怠惰


 カウンターしかない店だった。

 

 店のオヤジは入ってきた俺達に「いらっしゃい」と力の抜けるような声をかけるとおっかない顔で深底の鍋を覗いてふたをする。

 深底の鍋は2つあって片方は火力をめいいっぱい上げて、スープを煮立てている。

 泡立つ中に見え隠れするのは骨、おそらく豚の骨だ。

 もう一つの鍋は逆に火力を絞って茶色の液体にタマネギや人参、キャベツが浮いている。

 客は俺達以外誰もいない。

 この店に入った時間が昼の3時、丁度客が来る時間帯の真ん中なのだろう。

 メニューを見るとこれだけしかない。

 

 

 

ラーメン 並   600円

     中盛り 700円

     大盛り 800円

 

麺の硬さ、油抜きはご注文の際に申し上げてください

 

 

 

 俺は隣にいるマコトを見る。マコトも俺の方に顔を向ける。お互いにもう腹は決まっていた。

「大盛り麺硬め」

 俺は食い損なった昼飯の分を取り返すつもりでオヤジに言った。

「中盛り油抜き」

 マコトはあまり油モノが好きではない。

 だが同じように押さえていた食欲を満たすため、いつもより量を増やしたようだ。

 

 オヤジは返事もせず俺達に背中を向けた。

 重ね積みされた木箱のふたをずらして手に麺の球を抱えて戻ってくる。

 スープとは別の、大量のお湯が沸騰した鍋の前にたつと、麺の球をほぐして静かに泳がせる。

 それが終わると重ねてあるどんぶりを手の中でくるりと回して流しの脇に2つ並べた。

 その中に醤油ダレを入れてスープ鍋の方に戻った。

 

 マコトは黙って立ち上がると冷水機から冷やを2つついで1つを俺の前に置いた。

 毎度のことだが、こういう処で細かく動くのはいかにもマコトらしい。

 俺はちょっと手を挙げて礼を伝えた。

 

 オヤジは麺の鍋を確認しながら冷蔵庫から砕いてある骨を取りだして煮立つスープの鍋に放り込む。

 鍋のふたをしてから野菜入りスープをどんぶりに移して、麺を引き上げ始めた。

 何か測るように箸と網を鍋に3回つけると、箸に巻き取るようにして麺を網の中に納め、鍋から外してゆで汁をきる。

 それをどんぶりまで持っていってスープの中に麺を滑らせた。

 手際よくきざみキャベツとチャーシューを起き、最後に海苔を添えてカウンターに置いた。

「大盛りお待ち」

 オヤジはぼそっと言うとマコトの方の中盛りに取りかかる。

 

 目の前には出来立てのラーメンがある。

 マコトが箸立てから割り箸を抜いて俺に渡した。

「お先」

 上ってくる匂い。

 ここで気を使って他の分が上がってくるのを待っているのは馬鹿だ。

 俺はレンゲでスープをすすった。

 

 場違いなカップルがたまに来ることがある。

 彼女に気を使って自分のラーメンに手をつけないでいると、オヤジは露骨に嫌な顔をする。

 出来立てを食べてほしいのだ。

 

 太めの麺と、油の浮いたスープ。

 人によっては気持ち悪くなるようだが、スープは見た目と違ってあっさりとした味だ。

 麺についてだが、俺はどちらかというと細い麺の方が好きだった。

 しかし、ここでこのラーメンを食べてから太い麺もうまいことを知った。

 

 マコトの分が上がった。

 湯気の出る料理を一緒に食べるときいつも思うことがある。

 ここの店に来たときや、発令所のメンバーで鍋を食べるとき、マコトの眼鏡は絶対曇らない。

 マヤもこのことに気が付いていた。

 マコトがいないときに2人で話たことがあるが、目の前で眼鏡に曇り止めを塗っているところを見たことがない。

 いつの間にか、眼鏡の曇り止めも持ちが良くなったものだ。

 

 変則的な勤務をしている俺達は、1日中顔をつきあわせていることが多い。

 だから、ふだんの生活を覗かせるような行動を見せるときが必ずある。

 たとえば俺の場合、自席で暇なときはスコアを開き、腕をギターのネックに見立てて指で押さえる。

 本当は、ちゃんとギターを握りたいのだがそういうわけにはいかないのだ。

 

 マヤの場合は、ちょっとした空き時間に必ず何か口の中に入れている。

 まあこれは、彼女に限った話ではなくて机に就いている女子職員は、だいたいやっているらしい。

「手が汚れないから、ビスケットかお煎餅が一番いいわね」

 マヤがそう話していた。

 たまにお裾分けをもらうことがあるので、絶対に悪く言わない。

 今日のように飯が食えないときは繋ぎになるからだ。

 

 マコトは、昼食の交代時間に、必ず漫画雑誌を読んでいる。

 しかも、その日その日で全部表紙が違う。

 週に刊行されている漫画雑誌はすべて網羅しているらしい。

 単行本の蔵書も半端ではない。

 こいつの住んでいる官舎は、一部屋すべて漫画で埋まっている。

 時々、マコトが女子職員に包みを渡しているのを見かけることがある。

 中身を聞いたが、”高河ゆん”の”妖精事件”だった。

 

 

 

 そんなことはどうでも良くなってきた。

 うまい物を食って、幸せなときはよけいなことを考えたくない。

 黙ってラーメンをすすり続けた。

 

 

 

「ごちそうさん」

 俺は勘定を1500円払った。

 

 実は今日、ある賭をしていた。

 EVAのシンクロテストが無事に終了するかどうか。

 先手必勝、俺は、何も起きない方にラーメン代を賭けた。

 当然、マコトは逆だ。

 ついていないときはとことんついていない。

 アスカちゃんがシンジ君をけしかけて、ダミーEVAでジャンケンをした。

 結果、シンジ君が制御するダミーがプリブノーボックスの耐圧ガラスにヒビを入れた。

 

 

 

 こんなことをやっているぐらい今のネルフは暇なのだ。

 

 

 

 しかし、

 

 

 

 まあ、

 

 

 

なんだ。

 

 

 

 もうどうでもいいか。

 

 

 

 こういう日はさっさと帰るにがぎる。

ゆっくり風呂に入って、さっさと寝ちまおう。

 

『お疲れ』

 店を出てすぐに、俺とマコトは全く同じタイミングで声をかけた。

 その後互いに苦笑しが、俺は手を振って別れた。

足取りも軽く、地下鉄の入り口に向かって。

 


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