あれほど厚く、空を覆っていた雲も。
気まぐれだったかのように、快晴の日が続く。
今は、きっと「春」という季節なんじゃないかな。
すっかり枯れてしまったと思ってた街路樹も。
わずかながらも、芽を吹き出した。
アスカが好きだった桜も、つぼみをつけている。
雪はたまに降るけれど、純白で真綿のようなその雪に、誰もが喜びを噛み締めていた。
あの日から、世界はその姿を取り戻し始めていた。
CRWが今年いっぱいで解体されることになった。
CRW東京支部の施設すら秋をもって廃棄され、義務教育の復帰を待って教育機関として
作り替えられるという。
子ども達は、私営の施設に移されるという・・・。
僕にも、大塚さんにも、どうしようもなかった。
大塚さんは、知り合いの、同じような施設で働くという。
僕にも一緒にくるよう薦められたが、結局断った。これ以上大塚さんに迷惑をかけられ
ない。
今でさえ、施設当ての葉書の中に、僕への非難のものがあるのだ・・・。
付属の病院は、現状維持という形をとった。
それはまた、アスカの居場所も確保されたということ。
ケンスケやトウジは、どうするのかな。
僕も、このまま第三新東京市で暮らすことは、不可能だろう。
かつてのネルフの職員も、解雇になってしまうのだ。
日向さんや、青葉さん、伊吹さんは、どうしてるかな。
そして、僕らはこれから、どうすればいいのだろう・・・。
CRW解体に伴い、各部署データ整理が進むなか、冬月責任者逮捕の衝撃が伝わった。
理由は、旧ネルフ司令、碇ゲンドウの暗殺。
僕は知っていた。
3年前、僕を訪れた冬月さんは、そのことについては言わなかったけど、僕には解って
いた。
あの父親を殺してくれたことに、僕は感謝すべきだろうか。
それとも、憎むべきなのだろうか。
今の僕は、昔よりは強くなった筈。
昔の僕は、父さんに抗えなかった。
父さんの考えを解ろうとしなかったし、実際僕はそれを嫌悪し続けてきた。
冬月さんが僕に残した手紙の中に、こんな文章があった。
「何故、あの戦いのなかで私と碇は生き残ったのだろう。
何故、私も碇も生き残ってしまったのか。
私は碇という人間を恐れていた。
それと同時に、彼の考えの深さに惹かれていたことも事実だ。
使徒が私たちの目の前まで迫ってきたとき、これですべてが終わったと思った。
いや、終わらせたかったのだ。
しかし、ほんの数メートル先で、異形の使徒が私を見たとき。
その瞳の中に、哀れみを感じた時。
何故か私は涙を流していた。
何故彼らが使徒と呼ばれているか、その由縁を、本能で悟った気がした。
そう、すべての人間は、神の名の前で死に絶えるべきだったのだ」
その時の冬月さんが何を感じ、何を思ったのか。
僕には解る気がする。
手紙の最後は、こんな言葉で括られていた。
「だが、私は生き残った。
この命が消えなかったお影で、私は一人の、愚かな男を殺すことができたのだ。
そしてまた、愚かな行いを世に知らしめないために。
同じ過ちが繰り返されるように・・・。」
それでも僕は願う。
同じ過ちで苦しむ人がいないように。
エヴァンゲリオンという、悲しい物語の封を切らないように。
いつしか、僕と綾波とアスカが戦った記憶は、人々の中から消え去ってしまうだろう。
いくつかの真実と事実は、闇の中に葬られたまま。
世界は復興し始め、新たな人が生まれつつある今日。
死にゆく人は、何も語らない。
いくつかの話は、人々の間で語り継がれてゆくかもしれない。
でも、この世界に人間が生きる限り、その怠慢が、いくらでも悲劇を生み出のだろう・・・。
今日は、「卒業式」だった。
桜は散ってはいないが、心洗われる雪景色。
親のいない、子供たちだけのセレモニー。
今日ここを出てゆくのは、僕が最初の年に面倒を見た子ども達だった。
まだ10歳そこそこだというのに、国は彼らを見放すのだ。
未だに義務教育制度の復旧の目処が立たないまま、彼らがこれから学ぶものとはいった
い何なのだろう。
働き口は、こんな世界だからいくらでもある。
毎年の事とはいえ、彼らの未来がここで折れてしまわないことを願うだけの自分に、憤
りを感じることもある。
でも、苦しい時を経て得るものは、学校などでは教えてくれない、得難いものだ。
せめて、これから先、彼らが幸せでありますように。
施設に入ろうとしたとき、一人の少女と出会った。
「碇先生、もうお別れですね」
彼女の顔は、よく覚えていた。
黒く艶やかなその髪と、好奇心旺盛の大きな瞳をもったその少女は、どことなくアスカ
に似ている。
彼女は、僕が最初に持ったクラスのなかで、一番の泣き虫だった。
よく童話を聞かせてやったものだった。
「先生、『白雪姫』好きだったもんね」
「あ、あれはケイコちゃんがねだったからでしょ」
「そうだったっけぇ・・・。懐かしいなぁ」
数年前のことなのに、ひどく昔のことのように感じる。
「先生ぇ、『白雪姫』読んで、読んでぇ!」
あの時と同じような甘えかたで、アスカのような甘えかたで・・・彼女は僕にねだる。
「ごめんね、今、本もってないからね・・・」
「ううん、いいの。先生・・・私、絶対ここに戻ってくるから!先生と一緒に、働くん
だから!」
子供たちは、この施設が無くなることを、まだ知らない・・・。
気が付いた時、僕は泣いていた。
ぬぐってもぬぐっても、僕はその涙を止めることはできなかった。
「先生、泣き虫ね・・・私が『白雪姫』読んであげるから」
そういって、おぼろげな記憶で話し出した。
かなりかいつまんでいる為、ストーリーが解る程度。
それでも、一生懸命なその姿に、僕は感動を覚えた。
「うーん、あんまり覚えてないや。でも、最後にお姫様は、王子様のキスで目覚めるん
だよね〜。ロマンチックだわ」
僕らの肩に、雪が降り積もっている。
何故か、それを払うのは躊躇われた。
「ケイコちゃん、ありがとう。僕は、君らのこと、一生忘れないから。いつでも遊びに
きていいんだよ。ここは・・・みんなの家だから」
「うん、先生、ありがとう。いつ帰ってこれるかわからないけど、私頑張る。先生の奥さんにも、よろしくねっ!」
そういって、建物の中に駆けていった。
先生の奥さんって・・・アスカのことかな。
何で知ってるんだろう、彼女のことを。
嫉妬・・・かな。
でも、笑ってたっけ。
また嘘を付いてしまったけど。
いつかまた、僕らが笑って出会うことができると、いいな。