『 南へ 〜夢の狭間の物語〜 』
Written by みなる



2019年/ アメリカ/ロサンゼルス

窓の外には、薄いボイルのカーテン越しに、上弦の月が透けている。
今はその青白い光のみが、この部屋で唯一の灯かりだ。
目の前に視線を戻すと、横たわる私のほの暗い視界に映るのは、月の光を反射する、あなたの広い胸だけ。
鼓動を聞くかのような姿勢で、私はそこに頭をのせている。
遠くの波音と同じリズムの呼吸の上下に目を閉じて身を任せると、カーテンがふわりと揺れる気配がした。
なにもかもがけだるい。
先刻までの昂ぶりを放熱する肌の上を通り過ぎる風さえもが、ゆっくりと流れているように感じる。
今という時はさながら、目覚めていながら見る夢と、眠りながら見る夢の、狭間の時間だ。

「・・・・・・ねえ」

「なんです?」

「今日がどんな日か、知ってる?」

「なんかありましたっけ?えっと・・・誕生日、のわけないし・・・」

あなたは私の髪を梳いていた手を止めて、ひとりぶつぶつ呟き始めた。

・・・・・・ごめん。
そんなに考え込まなくていいわ。
あなたは約束、ちゃんと守ってくれたもの・・・。


***



一体 なに考えてんのよ!冗談じゃないわ!
私は心の中である人物を罵倒しながら、ネルフ本部内の通路をずかずかと、大股で歩いていた。

2016年/日本/ 第三新東京市
現在、サードインパクトから6ヶ月が経過。

超法規的軍事組織である特務機関ネルフは、全ての使徒を倒して、その使命を終えた。
ネルフは、対使徒戦の詳細データ編纂・エヴァの残骸の永久凍結等の残務整理期間あと半年の後、来年度には呼称も改められ、上記データの管理及びMAGIシステム汎用化研究、次世代コンピュータの開発等を行う、国連管轄の一研究機関へと移行することが決定している。
現ネルフ職員の大半・・・主に研究・開発・技術部門以外の者・・・はその際、国連の他機関や各国政府機関、民間企業へと転職してゆくことになる。

私もそのうちの一人だ。

先日、私が半年後に所属する組織の発足が正式決定した。
今日の午前中に呼び出され顔を出すと、私の上司となる男は、仮決定であるがという前置きとともに組織図を閲覧させてくれた。
そこに、彼の名前があった。

どういうつもりよ!

私は自室に着くなり、デスクの脇をがんっ、と蹴飛ばした。

私の新しい職場の正式名称は『国連科学技術評価局』、略称『UNOTA』。
要は「人類補完計画」のような暴走を科学者達が再び起こさないよう、ありとあらゆる権限と手段を用いて調査及び監視をするのが目的の組織だ。
「人類補完計画」の首謀組織だったネルフの人間である私がここに入り込むのは、当然容易ではなかった。
しかしそれは一般論であり、私には・・・かつて使徒に直接手を下せるポストを手に入れる為なら、戦争での人殺しさえ覚えた私にとっては・・・そう難しいことではなかった。

今度の仕事をする上でも、彼が部下であれば、大いに私の助けになることは分かっている。
彼・・・日向マコト二尉は、私が作戦課長として対使徒戦の指揮をとっていた頃、オペレーターとしても、戦況分析や作戦立案・実行補佐としても優秀な、私の右腕のような存在だった。
それ以上に。
私がネルフの裏側を調べていたとき、彼は危険を犯してまで、情報を集めてくれた。
最後の使徒との戦いのときは、私に命すら預けてくれた。

彼が私に、上司として以上の好意を持っているらしいことには、大分前から気がついていた。
真実を知りたくて・・・結果的には、それを利用してしまった。
そして恐らく、彼は全てを承知の上だった。

言葉にできないくらい感謝している。
・・・・・・でも。
なんだってそこまですんのよ!

机上のディスプレイには、私の承認を催促する経理からのメールが開きっ放しだ。
対使徒戦作戦実施時に於ける支出最終報告書、か・・・。
一応目を通そうと試みる。
元々こういう類の書類は苦手なのだが、今は一層、漢字と数字の羅列にしか見えない。

ああ、もうっ!!

ちょうどそのとき、このイラつきの原因が、ファイルを数冊抱えてやってきた。

「葛城さん。
こちら今月が期限の上に回す資料の原案ですから、ご確認願えますか?」

「わかったわ、ありがとう。
ちょうどよかったわ日向君。・・・・・・今夜、空いてる?」


***



「葛城さんが飲みに誘ってくれるなんて、初めてですよね」

「うん・・・ほら、サードインパクトの前には随分お世話になっちゃったじゃない?
そういえばなんにも、お礼らしいことしてないなあーと思ってね。
ここね、料理もいけるのよ。なんでも好きなもの頼んじゃって。
んーと、あたしは・・・やっぱこういう所では・・・とりあえずドライマティーニかな。日向君は?」

「じゃあ僕もそれで」

勤務終了後、私は日向君を飲みに連れ出した。
ここならお酒が美味しいし、落ち着いて話もできる。
しかし、恋人同士がデートに使うようなしっとりとした雰囲気は、決して醸し出さない。
私は注意深く、そういう店を選んだ。
高級レストラン直営のカクテルバーだけあって、食事もとても美味しい。
私達は、互いにお酒に関する蘊蓄を披露し合ったり、車やバイク、学生の頃にしていたスポーツといった話をした。
美味しいお酒と食事。
そして当たり障りの無い会話と共に過ぎ行く、和やかなディナータイム。
・・・ううん、むしろ。
私は思いのほか、この場を楽しんでいた。

考えてみたら。
私が本部に赴任してすぐに第3使徒が現れたから、プライベートで日向君とゆっくり向き合うのは、これが初めてのことだ。
彼は私より4つ年下で、おまけに童顔・黒縁眼鏡ときてるから、初めて会ったときには、随分育ちの良さそうなお坊ちゃんだな、と不安に思った。
しかし共に仕事をするうちに、そんな第一印象を、彼は見事にひっくり返してくれた。
そればかりか、仕事抜きの話し相手としても申し分ない。
それに・・・今まで気付かなかったけど・・・結構いい男じゃないの。
適度に鍛えられたことを窺わせる、私よりも太い腕と、広い肩幅。
少年のような、それでいて知的さも併せ持つ顔立ち。
まっすぐに私を見て話す、眼鏡の奥の瞳。
ちゃんと撫で付けられた髪・・・。

・・・あいつの頭は、ぼっさぼさの伸び放題だったわ。

きちんとプレスされたシャツ。

・・・・・・プレスどころか、ボタンだってちゃんと締められなかったんだから。

髭だって、きっと毎朝剃ってるわね。

・・・・・・いつ会ったって、無精髭生やしてた。

目の前の彼は、なにもかもが違っている。
・・・・・・もういない、でも私の胸にずっと棲んでるあいつとは・・・。

そう。確信できる。
あいつ・・・加持リョウジは、この世界にいない。

あの日。
私はシンジ君を第7ケージへと送り出した後に、倒れた。
戦自兵士よる銃創は致命傷の筈だから、今目を閉じたら、もう二度と目覚めないだろうと直感しながら・・・。
なのに私は目覚めて、しかも中に浮いていて、足元には焦げた自分の屍が転がっていた。
そして目の前には、私を見つめるレイがいた・・・・・・。
それから程無くして始まった、サードインパクト。
全ての人類を、次々と包み込んでゆくLCL。
これが、欠けた心の補完、てやつ?
どこまでも私で、どこからが他人なのか、明確な境界を失った世界。
胎内回帰ともいうべき絶対的な安心感。まさに理想の世界。
そのオレンジ色の海に、とろん、と漂っているのは、確かに悪い気分じゃなかった。
・・・でも。
私は還ってきた。
シンジ君が、希望を持って再生したこの世界に。

・・・・・・ヒトは互いに分かり合えるかもしれない・・・・・・

それは私の願いでもあるから。

戻る前に、私は加持を捜した。
必死にあいつの気配を感じ取ろうとした。
けれどもそれはどこにもなくて・・・・・・それでも私は、還ってきた。

「葛城さん、どうかしましたか?」

「え!?あっ、なんでもない。ごめんね」

「酔っていらっしゃるのでは?帰りは家までお送りしましょうか?」

「あら、あんなの飲んだうちに入らないわよ、平気平気。
日向君もまだ飲めるでしょ?」

いけない。
感傷に浸ってる場合じゃなかった。

・・・そろそろ本題に入らなきゃ。

今日はアルコール、少し控えておこうかな。
私に勢いをくれつつ、冷静な思考を掻き乱さない程度に。

「私ビア・スプリッツアー頼むけど、日向君は?」


***



私のビア・スプリッツアーと、日向君が注文したギムレットがテーブルに静かに置かれたところで、私は和やかなディナータイムに終止符を打つことにした。

「今日、UNOTAへ行ってきた。
驚いたわ・・・。組織図見たら、私の名前の下に日向君載ってるんだもの。
・・・・・・どういうことか説明して」

私は意識して、上官が部下に対するときの口調を使って、彼に返答を求めた。
だって日向君、あなた、変よ?
上司となる男に、念のため彼が志願した日も尋ねたところ、私のUNOTA入りがネルフ内で公にされた2日後だった。
・・・そこのところ、ちゃんと聞かせてもらうわよ。
そしてもし、納得出来ないような理由だったら。
だとしたら・・・でもそれは、私のせいか。

「いいですよ、あなたと一緒なら・・・」

最後の使徒戦で、私が本部施設の爆破を頼んだときの彼の言葉。
今思えばそれは、私のためになら死ねる、という意思表示。
これ以上にない、愛の告白だったのだ。
こんなに大切な言葉を受け取っておきながら、私は「ありがとう」としか答えていなかった。
これでは、前に初号機ケージでの軽口めいた口説き文句を無視して受け流したのと、さして変らぬではないか。
だから今日は、ちゃんと言ってあげなくちゃ。
日向君のようないい部下を持てて、ほんとに良かったと思ってること。
・・・でも日向君が私を想ってくれるようには、私は日向君を想っていない、ってこと。

彼はまるで、私が面接官ででもあるかのように、淀みなく志望動機を述べている。

・・・科学は人が生きてゆく上で必要不可欠であり、使徒を殲滅したのもまた科学である。
しかし一握りの権力者と科学者がそれを所有し、人類の幸福というものを定義づけて良いものだろうか・・・。

彼の話は、私が先日並み居るお偉方を前にして語った内容に、不思議なくらい酷似していた。
なあんだ。
日向君も、私と同じような事考えてたんだ。
そうよね。いくらなんでも、日向君はそこまで自分を見失うような人じゃないよね。
もしかしたら志願日のことは、ほんとうに偶然なのかもしれない・・・。

またしても上の空になりそうだった私をこの場へと引き戻したのは、逆に彼から私への、意外な質問だった。

「僕も葛城さんにお聞きしたいことがあるんですけど」

「・・・・・・なにかしら?」

「初号機へのルート確認でしたよね、確か。
サードインパクトの前の、葛城さんとの最後の通信の内容。
あれから僕は初号機射出確認後すぐに、R−20から第2発令所へ戻る際の使用可能ルートを連絡しようと、三度試みました。
でも三度とも繋がらず、結局葛城さんは戻らなかった。
答えて下さい・・・・・・あの後あなたに何があったんですか?」

「・・・どうしてそんなことが知りたいの?」

「それが、僕がUNOTAを志願した、もう一つの理由だからですよ。
それが聞きたくて、こうして誘って下さったんでしょう?」


***



ぬるそうなギムレットの残りを一気に飲み干し、日向君は続けた。

「葛城さん。
あのときあなたは、かなり危機的な状況に置かれていた。
もしくは既に命を失われていた。違いますか?」

「ちょっちドジって脇腹撃たれただけよ・・・」

死んでいた、なんてそうそう言えることじゃない。私は言葉を濁した。
しかし彼は、そんな私の様子でだいたいのことを察したらしい。

「やはりそうでしたか・・・。
あのとき葛城さんが僕に、後よろしく、って言って出て行かれた時から、なんか嫌な予感がしてたんですよね。
あのときの葛城さん・・・まるで殉職を決意した軍人、って顔してましたから」

「殉職を決意した軍人の顔ねえ・・・。的確なたとえ・・・違う、そのものか」

確かにあのときの私は、シンジ君を初号機へと無事送り出せて・・・それは命と引き換えだったけれども・・・満足だった。

「葛城さんって、普段から大胆な・・・はっきり言ってしまえばちょっと無謀とも思える作戦ばかり立てるし・・・。
結局それがベストの方法で、しかも全て成功させてしまうところは尊敬してますけど、なんかこう、危なっかしい感じがずっとしていて。
そんな葛城さんのこと、仕事の上だけでも支えられるのって、僕にとってはすごく嬉しいことだったんですよね。
でも、僕に裏の仕事を頼むようになった頃から、あなたがひどく思いつめている感じがどんどん強くなって・・・。
そこへきて、あの顔であんなこと言われてその後連絡が途絶えたら、心配するなと言う方が無理な話ですよ。
サードインパクト後にあなたの姿を見つけた時には、本当にほっとしました。
それで思ったんです。
もう、あんなふうに心配で胸が潰れる思いはたくさんだ。
あなたのことは僕が守ろう、守れる所にいつもいよう、と。」

・・・ほらやっぱり。
昼間思った通りだった!
怒りにも似た感情が込み上げてくる。

「やっぱりそういうことだったのね?ちょっと待ちなさい!!
冗談言わないでよ。そんなんで仕事決めちゃったりしていいわけ!?」

日向君は動じない。

「だからさっき、もうひとつの、ってちゃんと言ったじゃないですか。
先にお話したほうの理由で、僕が自分の実力でUNOTA入りを果たした。
このことに何か問題あります?」

「呆れた・・・確信犯、ってワケね?
あなたが自分でよく考えた上でのことなら、私には何も言う権利はないわ。
・・・でもね。
私、日向君の気持ちに・・・日向君が望むような形では答えられない。それで平気なの?」

「僕が一度でも何か見返りを要求したこと、ありますか?」

やわらかな、しかしまっすぐな瞳が私に向けられた。

この瞳・・・。
そういえば、日向君はいつもこんな目をしていて、そしていつも優しかった。
サードインパクト直前のことは言うまでも無く、そのずっと前から・・・。
私は、日向君と知り合ってから今までのことを、急にたくさん思い出した。
私が立案した作戦の、面倒な部分はみんな彼がしてくれていたこと。
公私混同もはなはだしい用事さえ、快く引き受けてくれていたこと。
それに、私が疲れていたりするといちばん先に気付くのは、いつもいつも彼だったこと・・・。

「なんでそんなに優しいのよ・・・。」

今まで気付かなかった日向君の優しさが、あまりにもふいに温かく、眩しく射し込んでくるから、私はもう、彼の瞳を直視することができない。
どうしよう。
そんなにされたら・・・縋ってしまいたくなる。

「あ!!」

急に彼が頓狂な声をあげた。

「な、なに・・・?」

私は驚いて尋ねる。

「今思えば、諜報部にハッキング仕掛けたときとか、マヤちゃんのデータ盗んだときとか、ご褒美にキスくらいして貰えば良かったなあ・・・。
なんでそのとき思い付かなかったんだろう・・・」

「・・・ばか」

せっかく少し、ほだされかけてたのに。

「そんな顔しないで下さい、冗談です・・・済みません。」

彼は私の表情を読み違えたらしく、叱られた子供のような顔で、肩をすくめて小さくなってしまった。
しかし私が怒っていないことを告げると、すぐに元のように背筋を伸ばして、こう言った。

「とにかく、今度の職場でも、何もかも今まで通りですよ。
・・・それでいいじゃないですか。
それより、あの、もう一杯頼んでもいいでしょうか?
喋り過ぎたみたいで喉が渇いて。」

「え、ええ・・・いいわよもちろん・・・」

それからの私達は、なぜか格闘技の話で盛り上がった。
私はアルコールを控えるのをすっかりやめてしまった。
日向君も顔に似合わず案外イケる口らしく・・・ウォッカやテキーラベースのものばかり、続けて3杯も飲んでいた。

今日は日向君の気持ちにきちんと答えなきゃ、と気負ってここに来た筈だった。
しかし結局、これでは今までと何も変わらない。
却って、日向君に対する自分の気持ちが、ますます分からなくなった。
私の中には加持がいる。
日向君への気持ちは、愛とは呼べない。
なのに、日向君が目の前で広げて見せる温もりを、手放すことがどうしても出来ない。
昼間あんなにイラついたのはきっと、日向君の行動が、そんな私になんらかの決断を迫るかのように思えたからだろう。

・・・ほんとになんにも変っていない・・・救いのない女だ。

でも。
私は心の補完を拒み、あくまでも私として生きる事を望んで戻ってきた。
だからそれでも、仕方がないのかもしれない。
そんな自分を、絶望せずに受け入れた上で、立ち向かうこと。
それが、私であることを生きる、ということなのかもしれない・・・。

急に、がたん、と大きな音がした。
音のほうを向くと、日向君が立ち上がりかけのような姿勢で、片肘をテーブルについて身体を支えているのが見えた。

「ちょ、ちょっと日向君?!どうしたのよ?」

「すみません。お手洗いに行こうと思ったら足元が・・・」


***



あーもう、なんて重たいんだか!
私は、一人では歩く事もおぼつかなくなった日向君をタクシーに乗せ、肩を貸しながらどうにか彼の部屋のベッドまで運んで、本当はそっと寝かせてあげたかったのだが重くて・・・心ならずも大きな荷物みたいに放ってしまった。

「うわっ、ごめん!大丈夫?」

「平気です。迷惑かけてすみません・・・」

「いいわよ、気にしないで。
でもどうして、あんなに強いのばっかり飲んだりしたの?
そんなには強くないんでしょ?
あんなふうに飲んだら私だってこうなるわよ、まったくもう・・・」

私は冷蔵庫からミネラルウォーターを見つけ出してコップに注ぎながら、つい不平をこぼしてしまう。
日向君は差し出されたそれを一口飲んで答えた。

「怖かったんですよ」

「・・・なにが?」

「葛城さんが今日誘ってくれたのは、僕のUNOTA入りを知った事に対する反応だってこと、初めから分かってましたから。
・・・チャンスだな、と思いました。
あなたが僕を愛していないことは分かっています。
加持さんを忘れられないでいることも。
それでも僕は、あなたの側にいたいと思った。
・・・それがどんなに辛いことでも。
だからもし今夜、はっきりと拒絶されたら、あなたのことを吹っ切れて楽になれるのかもしれない・・・。
そういういい機会だと思ったんです。
でも・・・覚悟はしてたけど、怖かった。
僕のことは好きじゃない、迷惑だからもう付きまとうな、っていつ聞かされるんだろうと思って・・・。
それを待ってた筈なのに・・・やっぱり怖かったんですよ。
葛城さん・・・言わなくて良かったんですか?」

「・・・・・・・・・・・。」

思わず答えに窮してしまう。これは多分、そんな私を見抜いた上での問いかけ・・・。
酔ってるくせして、鋭いところは変わらない。

「今日、デートみたいで楽しかったな。
葛城さんは楽しかった?」

「ええ、楽しかったわ。」

これだけは、今の私にさえ確かな気持ちだった。

「そうですか・・・よかった」

安心したのだろうか、彼は目を閉じた。
眠るの?
だったら、眼鏡は危ないから取ったほうがいいわ・・・。
顔に手を伸ばしかけたら、その腕をふいに掴まれた。

「葛城さん。
もし、あなたの心にほんの少しでもいいです、僕がいるなら・・・。
付き合ってみませんか?騙されたと思って。
・・・僕、あなたを幸せにする自信、ありますよ」

・・・まったく。

「自力で歩けもしないくせに何言ってんだか。手、放しなさいよ・・・」

きつくたしなめるつもりだった私の声は、やんちゃな男の子を寝かし付ける母親のような響きを帯びていて・・・。
そのことに、私は自分でも戸惑ってしまった。

部屋を冷やし過ぎぬように空調を設定し、目覚し時計をセットして、日向君の部屋を後にした。
よく晴れた夜空の下、私はシンジ君とアスカが待つ家へと続く緩やかな坂道を、一人で歩いていた。

そういえば、こんなふうに夜道を歩いてるときだったっけ。
加持君とよりを戻したの。
ねえ、加持君。
あなたのいないこの世界で、私が生きていく先には、どんな未来があるんだろう?
なんにも分からないけれど・・・もしかして、ほかの男を愛せる時が来るとしたなら。
「生きるってことは、変るってことさ」
あなたが言った言葉よね。
だからそのときは、ごめんね・・・。

・・・日向君。
ほんとうに、私でいいの?
私きっと、ものすごく面倒な女よ?
お父さんの影を重ねずに、ちゃんとあなた自身を愛せるかどうか。
どうしても確かめなくちゃいけなくて・・・そして正直、まだ自信がないわ。
でも、今、これだけは誓える。
優しくしてくれる男なら、誰だっていいわけじゃなく。
私は・・・日向君、あなたに愛されてみたい・・・。

一瞬、ひんやりとした夜風が、酔って熱を持った頬を心地良く撫でていった。
・・・四季が戻り始めている?
驚いて見上げた空に浮かぶ月は青白くて、レモンのような形をしていた。
なんだか無性に、今日という日がとても大切なものに思えてたまらなくなる。
この月の形は、きっとずっと忘れられない・・・そんな予感が私を包んだ。


***



翌朝出勤すると間もなく、通路で彼の姿を見かけた。

「おはよ、日向君。ちゃんと朝起きられたのね。」

「あ、葛城さん・・・。
昨日はごちそうさまでした。それと・・・すみません!
あの・・・葛城さんに何か失礼な事、していないでしょうか?
僕かなり酔ったみたいで、記憶があんまり無いものですから・・・」

「えっ?記憶、ないの・・・?
どこまで覚えてて、どこから忘れちゃったの?
とても重要なことなんだから、すぐに思い出しなさい」

「ええっっ!あ、あの・・・僕、何を・・・?」

・・・やだ、うろたえないでよ。
私に言ってくれたこと、ほんとうに忘れちゃったの?
・・・・・・まあいっか。
それならばもう一度、今度は本当の、初めてのデートをしましょう・・・・・・。

「大丈夫。昨日は楽しかったわ、ほんとよ。
ねえ今度はさ、日向君の知ってる店に飲みに連れてってくれない?」

彼の眼鏡の奥の目が一瞬、信じられないと言いたげに大きく見開かれる。
しかしすぐに、

「わかりました。僕もいい店知ってますよ。」

彼はやわらかな笑みを浮かべて、まっすぐに私を見つめ返した。



***



遠くからかすかに波の音がするこの部屋には、さっきよりもやや低いところから、青白い、上弦の月の光が射し込んでいる。

「・・・窓の外、見える?
3年前の今日の月もね、これとおんなじ形してたのよ・・・」

「あのとき僕、そんなこと言ったんですか?全然覚えてなかったなあ・・・」

「・・・ひどいのね。
でもいいわ・・・覚えてなくても、あなたの言ったとおりになった。だから、許す」

「ミサトさんは今、幸せ、ってこと?」

「・・・当たり前のこと聞かないの」

彼は満足げに、私の左耳あたりの髪をくしゃっ、と乱した。
そして、

「明日の出発は早いから、もう寝たほうがいいですよ・・・・・・おやすみ」

と私にキスをして、眠りに就いた。

明日私達は、ブエノスアイレスに向かう。そしてそこから、南へと向かう船に乗る。
これが私達の新婚旅行なのだが・・・行き先を告げると、みんな驚いていた。
アスカには、

「あーんなところにハネムーン!?
・・・ちっともロマンチックじゃないわね。
まあミサトにロマンチックを期待するのも、無理な話か。日向さんも大変よね」

なんて言われてしまった。
何も言わずに分かってくれたのは、リツコだけだった。

「調査隊に同行だなんて、公私混同もいいところよミサト。
でも・・・ご報告かしら?気を付けていってらっしゃい」

そう、報告。

・・・お父さん。
私ずっと、お父さんのこと憎んでた。
母さんよりも、私よりも、研究の方が大切なんだろうって。
だったら家族なんか作らなきゃよかったじゃない、って。
でもね。今ならなんとなく、分かるような気がする。お父さんのこと。
・・・お父さんがちゃんと、私を愛してくれてた、ってことも。
お父さん、きっと寂しかったよね。
夢中になれる研究と、愛する家族のどちらも欲しくて、なのに両方は得られなくて。
だからといって、どちらかを選ぶ事もできなくて・・・。
きっと、胸が引き裂かれるような思いがしたでしょう?
ごめんね。
もっと早く、分かってあげられたら良かった・・・。

気付かせてくれたのは、すぐ横でやすらかな寝息を立てている、この人。
彼が溢れそうなほどに愛してくれたから、ようやく私は、愛情に飢えた小さな子供じゃなくなることができた。
そうなって初めて、お父さんの気持ちを考える余裕が生まれて・・・。
私はそのときに、ただひたすらに愛されることを乞い願うのではなく、人を愛することを覚えたのだと思う。
そして・・・幸せになりました。
だから。
お父さん。
あのとき私を助けてくれて、ほんとうにありがとう。
もうすぐ心からのお礼を言いに行きます。
私の大切な人と一緒に。


・・・・・・お父さんの眠る、南極の海へ・・・・・・。



The End



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