第三新東京市は変わっていた。
 市街中心部から、真南に真っ直ぐ伸びた巨大な地割れによって。
 整然とビルが建ち並ぶ中、その一部を、または大部分が綺麗に切り取ったように消えて無くなっている。それは地割れなどと言う生やさしいものではない。
 それは地峡だった。













「よくも、よくも!おまえ達さえ、使徒さえいなければっ!!!
 殺す!使徒など一匹残らず殺し尽くしてやる!」

 その叫びと共に、グレートサーベルが咆吼した。

ドンッ!!

 空気がとんでもない圧力で爆発し、台風以上の暴風がゴジュラスを中心に吹き荒れる。
 グレートサーベルの口から放射される、圧倒的な力が真っ直ぐに使徒の中心を貫き、そのまま空のかなたへと消えていった。

「キュアアアアアッッ!!!」



















 上空からの高々度写真、地面から写した写真、その他様々な情報や資料を見ながら、ユイがほうとため息をついた。
 ため息をつくのも無理はない。
 あれだけの手間と時間、金、人を使って作り上げた第三新東京市がずたずたに切り裂かれたのだ。比喩でなく、本当に。
 幸い、重要な区画はほとんど破壊されなかったが、それでもどれくらいの予算が修復に必要になるか。考えるだけで彼女の頭は痛くなっていた。
 尤も、一番痛いのは突き上げをくらう立場の冬月だが。

 それまで説明をしていたナオコが、そのため息を合図と取ったのか適当な椅子に座ると、質問はない?と言わんばかりに意味ありげな目で、その場にいた面々 ーー ユイ、キョウコ、冬月 ーー を見る。

「幅最大で200メートル、最小で40メートル。深さは最大20メートル」
「レーザーで焼き切ったみたいね。長さは10キロメートルを越えているわ、ユイ」
「射線が完全な水平でなく、少し上を向いていたことと、地球の丸みがもう少し緩かったら、もっと被害は広がっていたでしょうね」

 ナオコの言葉に、あらためてその破壊力を思い知ったのか、室内が沈黙に包まれる。
 だが、恐る恐ると言った感じでそれまで腕組みして考え事をしていた冬月が口を開いた。

「一体これだけのエネルギーをどこから引き出したのかね?ゴジュラス、それにグレートサーベルの持つ全エネルギーを用いてもこの100分の1以下のはずだ」
「そうです。その点が我々にもわかりませんでした」

 ぴくんとユイの眉が上がる。

「でした。過去形と言うことは今はもう?」
「ええ。あの攻撃・・・MAGIの命名では『エクスキューショナーズ・ソング』はN2爆弾30個以上の破壊力を有しているわ。それこそ、全てを爆弾みたいに解放したら関東が消えてなくなりかねないくらいのね。
 それだけのエネルギーをどこから出しているのか・・・。
 調査の結果、エクスキューショナーズ・ソングには反作用がないことがわかったわ」

 反作用。
 何かを押せば、同じ力で押し返される。また、何かを引っ張れば同じ力で引っ張り返される。物理学の絶対法則。
 だがゴジュラスはそれを無視した。これが意味することは・・・。

「それは・・・・物理法則に反しているわ。あり得ない!」

 キョウコの叫びを聞くまでもないナオコは落ち着かせるように、そっと彼女を見た。

「物理法則に反しているのは使徒も同じ。今更よ。
 話を戻すけど、エクスキューショナーズ・ソングには反作用がない。正確に言えば、反作用になるはずのエネルギーをも、射出しているみたいなのよ。それこそ、空間をねじ曲げたみたいにしてね」
「単純に2倍ね。でもそれだけじゃ足りないわ」
「ええ。これでもまだ足りない」
「それでわかったの?何をエネルギーにしたのか?」

 ユイの真っ直ぐな視線に、ナオコはコクンと頷いた。

「まだ推察の域を出ないけど・・・。
 おそらく、魂それ自体を」
「じゃあ、グレートサーベルは・・・」
「二度と動くことはないわ」















METAL BEAST NEON GENESIS

機獣新世紀
エヴァンゾイド



第4話

「見るものをなくした夢は覚めるしかない」



作者.アラン・スミシー














 青い、青い、ただ、青い空。白い、白い、白い雲。
 思わず一句ひねりたくなるような大空を、巨大な三角形が飛んでいる。三角形、もとい新型ゾイド『カノンフォート』を吊した長距離輸送用全翼機である。その長大な翼の中心で、カノンフォートは静かに息をしていた。これから待ち受けることも知らずに・・・。
 雲の上を豪快に飛んでいた、全翼機の前方に巨大な雲の固まりが姿を現した。
 パイロットがそれを確認するのとほぼ同時に無線が入ってくる。


『エクタ64より、ネオパン400。前方航路上に竜の巣・・・・・じゃなくて積乱雲を確認』
『ラピュタはこの中だ!』
『くしゅん』

 寒。

『あ〜あ言っちまったよ』

 誰かの呆れ返るなんてものじゃ追いつかない、冬眠から目覚めたばかりの蛙のように疲れ切った声が響いた。もちろん、機内はガチガチだ。
 しばらく気まずい沈黙が漂うが、やがて先のパイロットが口を開いた。全身から漂う雰囲気はザ・負け犬。歴戦の空の勇士だということが信じられない。

『・・・・・・畜生、笑え〜!!!』
『わかったから、宙返りは、機銃の乱射はやめろぉっ!!』
『はっ、俺は一体?
 ・・・・・・すまん、忘れてくれ。ネオパン400確認。積乱雲の気圧状態は問題なし。エクタ32より若干進行スピードが遅れている。航路変更せず、到着時刻を厳守せよ』

 パイロットはそれだけ早口で言いきると、ふうと重いため息をつきながら背もたれに寄りかかった。いたたまれなかったという理由ももちろんあるが、自分が運んでいるもののことを思い出したのだ。

 カノンフォート。
 全身を青い金属装甲で覆われた、体長20mを越える戦闘機械獣。
 対ダークゾイド用に開発された1号機。
 大型ゾイド『ディバイソン』と同じく、バッファローに酷似したそのゾイドは、つい先日までネルフアメリカ第1支部で再生作業が行われていた。それが第2支部消滅に恐れをなした、アメリカ政府により第三新東京市の本部まで送り返されているのである。もちろん消滅の原因はゾイドではないのだが、情報操作されているからか素直にアメリカはその情報を信じて送り返すことにしたのだった。
 今はピクリとも動かないが、その湾曲した角と背中の巨大な粒子砲の銃口が禍々しい。
 輸送中のパイロット達も、いきなり暴れられたらただじゃすまないことを知っているため、知らず知らずの内に軽口を叩いていたのだが、冗談ごとじゃなく寒かった。

 余談だが実際はカノンフォートだけでなく、その他の数体のゾイドと共に送り返されている。まずは先発としてカノンフォートだけが空路で送られているところだった。そしてメインであるD4と他のゾイドはその大きさ故に、海路でゆっくり輸送中だった。

『エクタ64、了解』

 先を行く僚機と差をつけられて少しばかり焦りの入ったパイロットは、グッとレバーを押して、出力をあげた。レバーの抵抗に比例するようにジェットノズルから吹き出す火柱が太くなり、そのまま全翼機は目の前に広がる、巨大な積乱雲に突っ込んでいった。機体が激しく揺さぶられ、至る所でセントエルモの火が走るがパイロットはなおも出力をあげていく。

『ラピュタは本当にあったんだ!』

 いい加減にしなさいって。









 全翼機のパイロットが何か喚いていた時から数えて数時間後、翌日の朝とも言うが一台のトレーラーが人気のない道を突っ走っていた。乗員はミサトとリツコの二人である。2人とも、お互いの目を見ようともせずに無言のまま。ミサトは窓を開け、運転に集中しているのかいないのか、ぼんやりした顔のままトレーラーを運転している。リツコは膝の上のノートパソコンに目を落としたままだった。
 かちゃかちゃと何かを、揺れる車内にも関わらず操作していたリツコだったが、一瞬だけミサトに目を向けると、顔も上げずに話しかけた。

「じゃあ、まだシンジくん達完全に立ち直ってないの?」

 リツコがたずねているのは、マユミが欠けた後のシンジ達の様子である。
 『毎日顔を合わせているだろう』とか、『あんた隣に住んでいるじゃないか』等々の意見もあるかも知れないが、事はそう単純ではない。今決めた。
 研究者として健康管理や実験などで顔を合わせる機会はあるが、個人的にはそんなに会話するわけでないため、リツコは彼らの生活レベルの様子を良く知らないのだ。何より徹夜ばっかりで家に帰れるのは2週間に一回あるかないかの生活だ。
 これじゃますます婚期が遅れちゃうわ。とかなんとか思っているのは公然の秘密。

 そんなことを考えているとも知らず、ミサトがリツコの顔も見ないで返事する。少し顔が険しいのはシンジ達のことを思ってか、それとも8年ぶりに加持を巡っての女の争いに対する怒りか。たぶん、後者だ。

「まだまだ。みんな落ち込んでるわ。ただ何を言われたか知らないけど、シンジ君だけが多少は立ち直っているけど。他の子達はなかなかきっかけがね・・・。下手なことをしてやぶ蛇になるのが怖いのよ。あの子達に限らず、子供って時々何考えてるのかわからないし」
「もっとしっかりしなさい。あなたは指揮官でしょ?」
「うん」

 ちょっとだけ素直にミサトは頷いた。リツコから見たら、いやリツコじゃなくたって何だかなあと言う雰囲気ではあるが、あまりそう言うことにこだわらないタチのリツコは、少し笑っただけですぐ目の前の作業に意識を戻した。友情熱いと言えるかもしれない。
 と、今度はリツコに代わってミサトが逆に質問した。

「で、いつ呼ぶの、鈴原君」
「そうね。明日になるわね。準備も色々あるし」

 ここまでは、いつもとかわらない普通の会話。空気の流れも、2人の関係もかわらない。だがその後のミサトの質問は少し違っていた。

「彼女の方は?」

 その質問の内容に、リツコの顔が少し曇る。寸鉄人を刺すという言葉があるが、ちょうどリツコはミサトに刺されたようなものだった。
 だがその質問が来るであろうことを予想していたリツコは、少しの逡巡の後、前もって用意しておいた答えを口に出した。

「今、特別な処置をしているところ。それが上手くいけば、すぐにでもね・・・」
「みんなは知っているの?」
「そんなわけないでしょ。こんなこ知っていたら、みんな実力行使に出るわよ。本部内部で暴れ回るゾイド達。笑えない冗談ね。司令達は知っているけど、司令達でさえもあまりいい顔をしなかったわ。自分たちが今までしてきたことを棚に上げてね」

 リツコの、そこだけ吐き捨てるような物言いに、ミサトは情けないような、切ないような顔をしてジッと前を見据えた。















「なんだ。まだケンスケ死んだままなんだ」
「シンジ、おまえ冗談きつくなったな」

 教室に、シンジの呆れるというか突き放したような声が響いた。その言葉を聞いて教室にいた生徒達が、言った人物と言われた人物を目で確認し、錯覚かと目をごしごしする。いつものことかと思ったのだが、組み合わせがいつもと違っていたためだ。
 HR前の短い時間。
 いつもと違う始まり。
 何か起こりそうな予感がしてならない。それは特に予知能力のない一般生徒達でも容易に感じ取れることだった。

「・・・そうかな」
「おまえ冷たいよ。仮にも山岸さんはおまえのガールフレンドの1人だろ。それなのに・・・。
 1週間だ。彼女がこの街を離れて、まだ1週間しか経っていないんだぞ?」
「そうだね。
 ・・・・・確かに、僕も悲しいし、寂しいよ。
 でも、彼女と約束したんだ。
 だから、いつまでも僕は落ち込んでいてばかりじゃ・・・・そんなのじゃいけないんだ」

 それだけ言うと、何か僕の言うことに文句でもあるのかと言わんばかりに、シンジはケンスケの目を見た。
 相変わらず、おどおどした雰囲気と気弱なところがあったが、その視線は真っ直ぐにケンスケの瞳を貫いていた。
 マユミとの別れは、ほんの少しだけだがシンジを強くしていたのかもしれない。
 何も言えなくなったケンスケは、やがてがっくりと肩を落とした。

「悪い・・・変なこと言って。でもおまえ、言い方ってものがあるだろ?」
「ま、ね。保護者やなんやかんやの影響かな?口が悪くなって仕方ないよ」
「どういう意味よ?」
「誰もアスカのことだなんて言ってないだろ」

 横やりを入れてきたアスカをさらっとかわすシンジ。
 スカされたアスカは、次の言葉がとっさに出てこず、『馬鹿シンジのくせに』とどっかの誰かのようなことを考えながら、ジッとシンジを睨んだ。
 シンジはその視線に気がつかないわけではないが、首を傾げながらケンスケとの話に戻った。

「どうしていつもアスカはああなんだろ」
「山岸さんがいなくなったら、即アスカか・・・」
「なんか言った?」
「別に・・・はあ、なんか面白いことでもないかな。こう、ぱあっと明るくなるようなことでもさ」

 ケンスケが大げさにため息をつきながら言った。

「例えば、どんな」
「そうだな・・・。
 例えば、シンジが女装してミスコン優勝するとか」




 トドギラーのマイナス300度の氷吹雪!!




 ケンスケの言葉に、教室中が凍り付いた。
 少し前の全翼機と似たような状況だが、凍り付いた事情は激しく異なっている。何気なく、絶対零度を下回るくらいの寒さだ。
 事実、言われた当人のシンジと、聞き耳を立てていたヒカリとアスカは完璧に動きを止めた。

「け、ケンスケ・・・。いくらなんでもそれはやばいぞ」
「そうか?結構良い線行くと思うんだが」
「だからだよぉ」

 冷や汗を流しながらのムサシとケイタの突っ込みに、ケンスケはやはり疑問符を浮かべたままだ。妙なところで鈍いというか何というか。さすがに2人の表情と、教室の雰囲気に、何かやばいことを言ってしまったという自覚はあるが。

「耽美よ・・・!」
「あああ、お願いだからヒカリ、また妙な世界に行かないでぇ!」
「碇君と、渚君の2人が女装・・・!素敵よ!」
「そう?よくわからない・・・」
「お姉ちゃん、わからない方が良いわ。でもヒカリちゃん、美少年同士は洒落にならないと思うの。超ヤバイって感じよね〜」
「さすがに、その方面はちょっと私の守備範囲外よね」
「そうなの?意外に堅いのね、マナちゃん」
「うふふ、鋼鉄のガールフレンドって呼んで♪」

 ちなみに、教室の一方は一方で凄いことになっていた。
 再起動したヒカリは妄想に酔い、アスカはヒカリがどこからともなく衣装を取り出そうとするのを必死に押さえ、レイはわからないので戸惑った顔をする。ただ女装したシンジを想像して顔をポッと赤くしていた。レイコはヒカリの毒電波に頭をやられないように距離を取りながらも、似たような精神状態のマナと一緒に、妙な関心をしていた。


「そうよ!美少年の女装!それこそが、神の摂理にして愛の法則なのよ!アスカもそう思うでしょ!ねっ!!」
「いや、それはさすがにちょっと・・・。私ノーマルだし」
「私だってノーマルよ!アスカは、私がまともじゃないって言うの!?」

 当たり前だ。

 アスカは力一杯そう言いたかったが、こうなったときのヒカリに勝てる者は、少なくともネルフには、再三新東京死には存在しない。
 もちろん、アスカだって例外じゃあないのだ。
 たじたじになりながら、アスカは何とか状況を打開しようと必死に周囲を見回した。
 放っておくと首を絞められそうだったし。
 そして、彼女の願いが神に通じたのか、その蒼い瞳が漆黒の影を捉えた。

 ナイスタイミング!

 アスカは心の中でガッツポーズを取った。

「そう言うワケじゃなくって、あのね。
 あの、あんまりそんなこと言ってると、鈴原に嫌われるんじゃないかなって・・」

 ちょっとニヤニヤしながらアスカがその言葉を継げた途端。ポンッ!とヒカリの顔が真っ赤になり、暴走が止まった。

 グッ!

 教室にいた正気の人間達が一斉に、指を立てる。

「ば、馬鹿なこと言わないでよ。鈴原が何の関係があるって言う・・・鈴原?」
「?
 ちょっと、3馬鹿の大将。あんたぼんやりしてどうしたのよ?」

 アスカの日本刀のように鋭い一撃に、真っ赤になったヒカリが慌てながら、横目でちらっとトウジを見た。そして、きょとんとした顔をしながら改めてトウジを見つめた。
 アスカもいきなり素に戻ったヒカリに何事なのかと思いながら、トウジに視線を向けた。

「ん?ぁ、ああ惣流か。
 なんでもない」

 トウジは教室の騒ぎにも全く意識を向けることなく、腕を組んだまま虚空を見つめていた。心ここに在らずとしか言いようがない雰囲気で。

「なんでもないって、あんたのその態度のどこが何でもないのよ?」
「何でもない言うたら、何でもない。惣流には関係ないやろ」
「ぬ、3馬鹿のくせに生意気な。
 何よその口の聞き方」
「えらい機嫌悪いのお、女の事情っちゅうやつか?」

「!!!」

 トウジの左手小指を立てながらの発言に、教室からざわめきが消えた。

 彼の言葉通り、ここ最近のアスカは機嫌が悪い。
 それは身近にいるシンジの目でなく、あまりアスカに親しくない他の生徒から見ても明らかなことだった。
 理由としては、先の戦いで自分が何の役にも立たず、ただ黙ってシンジの戦いを見ているしかなかったことが一つ。その事実は、前へ前へ負けることなく突き進まないといけないと思いこんでいる彼女を、毒を塗った刃のように傷つけていた。
 そしてもう一つはマユミの戦線離脱。
 彼女がいなくなったことは、意外なことに彼女をあまり好ましく思っていなかったはずのアスカを苦しめていた。
 そしてミサトが加持が、ユイやキョウコまで妙に彼女によそよそしくなったこと。
 尤も、これはアスカに対してだけでなく全てのチルドレンに対して言えることだが。
 大人達は間近に迫ったX−DAYに焦るあまり、漏らしてはいけない秘密をアスカ達に知られないようにさりげなく距離をおき始めていたのだ。それが繊細な彼女をどんなに傷つけることになるか知りもしないで。
 そしてなにより、

 マジに女の事情だった。



 茹であげた蟹のように見る見る赤くなっていくアスカ。
 背中から立ち上る気に、シンジもヒカリも、もちろんレイもマナも後ろを見ないで教室から逃げ出していく。
 ここらへんの危機予測能力はじつに素晴らしい。
 途中、老教師とすれ違ったがそんなことすら意に介さず、ただ真っ直ぐに。

「何事ですか?」

 いきなり民族大移動を始めた生徒達(もちろん全速力)をのんきな目で見送った後、彼は教室に入っていった。
 不幸な彼の目の前で、N2爆雷が炸裂したのは、そのほんの少し後だった。

 閃光が老教師の顔を真っ白に染め上げていく・・・。

「くぅおのドスケベ野郎!!あの世で自分の言葉を後悔するといいわ!!
 千烈脚!そして気功掌!」
「な、なんやなんやいきなり!?はぶぅっ!!へぶぅっ!!
 わ、ワシは明日、リツコさんによば・・・・・げぶくぅっ!!!おぶう!」
「あのころ、私は根府川にすんでいました。そう、ちょうどこんな光が窓を・・・」












キーンコーンカーンコーン♪♪

 チャイムの音が四時間目の終わりを告げる。
 とたんに、がやがやとざわめきが教室に満たされていく。
 とは言っても、4時間目の数学がいきなり自習になったため、教室はよそに迷惑がかからない程度に騒がしかった。
 しかし、いつもこのタイミングで騒ぐ、名物男の姿が今日は無かった。

 彼の姿がないことに、彼の親友であるケンスケがきょろきょろしながら周囲を見渡した。
 だがやっぱり姿が見えない。
 手に持っていた売店のパンが少し揺れた。
 いつもの習慣がない。
 それはくしゃみが出そうで出ないときと同じもどかしさを彼に感じさせた。

「さーて、メシメシ・・・あれ。トウジは?」
「居ないんだ」

 手作りの弁当の蓋を開けながら、シンジが答えた。言いながら適当におかずを取って口に運ぶ。上手に作った卵焼きは冷えていても美味しい。シンジは、その甘い卵の歯触りと舌触りに満足げな顔をした。
 もちろん、その他のおかずも昨日の夕食の残りが多いとは言え、充分すぎる程良くできている。
 いつの間にか消えてしまったトウジのことを、全く気にしていないようだ。
 幸せ〜なシンジに、ちょっと顔を引きつらせながらも、次いでムサシとケイタの方をケンスケが見る。
 だが他の2人もトウジの行方を知っている様子はない。
 何も言わず左右にぶんぶん振る首が雄弁に言い表していた。

「ムサシ達も知らないのか、どこいったんだ?」
「どっかで寝てるとかじゃないの?」
「メシも食わずに?あいつがか?
 あり得ない話だぞ。あの人間バキュームが昼飯も食わずにどこかに消えるなんて」
「そ、そうだよね」

 急にシンジの顔が青くなった。

(トウジが食事時に、何も食べずに姿を消すなんて、よっぽどのことだ!
 のんびりご飯を食べている場合じゃないかも!)

 トウジが昼食を食べていない。
 ただそれだけのことに、シンジは厳しい顔をして立ち上がった。ムサシとケイタも、同じように厳しい顔をしながら立ち上がる。
 その顔はさながら、戦闘訓練。いや実戦そのものだった。


「探しに行こう。使徒に、ゼーレに襲われたのかもしれない」
「「おう!」」

「それはないと思うぞ、いくら何でも」

 ケンスケが突っ込みを入れたが、シンジ達はもう聞いていなかった。









 急に男にモテモテになったトウジは、普段彼がさぼりに使う屋上ではなく、保健室にいた。
 枕の上に頭をのせて天井を見上げていた。
 一言で言うと、寝ていた。
 お腹がぐぐぅと哀願するが彼はそれを厳しい顔をしながら無視していた。
 彼にはそれだけの理由があったからだ。
 腹の虫が盛大な演奏を奏でる中、トウジはただ無言でいた。
 自分自身に問答するかのように。

 ほっておいたらいつまでもそのままなのではないか?
 そんな疑念が起こりそうなほど、トウジは身動き一つしなかった。
 ただ彼の呼吸音だけが保健室に響く。

「じゃー・・・・・鈴原君」

 だが、石のように固まっていたトウジは名前を呼ばれ、ノロノロと首を声をかけた存在に向けた。

 そこには驚いた顔をしたレイが立っていた。

 驚いた?

 そう、レイは驚いていた。
 トウジが昼飯を食べず、保健室のベッドに寝ていたことを。それは彼女の知っている彼が取るとは、とうてい思えない行動だった。まさに驚愕。天変地異の前触れか?彼女は本気でそう思った。
 動揺したのか、レイはいつになく饒舌にトウジに話しかけた。
 不安になったのかもしれない。深紅の瞳がかすかに瞬き、彼女の口が言葉を紡ぎ出す。

「どうしてここにいるの?」
「ふがふが、もが?(なんでて、見てわからんか?)」
「わからない・・・・・・なんて言ってるの?」
「むがむが、んが、ふうが、おお、さんきゅや。
 ああ、これでやっとまともに話せるわ」

 ぶんぶん首を振って悶えていたトウジを見るに見かねたのか、レイは彼の顔に巻き付く包帯を取るのを手伝った。まだ痣が残っていたが、話すぶんには大丈夫そうだ。
 口が自由になったトウジは、しばらく空気を思う存分に吸っていたが、やがてレイに向かって話しかけた。



「生き返るのぅ。
 ・・・話戻すか。何のようや綾波。シンジやったら、ここにはおらんで」
「知ってる。ちょっと包帯をもらいに来ただけ。
 ・・・あなたこそここで何してるの?」
「包帯何につかうんや。なにに。
 ・・・ワシは見ての通り、惣流にやられた傷が思いのほかひどうて、ここで寝とるんや」

 授業に出ることができないほどの痛手を友人に負わせるアスカ。
 しかもただの友人でなく、親友の想い人である。
 洒落になってねえよ、マジに。
 今更ながらそんな女と友達になったことを後悔するレイであった。

「そう、彼女は手加減できないお猿だから・・・。
 でもどうして家に帰らないの?」
「惣流に縛り上げられたんや。今日、保険のセンセおらんやろ。明日の朝までここで反省しろやと。ごっついでほんま」

 見ると確かにトウジはベッドに縛り付けられ、腕一本動かすことができない状態だった。
 しかも念入りに布団で巻いた上から縛り付けてある。
 これでは誰かの手助けがなければ、自由になるのは容易でない。
 どこでそんな縛りのテクを習ったんだと、聞きたくなるくらい見事な縛りである。

 めちゃくちゃだわ。
 レイですらそう思ってしまう。
 彼女は、本気でアスカと友達になったことを悔やみ始めていた。

 五十歩百歩。

 そんなレイを見てトウジはそう思ったが、賢明にも黙っていた。少しは学習能力があったらしい。


(やはり、適当なときに闇討ちして消えてもらうしかないわ。碇君のためだもの)

 怖い想像をしてニヤリと笑うレイ。
 マジで怖くなったトウジが焦りながら、レイを正気に戻そうと話しかけた。

「なあ、黙って見とらんと、よかったら助けてくれんか?明日の朝まで誰も助けてくれんかったら、日干しになってしまう。
 それに、今日はなんとしても早う帰らんといかんのや」

 トウジの最後の言葉に思い当たることでもあるのか、レイがコクンと頷きながらトウジを縛るロープをほどき始めた。
 ベッドの端に腰を下ろすと、手近な結び目に手を伸ばす。
 しかしながら、固結びだったためなかなかほどけず、悪戦苦闘しながらだったが。
 そのまま数分ほど作業をするレイ。
 その間一言も喋ろうとしない。
 ますます居心地悪くなったのか、トウジが少し思い詰めたような顔をしながら話しかけた。

「すまんな。
 あのな・・・・・知っとんのやろ、あいつの事」
「ええ」

 トウジの方を見ようともせず、レイは頷いた。

「やっぱな。シンジや惣流はしらんでも、おまえだけは知っとると思うた」
「どうしてそう思うの?」
「ワシが教室に入ってきたとき、ちょっとだけワシの方を見たやろ。自惚れかもしれんが、あれは心配している眼や思うたんや。
 しかし、他人の心配とは珍しいのぉ」

 トウジはそこまで言うと、少し力を抜いた。
 右腕が自由になり、少し呼吸が楽になったからだ。
 レイはトウジの言葉が意味することがさっぱりわからず、無表情に困惑しながらロープをほどき続けた。

「そう?良くわからない」
「・・・おまえが心配しとんのはシンジや」

 髪が乱れくらいの勢いで、レイはトウジの顔を見た。
 トウジの顔は笑っていなかった。
 ただ寂しそうな、悲しそうな顔がレイの瞳に映っていた。

 初めて見るそんなトウジの顔に、レイは戸惑いながら俯いた。
 なんとなく、トウジの顔を見ることができなかったのだ。
 なんとなく、トウジが何を言いかけて結局言わなかったのかわかったのだ。
 彼女はそうと思っていなかったとしても、無意識のうちではみんなは友達、仲間だったから。
 仲間を傷つけるなんて、今のレイには無理だったから。

「・・・ごめんなさい」
「いい天気やな」

 そのまま2人は終始無言。
 レイはトウジの両腕が自由になったところで、包帯だけもらうとさっさと保健室を後にした。何に使うつもりなのかは、全くの謎。







「あれ?ねえ、ヒカリちゃんどうしたの?」

 保健室からそう遠くない、グラウンド。
 レイそっくりな、しかしレイではない元気のいい声が響いた。聞こえない者はいないくらい大きくて、明るい声だったが、声をかけられたヒカリは聞こえていないかのように身じろぎ一つしなかった。
 手に持ったボールを投げ返すこともせず、ただジッと立ちつくす。

 なぜなら彼女は見てしまったから。
 トウジとレイが保健室にいるところを。
 普通ならなんて事のない、光景。

 だが、なぜかレイコの絶え間ない呼びかけが、彼女には妙に遠くから聞こえていた。














<松代>

「遅れる事、2時間・・・」

 やけくそに熱い日差しが照りつける中、巨大な全翼機が大空を舞っていた。着陸態勢になった全翼機は、フラップを出し、減速しながら地上を目指す。
 だがミサトが待っていた相手は、正確に言うと全翼機ではない。
 その下にぶら下げられた、青い装甲の機獣だった。
 ミサトの口にくわえた爪楊枝がぴくんとはねる、

「ようやくお出ましか。わたしをここまで待たせた男はあんたで二人目だわ」

 もちろん一人目はようやくプロポーズした加持だ。
 明らかに不機嫌とわかる顔で、滑走路のど真ん中に仁王立ちするミサト。
 迷惑この上ないが、怖いので誰も文句を言おうとしない。
 あ、よく見てみたら足下に文句を言ったらしい作業員が転がっていた。
 もちろん血塗れだ。
 イヤッホー!

 ミサトがどいてくれないので、遅れていた予定は更に遅れそうだったりするのだが、ミサトは気にもしていない。て言うかしろ。
 暑さで脳をやられたらしい。

「無様ね」

 ミサトを呆れた目で見ながら、リツコがツッコミをいれていた。














 かすかに鳥の鳴き声と蝉の鳴き声が聞こえる中、2人の少女が道路を歩いていた。時刻は放課後を少し回った程度、であるにも関わらず人通りがほとんどない。少しその事を不思議に思いながらも、少女の1人、アスカは隣を俯きながら歩く少女を見つめていた。
 もう1人の少女、ヒカリはアスカに見られていることがわかっているのかいないのか、俯いたままとことこと歩いていた。

 無言の2人。

 やがて2人は目的地、第三新東京市を見下ろす高台に到着した。
 そう、かつてシンジとミサトがたずねたあの公園である。
 あの時と同じように、辺りはオレンジ色の光に染まり、2人の少女を妖精のように輝かせる。

「ごめんねアスカ。付き合わせちゃって」
「いいのよ。気にしないで」

 手頃なベンチを見つけると、よいしょと2人は座った。
 一時夕日を見つめた後、隣に座るアスカに申し訳なさそうな顔をしながら、ヒカリはぽつりと呟いた。
 その他人行儀な言葉に、アスカは少しムッとした顔をするが、ヒカリが落ち込んでいることを思い出して慌てたように気にしていないと言った。
 ヒカリが少し頷いた後、また顔をうつむける。

 アスカは内心、どうしたんだろうと思いながらもどうしてヒカリがこんな風になっているのか予想がついているため、極力丁寧に応対することにした。本当は、こういう雰囲気は苦手というかまっぴらゴメンなのだが。

 あくまでさりげなくよ、アスカ。

 そう心に呟くと、アスカは明日の天気を聞いているみたいにさらっと尋ねた。どちらかというと、確認なのかもしれない。

「鈴原の事でしょ?」
「え、わかる?」
「見え見えよ。わかんないのは、鈍感な男どもくらいね」

 そう言いながらアスカは髪をかき上げて、夕日を見た。
 鈍感な男どもの1人の顔をふと思い出したから、それを誤魔化そうとしたのかもしれない。2人とも、こう言うところはよく似ている。
 鈍感な奴が好きになる点が・・・。

「でも、碇くんってそう言うことによく気がつきそうだけど。
 色々細かいし・・・」

 シンジのことを考えた瞬間、ヒカリが彼のことを口に出したためゲゲッと声に出さずに、顔を引きつらせるアスカ。どっちが相談されているのかわかりゃしない。
 顔の引きつりをなおさないまま、アスカは話題の軌道修正をしようと、脳をフル回転。

「な、なんでシンジが出てくるのよ・・・・」
「なんでって・・・。
 アスカは碇君のこと・・・・」

 目をパチパチさせるヒカリと、彼女の質問に真っ赤になるアスカ。
 夕日に照らされているのに、赤いのがわかるくらい見事に真っ赤だ。

(バレバレね。でも、確かに碇君鈍感だわ。これだけ露骨なのにわかんないんだもん)

 猿踊りを始めたみたいに、手足を振り回してヒカリの言葉を否定するアスカに、内心ほほえましいものをヒカリは感じた。ちょっとだけ心が軽くなる。
 ヒカリのクスッを勘違いしたアスカが、噛みつかんばかりになって墓穴を掘りまくる。
 一言で言うと、ヒカリが何か言う前に自分で余計なことを言い始めたのだ。

 カセットテープがあったなら・・・。

 それで一生アスカを強請れたわね。
 後日、ヒカリはそんなことを思ったとか思わなかったとか。


「ち、違うわよ!あいつは私の奴隷なのよ!」
「だって、いつも碇君の方を見てるし、碇君が他の女の子と話すだけで凄い不愉快そうな顔をするし・・・」
「奴隷なんだから、主人の許しがないのに他の女と話すことが許されるわけないでしょ。
 もう、ヒカリったら変なことに鈍いんだから・・・」


 うわ、やば。

 ヒカリはそんな突っ込みを入れた。もちろん、声に出して友情に終わりを告げるようなことはしない。いや、それどころか小学生の恋愛から少しも進展していないアスカの恋心を可愛く思ったりした。
 うふふと苦笑するに留めると、少し意地悪そうな目でアスカを斜め下から見上げる。

「(それを好きって言うのよ)へぇ〜、そうなの?」
「そ、そうよ!だって、あいつとは昔、昔・・・あれ?なんだろ思い出せない・・・。
 ・・・とにかく、あいつは私の所有物なの!誰にも渡せないの!レイだろうが、マナだろうが、もちろんマユミだろうが・・・」
「妙に具体的ね・・・。でも碇君を好きな子はもっといると思うけど。
 それはそうと、碇君は鈍感な男の子の1人じゃないの?」
「え、まあ、確かにそうね。あいつ人との付き合い方、知らないもの」
「そう」


 アスカが真顔になっていった一言。
 それに応えたヒカリ。
 そこで会話が止まってしまった。
 痛いほどの沈黙が2人の間にあった。
 ほんの少し前の、女の子らしい笑い声や会話がかえって心にイタイ。

 やがて、しばらくの沈黙の後、ヒカリがポツリと言った。


「鈴原の好きな娘って、綾波さんかも知れない」
「鈴原が!?あの優等生を?」

 青天の霹靂とも言うような、思ってもいなかったヒカリの一言に、アスカは驚きながらヒカリの横顔を見た。ヒカリの目は冷え冷えとした光をたたえ、かすかに震えた頬は彼女の言葉が冗談ではないことを如実に言い表していた。

 自分が何か言っても聞きそうにない。
 それだけ重い何かを感じさせるヒカリの横顔だった。

「私・・・見たの。保健室で、鈴原と綾波さんが一緒のベッドに・・・」

 座っていたの。

 と、ヒカリは言いかけたのだが、最後の言葉はあまりにもか細すぎてアスカには聞こえなかった。
 で、肝心な部分が聞こえなかったアスカは、当然・・・。

「なんですって!?」

 ヒカリがビクッとするくらい大きな声を上げて、立ち上がった。
 そのまま腰だけで後ずさりするヒカリの肩を捕まえると、怯える彼女を無視してぐいっと顔を近づけた。ヒィと声にならない悲鳴をあげるヒカリ。

「そ、それは本当なの!?(ま、まさかあの電波娘が)」
「う、うん・・・(いやあ、アスカ、私女の子同士なんて、絶対いやぁ!!)
「何かの間違いじゃなくて?(また変なこと考えてるわね)」
「う、うん。たぶん。でももしかしたら、遠かったし、チラッと見ただけだから気のせいかも・・・」
「・・・・・・そう。
 安心して、ヒカリ。それはないわ。あの女はシンジの一万倍も人との付き合い方知らないもの(まさか、ライバル脱落!?イエイ!じゃなくて。まあヒカリの勘違いだろうけど)」

 何を根拠に?
 そう聞きたくなるが、ヒカリは黙ってコクンと頷いた。

「そう?」
「そうっ!!」
「・・・うん」

 空元気も元気という言葉があるが、アスカの根拠のない勢いだけの言葉を聞いて、ヒカリもちょっとだけ元気になった。
 よくよく考えてみれば、たまたま保健室に一緒になることもあるだろうし、座っていたくらいでどうこう思うのはおかしな話かもしれない。
 そう思うと、なんだかヒカリは心のつかえが無くなっていくのを感じていた。
 ちょっとだけ、嬉しそうに笑うヒカリを見てアスカはうんと頷いた。
 友達の辛い顔を見ていられない彼女らしい行動である。
 その時、アスカは長い間聞こう聞こうと思いながらも、色々あって結局聞けないままだったことを聞く事を思い出していた。

 思い立ったら吉日、即断即決。
 嫌な予感が溢れかえらんばかりにしていたが、アスカはほんのり赤くなったヒカリの横顔を見ながら、何気なく尋ねてみた。

「一つ聞いていい?」
「なに?(そうよね、アレくらいで決めつけたら・・・。アレで決めつけたら、碇君と相田君とムサシ君と浅利君と渚君と鈴原は、刺しつ刺されつすでに深い関係よね・・・)」

 おおい、委員長!
 とんでもない想像をするなあ!!
 と、誰も突っ込まないみたいだから一応突っ込んでおく。
 アスカあたりが妄想の内容を知ったら、不潔よ!と言うところだろう。

「あの熱血バカのどこがいいわけ?」

 ストレートな質問に、ヒカリは頬を染めた。恥ずかしそうな顔が初々しい。アスカの悪口とも取れる、熱血馬鹿という言葉も、今の彼女には返ってほめ言葉に聞こえる。
 ヒカリは当社比150%に美化されたタキシードのトウジを思い浮かべ、か細い声で答えた。もちろん、恥ずかしくってアスカの顔を見ることはできないでいる。

「優しくて、かっこいいところ・・・」
「・・・・・・・・もしもし、ママ?
 いい眼科知らない?ううん、私じゃなくてヒカリがね・・・」

 アスカはヒカリが惚気ながらあっちの世界に行ってる横で、引きつった顔をしながら母親に電話をかけていた。










 夕焼けの光の中、リノリウムの床の上をトウジは歩いていた。
 横にはしっかりと彼の手を掴む、小柄な人影。
 少しバランスが取りにくいのか、危なっかしい歩きからだったが、その人影はトウジにくっつくようにして一生懸命歩いていた。

 その人影が何かを話しかける。
 トウジは笑って応える。
 また、人影が話しかける。
 またトウジは笑って応える。

 見るものを和ませる幸せな光景。
 事実、看護婦達はようやく訪れたこの平和な光景に、目を細め、あるいは目頭を拭っている。


 だがトウジは知っている。
 この幸せは偽りの上に築かれたものだと。
 それでも、彼はこの砂上の楼閣にすがるしかなかった。
 いつか壊れることがわかりきっていても、彼が待ち望んでいた、望んでいたものが目の前にあるのだから。



 しかし、彼とてこの幸せの崩壊があっと言う間に訪れるとは・・・・思ってもいなかった。
 今、静かにシンジとトウジの2人を軸にして、運命の歯車が回り始める・・・。




Bパートに続く




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