛城さんよりもっと身近で、先輩である彼にこう言ってよければ「仲間」とか「友人」だと思っていたから、されたのが同じようなことでも、より衝撃が大きかったのだ。
葛城さんのことを思い出して、ふと、こんな考えが浮かんだ。
きっとこれには、彼女も一枚咬んでいる。
「葛城さんに頼まれて、なんですか?」
「なぜそう思う?」
「前に葛城さんに直接聞かれたんです。エヴァって何? って。
その晩葛城さん、私の家に泊まったんですけど、そのとき私のコンピュータをこっそり使ってましたから」
「気付いていたのか・・・・・・それなら、正直に話すよ。
確かにこれは、彼女に頼まれてしたことだ。でもそれだけじゃない。俺も本当のことが知りたかった。
赤木博士に、エヴァの装甲板は拘束具だと聞かされた、あのときからね」
あのとき。
第14使徒との戦いで初号機が暴走した、あの日のことね。
私がエヴァを心底怖い、と思いはじめたのも、ちょうどその頃からだった。
だとしたら、私と彼は同じだ。
私と日向さんはあのとき、同じ光景を目にした。そして恐らく、同じような疑問を抱いた。
ただその後、私はそれを胸の奥に閉じ込めて見ないふりをし、彼はそれに忠実に行動を起こした。
今、対立する立場として向き合う私達の違いは、恐らくたったそれだけだ。
「さっきはすみませんでした、あんなものの言い方をして。でも・・・・・・やっぱりまだショックだな。
日向さんが、私を気遣うフリして、私の心に隙を作って、こんなことするなんて」
「・・・・・・すまないと思ってる」
「もういいんです。動機は私にも理解できますし。
本当のことを言うと、私も真実を知りたいんですよ。
ネルフって、エヴァって、一体何なんだろうって、私もあの日から真剣に考え始めるようになったんですから。
でもそのうち、考えるのが辛くなってきました。
だってそうしたら、私のしていることも何なのか、本当に正しいことなのか、分からなくなるもの。
だからなるべく、考えないようにしてきた。
少なくとも、エヴァは使徒を倒す唯一の手段で、私の仕事はそのためのものなんだと思うことにしたわ。
暫くはそれでどうにかやり過ごせました。
でも、それもそろそろ限界かな、っていう気はしていたんです。
だからいつも、感情の入り込む余地の無い物事で、頭をいっぱいにしてきたの。
それが、最近の私の、仕事熱心の正体なんですよ。
勿論、そうでもしないと、とても赤木先輩のいない分は埋められない、っていうのもあるんですけどね。
だから私、日向さんのこともう怒っていないし、このことも、誰にも言うつもりはありません。
今持っているディスク、あの少年のデータのコピーですよね? いいですよ・・・・・・持って行って下さい」
「・・・・・・ほんとにいいのか?」
こう問う彼に、承諾の意と許しの気持ちを込めて、私は軽く頷いて見せた。
「ありがとう。
でも、これは俺が君から無断で借用したことにしておくから、マヤちゃんはそれに気が付かなかったことにしておくんだ・・・・・・いいね?」
「私からだ、と言って下さって構いませんよ」
フィフス・チルドレンの全データを、葛城さんに見せること。
それは、日向さんに盗まれたからというだけではない、私の意志でもあるのだ。隠してもらう必要などない。
その意思を示した私に、日向さんは真剣な顔付きで、こんな質問をしてきた。
「マヤちゃん、ネルフ内部規定第十八条第三項・・・・・・何だか覚えてる?」
国連や日本政府の関連法規とネルフの内部規定は、研修時にいやというほど叩き込まれた。
だから即座に思い出すことができ・・・・・・その内容に、私は、はっと息を呑む。
「確か、機密保持に関する規定・・・・・・」
「そう。上官の命令に背き職務上の機密事項を関係者以外に漏洩した場合、反逆とみなされて拘束や・・・・・・場合によっては銃殺されても、文句は言えないってことだよ。それがどんな些細なことであっても」
そうだった。ここ、ネルフは、軍事組織だったのだ。
そして私も技術者などではなく、二尉という位を与えられた軍人であるという事実を、今更ながらに思い出す。
普段だって、決して忘れてなどいなかった筈なのに。
だからこそ、時に不可解な命令に従いもしたし、人道的にどうかと思う職務さえこなしてきたのではなかったか。
「だからこのデータは、俺が盗んだ。そのことを君は何も知らない・・・・・・分かったね?」
「でも日向さん、私も・・・・・・」
言いかけたそのとき、
「だめだって言ってるだろ!! 何度言えば分かる!!」
日向さんが私に対して声を荒げるのを、初めて聞いた。
その気迫にけおされて、私は、続けようとした言葉を見失ってしまった。
「ごめん、大きな声を出して・・・・・・。
でもその先は、言わないほうが君のためだ。もう考えるのもよせ。分かった?
・・・・・・もう帰るよ。今度は本当にね」
日向さんは、例のディスクを素早くバッグの中に滑り落として、私に背を向けて歩き出した。
私は、その一連の動作を、呆然と見ていることしかできずにいた。
出口の手前で彼は振り返った。
そして、私がずっと左手に提げたままの売店の袋に目を落とし、こう言い残してドアの向こうに消えた。
「それ、ちゃんと食べろよ」
こんなことの後で、食欲なんてあるわけないじゃない。
そう思ったが口には出せなかった。
私はただ、閉まりはじめたドアが私達の間を隔てるのを見ながら、その場に立ち尽くしていた。
再び一人きりになって気が付いた。この部屋は、なんて暗いのだろう。
ディスプレイだけが、ぼんやりとした光を闇に放っている。
明かりをつけるのも忘れていたということか。
視界の隅には空のプラカップ。底にはわずかに、飲みさしのコーヒー。
・・・・・・日向さん。
さっき私を怒鳴りつけたの、私を危険に巻き込みたくないっていう意味?
だとしたら、ありがとう。でもカッコつけ過ぎ。ちょっと、気障かも。
こんなことがあっても、日向さんと私の間には、目には見えないあの空気が流れている。
そう信じられたから、素直に彼の言うことを聞いてみたい気分になった。
だから口にしたツナサンドなのに、いくら噛んでも飲み込むことができない。
コンソメスープで無理矢理に喉の奥へと流すしかなかった。
私が味わっていたのは、きっと食物以外のものだろう。
全てを知りたい。私のしていることが、何であるのかを。
そして、それは正しいことなのか否かの答えが欲しい。
だけど私は、もう、自ら求めようとは思わなかった。
日向さんの忠告に従うわけではなかった。
私と日向さんの間には、前と変らぬ空気が確かに存在している。
しかし、さっき私達の間で閉じた、一枚のドア。
私には、それが、二人の立つ空間以外のものを隔てたのが見えたのだ。
もしもこのまま、赤木先輩の不在が続くとしたなら。
遠からず、少しずつ、私は知ってゆくだろう。
エヴァの、ネルフの、隠された真実を。
危険を冒さずに済む代償は、望もうが望むまいが、否応無しだということだ。
私は抗うことの出来ぬ、巨大な渦に巻き込まれるのかもしれない。
今夜の出来事は、その予兆、小さなさざ波にすぎないのかもしれない・・・・・・。
なぜ?
私はただ、守りたいと願っていただけだ。
人類を、というのは大袈裟過ぎるなら、私の大切な人達と、その未来を。
自分の力がその役に立つ。自分は必要とされている。
私は、ほんの少し、それを嬉しく思っていただけだ。
なのにどうして、こんな思いをしなければならないの・・・・・・?
幾重もの金属に囲まれた暗い部屋の中で、一人噛み締める思いは、飲み下そうとする度に胸につかえて、いつまでも私を苦しめ続けた。
To be continued.
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