序章「ウェイルボード王国」


 大陸の片隅に、一つの国があった。
 国土全一六州のうち国王の直轄領が一〇州、各貴族の領地が三州、「国公」と
呼ばれる特殊な身分の人間が治める領土が三州。
 領土の面積においては小国といっていい。
 だが、ちょうど大陸の西北端に位置し、海上貿易と商業が群を抜いて発達して
いるため、実質的な国力は大陸諸国のほとんどを凌駕する。この大陸の、いわゆ
る「七大国」のひとつであった。
 面積の狭さゆえ、あるいは北方の気候ゆえ、人口は多くはない。当然、陸兵の
数は、他の六大国にくらべ、大きく劣っている。だが、この国は大陸にありなが
ら海洋国家である。万里の大海を――というのは大袈裟だが、少なくとも大陸西
方の近海航路は彼らの領土にひとしかった。質・量ともに大陸随一の海軍を、こ
の国は有していたのだ。
 海洋貿易による経済力、そしてそれを保護する海軍力が、この狭小な国をして
大陸の列強たらしめ、他国の侵略から国家を守ってきた。
 たとえば侵略を受けた場合、陸戦がおこなわれている間に、この国の大艦隊が
すぐさま動きだし、敵国の主要な商港・軍港を攻め、劫掠する。また、敵国と同
盟関係にある国の海上貿易路をも、封鎖する。「責任を負わずにすむ同盟などこ
の世に存在しない。味方に対しても、また敵に対しても」とは、この国の五代国
王にして、この戦略をはじめて立てたフェルゼンの言葉である。すでにこの時代、
諸国の経済は多かれ少なかれ貿易に依存しているので、それを止められては足腰
が立たなくなる。敵軍は、自国の疲弊と同盟国の圧力とで、撤退せざるを得なく
なる。圧倒的な海軍力とそれを支える経済力が為せる技であった。
 そういった具体的な力を持つために、他国から不当な侮りを受けることはない。
実際、この国は、ある特殊な事情によって建国して以来、領土の一寸たりとも外
敵にくれてやったためしはないのだ。
 また、陸においては寡兵ということもあり、つねに守勢を貫く。他国を侵すこ
とがないということだ。ゆえに、無用の恐れを諸国に抱かせない。
 さらに、貿易立国ではあるが、その利を不当に独占することもないので、敵愾
心や憎悪を呼び起こすこともすくない(もっとも、そういった他国の信頼を得る
までには、おびただしい戦いがあったのだが)。
  要するに、他国の君臣が、個人的な野心より国益を優先させている限り、この
資源に乏しい国土は安泰なのであった。

 紛争と無縁であるわけではもちろんないが、建国の一時期を除けば、そのほと
んどは貿易における対立が基となっているため、講和や妥協も比較的容易であっ
た。
 八年前に起きたワイツ王国との戦争も、戦火が無用に拡大することはなく、戦
闘そのものは熾烈であったにせよ国境線上の闘いに終始し、四ヶ月で停戦にいた
った。セルブル大公国を相手とした五年前の紛争などは、なんと一日で終結した
ものである。

 今後も、外交上の対立や国境での小競り合いはあるにせよ、大規模な戦乱に巻
き込まれることはない、と、誰もが信じていたし、願ってもいた。

 この国の名はウェイルボード王国。
  物語は、大陸公暦八七四年、ウェイルボード暦二五四年に、始まる。
 
 

 

第一章へ続く

 




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