第四話 その日、陽射しは暖かく(後編)
written on 1996/9/8
そんなわけであたしは、バイトに行く前に、ちょっとグラウンドを覗いて
みようと思ったわけ。
なんとなく部活やサークルの雰囲気を眺めたいなってのもあって。
あたしはしばらく、フェンス越しにぼ〜っと綺麗な芝生を眺めてた。
そのうちに一人の男の人が芝生を横切って、こっちに向かって走ってくる
のに気が付いた。
背が高くて、すらっとしてて、結構整った顔して――――って、シンジ
じゃない!
あたしは慌ててくるりと身体の向きを変えると、フェンスに背をもたせか
けた。
足音が近づいてくるのとリズムを合わせるように鼓動が高まる。
足音が背後で止まった。
荒い息づかい――――なんだか嬉しい。
「やっぱりアスカだった! 久しぶりだね」
あたしは息を切らせているシンジを横目で見ながら、ちょっとそっけなく
言ってみた。
「なに言ってんのよ、昨日も電話で話したじゃない」
「そうだけど。ほら、学校で会うのって入学式以来じゃない」
屈託のない笑顔を見せるシンジの瞳を、あたしは見つめられない。
少しだけ視線をずらしてしまう。
「そう言えばそうだったかしら。
それよりも部活の方はどう?
また一人寂しく練習してるんじゃないかって、ちょっと気になって」
「ううん。そんなことないよ。みんな楽しい人ばっかりだし。
アスカこそどうしたの? これからバイトじゃなかったっけ」
「そっ。電話で話してたラジオ局のアシスタントってヤツ。
結構経済的につらいのよね〜。サークルなんかにも入る余裕ないし。
あいかわらずバイトバイトよ」
「そっか、大変だね………やっぱり退職金もらえば良かったのに」
「まーね。でも今更だし。別にいいの。
バイトだってそれなりに楽しいし、いろいろと勉強になるのよ」
「でも、同じように辛い目にあったのに、僕だけもらってるのも悪い気がす
るよ」
・・・・・・・・・
あたしはシンジに気付かれないように、息を大きく吸い込んで。
見えない右手をぎゅっと握りしめる。
「…………ちょっとでもそう思ってんなら、あたしの頼み事、聞いてくれな
いかな?」
「え? うん、別にいいけど。なに?」
シンジは間をおかずに答えてくれた。
とくん――――胸が鳴った。
「あの………ね。えっと、講義でちょっと課題が出てるのよ。
それで、その、海に行ってビデオを廻そうかなって思ったんだけど、一人
じゃ大変なのよね。海の方は電車もないし」
「あ、ケンスケから聞いたやつかな? 現実がどうのこうのって」
「そうそう。それそれ!
で、さあ、ちょっと車出してもらえないかなって。
まだネルフの頃の特殊免許って使えるんでしょ?」
「うん。
この前ちゃんと講習を受けに行って延長してきたから大丈夫だけど………
車なんて持ってないよ?」
「あんたバカァ? それくらい知ってるわよ。
レンタカーって手があるでしょ」
「あ、そうだね。じゃ、日程さえ決めてくれれば大丈夫だと思うよ。
運転にはあまり自信ないけどね。それでよければ」
何も気付いていないようなシンジの笑顔。
とくん――――また胸が鳴った。
でも、あたしの口は勝手に言葉を紡ぎ出す。
「い、言っとくけど、あんたはただの運転手なんだからね。
そこんとこ誤解しないでよ」
「はいはい。わかってるって」
そう言ってシンジはあたしの顔を見てくすっと笑った。
「やっぱりアスカはアスカだね」
「………なによ、それ」
なんだか妙に腹が立って、ギロリとあたしはシンジを睨みつける。
「あ、いや、その、なんとなく、さ。
昔に戻ったみたいだなって感じが――――」
バコッ!
「痛ッ」
突然シンジが悲鳴を上げた。
足元にぽとりと軟球のテニスボールが落ちる。
一瞬後。
次から次に白球がシンジに襲いかかってきて、はずれたボールがフェンス
に当たって騒々しい音を上げた。
『碇! てめぇ、練習中に何やってんだ!』
陸上部の先輩からだみ声が飛んできた。
たぶん電話で話してた石上さんって人ね。
随分向こうの方から、シンジの先輩達が、どこから奪ってきたのかテニス
ボールをシンジに向かってどんどん投げてきてる。
ふふっ。
あたしは笑いながら、二・三歩後ずさった。
「じゃ、またね。さっきのこと考えといてくれる?」
「うん、わかっ………ぃたっ!」
またまたテニスボールがシンジの後頭部に激突した。
「ちょ、ちょっと、すぐに戻りま――――」
頭をさすりながら振り向こうとするシンジの背後に、あたしはそれを見つ
けて――――
「シンジ、危ない!」
「えっ?」
バゴンッ!!
振り向いたシンジの顔面にひときわ大きな音を上げて命中したのは、桐丈
さんが渾身の力を込めて蹴ったサッカーボール。
『碇ぃぃぃぃぃぃ!!!!! なんでお前ばかりがぁぁぁぁぁ!!!!!
オレはお前が憎いぃぃぃぃぃ!!!!』
あたしはもう一度声をあげて笑った。
な〜んだ、シンジも結構楽しくやってるじゃない。
ちょっと嬉しくて、ちょっと羨ましくて、ちょっと寂しくて。
「ば〜か」
あたしは一言残すと、暖かい春の陽射しを浴びながら走りだした。
<第伍話へ続く>
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