第七話 「もう、独りじゃない」(Cパート)

written on 1996/12/3





 そして全ての料理が出来上がった。

 リビングのテーブルに運ばれた料理を前にして、二人は向かい合って腰を
下ろしていた。
 ケーキの飾り付けはいたってシンプルだったが、クリームといちごだけは
ふんだんに盛りつけてある。
 二人の好みが一致したのはもちろんだが、シンジが止めるのも聞かずに、
こぼれんばかりのクリームを盛りつけたのはアスカの仕業だ。
 そしてそれらの隙間には、所狭しと19本のロウソクがひしめき合ってい
た。


「ちょっとやり過ぎかな?」
「いいじゃない。景気よくって」

 ケーキの上で顔を合わせた二人は、浮き立つ心を押さえきれず、微笑みあ
った。

「火、つけるわよ。ほら、シンジもマッチ持って」

 アスカは点火用ライターで、シンジは次々にマッチを擦りながら、全ての
ロウソクに火を付ける。
 アスカが部屋の明かりを二段階落とすと、テーブルの周辺がぼんやりと照
らし出された。

 揺らめくロウソクの光り。
 テーブル越しに映し出される二人の姿。

 アスカの計画通りロマンチックな雰囲気が漂う、

 ――はずだったのだが、予想以上の炎と煙に、アスカが慌てて声を上げる。

「シ、シンジ! 早く消しちゃって!」
「う、うん」

 大きく息を吸い込んだシンジは、2度、3度と息を吹きかけて、ようやく
炎を全て吹き飛ばした。
 ほっと一息つくアスカ。

 そして、

「誕生日おめでとっ、シンジ!」

 ロウソクが消えたおかげでぼんやりとしか見えなかったが。
 アスカの笑顔がシンジにははっきりと感じられた。


 もう記憶にもはっきりと残っていない懐かしい瞬間。
 こうやってテーブルを囲んでいた頃の両親の顔は、もう霞んでしまってぼ
やけたイメージしかないけれど。
 
『おめでとう』

 脳裏に浮かぶかすかな記憶。
 暖かい気持ちになれる声だった。
 嬉しかった。

「おめでとう、シンジ!」

 そしてアスカの声。
 今、目の前にいて僕の誕生日を祝ってくれる大事な人。


「……ありがとう」

 シンジの瞳がわずかに潤む。

「ありがとう……アスカ……」

「な、なに言ってんのよ。そんな……照れるじゃない」

 まさかこんなに感動してくれるとは思わなかったアスカは、照れ隠しか、
ことさら軽い口調で続けた。

「ったく辛気くさいんだからぁ。おめでたい日なんだから、もっとパーっとや
らなきゃ!」

「……うん。そうだね」

 アスカは部屋の明かりを戻すと、まだ目を赤くしているシンジにグラスを
押しつけて、ワインをなみなみと注いだ。

「あ……それくらいでいいよ」

 今度はシンジがアスカにワインを注ぐ。

「お酒飲むんだ」
「少しだけね。シンジは?」
「付き合い程度かな。大学に入ればなにかと飲む機会も多くなるし。それ
にトウジが時々お酒持ってうちに来るんだ」
「鈴原がぁ? あの男もヒマなのね〜。そんな時間があるなら、ヒカリと遊
んでればいいのに」

 最近そのコトについてトウジから愚痴を聞かされているシンジは、ちょっ
と苦笑いを浮かべながらも、相づちを打つ。

「それじゃ、そろそろ……」
「そうね。じゃ、はじめよっか」

『乾杯!』

 グラスを合わせる音とともに、二人の声が、二人だけの部屋に響きわたっ
た。


      *          *          *


 自分の部屋ということもあってか、アスカは快調なペースで飛ばしていた。
 まだ一杯も飲み干さないうちから、首もと辺りがほんのりと赤く染まり始
め、ここ最近の出来事を大げさな身振りを交えて話し続けている。
 シンジは聞き役に徹して、アスカの話に相づちを打つばかりであった。


「他人に演出される人生なんてお断り」

 話題はいつのまにかアスカのバイト先のことに移っていた。

「そいつ、お金と優越感をくれるって言うのよ。ま、あたしも嫌いじゃないけ
どさ。でもお金なんて、他にいくらでも稼ぐ手段はあるし、あたしが欲しい
のは優越感じゃなくて自信。他人と比較するんじゃなくて、自分で自分に納
得したいの」

 くいっと、アスカがグラスを空にした。

「……なーんて、ちょっとかっこいい?」

 そう言うと、おどけた調子で笑うアスカを見て、シンジは暖かいまなざし
を返す。
 もう、あの頃の脆さや弱さは微塵も感じられない。

 さらにアスカの言葉は続く。

「あ、でもね。逆に説得してTV局のアルバイトをやらせてもらうことにし
たの。最近ちょっと映像に興味もっちゃってさ」

 両手の指でファインダーの形を作るアスカ。

「セカンド・インパクト以来、ビデオジャーナリストがどんどん増えてるじ
ゃない。あれで世界がガタガタになっちゃったから、小回りきくのが便利
なんだって」

 そして、シンジの知らない観点から、世界の情勢についていくつか話した
後、

「自分で言うのもなんだけど、それなりに自分のこと頭が良いと思ってた。
 もちろん努力もしてたつもりだけど、あの年で大学を卒業できるヤツなん
てそうはいなかったわ」

 ふとアスカは遠い目をする。

「でも、アレに乗る必要がなくなってから思い知ったんだけど、学校で教え
られるような勉強以外はてんでダメだったわねー。経験から身に付く知識
の大切さを知らなかった。なんて偏った世界にいたんだろうって。
 結局あたしも箱庭の中で育てられてたってワケね」

 徐々にアスカの言葉に熱が入ってくるのをシンジは感じていた。

「それに……やっぱり気になるのよ。
 セカンド・インパクトの影響で世界に何が起こったのか。
 あたしたちが使徒と戦う陰でどれだけの犠牲があったのか。
 そもそも使徒って何? ネルフの実態は?
 シンジの父さんが何を考え、何をしようとしていたのか。
 あたしは知りたいし、伝える義務があると思うの。
 自分の中でモヤモヤしてるのにケリを付けたいってのもあるけどね」

 アスカは一気にそこまで話すと、シンジの視線がじっと自分に注がれてい
るのに気づいた。

「ん? あたしばっかりしゃべって、つまんなかかった?」

 心配そうなアスカを安心させるように、シンジは努めて優しい声をかけた。

「ううん。そんなことないよ。ただ……やっぱりアスカって凄いなと思って。
 僕も昔のことは忘れられないけど、向き合うのがつらくて逃げてるような
気がするんだ。もう過ぎたことだからってね。
 ……でも、そうだよね。当事者である僕たちにしかできないことがあるの
かもしれないし。アスカを見てるとなんだか元気が出てくるよ」

「なに言ってんの。そんな偉そうなコト言ってるワケじゃないわ。
 強いて言えば、あたしの性分といったところかしら」

 そこまで言うと、アスカは突然グラスを置いて 、

「……あ、そうそう」

 と、思い出したように腰を上げた。
 シンジが心配そうに身体を支えようと手を伸ばすが、アスカの言葉に遮ら
れる。

「大丈夫よ。顔はすぐに赤くなるけど、お酒には強いの」

 そしてにやりと笑うアスカ。

「お酒に弱い女じゃなくてがっかりした?」

「な、なに言ってんだよ!」

 顔を真っ赤にして反論するシンジに、ジョークよとでもいいたげに手をひ
らひらさせながらアスカは部屋を出る。
 そしてしばらくすると、大きな包みを持ってリビングに戻ってきた。

「はい。これ、プレゼント」

「あ……わざわざ……ありがとう。ホントに貰っていいの?」

 シンジは、プレゼントとアスカの顔を交互に見比べながら、すまなさそう
に言った。
 そしてアスカが頷くのを確認すると、

「開けていい?」

「別に構わないわよ。たいしたモンじゃないけどね」

 丁寧に包みを開いてシンジが取り出したものは、今はもうほとんど手に入
れることのできないチェロの名演奏を収めたLP盤だった。
 シンジの目が大きく見開かれる。

「うわぁ! これ……どうやって手に入れたの?」

「ま、いいじゃない。そーゆーコトは。プレイヤーはまだ持ってたわよね」

「うん。持ってるけど……ホントにありがとう」

「あんたも未練があるみたいだしね。これからも続けるんでしょ?」

「まだはっきりと決めてるわけじゃないけど……
 今のところはそのつもりだよ」

 シンジは大切そうに包み紙を元に戻しながら、もう一度アスカの顔を見て
答えた。


<Dパートへ続く>



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