『あの日の君』を忘れない(Aパート)

芹沢 軍鶏


 人工知能。
 人の手で作られた、機械の心。
 人のために作られた、道具としての心。
 機械は、心を持たされて幸せだったのだろうか?
 思兼(おもいかね)。あなたは、幸せなの?



「と、いうわけで、ナデシコがヒラツカドックで改修作業を受ける3日間、乗
員の皆さんには、休暇を取っていただくこととなりました」
 機動戦艦ナデシコ、艦橋(ブリッジ)。
 プロスペクターは、いつもの癖である眼鏡をひょいと指で押し上げる仕草を
しながら、集まっているメインクルーに向かって言った。
「ナデシコは木星トカゲとのたび重なる戦闘により、船体のあちこちに損傷を
受けています。また乗員の皆さんも、これまでロクに休みも取れず働いてこら
れましたので、そろそろリフレッシュが必要なのではないかと、ま、私のほう
から連合軍とネルガル本社にナデシコのドック入りをお願いをしてみて、これ
が受け入れられたという次第ですな」
「お休み、いただけるんですか?」
 ミスマル・ユリカは目を輝かせた。隣に立っていたテンカワ・アキトの腕を
とって、
「やったね、アキト! 3日間もお休みだって! 一緒においしいもの食べに
行って、お買い物をして、映画なんか見に行っちゃったりなんかして!」
「え、ああ……」
 アキトはたじろぎながら頭をかく。
「そのことですが、艦長には、お父上のほうから、この機会に一度、家に帰っ
て来るようにとのお言づてがありました」
 ゴート・ホーリーが言って、ユリカはきき返す。
「お父様から?」
「はい。なんでもシズオカの叔母様がお家に遊びに来られるとのことで、叔母
様も艦長にお会いになりたがっているとか」
「叔母様が……?」
 ユリカは、うーんと首をかしげる仕草をした。
「せっかくだから、家に帰ったらいいじゃないか」
 アキトが言うと、ユリカは首をかしげたまま、
「叔母様って、どんな人だったかあまり覚えていないのよね。もう10年以上、
会ってないはずだし……」
「だからこそ会いたがっているんじゃないか?」
「そうかな……」
「それは帰るべきだよ、絶対に」
 アオイ・ジュンが言った。さらに、ここぞとばかりに付け加えて、「あの、
僕が、家まで送っていってもいいし……」
「あれは艦長とアキト君にデートさせたくないからだね」
 アマノ・ヒカルがひそひそ声で言って、マキ・イズミがうんうんとうなずく。
 そして二人そろって、いやらしい笑みを浮かべて、スバル・リョーコに、
「艦長が実家に帰っちゃえば、リョーコにもチャンスが出てくるじゃん?」
「な、なんのチャンスだよ、ばか」
 リョーコは赤くなりながらそっぽを向く。
「そうだ」
 ユリカは、ぽんっと手を打って、アキトに言った。
「アキトも、私と一緒にうちに来ればいいんだ」
「えっ?」
「そうよ。アキトは幼なじみなんだから、うちに遊びに来てくれたって、ちっ
ともおかしいことなんてないわ。ね、アキト?」
「いや、それは……」
 アキトは困りきった顔をして頬をかく。ユリカの前では口に出さないように
しているけれど、正直なところ、自分の両親の死に関わっていたはずのユリカ
の父親には、いい感情を抱いていないのだ。
「あの、そのことについてもなんですが……」
 プロスペクターが口をはさんだ。
「艦長以外のクルーの皆さんには、ぜひとも、ネルガル重工系列のネルガル・
ヒラツカ水族館の見学会に参加していただきたいと思いまして」
「水族館の……?」
 アキトがきき返した。
「見学会、ですか?」
 メグミ・レイナードがきき返す。
 イズミがぼそっと、
「……平林健一、あだ名はケン。その彼が死んでしまった。ケン、がくっ」
「平林健一って、誰?」
 ヒカルにたずねられて、リョーコは額に手を当てて、
「オレにきくなっ!」
「ネルガル・ヒラツカ水族館では、来月の一般オープンを前に、ただいまネル
ガル関係者を招待した内見会を行っておりまして……」
 プロスペクターは説明する。
「それで、ネルガルとも縁の深いナデシコ・クルーの皆さんも招待したいと、
先方から言ってきたわけなんですな」
「その見学会への参加って、業務命令なんですか?」
 ハルカ・ミナトがたずねる。
「いえいえ、そういうわけでは。ですが、今回のナデシコの改修は、ネルガル
本社にお願いして、ほかの船のドック入りのスケジュールを調整して最優先で
やってもらいますので、できればまあ、会社の顔も立ててやってほしいわけで
して……」
「まあ、休みが3日あるうちの、1日つぶれるだけだろ? いいんじゃねーか、
みんなで行ってやれば」
 リョーコが言うと、ヒカルが、
「でも、なんで私たちなんか招待したがるわけ、水族館が?」
「それはその、ナデシコのクルーといえば、木星トカゲとの戦闘で数々の功績
を挙げたヒーローであり有名人なわけですから、皆さんに来てもらえれば、水
族館の宣伝にもなるというわけでしょうな。実のところこの見学会は、プレス
関係者、つまりマスコミへのお披露目会も兼ねているのです」
「マスコミが取材に来るんですか?」
 メグミがたずねて、プロスペクターは「はい」とうなずき、
「三大新聞と有名雑誌社の記者の皆さんが招待される予定になっています」
「つまり、俺たちはネルガルの宣伝に使われるってわけか……」
 不服そうな顔をしているアキトに、プロスペクターは苦笑いして、
「まあ、そう難しく考えずに、タダで水族館見物ができると思って楽しんでき
てください」
「マスコミの取材かぁ。どうしよう、インタビューなんかされちゃって、それ
をきっかけに芸能界デビューなんてことになっちゃったら」
 目にきらきらとお星さまなど浮かべているヒカルに、リョーコとイズミは額
に手を当てて、
「それはないない」
「メグちゃんなんか、取材慣れしてるからいいわよね」
 ミナトに言われて、メグミは首を振り、
「そんなことないです。私、声優をやってたときも、まだそれほど有名という
わけじゃなかったから、あんまり取材なんて受けた経験なくて……」
「でも、取材の目的はあくまで水族館で、オレたちは、おまけみたいなもんな
んだろ?」
 リョーコが言って、メグミはうなずいた。
「そうですよ。だから、私たちは気楽に水族館を楽しめばいいと思います」
「そう言いつつも、その手にしているお化粧コンパクトはナニ?」
 ヒカルにつっこみを入れられて、メグミは赤くなる。
「これは、その……」
 相も変わらずにぎやかな様子のクルーを横目で見ながら、ホシノ・ルリは、
ふうっとため息をついた。
「……やれやれ」

 ヒラツカに到着したナデシコは、ネルガル重工のドックに繋留された。
 ユリカは、父親の差し向けた迎えの車でそのまま実家へ帰ることになった。
 一方、彼女以外のクルーは、ネルガルが手配したバスに分乗して水族館へ向
かうことになる。
「それじゃあね、アキト。私の分も水族館、楽しんできてね。あ、私へのおみ
やげなんて、気にしなくていいから。全然全然、気にしなくていいから」
 車の窓から身を乗り出しながら、バスの中のアキトに向かって言っているユ
リカに、アキトの前の席に座っているヒカルがあきれたように、
「あれって絶対、おみやげを期待しているよね」
 うんうん、と、隣の席のリョーコと補助席のイズミがうなずき合う。
 アキトの後ろの席から、ジュンがユリカに、
「ユリカ、やっぱり僕も一緒に行こうか? 荷物がいっぱいで大変だろ?」
「だいっじょうぶだって、車なんだから。それに、家についたら、荷物を下ろ
すのはお父様に手伝ってもらえばいいんだし」
 そう言っているユリカの車のトランクは、荷物がいっぱいで蓋が閉まってい
ない。
「それにしても、ユリカ、その荷物は何なんだよ?」
 あきれた顔でたずねるアキトに、ユリカはにっこり笑って、
「うちの家族と叔母様へのおみやげ。あとは叔母様の歓迎パーティーで着るド
レスと、普段着と……」
「歓迎パーティーだって」
 ヒカルが言って、リョーコは「はん」とつまらなそうに、
「うちの艦長は、ああ見えて連合宇宙軍提督のお嬢様だからね。パーティーな
んて日常茶飯事なんだろ?」
「……あと、なんかわかんないけど、着物ももって来いって、お父様が」
 ユリカの言葉に、アキトはきき返す。
「着物って……和服?」
「うん。お茶会でもするのかな……?」
 ユリカは首をかしげている。
 バスガイドが、ナデシコのクルーたちに告げた。
「それでは皆様、出発させていただきまーす」
「あ、バスが出るって。それじゃあ、ユリカ」
 アキトは、ユリカに向かって軽く手を挙げてみせた。
「うん、それじゃあ、また3日後に。さっきも言ったけど、おみやげは全然気
にしなくていいからね。ほんとにほんとに、気にしなくていいからね」
 ユリカは笑顔で手を振り返しながら言う。
「あの様子じゃ、おみやげを忘れたら大変なことになりそうね」
 ヒカルが言って、イズミは「ふっ……」と妖しく笑い、
「血の雨が降るわね」
 クルーたちのお気楽な会話をききながら、ルリは、ぽつりとつぶやいた。
「……バカばっか」

「いらっしゃいませぇ。私、ネルガル・ヒラツカ水族館の広報担当を勤めさせ
ていただいておりますぅ、ヨツカイドウ・アカネと申しまぁす」
 スーパーモデルのような抜群のスタイルと、それに似合わぬ甘ったるいしゃ
べり方をした女性職員が、水族館に到着したナデシコ・クルー一行を迎えた。
 彼女は、ナデシコの一行を館内の中央ロビーへ案内しながら、この水族館に
ついての説明をした。
「ここネルガル・ヒラツカ水族館はぁ、ネルガルグループがその技術力の粋を
集めて建設しましたぁ、世界最大規模の自然博物館でぇす。総水量8千トンに
及ぶ大小の展示水槽の中でぇ、約900種2万5千点の水棲動物が飼育されて
いまぁす。その中には、すでに自然状態では絶滅したものを遺伝子工学技術で
復元した、10数種類の水棲爬虫類ならびに哺乳類も含まれていまぁす」
 先に立って歩いていくアカネの後ろ姿を、ウリバタケ・セイヤはでれっと鼻
の下を伸ばして眺めながら、アキトに小声で、
「うおーっ、たまんねえな、あのお姉ちゃんの歩く姿」
「そ、そうですか?」
「なんつーかこの、おしりをくいっ、くいっと揺らして歩くところなんか」
「はあ……」
 そう言われると、今までアカネのことなど気にしていなかったアキトも、何
となく彼女のおしりに視線が行ってしまう。
 実際、いつもポーカーフェイスのプロスペクター以外の男性クルーは、ほと
んどみんなアカネの後ろ姿に見とれてしまっていた。普段は堅物に見えるゴー
トまでが、頬を赤らめたりしている。
 ミナトはぶすっとふくれ面で、
「なんなの、あの女? 男に媚びてるみたいにくねくねと歩いちゃって」
「ミナトが言っても、説得力ねーよ」
 リョーコがぼそっと言って、ヒカルとイズミはうんうんうなずく。
「先ほど博物館と申しましたがぁ、私どもネルガル・ヒラツカ水族館の基本理
念はぁ、まさしくその博物館としての学術的機能の実現にあるのでぇす。従い
まして当水族館ではぁ、次のようなキャッチフレーズをつけましたぁ」
 アカネは立ち止まって、くるりとナデシコの一行のほうへ振り向いた。
「『大人も楽しんでお勉強できちゃう、ネルガル・ヒラツカ水族館』!」
「うんうん、楽しんでまーっす!」
 ウリバタケを初めとする男性クルーたちが、でれーっとした顔で言う。
「あ、もちろん、子供さんにも楽しんでもらえるような工夫もしていますよぉ」
 と、アカネはルリに向かって微笑みながら言う。
 ルリは表情を変えないまま、
「私、子供じゃありません。少女です」
「あ、そぉ? ごめんなさい……」
 アカネは、きょとんとした顔をした。

 アカネによる水族館の説明が終わり、ナデシコの一行は、自由に館内を見学
することになった。
「なーんだ、私たちが来る前にマスコミの取材はほとんど終わっちゃってたん
だって。がっかり」
 ヒカルが残念そうに言うと、イズミが、
「学生の入場料金。それは学割」
「こいつ、いっぺん人喰い鮫の水槽にでも突き落としてやったほうがいいかも
知れない」
 リョーコが頭を抱えて言う。
 ナデシコの料理長、ホウメイは、調理場で働く女の子たち(ホウメイ・ガー
ルズ)と一緒に、水槽の中を回遊している鯵の群れを眺めて、
「さすが、生きがよさそうな魚たちだね。ナデシコにもこの水槽の半分くらい
のサイズの生け簀があれば、みんなに、もっとうまい魚を食べさせてやれるん
だけどね」
 イネス・フレサンジュは、じっとジュゴンの水槽に掲示された説明書きを見
つめている。
(ジュゴンは人魚のモデルと言われている……。違う、そうじゃないわ。それ
も確かに一つの説だけど、古代ケルト神話における水の妖精が、魚または蛇の
下半身をもつものとされていたことにも関係があるはずよ。ああっ! 説明し
たい、説明したい、説明したーいっ!)
 そんなイネスの心の中の葛藤を知らないプロスペクターは、彼女の熱心そう
な様子に感心している。
「さすがはドクター、説明書きの隅々にまで目を通している。このような場所
でも研究を怠らない姿勢は敬服に値しますな」
 売店の前のベンチに腰掛けてソフトクリームを食べているミナトとメグミに、
どこかの雑誌社のカメラマンが声をかける。
「すいません、ナデシコのクルーの方ですよね? 写真一枚、撮らせていただ
いていいですか?」
「あ、え、はいっ!」
 メグミはあわてて、口の周りについたクリームをぬぐい、その様子にミナト
はくすくす笑う。
 同じ売店のみやげ物コーナーでおもちゃを物色しているウリバタケに、ジュ
ンが、
「あれ、子供さんへのおみやげですか?」
「まーな、たまには親父らしいこともしてやんねーと。おまえは買わなくてい
いのか、艦長へのみやげ?」
「ユリカへは、テンカワが買っていくと思いますから」
 ジュンは、いつもながらの寂しげな笑顔で言う。
「いかんなぁ、そんな消極的な態度じゃ。女ってのは、強い男に惹かれるもん
なんだぜ。もっとこっちから、がっつーんと積極的に攻めていかなきゃよ。ほ
ら、これ」
 ウリバタケから小さなペンギンのキーホルダーを押しつけられて、ジュンは
たずねた。
「え、何です、これ?」
「艦長へのみやげだよ。あのお嬢ちゃん、そういうモンが好きそうだからな」
「そうでしょうか……? ユリカ、こんなので喜ぶのかな?」
「まあ、あとは自分のハートだよ。おまえの心をそのプレゼントに託して、ど
んと思いきって渡してやれ!」
「そう……そうですね!」
 ジュンは、ペンギンのキーホルダーをぐっと握りしめて、何かを決意したよ
うに言った。

 ルリは、水槽の中を泳いでいる鮭をじっと見つめている。
「あれ、ルリちゃん、ここにいたの?」
 アキトが、ルリに声をかけた。
「あと10分くらいで、バスの出発の時間だよ。おみやげ、見に行かなくてい
いの?」
「おみやげを買う相手なんて、いません」
 ルリは鮭を見つめたままで言う。「だって、私の知っている人たち、ほとん
どみんなここに来てますから」
「いや、誰かほかの人のためじゃなくてもさ、自分がここに来た記念でもいい
んじゃないの?」
 アキトが言うと、ルリは首を振った。
「べつに来たくて来たわけじゃないし、記念にするようなことなんてありませ
ん。私、動物園とか水族館って、嫌いなんです」
「嫌い?」
「ええ。自然の中で暮らしていれば一番幸せなはずの動物たちを、人間の都合
で、こんな牢獄の中に閉じ込めてしまうなんて」
「それは違うと思うよ、ルリ君」
 ゴートが二人のほうへ近づいて来た。アカネも一緒である。
「この水族館で、魚やほかの動物たちを飼っているのは、学術的な目的のため
だ。その中には動物の生態系を研究することも含まれているが、一番の目的は、
見学者に生き物を愛する心を養い育ててもらうことにあるんだ。……と、これ
は、こちらのヨツカイドウ女史の受け売りなのだが……」
 頬を赤らめながら、ちらりとアカネの顔を見るゴートに、彼女は微笑み返す。
 ゴートは、ますます赤くなった。
 アカネはルリの前に立つと、腰をかがめて彼女の顔をのぞき込むように、
「ルリちゃん、生き物のことを学ぶにはぁ、実際にその生き物と接してみるのが
一番なのよぉ。けれどぉ、ほとんどの生き物はぁ、人間が生活している街からは
遠い、山の中や、海の奥深いところに暮らしているわ。だからぁ、この水族館で
はねぇ、生き物たちに協力してもらってぇ、もっと人間の街に近い場所に引っ越
して来てもらっているのぉ」
「協力なんて、詭弁ですね。協力というのは、自発的な意志に基づいて行なうも
のです。人間が一方的に強制することは、協力とは言いません。それとも、あな
たが生き物たちの意志を確かめたというのなら別ですけど」
「うーん、困っちゃったわねぇ……」
 アカネは、弱りきった顔をする。
「よさないか、ルリちゃん」
 アキトにたしなめられて、ルリはひょいと肩をすくめる仕草をした。
「そうですね。この人を責めたって、仕方がありません。この人だって、仕事
のためにやっているだけでしょうから」
「ルリちゃん……」
 アキトは、何の感情も浮かべていないルリの横顔をじっと見つめる。
 そんな四人の様子を見て、ミナトは面白くなさそうに、
「なーに、あの案内役の女。なんでずっとゴートと一緒にいるわけ?」
「さあ……」
 メグミは、苦笑いするだけだった。




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