日の光が斜めにはいるようになった、昼と夕方の間の微妙な時間。 わずかに桃色の混じった白い壁の病室。 どこか痛いのかちょっとだけ顔をゆがめた少年がベッドに横になっていた。一見、眠っているようにも見えるが、口がぼそぼそと動いているところを見ると、単に目が細いのかそれとも開けるのもおっくうなのかどっちかなのだろう。 少年が話しかけた相手、浅黒いというより、明らかに日本人とは異なった肌の気が短そうな少年が怒ったように立ち上がる。 特徴のある色の彼の髪の毛が、彼の猛々しい精神を象徴するように激しく揺れた。 「なに言ってやがる。体を起こすこともできないくせに」 「ムサシ、僕は大丈夫だから、休んでよ。マナも・・・」 「自分で飯も食えなきゃ、下の世話もできない奴が一人前の口をきくな」 「そうじゃないよ、そうじゃ・・・・。2人とも、僕が目を覚ますまで、ずっと寝ないでここにいたんだろ?」 そこまで言うと寝ていた少年こと、浅利ケイタはため息をついた。 少し言い過ぎたと思ったのか、相方の少年であるムサシは焦ったような顔をし、すぐにケイタの言葉に、なにか疎外感を感じて怒った顔になる。 「寝なくても人間死にはしない・・・」 「普通死ぬよ。それに、脳内麻薬全開のムサシはともかく、マナは・・・」 そう言うと、ケイタはムサシの後ろに目を向けた。 つられてムサシも目を向ける。 「すぴょ〜」 「・・・・・・・・・・」 そこにいたのは、疲れていたのか安らかな寝息を立てて座ったままの姿勢で眠る1人の美少女。眠り姫のように、ぐっすりと眠る彼女の名前はマナ。 なんて言うか、寒いとかそんなレベルじゃ言い表せない空気が病室に充満する。 どれくらいの沈黙が室内を支配したのだろうか? 数秒?それとも数分? ケイタは固まったムサシの姿に苦笑した後、ゆっくりと喋った。 「ね。僕だけじゃなく、ケンスケ君達のお見舞いもしてたんでしょ? それに、僕抜きで動かせるかどうか、ウルトラザウルスの起動テストもしてるんでしょ。 このままじゃ、いくらなんでも倒れちゃうよ」 至極正論を言うケイタに、ムサシは何も言えなくなる。 (普段はなよなよしてるくせに、こんな時だけ兄貴ぶりやがって。俺とおまえは3ヶ月しか年が離れてないんだぞ) 代わりにどっかの誰かみたいな事を心中で毒づく。 しかしながら、実際の所、ほとんど唯一と言っていい無傷の子供である彼とマナは、とんでもないハードスケジュールでゾイドの起動テストを行っていて、疲労から今にも倒れそうだった。 安らかに眠っているように見えて、マナの閉じられた瞼には隈が浮かび、かすかに流れた涙の後が見えた。時折思い出したみたいにビクッとするのは、悪夢を見ているのだろうか。 いつもは頼もしく見えるウルトラザウルスも、最近は彼らを苦しめる拷問の道具のように思えてならないくらいだ。 すべて、ケイタの言うとおり。2人は休息をとる必要がある。ムサシがここにいるのはほとんど意地だ。 そして疲れ切りながらも、彼の瞳は言い続けていた。 漢と漢は、口で語らず目で語るとでも言うように。 (確かにおまえの言うとおりだ!俺達は、休息する時間があるならするべきなんだろうな! だがな、だがおまえはどうするんだ!? 俺達がいなくて、大丈夫なのか! プラグを潰されて、両手両足を砕かれたおまえは!) 眉間にしわを寄せて睨むムサシを、ケイタは静かに見つめ返した。 ムサシが何を考えているのか、全てわかってるとでも言うように。 「仕方なかったんだよ。それに、僕は覚悟してた」 (そんなもの、騎士道と一緒でくそくらえだ! なんでおまえはそんなに・・・、そんなに達観とできるんだよ) 怒鳴りながらムサシの心に浮かぶのは、プラグから引き出されたケイタの血塗れの手足。 見にくく潰れ、ねじれ、あり得ざる方向を向いて、かろうじて胴体に繋がっている。 それは関節が一つ二つ増えたと言うより、第4使徒の様に手足が触手になったようだった。 「僕達は、いつか罪を償わないといけないんだ。あの時、みんなを死なせてしまった、いや殺した償いを・・・」 「アレは正当防衛だ!それ以前に事故だろ!」 つい出てしまったムサシの大声に、マナがビクッと体を竦ませて目を見開いた。 それにも気づかず、彼は言葉を続ける。 「あいつらは、俺達を殺そうとしたんだ!それに抵抗して、何が悪い! それに、あいつらが大人しく逃げてれば、トライデントの爆発に巻き込まれなかったんだ!」 「でも、僕達が脱走しようとしなきゃ、あれは起こらなかったよ」 「ぐ・・・。 じゃあ、おまえはあいつらにいじめ殺された方が良かったのか!」 「あの時は・・・。 このままじゃ、殺されると思った。僕達はなぶり殺しにされて、マナは教官達に強姦された上で殺されると思ったから、だから逃げたんだ・・・。 でも、今は・・・こうも思うんだ。逃げるのはマナ達だけで、僕は残れば良かったんじゃないかって」 ケイタの雰囲気に、マナとムサシが何も言えなくなった。 目が覚めてから今まで、何でも無いかのように振る舞っていたケイタであったが、やはり心に重い傷を負ったことを知ったからだ。そして、彼が無意識のうちに、運命と言い訳して自分たちに責任転嫁を行っていることにショックを隠しきれないでいた。 恐らく、彼は自分の四肢の欠損を、贖罪、運命とでも言ったもの故のことと思うことで、全てを諦めてしまうつもりなのだろう。ずっと、小学生の頃からずっと一緒だった2人にはそれが理解できた。でも、理解できたからこそ受け入れるわけにはいかなかった。 「ケイタ、なんで、なんでそんなこと・・・」 少し寝ぼけた部分が残っているのか、震える声でマナが声をかけるがケイタは無視した。 三人の間に、ガラスの破片でも混じったような、かすかに軋む音が聞こえた。 その時 コンコン 「話は聞いたわ」 彼らの背後から聞こえてきた声が、軽いノックの音と重なる。 慌ててマナ達が振り返るそこには、皮肉っぽく笑っているように顔をゆがめたアスカが立っていた。なぜか壱中の制服を着て。 ちょっと呆然としたマナ達が何も言えないでいる間に、斜に構えたまま病室に入ってくる。 そのまま2人の間をすり抜け、ケイタの横まで来ると、鼻と鼻がくっつきそうなくらいに顔を近づけて不敵に笑った。 ケイタはもちろん、見ていたマナとムサシもびっくりする。 「あんた、どっか雰囲気がシンジに似てると思ってたけど、やっぱ全然違うわね」 「当たり前じゃないか。僕と違って、シンジ君は、シンジ君は強くて、何でもできて・・・」 こんな時にも関わらず、少し赤くなるケイタの言葉。 アスカは表情は変えなかったが、内心は怒髪天つかんばかりに猛った。 「あんた馬鹿?」 何も言い返せないケイタ。 アスカは更にきつい目をする。 「なにいじけてマナ達にあたってんのよ。はじめはマナ達のことを心配してるのかと思えば、遠回しにマナ達に責任転嫁してるだけじゃないの! 次は誰の所為にするの!? 結局負けた私? 出撃しなかったレイ? 助けに来るのが遅かったシンジ? 何もできなかったママ達? そしてあんたは自分の不幸に酔うってワケね!」 「違うよ、僕は・・・僕は・・・」 「あんたが1人でいじけてるのはいいけど、マナ達まで巻き込むんじゃないわ。 こっちがかえって迷惑よ。 不幸ごっこは1人でやってろっての!」 「アスカさん、言い過ぎよ!」 「言い過ぎじゃないわ!こういう遠回しに他人に責任転嫁するタイプは、これくらい言ってもまだ足りないわ! それより、マナ。それにムサシ。ちょっとつき合いなさい」 アスカの唐突な言葉に、マナは目を白黒させた。 全く話の脈絡がつかめないと言うこともあるが、アスカが至極真面目なことに気がついたのだ。 「つき合うって・・・、どこに?何しに行くの?」 「これからママ達と説得して、寝た子を起こさせるのよ」 「寝た子?・・・・・って、まさか!?」 驚くマナに向かって、アスカはニヤリと笑った。 その凄惨な笑いに、見ていたマナはもちろん、ケイタすらも顔を病人のように(といっても彼は本当に病人だが)青白くした。 「ふっ、マナ。やっぱりあなたも知ってたわね。 そうよ、それよ」 「・・・でもなんでまた・・・」 「必要なのよ、私達にはね」 それだけ言うと、アスカは口を閉ざした。 これ以上、何も言う気は何だろう。少なくともこの場では。 決然とした表情はそれを明確に語っていた。 なんにしろ、アスカの真意を知りたければ彼女の後を着いて行くしかあるまい。2人はそう悟った。 2人が理解したことを感じると、後ろも見ずにアスカは扉に手をかけ、外に出ようとした。 が、直前に立ち止まった。 「あ、そうだ」 ケイタが不安そうにアスカを見る。 何を言おうとしてるんだろう? 言いしれぬ不安にケイタが怯えた目をする。柔らかいベッドも、空調の利いた清廉な空気も、側にいる親友達も彼の乱れた心を落ち着かせることはできない。 ケイタはただ、彼自身が認めることのできなかった、彼の醜い部分を正確に貫いたアスカの言葉を、彼女自身を恐れていた。 瘧になったように震えるケイタに、アスカは冷酷に告げる。 「どうせマナ達は変な気を利かせて言ってないと思うけど、」 一呼吸の間。 「レイコがさらわれたわ」 「え・・・」 「別に私がどうこう言う事じゃないけど、あんたが私の思ってた通りの人間なら、まだできることがあると思うなら、こんな所でうじうじしてる暇ないんじゃないの? 動けないなら這ってでも何とかしなさいよ」 そのまま強引にマナ達の手を取ると、アスカは外に出た。 後ろも見ずに、真っ直ぐに前へと。 何かを言いかけたケイタの言葉は、無情にも閉まった扉がせき止め、彼女に届かなかった。 「ちょっとアスカさん」 廊下に出てすぐ。マナは少し顔をしかめてアスカに詰め寄った。 いつも笑っているはずの彼女の目は冗談でなく怒っており、いい加減な言葉ではどうにもできないことが伺える。て言うか冗談言ったら殺される。 (まずいわ、マナの奴マジで怒ってる?こうなったら私じゃ止められないのよね) ガン・ギャラッドと戦ったとき並に焦るアスカ。 ムサシあたりを防壁にしようかと、チラッと視線を動かすも、彼は鬼太郎の妖怪アンテナ並に発達した第六感によって既に遠くに逃げていた。曲がり角から、顔だけ出してこっちを見ているのがまるで漫画だ。ついでに、人体を守る白血球のようにネルフ本部内を巡回している、警護兼マスコットの小型ゾイドまで逃げ出している。これらカブトガニやカタツムリの形をした小型ゾイドもまた、こっちをセンサーだけ出して伺っていた。 (げげ、超ヤバイって感じ?) 何ともシュールな光景に、なぜか前世紀のコギャル言葉で考えるアスカ。 だがそんなことを考えている間に、マナの本気で怒った顔は間近に迫っている。 「だ、だってほら。あのままだったら、ケイタずっと他に当たるだけで、立ち直る可能性低かったでしょ?」 「・・・・・・・で?それとレイコさんのことを話すことに何の意味があるの?」 もうちょっと首を傾げれば、キスができるくらいに顔を近づけるマナ。 洒落抜きでびびるアスカ。 「だ、だから。ケイタってことある毎にレイコとなんか話をしようとしてたでしょ」 「そうね・・・・。だぁかぁら、それが何の関係があるのよ」 「・・・・・つまり、ケイタはレイコに惚れてるのよ。惚れた女のピンチに、奮い立つのが男って奴でしょ? だから、賭だったけどレイコの名前を出して、ケイタの男気ってのに賭けたのよ、私は。 いやん、私ったら冴えてる!」 そう言いながら乙女チックに身体をフルフルさせるアスカ。 遠くで見ていたムサシの顎ががくんと落ちる。 マナは疑り深そうな視線をかえることなく、アスカを見つめ続けていた。 「ホント、良い考え・・・・。ケイタが好きな女の子がレイコさんだったらね」 冷たく、冷たく、絶対零度の剃刀でマナは言った。 間抜けな表情のまま、アスカは固まる。 「え、嘘・・・・。だってあいつ始終・・・・あれ?」 尻細りになっていくアスカの言葉を聞きながら、マナはそっとアスカの頬をなでた。 ざわざわとアスカの全身に鳥肌が立つ。 「確かにケイタとレイコさんは仲良かった。でも、それはあくまで相談相手としてよ。 アスカさんには2人が殊更仲良く見えたみたいだけど、レイコさんは相手が誰だろうと人懐っこく接してたわ・・・。いわばお姉さん・・・・姉御かしら?とにかくそんな感じで。 それこそ相手がケイタであっても、シンジであっても、鈴原君であっても、警護の黒服のお兄さん達でもね」 「じゃあ、ケイタの好きな人って・・・違うの?」 こくりとマナは頷いた。 どうしようもないくらい考えが浅くて、間抜けなアスカの行動に涙すら流して。 「ケイタが好きなのはC組の子よ・・・・・・」 空気が凍り付いた。 「あ、あはははは・・・」 「うふふふふ・・・」 「「あはははははははは・・・・・・」」 「どうすんのよ!?ケイタがこれ以上落ち込んで手首でも切ったらどうするつもりなの!?」 「なんて言うか、人間バンジー、才能ガンマって言うから何とか・・・」 「なるかー!」 「さすが惣流。狙ってやったんじゃないにしろ、マナを元気付けやがった・・・」 騒ぐ2人を見ながら、ムサシは呟いた。 自分ではできなかったことを、あっさりやってのけたアスカにちょっと嫉妬していたけれど。 マナの言うとおり、アスカの言葉はケイタが立ち直れなくなる可能性のある一言だったが、ムサシは自分の親友がそこまで弱くないと信じていた。 (・・・・・大丈夫。きっと立てるさ、あいつなら)
METAL BEAST NEON GENESIS
機獣新世紀 エヴァンゾイド 第6話Bパート 「How will the children look at this matter?」
作者.アラン・スミシー
およそ三十分後、司令室に続く唯一の廊下を、複数の人間が歩いていた。 途中であった数人のネルフスタッフ達は、彼らと彼女達の持つ異様な雰囲気に押され、数メートル離れたところで道をあけて、通り過ぎていった彼女達の背中をこわごわ見つめていた。 もちろん、何事だ一体とばかりに彼女達を質問した人間もいたが、先頭を歩く水色の髪の少女と、金髪碧眼の少女に睨まれて沈黙した。 「娘が母親に会うのに、なんか理由でもいるわけ?」 「そう。邪魔しないで。それとも邪魔するの?・・・あなた、敵?」 そして最後にそう言い捨てると少女達は進んだ。 「アスカさん、具体的にどう言って説得するの?」 マナが、思い出したようにアスカに問いただした。 彼女としてはもっと早くに聞きたかったが、先の大騒動で忘れていたこともあり、その後のアスカの剣幕があまりにも激しかったので、聞くに聞けなかったのだ。 アスカはマナの質問に振り返りもせず、いつもと変わらない口調で答えた。 「その場の判断よ。明瞭にして簡潔でしょ」 「行き当たりばったりとも言うけど・・・。 それとさ、もう一つ質問があるんだけど」 「なによ?」 「なんでいちいち制服に着替えないといけないの?」 マナが自分の身体を見下ろしながらそう聞いた。 後ろで会話に混ざるに混ざれなかったムサシがコクコクと頷く。 最近、先頭とその訓練ばっかりでなかなか着る機会の無かった制服。 中学生であることを思い出すことができてちょっと嬉しかったが、司令室までの通路を制服で歩くなんて想像したこともなかったので、ちょっと戸惑っていた。 違和感があるなんて物じゃない。 何とか今の気分を形容するなら、『変』としか言いようがない。まるでイメクラのようだ。 2人、いやアスカとレイ以外の全員の疑念に対し、アスカはフフッと鼻で笑うと口を開く。 「気分よ」 「気分て・・・。アスカさん大丈夫?」 アスカの淀みない言葉に、マナはちょっとどころじゃなく可哀想な眼をした。 きっと、可哀想に怪我がひどすぎてまっとうに物を考えられなくなっているのね・・・。とでも考えているのだろう。 アスカは痛いほどマナの視線の意味が分かったが、病み上がりの身でマナに勝てるとは思えないので無言で足を早めた。後で絶対仕返ししてやると八つ当たり気味に考えはしたけど。 本当は、入院患者用の服から着替えようとしたところ、なぜかレイが持ってきた服が壱中の制服だけだったからなのだが。 回想 「これしかなかったの?(よりにもよって制服とは・・・。あんた馬鹿?)」 「ないの」 「・・・・・・・・ちゃんと探したんでしょうね」 「どうしてそう言う事言うの?」 「・・・・・あんたに頼んだ私が馬鹿だったわ」 「そう、良かったわね」 で結局。 (1人だけ制服ってのも馬鹿みたいだし・・・。替えがすぐに用意できないならみんなで制服になれば恥ずかしくないわ」 「どういう理論だそれ?」 「どうもこうも、『赤信号、みんなで渡れば・・・』ってなんでムサシが突っ込むのよ!?」 「なんでもなにも、アスカさん途中から喋ってたじゃない」 「惣流って考えてること口に出す癖があるんだな」 「そう。アスカは心の中だけで物を考えられないし、声に出さないと本が読めないの」 「くっ、レイ!勝手な事言うなぁ!」 「図星なのね」 「やかましいぃ!」 「アスカさんの方が騒がしいわよ」 「ここで騒ぐな」 ごっちゃごちゃごちゃごっちゃっちゃ。 「そんなことはどうでも良いわ。着いたわよ」 なぜか髪と衣服を乱してくっちゃべってる彼女達の目の前に、司令専用執務室の扉が、重々しく自己主張していた。 全員、口を閉ざしてしまう。 威圧感。 それは使徒と戦うときにも似た、奇妙な威圧感を持っていた。 最強硬度のオリハルコン、アダマンチウムでできた扉の基礎を、二重三重に特殊合金で覆った、超複合合金鋼。 オリハルコンの銃弾はもちろん、バズーカ、対戦車ライフルであっても貫通することはできない。 もちろん、そんな物理的なことで感じているわけではないだろう。 (いるのね、この中に。ママが、ナオコが、そしておばさまが) ほとんどRPGのラスボスである。 コンコン 深呼吸を一回した後、特製のノッカーを叩く。 ほどなく、スピーカーから司令秘書の女性の声が聞こえてきた。 『誰ですか?』 「私よ」 『・・・・アスカちゃん?』 秘書の声が驚いたのか、わずかに甲高く聞こえた。 「そう。ママ達いるんでしょ。通させて貰うわ」 『そうはいかないの。司令達は、誰であってもここを通すなって・・・』 申し訳なさそうに、秘書嬢は言うと回線を切ろうとする。 だが、そんなことをさせるわけにはいかないのだ。 「そうはいかないわ! ママ、いるんでしょ!ここを開けて!話があるのよ!! あって話を聞いてくれるまで、絶対ここを動かないから!!」 『あ、アスカちゃん。そんな大声で騒がないで。それにそんな無茶は言わないで』 「うるさい!私はもう蚊帳の外に置かれるのは嫌なのよ!! ねえ、ママ!聞いてるんでしょ!? ここを開けてよ! 色々聞きたいことがあるのよ!! シンジのこととか、カヲルのこととか、レイコのこととかを!」 いつの間にかアスカはわめきながら扉を叩いていた。 叫んでいるうちに、胸一杯に広がった悲しみはアスカの腕の痛みを忘れさせる。だからアスカはなりふり構わず扉を叩き続けた。 呆然としていたマナが慌てて、アスカを羽交い締めにする。 それでも手を振り回すアスカ。彼女の手からは血が滲んでいた。 「お願いだから、ここを開けてよ・・・。ママ・・・」 やがて力尽きたのか、アスカは蹲るようにして座り込んだ。 一時は激情によって力を絞り出せたが、本来なら彼女はまだベッドに寝ていないといけないくらい疲労しているのだ。 マナが慌てて手を貸すが、アスカはそれをはね除けてしゃくり上げた。 急に重くなった体に悪態をつきながら、アスカは宝石のような瞳に涙をにじませる。 ただ、ただ彼女は無性に悔しかった。 自分が蚊帳の外に置かれていることが。 今まで自分が価値を置いていたことが、あまりにも意味を持っていなかったことが。 そしてそれに今頃になって気がついた自分が。 「なんでよ、なんで開けてくれないの・・・。 ママ、お願いだから私を見て、私の話を聞いてよ・・・ママ・・・」 そのまま何と言っていいか分からなくなったムサシ、アスカの泣き顔にあたふたするマナ、いつもと変わらぬ冷静な眼差しのレイは、黙ってアスカの嗚咽を聞いていた。 数分、それとも数十分の時間がたった後、スピーカーから秘書の声でない、別人の声が聞こえてきた。 『・・・・・・わかったわ。入りなさい』 涙でくもるアスカの眼前で、扉はゆっくりと開き始めていた。 まだ赤い目をし、しゃっくりが完全に止まってはいなかったが、アスカはじっと目の前にいる母親を見つめていた。 彼女、惣流キョウコはその視線は悲しそうに受け止めたまま、何も言わずにユイの気配を伺っていた。 やがて、レイとアスカ、マナの詰問するような、いや事実、詰問しているのだろう。冷たい光を放つ瞳にため息をついた後、ユイは口を開いた。 「あなた達が、色々な規則を無視してここに来た理由は分かってるつもりだけど・・・。 聞かないといけないわね。何を聞きたい、いえ、何をして欲しいの?」 ユイの口調は優しかったが、彼女の顔は笑ってはいなかった。 空気が個体になったように、彼女達の身体に重くのしかかる。 その気迫に押され、たたらを踏むようにアスカの言葉が立ち消えた。 今更ながら、アスカはたった一人で国連を相手に大立ち回りを行う女傑の実力を悟った。 アスカは知らないが、現にユイは先日、戦自の支配将校達を相手にした交渉を終わらせたところだった。 ネルフの主力ゾイドの大半が破壊されてしまったことを知った戦自は、強羅絶対防衛線、および第三新東京市の防衛を拒絶した。自分たちより絶対有利な物が存在しなくなった途端に、態度を変える。 手の平を返すとはこのことを言うのだろう。無論、影からゼーレの影響があったのは否定できないが。 彼らは、大人しく使徒の狙うものを戦自の管轄に移せと遠回しに脅しすらかけた。しかも、ユイが独り身であることを嫌らしく揶揄することすら。 『女のくせに・・・』 『彼の娘だかなんだか知らないが、所詮は過去の人間だよ。君と、君の組織では役不足なのではないかね?』 『女は女らしいことをしたらどうだね?』 『今までどうやったか知らないが、国連や(日本)政府のお偉方に納得させられてきたようだね。ひょっとしたらその体でも使ったのか?』 ユイの視線はその全員を黙らせた。 普段家で見ている、お茶らけた雰囲気はあくまでユイの持つ、家族としてみせる一面にすぎない。 今のユイは、アスカの知っているユイではなかった。 「わ、私は・・・」 でかかった言葉が再び消える。 空気さえもユイに支配されているようだ。 ちらちらと左右に視線を向けるが、ユイに育てられたも同然のレイは、蒼白な顔をして三歩ばかり後ずさり、マナは貧血でも起こしたのか震えながらも視線を逸らすことができずにいた。唯一、ムサシだけは男の矜持か表情を変えずにいたが、ユイに飲まれているのは明白だ。 「どうしたの?何か言いたいことがあったんでしょう?」 「・・・・あ・・・・・う・・・・・」 「ユイ」 アスカが酸欠の魚みたいに口をぱくぱくさせたとき、さすがに何かまずいと思ったのかキョウコが口を開いた。少し、ユイの放つ圧倒的な気が減じる。 ほぅとため息をつきながら、アスカはぺたりと座り込んだ。 すっかり動転したアスカは、倒れる寸前だったのだ。いや、倒れないにしても、凄まじい緊張から来る嘔吐感に、今にも吐き出しそうになっていた。あのまま、身動き一つできずに立ったままだったら、どうなったことか・・・。 それはレイ達も同様だったのだろう。 アスカと同じく、青い顔のまま座り込んでいる。 (こ、殺されるかと思った・・・・) 全身を汗でぐっしょりとしめらせた彼女達は、つい先ほどまでのことをどこか遠くのことのように回想する。だが太股に直に触れる絨毯のざらざらした感触が、妙な現実感と共にアスカを刺激し、現実であると主張していた。 ぜいぜいと荒い息をつく子供達に、次いで一応自分の上司に当たる親友に視線を向けてから、キョウコは深々とため息をついた。 子供達が何をいわんとしているか、充分分かっているくせに、わざわざ邪眼とまで形容された一睨みを喰らわせる彼女に呆れ返ったのだ。 「ユイ、あなたの考え、分からないワケじゃないけど、それはやり過ぎじゃない?」 「・・・・・そうかしら?」 「そうよ。それにゾイドの起動と、あなたの邪眼を同じ扱いにする事自体おかしいんじゃないの?」 ユイの言葉に、ナオコがため息をつきながら応える。 「でも、私に睨まれたくらいで腰を抜かす程度の子供が、あれを起動させたいなんて、自殺したいと言ってるのと変わりないと思うんだけど」 「そうかもしれないわ。でも、あなたがやったことは間違ってるわよ。 まったくロジックじゃないわね」 「シンジ君のことが心配なのは分かるけど、私の娘に当たるのはやめて」 「・・・・・わかってる。 さあ、改めて聞きましょうか。 あなた達は私達に、何を聞きたかったの?」 キョウコとナオコの糾弾に、少しわざとらしいくらいに肩をすくめたユイは、自分達に理解できない会話をする大人を怪訝な目で見つめるアスカ達に目を向けた。 まるで黒真珠のように曇りのない、冷たい目を。 アスカは会話の要点は分からなかったが、地下のゾイドを起動させることがどんなに大変なのか、自分で考えている以上にトンでもないことを漠然と理解し、息をすることすら忘れているようだ。 レイはいつも優しい、自分の身すら犠牲にしてでも自分達を助けてくれる、ユイの恐ろしい一面を久しぶりに見て、すっかり萎縮していた。 マナはガン・ギャラッドを相手にしたときよりも恐怖を感じ、震えている。今は戦自時代に習い覚えた精神集中を無意識に行っているので、少女達の中では一番増しなようだ。 ムサシは相も変わらず直立不動の姿勢を崩さないまま、必死になって貧血からくるめまい、吐き気と戦っていた。 どうやら一番元気そうなのは、ムサシと判断したユイが彼に視線を向ける。 観念したのか、それとも状況を的確に判断したからか、ムサシはカラカラになった口内を唾で湿らせると、すこしどもりながら自分達の聞きたかったことを口にした。 「お、俺達、いえ自分達は・・・」 「だいたい、言いたいことはわかったけど・・・」 ユイの後を受けて、ナオコがあまり表情を変えずにたずねる。 彼女の顔はユイの鉄仮面のような無表情と違い、心の底から彼らのことを案じているような、あるいは実験材料が傷つくことを恐れているような、とにかくそんな風に見えた。 実際は、子供達の要求をじっくり吟味していたのだが。 すなわち、どこまで教えて、どこまでを秘密にしておくかを。 ● 封印されていたゾイドの覚醒 ユイはああ言う通り、覚醒は危険極まりないが、今のネルフに他に使用できるようなゾイドはない。 ゴジュラスは両機ともコアを砕かれて死亡、アイアンコングも同様だ。 レイのサラマンダーF2はかろうじて使用できるが、両の翼の修理は終わっておらず、戦闘は無理な状態である。 同じく、マナ達の乗るウルトラザウルスも首は繋いだが、まだ実戦は難しいだろう。なにより、ケイタが欠けている状態でどこまで動かせるか・・・。 結局、今彼らが要求を出さなくても、遅かれ早かれ覚醒させることになっていたはずだ。 ナオコはそう判断した。 もちろん、ユイの考えは分からないでいる。 ● シンジとカヲルの様態 これはハッキリ言って、教えて良い物かどうか分からない。 シンジの傷は、かなり酷い。 それこそ生きているのが奇跡なほどだ。いや、いつ死ぬかわからないと言った方が良いだろう。そんな状態にあることを話したりしたら、子供達・・・・特に彼を憎からず思っている女の子達は、きっと騒ぎ立てる。そしてゾイドの起動に悪影響が出るのはさけられない。 教えるわけにはいかないのだ。 そして、それはカヲルについても言える。 今現在のカヲルの様態を話すと言うことは、とりも直せば彼の正体をも話すと言うことと同義だ。 これまた、話すわけにはいかない。 2人とも重傷で面会謝絶と言うしかないだろう。 ● レイコはどうなったのか ・・・・・ナオコにだって分からない。 あくまで推測するしかないが、考えて気分の良い物ではなかった。 まず間違いなく、ゼーレは彼女を害してはいない。 彼女の推測が正しければ、死海文書にとらわれた彼らはレイコを自分達の同胞に変えようとしているのだろう。 人間エノクが使徒メタトロンに変じたように。 すなわち、洗脳して仲間にしようとしている。 ナオコの持つ知識で、洗脳のプロセスを想像する。どれもこれも吐き気を催すような方法ばかりだ。 初な14才の少女が耐えられる物ではない。 ユイの気持ちを思うと、自分もまた重く、暗く心が締め付けられていく。 自分も娘を持つ1人の母親として、ナオコには人事ではないのだ。 無論、ユイの娘であるレイコと、彼女の娘であるリツコでは比較することが間違っているくらいにアレだが。 子供達にやる気を出させるために話すべきか、それともメンタル面のことを考えてはぐらかすか。 ナオコには判断が付かなかった。 ● アスカの記憶操作について ムサシは失念していたので尋ねなかった。 マナは多少気づいていたようだが、アスカがその事に関して何も言わないので黙ることにしたようだ。 聞かないのならそれで良い。 だが、完全に記憶操作という言葉を忘れているアスカを見て、ナオコは複雑な思いに戸惑う。 自分達の、正確に言うとキョウコがしたことの結果を・・・。 アスカは記憶操作の結果、とある記憶を封印され、代わりにある記憶を焼き付けられていると言うことだったか。 そして、記憶操作は例えアスカが別の場所で、記憶操作という言葉を聞いても、すぐに忘れてしまうようにアスカの心を作り替えている。 自分に7才以前の、詳細な記憶がないことに、疑問すら感じないようなってしているらしい。 酷いことだと思う。 1人の少女の心を全く別物に変えてしまったのだから。楽しかったこと、辛かったこと、色々なことを完全に消し去ったのだ。例えそこにどんな理由があったにせよ、許されることではない。 でも、自分も人のこと言えないわね・・・。 ナオコは心の中で自嘲しながら、ユイが質問にどう答えるか注意深く見守っていた。 そしてユイがなんと言おうと、口出ししないことを決めた。 これは一つの折り返し地点なのだ。あるいは未来の分岐点か。 今日は、自分が生き延びるのだとしたら、きっと忘れられない一日になるだろう。 ナオコは数回またたきした後、ユイの横顔を見つめた。 彼女の大嫌いな、それでいて放っておくことができない親友の判断を見極めるために。 「覚悟はあるの?」 ユイはしばらく沈黙を保った後、静かにそう尋ねた。 自分の視線よりももっと辛く、恐ろしい試練になると暗に訴えかけながら。 アスカは応えない。いや、答えられなかった。 恐ろしかったのだ。 彼女とて伊達に天才を自称しているわけではない。ユイの言っていること、視線に込めた思いは痛いほど理解できた。 ユイの視線も恐ろしかったが、それよりも恐ろしい試練だなどと、想像することもできない。そして恐ろしい真実なんて・・・。 こわい、コワイ、怖い。 おそろしい、オソロシイ、恐ろしい。 死にたくない、死にたくない、死にたくない・・・。 理由無く、アスカは恐怖に震えた。 加持か、シンジに側にいて欲しかった。 そして、彼女の震える手を握って、あるいは何も言わなくて良いから、そっと抱きしめて欲しかった。 そうすれば、きっと自分は戦えるから。 だが、2人ともここにはいない。 加持はレイコをさらった謎の人物の手によって、部隊は全滅、自身も胴体に大穴を開けられて集中治療室で死に神と戦っている。シンジに至っては生死すら分からない。 (お願い・・・・・・誰か、誰でもいいから・・・・私に、私に力を貸して) ほんの一欠片の勇気を絞り出すため、アスカは必死になって恐怖と戦い続けた。 だが、怖くて怖くて仕方がない。 先のユイの視線とはまた違った恐怖がある。 例えるなら、パニック障害だ。 絶対的な、それでいて詳細の分からない死の恐怖にアスカはただ、ただ震えていた。 それはレイも、マナも、ムサシも同様だった。 ユイが悲しそうに目を細める。 彼女の顔に悲しみと諦め、嘆きの色が色濃く落ちた。 その時。 バタン! 「待って下さい!」 唐突に扉が開き、廊下の明かりで生まれた影法師が室内に自身を投げ入れた。 突然の闖入者に驚く彼女らだったが、影の正体に気がつき、なお驚く。 「相田?」 「ケイタなの!?」 「洞木さんに・・・・鈴原君?」 「なんでおまえらここに・・・」 振り返った子供達と、母親達は動けるはずのない彼らの姿に呻くように声を漏らした。 そう、彼女らの前にいたのは、松葉杖をつき、体中に包帯を巻きながらもまっすぐに立つケンスケ。 両手両足を砕かれ、動くどころか立つこともできないはずなのに、どういうワケか小型ゾイドにすがりながらもしっかりと自分の足で立つケイタ。 比較的怪我は少ないが、それでも頭と目に痛々しい包帯を巻き、右腕を吊っているヒカリ。 そしてヒカリに肩を貸して貰いながら、震える身体を必死に叱咤するトウジの姿があった。 「あ、あなた達何考えてるの!分かってるの、あなた達は重傷なの!」 最初に我に返ったキョウコが、叱咤の声をかけた。ただちに医師、看護婦を呼んでトウジ達を病室に戻そうと、備え付けられた緊急回線に手を伸ばす。 だが、トウジ達はその叱咤と行動を敢えて無視するように、真っ直ぐにユイの目を見つめた。 「キョウコさんは少し黙って、聞いとって下さい。自分の身体のことは、自分の方が良くわかっとるつもりです」 「だったら・・・」 なおも言いかけるキョウコを、年齢不相応な視線で黙らせると、トウジ達は改めてユイを見た。 驚いた目をするアスカとマナと視線が合うと、ちょっと照れたのか頬を赤くしたケイタが、決然としながらトウジに続く。 「話はだいたい聞きました。やからワシらは寝とるわけにはいかんのです。 ワシらやからこそできることが、ワシらやないとできんことがあるんです」 「惣流さんに言われたからってわけじゃないけど、僕には、まだできることがあると思う。だから、後悔したくないから・・・」 トウジ達の思いと覚悟がその言葉に込められていた。 キョウコとナオコは完全に気圧され、アスカ達は珍しく饒舌なトウジの言葉と、倒れそうなくらいフラフラなのにユイを見つめるその姿に完全に飲まれていた。 ただ、ユイだけは悲しいのか、それとも感動しているのか、よくわからない静かな目をしてトウジ達を見つめていた。 そのまま、誰も言葉を発さずに静かな時間が過ぎる。 アスカ達はともかく、重傷のトウジ達には地獄の責め苦のように長い時間。 全身麻痺で、本来なら動くことのできないトウジ、両手両足の粉砕骨折のケイタ、全身打撲、顎と右手骨折のケンスケ、頭部強打による蜘蛛膜下出血のヒカリ・・・。 時を追う毎に、彼らの額からは脂汗が流れ、こざっぱりしていた病院の服は汗を吸って色を濃くしていく・・・。 だが、ふらふらと何度も倒れ込みそうになりながらも、トウジ達は耐え続け、強い意志を込めた目でユイ達を睨んだ。 言葉ではなく、心で語るとでも言うように。 「覚悟はできてるみたいね」 ぽつりとユイは言った。 キョウコ達はぎょっとした目でユイを見るが、ユイはそれを無視した。 「本当なら、気絶してもおかしくないのに、こうして私達相手に交渉してる・・・。 覚悟ができていると見た方が、妥当じゃないかしら?」 「でも、それはそれ、これはこれよ。 地下のあいつらを起こすことが、どれくらい危険なことなのか分からないあなたじゃないでしょう!?」 「そうよ、MAGIの計算でも、最も高い可能性が0.0000001% これは不可能と言っているのと同じよ」 「でも!」 ユイの一声で、キョウコ達の動きが止まった。 子供達が固唾を呑んで見守る。 やがて、ユイはゆっくりゆっくり一言一言を言い含めるように喋り始めた。 「でも、確かに私達には他のカードがないことも事実。 いずれにせよ、地下のゾイドの封印を解くしかないわ」 「・・・・・」 「キョウコ、あなたの言いたいこともわかってるわ。でも、私達には他に選べる道はないのよ。はじめからね・・・」 「だったら、なんでさっきはアスカちゃんの言うことを黙殺しようとしたの?」 まだ納得できていないのか、渋い顔をしたキョウコのもっともな質問に、ユイはしれっと答える。 「アスカちゃん達の覚悟を見たかったの・・・。 中途半端な思いや考えじゃ、とうていアレを制御する事なんてできないから・・・」 「確かに、中途半端な考えじゃ、無理ね。 だけど・・・。 でも、そう、確かに私達には他に選択肢なんか存在しないものね」 ふぅとキョウコはため息をついた。 遅れてナオコもため息をつく。 結果がどうなるかは分からないが、皆の意見が一つにまとまった瞬間だった。 良かれ悪しかれ。 「ママ、それじゃあ!」 「・・・・・本当はこんな危険なことをして欲しくない。 あのゾイドは時の果てまで、眠っていて欲しかった。でも、そんなことを言っている場合じゃなくなったみたい」 元気を取り戻したアスカに向かって、キョウコは一回軽くうなずいた。 「頼むわね、アスカ。それに、みんな・・・」 荘厳な音楽が鳴り響いてるような錯覚と共に、アスカ達が力を込めてうなずく。 だが、ただレイ1人だけは浮かない顔をしていた。 それに気がついたのはユイ達だけだったが。 「ゾイドの起動の話はもう良いとして、シンジはどうなったの!?」 一時浮かれたみたいに明るい顔をしていたアスカだったが、まだゾイドは起動させると決まっただけで起動しておらず、ここに来た目的の3分の1を達成しただけな事に気がついて、慌てながら言った。 思いだしやがったか。 と言った感じでユイ達は顔をしかめるが、約束したから仕方がないわねと言いながら説明を始める。 一呼吸置いてから、ナオコが静かに話し始めた。 「・・・・・一応、一応シンジ君は生きているわ」 「一応?」 マナが眉をひそめる。 これはアスカやレイ、ケンスケ達も同様だ。 ナオコの言葉ははなはだ不吉な物だったので、それも無理なからぬことだろう。 「・・・具体的に、シンジはどうなったんです?」 トウジが疲労だけでない冷や汗を流す。 自分の身も省みず、トウジはシンジの身を案じた。自身、日常生活を送ることが困難な怪我を負っているというのに。それもシンジの優柔不断が原因とも言える怪我を。 尤も、トウジ自身はそんなことを気にもしていないようだ。 これを単純ととるか、彼が自分よりも他者を気にかける漢ととるかは、読者諸氏に任せるが。 (シンジ君は幸せ者ね、こんなにもたくさんの友達に心配してもらえて・・・) 極限状態におけるトウジ達の言葉は掛け値無しの真実なのだろう。 ナオコはそう思い、シンジを少し羨ましく思った。誰も気にかけてないみたいなカヲルのことを、ちょっと哀れみもしたが。 ナオコはチラッとユイ、キョウコに視線を向け、どうやら許可を出したみたいだと判断すると子供達に向き直った。 アスカでもレイレも、マナでもない。 トウジに向かって。 それは似たような状態になったトウジに、自分の怪我、そしてシンジの怪我、そしてこれからの全てに向き合ってもらうため。 ナオコは言った。 「どうしても聞くの?」 「・・・・・・そら、絶対に言えんとか言うんなら、その限りや無いけど・・・。 でも、秘密にされたままや言うのも、気になるし」 「後悔しても知らないわよ」 ナオコの言葉に、トウジが怪訝な顔をする。 ただの怪我ではないのだろうか? まさか、死・・・? 天井から差し込む夕焼けが、いやじっと見つめる子供達の視線が眩しいのか、ナオコは目を伏せ、ふぅとため息をついた。 「・・・・・ゴジュラスが頭部を割られたとき、彼はスピリットライド中だったわ。そのため、激しすぎるフィードバックにより、彼は一時死んだわ」 「な・・・・そんな・・・」 「救急処置により、心停止から4分35秒後蘇生。 でも現時点に置いて意識不明、自力呼吸の停止、脳神経細胞の一部損壊、全身に外部刺激に対する無反応症・・・。 機械の力によって、無理矢理心臓を動かしている状態よ」 「・・・・・・そんな・・・・・・嘘や・・・」 「今、シンジ君はLCLのプールに浮いている状態よ。息をするのも、食事を口からとることも大変な重労働」 ナオコの淡々とした、それでいて容易にシンジの今の姿を想像できるリアルな説明に、トウジ達は黙って息をすることしかできなかった。 ただ、黙って自分の心臓が音をたてるのを聞いているだけ。 ナオコらしからぬ、絶望的な言葉。ひゅうと風の音のような声をたてて誰かが息を吸い込む。 普段のナオコなら、怪しいことを言いながらシンジの怪我は全快したと報告しているところなのに。 今のナオコは、マッドと呼ばれる狂科学者でも、探求心満ちあふれた専門無視の科学者でもない。ただ、自身の無力さに涙すら出ない1人の人間だった。 「意識が回復すれば多少の希望はあるんだけど・・・」 「それって・・・・・植物状態、それとも脳死・・・・ってことですか?」 自分で言っておきながら、フラフラと倒れそうになるマナ。 かろうじて踏みとどまるが、その顔は真っ青で今にも倒れそうだ。 「違うわ。脳神経に負担がかかったことは間違いないけど、彼の脳細胞はしっかり生きているし、脳波もあるの。夢だって見ているの。 でも、なぜか目を覚まさない・・・・。 今私達にできることは、彼が目覚めるのを待つことだけよ」 ナオコの幾分ヒステリックな声を最後に、シンッと室内は静まり返った。 子供達は最悪の答えでないことに少しだけホッとした顔をしたのも束の間、直ちに奈落の底にたたき落とされた。 驚き、それとも喪失感? とにかく、今は声も出ない。 「・・・・・・・・大丈夫。碇君は、帰ってくる」 「レイ?」 ぽつりとレイは呟いた。 ナオコの言葉に、改めて事の重さ押しつぶされながら、顔を押さえて涙を必死になって堪えていたユイが顔を上げる。 レイはいつもと同じ、どこを見ているのかわからない眼差しで、淡々と呟いた。 「帰ってくる。 だって、約束したもの」 「約束?」 こんな時だというのに、アスカが少しムッとした顔をする。 アスカの言葉が聞こえているのかいないのか、レイは床に視線を向けたまま静かに口を開く。 「そう。山岸さんや鈴原君みたいに、誰かが傷つくのを見るのはもう嫌だって。だから、何があっても僕はみんなを守るって・・・」 「そう・・・いえばそんなこと言ってたわね」 アスカが少し疲れたような顔で言った。 レイとシンジが2人っきりで、何か聞き捨てならない約束でもしたのかと思ったが、そうでなかったのでちょっとホッとしたのだ。それとも、こんな時に変なことを考えた自分が恥ずかしくなったのか。 「うん、絶対目を覚ますわよ。だから、その時まで、私達がしっかりしておかないと・・・」 頭を後ろ手でポリポリとかくアスカの考えを読んだのか、少し呆れた目をしたマナが後を続ける。ただ、彼女達の目はユイ達と違い、明るい光に今は満ちていた。 そう、彼女達には根拠がなかったが、確信めいた物があった。 (シンジは絶対目を覚ます) それは、色々な常識、観念で縛られた大人達には分からない想いだろう。 だが、大人と子供の中間という、色々な意味で非常に微妙な彼らには、根拠が無くても心の底から信じることができる。 アスカ曰く、 『若さ故の特権てやつー?』 ナオコあたりが聞いたら、発狂しそうな言葉だがそう言うことだ。 マナ達に続いて、トウジ達も口々に言う。 「せや。シンジは絶対大丈夫や。 綾波の言うとおりや!こんな時にワシらが信じんでどうするんや!」 「鈴原・・・(そこまで碇君のことを・・・。そうよね、諦めちゃ、ダメよね)」 「ふん。無事なら無事で、そうでないならそうでないで心配ばっかりかけさせやがって」 「ムサシ、本当は凄く心配してるくせに」 「・・・・・・(顎が折れてなければ、何かしら格好の良いセリフを言ったのに)」 (心配するだけ損したかしら? みんな私が思っていた以上に強いんですもの。 それにしても、みんなここまでお互いを信じることができるなんて、羨ましいわね) 窓からの逆光の影に身を沈めながら、ユイはそう思った。 自分はまだまだ彼らのことを理解できていなかったのだ。 いや、本当の意味で彼らのことを理解することは、もう大人の自分には無理なんだろう。 せめて、その純粋な想いがねじ曲がらないように、見守らないと。 それからまもなく。 みんなが落ち着いたのを見計らって、ナオコは言葉を続けた。 「次に、レイコのことなんだけど・・・」 再び室内は静かになる。 ただ、すでに一同ある程度覚悟していたのだろう。 ナオコの言葉に、ただ無言でうなずいて答えた。 まだ、間に合う可能性はある。 はなはだ心許ない、蜘蛛の糸より細い希望。 それでも、彼らはその細い糸をたぐるつもりなのだ。 ナオコは子供達の質問に全て答え終えたことを確認すると、ちらりとユイの方を振り返った。 ユイは無言のまま、軽くうなずく。 「それじゃ、これで話はお終い・・・。 話をしている間に、リッちゃんがセントラルドグマに潜って、封印ゾイドを引き上げしているはずよ」 腕時計を身ながら、ナオコが言った。 つまり、いずれにしろゾイドを引き上げるつもりだったのだ。 人の悪い話だが、子供達は何も言う気はなかった。 ユイ達の事情もある程度わかったし、それよりも今は・・・。 「そう、今は・・・」 そう言うとユイは指をパチンと鳴らした。 途端に、ドタドタと足音も高らかに数人のリツコのコピーみたいな格好をした人間達・・・・、すなわち白衣を着た人間、医者と看護婦が無表情のまま入ってきた。 ユイが手をヒラヒラとする。 「もうとっとと、やっちゃって」 「わかりました」 リーダーらしいのがそう言うと、他の人間達は呆気にとられたチルドレンの一部を一言も言わずに拘束する。 「あなた達は重傷なのよ。本来ならベッドから起きあがることも許されないくらいにね。 今は怪我を治すことだけ考えて、後は私達に任せなさい」 看護婦に手を取られて、振り返り、振り返りしながら退室するヒカリに、キョウコはにっこりと笑いながら言った。 続いて、看護夫達がトウジ達を連れてと言うか、抱え上げてと言うか、とにかく退室する。 「さっきまでワシらを試すようなことしといて、これはあんまりやないですかぁ!? いややぁっ!この年で男に抱きかかえられるのは、抱っこされるのは嫌やぁッ!!!」 「うあああああ、やっぱりこういう落ち〜〜〜!?」 「ふがふが(き、気のせいか委員長と俺達って扱いが全然違わないか!?)」 手際の良さか、それともトウジ達の断末魔に気を抜かれたのか。 呆気にとられるアスカとマナ、レイ、そしてムサシ。 背もたれを少し倒し、楽な姿勢にすると、ユイは影が取れたみたいに爽やかな声で言った。 「いきなりこんな事言って悪いけど・・・。 マナちゃんと、ムサシ君は小休止の後ウルトラザウルスの再起動実験を頼むわね。 アスカちゃんとレイは、リッちゃんが引き上げてきたゾイドの封印を解く作業をお願いするわ。 心配しないで、難しい手順は全部私達が行うから。 あなた達には今まで通り、ゾイドとシンクロして欲しいの」 「任せて、おばさま!」 「・・・はい」 「わかりました」 「了解」 残されたアスカ達は言葉少なにそれだけ言うと、大人しく誘導役のキョウコに従って部屋から出た。 アスカ達はとりあえずの疑問の解決と、目的の達成によって不安半分、成し遂げた充実感半分という顔だった。 ただ、部屋から出る直前、レイが少し納得がいかないと言うように、ユイの方を見ていたが。 子供達がいなくなった後、ユイがギシッと椅子を軋ませながら脱力した。 今まで気がつかなかったが、緊張の汗が全身をぐっしょりと濡らしていた。 アスカ達は気がつかなかったが、ユイも相当に疲れる会話だったようだ。 「ふぅ、疲れちゃった」 年齢不相応に可愛らしい声で言うユイに、ナオコが半分呆れた顔を向ける。 ユイはちょっと肩をすくめた。 「Dの起動か・・・。どうなるかしらね。 Dは私達の切り札なのか、それとも黒のクイーンなのか・・・」 「切り札?黒のクイーン? 冗談でしょ。 私達ははじめからジョーカーしか持ってなかったのよ」 ナオコが自嘲と批判をない交ぜにした表情をする。 「じゃあ、私達の負けは決まってしまったって言うの?」 「10中8,9。 でも勘違いしないで。 私達の手札にはジョーカーしか残っていないのは確かだけど・・・」 「だけど?」 ユイに答えず、ナオコは窓の外の景色をじっと見つめる。 とても地の底とは思えない、緑溢れる美しい世界。 くくっと唇をゆがめて、ナオコは言った。 「やり方次第で、ジョーカーは最高の手札にも、最悪の手札にもなるって事」 そうでしょ? ナオコはユイに振り返りながら肩をすくめた。 ユイもそうねとばかりに頷く。 しばらくそのまま静かにしていた2人だが、再びユイが言った。 「・・・だんだんと隠し事をし続けるのが難しくなってきたわね」 「・・・・・仕方ないわよ。嘘に嘘を重ね続けてきた、報い・・・。 まったく、これじゃ死んだ後、舌が幾つあっても足らないわ」 「大丈夫よ、魔女は舌が三枚あるって言うでしょ。 セカンドインパクト、特務機関ネルフの秘密、ゾイドコアの秘密、カヲルとレイ、レイコの秘密、アスカの秘密、シンジ君の秘密、私達自身の秘密、その他諸々・・・。 全然足りないぢゃない」 「いつか、いつかって言っておいて先送りした報いか・・・」 冷や汗を流すナオコの横で、ユイが人事みたいにため息をつく。 ここまで嘘に嘘を重ねたら、いつか必ず話さないといけないにしろ、なかなかタイミングと踏ん切りが着かなくなっている。そして話せない。悪循環だ。 三人とも、分かってはいるのだが・・・。 「ねえ、ナオコさん・・・・」 「なに?」 「今の状態、アレに似てない?」 「アレ?」 いきなり何言い出すのよ? ユイの言葉に、ナオコはきょとんとする。 「そう、アレ」 「なによ、アレって?」 「・・・・・・・・・・宿題を全くしないで迎えた8月31日・・・」 的確なのか場違いなのかわからないことを言うユイ。 ナオコはこんな時にも関わらず、変な天然ボケをするユイにこめかみがひくつくのを感じていた。 (どうしてこの人は、シンジ君がいないとしゃんとできないの? まったく、いくつになっても誰かに頼らないと何もできない人ねぇ。 ・・・・・そうだ、シンジ君と言えば) 「・・・シンジ君、全部知ってしまったって言ってたわよね?」 「きちんと確認とる前に、あんな事になっちゃったから、詳しく分からないけど・・・」 「今は眠っているから良いけど、目覚ましたらまずくない? そりゃ、直前までの状態から判断して、いきなり大暴れって事はないと思うけど・・・」 口ではたぶん大丈夫と言いながらも、ナオコは自分の言葉に自信がもてないのか、声がドンドン尻窄みになっていく。 「・・・あなたは、どう思う?」 冷や汗をダラダラ流しながら、ナオコがユイに尋ねた。 ユイも顔色をドンドン蒼白にする。 顔色を変えながら、2人揃って脳裏で様々なシミュレーション開始。 数分後。 「非常にヤバイわ」 苦虫を噛みつぶしたみたいに、ユイが顔をしかめた。 負けじとナオコも顔をしかめる。きっとキョウコもこの場にいたら同様だろう。 「母親失格、いえ人間失格なんて物じゃないって感じ」 「・・・今頃になってそんな事言うなんて、洒落にならないって感じよ」 「でも、今はこれをどうにかしないと、洒落にならないとか、ヤバイとか言ってられそうにないわね」 ユイが緊急回線に映し出された映像を見ながら、今日何度目になるか分からない、深い深いため息をついた。 (何もこんな時に・・・) その数分後、第三新東京市中に緊急放送が流される。 それは破滅の言葉。 絶望を呼ぶ声。 『只今、東海地方中心に非常事態宣言が発令されました。 住民の皆様は速やかに指定のシェルターに避難して下さい。繰り返します・・・』 Cパートに続く |