西暦2000年


 遠く地の果て、地軸の柱立つ大地。人が南極と呼ぶ大陸の地下深く。
 急遽氷の下に作られた研究施設とそれに付随する各施設。死霊の悲鳴のように吹きすさぶブリザードの中、幾人かの話し声があった。


「葛城博士の提唱したスーパーソレノイド理論ですか?」
「あれはあまりに突飛すぎるよ」

 人種年齢は様々な人々。白人、黒人、ヒスパニック、東洋人、混血、アメリカ原住民系らしき者も見える。
 だが共通して持っている雰囲気があった。自分達が最高の知識を持っているという自負と、それを裏打ちする知性の輝き。それだけだろうか?いや、もう一つ彼らが共通して持つ感情がある。
 すなわち、知識への欲求とそれに着いて回る感情。嫉妬と羨望だ。

「まだ仮説の段階にすぎん代物だ」
「しかし・・・・・あの巨人の動力はS2理論以外では説明できません」

 ふっと嘲笑にも似た笑みがその場にいた全員に浮かぶ。
 誰に対する嘲笑なのか?
 しばしの中断があったが、再び会話が続く。

「はからずとも既に実証済みですよ。あれは・・・」
「現実に存在していたのだから、認める他はあるまい」
「データの検証が全て終わればそうするよ」

 そこで会話はいったん中断された。








 しばらくして。

「そうだ、ロンギヌス・・・神殺しの槍は?」

 その言葉は痛いほどの沈黙をもたらし、彼らの体感温度を数度低下・・・・・いや興奮で上昇させた。
 科学者が宗教を励起させる物事を扱うことに対する怒りか蔑み、あるいは畏怖。

「先週、死海からこっちに陸揚げされたままです」
「地下に送る前に処理は必要だろう。大丈夫か?」
「提供者との接触実験は来月13日の予定だ。調整は間に合うよ」

 ふんと鼻を鳴らし男は会話を終わらせるように呟いた。おそらく、彼はキリスト教徒なのだろう、なんか皮肉めいた13という数字が気に入らないのだ。
 それに、もう休憩は終わりだ。

「今日の実験は、例のフィールドの自我境界信号測定だったかな?」







− ノイズ −








「・・・そう言えば、碇さん達は今度の11日にこちらを発つそうです」





− ノイズ −











『非常事態、非常事態。
 総員、防御服着用。
 第2層以下の作業員は、至急セントラルドグマ上部へ避難して下さい』


 緊迫した事態だというのに、至極落ち着いた録音のアナウンスが聞こえる中いくつか、血を吐くような生身の声が聞こえていた。

「表面の発光を止めろ!
 予想限界値を超えている!」
「アダムにダイブした遺伝子は、既に物理的融合を果たしています!
 ・・・ATフィールドが全て解放されていきます!」
「槍だ!槍を引き戻せ!」
「駄目だ、磁場が保てない!
 沈んでいくぞ!」






− ノイズ −






「わずかでも良い!被害を最小限に食い止めろ!
 構成原子をクォーク単位で分解だ!急げ!」
「ガフの扉が開くと同時に熱滅却処理を開始!!」


 機材が壊れる音、悲鳴、地鳴りが聞こえる。
 再度音が戻ったとき、聞こえてきたのは諦めが混じった投げやりな、それでいて感嘆の念に満ちた人の声だった。

「凄い・・・。
 歩き始めた・・・・・」
「地上からも歩行を確認」


 再び怒声が聞こえ、時間が進む。


「コンマ1秒でいい。奴自身にアンチATフィールドに干渉可能なエネルギーを絞り出させるんだ!」
「既に変換システムがセットされています」

 何か超自然的な力によって、鉄骨が、壁が吹き飛ばされ、外のブリザードと混ざり合う。

「カウントダウン進行中」
「S2機関と起爆装置がリンクされています。
 解除不能」
「羽を広げている!地上に出るぞ!!」





− ノイズ −






 衛星写真に切り替わり、超望遠とただし書きされた無音の映像には奇怪な物が映っていた。
 赤く燃えるような世界に浮かぶ、純白の光に包まれた、それとも光でできているのか判然としない異形の巨人。
 巨人に絡みつくようにまとわりつく鋼で出来た漆黒の竜。

 それは数分前には存在しなかった。
 瞬きをした一瞬の間に、それは現れていた。大気を裂き、海を割り、不倶戴天の敵と雌雄を決するが為に。



 両者はお互いに掴みかかり、殴り合い、あるいは口から炎を吐き散らしながら相争う。空前の規模の戦いだった。セカンドインパクトにより、ボロボロになった南極が戦場でまだ幸いだっただろう。これが他の大陸嬢だったら・・・。
 映画のように見える。だが決して映画ではない衝撃的な映像に、鑑賞していた人間は呼吸を忘れた。

 流れ弾が島を砕き、閃光が空気を切り裂いていく。
 そして飛び散った両者の欠片は塩の結晶となって雨のように降り注いだ。赤い海が血飛沫のような水柱をあげる。

 巨人が額から放った光が4本ある竜の足の一本をうち砕き、竜の上腕が巨人の両肩の突起物を引き裂く。
 一進一退、二体の戦いは互角だった。


 しばらく争っていた両者だったが、ついに決着の時は来た。
 巨大な傷が出来ることにも構わず、竜を振り解いた巨人が両腕を十字に交差させた瞬間、交差させた部分から光のシャワーが放たれ、竜の顔面に直撃した。光はその粒子の一つ一つが凄まじいエネルギーを持っているのだろう、金属でできた竜の顔を打ち抜き、蒸発させ、突き抜けて背後の海に巨大な水柱を生じさせた。大気圏内で使うことが信じられないほど高出力の粒子光線だ。

 眼球がはぜ飛び、顔半分を吹き飛ばされた竜が悲鳴と体液、蒸気をまき散らして泣き叫ぶ。更に、背後から水蒸気爆発が襲いかかり竜の体が激しく揺れた。いかに頑健な竜と言えど、山を完全に吹き飛ばすほど強烈なエネルギーには耐えられなかった。装甲が吹き飛び、爆ぜ、生体組織から血を流して前のめりに倒れ込む。

 だが巨人が勝利したかと思ったのか僅かに油断したその時、力を無くしていた竜の四肢がグッと折り曲げられた。竜の両肩から長く伸びた一対の角 ーー 二本合った内、残った一本 ーー が巨人の胸に突き刺さり・・・。








TOP SECRET




























『はい、只今留守にしております。発信音の後にメッセージをどうぞ・・・。ピーー

 人通りの、いや人の気配の全くない田舎道に半ば忘れられたように存在するバス停にて。
 バス停のそばにある公衆電話から聞こえる電子音の後、男は何事かをぼそぼそと呟いた。






ガチャン。

 この時代にかろうじて残る公衆電話が電子音を鳴らし、無花果の葉が描かれたIDカードを吐き出した。見る者が見れば、それが何のカードか分かるだろう。

 黒字に赤く描かれた半分に切られた無花果の葉と、それに重なるように書かれた文字。


『NERV』



 まるで人目を気にするように、そそくさと男はカードを懐に戻そうとするが、途中手を止めてじっとカードを見つめる。
 ほんの僅かな間だったが、赤い・・・・血塗られたように赤い無花果の葉が彼の目を焼いた。


「最後の仕事か・・・」

 彼の心に去来する思いは何なのだろう?
 胸にできた傷跡が疼くのか、そっと胸を撫でさする。

「・・・まるで血の赤だな」

 答えは彼の言葉の中に。





















METAL BEAST NEON GENESIS

機獣新世紀
エヴァンゾイド



第8話Aパート

「 分岐点 」



作者.アラン・スミシー



























「ふぅ、もうこんな時間か」

 司令執務室からそう遠くない、専用の個室の中でネルフ副司令、冬月コウゾウはそうつぶやいた。軋み音をたてながら椅子の背もたれに背中を預け、ふと周囲を見回す。
 彼の目に、大組織の副司令の部屋だというのに、意外なほどにこじんまりとした、まるで大学の研究室のような部屋が写った。本と書類が天井まであるスチールの書棚に唸るほどに溢れ、ただでさえ狭い部屋をますます狭く、圧迫している。
 ミサトあたりなら、うげぇと露骨に顔をしかめそうな部屋だが、不思議と冬月には心地が良かった。もちろん、いつも仕事に追われるような気分がして、落ち着ける場所とは言い難い。それでも、彼は部屋をどうこうしようとは思わなかった。なぜなら、彼はネルフの副司令という、不可解な職にいるのだとしても、もともとは教育者だったのだから。


(今日は落ち着いた日だ。そう、良い日だ)

 今の自分の気持ちを不思議だと思う。そして冷静にその原因を考える。ゆっくりと目を閉じ、うたた寝をしているように考え込む。

 ジオフロントは柔らかい光に溢れ、先の戦いの後を静かに照らしている。それが原因だろうか。いや、そんなわけはないと冬月は断言した。もう、自分はそういうことで感動することはないのだ。
 むしろ、絶望感を助長されるだけではないか。

 ゼーレとの闘争はいよいよ激しさを増し、犠牲者は昏睡状態に陥ったシンジ、使徒に取り憑かれると言うアクシデントの末、戦線から離脱したマユミ、頸椎損傷という重傷を負ったトウジ、その他後遺症はないまでも重傷を負った子供達多数。清々しい天気と言っても、皮肉のようにしか感じられない。


 そこまで分かっている彼だったが、その一方で今の自分の心はここまで静かなのか分からない。その時、何気なく見渡した室内の、壁に掛けられたカレンダーが目に入った。当たり障りのない風景の写真が印刷された、ごく普通のカレンダーだ。
 そして彼は今日は何の日か思い出し、一人、納得したように頷きを繰り返した。



「そういえば、もうあれから10年以上か・・・」

(あの時、碇に引きずり回されながらも、私はある程度の余裕があった・・・。いざとなれば、全てをなげうつ覚悟があったからだろうか。だが、あの日・・・)

『冬月・・・。俺と一緒に人類の新たな歴史を創らないか?』

 あの男にそう言われたその時・・・。
 そして、エヴァのみならず、アレを見てしまったとき・・・。

(俺は引き返すことが出来なくなった。
 私は悪魔の囁きに屈し・・・魂を売り渡す契約書にサインした)

























<200X年>


「地下水脈だと?このジオフロントに?」
「はい、厳密に言うと循環しているわけではなく、ちょっとした大きさの湖です」

 なんだ、あの地底湖のことか。
 冬月は内心、彼は何を言っているのだろうといらついた。この青年の実直そうな顔に向かって気を利かせろと言いたくなる。つまらないことをいちいち言いに来るなと。もちろん、面と向かってそう言ってやりたいのは山々だが、そう言うわけにもいかない。
 彼のジオフロントでの仕事は調査だ。細大漏らさず、発見した遺物、またはその他の物事を報告することが義務であり仕事なのだ。例え、ジオフロントに入るときバッチリ見えた湖についての報告だったとしても堕。


 広大なジオフロントはまだ全ての探索が終了したわけではなく、現在はその堆積した土砂の上の一部に研究施設を築いているにすぎない。それもほとんどがプレハブ造り。あくまで仮の研究所だ。つまり、ジオフロントはまだ目で見える範囲全てに人が入ったわけではない。
 彼は未踏地域を調査して結果をまとめ、上司に知らせることが仕事なのだ。そしてまだ組織として完成していないゲヒルンは、極めて単純な組織構造をしていた。すなわち、職員、彼らをまとめる班長、そして責任者だ。そして膨大な職員達をまとめる、実質的な責任者はたったの4人しか居ない。所長である『碇ゲンドウ』、技術部門の責任者『赤木ナオコ』、エヴァの研究開発責任者『碇ユイ』、そして彼らの実質的な仲介役である副所長『冬月コウゾウ』だ。

 この場合、探索班班長の彼が報告書を渡す相手と言えば、どこにいるのか誰も知らない所長でもなく、怪しげな生体コンピューターの製作に血道を上げる女性科学者でもなく、もっと怪しげな巨人の再生に一生懸命な女性科学者でもない。すなわち、小学校、中学校の学級委員のような立場の、冬月しかあり得なかった。

(まったく、これでは私は何でも屋ではないか。おのれ、碇のやつめ)

 表情に出さないようにして愚痴る冬月。
 俺の右腕にならないかと誘われたとき、内心『何言ってるこの野郎』とも思ったが、自分を高く評価してくれたことは嬉しかった。だが、今の自分の扱いを省みると、雑用係が欲しかっただけ何じゃないかとつい考え込んでしまう。事実、その通りなのだが。今頃、真っ黒な腹の中で舌を出していることだろう。
 ならとっとと辞めるのも手なのだが、実際それは不可能だ。

 ゲンドウに誘われたときならいざ知らず、今の自分は知りすぎている。今更辞めさせてくれまい。
 それに、この遺跡から見つかる様々な事柄はとても興味深い。なにより、ユイから離れたくない。もちろん、子持ちの人妻相手に具体的にどうこうする気はないでもないが、どうしても理性が先に立ってしまい、一人の女性として接するというより、お父さんがずっと見守ってあげよう、という気分になるのだ。

「あの・・・・・それで、どうします?」
「ん、なにがかね?」
「いえ、だから地底湖のことを・・・」

 冬月が考え込んでしまったせいで、一体どうすると困っていた職員が恐る恐る声をかけた。時々、こうなるだよなぁ、普段はいい人なのに・・・。と考えているかどうかは謎だ。とにかく、彼の言葉でようやく冬月は正気に返って慌てて書類を見直した。
 はじめは作業的に文を目で追うだけだったが、すぐに目を見張り興味深そうに読みだす冬月。やがて内心の興奮を隠そうともせず口を開いた。

「・・・・ふむ、思った以上に広いな」
「はい、芦ノ湖の30%ほどの面積があります。水深はざっと調べただけですが、最も深いところで150mほどありますね。しかもこれだけでなく、もう一つ湖はあるんですから」
「そして、おそらく数万年、あるいは数十万年は閉鎖されていた環境のはずなのに、水は浄化されており、なおかつ僅かだが生物、そして遺跡らしいものが確認された・・・か」


(見てみたい、調べてみたい)


 元生物教師として、その報告は魅惑的だった。遺跡はともかく完全に閉鎖された空間で、生物がどのような進化を遂げるのか見てみたい。久しく忘れていた好奇心でうずうずしてくる。それでなくても最近デスクワークだけでストレスが溜まっている。息抜きをしたい。

「予定では、湖は・・・」
「はい、片方を残して完全に埋める予定です。ですが・・・」
「思った以上に深かったかね」
「はい。予想外です。しかし、本格的な施設を作る際、あの湖は邪魔ですから・・・」

 確かにあの湖は広すぎるし、中央にある。邪魔なことこの上ない。いずれにせよ、また余計な予算が必要になると言うわけだ。また、何万人げ飢えることになるのだろう。
 湖を埋めるにせよ、建設予定地を変更して丘の一部を削るにせよ。

 自分は経済が専門じゃないのだが、と思いながらも冬月は言葉を続けた。

「どっちが効率的かね?」
「五十歩百歩ですが、湖はほっておいて別の所に施設を作った方が予算だけ見たら良いですね。不便な施設になりそうですが。でもいずれにせよ、ジオフロントはまだまだ掘り進めないと行けないんですから」
「そうだな。その方向で行くように、担当者に報告してくれたまえ」
「了解しました」

 そして冬月はこの事を3週間ほど忘れた。




<3週間後>



 良い日になった。
 絶好の観察日和だ。冬月はそう思った。天蓋から降り注ぐ光もそう言っているようだ。

「どうしたんです、冬月先生?」
「いやなに。なんとかならんかと思ってね」

 結局、湖は一部を残して埋め立てることとなり、その前に水中の遺跡の調査、及び生物層の観察が行われることとなった。彼同様興味を持ったユイ、ナオコは出来る限り湖を残す方向で行きたかったのだが、結局の所効率を優先させることになったらしい。湖はかなりの部分が土砂に埋もれることとなるだろう。もちろん、生物の生態圏は多大なダメージを受ける。と言うか滅ぶ。
 意外なことに、ゲンドウも余計な予算を使ってまで、困難な湖の埋め立てをする必要ないと思っているらしい。だが彼にとっての上司、つまりゼーレには完全に閉鎖された空間に生きる生物などどうでも良いことなのだろう。彼らが望んでいるのは完璧な機能なのだから。


『そもそも、裏死海文書に書いてない事柄を彼らが気にするわけがないさ』


 苦虫を噛みながらゲンドウが言った言葉を思い返す。彼とて無駄な殺生や環境破壊は望んでいないのか・・・・そこまで考えて冬月は顔をしかめた。馬鹿馬鹿しい、そんなわけがない。
 あいつはユイに何とか出来ないかと言われたのに、何もできない自分が嫌なだけだろう。そう結論する。そう言う奴だ・・・。

「それでは、乗船して下さい」

 潜水艇の船長の言葉でハッと我に返る。もう、そんな時間になっていたのか。

「いきましょう、冬月先生。あなた」

 目の前でユイがにこやかに笑いながら、急遽作られた桟橋を渡って潜水艇に歩いていく。
 そのちょっと後を追うようにゲンドウが大仰に歩き、三歩ばかり下がってナオコ君が歩く。まるで構ってもらえないのが分かっているのについて歩く捨て犬のようだ。
 彼女から更に5歩ばかり下がって私が歩く。

 それにしても、ふと思う。
 これから殺されていく湖の生物たちは、一体私達のことをなんだと考えるだろう。せめて滅びる前にその生態を観察しようと言う、物好きな私達のことを・・・。





























 潜水艇は思った以上に大きく、快適だった。もっとも、それは当初の予定に比してと言うだけで、私自身はその狭さに息苦しさを感じていた。だが、8mある最新型の潜水艇をジオフロントに下ろすだけでも相当に大変だったに違いない。作業員達もご苦労なことだ。

(だからといって、潜水艇は好きにはなれんがね)

 水は思った以上に澄んでいた。桟橋のある部分の水深は10mあると言っていたが、底までハッキリと見えるほど透明度が高かった。そして冷たかった。地上や、鍾乳洞の中にある湖と違い、まったく循環していないはずの地底湖が、なぜこうまで美しさを保っているのか謎だ。

(まさに生命の神秘だ・・・)

 強力なライトが湖底を照らし、驚いた小さな生物・・・エビ、それよりも原始的な甲殻類に似た生物が飛び出し、あわてて隠れようとする。おそらく、ジオフロントが出来る以前に紛れ込んだ生物が独自の進化を遂げたのだろう。後にその考えはまったく的はずれだと気付くことになるが、その時はただ単純にそう思っていた。

「そう言えば、知っていますか?」

 子供のように外の光景を見る私が珍しかったのか、ユイ君がくすくす笑いながら声をかけてきた。内心、私はどぎまぎしながら首を傾ける。

「なにをだね?」
「この生物たち・・・ジオ・シュリンプスと勝手に仮称してますけど・・・」
「?」

 私だけでなく、ナオコ君も耳を傾けている。彼女も多少の興味はあるらしい。意外だった。

「珪素が多量に体組織に含まれているみたいなんですよ。いえそれだけじゃなく、普通ないはずの金属元素まで」
「それは・・・・・金属による汚染かね?」
「いえ、彼らは細胞を形作るのに金属元素を使用しているんですよ。それどころか、エネルギー代謝もほぼ自分だけで完結していて、口でエネルギーを摂取すると言うことがほとんどないようなんです」

 その言葉は驚きだった。
 つまり、彼女は遠回しに湖底を泳ぐこのエビもどきが金属生命体としての特徴を持っていると言っていたのからだ。ナオコ君も驚きで目を丸くしている。分からないでつまらなそうにしてるのは操縦士と、ナビゲーター、そしてクソ野郎のゲンドウくらいだろう。
 しかし・・・・私は興奮を隠せない。
 この事だけで、世界中から研究者が集まってくる。それくらいの発見だ。ただし、今の世相がこんなにも混沌としていなければ。そう、人類は急がないと行けない。彼らを犠牲にしても。
 私はわずかなタイミングの差で、滅びなければいけない世紀の発見に心の中で哀悼の意を捧げた。あとで苦笑した行為だ。彼らは私が思っていた以上に逞しい。




「前方に巨大な構造物があります!」

 ちょうどその時、操縦士が警告の声を上げた。何事かと、全員が視線を正面に向ける。
 前方はライトに照らされているがさすがに水深200mにほど近い環境では遠くまで見通すことは出来ない。一同の目には、ただぼんやりとした影が見えた。
 塔・・?
 最初、私にはそう見えた。


「よく見えんな」
「そうね、もうちょっと近づけないかしら?」

 ゲンドウのいつもと変わらない陰気な声、そして構造物、おそらく先人の残した遺跡に興味を持ったナオコ君の声が狭い船内に響いた。

「わかりました、接近します」
「気をつけて・・・」

 生唾をのみこんだ操縦士の言葉に、ユイが気遣うように声をかける。実際、なにか予感めいた物でも感じているのか、操縦士と彼女の顔色は悪い。一方、私はそんなことにさえ嫉妬した自分に気がついて場違いに苦笑していた。
 そしてゆっくり潜水艇は目前の影に近づいていく。

「大きいな。ふん、やはり遺跡のようだ」
「ざっと、高さが8m、太さが1m前後・・・こんな遺跡が沈んでいたなんて」
「あの柱のような物は何だろう?ユイ君、君はどう思うかね」
「わかりません、湾曲して、互いに向き合うような柱なんて・・・・今まで見たことも聞いたこともない建築様式です」

 口々に私達は意見を言い合った。交信設備、祭事を行う場所、未知の施設・・・くだらない意見、斬新な意見ともにどれもが的はずれに思える。その時のことをいま言っても仕方ないが、私は一刻も早く離れたかった。操縦士諸君も同様らしい。冷や汗を流し、微かに震えている。今思うに、私以上に勘が良いのだろう。

「ふん。いずれにしても、あれだけ泥をかぶり、ボロボロになっているんだ。遺跡としては死んでいるだろう」

 しゃくだが、その意見には賛成だ。と言うより、あの遺跡は全機能を停止して死んでいて欲しい。その時は純粋にそう思った。

「もっと近づいて、調べてみたまえ」

 この意見は大反対だ。だが、悲しいかなユイ君達はこの意見に賛成だった。そうねとあっさり賛同し、目で操縦士に意を伝える。

 再び潜水艇は進みはじめ、ライトの光がよりハッキリと遺跡をうつしだした。

 見れば見るほど、遺跡にしては妙な形だ。
 平らな湖底が僅かに盛り上がり、その中心部分から十数本の湾曲した柱が伸びている。だが、これは本当に柱なのだろうか。これはまるで・・・、まるで・・・。



!?




「な、なによあれ!?」
「そんなまさか・・・」

 心臓が止まるかと思うほどの衝撃。柱を迂回し、その反対側に回った私達の目に飛び込んできたのは、そんな言葉では追いつかないほどの恐ろしい光景だった。気丈なユイ君ですら、かろうじてそう言うだけで精一杯。


 はじめは岩の塊だと思った。

「な、なによあれ?」

 縦に割れ目がある岩だと思った。

「ふっ」

 岩筍の一種だと思った。

「神よ・・・」

 それは巨大な顎だった。無数の牙をはやした、ワニのそれのように凶悪な顎が、泥に埋もれるようにしてライトの光の中に浮かび上がっていた。




















「口・・・なの?鮫?」
「頭・・・だな。それもトカゲか何かに酷似した」

 ユイ君にはその牙だらけの口が異様に印象深かったのか、年がばれる発言をしている。もちろん、彼女が鮫と間違えたのは彼女の幼児期に某鮫映画が散々テレビで放送されたからだろう。それだけあの映画は鮫の口が印象的だった。
 脱線してしまったが、ユイ君はそれっきり黙り込んでしまった。それはナオコ君もゲンドウも同様のようだ。
 無理もないだろう。まさか、こんな物があるなんて、誰が想像する?もちろん、私も想像していなかったから、息をするだけで精一杯だ。だが、かえってそのおかげでじっくりとそれを観察することが出来た。

(耳まで裂けた口・・・そしてあの鋭い牙の数々・・・あきらかにこれは爬虫類的特徴・・・・いや、どちらかと言えば鳥に・・・恐竜に近い。だとしたら、ジオフロントは1億年前からあったことになるのか?信じられん。
 どうやら完全に白骨化しているようだな。とすると、さっき柱に見えたアレは・・・肋骨か)

 さらによくよく目を凝らすと、泥に埋もれた長い尻尾、同じく埋もれた両腕が見て取れた。腕を除けば、それは明らかにこれが恐竜の一種であることを物語っていた。発達しすぎた腕と、その全長を除けば。全長は80m近い。腕は物をつかめるほどに指が発達している。

「こんなこと、テキストにはなかった」

 テキスト・・・・裏死海文書の隠語だ。ゲンドウが呆然と呟く声が聞こえる。奴にも相当にショックなことなのだろう。

「引き上げて調査を?」

 ナオコ君がそう言う。至極もっともな意見だ。

「いや、テキストにない物は存在しない。アレは存在しない。直ちに湖を埋めればそれで良い」
「あなた、それはいくらなんでも・・・」
「うぐぅ、ならどうしろと?」

 ふっ、ユイ君に言われてしょげておる。だが、奴の意見には賛成だ。
 これはエヴァ以上に人が関わってはいけない存在なのだ。その時はあくまで私の勘、決めつけでしかないが確信した。それくらい、あれは見る者に畏怖を感じさせた。いや、今思うと、それは畏怖もあったろうが漠然とした予知が働いていたのかも知れない。



ガアガガガ、ガガガガガー!

 突如けたたましいアヒルの鳴き声のような音が潜水艇内に木霊した。

「なにごと!?」

 ユイ君が叫ぶ。
 浸水か!?私の肝が冷える。この深度で浸水したら、泳ぐこともできない。

「いえ、入れっぱなしだったガイガーカウンターが反応したんです!高出力のX線かなにか、とにかく放射線が目前の怪獣、いえ遺跡から!
 !?放射線だけじゃない、超音波や、たぶん電磁波も!た、探査されてます!」

 そこから先はナビゲーター君の言葉を聞くまでもなかった。ガツーン、ガツーンという揺れは音響探査されているからだろう。

 泥が舞い上がり、その煙の中で動く太い腕、尾が振り回される。
 埋もれていた上半身を起こし凶暴な顔を正面から見えた。泥煙の中、埋もれていて今まで見えなかった双眼が赤い光を放ちながら私達を睨んでいた。
 憎悪とかそう言う陳腐な言葉で語れない意識。敵意?いや、これは飢えだ。

「直ちに退避だ」

 震える声でゲンドウが言う。もちろん、全会一致でこの意見に賛成だ。これ以上あの強烈な意識に身をさらすことは耐えられない。

 大慌てでだがもどかしいほどゆっくりと潜水艇は旋回し、大慌てで浮上していく。

 がくんがくんと揺れるのは、無理な運動に船体が軋みをあげているから。そして私達の後ろで、あの巨獣が動き始めたからだろう。水の揺れが潜水艇を激しく揺らす。吐きそうだ。そして本能は激しい拒絶を示すのに、私はそろそろと全部、操縦席に目を向けた。そこには背後を映し出す小型モニターがあることを知っていたからだ。




『ゴゴゴゴゴゴオオオオオッ!!!』




 そんな低く、重苦しい音が船体を揺らす。間違いない、あれが声を上げたのだ。

 モニターには、泥の煙を引き裂きながら巨大な竜・・・・それも骨だけの竜が立ち上がるところが映っていた。洒落にならん光景だったな、アレは。
 私は知らず知らずに手を握りしめ、酸っぱい唾を無理矢理飲み込みながらモニターを見つめ続ける。

 それは腕を伸ばし、潜水艇を掴もうとする・・・が、幸いその腕をくぐり抜けることが出来た。そのまま潜水艇は最大速度、15ノットの速さで巨竜を引き離そうとする。だが、巨竜は信じがたい動きを見せた。
 信じがたい速度で骨だけの体をくねらせながら、猛然と潜水艇を追いかけ始めたのだ。
 その時の恐怖はたぶん、体験した私達以外には分かるまい。失禁したなどと、そんな言葉では言い表せない。なにしろ、気の弱かったナビゲーターは、後に病院に通院するほどのショックだったらしい。

「あなた・・・」
「ユイ」

 私の目前でユイ君達はかたく抱き合っている。こんな時でもなければ、嫉妬していただろう。その隣ではナオコ君が武器はないのかと、また無茶なことを叫んでいた。あの男女問題以外では氷のように冷静な彼女が・・・。



 だが、想像できるかね。

 潜水艇を一呑みに出来る牙だらけの口を大きく開き、猛然とくねり進む巨大な竜の姿を。しかも全身の骨を剥き出しにし、泥をトーガのように纏い、目と肋骨の奥にある珠を赤く輝かせる・・・。映画などとは比べ物にならない恐ろしさだ。実際に食いつかれなくとも、あの緊張があと数分でも続いたら、私達は今生きてはいなかっただろう。
 数十秒の追いかけっこは、かろうじて私達の勝ちで終わった。竜は炎のように瞳を瞬かせながらなおも追いすがるが、もうもうと舞う泥煙の壁に遮られ、ドンドンと姿を薄くし、ついにはかき消えてしまった。忌々しげな鳴き声をかけながら。





 そして周囲は静かになった。





 なんとかふり切れたのだ。


「・・・・・とんでもないな。何だったんだ一体・・・」

 かろうじて私はそう呟いた。その時になって着ていた上着の色が変色するほど汗をかいていることに、ようやく気付く。ユイ君達も同様のようだ。あの鉄面皮のゲンドウでさえも顔色は真っ青、微かに震えているのだから。

 だが、すくなくとも私達は逃げ切れた。あとは何とか上に帰還し、アレに対抗できる何かを用意してそれに潜ってもらうか、あるいは問答無用に土砂で湖を埋めてしまえばいい。新種の生物のことは多少気にかかるが、あれが生きて動き回るよりは良い。
 実に生物学者らしからぬ言葉だったが、それがその時の私の正直な気持ちだった。
 今思えば、少しばかり早計だっただろう。




 その考えは、完全に逃げ切った者がするべき考えだったのだから。




「・・・・!!
 ま、まさか!?」

 ハンカチで汗を拭いていた私の耳に、またも操縦士君の悲痛な声が飛び込んできた。
 まったく、あの時の私は出来るなら操縦士の口を塞ぎたい気分だった。彼が何か言うたびに、何事か起こっていた気がするからだ。

「なんだ?」

 ゲンドウの腹立たしい質問に、操縦士は非常にわかりやすい返事を返した。

「ソナーに反応がないんです!?」
「逃げ切ったのだろう?それがどうかしたのか?」

 ・・・ゲンドウの言葉に賛成しかけて、私は体が凍り付くことをハッキリと感じていた。この潜水艇のソナーの有効範囲は潜水艇を中心に1kmある。まだそこまでアレを引き離してはいないはず。つまり、逃げ切れたのではなく・・・。

「見失ったの!?」

 ナオコ君が叫んだ瞬間、もの凄い縦揺れが潜水艇を襲った。同時に無理矢理何かを引き裂くような音が聞こえる。とっかかりを掴んでいなかったナオコ君が倒れ込み、ゲンドウも壁に頭を打ち付けて苦痛の声を漏らす。
 私はと言えば、運良く壁の取っ手を掴んでいたため、なんとか転ばずにすんだ。
 代わりに、窓のすぐ横でにんまりと笑みを漏らす悪意の塊を目にするという不幸に恵まれたが。



 奴には、明らかに意志があった。




『食ってやる』




 奴の目はそう言っていた。


ドゴォーン!


 また激しい揺れが襲う。いつの間にか潜水艇の上を平行して泳ぐ竜がその腕を叩きつけたのだ。
 外を照らすライトが吹き飛び、強化プラスチックの破片をまき散らしながら湖底に沈んでいく。更に続く一撃で、スクリューの片方までもが吹き飛ばされる。

「くそっ、推力ダウン!
 ・・・・・・ちくしょう、これじゃあ2ノットも出せない!」

 つまり、人が歩く速度より遅いと言うことか。
 絶望、死、存外あっけないものだ。
 私はその時、妙に達観とした気分だったと思う。年を取りすぎて、悟りが開けていたから?
 いや、それならナオコ君も・・・。












プルルルルルルルル♪

 その時、突然机の上の電話が鳴って私は過去の記憶の中から現実の世界に帰還した。いや、どっちかと言うとさせられた。情け無用。

 すこし慌てながら受話器を取ると・・・。

『副司令・・・いいえ、冬月先生?』

 やっぱりナオコ君だった。
 なぜかあの時よりも激しい勢いで汗が出る。
 おおおっ、漏らしたようにパンツまでぐっしょりと。って、いかんぞ。これでは本当に漏らしたと誤解されてしまう!
 特に伊吹君にでも見つかろうものなら、私は明日からどんな顔をしてネルフに来れば良いんだ!?
 ぬおぉっ、受話器越しに凄まじい怒りの気が!
 私には馬鹿なことを考えてる暇すらないのか!?


「な、なんだね一体?」

 なんとなく予想はついたが、まあ礼儀として一応聞く。







『私の悪口言いませんでした?』





 なぜわかる?


 彼女の声は笑っていた。
 言い訳はしたが、たぶん聞いてくれないだろう。




































 潜水艇のエンジンは破壊され、その速度は落ちるところまで落ち込んでしまった。あの巨体で、しかもヒレなど水を掻くのに適した器官は見あたらないのに、この泳ぐ速度はどうだ。
 つまりはなから速度勝負は相手になっていなかった。遊ばれていたということだ。
 今も潜水艇のすぐ横で、巨大な泡を幾つも作りながら併走している。

 私達が助かるのは妙齢の美女が生涯貞操を守ることより難しいだろう・・・。

「こ、こんな所でこんなワケのわからんやつに・・・」
「シンジ・・・」
「し、死んでたまるもんですかっ!リツコとケンカしたまま、死んで・・・」




 それぞれ一様に皆何かを叫んでいる。生きた証を残したいからか。

 私は死を覚悟した。
 だが私達が絶望に飲まれたとき、唐突に奴は、竜は動きを止めた。

「え、どうなったの?」

 顔を隠してうずくまっていたユイ君が、おそるおそる顔を上げる。




 竜は崩れだしていた。
 骨にはじまり装甲らしき物にヒビが走り、ボロボロと体の一部が欠片となってこぼれ落ちていく・・・。まるで倍速度カメラの映像を見ているようだ。

 見る間に躍動感溢れていた全身から、体液と共に勢いとでも言う何かが抜けていく。
 そして口惜しげな泣き声がまた船体を揺らした。先ほどの衝撃はない。
 平行して泳いでいた竜がドンドン引き離されていく。歩くより遅い潜水艇相手にだ。

 私達が見守る中、目の輝きが失せ、激しい動きが止まり、そのまま重力にひかれるまま沈んでいく。私達には分かった。力尽きたのだろう・・・と。
 奴はずっと待っていたのだ。獲物を、自分を再生させるに足るだけの栄養を持った獲物を。長い、長い間・・・。
 もう少しでそれは手にはいるはずだったが・・・・・奴はその邪悪さ故にしくじった。
 邪悪であったからこそ、奴は遊びすぎたのだ。

 そして私は、セカンドインパクトの時でさえ祈ったことのなかった神に、初めて感謝していた。
































 陸に上がり、心底脱力した私達は湖を即刻埋めることを決意した。
 こんどの提案にはユイ君も、ナオコ君も反対しなかった。
 二日後、あのジオ・シュリンプのサンプルを幾つか採取し、あの竜が完全に動かないことを確認した後、水を抜き、丘を削ってでた土砂を運んで埋めていく。

 他の作業を一部中断してでも最優先で行った。
 悪夢は見たくない。

 そして竜は完全に地に埋まり、私は二度とアレを見ることはない。
 そうなると皆が思っていた。
 だが・・・。









<2004年>



『だからなんです。この子には明るい未来を見せておきたいんです』




 ゲンドウは・・・・・碇は変わった。
 そして時の流れもこの時変わった。





















 私がそれについて知ったのはユイ君があの事故に遭って少し経ってからだった。

 その時のゲンドウは極めて良くない噂ばかりだった。使途不明の予算で行う謎の実験、ナオコ君との不倫、自分の息子・・・つまり当時4歳だったシンジ君の養育放棄。
 奴でもさすがにショックを受けたことは分かる。
 そして奴が本当にユイ君のことを愛していたらしいことも。
 だが、仕事もしないで、そればかりかユイ君の忘れ形見であるシンジ君をほったらかしにして怪しげな研究をしているとなると、これは見逃すわけには行かなかった。

 しっかりしろ、何を考えていると奴を問いただした回数は片手で余る。

 そして遂に私はシンジ君の養育について家裁から問い合わせが来たに及んで、ゲンドウを厳しく、徹底的に問いただすことを決めた。

 人払いをして、奴と二人きりになるとさっそく私は今後のことを切り出した。
 だが、奴は不気味な笑いを崩すことなく色眼鏡を輝かせた。

「彼女を取り戻すんですよ。補完計画・・・・・ではなく、もう一つの方法で」
「何を言っている?私が今聞いているのはそんなことではない!
 ・・・おまえは疲れてるんだ。悪いことはいわん、すこし休め。これは副所長としてでなく、人生の先達としての忠告だ」
「上手いことを言いますね、冬月先生。ですがもう賽は投げられたのですよ。もう後戻りは出来ない」

 その時私は気が付くべきだった。
 奴の生気を失った目の奥に光る、おどろおどろしい光を。

「あの時の竜・・・、あれが教えてくれました」
「何を言っている!?」

 その時の私はかなり焦っていたと思う。冗談抜きで、ゲンドウが医者の助けを必要とする状態になっていることが分かったからだ。もっと早く気が付けばと思う一方、あれで良かったのではないかとも思う。答えは多分一生でないだろう。

 ハッピーエンドで終わらない限り。

 ゲンドウは相変わらず壊れた笑みを顔に張り付かせたまま、ふらふらと操り人形のように立ち上がった。

「見せてあげますよ、先生にも。ユイに会うもう一つの方法を」

 正直、私は逃げ出したかった。だが、ユイ君に会うというその言葉に・・・・どうすることもできなかった。













 奴に案内されてきた場所は、地下奥深く、ジオフロントの最深部とでも言うべき場所だった。まだ工事中なのか剥き出しの配線や金属コンクリートの壁が寒々しい。
 しかも迷路のようにでたらめに掘り進められた通路は、まるで髑髏の眼窩のように私を不安にさせる。こんな所があったとは知らなかった。

「まだか、碇」
「慌てないで下さい、冬月先生。もう・・・ほら、そこですよ」

 奴が顎で指し示した場所、そこには高さが10mはありそうなくらい大きな扉が、侵入者を威嚇するように道を閉ざしていた。
 ピッタリと閉ざされたその扉に、慎重に近寄りながら撫でてみる。
 見たことも聞いたこともない、不思議な材質だった。
 固さ、触った感じはまるで金属のようなのだが、プラスチックや木材のような暖かさを感じる不思議な物質。

 さながら生きている金属とでも言うのか。
 驚いている私の後ろで、ゲンドウはニヤニヤと笑みを浮かべ続ける。まったくイヤらしい奴だ。

「この程度で驚いてもらっては困ります。
 ・・・少し扉を離れて下さい。いま、中の物をお見せしますよ」

 そう言いながら何の文字も書かれていない、黒一色のIDカードを扉の横になったスリットに通した。

 ゴンゴンとコンベアか油圧シリンダが動く音がし、扉がゆっくりと左右に開いていく。
 はじめは真っ暗だったが、扉が開くにつれ外からの光が入ってくるし、私の目も慣れてきたのかゆっくりとだが室内の様子が分かってきた。





 だだっぴろい、倉庫か格納庫のような部屋の真ん中にこんもりとうずくまるがらくたの山・・・。
 そしてそれに繋がっているのか取り囲むようにして様々な計測器が周囲に配置されて、今も緑色の光を放っていた。なにを調べている?
 私の疑問が分かったのか、すっとゲンドウはがらくたの山を指さした。

「見覚えありませんか?」

 その時の私の顔はさぞや見物だったと思う。

 驚愕、興奮、恐怖、愛憎、その他様々な思いが私の胸の内を駆け回った。
 心臓は激しく高鳴り、脈は不規則に流れ狂った。一気に血が上った所為で頭ががんがんする中、私は馬鹿みたいに口をぼんやりと開け、震えながらそれを指さすことが精一杯だった。



「な・・・・な・・・」


 ニヤリとゲンドウが笑ったような気がする。
 そして奴が明かりのスイッチを押したため、天井に着いていた強力な電灯がそれを照らし出した。

 それはまさしく、あの時私達を襲った竜・・・その残骸だった。
 だが、なぜ今ここにある?
 あれは湖と共に地の底深く埋められたはずなのに。

「じつは、施設を作るため地面を掘っていたそうですが、そのときこれが見つかったそうなんですよ。すっかり忘れていましたが、ここはあの時の湖の底だったんですよ」

 そんな馬鹿な!?

 だが後で調べてみた結果、それは事実だった。偶然とは恐ろしい。それともこれこそ運命という名の必然なのか。





「穴を掘ったら見つかった・・・か。それを、貴様はわざわざ掘り出してこんな所に保存していたのか!?」

 冗談ごとじゃなかった。
 使徒と、エヴァだけでも手に余っているというのに、この上余計なやっかいごとを持ち込むとは!
 殺してやりたいくらい、私は奴が嫌いになった。何を考えているんだと胸ぐらを掴みあげて問いただしたいくらいに。いや、正直奴があのまま黙っていたらそうしただろう。

 奴は静かに眼鏡のずれをを直すと、静かに竜の残骸を見上げた。


「話はもう少し聞いて下さい。
 わたしも元々はこれをすぐに埋め戻すか解体して、廃棄処分にするつもりでした」

 そこまで喋ると奴はじっと私を見つめた。

「なにか理由があったのか?」

 コクリとうなずくと、奴は部屋の隅に置かれているスチール棚に歩み寄り、そこから一つの箱を取りだした。

「これが一緒に見つからなければ」

 そう言いながら慎重に奴は箱の蓋を開け、中に入っていた石版のような物を取りだした。

「そう、裏死海文書が見つからなければ」


 裏死海文書!裏死海文書!

 ゼーレという世界を裏から牛耳る秘密結社がある。その秘密結社の力の源にして、聖典とでも言うべき書物!
 死海のほとりから見つかったという、聖書を写した粘土板のことを死海文書と言うが、裏死海文書はそれとは内容が異なる。それは本来神の言葉を伝えるはずの聖書とは似ても似つかないことが書かれている。

 未来に起こること、予言が。
 それには過去に起こったことはもちろん、今地球で起こっている様々な現象、セカンドインパクトも、そしてサードインパクトについても書かれているらしい。

 そんなファティマ第3の予言など比較にならないような神秘の書が、こんな所にあるとは・・・。






 私の反応に気をよくしたのか、ゲンドウはニヤリと笑うと石版の横に入れてあった一冊の本を取りだした。おそらく、写本なのだろう。

「残念ながらこれは予言書とは言いがたいものでした。ゼーレの方が持っている物とは、別物なのでしょう。どちらかと言うなら、学術書とでも言った方がよろしいでしょうね。ですがこれには面白いことが書いてありました。
 私達人間と、使徒と、そしてその天敵である神に弓ひく者のことが」
「なんだと?何を言っている?」

 嬉しそうにゲンドウは微笑む。

「・・・書いてあったのですよ。ユイを確実に取り戻す方法が」

 私の心臓は確実に2秒近く停止した。奴の狂気、そして奴の言葉の意味に。
 そんなことが、できるなど・・・。

「この竜は私達炭素生命とは根本から違う、金属生命・・・いえ機械生命体です。そしてエネルギーが直接物質化した、いわばエネルギー生命体と言える使徒と天敵同士なのですよ。
 こいつの力を使えば、エヴァを分解してユイだけを再構成して取り戻すことが出来ます。あんな出来損ないのサルベージ計画と違って、確実に!」

 いつになく熱っぽく語る。
 奴は硬骨とした目で、にわかには信じがたい事をそのまま蕩々と語り続けた。もう私が聞いていようといまいと、構わないだろう。

 使徒が古代文明人の手によって作られた生物兵器だと言うこと、そしてこの竜が別の古代文明人の手によって生み出されたその対抗兵器であること。二つの種族は激しく争い、そしてお互いが自分達の生み出した最強の兵器によって滅ぼされたこと・・・。

 どれもこれも信じがたい。
 だが、私は信じるしかないことを悟っていた。
 使徒、裏死海文書、鋼の竜。
 奴の言葉を裏付ける証拠を、はからずも私は目にしてしまったのだから。

 硬直し、虚ろな目で竜の残骸を見上げる私に奴は悪魔のような口調でこう言った。




「冬月、改めてきこう。俺と共に、ユイを取り戻さないか?」





 それが悪魔の契約だったとしても、私は、頷くしか・・・・・・・できなかった。





第8話Bパートに続く





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