トウジの言っていた、僕に用があるという人は、アスカのいる病院の一室にいた。
彼は、サードインパクトの障害者だった。。脳の一部がマヒし、正常な生活ができない
ため、トウジのボランティア団体の世話になっていた。
トウジが言うには、仕事先の国で彼と出会い、あのケンスケの「週間CRW」を見て、僕
との面会を求めたのだそうだ。
ようやく聞き取れる声で、彼は坂原と名乗った。
「今日は、どのような御用でしょうか」
坂原さんは、週間CRWを取り出して、表紙を指差した。
そこには、僕とCRWの施設の子ども、リョウタ君とのツーショットが掲載され、「碇先
生とリョウタ君」という題がついていた。
以前ケンスケに撮って貰ったやつだ。
坂原さんの手が震えている。
サードインパクトは、地球上のすべての生物に影響を与えた。
東京から遠く離れた場所でさえ、坂原さんのように脳を破壊された。
この病院にも、同じような症状で苦しむ人がたくさんいる。
リハビリに励む人がいれば、人生を投げ出したようにふさぎ込んでしまう人もいる。
彼らに悲しみを落とす原因を作ってしまったのは、僕。
こうして僕がのうのうとすごしていられるのは、エヴァのおかげ。
生きることに必死になろうとするのは、彼らと一緒なのに、どうしても僕は、自分が許
せない。
無理矢理エヴァに載せられて、不条理な運命を呪ったこともあった。
でも、結局は父さんに、すべて操られていたんだ。
父と息子という関係は、愛する人を蘇らせる儀式に過ぎなかった・・・。
「これは、わたしの、息子です」
震える声で、坂原さんは言った。
「あ、あなたがリョウタ君の?」
「そ、そうです!、リョウタの父親です!」
彼の顔は、すでに涙で覆われていた。
「私は、セカンドインパクトの時、雑誌の取材で日本を離れていました。家内と息子を
残して・・・。あの日は、絶望の日でした。収容先の病院で、家内の死を聞かされ、息子
も行方不明。今すぐリョウタを探しにゆきたかった!でも、私は歩くことさえままならず、
トウジさん達に世話をしてもらわなければ、生きていけない・・・」
坂原さんの味わった苦しみは、容易には理解できない。
彼は今まで、戦ってきたのだ。そして僕は、逃げ出してきた―――。
「セカンドインパクトに関係する人たちが、この施設を作ったのだと聞きました。始め
は私も、怒りを隠せず、トウジさんに辛く当たったこともあります。トウジさんの足が不
自由なのを、知りながらです。でも、そうでもしなければ、それこそ頭がおかしくなりそ
うだった。でも、トウジさんはそんな私にも、優しくしてくれた。おかしいですよね、私
のような大人が、彼のような子どもに気遣ってもらって。本当は、逆なのに」
「トウジさんから、事の真相を聞かされました。サードインパクトが起こった理由と、
それを未然に防ごうと戦った人たち。そして、CRWへのつながりまで。でも、本当の犠牲
に会ったのは、3人の子ども達なのだと聞かされました」
僕らのことだ。
「彼らが生まれた年に、僕が今の彼らと同じ年に、セカンドインパクトがありました。
あの時も、本当に酷かった。人間が人間でなくなってしまう。そんな環境です。そんな中、
彼らは育って、戦ってきた」
でも、それは必要に迫られた殺戮だった。
「そしてサードインパクトの年、リョウタ達が生まれた・・・。これから先、どのよう
な世界が彼らに訪れるか解りません。でも、リョウタ達や私たちが無事生きてゆけるのも、
3人の子ども達のおかげです」
「碇シンジさん、本当にどうもありがとう」
「―――知ってたんですか」
坂原さんの表情は、穏やかな微笑みだった。
「写真を見てみるまで、碇さんがこのような―――失礼、やさしい容貌の少年だとは知
りませんでした。でも、写真をよく見ると、リョウタという私の息子と同い年、同じ名前
の子どもが載っている。もしかしたら、違うかもしれない。でも、こんな身になってしまっ
た私の、唯一の希望なんです。トウジさんに無理をいって、やっと今日、日本に帰ってく
る事ができたのです。リョウタに、会わせてください」
反対する理由は何もなかった。
リョウタ君のいっていた父親が生きていたことは喜ばしい。
でも、それ以上の衝撃をもって、坂原さんの言葉は僕の心に染み入った。
『ありがとう』か・・・。
トウジの優しさが、ケンスケの優しさが、坂原さんの優しさが、どうしようもないほど
僕の眼前に罪を突きつける。
彼らの言葉に安心しきっていても、影を落とすどこかで良心が嘲笑ってる。
結局、僕は自分が可愛かった。
使徒は強く、僕ら3人では歯が立たず、結果として起こったサードインパクト。
僕はまだ、真実を知らない。
知ったところで、何も変わらないだろう。
今直視すべき所は、真実よりも、現実。
度重なる悔恨よりも、僕は生きる意味を知ってるのだから。
外で待たせてあるトウジにあとの事を任せて、いったんCRWに戻ることにした。
リョウタ君を、父親に合わせる為。
リョウタ君にとっては、今の父親の姿はかなりのショックかもしれない。
そのことを、うまく説明することができるだろうか。
子どもの頃、僕が追い求めていた父さんの影は、とうとうつかむことはできなかった。
そんな思いをさせたくない。
僕なら、それができるはず。
「碇先生、こんにちわ。帰ったんじゃなかったの?」
教室では大塚さんが童話を読んで聞かせていた。
子供たちが熱心に聞き入っている中入ってゆくのは気が咎めたけど、リョウタ君を見つ
け、外へ連れ出した。
「リョウタ君、これから先生の言うこと、信じてくれる?」
「うん。先生の言うことなら、信じるよ」
その笑顔に良心が痛んだ。
僕は、リョウタ君に伝えた。
ケンスケが撮った写真の事、トウジの仕事の事、そして父親が生きていること。
父親は、セカンドインパクトの影響で体が不自由であること、母親が死んでしまったこ
と。
セカンドインパクトに僕が荷担したこと。
リョウタ君に解るように説明したけど、僕の言葉で解ったかどうか。
でも、リョウタ君は、泣かなかった。
「強いんだなぁ、リョウタ君。偉いよ」
「うん、男の子だもん、泣かないよ。父ちゃんがまってるんでしょ」
まだ4歳の子どもだ。
うんと甘えたい盛りの子どもが、妙に大人ぶって見えてしまう。この逆境に耐える心を
持って生まれた子どもたち。
これで本当に良かったのかな・・・。
大塚さんに一言言って、僕らは病院に向かった。
リョウタ君と坂原さんは、実の親子に他ならなかった。
坂原さんの体の具合のこともあって、二人が一緒に暮らすことは難しい。
それでも、リョウタ君が成人するまで、リハビリを続けるそうだ。
「これで、私にも生きがいが出来ました。本当に、あなたたちには感謝してます」
そういって、不自由な体を繰って頭を下げた。
これから彼らが、幸せに暮らすことが出来るか、僕にはわからない。
でも、生きる理由が在る。
僕がアスカを見つめるように。
「もう行っちゃうの?」
トウジは、多忙の合間に日本を訪れたのだ。
ボランティアという仕事に、休みなどないと言う。
「ホンマにごめんな、シンジ。ワシかて真面目に働いとんねん。でも、今回日本にこれ
てよかったわ。シンジも明るくなったし、坂原さんもああして元気になりはったし
「アスカ、奇麗になったわね。女の私がいうのも何だけど、ホント穏やかで可愛い寝顔
だわ。シンジ君、アスカのこと、お願い。親友として、ね」
「トウジも、ヒカリさんも、ありがとう。これからも頑張るよ」
「最後になっちゃったけど、二人とも、結婚おめでとう」
なんだか顔を赤くしてたけど、僕らはみんな、微笑んで別れを惜しんだ。
駅のホームに、珍しいくらいに白い、雪が降り始めていた。
「あら、珍しい・・・奇麗な雪・・・」
その真っ白な雪は、何かの到来を知らせた。
世界に、季節が戻り初めている。