さよなら、と言った少女は

 震える少年を置いて部屋を出ていく。

 

 忘れて、と少女が言ったのは嘘。

 忘れる、と少年が言ったのも嘘。

 

 そして少年はゆっくりと、目を閉じる。

 

 


 

 少女、少年  <第八話>

 


 

 

『・・・現在留守にしています。ピーという発信音の後にご用件とお名前をどうぞ。』

 

「あ、シゲルです。携帯の方も電波入らないとメッセージ返ってくるので、こっち、入れ

ておきます。えっと、メール見たけど、例のニュース配信、マヤの前で酷い目見たぞ。企

んでやがったな。とりあえず、貸しにしとく。返せよ、じゃ、返ってきたら連絡くれ。」

 

 

 

『・・・現在留守にしています。ピーという発信音の後にご用件とお名前をどうぞ。』

 

「・・・、また掛けます。」

 

 

 

『・・・現在留守にしています。ピーという発信音の後にご用件とお名前をどうぞ。』

 

「シゲルです。『MAGIプロ』の担当者リストに目を通した。マコトが『見たか?』っ

て言っていたのは、これのことか?正直、ちょっと驚いてる。マヤとも少し話をしたけど、

余りにも突然で・・・。えっと、何時でもOKなので、連絡下さい。じゃ。」

 

 

 

『・・・現在留守にしています。ピーという発信音の後にご用件とお名前をどうぞ。』

 

「あの・・・、ミサトです。留守番電話、聞きました。本当はちゃんと会って言って欲し

かったけど・・・。携帯にも繋がらないし・・・、お返しに私も、留守番電話に入れてお

きます。・・・ずっと、ずっと待っていました。幸せにしてください。・・・・、帰って

きたら連絡下さい。待ってます。」

 

 


 

 

 マコトは電話口から聞こえるシゲルの声に受け答えしながら、ディスプレイの向こうに

映る『惣流・アスカ・ラングレー』という少女の名前を見つめていた。その名前は他の多

くの名前と混じり合いながらも、ディスプレイの中でクッキリと縁取られ、宙に浮いてい

るように感じられる。

 

「今更隠すことはない、って事なのだろうけど・・・。それよりも優秀なエンジニアを前

面に押し出して、プロジェクトの指導権を取りたい、って部分なんだと思うよ。」

 

 努めて冷静で、それでいて僅かに怒気を含ませた様に、マコトはそう口にした。

 

「ネルフには居ない、っていうのは全部嘘だったわけだろ。監視下に置いているとは思っ

ていたけど、此処まで露骨にやられてると正直腹が立つよな。」

 

 電話の向こう側でシゲルも怒声を押し殺しながら、マコトの言葉に応えた。

 

「見せない方法を向こうは取っていた、こっちはその逆だった、ってこと。どっちもどっ

ちだな。大体、ネルフから離れているなんて、馬鹿正直にシゲルも思ってたわけじゃない

だろ。それじゃ意味がない。」

 

「・・・あぁ、確かにそうだな。それにしても結局、何処までいってもあの化け物がつき

まとう。あんなモノ、もう何処にもないだろうに、」

 

「”もう”、じゃない。”元から”だろ。ただ、あの協定が結ばれたから、それが事実と

して表面に浮かび上がっただけだ。皆最初から分かってた。でも、それでも怖かったの

さ。」

 

「馬鹿な話だな。」

 

 シゲルが吐き捨てるように言う。

 

「そんな事は10年も前に分かってたさ。皆が段々と考えなくなっていっただけなんだよ。

誰も彼女を助けてやれなかった。そして自分たちの世界だけ守って、次に気が付いたら

10年たってた。何かを探すために今まで来た道を振り返っても、何にも残ってるわけが

ない。」

 

「”どうすることも出来なかった”と思うか?」

 

 少し声のトーンを落として、シゲルが問うた。

 

「・・・正直、後悔はある。でも、どうすることも出来なかったと思う事もある。こう在

りたかった、と言葉にするのと、現実は違う。例えば、セカンドチルドレンのドイツ支部

への復帰は、当時の冬月副指令の苦渋の選択だよ。もう一度『人』と戦う力は、あの時の

本部には無かった。」

 

「結局、最後は何時も『人』だ。子供たちを踏み台にして世界を守って、挙げ句の果てに

はやっと取り戻した少女の心まで犠牲にして、俺達は此処に生きてる。自分たちは何時も

傍観者だ。そして傷つけた少女が帰ってくると分かったら、こんなにビクビクしてる。自

分が本当に嫌になる。」

 

「同じだよ、自分も、」

 

 マコトはシゲルの言葉にそう答えた後、小さなため息を吐いた。それは重く、ゆっくり

と体にまとわりつく。

 

「10年、自分にとっては短かったけど、でも、彼女にとっては長かっただろう

な・・・。」

 

 そして呟くように言葉を続けた。押し殺した後悔の感情が言葉尻から漏れて、何もない

世界を叩くように広がっていく。

 

「・・・早ければ、来月の頭、かな?」

 

 暫しの沈黙の後、シゲルはそう問うた。

 

「多分。でも、ひょっとしたら第一陣はもっと早いかも知れない。明日の会議の結果如何

だろうな。受け入れ態勢は整ってるから・・・、向こうの出方次第だろ。」

 

「そうか、そうだな。シンジ君とレイちゃんには明日でも伝えないといけないな。」

 

「その役目は自分がするよ。」

 

 マコトが即答した。

 

「いいのか?正直、あんまり良い役回りじゃないと思うが、」

 

「あぁ、ま、気にしないでくれ。レイちゃんは『MAGIプロ』では自分の下でやっても

らう予定なんだ。そういう意味でも、自分が伝えるべきだろ。」

 

「わかった、お願いする。取りあえず明日。今日は遅くなったし、これで電話切るよ。明

日はいつもより早くマヤと一緒に出ることにする。」

 

 シゲルは今までの語気を少し緩めて、そう言葉にした。

 

「そうだな、明日。・・・あ、シゲル、未だ、ちょっとだけ良いか?」

 

 シゲルの言葉に応えて電話を切ろうとしたマコトが、思い直してそう言った。

 

「ん? 構わないけど、なんだ?」

 

「えっと、その・・・、やっぱいいわ。それじゃ、」

 

 少し自嘲気味な笑いを含みながら、マコトは言葉を濁した。

 

「なんだ、まぁ、いいよ。それじゃぁな。」

 

 シゲルのその言葉を最後にして、二人は電話を切った。

 

 

                   − / −

 

 

 マコトはシゲルとの電話の後、子機を机の傍らに置いて、くすんだ天井を見上げながら、

暫しの間自らの"これから"に考えを巡らせていた。

 

 目の前には、片づけていかなければいけない問題が幾つもあった。

 

 少女の件も含め、『MAGIプロ』は暗中模索、手探り状態で始まる。各支部間の意思

統一の難しさ、特に本部としての下らぬ体裁が、このプロジェクトのネックになるかも知

れない。円滑なプロジェクト運営が成されるのか、金銭的な問題も含めて、一筋縄ではい

かないだろう。

 そしてもっと根底の問題を考えれば、ネルフの組織解体の話もある。復興という明確な

目的が薄れるにつれ、現ネルフ(新ネルフと呼称される)の解体問題が、国連を中心とし

て取り上げられつつある。無論、これは遙か将来においてであり、『MAGIプロ』を含

め、依然としてネルフの存続価値は高く、まだまだ現実味を帯びた話ではない。

 

 

『そして・・・。』

 

 マコトは再び子機に目をやった。

 

『自分の事もある。』

 

 淡く光る、朱色のバッテリーランプが目に映る。

 

 

 そう、自分の事もある。

 

 シゲルのメッセージの後に入っていた、彼女の声。

 4年、いや5年待たせたのだろうか?

 

 料理が得意で、少し内気で、"ミサト"という名の、あの"ミサト"とは違う女性。

 

 

『同じ名前の女ばかり好きになるな、お前は、』

 

 初めて彼女と付き合い始めた頃、よくそう言ってシゲルにからかわれたモノだった。

 

 "ミサト"という名前は、偶然、だった。

 それ以外に、何もない。

 少なくとも、今はそう思う。

 

 でも当時は、分からなかった。

 死人が自分を縛り付けている、と思ったこともある。

 

 思えば、それが多くの時間を自分に必要とさせたのかも知れない。

 でもそれは、忙しさにかまけ、彼女をないがしろにしてきた自分自身への、言い訳に過

ぎないのだ。

 

 今はただ、よくこんな自分を待っていてくれたものだ、と思う。

 

 

 マコトは少しだけ意識してため息を付いた後、子機を取り短縮ダイヤルのボタンを押し

た。

 

『もう少し早くメールを見ていれば、この電話もなかったかも知れないな、』

 

 子機の向こうから、電子的な呼び出し音が聞こえる。

 そしてそれは幾度か規則正しく繰り返された後、ガチャリ、という音と共に、落ち着い

た印象を受ける、澄んだ女性の声に変わった。

 

「はい、もしもし?」

 

 マコトはその声を受けた後、一度深く目を閉じてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「あ、マコト。留守番、聞いたから・・・・・、」

 

 

 この深い夜の一片は、まだ続きを探している。

 今度の電話も又、長くなりそうだった。


つづく


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