邂逅 第六話

 

 これは、新世紀エヴァンゲリオンのもう1つの局面を描いた物語。

 ひょっとしたら有り得たかもしれない、もう1つの物語。

 

 

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          新世紀エヴァンゲリオン外伝

 

              『邂逅』

 

 

            第六話「絆 −前編− 」

 

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               *

 

 ユキは部屋に備え付けてある鏡で服装をチェックしていた。ユキの服装

は白いワンピースと、同じく白の円い帽子。そして水着等を入れた鞄。リ

ボンの位置等を一通りチェックし、よしと1つ頷いた。

 ユキは枕元の写真立てを見て、

「じゃあ、いってきます」

 写真の中の旧友達にそう言い残し、家を出た。今は早朝7時。日は大分

姿を現わしているが、休日である為外に出ている者はほとんどいない。道

すがら早起きの老人に会い挨拶などを交わしたりしながら、意気揚々と待

ち合わせ場所に足を進めた。

 

「おはよう!」

 ユキが待ち合わせ場所……服部川駅前に到着したときには、すでに司や

恵子、充や他の仲間は揃っていた。皆、思い思いの服装で集まっている。

司や充はTシャツ、女の子達は薄い上着や夏用(といっても、年中夏と変

わらんが)のスカート等を着て涼しげであるのに対し、恵子は1人ぴった

りフィットしたジーンズを着用していた。暑そうであるが、恵子の身長に

よく似合ったものであるし、また、恵子の性格を如実に表しているとも言

える。

「おはよう、ユキ」

「じゃあ行こか」

 充は皆を促すと、ホームに向かった。ユキは司の横に並び、充達の後に

続いた。

「おはよう、井波君」

「お、おはよう……」

「どうしたの?」

「いや、別に……」

 ユキから目を逸らし、明後日の方向に目を向ける司をユキは不審に感じ

た。司は何でもないと詰まりながら言った。

『お兄ちゃん、他の女の子とまともに話せないじゃない』

 綾音の言葉に何も言い返せなかった自分を思い出した。あの時は本当に

情けない思いをした。今日は頑張ろう……司は今朝から心に誓っていた。

 息を吸い、心を落ち着かせこう言った。

「その……似合ってるよ、その服」

「ほんと?ありがとっ」

 微笑むユキを直視出来ず、結局目を逸らしてしまった。

(綾音に笑われて当然だよな…俺)

 

               *

 

 香良洲は三重県北部の日本海に位置する小さな街。人口2万人弱、病院

や学校等最低限度の設備はあるが、娯楽設備等はほとんど存在しない。近

くに漁港があるが、今はほとんど稼動していない。

 旅は順調に進んだ。梅田から電車を間違えることもなく、約3時間ほど

で香良洲に到着した。

「綺麗〜」

 ユキ達女性陣は口を揃えていった。

 波は穏やかであった。空は晴れ渡り、入道雲が夏らしさを醸し出してい

た。年中夏の日本であるが、暦の上で夏になると、やはり気分も普段と違

ったものになってくる。浜辺にはまだ人の姿は少なく、近所の子供達が浜

辺を駆け回っていた。

「きゃっ!」

「冷た〜い」

 ユキ達は荷物を置くのも忘れて浜辺に走っていった。寄せては返す波に

足をつけ、その心地よさに浮かれていた。浜辺にはやや大き目の海の家が

1つあるだけで、それ以外は建物らしいものは見当たらなかった。浜辺も

ゴミが少なく綺麗なものだ。

「すいませ〜ん、更衣室借りたいんですけど」

 司の声が、海の家の奥まで響いた。

 

「おおおおおおおお!」

 充と明……司の友人だが……の絶叫が、浜辺に木魂した。

 昼頃になって、浜辺に人の数が増え始めた。充の歓喜の声から御察しの

通り、充達の視線はその中の水着姿の美女に釘付けになっていた。

「これだ!これでこそ、海に来た甲斐があったというもの!」

「その通り!あ、カメラ何処やカメラ!」

 感涙する充と明。司は充達を無視して海に飛び込んだ。彼も健全な男子

なので興味がないと言えば嘘になるが、恵子やユキ達女子の手前、露骨に

欲望を出すのをはばかった。

 透き通るような綺麗な水。人を滅ぼすセカンドインパクトが作り出した

美しい海。セカンドインパクトがもたらしたのは破壊や滅びだけではなか

ったことを、司は改めて実感した。

 しばらく泳いだ所で後ろを振り返る。やや沖に出てしまったようで、も

う足が地につかなくなっていた。司は多少運動音痴な所があったが、昔、

海の近くに住んでいたこともあって水泳だけは非常に得意だった。時間が

経って人が増えて混んでくると、水に浸かるだけで泳げなくなるので、司

は今のうちに泳げるだけ泳いでおこうと思った。

 息を吸い、潜ろうとした時…

「井波君っ」

 ばしゃばしゃと近付いてきたのは、ユキだった。結構沖に出ているとい

うのに、躊躇無しにやってくる所を見ると、彼女も泳ぎには自信がある方

なのだろうか?司は器用に立ち泳ぎをしてユキを待った。それを見て、ユ

キは少し驚いた表情をした。

「へー、立ち泳ぎ出来るんだ。ねえ、それどうやってるの?」

「え?そんなに大それた事じゃないけど…足を回転させて…」

 しばらくレクチャーをする司。ユキは司に肩を借り、ぎこちなく練習を

始めた。不安定な状態なので、浮き沈みが激しい。

「っ!」

 不意にずぼっと沈んだので、司は慌ててユキの身体を抱えた。ユキは水

面に上がると司の首に腕を回して身体を支え、げほげほと咽かえした。

「げほ……結構、難しいね」

「まあ、泳ぎなんか……」

 言いかけて、司は凍り付いた。司は、自分がユキと密着していることに

気がついた。ユキの細い腕が司の首に巻き付き、顔がすぐ側まで迫ってい

る。何時の間にやらユキの背中に回された自分の腕。引き剥がそうにも、

緊張してて思うように動かない。そして、自分の胸元に感じる柔らかな、

奇妙な感触。

「……な、慣れだとおも、思うから!とりあえず、ここ深いから、もうち

 ょっと浅い所でやろう」

「あ、井波君ちょっと待ってよ!」

 ユキは慌てて司の後を追ったが、司はそそくさとユキから離れていった。

後ろからしきりに自分の名を呼ぶ声がするが、司は真赤になって俯き、後

ろを振り返れなかった。

 浜辺に着くと、充が大きな西瓜を抱えていた。

「皆〜、西瓜割りせ〜へん〜?」

 恵子の元気な声が聞こえた。

 

「ふう……」

 ユキは身体の水滴を払い、海の家の板床に腰を下ろした。浜辺では司達

がビーチバレーを楽しんでいる。恵子の元気な声が一際周囲に響く。時折

吹く微風が心地よく、ユキは体を反らし気持ち良さそうに伸びをした。さ

っきから自分の回りをうろうろしていた店員と入れ代わりに、司がやって

きた。

「どうしたん?」

「別に。ちょっと疲れただけよ」

 司はユキに買ってきた缶ジュースを渡し、隣に腰を下ろした。人の喧騒

に混じって、波の音と強い潮の匂いを感じた。

「海、綺麗ね」

「そうやね」

 しばらくの間、2人はぼんやりと海を眺めていた。

「私ね、今日、皆と海に来てよかったって思ってる」

「そう…」

「大阪に来るまでは、毎日辛いことばっかりだったから」

「友達おらんかったん?」

「いたよ…親しい友達もいた」

「親友?」

「そんなとこ」

 ユキは言葉を続けた。

「3人いたの。でも、内1人は親友とはちょっと違うけど…」

「恋人とか?」

 司は冗談交じりにそう言ったが、ユキがにこりとも笑わなかったので、

思わず凍り付いた。

「恋人だったの。短い間だったけど……」

 司は二の句が継げなかった。ユキは缶ジュースを開け、少し口をつけ

て司に回した。一瞬逡巡したが、司は缶を受け取り少し飲んでユキに返し

た。

「もう、会う気はないの?その…恋人に」

 ユキはかぶりを振った。

「……会いたい。でも、もう会えないの。多分、永久に」

 ユキは寂しそうな表情を浮かべた。司はユキの横顔をしばらく見詰めて

いたが、皆の所に戻ると言い残し、浜辺に向かって駆けていった。

 

               *

 

 夕日が水平線に沈む頃、司達は荷物をまとめ始めていた。

 楽しい時はあっという間に過ぎてしまう。香良洲で過ごした1日は、司

達にとって短く感じられた。昼頃から段々人も増えてきたが、今日は夏期

休暇2日目だった為か、それほど混み合うことはなく浜辺を広々と使えた。

 浜辺は夕日で赤く染まり、水平線と空が溶け合い始めていた。

「あれ、山南さんは?」

 司はユキの姿がないので、充に聞いた。

「さっき散歩に行ってくるって言うてたで」

「もうすぐ出発すんのに…ちょっと探してくる」

 司が探しに出るのと入れ代わりに、恵子が帰ってきた。

「司は?」

「山南さん探しに行ったよ」

「ユキを?司1人で?」

「そうやけど。司に何か用?」

「……別に」

 恵子はそう言って海の家の板床に腰掛け、帰宅の準備を始めた。

 

 ユキは海岸線をぼんやり歩いていた。夕日はユキの背後から刺していた

が、海は色鮮やかに赤く染まり、詩人ならこの風景を詩に読んで残そうと

するのだろうが、生憎ユキにはそんなことは出来ない。ふと気がつくと、

海の家から随分離れていた。戻ろうと振り返ったとき、誰かが走り寄って

くるのが目に付いた。

「山南さん」

 司だった。自分を探しに来てくれたのだろうか?

「そろそろ出発時間やけど」

「うん、すぐ戻る」

 そう言って、ユキは赤く染まる海に目を向けた。その様に、司はハッと

なった。夕日は浜辺だけでなく、ユキの白いワンピース、帽子までも赤

く染めていた。

 転校して来た日、自分に向かって微笑んでいたユキ。

 下足所でくすくす笑っていたユキ。

 自分の顔を覗き込むユキ。

 海に誘われて大喜びするユキ。

 鮮明に甦ってくる記憶の数々、そして彼女と会うたびに湧き起こる、不

思議な感覚。

 司は、心臓が脈打つのをはっきりと感じていた。鼓動は段々早くなり、

呼吸は荒くなっていった。司は、まるで身体が自分の意志を離れていくよ

うな錯覚に捕らわれた。

 次の瞬間、司は無意識のうちに彼女に歩み寄り、彼女の手を握り締めて

いた。ユキはびくっと震えたが、司は構うことなくもう片方の手でユキの

身体を引き寄せた。

「井波…君?」

 少し驚いた表情のユキ。何時になく真剣な表情で自分を見詰める司に、

ただならぬ気配を感じていた。司は一瞬足りともユキから目を逸らさずに、

彼女だけを見詰めていた。

「……山南さん」

 荒い息遣いで、司はユキの名を呼んだ。

「あ…」

 司はユキの腰に腕を回し、更に自分と密着させた。互いの吐息が感じら

れる距離。ユキは思わず身を捩って司と離れようとしたが…

「山南さんっ」

 強い口調で名を呼ばれ、ユキは身体を強張らせた。

 司は頭がくらくらしていた。俺は何をやってんだ。彼女は嫌がってるん

じゃないか?そんなことが頭を過ぎったが、身体は彼の意志に反して、ユ

キを放そうとしなかった。

「井波君…」

 ユキはもう抵抗していなかった。顔は上気し、目はぼんやりと虚空を漂

っていた。その胸で、司の心臓の鼓動を感じながら。

 

「司ったら、ほんとに何処行ったのかしら」

 防風林の合間の歩道をずかずかと歩きながら、恵子は周囲を見渡した。

防風林はそれほど密集していないので歩道から浜辺を覗くことが出来た。

歩きづらい浜辺より、こっちを歩いて探した方がずっと能率がよい。

「ユキを探しに行ったって、そのユキも帰ってこないし……全く、二重遭

 難やってんじゃ……」

 恵子は足を止めた。その目は、防風林の向こう、浜辺の1点に釘付けに

なっていた。浜辺にくっきりと映し出された、2つの重なり合ったシルエ

ット。その端にいるのは、紛れもなくユキと司だった。

 恵子は口元を押さえ、2歩、3歩と後ずさりし、脱兎の如くその場から

走り去った。

 行きの3分の1程の時間で、恵子は海の家に戻ってきた。

「あれ、どうしたん?司と山南さんおった?」

「そんなもん、私が知るわけないでしょ!」

 怒鳴り声と共に恵子の平手が一閃し、充の頬に紅葉を張り付けた。

 

               *

 

 ゴトン、ゴトン………

 もう日は暮れていた。

 大阪までは後1時間はかかるだろう。家にはもう連絡を入れてあるので

心配はない。充や恵子達は疲れの為かうとうとと寝入っていた。ただ司と

ユキだけが、疲れてるにも関わらず起きていた。疲労を遥かに上回る、極

度の緊張と興奮のため、目は冴えきっていた。司は口元に手を当て、窓の

外に目をやっていた。その隣で、ユキは俯いていた。お互いかける言葉を

模索しているように見えた。

 先に沈黙を破ったのは、司だった。

「そ、そういえばさあ、髪、伸びたね」

「うん…伸ばそうと思って……」

 ぎこちない言葉を二言三言交わし、司は意を決して、昼間からずっと聞

きたかったことを口にした。

「………ねえ、山南さんの恋人ってどんな人だったの?」

「…どうしてそんなこと聞くの?」

「ごめん…無理にとは言わないけど……知りたい」

 それは、司の正直な気持ちだった。ユキは、ゆっくりとした口調で話し

始めた。

「彼の名前は、シンジ。井波君とは全然違うタイプの男の子。細身で、ち

 ょっと女性的な所があるの。優しくて、少し気が弱くて……人の痛みの

 分かる人だった」

「どうして会えなくなったの?」

「…色々あってね」

 ユキは俯いたままだった。

 

               *

 

 喉が裂けるような、自分の物とは思えない絶叫。

「君、落ち着いて!」

「鎮静剤を、急いで!」

 親友の亡骸にすがりつく彼女を、医者や看護婦達が引き剥がそうとする。

もはや固く、冷たくなった親友の身体。身体中を虫食む、傷の数々。目を

覆いたくなるような凄惨な状態だが、彼女は視線を逸らすことが出来なか

った。

「起きて、ねえ、起きてよムサシッ!!」

 不意に湧き起こる嘔吐感に思わず口を押さえる。ごふっとむせ返すと、

口からどす黒い血が溢れた。

 自分には血が流れてる。自分は生きてるのに……

 彼女は動かないムサシの身体に覆い被さり、ただただ鳴咽した。

「お願い……私を、独りにしないで……」

 

『ひとりぼっちなのは、マナだけじゃないよ。

 それに、ひとりってそんなに悪いものじゃないよ。ひとりだったから、

 マナと2人になれたんだ。

 いいこともあるんだよ』

 何時も優しげなシンジの顔。私は、彼といると嫌なことが忘れられる気

がした。

『………マナ』

 初めて、シンジが私のことを名前で呼んでくれた。

 私も彼を名前で呼んだ。自分の想いを、全て込めて。

『シンジ………

 …………好きよ、シンジ』

 最初は、断られるんじゃないかって不安で仕方がなかった。でも、シン

ジは私の気持ちを受け止めてくれた。

 

 私、シンジのことを愛してる……

 

『愛とか恋とか、軽々しく口にしないでちょうだい!それで泣いてる人の

 方が多いんだからね!』

 

 

               *

 

「ん……」

 何時の間にか眠ってしまったらしい。回りを見回すと、電車の中だった。

まだ大阪に着いていないようだ。回りを見ていると、傍らにいた司と目が

合った。

「どうしたん?怖い夢でも見てた?」

「どうしてそう思うの?」

「眠りながら泣いてたから…」

 そう言われて、ユキは目を擦った。指を濡らす、涙。

「うん…ちょっと怖い夢を見たの」

 そう言って身体を起こそうとし……起こす?

「……ずっと、こうしてたの?」

「え?あ、いや、その……」

 眠りに落ちてから、ずっとこのままの状態だったのだろうか、ユキは司

にもたれかかった状態になっていた。その身体に、司の腕がかかっていた。

「ごめん…倒れそうだったから……」

 司は慌ててユキを抱いていた腕をどけた。だが、ユキは起こそうとした

身体をそのまま残し、更に司にもたれかかった。思わぬユキの行動に、司

は面食らった。

「もう少しだけ…こうさせて」

 甘えたような声でそう言い、ユキは司に身を預けその胸に顔を埋めた。

やがて彼女のすすり泣く声が、車内に静かに響いた。司は、香良洲の時と

は打って変わり、ユキの身体を大事なものでも扱うように優しく抱きしめ

た。無性にユキのことがいとおしく感じられた。

「……山南さん」

「………」

「俺じゃあ、代わりにならないかな」

「……え?」

「もう会えない彼氏のことなんか、忘れなよ…」

 顔を上げたユキと、司の目が合った。司はユキの顎に指を添え、スッと

自分と彼女の唇を重ねた。今度は、ユキは全く抗わなかった。目を閉じ、

腕を司の身体に回した。

「ん……」

 ユキは微かに喘ぎ声を洩らした。

 溢れる涙が頬を伝い、司の頬に流れ落ちた。

 

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                               続く

 

                   ★淵野明(t-ak@kcn.or.jp)★



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