彼らの風景

有助




「10時・・・・。あと9時間か・・・・・・。やれやれ」
 カップラーメンのスープを半分くらい残して、おれはそう呟いた。
 50年以上も前に生まれたこの偉大な食品は、今もって「簡単、安価、不健康」
の三拍子を兼ね備えた「独身男性の友」であり続けている。

「我慢、我慢、明日の朝には赤木博士やミサトさんも来るんだしさ・・・」
 マコトが言う。
 こいつは、面と向かっては「葛城一尉」としか呼べないくせに、おれとの会話
のときだけはファーストネームを呼ぶ。おれの、じゃなくて葛城一尉の、だ。
 常々、おれは言ってるんだ。告白しちまえよって。こいつも、一時期はその気
になりかけていたんだけれど、弐号機を引き連れて加持さんが戻ってきてから、
どうも気が挫けてしまったらしい。

「あの2人が来てもなぁ・・・・。なんかあったら、結局は居続けだ」

 あの2人、とはむろん赤木博士と葛城一尉のことだ。

 司令塔に通信士官は3人しかいない。
 その他は、全員、下士官待遇である。
 また、司令塔には2人以上の士官が常駐していなければならない。
 むろん昼夜を分かたず、だ。
 さらに、第一種戦闘配置なんぞがかかった日には、年休を取っていようが夜勤
明けであろうが、少なくとも司令塔、作戦部、技術部の人員は、確実にお呼びが
かかるし、士官だったらなおさらだ。

「時間だ。青葉、仮眠とってこいよ」
「お、悪いね」

 おれは、カップラーメンの容器などのゴミを2人分持って、司令塔ブリッジを
出た。大過なく夜が過ぎるのなら、これから3時間強は睡眠を取れる。

 ダストシュートに袋を放り込んで、おれは勢い良くのびをした。

「青葉さん!?」

 ん? 誰だ?
 そう思い、おれは振り返る。

 栗色の髪を持つ、綺麗な女の子がそこに立っていた。

「あ、アスカちゃん。・・・・どうしたの、こんな遅くまで」

「う、うん。えーと・・・・あ、そうそう! 加持さん知らない?」

「加持さん? って、今は出張中だけど・・・・」
 おれは、訝しげな表情をつとめて隠した。
 加持さんが出張していることを、この子が知らないはずはない。

 どんな事情があるのか、要するに家に帰りたくないんだろう。

 まあ、だいたい想像はつくんだけど・・・・。

「シンジ君となんかあったのかな?」

「・・・・・・」

 またやってしまった、と、おれは思った。おそらく図星なんだろうが、それだ
けに言うべきでないことというのはあるのだ。昔っから、そういうところで変に
不器用だったんだ、おれは。・・・・・・いや、今もか。

「ああ、ごめん、気にしないでくれ。おれの悪い癖だ」

「・・・・癖?」

「そう、言わないでもいいことをズケズケと言っちまう、と」

「な、なによ! それじゃ、あたしが図星付かれたみたいじゃないのよ!」

 彼女はムキになって抗議した。

「・・・・面目ない。どうも、おれはイヤな奴なのかも知れないな」

 彼女はぽかんとした表情の後、不意にクスッと笑って、
「シンジだけじゃないのね。どうして日本の男ってすぐに謝るのかしら」

「え・・・・・・?」

「青葉さんもだわ」
 そう言って、またくすくすと笑う。

 たとえ自分が年長であろうと、性別の壁というのは厳然として存在するものだ。
 女性心理というものは、自分が男である以上、決して踏み込むことの出来ない
領域なのだろうか・・・・。などと、おれは考え込んでしまった。

 と、考えている場合ではない。
 まず考えなくてはいけないこと、アスカちゃんをどうするか、だ。

「で、どうするんだい?」
「どうって?」
「加持さんはいないよ。家に帰る?」
「・・・・・・・・うーん」
「帰った方がいいと思うよ。葛城さんもシンジ君も心配してるだろうし」

「えーと、それじゃ、送ってくれる?」

「はぁ?」

「当たり前じゃない。か弱いレディをこんな夜更けに1人で歩かす気?」

「・・・・・・」
 か弱い云々、というのは、おそらくシンジ君や葛城さんがいたら、大いに異論
を唱えるに違いないが、ここは黙っておいた。その方が賢明だ。
「やれやれ、分かったよ」

「え! 本当?」

「ああ、とりあえずその前に、相棒に許可を得なきゃな。ちょっと司令塔まで一
緒に来てくれる?」




「なんだって?」

「言ったとおりだ。葛城一尉のお宅まで、セカンドチルドレンを送り届けに行く」
「お、おい、それなら俺が・・・・」
「・・・・日向、お前は免許を持っていないだろ」
「う・・・・」

 すまん、マコト。
 出来ることなら替わってやりたいが、こればかりはどうしょうもない。





 ジオフロントから地上へ。
 そして、ネルフの職員専用駐車場に出た。

 ネルフ公用車の運転席にはおれが、助手席にはアスカちゃんが乗る。

「そういえば・・・・葛城さんって車道楽だったよなぁ」
「そうなの?」
「そうだよ。おれと一階級しか違わないで、給料もさして差はないはずなのに、
ルノーだのフェラーリだのに乗ってるんだから」

「ふぅん・・・・。そのせいで、あんなに食生活が乱れたのかしらね」

「乱れてるのかい?」
 と、おれは尋ねてみた。実のところ、彼女の私生活については色んな噂が絶え
ない。度外れた悪食だとか、ゴミを分別する能力がない、とか・・・・・・。

 アクセルを踏み込み、車が走り出す。

「そりゃもう、大変なものよ。ミサトってば、ドイツにいたときから・・・・」
 なるほど、どうやら噂は事実であったらしい。
「でも、今はシンジのおかげでずいぶんマシだけどね。あたしも、ミサトと一緒
に暮らすことになったときは、本気でドイツに帰ろうかと思ったくらいよ」

「シンジ君って、家事できるんだ」

「どうもあいつは、そうなのよね。性格が主婦っぽいのよ。普段はあんなに暗い
くせに、家事に関する限りはうざったいほどに世話焼きだし・・・・」

 そう言っているが、アスカちゃんの顔はどうもにこやかだ。
 おれは吹き出しそうになるのを堪えた。

「ねぇ・・・・青葉さん」
「ん?」
「男の子って、やっぱりおとなしい女の子が好きなのかしら?」
「どうして?」
「いいから! 青葉さんはどうだった?」

 いつ頃の話だ、と聞くほど、おれもさすがに鈍くはない。

「そうだなぁ・・・・。おれは、ハッキリして、少し男勝りなところのある子が好き
だったよ、ちょうどアスカちゃんみたいな」

「へぇ・・・・。それって、初恋?」

「さあ、どうだろうね。少なくとも、シンジ君と同じくらいの頃はそうだった」

「ど、どうして急にシンジの名前が出てくるのよ!」

 おいおい、自分から振ったんじゃないか。
 おれは苦笑するのがせいぜいで、気の利いた台詞は浮かばなかった。

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 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「バカシンジとね・・・・喧嘩しちゃったんだ」
「へえ、なんで?」
「くだらないこと」
「くだらない喧嘩ほど、意地を張っちゃうもんだよ。とくに男はね」
「バッカみたい! とっとと謝ればいいのに!」

 やれやれ・・・・・・。

「シンジ君は優しいからなぁ・・・・」
「あれは優しいっていうようなものじゃないわよ! だいたいね・・・・」

 シンジ君も、苦労が絶えないだろうなぁ。
 おれは、さほど話したこともないサードチルドレンに対して、わずかなりとも
同情なり共感なりを覚えてしまった。

 車は、二子山のトンネルを抜けた。
 あと少しで、葛城一尉の住むマンションだ。

「なんかね・・・・青葉さんって」
「は? おれ?」

 アスカちゃんはこくりと頷いてから、
「ね、妹とかいる?」
「うーん。少し離れた弟がいるけど・・・・君らより上だけどね」
「だからかな、なんか、お兄さんって感じがする」

「加持さんじゃなくて?」
「加持さんは別格。小さい頃から、ずっとあこがれの人だったもん」

「ま、おじさんって言われるよりは数倍ましだな。と、着いたよ」




 チャイムを押すと、中から華奢な少年が出てきた。
「青葉さん? どうしたんですか?」

「いや、お姫様が迷子になってたんでね」

 つつ、と、アスカちゃんがおれの背後から出た。

「あ、惣流! 何してたんだよ」
「う、うるさいわねぇ・・・・いいでしょ、別に」
「よかないよ。心配してたんだぞ」
「誰が心配してって・・・・・・」

 延々と続きそうな気配だったが、ここで葛城一尉がリビングから出てきた。
「あら、青葉君・・・・。アスカを送ってきてくれたのね」
「日向から連絡ありましたか」
「うん、30分ほど前にね」

「そうですか。では、青葉二尉は当直勤務に戻ります」

「はい、わざわざありがとね。・・・・と、ほらアスカ、お礼」

「ありがとう、青葉さん。じゃ、また明日ね」

 明日は休みにして欲しいものだ。
 そう思いながら、おれは3人に笑って会釈し、玄関から外に出た。

 車を走らせる。
 来た道を、まったく同じルートで戻る。
 帰りは退屈なものだ。

 ふと考える。
「さて・・・・・・。寝損なったな」
 仮眠時間のうち半分近くが、すでに過ぎ去っている。

「でも、まあ、今日はいいかな」

 不思議と疲れは感じない、清涼な夜だった。






 数日後。

 青いプラグスーツを着た少年と、赤いそれを着た少女が、並んで歩いている。

「くぉの、バカシンジっ!」
「何言ってんだよ、アスカこそ・・・・」
「なんですってぇ!」

(お、名前で呼ぶようになったんだ)
 と、愚にもつかないことで、おれはくすりと笑ってしまった。

 2人の口げんかは、一方が他方を圧倒しつつ、それでもまだ続いている。

 やれやれ。
 辺塞、寧日なしとは言うが、今日のところはまだ平和そうだな・・・・・・。




つづく




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