第10話「Sorrowfulness 『Reason4-E』」
先ほどから僕の顔をぼんやりと照らすロウソクの火。
窓もない、この火が消えれば1寸先すら僕の目には映らないような部屋。
そこに、僕と・・・彼女はいる。
昨日・・・いや、彼女と最後に話した無線が終わった時にすら・・・
まさかこんな所・・・こんな形で・・・彼女と過ごすとは想像だにしなかった。
アスカがこの姿なった原因は炎じゃない。
それまで無理して走ってきた影響でもない。
クラッシュ時には無理してきた反動で彼女の神経はズタズタだったらしい。
が、直接的な原因ではなかった。
原因はアスカのマシンとマックスのマシンの接触時、吹き飛んだ彼のマシンの
フロントウイングに収納されていたファンが1枚、
アスカのマシンのキャノピーを突き破って彼女を襲った。
彼女のマシンのシートに赤黒い染料と共に刻まれた傷がその衝撃の強さ、
残酷さを表していた。
あれだけの衝撃を受けた彼女が・・・
アスカが最後に喋れたのは奇跡に近かったらしい・・・。
『・・・キィ』
ドアが開く音。
僕の首は動かなかった。
ユラユラ灯る光に照らされた、正方形の白い布が被せられた顔をじっと見ていた。
現実は分かっている。
だがこうして体にシーツがかかってる分には・・・。
まるで変わってない彼女のカタチに期待してしまう。
もしかしたら動くんじゃないかと・・・そう思うだけで目は離せなかった。
「シンジ君」
・・・この人か・・・。
「君も今日レースを走っているのだ。もう休んだ方が良いのではないかね?」
返す言葉はない。
「・・・まだここにいるつもりかね?」
「・・・はい。何も出来なかった・・・してやれなかった。
せめて・・・側にいてやりたい」
ため息が僕の耳に入った。同時に封筒が目の前に差し出される。
「これは頃合いを見計らって渡そうと思っていたのだが・・・アスカから君への手紙だ」
白い封筒・・・僕への手紙?
「レースがスタートする直前にアスカから手渡されてな。
レースが終わって、アスカがマックスに負けたら君に渡すようにと言われていた。
どうやらレース直前に書いた物らしい」
白い封筒の裏に、彼女が好きだった赤い色のペンで彼女のサインが書かれているだけ。
何の変哲もない手紙・・・見た目は普通の手紙だった。
が、何が書かれているんだろう・・・。
・・・見るのが怖い。
だがそんな思いよりも、彼女への想いが優ったのか僕の指が手紙に伸びた。
「少し出てきたらどうかね。その間は私がアスカの側についているから」
僕としては手紙をここで読みたかった。
が、ここは暗すぎる。かといって電気はつけたくなかった。
「・・・分かりました・・・すこし・・・お願いします」
それだけ言うと艶やかな栗色の髪を眺めた。今もその艶を保つ栗色の髪。
その姿を目に焼き付けると、僕はその部屋を足早に出る。
そして一番最初に見えたベンチに腰を下ろしてその手紙の封を雑に切り取った。
とてもじゃないが、丁寧に封を開けられるほどの余裕はない。
中から白い便せんに、封筒のサイン同様、赤いペンで書かれた紙がでてきた。
彼女はまだ漢字を多く知らないせいか、ひらがなが目立つ。
だがそんな文体が、僕の目を次の文字により早く向かわせていた。
『これを読んでるということは、たぶん私がアベルに負けたんだね。
恐らくシンジはホテル以来、私と顔を合わせずにこれを読んでるんだと思う。
さっき無視した事についてはあやまらない。でも少し反省はしてる。
でも無視した理由がまだ分からないんだったら・・・さびしいな。
シンジの夜明けの行動でわかった。シンジは私を好いてくれてはいたけど、
それ以上の感情は持ち合わせていないって事に。
そんなシンジの行動と、顔を見ていたら無意識のうちに涙がでてきた。
はじめは何で泣いてるんだろう?って思った。
たしかにシンジがしようとした事はショックではあったけど、
覚悟はできてたから別に・・・。
でも流れてきた涙が、のぼせて舞い上がっていた私の頭を冷やして教えてくれた。
シンジの気持ちが本気でないこと。シンジがこんな事している「わけ」。
それらを悟ったとき・・・すごく悲しい気持ちになって・・・同時にさびしかった。
すべてがわかった時から私の涙は意図して流れるモノに変わった。
・・・シンジはこの事をたぶん否定すると思う。
だって・・・きっとシンジは私のことを愛してるって錯覚してるから・・・』
ここまで読んできて正直驚いた。彼女の言ってる事・・・今思えばその通り。
僕は今朝の段階で彼女の事を愛してると思っていた。
けど、今ほどではなかった。
あの時はアスカと一緒にいるときの気持ちが「愛」だと信じて疑わなかった。
だが・・・愛なんかじゃなかった。
でもアスカは少し間違ってる。愛してないわけじゃなかった、あの時も・・・。
愛してはいたんだ・・・間違いなく・・・それが自覚できてなかっただけ・・・。
加えて自覚がない僕は君のことを思いやらずに辛く当たり・・・。
『でもなんでシンジが私を愛してないって分かったのかというと、
いきなりのシンジの行動・・・なんで?今になってこんな・・・
これだけ言えば分かるかな・・・?。
・・・たぶん分からないね。
シンジは私が他の男と寝るのが気に入らなかったんでしょ。
しかもシンジとはそういうことは一切してないし、しようともしなかったよね。
それがシンジかなって思ってた。でもそれも嬉しかったの。
大切にしてくれてるって凄く・・・。
そんなこと考えてたからさっきのは凄くショックだったの。
僕が先に・・・明日になったら手遅れだから・・・。
それだけがシンジを動かした原因。
そんな事で?。
加えてシンジはアベルに勝とうとしないで負ける時の事ばかり考えてるのが・・・、
逃げ腰になってるシンジを見てると・・・悲くなった。
そしてこの行動・・・辛かった。
もし本気で私を抱こう思ってたんなら今までだって・・・
機会はあったはずだし・・・』
・・・言葉もない。僕は彼女とそんな事をするつもりはなかった。
隣にいる彼女の寝顔とぬくもりが欲しくて一緒に寝ていたのだから。
あんな事・・・するつもりはまるでなかった・・・なかったのに・・・。
アベルのことがあったからこその行動・・・。
『そんなことで・・・そんなくだらない理由でこんな事するのかと思ったとき
すごく空しい思いにかられた。シンジの事は好きだし、もし望むなら私は・・・
でもそれはシンジの気持ちが私に向いていると信じていたから。
・・・残念だけど、私が見たシンジの優しさは偽りの・・・』
・・・アスカがここまで好いてくれてたのに・・・僕は・・・
『しかも私がシンジに全てを話した直後でしょ・・・。
私のこと分かったなんて口からでまかせを言って・・・ううん、
それがシンジの優しさなんだよね・・・偽りの。
分かったフリして私を安心させて、結局理解できなかったシンジは私を傷つける。
私はあの話の後で何でこんな事が平気な顔してできるのかと思えば思うほど
涙が止まらなくなって・・・しまいにはシンジと話せなくなっちゃった。
私はシンジに全てを悟って欲しかった。
もし負けても私はずっとシンジだけ見てる。
何があってもあなただけが好きだよって・・・シンジに受け取って欲しかった。
辛くて・・・さびしい・・・過去。
私にとってはシンジが唯一の存在で、
大切なかけがえのないものであるってこと・・・私なりに最大限、
分かってもらいたかったから思い出したくもない過去を引き出してまで話したの・・・。
でも結局シンジは私のシンジへの想いを信じてはくれなかった。
・・・私はシンジに何を話したらいいのか
・・・どう話したらいいのか分からなくなった。
何を話しても受け止めてもらうことができない気がして・・・
怖くて口が動かなかった』
僕は・・・アスカの事、話してくれた事は・・・分かっていた。
だからこそ一時の感情に任せた行動を今では悔やんでも悔やみきれなかった。
何であんなことしたんだ・・・何で・・・。
僕は結局自分勝手な思いからアスカを傷つけ、追いつめた。
アスカは僕を大切にしてくれていた。僕と共に歩もうとしてくれていた。
いざとなったら自らを犠牲にしてまで・・・僕を守り立ててくれようとした。
けど僕は、自分のことしか頭になかった。アスカがアベルに負けたら・・・。
ってことを聞いても、アスカが僕に全てのことを話してくれたにも関わらずに
彼女のために何一つしてやろうとしなかった。手助けすらしなかったばかりか、
アスカを逆に傷つける行為を起こし、彼女を追いつめた。
世界1の称号、ワールドチャンピオンとアスカ。どちらが大切かは思うまでもない。
そのアスカの危機だったというのに・・・。
好きではあったが自分を犠牲にしてまで・・・その感情が僕にはなかった。
僕にかかる些細な称号チャンピオンと、アスカにかかる賭けの代償・・・。
僕は自分可愛さからアスカをないがしろにして、チャンピオンを選んだ。
そんな気持ちは「愛」なんかじゃない。
今はできることなら僕が代わりに・・・あのベッドに横たわりたい。
失ってみて初めて気づく彼女の存在の大きさ・・・大切さ・・・。
馬鹿だよ・・・大馬鹿だ・・・。
何でもっと早く・・・こうなる前に気づかなかったんだ・・・。
でも全ては手遅れ・・・・・・。
昨日まではにこやかに笑いかけてくれていた瞳は・・・もう開かない・・・・・。
もう・・・笑顔は見られない・・・・・。
さっきまではせめてアスカの側に出来るだけいてやりたい・・・そう思っていた。
でも・・・アスカの前に出てどんな顔をすればいいっていうんだ。
・・・・・・・・・・・合わす顔なんか・・・ない。
『でも・・・きっと今日のレースが上手く終わればまた元に戻れる気がする。
私が勝ったときはシンジに向かって私から話しかけられると思う。
私から笑いかけられると思う。負けたときは・・・分からない。
だから手紙に私の思いをつづったの。
私は・・・・今でもシンジの事好きだから・・・愛してるから。
この手紙を見てシンジ・・・明日の日が昇っても私に笑いかけてくれる?
また・・・私の事好きって言ってくれるかな?
もし今日の晩のコトを全てを受け入れてくれて・・・
もし・・・シンジの心が汚れた私に少しでも向いてるなら・・・
想ってくれるなら・・・
明日の13時に鈴鹿の私達の泊まっていたホテルの正面玄関に
楓並木があるの知ってる?
私・・・そこで待ってるから・・・
・・・期待しないで待ってるから』
手紙は最後に彼女のサインでピリオドを迎えた。
もう枯れ果てたと思っていた涙がまたあふれ出す。
あんな酷いことをしたのに・・・
アスカの心をまるで無視していた僕なのに・・・
ここまで想ってくれていた彼女・・・今の僕にとって大切な人・・・
なのに・・・僕は・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・どれくらいの時と涙が頬を伝わっただろう。
気づけばここも暗くなっていた。
非常口を教える電灯だけがポツリポツリと廊下に灯り
・・・僕と・・・床に落ちた涙を照らしていた。
僕は会いに行こうと思った、彼女に。
ここに書いてある・・・待ってるって。
あの楓並木に行けばきっとアスカに会える!。
その時に全てを謝りたい。僕の犯した罪全てを彼女の前で懺悔したい。
気づいたときには僕の足は玄関に向かい走り出していた。
病院のロビーにさしかかったとき、誰かが僕に声をかけてくる。
「シンジ君、どこへ行くの」
・・・マヤさんか。
「・・・鈴鹿に戻ります。そこでアスカが待ってくれてるんです」
「えっ・・・?」
会話もそこそこに僕は歩を進める。
一刻も早く楓並木に行きたい思いが僕の中でどんどん増幅していた。
「ちょっと?シンジ君?!」
マヤさんは僕の左手を掴んで止めようとしながら、
「どういう事?アスカは・・・」
「アスカが・・・待ってるって言ってくれてるんです。行かなきゃ」
「・・・シンジ君・・・アスカは・・・・・・・・・」
少し戸惑いながら口を開くマヤさんの手を振りほどき、走りだしていた。
「シンジ君!待って!!シンジ君?!!」
マヤさんの少し上擦った声が聞こえてきた。
そんなマヤさんに振り向くことすらせずに駐車場に全速力で走る。
僕はチームが用意してくれていたレンタカーに飛び乗りアクセルを踏み込む。
心は早くも彼方の鈴馬に飛んでいた。そうさ・・・
また・・・会えるんだ・・・アスカに!
また一緒にいられるんだ!!
次回予告
また、逃げた
第11話「RIGING SUN『Final Reason-A』