第9話「Leave-taking 『Reason,3-C』」
レイの目から、1粒の涙が頬を伝わると、
同時に手に力がこもり、カプセルに入るのをレイは行動で拒否した。
マヤはその変化を理解したが、ここに入る意味を知るマヤはとても無理に押し込めず、
泣きだしそうな顔でゲンドウの方を見ることしかできなかった。
「どうした、お前に選択する権利などない。早く入るんだ」
しかしレイはうつむいたまま動かない。
ゲンドウは真横まで彼女に近づいていく。
かつかつと足音が近づいて来るにつれ、レイの表情がこわばってゆく。
「レイ・・・」
レイは耳元で聞こえた声に唇をきゅっと噛みしめた。
彼は何も動きを見せないレイの後頭部と、カプセルをつかんでいた左手を強く握ると
強引にカプセルに押し込めようと力を込めた。
「どこまで手を焼かせるつもりだ!さっさと入れ!」
レイは必死で抵抗を試みた。
その結果、彼女はゲンドウの手を振り払ってそのまま・・・
彼女の手のひらが彼の頬を打ち、乾いた音が響いた後で
ゲンドウのサングラスがガラスの床に落ちる。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
レイは荒く息をしながら目から涙がこぼれ、潤んだ瞳でゲンドウを見る。
その目は悲しみで満ちていた。
「私は・・・私でいたい・・・こんなコアになんか・・
なりたくない・・・・・・・・・・歩きたい
・・・自分の足で歩きたい・・・私は・・・わたしは・・・
あなたの人形じゃない!私は人として生きることすら許されないの?!!」
レイは頭を振りながらその場にへたり込んだ。
下を向くレイの目から涙が1粒、2粒・・・ガラスの床に落ち、
涙の表面張力で丸くなって転がっていた。
「レイ・・・」
ゲンドウはしゃがみながらレイの肩に手を乗せる。
レイは躊躇しながらもゲンドウの顔を見た。
「・・・」
そこにはレイに優しく微笑むゲンドウが居た。そしてほんの少し目が輝いていた。
「・・・レイ、ようやく・・・」
レイは呆然と目の前のゲンドウの顔を見る。
「すまなかったな」
肩に乗せていた手を彼女の背中に回し、そっと抱き寄せるゲンドウ。
「私はもうEVIAから離れる。その前にレイ・・・お前に自分を見つけて欲しかった。
このままズルズル来季になったらお前に選択の余地はなくなってしまう。
私はお前がどんどん成長していくのが見ていて嬉しかった。
そして・・・心の変化もな。
今のレイ・・・お前なら自分で道を選んでくれると思っていた。
これからは自分で信じる道を歩け。それがレイ・・・お前の人生だ。
・・・辛かったろう・・・許してくれ」
レイの涙がゲンドウの足に落ちる、と同時に彼女もゲンドウの背中に手をはわせる。
「・・・会長」
2人が抱き合うその横からリツコが口を開いた。
「レイ・・・さっきはごめんなさいね。会長からキツくあたれって言われてたから・・・
でもあなたも私にそれなりに応戦したからチャラね」
レイはゲンドウの胸の中で声もなく泣きながら、リツコに向かいうなずいた。
「あと・・・レイも呼び方を今日から変えなさい。
『会長』じゃなくて『お父さん』にね」
「え・・・」
レイは驚きの面もちで彼らを見る。
ゲンドウがうなずき、リツコがうなずき、マヤは驚いていた。
「オトウサン・・・会長が・・・おとうさん」
「さあレイ・・・お父さんって呼んであげて。
それを一番望んでいたのは他でもない・・・」
リツコはゲンドウをちらりと見た。レイも同様に彼を見る。
照れくさそうにゲンドウは口元を緩ませていたが、
「余計なことを言うな。それより赤木博士、彼を呼んできたまえ」
リツコは邪魔者は退散とばかりにマヤを連れてその場を後にした。
「レイ、このコアにはダミーを植え込む。これが神より授かりし最後のコアだ。
これがダミータイプに性質固定されればもうお前を付け狙う輩もいなくなるだろう」
そう言うゲンドウの手をレイは掴みながら、
「・・・かいちょ・・・・お、おとうさんの手・・・凄く暖かい・・・」
ゲンドウの目に光る物が見えた。彼はその自分を隠すようにレイを抱きしめる。
「・・・レイ」
彼女は幸せそうに彼の暖かさを感じていた。
『シュゥン』
扉の開く音と共に響く声。
「会長、ただいま参りました」
ゲンドウはその声を聞くとレイから離れ、落ちていたサングラスを素早く拾い、
顔にかけた後で、隣の部屋から入ってきた彼に向かい口を開く。
「ご苦労。こっちに来い、レイ」
彼女はゲンドウのあまりの変わり身の早さに少々面食らったが、
目を拭った後で彼らの後について隣の格納庫に向かった。
『ガツン。ガラガラガラガラ』
格納庫のシャッターが開いていき、中から一台の白いEG-Mが姿を現した。
「これは?私の・・・」
レイは彼らに向かい訪ねる。
「その前に紹介しよう。レイ、お前の新しいチーム監督の日向だ」
「よろしく!!」
彼女は軽く礼をした。
「そしてこのマシンは改良型のEG-Mだ。今回はシンジとアスカとレイに供給する。
レイ・・・このマシンでチャンピオンを狙え」
ゲンドウの言葉と、サングラス越しの瞳に、
レイは嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑みながら頷いた。
唇を離した後もアスカは止まらなかった。
彼女は溢れ出る涙と嗚咽を彼の胸に擬する。
「実は・・・」
シンジが口を開こうとすると、アスカは頭を振って彼の言葉を制し、
彼の背中に回る手に力を込めた。
「・・・何も言わないで。
このまま・・・・・・でないと・・・・・・おかしくなりそう・・・」
シンジはマヤに事の真相全てをテストが終わってから聞かされていた。
レイが逃げ出した理由、レイが連れ去られたこと。
そして、彼女に害は及ばないから安心してくれということ。
レイの父がゲンドウであるという事は知らされてはいなかった。
というより、テスト終了時点ではマヤもこのことは知らなかったのだから当然だろう。
そんなシンジだから、レイのことをアスカに話そうと思っていたのだが
今の彼女はそれを望んではいない。
無理にでも口を開けば彼女の嗚咽は止まるだろう。
だがシンジは、彼女を強く抱きしめ心を和ませる選択をした。
彼自身、このまま離したくないという感情がなかったといったら嘘になるだろう。
まだ日は大きく傾き、路面に朝日が照り始めた鈴鹿サーキットのピット前に
一台の白いマシンが横付けされ、5人のメカニックがマシンに張り付いていた。
しかしマシンテストにしては数が少ない。
それはそうだ。
これはレイがどうしても乗りたいと懇願して、急遽マシンを引っぱり出してきた
慣らし走行みたいなものだった。メカマンも通常はEVIAの技術者の者を
掻き集めてきた連中。マシンを起動させる最低の人員だった。
「どうだい?久しぶりのマシンは」
コクピットに顔をひょいと入れ、日向は尋ねた。
彼の目に目を閉じてシートに体を預けているレイが映しだされた。
レイは感じていた。
シートのフィット感やベルトの装着感全てが新鮮ではなかったが、
このコクピットに座れる幸せを肌で感いていた。
『うん・・・心地いい』
『よし、じゃあ今回はこのマシンのシェイクダウンだからあまり無理しないようにね』
『・・・はい』
『キュウゥゥゥン、フォン!』
コアに火が入った時のマシンの振動、鼓動全てが心地よく感じた。
今まで普通に感じていた振動が彼女の心の隅々まで響き、
その響きが彼女の全てを満たしてくれた。
(これが私の幸せ・・・そしてお父さんや・・・碇君のためにも全力で走る。
・・・そしてチャンピオンになる)
『じゃあ行けるね、レイちゃん』
『えぇ』
マシンがゆるゆると動きだし、レイはアクセルを踏み込んだ。
制動を伝えるリアタイヤが激しくスピンを起こし、タイヤスモークを巻き上げる。
レイはホイルスピンしたマシンの挙動、タイヤのグリップ力。
マシンが彼女にフィードバックする全ての感覚を幸せの中で感じ取り、
マシンを操る事が出きる幸せからか、瞳は輝き、口元を僅かに綻ばせながら
最終戦の第1舞台、鈴鹿のロードへと白いマシンを滑らせていった。
「いよっと」
アスカは髪をヘッドセットで止めると、バスルームから出てきた。
すでに日は高くまで上っており、部屋にも暖かい日差しが照りつけていたのだが、
シンジはまだベッドで寝ていた。
「ほらシンジ、いつまで寝てるの。もう11時回ってるんだから早く起きなさいよ」
シンジはぼーっとした眼で上半身だけ起こしながら、声の方を向く。
視界には昨日とは装いが違うアスカが映った。
あれ・・・と思ったが、それより気にかかることがあったのでそちらを先に口に出す。
「そういえばさっきどこに行ってたの?8時頃に目が開いたときには
姿が見えなかったからどうしたのかと思ったんだけど・・・また寝ちゃったみたいだ」
「ああ、私、明日から富士岡でテストだから今日のうちに現地に
入らなくちゃいけないの。だからこれから静岡まで行かなきゃいけないから」
そう言って荷物をまとめたバッグをシンジに見せた。
「そっか・・・そう言えば僕も3日後にそこでテストだっけ」
それを聞いたアスカはベッドに座って笑顔でシンジに訪ねる。
「あっ、そうなんだ。じゃあさ、温泉行かない?温泉」
「温泉?」
「そ、いい温泉あるのよ。シンジがくるのは2日後でしょう?。
私はテストが打ち上げの日だからシンジが富士岡に滞在中はそこに泊まろうよ。
サーキットからも1時間弱だし・・・駄目・・かな」
「う〜ん。でもなぁ・・・」
「アンタ・・・昨日私にしたこと忘れてないわよね。
何しろ騙したんだからこれくらいつき合いなさいよ」
シンジは真っ赤になって反論する。
「だ、騙したなんて人聞きの悪い。
ただ綾波は大丈夫だよって言うのが遅れただけじゃないか」
「遅れただけで騙したことになるわよ。あんなに心配してた
私の気持ち知ってたくせに黙り込んで・・・」
アスカは頬を赤らめて言葉を止めた。
アスカは彼から離れて窓から見える景色を眺め、まだ頬を赤くしながら口を開く。
「ま、一晩一緒にいてくれた事については嬉しかったけど・・・
でも騙した罪は温泉で許してあげる。いいわね」
「・・・ちぇっ、分かったよ」
彼女は赤くなりながらもシンジに向かい嬉しそうに微笑んだ。
「でもさ・・・」
シンジの言葉に、笑顔に少しだけ怪訝な顔を混ぜる。
「・・・アスカって優しいね。
他人のことであんなに心配して・・・
他人のことであんなに涙を流して・・・
他人のことであんなに悲しんで・・・。
本当に心の優しい女の子だなぁって、
・・・昨日のアスカ見てるだけで涙が出てきそうだった。
こんな女の子と知り合えてホントに幸せだよ。
最初に会ったときは嫌な奴って思ったけど、僕が見る目なかったんだね」
真顔でそう言われてはさすがの彼女も少し赤くなっていた頬が
一気に真っ赤に紅潮する。
「な、な、な、なに言ってんのよ」
思わず第一声は口ごもったアスカだったが、
「ふん、馬鹿な奴ね。あんたって女の子に騙される典型的な男だわね」
アスカの台詞にシンジは首を傾げて聞き返す。
「それくらい自分で考えなさい」
そう言うとアスカは人差し指でシンジを示しながら傍らに置いてあった
バッグを手にした。
「いい?温泉、忘れないでよ。それと落ち着いたら電話するから部屋にいなさいよね」
アスカはきびすを返すと振り返ることなくシンジの部屋を後にした。
シンジはアスカの台詞を思い出しくすりと笑みを浮かべる。
「頬を染めてプレイガール装ったって、ね」
シンジは無言でベッドを見つめる。
「・・・でも、そんなところも良いところなんだけど・・・」
ベッドに行っていた視線を遠くに見える緑の山脈に移しながらシンジはそう呟いていた。
次回予告
もう・・・・この世界に君はいないんだよね・・・・
彼女を失ってから初めて存在の大きさを悟る。それが人の・・・・性なのか。