『あの日の君』を忘れない(Bパート)

芹沢 軍鶏



 水族館の見学会を終えたナデシコ一行は、ネルガル重工が手配した、ドック
近くの観光ホテルに入った。
「ふううっ」
 と、風呂上がりで浴衣姿のウリバタケは、娯楽室のマッサージ椅子に腰を下
ろした。浴衣の袂から財布をひっぱり出し、小銭を一枚取り出して、機械に入
れる。
「うおおっ、気持ちええわぁ。やっぱ風呂のあとは、これだよな」
 動き出したマッサージ機に、ウリバタケは気持ちよさそうに目を細める。
「まあ、あとは瓶に入ったコーヒー牛乳がほしいところですよね」
 缶コーヒーを飲みながら、ジュンが言う。
 メグミ、ミナト、ゴート、プロスペクターの四人は、クレーンゲームの周り
に集まっている。プロスペクターが器用にウサギのぬいぐるみをゲットして、
メグミに渡した。
「はい、どうぞ」
「わーっ、ありがとう。お上手なんですね」
「いやいや、昔とった杵柄というやつでして」
 プロスペクターはゴートに、
「あなたも確か、この手のゲームは得意だったはずですよね? 以前にネルガ
ルの慰安旅行で腕前を見せていただきましたが」
「いや、私は……」
「ぜひ、やってみてくださいよ」
 メグミは言って、ミナトに、
「ねっ、ミナトさん。どのぬいぐるみ取ってもらいます?」
「私はいいわ」
 ミナトはつまらなそうに言って、娯楽室を出ていってしまった。ゴートは黙
って見送るだけだ。
 プロスペクターがメグミに、
「どうかしたんですか、彼女?」
「ホーリーさんが、水族館で、あの案内役の女の人とずっと一緒にしゃべって
いたんで、怒っているみたいです」
「あ、なるほど……」
 リョーコはイズミと卓球で対戦中だ。イズミがスマッシュを決めて、「ふっ」
とほくそ笑む。
「イレブン・スリー、イズミの勝ちぃ!」
 審判役のヒカルが言って、リョーコは悔しげに叫んだ。
「あーっ、くそっ! イズミ、もう1セットだ!」
 ホウメイとイネスは、ホウメイ・ガールズの女の子たちがわいわい騒ぎなが
らレースゲームをやっているのを見物している。
「ま、私らが完全に休みになるのは、船を降りたこういうときだけだからね」
「そうね……」
 ホウメイの言葉に、イネスはうなずきながら、その心の中では、
(違う、本当の鈴鹿のヘアピンはもっとタイトなはずだわ。それに、あんなシ
フト操作で、よく走り続けているわね。本物の車だったら、とっくにギアボッ
クスがいかれてるはずなのに。説明したい、説明したい、説明したーいっ……!)
「それにしても、このホテル、俺たち以外に客はいねえのかな?」
 ウリバタケが言って、ジュンは首をかしげた。
「まあ、海水浴シーズンにははずれてますし、それに最近の木星トカゲの攻勢
で、ヒラツカ・ドック周辺にも敵の偵察用無人兵器がたびたび現れているとい
う話ですからね」
「みんな怖がって近づかねえってか。やだやだ、ここを戦場にはしたくねえよ
な。せっかく立派な水族館もできたばかりだってのによ」
「だから、一刻も早く平和を取り返すために、僕たちは戦っているんです」
 ジュンの言葉に、ウリバタケはうなずいた。
「そうだな、知ってる誰かが傷ついたり、死ぬのを見るってのは、やっぱつら
いもんな」

 アキトは玄関ロビーに来ていた。
 ここに来れば、誰かしらナデシコ・クルーの仲間がいるものだと思っていた
けれど、意外なことに誰もいなかった。
 いや、一番隅っこのソファに、こちらに背を向けている格好で、銀色の頭が
ちょこんと見えている。
「ルリちゃん」
 声をかけるアキトに、ルリは振り向いた。
 相変わらずの無表情で、黙ったままだったけれど。
「何やってるの、こんなところに独りぼっちで?」
 たずねるアキトに、ルリは膝の上の携帯端末に視線を戻して、素早くキーを
たたきながら答えた。
「思兼との通信です。このヒラツカ・ドックの固有戦力では、万が一、木星ト
カゲが襲来したときに、ナデシコを守りきることはできません。そこでナデシ
コの警戒システムを生きたままにしておいて、敵が接近したときにすぐ探知で
きるようにしているんです。そうすればエステバリスによる迎撃が可能になり
ますから」
「へえ、いろいろと船のことを考えてくれているんだ」
「それが私の仕事ですから」
 無表情のまま言ったルリの顔を、アキトも無言で見つめている。
 ルリはたずねた。
「……さっき、水族館であの女の人に言ったこと、怒ってますか?」
「え……?」
 アキトは驚き、しばらく考えてから、首を振る。「いや、怒ってない。たぶ
ん、ルリちゃんの言ったことは正しいと思う。でも、仕事でやってるだけだろ
うとか、そういう言い方はよくなかったと思うな。あの人が生き物を愛してい
るというのも、本当の気持ちだと思うから」
「そうですね。それは私も気づいていました。でも、それでも私、何も言わな
いでいることができなかったんです。あの、水槽の中を泳いでいる鮭を見てい
たら」
「……鮭?」
 たずねるアキトに、ルリはうなずいた。
「ええ。前に、アキトさんと一緒に、私の生まれた場所へ行ったことがありま
したよね」
「あ……うん」
「あそこのすぐ裏に、川が流れていて、そこを、たくさんの鮭が上っていって。
その音が、私の小さい頃の、数少ない思い出の一つでした」
「…………」
 アキトは、じっとルリの話を聞いている。
「水槽の中の鮭を見ていたら、私、なんだかそれが、自分の姿のように思えて
きたんです。本当の鮭は、自然の川を自由に泳いでいるのに、自由に生きてい
るのに、水槽の中で飼われている鮭は、不自然な環境の中で、人の手で生かさ
れているだけ。あの日、アキトさんと一緒にあの川を見て、自分にも誰かに操
作されたものじゃない、自分自身の思い出があったのだということを知って、
自分の生まれた事情についてはもう、ふっきれたつもりだったのに、やっぱり
私、心のどこかで、こだわり続けていたんですね」
「ルリちゃん……」
「でも、もう大丈夫です。私って意外と、神経太いですから、いつまでも一つ
のことで悩んだりはしません」
「…………」
 アキトには、ルリにかけてやる言葉が何も見つからなかった。

 そう。私はあの研究施設で、人の手で作られた子供だった。
 私は優秀な子供になるべくして育てられた。
 いや、子供であることは求められなかった。彼らが必要としていたのは、優
秀な頭脳だった。
 それならばコンピューターのほうが、遙かに彼らの目的に適ったものを提供
してくれるはずだろう。しかし彼らが求めていたのは、それだけではなかった。
 人の脳が優秀な思考回路であること以上に、人の肉体は、優れた汎用作業機
械であるのだ。
 たった一つの特定の作業をさせるだけなら、機械は人間よりも遙かに効率的
な労働力となるだろう。しかし、様々に変化する状況に対応し、最適とはいえ
ないまでも妥当な選択肢を自らの判断で選び、それに従って行動するといった
作業では、機械の能力は人間に及ぶべくもなかった。
 機械は、設計時にあらかじめ意図された通りの行動しかとれないのだ。
 ホシノ・ルリの頭脳を活用する最も有効な方法は、ホシノ・ルリ自身の肉体
に、その頭脳が弾き出した最良の選択を実行させることなのだ。
 その意味では、私は、人間でありながら人間ではなかった。
 私は、ほかの誰かのために作られた道具だった。
 もしも人間から判断力だけを残したまま感情を奪い去る方法が見つかってい
たとしたら、彼らは喜んでそれを私に応用しただろう。
 そのとき私は、彼らの望んだ最高の道具となっていただろう。
 道具に感情など、心など必要ないのだ。
 思兼。
 私のことを一番よく知っている、私のことをわかってくれる一番の友人。
 それは、思兼もまた、私と同じように心を与えられた矛盾した道具だからだ。
 教えて、思兼。
 あなたは、心を与えられて幸せなの?
 ……私は、心を持っていて、幸せなの?

 ピーッ、ピーッ、ピーッ……!
 枕元で聞こえる小さなアラーム音に、ルリは目を覚ました。
 隣の布団で寝ていたメグミも起きてしまったようで、目をこすりながらルリ
にたずねる。
「なあに、ルリちゃん、目覚まし時計? それにしちゃ、まだ真夜中みたいだ
けど……」
「いえ、敵襲です」
「て、敵襲っ?」
 メグミは、がばっとはね起きた。
 ルリは枕元に置いていた携帯端末を起動させて、
「思兼が知らせてくれたんです。敵機動兵器多数、ヒラツカ・ドックへ接近中」
「た、大変! みんなに知らせなくちゃ!」
 叫ぶメグミに、ルリは端末のキーに指を走らせながら、
「すでに皆さんへは思兼が警報を送ってくれています。計算では、ウリバタケ
さんたちがエステバリス各機の発進準備を完了するのが12分後、敵機動兵器
の射程圏内への到達が15分後ですので、充分に対応できます」
「あ、そ、そう……」
 メグミは、肩をすくめた。「ルリちゃんって、いつでも冷静なのね」
「それが私の取り柄ですから」
 ルリは言った。

 アキト、リョーコ、ヒカル、イズミ。空戦フレームを装備した四機のエステ
バリスが、ドックに繋留されたままのナデシコから緊急出動していった。
 木星トカゲの《バッタ》と呼ばれる無人機動兵器が、これに対応して、散開
行動に移る。
「いけーっ!」
 アキトのエステバリスが、《バッタ》の群の中に突入していった。
 アキトはトリガーを引きまくる。
 エステバリスが敵を撃ちまくる。
「無茶すんな、テンカワ!」
 リョーコは叫び、アキトを追って自機を敵のただ中に突っ込ませる。
「こいつら無人兵器は、しょせんプログラムで動いているだけだ! 人が乗っ
たエステバリスが、やられてたまるか!」
 アキトは叫びながら、《バッタ》を撃ち落とし続ける。
「敵《バッタ》を撃墜。げっ、きつい」
 ぼそりとつぶやいたイズミに、リョーコは頭を抱えて、
「この際、誤射ってことにして、あいつ撃ち落としちまおうか?」
「んなこと言ってる間に、後ろ回り込まれるよっ、リョーコっ!」
 ヒカルが叫び、リョーコのエステバリスの背後へ回り込もうとしていた《バ
ッタ》を撃ち落とす。
「サンキュ、助かったぜ、ヒカル!」
 礼を言うリョーコに、ヒカルはウインクした。
「任せてっ!」
「そうさ。無人兵器に、仲間同士協力し合うなんてことはできない。味方がや
られそうになったって、奴らはプログラム通りに戦い続けるだけなんだっ!」
 アキトは縦横無尽にエステバリスを操り、次々と《バッタ》を撃破していく。
 ナデシコの艦橋では、ユリカを除くメインクルーが、アキトたちの戦いをモ
ニターで観戦していた。
「すごいわ、アキト君たち」
 ミナトが言うと、メグミが、
「でも、あまりに敵の数が多すぎます」
「ナデシコを発進させて、エステバリスの援護をすることはできないか?」
 ゴートが言って、ジュンが、
「でも、ユリカが……艦長がまだ戻っていません」
「3時方向より敵巡航艦クラス、急速接近」
 ルリが報告した。「6分以内に有効射程圏内に入ります」
「3時方向といったら……あの水族館!」
 ジュンが叫ぶ。
 はっと、ルリは顔を上げてジュンを振り返った。
「まずいな。あそこには当直の職員もいるはずだ」
 ゴートが言って、メグミが、
「エステバリスに迎撃させましょうか?」
「いや、それでは水族館を戦闘に巻き込む危険がある」
「やはりナデシコを発進させて敵の注意をこちらに引きつけるしかないか……」
 ジュンは、副長として決断を下した。
「ナデシコ、緊急発進!」
「キーがないから船は動かないわ。艦長が持って帰っちゃったから」
 ミナトが言って、ジュンはずっこけた。
「な、何ですって!?」
「艦長、いつもあのキーをペンダント代わりに首からぶら下げて、服の中にし
まい込んでいるじゃない? 今日もドックに船を入れたあと、しばらく動かす
こともないだろうからって、キーを抜いて、しまっちゃってたわ」
「ユ、ユリカ……なんてことを……!」
 ジュンは怒りに肩を震わせる。おそらく見せ場を失った悔しさからだろう。
 しかし、ユリカが帰って来たあとまで彼が怒り続けることもないだろう。
 惚れた弱みというものだ。
「敵巡航艦の行動はどうだ? まさか水族館を攻撃するつもりか、それともナ
デシコかエステバリス隊を攻撃してくるのか?」
 ゴートはルリにたずねようとして、彼女の姿が消えていることに気づいた。
「ルリ君はいったい、どうしたのだ?」
「え? さあ……」
 メグミは首をかしげて、ミナトも不思議そうに言った。
「ルリルリが、戦闘中に持ち場を離れることなんて考えられないのに……」

 ナデシコ艦内、格納庫。
 ウリバタケは、ルリが《ひなぎく》に乗り込もうとしているのを見て、驚い
て声をかけた。
「おい、ルリルリ! いったい何やってんだ、戦闘中に!」
「私がこれで、敵巡航艦の注意を引きつけます」
「注意を引くって……おいっ!」
 あわてて止めようと駆け寄って来るウリバタケを無視して、ルリは乗降用ハ
ッチを閉じ、ロックをかけた。
 操縦席に座って、通信機から思兼に指示を出す。
「《ひなぎく》、発進準備。発進口を開け」
 ルリの目の前にホログラフのディスプレイが出現し、『OK』の文字が記さ
れる。
「進路、オールクリア。ウリバタケさん、危ないですよ」
「危ないったって……うわぁっ!」
《ひなぎく》がエンジンを始動させたのを見て、ウリバタケはあわてて機体か
ら離れる。
「発進」
《ひなぎく》は、ナデシコの艦内から飛び出していった。

「《ひなぎく》! いったい、どうしようって言うんだ……」
 アキトは《ひなぎく》の発進に気づいていたけれど、《バッタ》との戦闘で
手一杯で、関心を払っている余裕はなかった。ルリが乗っていることにまだ気
づいていないのだ。
 ルリの乗った《ひなぎく》は、水族館の上空まで到達した敵の巡航艦へ全速
で接近していく。
 敵艦もそれに気づいたらしく、対空火器で《ひなぎく》を狙い撃とうとする。
「……くっ」
 ルリの頭脳が、瞬時に敵の弾道を計算し、最適の回避行動を選ぶ。
 いや、いくらルリでも砲弾の速さを見切れるものではない。ただ勘でよけて
いるだけだ。
 だが、これで敵の注意は引きつけた。
《ひなぎく》は進路を洋上へ向けた。
 敵巡航艦も、これを追って進路を変え、水族館の上空を離れていく。
 アキトの目の前に、ホログラフ・ディスプレイが出現した。
『《ひなぎく》にはホシノ・ルリが搭乗中』
 ディスプレイの隅っこには、お寺の鐘に似た思兼のシンボルマークが表示さ
れている。思兼がアキトにルリの危機を知らせてきたのだ。
「何だって!」
 アキトは、《ひなぎく》に視線を向けた。
 それを遮るように、《バッタ》が目の前に回り込んでくる。
「ええいっ! 邪魔をするなっ!」
 アキトのエステバリスは、《バッタ》を蹴り飛ばして、全速で《ひなぎく》
と敵巡航艦の追跡を始めた。
 だが。
「え、エネルギー切れっ!?」
 無情に響くアラーム音。
『残念 エネルギー切れ』『重力波エネルギーも届いていません』『このまま
だと墜落します』などの文字がディスプレイに踊る。
「し、失速するっ!」
 きりもみ状態になって墜落していくエステバリス。
 そこに。
「お待たせっ、アキト!」
 ユリカの、明るい声が聞こえてきた。
 同時に、ナデシコの重力波圏内に入ったエステバリスのエネルギーが回復し、
動力系が息を吹き返す。
「ええいっ!」
 アキトは、エステバリスの体勢を立て直した。
 モニターで確認すると、ドックから緊急発進したナデシコが、こちらの後を
追って来ているところだ。
 ホログラフ・モニターの中で微笑んでいるユリカに、アキトは叫んだ。
「ユリカ、どうしてっ!? 実家からここに駆けつけたんじゃ、間に合うはずな
いのにっ!」
「実は、敵接近の警報を受けたのは、パーティーを途中で抜け出して、こっち
に帰って来る途中のことだったの。だって、お父様、ひどいのよ! 私に家に
帰って来いと言ったのは、お見合いをさせるつもりだったからなの!」
「み、見合いっ?」
 驚くアキトに、ユリカはうなずいて、
「そうなのよ! 今まで忘れていたけれど、シズオカの叔母様って、親戚中で
恐れられているお見合いマニアだったの!」
「お、お見合いマニア?」
「そう! 親戚中の年頃の子に、お見合いを紹介して回っているの! だから
いつも忙しくて、10年近く会ってなかったのはそれが理由なの! その叔母
様が、お父様と組んで、私にお見合いをさせようと仕組んでいたわけ!」
「はあ……」
「さあ、いいわ、アキト。あとはナデシコとこの私に任せて! ルリちゃん、
ナデシコと敵艦の軸線上からできるだけ離れて!」
「わかった」
 アキトが言って、ルリもうなずく。
「わかりました」
「グラビティブラスト、発射準備! 目標、敵巡航艦!」
 ユリカは、ルリの《ひなぎく》とアキトのエステバリスが回避行動に移った
のを見て、指示を下した。
「発射!」
 眩い光の束が、敵の巡航艦を呑み込んだ。

 残りの《バッタ》を始末するのに、大した時間はかからなかった。
 ナデシコのクルーたちは、格納庫で、帰還したエステバリス四機と、ルリの
《ひなぎく》を迎えた。
 ルリは、うつむいたまま《ひなぎく》を降りて来た。
 アキトは、ルリに近づいていくと、その頬を打つつもりなのか、手を振り上
げる。
 ユリカが、その手をつかんで止めた。
 驚いて振り向いたアキトに、ユリカは首を振る。
 それから、ルリの前にしゃがんで、にっこりと微笑んで言った。
「あの水族館を守るために、《ひなぎく》で出撃してくれたんだって?」
「…………」
 ルリは、うつむいたまま答えない。
「すごいわ。私なんか、とてもそんなことできない。だって、《ひなぎく》な
んか操縦できないし、無理して操縦したとしても、あっさり敵に撃ち落とされ
て終わっていたと思う。水族館が守られたのは、ルリちゃんのおかげよ。水族
館の人たちも、感謝していると思う」
「……私はただ、水族館の生き物たちを、助けたかったんです」
 ルリは言った。
「でも、そのために、皆さんに心配をかけたことは、申し訳なかったと思って
います。……ごめんなさい」
「いいのよ、結果オーライってね。水族館は守られたし、お魚さんたちは助か
ったし、ルリちゃんも無事だったし、何も問題ないじゃない。ね、アキト?」
「え?」
 アキトは、ユリカに微笑みかけられて、ぎこちなくうなずく。
「え、うん、まあ……」
 ユリカは、もう一度ルリに微笑んで、
「でもね、ルリちゃん。もう二度と、自分一人だけの判断で行動はしないでね。
ルリちゃんには、オペレーターという大事な任務があるんだから。ルリちゃん
が勝手に持ち場を離れたら、みんなが困ってしまうの。ううん、それ以上に、
ルリちゃんがいなくなったら、みんなが心配するんだから。ね?」
「……はい」
 ルリはうつむいたまま、こくっとうなずく仕草をした。

「先ほど連合軍より緊急連絡がありまして……」
 艦橋に居残っていたプロスペクターが、戻って来たメインクルーへ告げた。
「シベリアへ落下したチューリップの破壊のため、ナデシコに出動命令が下り
ました。従いまして、本艦の改修作業は中止。よって休暇も取り消し、と」
「ええぇぇっ!」
 不満の声を上げるリョーコ、ヒカル、メグミ、ミナト。
「ま、そういう気はしてたんだ。僕の悪い予感ってよく当たるから」
 あきらめきった顔で言うジュン。
「わかりましたっ!」
 と、ユリカはぴしっと敬礼して、一同へ向かって言った。
「ナデシコ、発進準備! 楽しい休暇はおしまい、今日から再び地球のみんな
のために働きましょう!」
「今日からって、今からか?」
 リョーコがあくびをかみ殺しながら言い、ヒカルも時計を見てうんざりした
顔で、
「午前3時半。いつもなら今ごろまだお布団の中よ……」
「ユリカ、なんだか性格変わったなぁ」
 アキトがつぶやいて、ジュンが、
「きっと見合いのことで親父さんと喧嘩して、開き直ったんだろう」
「さあ、行きましょう。ナデシコ、発進!」
 ユリカは、びしっと空を指さした。

「あの、ルリちゃん」
「え?」
 その日の午後、ナデシコ艦橋。
 アキトは、ルリに、リボンをかけられた包みを差し出した。
「渡しそびれていたんだけど、これ、水族館のおみやげ。記念のものはいらな
いって言ってたけど、それじゃ、あんまり寂しいから」
「え……」
 ルリは、包みを広げてみた。大きなペンギンのぬいぐるみだった。
「なんて言っていいかわからないけど、俺、思い出って、とても大事なものだ
と思う。そりゃ、忘れたい、つらい思い出もあるかも知れないけれど、でも、
思い出の積み重ねが、人間を作っているんだと思う。水族館に行ったことが、
ルリちゃんにとって、そんなにイヤな思い出になるとは、俺には思えない。俺
はみんなと、ナデシコのみんなと一緒に過ごしている毎日が、ひとつひとつい
い思い出だし、これからもいい思い出にしていきたいと思ってる。だから、ル
リちゃんにも、そう思っていてほしい。昨日の水族館のことも……」
 ルリはアキトの顔を見上げて、そして、ほんの少し頬を赤らめて、言った。
「ありがとう。……大切な思い出にします」
「あーっ、ずるい、アキトっ!」
 ユリカが叫んだ。
「私には何もおみやげ買ってくれてないのに、ルリちゃんにだけ!」
「ユリカは、おみやげいらないって言ったじゃないか」
 アキトが言うと、ユリカは、
「言ったけど、言ったけどでも、それでもアキトは買って来てくれると信じて
たのにっ!」
「そうよね、普通はあそこまで言われたら、本当は買って来てほしいんだと気
づくわよね」
 ヒカルが言って、イズミが、
「大砲の音と鐘の音。ドン、カーン」
「あ、なんだよみんなしてそうやって! 俺が悪いっていうのか!」
 叫ぶアキトに、ヒカル、イズミ、ミナトが、うなずきながら声をそろえて、
「あんたが悪い」
 ゴートがジュンに、
「アオイ君、君は艦長へのおみやげを買ったのではないのか?」
「買いましたけど、でも、同じペンギンなのに、あっちは大きなぬいぐるみ、
こっちは小さなキーホルダー。とても渡せないですよ、はぁ……」
 ジュンは肩を落としてため息をつく。
 ルリは、やれやれと肩をすくめた。
「やっぱり、みんなバカばっか」
 そんなルリの前に、思兼がホログラフでメッセージを送る。
『それもまた忘れ得ぬ思い出』
「……うん、そうだね」
 ルリは、小さく笑みを浮かべた。

 ありがとうね、思兼。
 私、あなたも、ナデシコも、ナデシコに乗っているみんなも、大好きだよ。




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