……去ること二六〇年の昔、ウェイルボードはその地名をリュセといい、南東
のエルス帝国の一領土に過ぎなかった。そこを治めていたのが、リュセ公爵ヘル
マンだったのだが、この人物は典型的な悪徳領主で、本国から許された枠の、お
よそ二倍半の重税を民に課していた。平均的な農民を例に取るなら、収穫高のお
よそ八割である。ただでさえ寒冷な土地であり、生活できるはずがない。逃亡が
相次ぎ、土地は荒れ果てた。
そこでヘルマンは、一つの案を思いついた。それは、領土のすべてを自分の私
有地として、民衆を完全に奴隷として使役する、というものであった。統治者と
しては、知性には均衡を欠き、精神には問題のありすぎる男だったのだ。
当時のエルス帝国では領地や荘園は法理的には領主の私有地だが、それはあく
までも形式的なもので、実際には領民に土地の所有権を認めており、当然、地主
も小作農もいた。農奴がいなかったわけではないが、彼らを所有する権利と監督
する義務は領主ではなく地主にあった。地主たちもふくめ、すべてを奴隷化する
というのは、道義ということをぬきにしても、領地の秩序を崩壊させるであろう。
ヘルマンはこれを「良案」だと言って、自分の頭脳に陶酔した。そしてただち
に実行に移した。
ヘルマンの蛮行を止める者はいなかった。というのも、当時すでにエルス帝国
の中央権力は崩壊寸前の状態であり、ヘルマンほどの大諸侯を掣肘する力はなか
ったのである。
彼を諫めた家臣たちは、当初は殺されたが、ヘルマンは、彼らも労働力になる
と気づき、奴隷に落とすようにした。
その中に、二人の若者がいた。家中における地位は、決して高くはない。下級
騎士である。直接ヘルマンに会うことすら許されない身分であった。
しかし彼らは、父祖の土地が一日ごとに荒廃していくのに耐えられず、ヘルマ
ンが狩りをしている最中に忍びより、すそをつかんで嘆願に及んだ。直訴である。
結果は、推して知るべしであろう。彼らはあっけなく、まことにあっけなくと
らえられ、その場で首筋に入れ墨をされ、奴隷に落とされた。主君の自制心と良
心と理性とを、彼らはあきらかに過大評価していた。
結果から遡及して語るのは愚というものだが、このことがヘルマンの死を、ひ
いてはエルス帝国という、五〇〇年に及ぶ歴史をもつ大国の命運をも決定したこ
とになる。
ふたりは、完全に旧主ヘルマンを見限った。騎士の身分のままであれば、他領
に奔ることも可能だったが、いかんせんすでに奴隷である。足枷と鎖を繋がれ、
日常の所作さえ不自由になった。このときはまだ、無力な元騎士に過ぎなかった
のだ。
しかし彼らは根気よく、すべてをあきらめかけていた奴隷たちを説いた。
「このまま死を待つだけの日々。それを過ごすだけでおれたちは本当にいいのか」
「同じ死ぬなら、あの領主と差し違えようではないか」
「たとえ失敗して死んでも、必ず俺たちに続く者が出る。未来に希望を託せる」
「あのような男の、いや、男というのさえおこがましい。あの半獣人のために働
いても、何があるわけではない。汚辱にまみれた死か、それ以上の屈辱に耐える
生だけだ」
「起とうが起つまいが、結局行き着くところは死だ。人間いつかは死ぬ」
「どちらを選ぶ、英雄としての死か、奴隷としての死か」
わずか数人の会合が、次第に数十人、数百人となるのに、さして時間を要さな
かった。この二人に煽動の意思があったのは紛れもないが、彼らの言ったことは
すべて事実であり彼らにとっての真実だったのだ。
ついに彼らは決起した。
財産を奪われた商人、土地を奪われた農民、地位を奪われた騎士や貴族。彼ら
は一様に、その誇りを奪われていたのである。
数百人の奴隷が造反したという知らせは、リュセの各地に飛んだ。しかし、そ
れを討伐すべく出陣した者はいなかった。
ヘルマンは自身の権力を絶対視するあまり、各地の兵を率いるはずの中堅武官
のほとんどを、すでに粛清してしまっていたのである。残っているのはヘルマン
の血縁者でなければ数あわせの無能者にすぎない。
ヘルマンが自ら軍勢を引き連れて出陣したとき、すでに反乱奴隷の軍勢は数千
を数えていた。しかし、ヘルマンの軍は少なくともその三倍であり、装備にいた
っては比較するのもばかばかしいほどであった。彼はむろん自分の勝利を疑って
いなかった。心にのしかかるのは、彼らを皆殺しにしては労働力が激減する、と
いうことだけだった。
「主謀者は処刑するとしても、大部分は赦す必要があるな。そうすれば、あの愚
民どもは感激して、予に一層の忠誠を誓うだろう」
そう言って彼は、側近相手に大笑したものである。
だが、ヘルマンは忘れていた。というより気にも留めていなかった。敵の兵士
は言うに及ばず、味方の兵士もほとんどが奴隷だということを。
ヘルマン軍は瓦解した。敵との戦闘によってではない。内部の兵が、散発的な
がらも続々と叛乱を起こしたからである。
あっけなく、彼は殺された。自分が支配していた、あるいはそう信じ続けてい
た者に。そして、自身の死によって初めて、権力とは壊れるものなのだというこ
とを知ったのである。
領主の死からしばらくの間、リュセの地は、叛乱の首謀者となった二人の若者
を盟主とする、一種の合議制によって治められていた。自然ななりゆきとして、
農民たちは自分の土地へ帰っていった。また、ヘルマンの邸宅や居城から奪い取
った膨大な量の金品は、おもに商人に対して分け与えられた。農民は土地があれ
ば生きていけるが、商人はそうはいかないからである。そのかわり、農民に対し
ては一年間の租税免除という布告が出され、不満もすぐにやんだ。土地所有に関
する諍いは絶えなかったが、先年までの暴政に比すれば些細な問題であるだけに、
さほど深刻な問題に発展することもなかったのである。
だが、彼らにとって、苦難は終わったわけではない。
「不逞な賤民どもを討ち、ヘルマン卿の仇を奉ず」という名目で、南方から、
ある貴族の軍勢が迫ってきたのである。
その貴族は、別にヘルマンと友好的な関係があったわけでも、血縁や姻縁をも
っていたわけでもなかった。火事場泥棒という表現がふさわしいだろう。
エルス帝国に保護を求める、という案は、一蹴された。「われわれが塗炭の苦
しみを味わっているとき、皇帝とやらが何をしてくれたのだ」というのが反論の
根拠であり、帝国の、あるいは諸侯の支配を金輪際受けないということが、誰も
さからうことのできない彼らの大義だった。
だが結局、案ずるには及ばなかった。
装備は劣弱であったが、数的には互角以上の兵力を有していたし、何よりも結
束した民衆の力と、彼らを指揮する二人の青年の手腕はすさまじく、陸に海に勝
利し続けた。むろん、戦場以外の場で勝利を演出する能力が、彼らにはあったと
いうことでもある。
このとき、彼らにとって決定的に有利だったのは、皮肉なことだが、旧主ヘル
マンが遺した強大な艦隊であった。これあればこそ、兵力や物資の迅速な運搬を
はじめとする陸戦支援、そして敵軍の後方撹乱などをおこなうことができ、その
効果は敵味方双方にとって巨大なものであった。
そして乱の勃発から二ヶ月後、レストラード平原において、彼らの軍勢は敵軍
を完膚無きまでに撃砕したのであった。このとき、敵は戦闘に参加した者のうち
二割に達する戦死者、四割ちかい逃亡者を出し、完全に壊滅した。常軌を逸した
ほどの勝ち方に、生まれたばかりの新国家は上下を問わず狂喜した。
しかし、こういったことがふたたび起こらないよう、誰かが王位に就き、王国
の建国を内外に認めさせる必要が、この当時は確かにあったのだ。大陸諸国のほ
とんどは王国であり帝国でありまた公国であった。とにかく君主はいたのだ。大
陸屈指の名族であったリュセ公を打倒した挙げ句、まるで田舎村の運営のような
合議制を採っていたのでは、叛乱勢力と見なされるのが当然であった。
二人の若者の、どちらか一人が王になるのが自然であった。しかし、二人は互
いにゆずりあい、まったく決まらない。
他の者も、二人のうちどちらを選ぶ、と問われれば、答えようがなかった。ど
ちらも劣らぬ器量の持ち主なのである。
「どうしたものか」
人々はいささか深刻に考えた。というのは、この二人がもし分裂したら、この
あたらしい国は今日にでも瓦解するのである。
この二人はどうやら今は譲り合っているが、いつ気が変わるか知れないし、ま
た、彼らにその気がなくとも、彼らのどちらか、あるいは両方をそそのかす野心
家が出てくるに違いない。
そのような懸念とは無縁の、ある武人が、極端な案を出した。彼は政治的思考
力が零に等しかったため、他の者が自ら禁じていた安直な解決策を滔々と述べた。
要約すると、いっそ二人がこの地を分割統治しろ、ということであった。
「阿呆か、貴様は」
と、長老格の旧貴族が言った。貴族にしては品のなさ過ぎる言葉であったが。
「王冠や玉座は一国にひとつと決まっておる。二つあってはならないのだ。二国
を建設するとなれば、人心は混乱し、いつか争乱が起きるだろう。両君のどちら
でも同じなら、くじか何かで決めたほうがましだ」
激しい口調だった。しかし、前半は確かに年長者らしい常識論であったが、後
半部分は、これほどいい加減な台詞もないだろう。が、結局はこの老人の言うと
おり、くじ引きとなった。誰にも異論はない。というより、他に適当な考えが浮
かばなかったのである。意識したわけではない、だが、この老人は一言で歴史を
動かしたことになる。この長老がここで発言せず、この地が二つに分割されてい
たら、後世のウェイルボードの隆盛は、いや、存在すらもなかったに違いない。
ともかく、二人はくじを引いた。
一方の青年が、なんとも複雑な表情をした。当たりだったのである。もう一方
の青年は自分のくじを確認し、露骨に安堵した表情を浮かべた。
長老が二人を促し、くじを公開させた。
衆人環視の中、一度は同意したことである。抗うことはできない。一方の青年
が、国王となった。彼の名をカーレルという。後世、カーレル大王と呼ばれ、ウ
ェイルボード建国の英雄と謳われる人物である。
カーレルは、十年がかりで内政を整えた。まず、税制度をあらため、州郡制度
を確立し、有能な地方官を登用し、公正な裁判をおこない、民衆の慰撫につとめ
た。また、リュセという彼らにとって愛憎の深すぎる地名をあえて廃し、あらた
に国名をウェイルボードとした。
さらに、長年の盟友であり、一連の戦いにおいてはカーレルを上回るほどの武
勲を挙げたノジェールに対しては、ウェイルボード唯一の公爵位と海軍総督の地
位、そしてウェイルボード全一六州のうち、北海に面したデルレヒト、ビューリ
ンゲン、フリューウェの三州を領地としてあたえ、さらに「殿下」の尊称さえゆ
るした。
ちなみに、この三州は、ウェルフェン公国と称され、「国法と王命に反しない
範囲で」のすべての自治権が、独立国に限りなく近いかたちで与えられた。当然、
ノジェールが初代国公である。
当初カーレルは、一六州のうち、前記三州にデルサール、フランデン、ヘルハ
ウを加えた北部沿海六州すべてをあたえる気でいたのだが、ノジェールが固辞し
たことにより、半分の三州で決着したのである。たしかに六州というのはあまり
にも巨大すぎ、それはあの武人が言った国土を分割するという案とどこが違うの
だ、ということになる。ノジェールはそうカーレルに直言し、カーレルもすぐに
思いなおした。
それにしても破格のあつかいには違いない。他の功労者たちに与えられた領地
は総計で三州に満たなかったのだから。彼らから何の不平も出なかったことが、
ノジェールの武勲の巨大さと彼の人望を物語っているだろう。
カーレルは、即位後二五年、五三歳で死んだ。王太子ヨハンが即位し、ヨハン
一世となった。
カーレルはヨハンにこう言い遺した。
「余は、みなに選ばれて王となった。このことを決して忘れるな。おまえがその
信頼を裏切っては、彼らに申し訳がたたんぞ。また、ノジェールにも王となる資
格があったことを忘れるなよ。ノジェールを父と思い、その子らを兄と思い、つ
ねに敬え。難事にぶつかったときには、まず彼らにたずねるのだ」
か細いが、芯のある明瞭な声だった。
カーレルの死後、ノジェールも自分の役割は終わったと感じ、海軍総督の地位
を返上しようとした。しかし新王ヨハンはそれをよろこばず、幾日も協議を重ね
た結果、海軍を二分して、一方を王家の直属艦隊と定め、もう一方の指揮権をテ
ュール公爵家に永久委譲した。テュール家の世襲職となった北海提督の地位は、
このときに定まったものである。
それにしても、よくよく、半分で妥協するということに縁のある男であった。
稀代の英雄カーレルが去ったことで、隣国との関係が、にわかに騒がしいもの
になった。
かつての宗主国エルス帝国の諸侯が、ウェイルボード侵攻を開始したのである。
その大軍を迎え撃ったのは、すでに五六という高齢に達していたノジェールで
ある。彼はあらためて海軍総督の印を授けられ、ふたたび海に乗り出した。
激烈な海戦に勝利し、付近の制海権を得たウェイルボード海軍は、はるかに南
下してグランフェイル川をさかのぼり、エルスの帝都ヴォーグに兵を上陸させた。
そしてウェイルボードの陸兵はほとんど無血のうちにヴォーグを占領し、皇帝を
して即時停戦の勅令を出さしめた。皇帝を守るべき近衛兵たち――のちにこの地
域を支配することになるフェイルラント騎士団――は、互角以上の兵力でありな
がら、抵抗らしい抵抗をほとんどしなかったのだ。
帝権が衰えているとはいえ、エルス帝国の富と物資は、そのほとんどが、この
ヴォーグを経由する。ここを抑えることが、現在ウェイルボードを攻めたててい
る軍勢を倒すことにつながるのだ。
ノジェールはみずからの立てたこの作戦を「恥ずべき博打だった」と言い、他
人から称揚されるたびにそれを否定した。もし市街戦が起きて、それに敗北した
ら、ウェイルボードは海軍という最大の武器をなくして、建国わずか三〇年足ら
ずでその短い命を終えることになっただろう、というのだ。もっともな話ではあ
る。事実、海軍のみが突出したため補給は常にあやうく、川をさかのぼるという
挙に出たため、海軍の機動性や戦闘力はほとんど無に帰していた。しかも彼の軍
が確保していたのは河口と帝都ヴォーグだけなのである。国家の大事を預かる身
として、さらには用兵家として、それほど分の悪い賭けをしなければならないの
が、彼には辛かったにちがいない。
だが、このとき彼は賭けに勝った。
このことによって諸侯は撤退し、皇帝およびヴォーグの民衆の身命は救われた
のだが、それと引き替えに、帝室の権威は失墜し、諸侯は完全に皇帝を見放す結
果となった。
名実ともにエルス帝国が滅びたのは、このときだといってもいいだろう。
陸においても、国王自らが率いるウェイルボード軍は奮戦し、寡兵であるにも
関わらず、国境線に敵を釘付けにしていたので、ウェイルボードの版図が侵され
ることはなかった。
大勝利であった。
奇跡といっていいだろう。
しかし、その戦いで負った傷が祟って、戦後まもなく、ノジェールは病臥した。
彼は、いよいよ死期が近いと知ると、三人の息子を寝室に呼び、こう言った。
「これからわしが言うことは、わし一個の遺言としてではなく、わがテュール家
の家訓として、子々孫々に語り継げ」
息子たちは固唾を飲んだ。
「まず一つ、王室に忠誠を尽くせ」
やや、呆気にとられたような三人の表情。
「当たり前のことだが、これがもっとも重要だ。わしはカーレル陛下とは長年の
友人だった。世間には、わしが陛下に位を譲ったなどと言っている者もあるが、
そんな言葉にのせられて王室を軽んじるでないぞ。彼はわしなどがいなくとも、
充分に一国の主となるに足る才幹と器量と天運の持ち主だった。よいな、わしが
陛下の恩人なのではない。陛下がわしの恩人なのだ。次にふたつめ」
と言ってから激しくせき込んだ。あわてて侍医をせきたてる次男を制し、続け
る。
「……宰相、大将軍、海軍大都督、そして王妃。これらを、わが家からは出すな。
テュール家はすでに北の艦隊を任されており、充分な、いや、過分なほどの扱い
をうけておる。このうえ国政に口を出したり、地位を求めたりするな。いらざる
疑惑を招く。わしは幸いにも、カーレル陛下、ヨハン陛下という度量の広すぎる
ほどの主君を得た。しかし将来においても同じとは限らない。決して、王家に恐
れられてはいかんのだ」
と、暗に、ある危険をほのめかす。ノジェールは、カーレルの生前から、粛清
をおそれていた。いや、おそれていたわけではなかったが、その可能性を考え、
つねに憂鬱だった。彼は自分の価値を知っていた。王国にとって危険な存在であ
ることも。もしくじ引きの結果、自分が王座についていたら、果たしてもう一方
の雄であるカーレルに対して、虚心でいられただろうか――そうは思わない。国
のためと称して親友を除こうとしたかもしれない。そしてそれこそ、自分がカー
レルにはおよばぬ理由だ、と、彼は言った。
ノジェールの息子たちはすでに成人していた。父ほどの才幹はなくとも、水準
以上の洞察力や判断力は備えていたから、その重要な点を把握することはできた。
「わしはたしかに功をたてた。かつてはカーレル陛下と親友といっていい仲であ
った。わがテュール家が、数十家もあるわが国のにわか貴族の中でも別格扱いだ
ということ、これも事実だ。しかし、しょせんは外臣。王族ではない。よいな、
臣下としての分を守り、みだりに宮中のことに口を出すな。将来、王位継承に関
して諍いが起きたときには」
と言ってから、彼は溜息をついた。絶対的な権力を握っていた主君を打倒し、
さらには幸運が重なったとはいえ五〇〇年の歴史をもつ大帝国をもその剛腕によ
って滅ぼした男である。国、あるいは権力というものに寿命があるということを、
彼は自己の経験によって知りぬいていた。
「いつかはそういうときもくる。だがそのときには、誰にも加担するな。つねに、
誰に対しても中立を貫き通せ」
最後に、と呟いて、
「そのようなことが永遠に起こらないよう地下から祈っておるが、もし、仮に、
暴君があらわれたら、諫める勇気を持て。主君を諫めない臣に、忠義を語る資格
はない。もし、それにも耳を傾けず、民を苦しめつづける王であれば、それを誅
せ。国は王の私物ではない。王朝がほろぶとも国はつづくのだ。あえて不忠の泥
をかぶり、国をたてなおせ」
と、この建国の大功臣は、すさまじいことを言った。
さすがに、三人の息子は凍り付いた。それを見て、彼は微かに笑った。
「何を驚く、そなたらの父は、一度主君を殺しているのだぞ。そのときわしは学
んだ。主君に対する忠節よりも重いものがあるとな。王が道を踏み外したとき、
それができるのはわがテュール家をおいて、他にはない。カーレルも、赦してく
れる……」
かつての親友の名を呼び捨てにし、ノジェールは眼を閉じた。ふたたびそれが
開くことはなかった。
国王ヨハン一世は、国父(正式な名称ではないが、カーレルの死後、彼はそう
呼ばれていた)ノジェールに大公の称号を与え、長男アルマンに公爵家の相続と
国公位の継承を認めた。
生前も、そして死後も、王室からは最大限の好意と敬意とで、彼は報われたの
である。
フィンセントは、テュール宗家の嫡子であるから、開祖ノジェールの遺した家
訓を当然知っている。だからこそ、できれば王室の跡目争いなどに介入したくな
いのである。しかし、父の決断がどう下るか。この点にすべてがかかっているの
だ。宗主の決断は、一族にとって、ときとして王命以上の重さを持つ。
(父上がどう出るか、いや、それよりも、陛下のご遺言とはいったい)
期せずして、この「ウェイルボードでもっとも才能に恵まれた兄弟」は、同じ
ことを考え、さらにそれを口に出した。だが、いくら思案しても、それを教授し
てくれる者はこの場にはいない。無益なことであった。
思考の無限回廊に迷い込む愚に、先に気づいたのは弟の方であった。
アーガイルは溜息をつき、言った。兄の思考を読みとったかのように、
「いくら考えても、分からないものは分からない。考えるだけ無駄です」
「そうだな。とにかく、明日の朝にでも使いを出そう。おそらく無駄だろうがな」
アーガイルは苦笑した。父が、君主の遺言を――実の息子とはいえ――他に漏
らすとは考えられなかったのである。仮に漏らしたとしたら、彼らは逆に父に失
望したかも知れない。
第三章へ続く