- 新第三新東京市 特別医療施設 -



「あれ・・・」



少年はここ2週間毎日通うこの部屋に、目的の人物が居ない事を確かめる。

ベッドは綺麗に片付けられており、ドアの横の表札には空室を表す『空』の文字が書かれている。

少年は、暫く考えた後近くにあるナースセンターへと向かう。

「すみません」

「あら、碇さん、どうしましたか?」

「あの、惣流・アスカ・ラングレーの病室は・・・」

「ああ、惣流さんですね、お部屋が変わったんですよ」

「そうですか、今どこですか?」

「ちょっと、待ってくださいね、そこに掛けて待っててください」



そう言うと、看護婦は担当医を探しに行ったようだ。

部屋の場所ぐらい教えても良いのにと思いながらも、仕方なく椅子に座って待つ事にする。



住民の殆どが疎開をしている今、病院とは言えども患者の数も少数だった。

病人よりも看護婦の方が多い様にすら感じる。

ふと、横を見やると、普段は堅く閉ざされている看護婦の休憩室のドアが開いている。



「まいったわよ!まったく!」

「どうしたの?」

「203のあの女の子に、今日はついに噛み付かれたわ!」

「ひっどい、この傷?」

「そう! 『私を殺さないで〜』とか言ってるかと思ったら、急に暴れ出してね」

「看護婦も楽じゃ無いわよねー」

「本当よ、割に合わないわ」

「でも、あの子もついにアノ部屋に入ったんでしょ?」

「あったり前よ、こんな事続いたら身が持たないわ」

「ちょっと可哀想だけどね」

「ばっかじゃ無いの? 大体、ここは元々は外科よ?」

「まあねー」

「毎日、お見舞いに来る子居るじゃない」

「男の子?」

「そうそう、碇君」

「うん、あの子も辛いだろうにね」

「っていうか、とっとと引き取って欲しいわ」

「まぁまぁ、ここは病院だし」

「だから、ここは元々・・・」



「碇君」

「は、、はい!」



突然背後から呼ばれた少年は、びっくりして立ち上がる



「4階のナースセンターに先生が居るから、そこに行ってもらえるかな?」

「分かりました」

「あの・・・」

「何?」

「あのドア・・・閉めてもらえますか?」



少年は俯いたまま、看護婦の休憩室のドアを指差す



「あら、開いてたのね、分かったわ」



休憩室の会話の事を知らない看護婦は笑顔で答える

一礼すると、少年はエレベーターへと歩き出す

休憩室へと近づいた看護婦はすぐに事態を理解したようだ

少年の後ろの方から怒鳴り声が聞こえる

そんな声を、どこか違う世界の様に遠くに感じながら少年はエレベーターに乗り込んだ



「先生」

「お、碇君、こっち入って」

「はい」



「惣流さんなんだけどね、ちょっと暴れちゃってね」

「はい」

「個室に移したんだ」

「アスカの部屋は元々個室でした」

「うん、あの部屋だと本人も怪我しちゃいそうだったから、移したんだ」

「はい」



少年は先生が遠まわしに何かを言おうとしている事は理解出来たが、早く少女に会いたかった



「アスカは・・・どこですか?」

「会いたいかい?」

「はい」

「ちょっと、状態が状態だから会わないほうが良いと思うんだが」

「いえ、会わせてください」

「うーん」

「どうしてもと言うなら、自分で探します」



『何を言っても駄目だな』という諦めの表情をすると、先生は黙ったまま部屋を出て行く

その後を俯いたままついて行く少年



長い廊下の先には鉄の扉が有り、その扉を開けた向こうには隣に立つもう一つの建物が見える

とんがり帽子の様な形をしたその病院に入った瞬間、少年は異様な匂いに思わず口を押さえる



「大丈夫かい?」

「ここにアスカが居るんですか?」

「・・・そうだ」



何故、こんな所に居るのか、それ自体が理解出来ない少年の目に入るのはその建物の中に居る病人達

精神分裂症で有る事が素人目にも理解出来る奇怪な行動をしている人達が部屋の中に見える

酷い患者になると、糞尿と嘔吐物が部屋中に散っている

酷い匂いの原因は、こういった匂いが混ざった物だと理解した



長い廊下の一番奥の部屋の前で立ち止まると、先生はドアを指差した

その部屋に外から見える窓は無く、堅く鉄の扉で閉ざされている



「ここだよ」



首から下げたカードキーをドアの前の装置に通すと、ドアのロックが外れる音がする。

重いドアを開けて中に入ると、ベッドに厳重に紐でくくり付けられた少女の姿が有った。

手足はもちろん、首を横に曲げる事すら許されない程厳重に縛り上げられている。



その光景を見た少年は、我慢出来ずにその場に有ったごみ箱に吐いた。

涙が次々と零れ落ち、その場に座り込む。

後ろから先生が背中を撫でてくれているのが分かる。



「大丈夫かい?」

「はい・・・」

「もう少し、落ち着けば元の部屋にも戻れるんだけどね・・・」

「・・・・・」

「正直言うと、看護婦が怖がっちゃっててね」

「それにしても、酷すぎます」

「・・・」

「先生」

「なんだい?」

「暫く二人にして貰えますか?」

「ふむ、紐は解いちゃだめだよ」

「はい」

「解いたら、君が怪我すると思うから」

「はい」



そう言うと、先生は部屋を出ていった。

暫くの間、ベッドの横の椅子に座ってアスカを見つめる。



「アスカ・・・」

「いつも元気なアスカ・・・」

「どこを彷徨っているの?」

「・・・」



暫くした後、少女はゆっくりと目を開くと少年を見据える。

ギシギシという音と共に、少女は腕を動かしたがる。

少女は苦しそうな顔つきになり、益々腕の紐が音を上げる。



「あ・・アスカ」

「苦しいの?」

「でも・・・でも、解いちゃ駄目って言われてるんだ・・・」

「だから・・・だから・・・ごめん・・・」



少年は、俯いたまま軋んだ音を聞いていた。

その音の重圧は、今までのどんな怖い思いよりも深く少年のココロを突き刺した。



「アスカ・・・いつも一緒だよね?」

「一緒に頑張ってきたもんね」

「アスカ・・・」



もう、我慢出来ないと諦めた少年は震える手で一つずつ紐を外していく。

腕の紐を外した時、紐の痕が痛々しく残っていた。

体を縛り付けていた紐は10箇所を超え、本当に身動き一つ出来ない姿になっていた。

カチャリと音を立て、全ての紐を床に置くと少年はやつれてしまった少女の顔を覗き込む。


「アスカ、全部・・・外れたよ」

「・・・・」

「アスカ・・・」

「・・・  ・・・・」

「え? 何?」



ここに通い始めてから初めて何かを伝えようとするその姿に、少年は少し緊張しながらも小さな声で呟く少女の口元へ少年は耳を近づける。


コロシテヤル コロシテヤル コロシテヤル コロシテヤル」

「アスカ・・・・」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ」

「くっ・・・アスカ・・・・」



少女は突如少年に飛びつくと、少年の首を締め上げる。

少年は、驚きで抵抗をしたがすぐに少女に身を任せた。

少年の顔色が赤くなり、目に涙が滲んでいるのが少女には分かった。

少年が、苦しそうな顔をしながらもその腕を少女の腰にゆっくり回すと、少年は目をゆっくりと目を開ける。



「くっ・・・あんた! 何わらってんのよ!」

「・・・っ」

「あんたみたいの見てると、ほんっとムカツクのよね!!」

「・・・・」

「この手で殺してやるわ!」



その声に、いつもの張りはまったくと言って良いほど残っていない。

随分と長い間、口に物を入れていなかったため、声はガラガラになっている。



少女は更に締める手に力を入れようとするが、少年は一向に抵抗の姿勢を見せない。

少女は自分の腕の力を抜くと、俯いたまま肩を震わせている。



「何で抵抗しないのよ!」

「アスカ・・・、守りきれなくてごめんね」

「くっ」





パァン



「アンタなんかに同情されたくないのよ!」

「・・・」

「アンタなんかに私の気持ちが分かるわけ無いでしょ!」

「・・・」

「・・・何とか言いなさいよ! えぇ!?」

「アスカ・・・一緒に・・・頑張ろうよ」



少女は泣いていた。

自分の惨めさに、

自分の価値の無さに、

自分の力の限界に・・・



もう、どうなっても良いと思った時いつも現れたのは目の前の少年だったのは事実。

この世の英雄が目の前の少年である事も事実。

誉められるべき一番の対象が目の前の少年である事も、また、事実。

その事実にアスカのプライドは傷つけられていた。



「もう、疲れたのよ・・・」

「・・・」

「生きるのもイヤ! 考えるのもイヤ! 何もかもイヤ!!」

「僕だって・・・疲れたよ・・・」

「なら・・・死になさいよ」

「でも・・・まだ、皆と一緒に居たいんだ」

「・・・」

「アスカと一緒に居たいんだ」

「・・・」

「皆と居る世界を・・・望んでいるんだと思う」

「なら・・・」

「何?」



少年から少女の表情は、前髪に遮られてみる事は出来ない。

でも、少年には痛いほどその気持ちが伝わってくる。

生きる意味を失っている少女・・・。



「なら・・・」



「なら・・・しっかり私を守ってよ・・・」



少女は、ぐったりと少年の胸の中に顔を埋める。

痩せ細ってしまったその手には、しっかりとシンジのシャツが掴まれている。

少年は、少女の乱れた髪の毛の上から優しく、不器用に撫でると少女と一緒に涙を流した・・・。



ふと、少女の力が抜けたかと思ったその瞬間、荒々しく少女は少年を突き飛ばした。



「アスカ・・・」

「ハンッ シンジのくせに生意気な」

「・・・」



「シンジのくせに・・・」

「ごめん・・・」

「アンタ! 私はもう終わったと思ってるでしょう?」

「お・・・思ってないよ!」

「・・・・」

「思って・・・無いよ・・・」



二度目の言葉は弱弱しく少年の口から漏れる・・・。



「僕は・・・アスカが居ないと駄目なんだ・・・」



その言葉を聞いた瞬間、何かに弾ける様に少女は理解した。

無理している自分に。

臆病な自分に。

それを・・・隠そうと必死になっている自分に・・・。



少女は、その場に座り込んでしまった。

座り込んだ少女の前に少年も同じ様に座り込む。



少年は俯いたまま独り言を呟く様に言葉を漏らす。



「アスカ・・・もう一度頑張ろうよ・・・」



長い沈黙・・・。

恐怖と不安、そして喪失感・・・。

少年には声を出す事も出来なかった。



長い沈黙を破る小さな言葉。

弱弱しく、怯えるように、搾り出す様に・・・。



「・・・まだ、間に合うかな・・・」

「・・・うん」



暫しの沈黙の後、少女は顔を上げ、涙の跡が残る少年の頬に手を添える。



「馬鹿シンジ、そういう時はしっかり『間に合う!』って断言する物よ」



少女は笑っていた。

やつれた顔には生気は無かったが、その目は明るく、生き生きとした物になっている。

そして少年は確信した。

彼女が帰ってきたことを。



「ありがとう、アスカ」

「今回のは借りにしとくわ、絶対返すから」

「はは、アスカらしいや」



少年は、もう一度子供の様に腕を目に当てて泣いた。

自分の為に涙を流す少年に、少女も自然と涙が溢れる。

溢れては零れ、床を濡らした。



結局、その日の内に少女を家につれて帰る事は出来なかったが、次の週には無理を言って仮退院する事となった。



「ただ〜いま」

「あ、ミサトさん、お帰りなさい」

「あら、今日はまた一段と美味しそうなご飯ね〜(プシュッ)」

「飲み過ぎるとお腹・・・出ますよ・・・」

「良いの、良いの、ちょっとは出た方が形が整うわ」

「はは・・・」

「ん? しかし、今日は本当に手が凝ってる気がするけど・・・」

「ええ、良い事が有ったので」

「ほほ〜・・な〜にが有ったのかな〜?」

「アスカ・・・来週帰って来れるんです」

「アスカ・・・が?」

「ええ、嬉しく・・・無いんですか?」

「そうじゃなくて・・・ゴメン、結構重症だったから・・・」



その後、夕飯を食べながら今日有った出来事を話し、アスカ退院の経緯を伝えた。

久しぶりに、屈託の無い笑いが混ざった食事になった。



「へぇ〜え、じゃ、シンちゃん責任取んないとね?」

「何のです?」

「アスカに生きろって言ったわけでしょ?」

「ま、ニュアンスとしては・・・」

「じゃ、責任取んないと」

「み・・・ミサトさん、幾らなんでもそれは・・・」

「女の子を途中で放り投げると後が怖いぞ〜」



そう言って、楽しそうにしているミサトを見て、少年も少し楽になった様だ。

その夜はぐっすりと深い眠りに就いた・・・。

その感覚・・・。

始めて父親に誉められたあの時の夜の様に・・・。



「むー!」



両手で自分の頬をピシャリと叩くと、自分自身に気合を入れる。



「今日から、昨日までとは違う新しい私よ」

「昨日までは夢、そして今日からは現実」

「ママ・・・良いよね・・・」



「ただいま!」




To be continued her life.




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