マケイヌ
カウンセリング「お父さんの事を話してみて」
少女のカウンセリングの最初の一歩だな、と思いながら、私は父と自分の関係
を思い付くままに語り始めた。
「父は私を愛していませんでした。本当の子供ではなかったからです。両親は
研究者で、遺伝や、人の脳や、そういうことを研究していました。私の遺伝上
の父親は、そこの誰とも分からない提供された精子の一つでした。私はそれを
10歳のときに知りました。聞いたのは父の不倫相手、現在の戸籍上の母親か
らです。
父はずっと不倫していて、母が気が狂ったとたん、その女と堂々と付き合い出
しました。私がまだ子供だったので、解らないと思っていたようですが、私に
は解りました。その時の言葉も断片的にですがちゃんと覚えています。
父と母が働いていた研究所では、当時人の脳を使った特殊な研究をしていまし
た。母はその実験中、事故で正気を失ったんです。
毎日人形を私だと思ってはなしかけていました。私本人が入ってきても人形を
娘だと思っている母は、見向きもしてくれませんでした」
こんな感じでいいんでしょうか?と私はカウンセラーに笑いかけた。
ここまで話すと、カウンセラーは、もう無理にお父さんの事を中心にして語ら
なくていいからといった。
「人の脳の研究をしていたといいましたが、その実験体になるには特別な才能
が必要で、私はそれに選ばれたんです。
私は子供ごころに、すごい名誉な事だとおもいました。
母はきっと喜んでくれると思いました。これで母は私を見てくれるんじゃない
かと思いました。父はそんな私を産んだ母を見直して、母と私を見てくれるん
じゃないかと思いました。
喜びいさんで病室の母に報告に行きました。ドアを開けたら・・・・・・・。
そこで母は首をつって死んでいました。
第一発見者が私でした」
けっこう悲惨ですよね、私の人生、とまだ私は笑っていた。
「お葬式の席で皆は私に言いました。あなたはかわいそうに、と。ひどい母親
だと。私はすごくいやでした。母を責めているようにしか、私を哀れだといっ
ているようにしか、聞こえませんでした。
だから私は決めたんです。選ばれて、賞賛されて、自分の存在を認めさせてや
る、と。早く大人になって、誰にも自分をかわいそうな子供だと言わせるもん
かと」
「父はすぐに、再婚しました。まわりはまだ私は小さいから、すぐに新しい母
親にもなじむだろうといいました。でも、私は14才で大学を卒業する程度に
は、早熟でした。今まで私がお話しているのは5歳までの記憶ですけれど、お
話したくらいには、まわりの事が見えていました」
「新しい母親は、私にぬいぐるみを与えました。私はいらないといいました。
子供扱いをするなといって、そのぬいぐるみを捨てて、踏みつけました」
だんだん話すのが辛くなってきた。
涙の一歩手前で話す私に、上手く話そうなんて思わずのに、浮かんだ順に話し
てみればいいとカウンセラーが言った。
「ぬいぐるみを投げ捨てたとき、本当は、少しだけ、胸が痛んだんです、少し
だけ。
そのぬいぐるみはふわふわしていて柔らかくて、かわいかったんです。
床に叩き付けられてもそのぬいぐるみの表情は変わりませんでした。小さくは
ずんで、かわらない表情で私をみていました。
その時、母が私のかわりに毎日抱いていた人形を思い出しました。母は、どん
なに私が叫んでも、決して私を見てはくれませんでした。うまく・・うまく言
えないけど、人形をかわいいって思っちゃだめだって私の中の何かが言ったん
です。拒絶しろって言ったんです。これを手にとってしまったら、私はかわい
そうなただの子供になってしまうと。
・・・・・踏みつけました」
私は完全に泣いていた。
カウンセラーはあなたが辛いのなら無理に話さなくていいし、話したいのなら
話していいといった。
私は話しつづけた。
「踏み・・・・、踏みつけたらそれは柔らかかったんです。
靴を通して柔らかい感触が伝わってきました。
その時、すごくかわいそうな事をしてると思ってすごく心が痛んだんです。
本当に、本当に痛かったんです」
「だから・・・・。
私はもっと踏みつけました。その柔らかい感触が床と一体化するほど強く。な
んども、ぐりぐりと、床に踏みつけました。
上手く言えないんですけどひどく残酷な事をする気持ちでした。
柔らかくて・・・かわいくて・・・・」
私はしゃくりあげていた。
「それを見ていた父と継母は、継母に対するあてつけだととりました。もちろ
ん、私にもその気持ちもありました。こんな女がくれたものなんか大事にする
もんかっていう。
その事があってから、継母は私を子供扱いしなくなりました。その代わりにう
まくやろうともしなくなりました。暗黙の了解が成り立ったんです。私達は外
から見たら、それなりに上手くやっていました」
「私には実験がありました。訓練がありました。選ばれた子供は、もう一人い
ましたが、世界で二人しかいませんでした。私の方が後に選ばれたのですが、
すぐにその子よりいい数値を出せるようになりました」
涙がおさまってきた。
また、淡々と私は話はじめた。
「私はその数値でいい成績をおさめる事に没頭しました。毎日がそのための訓
練でした。勉強もしました。天才少女だと、まわりは言いました。私が12歳
で大学に入学したとき、父は私も鼻が高いと言いました。
私には他にする事がありませんでした。友達もいません。趣味もありません。
生活全部がその実験でいい数値を残す事だけでした。でも、特に辛いとも思い
ませんでした。その実験をやっているとき、研究所の人はみんな私を見ていま
した。真剣な顔で。
私は、笑っちゃいますけど、その時の私は、本当にその実験によって世界が救
われると思っていたんです。私は特別な人間だと思っていたんです」
「実験でいい数値を出せば誉められました。私は自分が必要とされていると思
えました。その実験の本部は日本にありました。私の顔を見ればわかると思い
ますが、私は完全なドイツ人ではありません。母は日本とドイツ人のハーフ、
遺伝上の父は多分ドイツ人、戸籍上の父はアメリカとドイツのハーフでした。
生まれた場所と国籍はアメリカです」
「英語とドイツ語だけでなく、日本語も喋れるように教育されました。さっき
も言ったように、その研究機関の本部は日本にあって、脳の活動は言語と深く
結びついているので、日本語は喋れた方がいいからでした。何人かの日本人が
研究所にいましたが、その人達とは親しくつきあわされました」
「最初は、数人の中年の男でした。狂ってしまった母のかわりに私に日本語を
教えるのが主な役目でした」
「次に、私が10歳になると、女性がやってきました。私は彼女の事がキライ
でした」
「彼女は、ちょっとわざとらしいところがあったからです。すごくフレンドリ
ーに私に話し掛けてきました。でも、私の事をどう扱ってよいものか、解らな
いといったふうなのがミエミエでした」
「私は最初、彼女に気に入られようとしました。でもすぐにそんな事しようと
しまいと、彼女の私の評価には何の関係もない事が解りました。彼女は誰にで
もフレンドリーで、最初はそんなにも開けっぴろげでいいんだろうか、と思う
ような事ばかりです。でもそれは彼女が実は誰にも心を開いていないからだと
言う事が解りました」
「彼女は誰にでも、壁を作っていました。明るくて人当たりのいい彼女は、み
んなから好かれていました。でも私は気付いていました。本当の彼女はぜんぜ
ん人の事なんて信じていなくて、人付き合いが苦手なんだと。
私は彼女の行動一つ一つにイラつきました。彼女の笑い方、しゃべり方、しぐ
さ、全てが技とらしくみえ不快になりました。そして私が表面的にいい子を演
じれば、彼女はとりあえず安心していました。
私はそんな彼女を馬鹿にしていました。
あんたなんて、私に見抜かれてるのよ、と馬鹿にしていました」
「次に、私のところにきたのは、男性でした。私は彼の事が好きになりました」
「彼は私を見て最初に、こんなかわいい女の子なのか、といいました。そして
私に挨拶をしました。その話し方、しぐさが、ちゃんと一人前の女の人を扱う
ようにしてくれました」
「私の初恋でした。今になってみれば解ります。私は誰でもよかったんです。
私を一人前に、扱ってくれる人ならば。実験体としての私ではなく、一人の少
女として、一人前に扱ってくれたのが、彼が初めてだったからです」
「それまで、実験でいい数値を出しても、研究所の人は私を子供として扱いま
した。特別な、子供です。大人であるという事とは関係ありません。
学校の男の子や外部の人間ははなから私の眼中にありませんでした。好きと言
われても関係ありません。だって私は世界に二人しかいない、特別な人間で、
彼らはそんな事知りません。私と一般人であるクラスメートでは違いすぎて、
彼らの評価なんて私には何の意味もありませんでした」
「だから、彼が始めてだったんです。初めて知り合う人で、私がただの子供で
はないという事も知っていて、なおかつ私を普通の少女として特別扱いしてく
れたのは、というか、私を私としてみてくれたのは」
「結局私は、特別な子供でいたいと望みながら、特別な子供として扱われるこ
とを拒否していたんでしょうか。よく、解りませんけど」
「そして彼が彼女と違ったのは、彼は自分にとって他人は何の意味もない、興
味がないという事を隠そうとしていなかったことです。そこに私は大きなシン
パシーを感じました。彼には何か大人の男の秘密があるんだと。彼が私にだけ、
それを打ち明けてくれたらどんなにいいだろうと思いました。恋人同士になれ
たらいいと思いました」
「恋です」
「そして私は14歳になり、日本に呼ばれる事になりました」
「その男性も一緒についてきました。日本には、ちょうど三人目の子供が選ば
れたところで、実験はいよいよ実用化の段階に入っていました」
「私は、初めて自分と同じ立場の子供にあうのです。楽しみにしていました。
その楽しみというのはもちろん、親交を深める為ではなく、自分がNO1であ
る事をより知らしめる為にです。
実験の数値は、相変わらず私がトップでした。他の子は、悔しい思いをしてい
るのだろうと思っていました。ライバル意識むき出しでこられる事を予想して、
そうこられても私は動じる事なく、アドバイスくらいしてあげようと思ってい
ました」
「三人目の子は、今までの二人とは違って、その何ヶ月か前に突然選ばれた子
でした。それなのに実験の数値は私に迫っていました。船旅の途中、その事を
その好きだった人から教えられました。信じられませんでした。彼が最初の実
験でだした数値は私が十年訓練して調子のいいときにやっと出せる、その数値
に迫っていました。私は焦りました。どんなやつなんだろうと思いました」
「そうしたら、そこにいたのは普通の男の子でした。ぜんぜんさえませんでし
た」
そこまで話して、行きづまってしまった。
黙っている私を見て、カウンセラーは続きは明日にしましょうと言った。
涙ではれた顔を誰にも見られないように、急いで家に帰った。
家で、一人になったとき、今日自分が言った事を反芻してみた。
何より自分が一番驚いていた。
なんで自分はあんなところで泣き出したのだろう。自分でも忘れかけていたよ
うな、ぬいぐるみの話のときに。
私はどうしてあんな部分で自分の胸が詰まってきたのか不思議だった。今まで
自分で自覚してきた痛みはもっと別の部分にあった。
シンジに負けた事。みんなが私を見てくれない事。私は役立たずだったこと。
それなのに、なぜほとんど忘れかけていたような事で私の胸はこんなにも詰ま
るのか。
落ち着いて、そして心に浮かんだままの言葉を口に出してみた。
「私がされた事をそのぬいぐるみにしたんです。
でもそのぬいぐるみにはなんの罪もない事を知っていました。
今思えば、そのぬいぐるみは私でした。子供らしい自分、もう一人の自分でし
た。だから捨てたんです。踏み付けにしたんです。
私の心は、引き裂かれました」
泣きそうになったけど言葉には出来た。
カウンセラーは明日続きからと言っていた。
エヴァの事をいうわけにはいかないから、少し言い方を考えなければならない
と思った。