第6話「焦慮 Cパート」
蛍光灯の光が浮き彫らす病院の廊下で話す二人。
一人は冷静に、一人はトーンの落ちた声で話し声を響かせていた。
「やはり無理があったかしらね。
いきなり加持君がSPYなんて言わない方が良かったかしら」
「・・・いや、リツコは悪くないわ。
あれくらい真実のピースを出さないとアスカも納得できなかっただろうし・・・。
・・・
・・・
逆に感謝してるわ。あの時、私じゃ何も言えなかっただろうから」
「でも、起きてからがどうかね。
気持ちが整理できていれば良いんだけど」
「・・・
クスリのお陰で、考える時間は山ほどあるから・・・」
「とにかくこっちはレイとシンジ君のテストスケジュールを進めるから、
あなたはこのまま彼女についててあげて」
「・・・そうね、そうするわ・・・」
ぼやけた視界が晴れると、白一色の世界が広がる。
頭の中すら重く、瞼を閉じるのさえ億劫に感じた。
真上に向いていた青い瞳をほんの少し動かして今の状況を把握してみる。
何度も見たことのある天井。場所は容易に理解できた。
彼女の鈍った頭の中でグルグルと思考が巡り、そのすべてをゆっくりと把握してゆく。
ミサトのこと、シンジのこと、レイのこと、ゲンドウのこと、リツコのこと、
そして加持のことが脳裏に描かれては消えていった。
先ほど、気が狂いそうにまでなった事象が脳裏に浮かんでも、
不思議と整理されて頭にしまわれ、まるで輪郭のない夢の中の
出来事のような感覚でそれらの事象を受け取っていく。
心地よい感覚にゆっくりと瞼を閉じる。
夢の世界でそれらを頭に刷り込むような感覚。
不思議とそれが心地よく、彼女は再び重く、永い眠りについた。
「・・・夢を見てたんだ」
穏やかな顔で天井を見つめるアスカ。
「どういう夢?」
傍らの椅子に腰掛け、頬杖をつきながらアスカを見るミサト。
「加持さんがね、地平線まで緑が生い茂った畑でトウモロコシを採ってるの。
エヴァもなければネルフもない、ビルが一つも見あたらない穏やかな土地で」
ミサトは相槌を打ちながら、アスカのさらっとした声を聞いている。
「何してるの?って聞いたらね、トウモロコシをとってるんだって言うの。
皮もむしらないで根本から折ってね。加持さんトウモロコシを片手一杯に抱えて、
持ちきれなくなったらほらって私に渡すの。次から次へと。何本も、何本も。
もう持てないと思ったら加持さんが振り向いて”こんなもんでいいか”って言うの。
でも両手いっぱい持ってて辛くなったから放り出しちゃおうかなって思ったときにね、
後ろから声が聞こえたの。
おめぇら何やってるんだ〜って」
アスカはくすっと微笑みながら続ける。
「振り返ろうとしたとき、私が両手に抱えてたトウモロコシを加持さんが半分持ってくれて
逃げるぞアスカ。って言うか言わないかのうちに目の前から遠くなっていったの。
私はいきなり走り出した加持さんを追って全力で走ったわ。
後ろからはドロボウって声が聞こえたけど、加持さんの背中を追って一生懸命走った。
走りながら頭の中が真っ白になって、もうダメって思ったときに、
加持さんはいきなり立ち止まって焚き火を始めるの。
どこから取りだしたのか、お茶を私に勧めながら薪を枝でつついてるの。
もう喉がカラカラで、お茶で喉を潤しながら黙々と焚き火を見つめる加持さんを見てたら、
少し焦げ目のついたトウモロコシを私に差し出すの、”うまいぞ”って。
折角だから一口食べたの。甘くて、すっごくおいしいって言ったら、
そうか、って笑ってくれた。
加持さんは食べないのって言ったけど、言葉にならないで目が覚めちゃった」
感覚的な彼女の言葉に、ミサトは何故か素直に言葉が出てきた。
「ふふ、加持らしいわね」
アスカはミサトと視線を合わせて、優しく微笑んでるミサトを見る。
「・・・うん。半睡眠下でいろいろ考えた後に眠れてよかった。
夢がいつの間にか憂いをとばしてくれて、笑顔を呼んでくれたの。
加持さんの事を悪く誤解して、私馬鹿みたい。そんな人のわけないのに」
不思議な感じ。
彼女はミサトの笑顔がとても優しく感じた。
知らず知らずのうちに、微笑みながらミサトと話す自分がいることを、
アスカはしばしの談笑の後で悟る。
(今まで嫌悪していたオンナ、だけど共通の物がある感じがする。
私や加持さんと・・・同じ何かが・・・)
だが、今までの行動から、いきなり素直になっていた自分を覆い隠すように、
アスカは緑葉が生い茂る窓の外に視線を移す。
「ん、気分でも悪くなった?」
談笑時と変わらぬミサトの声に、アスカはわざと意地悪い返答を返す。
彼女にとってはもうどうでもいいはずの事を。
「・・・うそつき。あの男が免職になったなんて大嘘じゃない」
きつい口調ではなかったが、いきなりの言葉に、ミサトは今までの楽な気分は吹き飛んだ。
「さっき加持さんの部屋で会った。・・・ヤツの任務中にね。
・・・まったく。男って学生を見たら誰でも売女と思うのかしらね・・・」
アスカの言葉でだいたいの想像はつく。
傷つく事を言われたのだと思うだけで彼女自身の心も重くなる。
外を眺め続けているアスカに、ミサトは【力及ばずだったこと、もう嘘はついてない】
と謝ることしか出来ずにいた。
「・・・ホントに?」
ミサトのえぇという言葉を聞き、アスカはミサトに視線を合わせ、今一度問う。
「本当に?」
「えぇ、アスカが知ってることが、私の知ってる事よ。それが真実だから・・・」
アスカは鋭く見つめていた瞳を柔らかな視線に変えて、ほんの少し微笑んだ。
「・・・あんなヤツに胸を見られたのはしゃくだけど、
助けてくれたミサトには感謝しないとね・・・ア、アリガト」
恥ずかしかったのか、急激に頬が熱くなるのを感じたアスカはとっさに布団を被った。
ミサトはそんなアスカの行動に、ホッとすると同時にかわいいと茶化しながら
布団の膨らみを3度ポンポンとたたく。
「もぉ、意地悪な仕打ちまで加持さんそっくり」
アスカは瞳一杯に広がる白い壁に言葉を放つ。
同時に、顔が見えないことで喉奥の関が開いたように言葉が流れる。
「・・・ミサト・・・加持さん大丈夫だよね・・・」
ミサトの返答はさばさばした感じで、すぐに帰ってきた。
「アイツのしぶとさはアスカも良くわかってるでしょ?」
ミサトの言葉に憂える瞳は再び光を帯び始め、口元をほんの少しだけ緩めた。
「・・・そうだね。今頃トウモロコシでも盗んでるかな」
アスカの言葉にミサトは吹き出していた。
やりかねないわね、と笑う声につられてアスカも笑い声を部屋に流していたが、
ミサトの聴覚、視覚からもアスカの動きがぴたっと止まる。
それまで、アスカとつられ笑いしていたミサトだったが、
彼女の笑いがいきなり止まったことで、萎むように彼女の笑いも消えていった。
アスカが目覚める前の沈黙が、再び病室に訪れたが今度の沈黙はすぐに途絶え、
先ほどまでの明るい笑い声とは正反対の低くしっかりした口調の声がこの空間に流れた。
「・・・ミサト・・・もう嘘はやめてね・・・。
私・・・
ホントのことを知るより・・・
嘘や沈黙で・・・深慮を無意味に巡らせて、傷つく方が怖いから・・・」
アスカの退院は思いのほか早かった。
もっとも、体に怪我はしていないのだし、医師が大丈夫と言うだけで
退院が決まるという無形の病気、いや、本人にとっては病気という感覚はないだろうが。
退院の日、ミサトが迎えに来てくれるはずだったが、今は忙しいらしい。
電車の時刻表を眺め終わるとミサトが持ってきてくれた洋服に袖を通す。
荷物をまとめるにしても元々荷物はない。今まで着ていた物は病院の物だし、
あると言ったら下着関係だけ。それらの荷は手早くポシャットの中に押し入れた。
ミサトのマンションは郊外にある。ネルフ本部から電車を使い、そこからバスで
マンション前まで行ける。アスカは通勤の度に面倒だなと思う。
車なら楽なのにと自分の年を恨んだりする。
最悪なのはラッシュ時に、EVAのテストで電車に乗らなければならないときだ。
とかく目立つ彼女は変質者のターゲットにされやすい。
いつも同じ時間の電車には乗ってないのだから同一犯という事はないし、
アスカは変な行動をしてきたら思い切りビンタして車掌に突きだしているのだが、
ほとんど乗る度に大立ち回りではさすがの彼女も気が滅入る。
まともな男は加持一人と思っても無理がない環境だった。
いつも見慣れた通勤バスに乗り、空いていた一人用の席に座る。
町並みをさまようように視線が動く。長髪の男がいたら顔を覗き見る。
こんなところにいるはず無いかとため息をつきながらもバスは動いてゆく。
バスに揺られて20分、ようやくバスから解放される。
久しぶりの帰宅路に半ば旅行ねと苦笑いを浮かべながらマンション内に入っていった。
葛城のドアの前に立ち、カードキーを押し入れると目の前のドアが開く。
とりあえず、持ってきた洗濯物を洗おうと、洗濯機のある脱衣所に向かう。
廊下を通り、ダイニングへ。そこで彼女の足が止まった。
「いたんだ」
テーブルに置かれていた皿を眺めながらそう呟いたが、返答を待つ前に続ける。
「おいしそうね、私の分もあるかな」
「え・・・あ、うん。ちょっと待ってて」
シンジはほんの少し口元をほころばせるとキッチンに消えていった。
アスカはその足で脱衣所に向かい、洗濯機を動かし始める。
問題なく動作を始めたのを確認してから、再びダイニングへの足を進め、
自分の椅子に座ると、頬杖をついてシンジを待つ。
彼女の顔には、愁いの影は微塵も差してはいなかった。
「最近はお喋りが出来て楽しいんだけど・・・アスカのことを考えると・・・ね。
このままじゃいけないとは思ってるんだけど・・・言えなくて・・・」
「ま、嘘も時として救いになるもの、今は言わない方が得策よ。
それに、加持君のことはごく一部の者しか知らされてないから平気じゃないかしら」
「アスカの顔を見るとね・・・辛くて。
突っ張ってるけど健気な女の子だから・・・。
アスカと話しながら、あ、また嘘ついた、
って思う度に顔で笑ってても胸が押しつけられるような感じになる」
「ミサトは良かれと思って嘘をついてるんだから、それで良いんじゃないの」
「・・・リツコみたいには、どうしても割り切れないのよ」
アスカが退院してから一週間、彼らは今まで通りのスケジュールに戻り始め、
彼女にしても例外なく、退院後1週間でテストへのお呼びがかかった。
心配してか、ミサトがアスカを迎えに来るという。
アスカは別に良いと行ったのだが、どうしてもと言うので「うん」と返した。
彼女にしても早朝からのテストは憂鬱になる。
だが目覚めてみれば、相違点はミサトの車でお出迎えというだけなのに
妙に晴れ晴れした目覚めだった。体も軽く、きびきびと身支度を整えると
朝食を取るためダイニングへ向かった。
今は朝の7時半、大体学校へ行くときもこの時間の食事を取るのでローテーションは悪くない。
EVAのパイロットという不規則な生活を強いられる彼女だが、
そのあたりにはいつも気を使っている。
もし食べられない事態が起きても、決まった時間にはなるべく食べるように心がけていた。
14歳、体に気を使い始めるお年頃だろう。それに、体調管理もできないようでは
個人の能力を疑われる環境で育った彼女だからこそ、食事には人一倍厳しかった。
ダイニングまで歩いてゆくと、中学の制服に身を包んだシンジが写る。
朝の挨拶を手短にすました後でアスカは冷蔵庫からオレンジジュースを手に取った。
「あんたは学校?」
シンジはトースターにパンを差し入れながら答える。
「うん。・・・僕はまだ乗れないみたいだから。
EVAに乗るテストがない分、アスカ達より余裕があるみたい」
「そ、私なんか休んでた分のテストを今日からやるんだって。
ハードスケジュールらしいから辛いわぁ」
とはいうものの、少し胸を張るアスカ。
シンジはそんなアスカに少し微笑むと、ありきたりのねぎらいの言葉をかける。
彼の言葉が終わると同時にトースターが任務終了の音とともにパンを押し出した。
「14の壁を撃ち破りし今、全てのシナリオは終息へと向かい始めた」
「記述に沿うとはいえ、ここまでの成果は嬉しい誤算だろう」
「碇ゲンドウ、期待通り・・・と言っていいのだろうな」
「だが、切れすぎるモノは同時に危険をも孕む」
「ついにEVAもケテールへ埋める準備を進める。
・・・様子を見てだが、いずれ奴には楔を打ち込んでおく必要がありそうだな」
「じゃ、8時20分までに第3ケージに来て。
まずは弐号機との直接シンクロテスト、
私はこれから用があるからその後はリツコに聞いてね」
ミサトはパイロット用第3更衣室前までアスカと歩いてきた。
ここが一番第3ケージから近いので、このケージでのテストはこの更衣室を使う。
ミサトからプラグスーツを受け取ると、外観はどれも変わらない更衣室に入ってゆく。
服を脱ぎ、ダボダボになった赤いプラグスーツに体を通し終わると、
手首のボタンに手を伸ばす。
一瞬ぴたっとボタンを押そうとしたアスカの手が止まり、
口元を緩めながらボタンを押し込んだ。
ヒトとは何か、君には解るかい?
・・・なに?
世界を変えた彼らを、君は必要と感じるかい?
・・・え?
全ては君の一存で終演する。裁量は・・・
意識が戻るに従いフェードアウトしてゆく声。
意識に続いて彼女の瞳もゆっくりと開かれてゆく。
月の光が赤い瞳に反射し、その瞳は現実にある月の光の光源に目を移した。
何?・・・今の。
彼女はだるい体を起きあがらせ、何もない部屋を見回してみる。
誰か居るような気配はない。かといって夢の出来事とは思えなかった。
しばらく部屋を眺めていたが、まだ夜は深く、起きるには時間が早すぎたので
再び布団に潜り込んだ。布団を被り、再び目を閉じて間もなく、耳元で声が聞こえた。
・・・君次第。
あまりにはっきり聞こえた声に、彼女もびくっと体を震わせて瞼をあけた。
だが、そこにはまるで変わらない薄暗い室内が描かれただけ。
心臓の動悸を感じながら、彼女は暫くの間、瞼をおろすことが出来なかった。
次の日もテストは朝から行われた。
ミサトは昨日家に帰った。お陰で今日もアスカは自動車通勤。
自然と顔もにこやかになる。
「わぁ〜、アスカってお肌つるつる。若いっていいわねぇ」
ネルフ本部の駐車場からエレベーターに行くまで隣で歩を進めていた
アスカの頬を指で撫でながらミサトはそう言ったりしていた。
「やぁだ。くすぐったいぃ」
とミサトの軽口にも笑顔で対応する。
「やっぱLCLがお肌に影響するのかな。
考えるとシンちゃんもレイもお肌がきれいなのよね・・・
・・・今度拝借してこようかしら」
「ふふ、ミサトの場合は肌が老朽化してるからダメじゃない?」
恨めしそうにアスカに視線を移すミサト。
「・・・なんですってぇ」
だが、そんなミサトにアスカは遠慮という言葉が皆無である言葉を吐いた。
「寄る年波には勝てないって事よ」
「こらっ!」
ミサトは覆い被さるようにアスカを抱きかかえると、手をアスカの脇腹に
滑り込ませ、脇腹を揉みだした。
「今なんて言ったのかなぁ?」
くすぐられていることで笑い声を駐車場に響かせるアスカ。
「ヒィハハハハ、やめ、やめてっばぁハハハ」
「ごめんなさいって言わなきゃダメよ」
笑いの度が過ぎ、息も絶え絶えになった頃に
アスカの口から苦しそうな笑いとともに「ごめん」と漏れる。
ミサトは彼女を揉んでいた手を離すと、頭をこちんとこづいた。
「大人をからかうもんじゃないわよ。わかった?」
息を整えながら、ミサトに涙目になってる視線を移す。
今にも怒り出しそうなミサトの表情。だが・・・。
アスカから帰ってきたのはアッカンべーだった。
「こらぁ!」
ミサトの明るい怒声が飛んだ瞬間、アスカはエレベーターに向かい走り出していた。
「待ちなさい!」
「待てっていわれて待つほど子供じゃないわぁ」
足はアスカの方が速く、時折振り向く余裕のあるアスカに対し、ミサトは必死だった。
その事が、さらにアスカの言葉を生む。
アスカはエレベーターのボタンを押しながら、振り返ってミサトを待った。
ぜいぜいはぁはぁのミサトに対し、アスカは息すら上がってない。
「あまり無理しない方がいいわよ、もう若くないんだし」
にこやかに話すアスカに視線を移し、ミサトも口をほんの少し緩める。、
「・・・あんたねぇ」
ミサトの言葉と同時にエレベーターの到着音が同時に響いた。
かちりかちりとエレベーターに音が響く。
おしゃべりの二人も、エレベーター内では何故か無口になる。
かちりかちりと密室の沈黙に音がする度、光に満ちたアスカの心が沈んでゆく。
「・・・ねぇ、ミサト」
ミサトは少し浮き出た汗を拭っていた手を止め、彼女の方を見た。
「・・・でもさ、羨ましい。ミサトは若くなくても大切な人がいるんだもんね」
ミサトは怪訝な顔を見せる。
「私なんか、本気で見てくれる人いないもの」
少しうつむいてエレベーターのドアを見つめて話すアスカにミサトは努めて明るく切り返す。
「アスカなら選り取り緑なんじゃない?。
ラブレターだって下駄箱いっぱい貰ってんじゃない」
アスカは少しの沈黙の後で呟いた。
「・・・猿や蟻の相手なんてゴメンよ。
・・・・・ホントに私のことを知って、言い寄ってくるわけじゃないもの。
容姿だけで口説こうとする・・・最低の連中よ」
トーンは下降の一途、ミサトも軽口ではいられる雰囲気ではなくなった。
「でもまだ14でしょ。まだまだこれからよ。
私なんかあなたの年齢の時には誰とも話せなかったんだから。
もちろんリツコや加持とも会ってなかったし」
「・・・」
「あなたの人生はまだまだこれから、
一時の感情や境遇で落ち込んでたらエヴァなんか動かせないわよ。
私も一時は死にたいと思ったこともあったけど、
今は馬鹿なこと考えてたなってあの頃を思い出すと笑っちゃうもの」
アスカが言葉を返す前にエレベーターが到着を告げる。
まずアスカが出て、続いてミサトが降りた。
今日は第2ケージ、直接射撃のテスト、当然更衣室も専用の場所を使う。
更衣室はエレベーターから歩いてすぐの所、有事の際にはすぐに出撃できるためだが、
今回はそれが徒になった。
アスカは振り返ると、努めて明るくミサトに笑顔を送る。
「そうだよね、今は素敵な人がいなくても、年を重ねれば出会えるよね」
ミサトは口元を緩めたが、ほんの少し痙攣していた。
「まぁ年を重ねればって言い方がムカつくけど、その通りよ」
アスカはさらに、視線を落としながら続けた。
「・・・イヤなことも、時がたてば思い出に変わるものだよね・・・」
アスカは上目使いでちらとミサトを見る。
彼女の視線の先には微笑みながら頷くミサトの姿があった。
再び努めて明るく、アスカはミサトに敬礼する。
「では行ってまいります。葛城三佐」
そう言った後で、舌を出しておどけてみせる。
「了解、健闘を祈る」
古くさい挨拶に2人は笑いながら別れ、更衣室のドアが彼らの間を遮断する。
一方のオンナは心配の対象になっている人物の明るい態度を嬉しく感じ、
上機嫌でテストの指令所にその足を向けた。
そして、もう一方のオンナは、更衣室の壁にもたれかかりながら呟いていた。
「・・・イヤな物ほど頭に残るのよ・・・私は・・・」
彼女はため息をついた後で一息深呼吸をしながら置かれていた
プラグスーツを手に取り、包まれていたビニールを破りながら、
02と書かれているロッカーのドアを開けた。
「・・・あ・・・」
目の前の光景、アスカの瞳が一瞬時を刻むのをやめた。
ゆっくりとしゃがみ込み、ロッカーの一番下に置かれたバスケットに手を伸ばす。
留め金を外して、中を見る。
クーラー使用のバスケットのお陰で中身はほぼ変わらすのまま、アスカを迎えてくれた。
逆にそれがアスカの思いを加速させた。
「・・・忘れてた」
そう呟きながら、アスカは中身のサンドイッチに手を延ばし、一つ手で摘んでみた。
外観は変わらなかったが、中身はすでに食べられる鮮度ではなかった。
「・・・駄目よね」
アスカはバスケットを閉じると服を脱ぎ、プラグスーツを着ようとそれに手を伸ばした。
右手の親指と人差し指で掴み上げようとしたとき、
しっかり摘んだはずのプラグスーツが指の間からするりと落ちた。
滑ったことを怪訝に思い、アスカは手のひらをまじまじと眺める。
一見は変わりないのだが、先ほどサンドイッチを摘んだ指先に、
ぬるっとした感触があるのに気づいた。
アスカはそれがパンの隠し味の希釈した蜂蜜だとわかった。
時間が経過して内容物の液が増えたせいだなと思いながら
ティッシュを探していたときアスカがはっと手を止めた。
同時に加持との約束の日のシンジの行動と、その後のミサトの言葉を思い出した。
「あいつ、知ってて・・・」
アスカの口がきゅっと真一文字に閉じられた。
その口は先ほどまで談笑していたミサトの前ですら、緩むことはなかった。
次回予告
アスカの激しい追求に、シンジはうずくまりながら荒げた声を部屋に響かせる。
「僕の気持ちもわかってよ!わかるだろ?!」
第7話「愚笑」