邂逅 第壱拾弐話

 

 これは、新世紀エヴァンゲリオンのもう1つの局面を描いた物語。

 ひょっとしたら有り得たかもしれない、もう1つの物語。

 

 

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          新世紀エヴァンゲリオン外伝

 

               『邂逅』

 

 

         第壱拾弐話「無限抱擁 −中編− 」

 

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                *

 

「山南さん、髪綺麗ね」

「そうですか?」

 マナの髪を指先で弄びながら、亮子は言った。

 窓の外から響く太鼓の音を耳にしながら、亮子は着せ替え人形を楽しむ

子供のように、手際よくマナに服を着せていた。マナはこの類の衣類を着

たことがないので、亮子が手を貸さねばならなかった。

「ええ。昔は髪は女の命って言われてたのよ。男は顔じゃなくて、女の髪

 を見て恋愛を楽しんでたぐらいだから」

「それじゃあ手入れにも随分気を遣ったかもしれませんね」

 そう言って、マナも自分の髪に触れた。

 シンジと別れてから約3ヶ月。あの日からマナは、1度も髪を切ってい

なかった。手入れの為に部分を切ることはあったが、伸びた髪をばっさり

と切るようなことはしなかった。

「はい、終わった」

 ぽんっとマナの肩を叩くと、亮子はマナを姿見の前に押し出した。マナ

は姿見の前で腕を軽く上げたり後ろを向いたりして、服の具合や自分の姿

を確かめた。

「うん、よく似合ってるわ」

 姿見の前で踊るマナを見て、亮子は嬉しそうに笑った。

「それじゃあ、ちょっと座って」

 亮子はマナをその場に座らせ、前に回った。

「どうするんですか?」

「決まってるじゃない」

 亮子は手に何かを握っていた。

「今の男は髪じゃなくて、女の顔を見るものなのよ」

 

 2階で亮子とマナが何やらしている頃、司は玄関で落ち着かない様子で

うろうろと歩き回っていた。

「全く……母さん、何時まで準備してんだよ」

「女の人の外出には時間がかかるものなのよ、お兄ちゃん」

「……もう太鼓台のかきあげ始まってるぞ」

 司はぶつぶつ言いながら、外から響く太鼓の音に耳を傾けた。

 司とマナが司の家に戻ってきたのは、かれこれ1時間半程前だった。亮

子に1度戻ってくるように言われたので戻ってきたのだが、それまで亮子

とマナは1度も顔を合わせたことがなかった。勿論、付き合いについても

司は母に一切話していない。

 だが、母親の勘…というよりは女の勘のようなものが、マナと司の関係

をあっさり見抜いてしまった。

 司の弁明に聞く耳を持たず、亮子はマナに

「山南さんは、司の何処が好きなの?」

といきなり本質を突く質問を投げかけた。これには司も開いた口が塞がら

なかった。

 司は母に抗議しようとしたが、マナが若干躊躇しつつも

「…優しいところ、かな」

と応えたので、司も口をつぐんだ。亮子はマナの言葉を反復して、司を一

瞥しただけでそのままその話題を打ち切ってしまった。

 その後、マナは司の家族(ちなみに父親は沼津に出張中)と一緒に夕食

を取った。終始和やかな雰囲気だったので、正直な所、司は少し安心した。

母がマナを見て、何か余計なことを言うのではないかと思ったからだ。だ

がマナも亮子も、和んだ雰囲気で話をしていた。

 司の母は人の好みが激しい人間で、感覚的に嫌いな人間と好きな人間を

分けてしまう、悪い癖がある。それに引っ掛からなかった所を見ると、ど

うやらマナは亮子に気に入られたらしい。気に入られたかどうかはともか

く、嫌いな人間に分類されずに済んだようだ。

 玄関でぶつぶつ言い始めて数刻、2階の戸が開く音がした。

「ごめーん、井波君。遅くなって」

 ぱたぱたと階段を下りてきたのはマナだった。

 マナは目の覚めるような、明るい空色の浴衣を着ていた。空色が基本だ

が、よく見ると微かに紺色へのグラデーションがかかっていた。

「悪いわね、司。ちょっとサイズ補正に手間取っちゃって」

「ねえ、どう?似合うかしら?」

 マナは姿見の前でしたように、司の前でくるっと回って見せた。

「う、うん…よく、似合ってるよ」

「ホント?ありがとっ」

 マナはにこっと笑い、次いで亮子の方を見た。

「こんないい物、私なんかが着て本当にいいんですか」

「いいのよ別に。私があなたぐらいの時に着てた物だし、それほど傷んで

 もいないのにタンスの奥で腐らせるよりは、浴衣も喜ぶわよ」

 亮子はぱたぱたと手を振って笑った。もう太鼓台のかきあげが始まって

るので急いだ方がいいと言って、マナに団扇を渡した。

「んじゃ、行ってくるから」

「それじゃあいってきます」

 司とマナは亮子にそう言って家を出た。後には綾音と恵美、亮子が残っ

た。

「……ねえ、お母さん」

「何?」

 綾音はじと目で亮子を睨んでいた。

「何で私にくれなかったの、あの浴衣?」

「あんたの背だと、サイズ補正どころじゃ間に合わないからよ」

「ああ、ひっどーい!」

 綾音は頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いて2階に上がってしまった。

「何処行くの?」

「祭り!お兄ちゃんいないから、誰か誘って行くの!」

 ばんっ!と、綾音は力任せに自室のドアを閉めた。

 

                *

 

 恵子はただ1人、姿見の前に立っていた。

「……やっぱりスカートの方がいいかな」

 服を替えながらあれこれと思案する。恵子は普段はあまり服装に頓着し

ないのだが、今日は少し事情が違っていた。

 持っている服の中で色々と考えてみるが、どうにも決まらない。今はス

カートかズボンかで悩んでいるが、恵子はスカートの類があまり好きでは

なかった。

 だが、今は自分の好みなど気にしていられない。

(………お母さんなら何て言うかな?)

 恵子はふと、仏壇に目をやった。

 仏壇に飾られた、母の写真。

 恵子と真也の母の名は、“優美”。夫である志郎とは大学時代からの付

き合いで、大学卒業後すぐに結婚した。結婚してから3年程して真也が生

まれた。その5年後に恵子が生まれたのだが……

 恵子が生まれる前年、未曾有の大惨事・セカンドインパクトが起こった。

その影響を、優美はモロに受けた。一時は流産の危険もあったが、何とか

それを乗り切って優美は恵子を産んだ。だが、母体の著しい損傷と体力の

低下から、彼女はそのまま帰らぬ人となった。

 だから恵子は、母がどんな人物だったのか全く知らない。インパクトを

乗り切った写真が数枚残っている程度である。真也を抱いている優美と、

志郎の3人が写っている写真はあるが、恵子と4人で写っている写真は1

枚もなかった。母の友人の女性が、自分を抱いて父や真也と一緒に撮った

写真が1枚あったが、それも母の代わりにはならなかった。

 恵子は別段、それが悲しいとか寂しいとか思ったことはなかった。ただ、

写真を見る度に、自分は本当に父とこの人の間に生まれた子供なのか、と

思いがちだった。写真越しでありながら、恵子から見て母は本当に綺麗な

人だと思えたからだ。

(私もお母さんぐらい綺麗だったら……)

 もう少し自信が持てたのになあ……心に浮かぶその言葉を、恵子は慌て

て掻き消した

 恵子はふと、母が髪をおろしているのに気が付いた。恵子はバレー部に

入っている関係で、邪魔にならないよう何時も髪を括っている。

「……おろしてみようかな」

 でもそうすると、司が自分に気が付かないかもしれない。いや、こっち

から声をかけて、ちょっと違う所を印象づけるか………?

 仏間をうろうろ歩き回りながら色々考えていると、不意にドアベルの音

が耳に届いた。

 恵子が思考を中断しぱたぱたと玄関に出て行くと、綾音と恵美がお揃い

の浴衣を着て、手を繋いで立っていた。

「こんばんわ、恵子さん」

「こんばんわ。どうしたの、綾音ちゃん」

「一緒に祭りに行こうと思って」

「…司は?」

 恵子は嫌な予感がした。

「お兄ちゃん、山南さんと一緒に行っちゃっていないの」

「そうそう。こ〜んなに鼻の下伸ばしてんのよ」

 恵美は鼻の下に指をやって、伸びている仕種をした。

「そう……じゃあ、一緒に行こうか」

 恵子は努めて明るい声で言った。

 

                *

 

 服部川駅前の商店街。インパクト前は大した店など並んでいなかったの

だが、アーケードこそないものの今では普段の生活に困らないだけの店が

軒を連ねていた。本屋すらなかったインパクト前と比べれば、凄まじい発

展と言える。

 マナと司は商店街手前の広場を見ていた。広場では、様々な夜店が軒を

連ねていた。すでに人だかりもかなりのものとなっていた。

「縁日かぁ…」

 マナは懐かしそうに呟いた。

 父母と同居していた頃、マナは母に手を引かれてよくこうやって縁日に

連れていってもらったものだった。

 露店の開かれている広場の前は、道路を隔てて農協の建物があった。そ

の前の駐車場で、太鼓台が待機していた。例年、太鼓台はしばらくここで

休んだ後、ここより上の服部川公民館前でもう1度止まり、そのまま神社

に向かうことになっている。

 太鼓台自体は止まっていても、太鼓の音が絶えることはない。威勢よく

叩かれる太鼓の音が、嫌が上にも聴く者の気持ちを昂ぶらせていく。マナ

も、威勢よく、かつ軽快とも言えるその響きに、気持ちが昂ぶっていくの

を感じていた。

「あ、見て。射的!」

 マナは露店の1つを指差して言った。

「やる?」

「うんっ!」

 マナはまるで幼い子供のようにはしゃぎ回っていた。射的用の長銃を受

け取り、先にコルクの弾を詰めた。

(シンジもきっとこういうの練習してるのよね……)

 マナは戦自にいた時にやっていた射撃練習と、シンジから聞いたネルフ

での訓練のことを思い出した。

 ぽんっと軽快な音と共に撃ち出されたコルク弾は、狙い違わず猿の置物

に命中した。立て続けに撃ち出された弾は、全て何かの景品に命中した。

「上手いな〜。どっかで練習した?」

 司がそう言うと、マナはえへへ…と、照れ笑いを浮かべた。まさか、戦

自での訓練が、こんなところで役に立つとは思ってもみなかった。

「はい、これ」

「え?」

 マナは司に景品の1つを渡した。それは青い色の、小さなキーホルダー

だった。

「あ、ありがとう」司は照れたような笑いを浮かべた。

「ねえ、お腹空かない?」

「そうやね。焼きそばでも食べる?」

「冷たいものが食べたいな」

「じゃあかき氷にする?」

 司とマナは小さな子供達の列が出来ている露店の端に並んだ。ふと、司

がマナの方を見ると、マナはにこにこと笑っていた。

「山南さん、楽しそうやね」

「…井波君は楽しくないの?」

 突然司がそんなことを言ったので、マナは少し不安になった。司は慌て

てかぶりを振ってマナの言葉を否定した。

「いや、そういう意味じゃなくてその……山南さんのそんなに嬉しそうな

 顔、初めて見た気がするから…」

 2人はかき氷を買うと、人の波を避けて、広場を囲んでいる柵に腰を下

ろした。

「そうね……確かに、大変だったなあ」

 マナはふと夜空を見上げ、こっちに来た時のことを思い浮かべた。

「私ね、夏休み中ずっと恵子のとこでアルバイトしてるの」

「そうなん?」

「うん。色々と物入りだし、高校行く為のお金も溜めないといけないし。

 学校で許可貰ったの」

 司は、マナに身寄りがいないことをふと思い出した。

「色々大変なんだ……」

「ううん、そんなことないよ」

 マナは司の肩をぽんと軽く叩いた。

「何だかんだ言っても、今は私のやりたいようにやってるから楽しいよ」

「そう?」

「うん。ここに来るまでは、そういう自由が全然なかったから……

 今は普通に学校にも行けるし、友達と出掛けられるし、アルバイトも出

 来るし……。

  今はこうやって自由に何でも出来るから、すっごく幸せなの」

「そっか……」

 司はマナの横顔を見ていたが、あることに気付いて、思わずあっと声を

上げた。

「山南さん、口……」

「え?あ、これ?井波君のお母さんがしてくれたの」

 マナは唇に指をやった。マナの唇が何時もより赤みを帯びているのは、

亮子が軽く化粧を施してくれたからだった。

「男っていうのは何だかんだ言って女の顔を見るものだから、顔は綺麗に

 しておいた方がいいって………似合わない?」

「そ、そんなことないよ!凄くその……」

「凄く、何?」

 司は赤くなって下を向き、語尾をぼそぼそと言ったので、マナにははっ

きりと聞こえなかった。

「凄くその………色っぽい…」

 司がぽつりと言ったその言葉に、今度はマナが口紅より真赤になった。

「馬鹿……エッチ………」

「ご、ごめん…」

 司は横目でちらっとマナの方を見た。唇の鮮明な色と顔色、空色から紺

色へのグラデーションになっている浴衣、そしてまだ薄暗い、夜の雰囲気。

その全てが、マナを14歳とは思えないほど大人びた、“女性”に仕立て上

げていた。

 しゃくしゃくとかき氷に突き刺すマナのスプーンの音が、2人の心臓の

音と同様、無駄に速くなっていった。

 

                *

 

「わぁ〜、綺麗〜」

 綾音と恵美は恵子の数歩前を無邪気に走り回っていた。

 都会では決して見ることの出来ない、満天の星空。

 一応ここは大阪府内で、昔はもう少し都会の光が近かったのだが、セカ

ンドインパクトの余波で都市の一部が水没、残った街もかなりの部分が吹

き飛ばされ、恵子の住むこの地域は、正真正銘、山の端の村になってしま

った。

 恵子は白い半袖のシャツにジーンズという、何時もの服装で外に出てい

た。色々考えたのだが、綾音に「恵子さんは何時ものままの方がいい」と

言われたので、その言葉を信じてそのまま通したのだ(実は、服を選ぶの

に恵子があまりに時間をかけ過ぎていたので、業を煮やした綾音が最後の

手段に出ただけなのだが…)。

 だが、綾音の言葉も決して間違いではない。

 同年代の中学生から見て、平均を遥かに上回る身長、それに伴う足の長

さや、部活で引き締まった身体。女性としての部分はまだまだ未発達であ

ると言えるが、彼女の着ているシャツは身体のラインを浮きだたせ、未発

達でありながら、女性の部分をしっかりと強調していた。

「お姉ちゃん、あそこあそこ!」

 綾音が指差した方向には、原っぱが広がっていた。そこに見受けられる、

大勢の人々。ある者はシートを広げて酒を酌み交わし、ある者はギター等

を弾いて歌を歌い、ある者は走り回る子供達に手をやいていた。

「もうすぐ花火の打ち上げが始まる時間ね」

 恵子は腕時計を見て言った。

「お〜い、恵子!」

 名前を呼ばれてきょろきょろと辺りを見回すと、シートの上に座り、コ

ップを持った酔っ払いのおっさんの姿が目に入った。

「お父さん!店にいないと思ったらこんなところに…」

「はっはっはっ、こんな日に仕事なんかしてられるか!年に1度の楽しい

 日じゃないか。まあお前も座れ座れ」

「え、いや私は……」

 恵子は嫌がったが、志郎があまりに強くすすめるので、押し切られてし

ぶしぶシートの上に座った。それ以前に、綾音と恵美がすでに陣取り、つ

まみを失敬していた。

「お父さんだけなの?」

「いや、真也ももうすぐ来るはずだ。花火は見ていくと言ってたからな」

 そう言っている内に、タオルを首にかけた真也が、汗を拭きながら恵子

達の前に現れた。

「よお、恵子」

「あ、御苦労様、お兄ちゃんっ」

 真也がシートの上に座ると、恵子はコップにビールを並々と注いだ。

「花火はもうすぐか?」

「ええ。後10分ぐらい」

「そうか。ところで、さっき司君見たぞ」

 ビールを注ぐ恵子の手が止まった。真也は言葉を続けた。

「山南さん…だっけか?彼女と一緒だったから声かけなかったけどな。な

 かなかいい雰囲気だったぞ」

「……そう」

「はっはっはっ、司君もやるじゃないか」

 志郎は豪快に笑った。

 真也はぐいっとビールを煽ると、恵子にそっと耳打ちした。

「お前も、しっかりやれよ。俺も応援してるからな」

「……うん、ありがと」

 恵子は溜息混じりの返事をした。

 

 同じ時、司とマナも広場に来ていた。

「ここで花火見られるの?」

「うん。ここが一番見易いから、皆集まってくんねん」

「ふぅん…あれ、あれ恵子じゃない?」

 マナはある一点を指差した。

「…ホンマや。真也さんにおじさんもおる」

「行ってみようよ。挨拶もしたいし」

「いや……俺は遠慮しとくわ」

「どうして?」

 司は少し言いにくそうに言った。

「……機嫌、悪いんや、あいつ。だからちょっと会いづらくて」

「喧嘩でもしたの?」

「いや、心当たりないんやけど…」

 司はここ1週間…マナ達と海に行ってからのことだが…恵子とまともに

話をしていなかった。何度か司の方から、昼食と称して恵子の店に足を運

んだのだが、その時も恵子の反応は素っ気無いものだった。何処か自分を

避けているような……そんな気がした。

「じゃあ大丈夫よ。井波君も恵子も付き合い長いんだし、井波君の方から

 少し話すれば、すぐに元に戻るよ」

「そう…かな」

「ほら、早く行こっ」

 マナに背中を押され、司は転びそうになりながら原っぱを駆けた。

 

「恵子、こんばんわ」

「ユ、ユキ!?」

 恵子が呼ばれて振り向くと、そこにはマナと司が立っていた。

「よお、山南さん」

「あ、えっと……真也さん?昼間はどうも」

「いやいや…どや、一緒に飲まへんか?」

「お兄ちゃん、2人ともまだ未成年なのよ!」

 恵子が真也をたしなめると、真也はすでに赤くなった顔を更に赤くさせ、

口を尖らせた。

「それを言うたら俺もまだ19や。まあこっちおいでって。今日は無礼講や」

「はあ…それじゃあ、少しだけ」

「あんたも!付き合っちゃ駄目よ!」

「少しだけ、ね」

 マナは手を立てて謝りながら、真也の側に座りコップを取った。恵子は

しぶしぶ、マナのコップにビールを注いだ。

「…ちょっとだけよ」

「分かってるって」

 マナは悪戯っぽく笑い、少しだけ注がれたビールを、ぐいっと一気に煽

った。ビール特有の苦みがあったが、嫌いではなかった。年が年なのでア

ルコールには縁遠い立場にあったが、全く飲んだことがないわけではない。

「日本酒もあるで」

 志郎がいきなり日本酒を取り出したので、恵子はぎょっとした。

「ちょっとお父さん!」

「堅いこと言うなよ。まま、一杯どうぞ」

「はい、いただきます」

「ユキ!あんたも乗せられるんじゃないの!」

 恵子は何時もの調子でマナを叱ったが、マナは笑うだけで全く効果はな

かった。

 恵子は不自然にならないよう、出来るだけマナと普段通り話をするよう

努めていた。それは司に対しても同じつもりだったのだが……

 司はというと、シートの端に遠慮気味に座っていた。その視線は、マナ

と恵子を交互に移動していた。

 マナが志郎や真也の相手をしている間、恵子は無造作に司の隣に座った。

司は思わずびくっと縮こまった。

 その手に、何か固い物が押し付けられた。

「……飲むんでしょ?」

「え?」

「飲むんでしょ、お酒。持ちなさいよ、注いであげるから」

 司は少し戸惑った様子でコップを受け取り、恵子が注ぐ日本酒をじっと

見ていた。

「…………」

「…………」

 無言。

 司は司で、恵子の様子がおかしい、何故か知らないが怒っているという

認識が自分の中にあったので、この恵子の自分への言葉遣いに、気分的に

更に退いてしまった。

 恵子は恵子で、変に肩肘張らずに自然に自分らしく行こうと思っていた

のだが、やはり変に意識してしまい、つい突き放したような喋り方をして

しまったことを酷く後悔していた。1週間前のこともあったので、気を付

けていこうと思っていたのだが………。自分らしくない自分に、苛立ちを

感じていた。

 その苛立ちを、司が誤解しているとも知らずに。

「井波君、ほら!」

 不意にマナが司の腕を引っ張ったので、司はお酒を少しこぼしてしまっ

た。

 何事かとマナの視線の先を追うと、色取り取りの波紋が、夜空に広がっ

ているのが目に入った。

「お、やっと始まったか」

 志郎が満足げに頷き、真也に酒を注いだ。

「綺麗ね〜」

「…そうやね」

 司の心持ちにそぐわない光の乱舞が、虚空に鮮やかな華を咲かせた。

 

                *

 

「山南さん、起きなよ」

「うう〜ん…もう飲めないよぉ…」

 ぐでんぐでんに酔っ払い、マナはシートの上で横になっていた。

 すでに花火も終わり、マナ達の周囲は宴会場とかしていた。志郎はすで

に酔いつぶれ、周囲には空になった日本酒とビールの瓶が数本、転がって

いた。

 太鼓台はすでに神社に上がっていたが、かきあげの一員である真也は……

「恵子、俺がどうして19年間も独り身で、彼女の1人もいないか分かる

 か!?」

「もてないから」

「違う!俺が愛してるのは………お前だけだからだ、恵子!」

 恥ずかしい&かなりの問題発言を堂々と叫ぶと、真也は恵子に抱き着い

た。真也自身かなり酔っていたが、その周囲の人間はもっと酔っていたの

で、誰も気に留めなかった。

 恵子は、はいはいと鬱陶しそうに真也を追い払うと、すでに酔い潰れ、

屍とかした子供達に目を向けた。何時の間にやら飲んでいたらしい。

「恵子〜、お前を他の男なんかにやったりせんぞぉ!お前は俺の物だぁ!」

 すでにべったりとくっついた真也を引き剥がそうともせず、恵子はぼん

やりと夜空を見上げていた。真也は酒が入ると、何故か自分に対する激し

いラブコールを投げかけてくる。酔うと何時ものことなので、今更驚くほ

どのことでもないが。

 恵子自身も少しお酒が回っていた。真也達ほど泥酔しているわけではな

いので、先程までの苛立ちは何処へやら、心地よい酔い方であった。

 司は恵子よりやや酷い酔い方であったが、意識はマナよりもはっきりし

ていた。

「そろそろ帰ろうか、山南さん。もう夜遅いし、花火も終わったし」

 寝転がっているマナを揺り動かし、司は言った。マナは起きるのが億劫

そうに、ごろごろと転げまわった。

「…ほら、立ってよ」

 マナの手を引いて起こそうとするが、上体がついてこない。何とか上体

を起こさせるが、マナは立とうとしなかった。

「……おんぶ」

「へ?」

「おんぶして家まで連れてって」

 マナが半ば命令口調でそう言ったので、司は少し戸惑った。

「ちょ、ちょっと山南さん?」

「おんぶしてくんなきゃここで寝ちゃうからね!」

 そう言って、不貞寝するようにまたごろんと横になってしまった。

 司は溜息をつき、ふらつく足元をしっかりさせ、腰をおとした。それを

見て、マナは嬉しそうに起き上がった。

「井波君優しいっ」

「はいはい……」

 司はマナを乗せ、足元に気を付けながら立ち上がった。

「あの、今日は御馳走様でした」

 司は恵子達の方を見たが、皆かなり酔いが回っているようなので、誰も

司の言葉に返事を返す者はいなかった。

 司は恵子のことが少し気に掛かった。最初に酒を注いでもらってから、

花火が上がっている時も、恵子と1度も話していなかったからだ。

「恵子」

「ん?」

 恵子は微かに返事をした。

「今日はありがとう」

「…そう」

「じゃあ、おやすみ」

「司」

 いきなりはっきりとした声音で名前を呼ばれ、司は縮こまった。

「な、何や?」

「……………」

「…………?」

「……ユキ」

「?」

「ちゃんと連れて帰りなさいよ」

「あ、ああ。分かってる。じゃあな」

 そう言うと、司はマナを背負ってその場を後にした。

 恵子は黙ってその後ろ姿を眺めていたが、やがて真也を振り解いて、綾

音や恵美を起こしにかかった。

 司の首に抱き着き、気持ち良さそうに眠っているマナの姿が、恵子から

言うべきこと、言いたかったことを述べる言葉を奪ってしまった。

 恵子の目に、幸せそうなマナの顔が焼き付いて離れなかった。

 

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                              続く

 

<後書き>

 ども、淵野明です。壱拾弐話「無限抱擁 −中編− 」お届けいたします。

  DARUさん不在の期間があったとはいえ、長い間お待たせしました。

 リンクコーナーを作ったりして間を持たせたりしましたが、ようやく更

新にこぎつけて、内心ホッとしています。

 

 今回も色々大変でした。書きたいことは山ほどあるのですが、それに文

章力と構成力がついていかないので、四苦八苦しました。しかも時間もな

かなか取れなくて……。

 前回同様、色々と割愛したエピソードもあって、そのへんは多少心残り

ではありますが、そのネタは他の場所で使うことにします。何処で使われ

るかは分かりませんが(笑)。

 

 余談ですが…

>軒を連ねていた。本屋すらなかったインパクト前と比べれば、凄まじい発

>展と言える。

 ……という描写。今の私の住んでる場所が、まさにコレです(爆)。

 まあ、本屋がないのは多少不便ではあるけど(笑)。

 

 関係のない話をもう1つ。

 富士見ファンタジア文庫の「ドラゴンズ・ウィル」という新作品。少し

だけエヴァっぽい中身です。後書きも要チェック!(笑)。個人的にはオ

ススメです。

 

 

 うう、何を書いているのか、自分でもよう分からんようになってきた。

添削に精根尽き果てた、という感じです(涙)。

 それでは、第壱拾参話でまたお会いしましょう!

 

                   ★淵野明(t-ak@kcn.or.jp)★



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