BOSS
第1話


第一発令所内、スタッフはそれぞれの仕事場で発令所のメインモニタに映る光景を
見つめていた。とはいえ、これはミサトから見える3人という範囲のことだが。
腕組みをしながらモニタを見つめていたミサトは、
モニタ上に変化が現れたのを見つけて言葉を出す。
「ようやくご到着ね」
「先程の通信では航路修正とか言ってました。8分の遅れが出ているようです」
情報のフォローを入れる日向。
「SSTOね・・・。立派な専用機をお持ちですこと」
そんなやりとりの間に、彼らの注目を集める機体は着陸態勢に入る。
護衛の戦闘機5機が上空を旋回している中、赤・黄・黒のトリコロール国旗を纏う
政府専用機が松代のNERV飛行場にタイヤを鳴らしながら
着陸する光景が第一発令所に映し出された。
「まったく、本部直通の汽車ポッポで来訪してくれた方がみんな楽なのにさ」
「日本の警察、信用されてないんでしょうね」
「本国からあれだけのSSが同伴してるんだもんねぇ。税金の無駄もいいところだわ」
だが誤解も良いところで、SSの大半は第二東京に寄った際に日本政府から派遣された者達。
彼らが本国から連れてきたのは10人程度だったのだが。とはいえ、第二東京から
SSTOでの来訪は誤解の余地など無い。SSがいなくても彼女の見解は変わるまい。
豪華な機体が映るモニタに冷笑を投げていたミサトの耳に背後から声が入った。
「ふふっ。殿下もNERV作戦部長にそんな事を言われるのは心外だと仰るかもね。
 使徒殲滅の為にいくつの施設がクレーターに姿を変えたかしら」
リツコは、彼女の視線を避けるために横を向いてコーヒーを口に含む。
「あんな無駄使いと一緒にして欲しくないわね。
 それよりさ、折角だから地下に転がってるエヴァの残骸でも視察していただけば?」
そっぽを向くリツコを横目で見るだけで、ミサトもプイと視線をモニタに戻す。
二人の様子を眺めていたマヤだけが、二人に知られないように口元を緩ませた。
「マヤ。ようこそNERVへ、とでもお客さんに送ってくれる?」
「は、はい!」
何気ない言葉に対しての必要以上の返事に、マヤの方を訝しげにうかがうミサト。
だが、そんな彼女の瞳にはいつもと変わらぬ仕事ぶりのマヤが映った。
「返信、来ました。歓迎・・・」
マヤの言葉をミサトは自分の声で遮った。
「報告はいいわ。どうせマニュアル通りでしょ。ホント、面白みのない連中」
ミサトの言葉を受け、マヤは報告を止める。口を噤んだマヤはモニタに写る返信文を
眺めたが、彼女にもミサトと同じような印象しか持てない。しかしマヤは、
ありきたりなそれに悪態を吐く気にはならない自分を少し寂しく思う。


BOSS第1話「摘芽の地」


眼下に広がる光景を眺めながら、シンジは感嘆の溜息を吐く。
SSTOのタラップの上で手を振る、自分より5歳程度年上に見える女性を見て
無意識のうちに漏れたものだった。王女というものへの好奇心からタラップを
拡大表示させて眺めていたシンジだったが、彼が抱いた感情は予想とは違っていた。
彼が王女を見つめる中、彼女らはタラップを下りて松代の空港に降り立つ。
すぐに寄ってきた出迎えのNERV職員達と握手をしながら、
シンジの乗る初号機を含めた展示物を見るため彼女は一歩一歩彼の元へ近づいてくる。
踏み出す度に揺れる長く整えられた金髪をただシンジは眺めていたが、
なにやら説明を受けていた人間の方に向けられていた顔がシンジの、というより
初号機の方に向き、青い瞳の視線と彼の視線が交錯した。
モニタを見つめていたシンジは思わず展開していたモニタを消す。
一度瞬き、失笑した後に再びモニタを展開させると、彼女はまだそこにいた。
だが青い瞳の視線は右隣にある赤い二号機に向いている。
隣に控える同行者と何やら話しているようだが、その声は拾えていなかった。
同行者がNERV職員に手招きしている光景を見て、先程SSTOの騒音で
マイクをOFFにしていたのを思い出した。
すぐにシンジは指を走らせて外部マイクを入れ、照準を彼女に合わせた。
だが、彼女は左隣の零号機を眺めるだけで、入ってくるのは周りの雑踏だけ。
しかし、NERVの制服を着た男が彼女に近づき、
一礼すると彼女は男に向かい口を開き、遂に待ち望んだ瞬間が訪れる。
「これらにパイロットは搭乗していないのですか?」
翻訳機が、彼女と同じ声で代弁する。清冽な中にも筋の通った声にシンジは満足した。
「いえ、彼らは現在もパイロットとして任務中です」
「パイロットは14の少女と聞きました。できれば会ってみたいものです」
彼女の言葉に職員は困ったような顔をしていたが、
シンジにしてみれば王女様それは違います、と間違いを正して欲しかった。
結局パイロットは少女になったようだが。シンジが初号機の中で拗ねている事を
当然知らない王女は、困り顔を浮かべる彼に微笑を返すと視線を再び初号機へ向けた。
シンジはその青く、清涼な瞳に魅せられ、そのモニタに引き込まれてしまう。
彼がふと気づいたときには彼女は背を向けて初号機から離れゆくところだった。
しばらく後ろ姿を見つめていたが、ひどく喉が渇いていることに気づく。
コネクトしている必要のない任務である。LCLを抜いて待機している
状態なので喉が渇いても不思議ではない。幸い空調はしっかりしていたので
過ごしやすかったのだけど、外の陽炎揺れる光景だけで汗が滲んでしまう。
シンジはLCLを入れてコンディションを整えようかとも考えた。
だが非常用食料スペースに昼間加持に買ってもらった缶コーヒーを
入れておいたのを思い出して、シート裏の床にあるレバーを一回転させて扉を開いた。
中にびっしり詰まった非常用の食料に1本の缶コーヒーが
ねじ込まれていたのを見つけ、取り出すとタブを開いてまっすぐ唇に押し当てた。
「ふぅ、加持さんに感謝しなきゃ」
枯渇していた喉に吸い込まれるようにして消えたコーヒー、その缶を見つめる。
同じ喉の渇きを癒やす物でも味気ないLCLとは天地の差。天国の心地を
味わったシンジはそれをもたらしてくれた加持に感謝の念を思い浮かべながら
再びコーヒーを味わうと、全面モニタに写る上空の雲へ視線を移した。


一方、綾波レイ・零号機のパイロットは瞳を閉じて本部からの撤収命令を待っていた。
外界の情報を閉ざし、暗闇が支配する空間には彼女の呼吸音のみが響く。
だが、よく見るとプラグスーツの手首にある機器がカウントダウンを続けている。
1:26、こう蛍光表示されていた数字が一分後には一つ減って1:25に変化した。
そんな中、微動だにしなかった彼女の頭がかっくんと前に倒れ、
空色の髪が彼女の頬を叩く。
「・・・ぅん」
赤い瞳を隠した瞼がうっすらと開いて、浮かび上がるデジタル表示の数字を見る。
すると安心したように瞼を閉じ、再び彼女の息遣いだけがエントリープラグ内に流れた。

とりあえず喉を潤してみたものの、まだ撤収命令は来ない。
もう王女一行は滑走路には居ないのだか、空港施設でNERV幹部との会談が
続いてるようだ。再びなにも変化のない時間を過ごすことになったシンジは
仕方なく固くなった筋肉を少し伸ばしてみる。
だが、あれから不思議と退屈はしなかった。空に流れ、
表情をころころ変える雲を見つめるだけで、脳裏に色々なことが思い浮かぶ。
今も雲についての俳句が思いついた。途端にエントリープラグ内は歌会に姿を変え、
その稚拙で字余りな一品を発表し終わると一人笑い声をあげた。
そんな中、変化の無かった風景の中に通信用の小モニタが展開したのにシンジは気づく。
『今日の夕御飯、なぁに〜?』
彼はモニタへ視線を向けて、同じく暇を持て余したであろう赤いプラグスーツを
着た女の子を確認した。
『現在の任務中は通信禁止だよ』
素っ気なく返すと、ブツッと通信を強制終了させた。
だが、消えたモニタの上に新たなモニタが展開される。
『大丈夫よ、少しく・・・』
「駄目だって」
彼女の言葉を最後まで聞かずに通信を強制終了させるシンジ。
だが、彼女もめげずに再度通信を送ってきた。
『流石ね〜、真面目・・・』
「任務中」
通信をまた強制終了させた。しかし彼は通信のドアを遮断せずに開けている。
彼女も余程やることがないのだろう。再び通信モニタが展開された。
『構わないって。どうせ座っ・・・』
今度は何も言わずの強制終了。暇な上に、ここまで粗略に扱われたら彼女も引かない。
『あんたね!。人の話は最・・・』
「トンカツだよ」
彼女に先程の問の答えを返すと話の途中で通信を切った。モニタが消えるのを
眺めながら段々に怒気を帯びてきた彼女の声を思い出してシンジは口元を緩めた。
「怒ってる、怒ってる」
嬉しそうにシンジは呟いた刹那、また通信が彼の元に届いた。
だが、展開されたモニタに映った女の子はぶすっと黙ったままだった。
そんなモニタを横目で見ながらシンジは声を待つ。
その間が彼女の中の疑念を確信へ変化させていく。
モニタの中で、彼女は閉じていた両瞼から青い瞳を露出させると呟いた。
『もしかして、アタシで遊んでない?』
「別に」
『だったら!。何で通信回線OFFにしないのよっ』
「別に」
『じゃあ!。何で今は切んないわけ!』
「別に」
暫しの沈黙。その間も彼の瞳は怪訝な表情の彼女を見つめていた。
『・・・ま、いいわ』
彼女は胸中の癪の種を、そんな溜息混じりの一言と共に吐き出すと、
その顔に晴れやかな笑みを浮かび上がらせる。
『で、一つ聞きたいんだけどトンカツってなぁに?』
暇な時間に出来た疑問を興味津々に訊ねる。
ましてやそれが自分の口に入るメニューなのだから尚更だろう。
現に今朝の朝食は、ミサトによる未知の料理、確かカレー納豆とかいう物で顔面蒼白に
なったばかりなのだから。そんな彼女にシンジは素っ気なくこう答えた。
「別に」
『ぅ・・・』
「Bettuny」
彼女の母国語であろう外来語を真似た、滑らかな舌使いで放たれた言葉だった。
『バカッ!!』
怒声が響くエントリープラグ内で、シンジは消えた通信モニタの方を眺め続ける。
だが一向に現れないモニタから、視界の先に移っていた赤い弐号機を見つめた。
コクピット内で自分を罵倒させるという暇つぶしの材料を与えた事を悔やみながら。


その頃、査察の主賓であるアルベイル4世の第一王女シュフィルは空港に
誂えられた一室で、日本国、NERV双方の事務官数人と歓談をしていた。
しかしそれも終わりを迎え、彼女が「分かりました、では」そう言って隣のブライトに
視線を移した時、扉の脇に立っていた軍服姿の男が彼女の前に進み出てきた。
「殿下、よろしければ警護を担当するパイロットをお引き合わせしたいのですが」
青い瞳と瞼が演出する涼しげな視線がその男に向けられる。
「パイロット?」
彼女の隣に座っていた男の警戒の色濃い視線が彼に注がれる中、彼は答える。
「先程申しました人型兵器のパイロットです。有事には殿下の壁となる三名の戦士達に
 謁見する栄誉をお与えくださいますようお願い申し上げます」
「構いませんよ、ニ佐殿」
「殿下!」
隣の男、ブライトが声を上げたが、シュフィルは手を軽く挙げて彼を制す。
まだ収まりがつかない様子の彼。だが扉の方から数人入ってきたのを見て仕方無し
という感じに口を噤んだが、目線でシュフィルを中心に配置されたSSに指示を送る。
中心の王女は入ってきた3人を観察していた。それはすぐに彼女の前に整列する。
先程の二佐が部隊長なのであろう。彼女から見て左端に彼が立っていた。
彼らは揃って敬礼し、それに彼女は頷きで返した。
まだ軍服が似合わないあどけない表情をした3人に、自然とシュフィルの口元も緩む。
近くで見ると彼らが思ったより若く、その中にショートカットの少女が一人居ることに
気づいた。二佐の紹介で、彼らは共に14歳で名前は山本ゴロウ、霧島マナ、
高須ジロウという名前だと教えられた。同時に、なぜ子供がロボットを巧く操れるかの
説明も簡潔に受ける。30秒ほどでその説明も終わったので、
聞き手に回っていた王女がようやく彼らに声をかけることが出来た。
「私の身辺には屈強なる者はおりますが、大量殺戮兵器の前には無力でありましょう。
 蛮人に付け入られぬために、あなた方が抑止力となることを期待します」
そう言いながら、シュフィルはマナに視線を寄せる。
彼女が少女であることもそうだが、他の二人と違い軍人の雰囲気を持っていなかった。
緊張の面もちを崩さない少女に対し、両隣の少年達の目は戦場を知る者のみが持つ光を
宿していた。シュフィルはもう彼らと目を合わせる気にはとてもならなかった。
王女は彼らから目を側めると、真ん中の少女に向かいにこやかに話しかけた。
「若いのにご苦労ですね」
「は、はい!」
自分に向けられた言葉に、いつもより甲高い声が出てしまう少女。
しまった。と口を真一文字に噤んで視線を落とす姿に王女の瞳も優しい光を取り戻す。
しかしそんな少女が軍服を纏い、それがとても不釣り合いなのは事実だった。
「こういう場は、初めてですか?」
「は、はい・・・すいません・・・」
恐縮してしまい下を向き通しのマナ。そんなマナを見つめていた王女は沈黙を切った。
「では皆さん、以後頼みます」
シュフィルが立ち上がると、マナ以外の3人は即座に敬礼をし、それに彼女も続く。
王女はそんな彼らに軽く会釈をすると、部屋を後にする。
SSの護衛隊長であるピーターの背を目の前にして歩みを進めているシュフィルは
右斜め後ろにいたブライトを見つけると、ほんの少し眉じりを上げた。
「いくら出来る者とはいえ、痛々しいものを・・・」
「この国では度々行われていることです。気になさらぬのが宜しいかと」
「やはり、知っていましたね。あの者達のことを」
「はい、ですからお止め申したのですが・・・」
「事前に報告を受けておれば許可など与えていません。
 時差呆けが過ぎるようですな、ブライト・メイラー」
「はっ。・・・以後、留意いたしますのでご容赦のほどを」
王女達は詮無い話を空港に残し、外に用意させたベルギー国有車にその身を滑らせた。
大型のリムジンだが王女と空間を一にするのを許されているのはブライトのみ。
今回の護衛隊長のピーターでさえ、防弾ガラスで仕切られた空間の外で同乗している。
「・・・どうです?」
「問題ありますまい。見事なものです」
ブライトの言葉にシュフィルは正面を向いたまま微笑を浮かべた。
「ですが、先程の言葉は本心ですよ」
王女は彼に真剣味を帯びた視線を彼に向ける。
「あなたの気遣いには感謝を。
 しかし、正しき聖断を下すには情報が欠かせないのも真実です」
「フィル様、根を詰めるのは程々になさいませ。
 特に今回は知らぬ土地での大事なお役目、取るに足らぬ雑件は私にお任せを。
 それとも、この爺を信じられませぬかな?」
ブライトの言葉に、王女は沈黙のまま彼を見つめる。だが、子供の頃から面倒を
見てきた彼には、見た目無表情の彼女が当惑しているのが手に取るように分かる。
子供の頃と変わりのない彼女の仕草に、自然と口元が緩むブライト。
そんな彼の変化に王女は一度瞬くと、その間に視線を窓の外に逃がした。
「解りました。細かいことはお任せしましょう」
言いながら、彼女はまだ空港に飾られている三体のエヴァを車窓の外に見つけた。
先程見た時と変わりない姿のそれが遠ざかるのを横目で眺めながら王女は呟く。
「あれのパイロットも14歳でしたな。
 籠の中で、大人に翼を手折られていなければよいのですが」



議員会館、プレートに「榊 ケンゴ」の名札が入ったドアを一人の男がノックした。
中からの声に50代に見える男は扉を開き、頭を軽く下げると中にいた榊に歩み寄る。
「無事、第三新東京市にお入りになりました」
榊は彼を座るように促す。彼は榊の正面に腰掛け、手に持ったファイルを広げた。
「戦自側の護衛部隊は普通科1個師団、機甲師団も選抜の形で出ているようです。
 その中には例のバース部隊も組み込まれています。
 あと、要撃航空隊一個飛行隊も待機させているようです」
目を閉じて報告を聞いていた榊。
「SS、あの人数で本当に大丈夫か?」
「はい、彼らは空挺団の中から選りすぐられた者達です。
 何があろうと頑強な壁になるでしょう」
彼の声に重なり電話のベルが鳴った。榊はテーブルの上にあった受話器を取り、
二、三言葉を交わすと受話器を置いて席を立った。合わせて彼も立ち上がる。
「どちらにせよ、これ以上の護衛は不自然でもあるしな」
「はい」



「と、いうわけで明日、殿下の前で模擬戦闘してもらうことになったのよ」
ミサトは松代への出張という今日の任務を終えたプラグスーツを纏った
三人のパイロットに明日の事を説明していた。
一人は無表情で、
一人は眉間に若干のしわを寄せながらも、パッと見には柔和な笑顔を浮かべた表情で、
一人は松代往復の疲れに加えて、退屈な時間を何もなく過ごしたお陰で
ぐったりと肩を落としてミサトの説明を聞いていた。
「せいぜいターゲットに射撃するくらいだから適当にやってくれていいから。
 接待がてらの模擬戦闘なので特殊なことはやらないの。射撃テスト程度に考えておいて」
「あ〜ぁ、なんでエヴァで闘牛みたいな見せ物しなきゃならないのよ。
 普通のマタドールを演じるのは格好イイけどさぁ」
「でも、アスカは赤だから大変よぉ〜」
「う゛。・・・やっぱり見せ物は断固拒否」
ミサトの笑い声とアスカの愚痴が部屋に響く中で、シンジの瞳が光を取り戻した。
一休さんの時代から、良いアイディアを思いついた少年は目が輝くものだ。
それは退屈な時を過ごし、腐瞳だったシンジも例外ではなかった。
落としていた視線をミサトと、その横にいたリツコに交互に向けながら口を開けた。
「殿下を接待ですか?」
シンジの言葉にミサトは「まぁ、そういうことね」と相槌をうつ。
それを見てシンジは続けた。
「接待なら、良い案があります!」
真っ直ぐに上げられた腕と元気のいい声にミサトとリツコは訝しげに顔を見合わせ、
パイロットの少女の一人は棘のある視線を送る。そんな中、シンジの嬉々とした声が響く。
「寿司をエヴァに運ばせましょう!。日本の文化と先端技術の融合ですっ!」
シンジの答えに流石のミサトもたじろぐが、リツコは苦笑しながらも冷静に返す。
「凄い発想ね」
「でも、一興だと思いますが」
「面白味について否定はしないけどね」
「でしょう?。寿司をEVAに持たせて発進。
 模擬戦闘で銃弾の嵐をかいくぐったエヴァが、殿下の御前に届けるんです」
「でもEVAが持てるくらい巨大な、寿司を輸送できるだけの手段がないわ」
「プログナイフの代わりに、肩のところへ寿司の入った箱を入れましょう。
 殺陣が終わった後でEVAに掴ませて届ける、と」
「なるほど。柔いものを潰すことなく掴めるEVAの精度も披露できる寸法ね」
はじめは相手にもしなかったリツコも次第にこの案に引かれ始めた。
「200人分位をまとめて搭載すれば、そのまま歓待も可能ですし」
考えるリツコ。
「ただ模擬戦闘を披露するよりは、何かの仕掛けをした方が良いと思います」
「仕掛け?。まだ何かあるの」
「はい、エヴァに寿司を握らせるパフォーマンスをしたらどうです?。
 食べることは出来ないと思いますが、余興にはなるでしょうし」
「そうね、それだけあれば十分。ミサト、大至急お寿司を手配して」
「ちょ、ちょっと本気?」
「聞いていたでしょ。NERVにとってこれ以上の接待案はないわ」
今まで表面上はにこやかに聞いていたアスカだが、
話がおかしな方へ決定しそうな状況を迎えて流石に口を挟んだ。
自分も恥を晒す羽目になったら堪らない。
自慢の愛機が寿司を・・・想像をするのすら御免だった。
「も〜。リツコさんまでこんな話に乗ってどうするんですか。
 大体そんなの見せてもNERVがバカにされるだけですっ」
「ふぅ、コレだからゲルマン魂のカタブツはやだね。神々しい殿下とはエラい違いだ」
やれやれと手を広げるシンジの態度に、知らず知らずに声も厳しくなる。
「バカシンジ!。ホームパーティーじゃないってぇの。
 公式の式典で、んな事ができるわけないでしょうが!」
「わかってないなぁ。公式の式典だからエヴァ使えるんじゃないか」
「寿司で接待すんのは構わないけど、んな事でエヴァ出してど〜すんのよ。
 世界一高価な配達員を使う必要性があるわけぇっ?!」
「メディアに受けそうでしょ?。エヴァも一気にメジャーな存在に・・・あっ!」
シンジがまたひらめいたらしく、アスカからリツコへ視線を移した。
「公式リリースの見出しは『世界一の高給な梅さん』で行きましょう!」
「ちょっとちょっとちょっとぉ!」
にこやかに頷くリツコ。
「なら、エヴァに顎のパーツを付け足そうかしら?」
「あははっ、いいですねそれ」
「アンタら、人の話聞きなさいな!。それに『ウメサン』ってなんなのよっ!」
シンジの視線は再び後ろで喚いていた女の子へ。
「凄いや。素晴らしいコピーだね、アスカ」
「バカッ!やめてよねっ」
「なんで?、誉めてるのに」
「そんなんで誉められても嬉しかないの!」
「・・・リツコさん、このコピーの著者はアスカだと明記しておいてください。
 この素晴らしい才能を埋もれさせるのはあまりにも不憫」
「わかったわ」
「待ってよ。なんでそうなるわけ!」
「あ、ちょっと・・・」
議論?が加熱している所に口を挟むのはためらわれたが、
話がどんどんズレていくし、正論を言っているであろう側が必死の形相で防戦一方と
なってきているので、責任者であるミサトは彼らに割って入る。
「キャッチコピーとかじゃなくて、根本から間違ってない?。それに・・・」
「そうよっ!」
遂に協力者を得たアスカはびしっとシンジに人差し指を突きつけて
高らかに声を上げた。まだ話そうとしていた賛同者の声を聞いても良さそうであるが、
頭数が揃えばいいとばかりにミサトを無視して言葉を続けた。
「エヴァは人類の希望!。生物の霊長たる人類が英知を結集して完成させた
 最高傑作なのよ!。それにジャンクフードを運搬させるなんて愚行の極みだわっ!」
リツコも開発者だけあってアスカの言葉と、彼女を気圧させる程のアスカの勢いに
心動かされてしまう。アスカの言葉に彼女は葛藤に入るが、彼は違った。
「そんなに気張ると頭の血管切れるよ、アスカ」
「なっ」
「それに、生物の霊長だからこそ成し得た食文化という結晶を運ばずして何のエヴァか」
アスカは一瞬返す言葉を失う。まさか言い返されるとは思わなかった。
しかし、さっきから調子が狂ってるなと彼女は感じていた。彼女の中のシンジは
こういう場面で言い返せる人間ではない。今、かつてないシンジの態度を前にして
少々うろたえながらも勢いだけは衰えず、思いつくまま言葉を出す。
「う、うっさいのよ!。んな事で人類の希望たるエヴァを繰り出されちゃ堪らないわ!」
「配達だけにエヴァ使おうってんじゃないんだから、力の限り拒否しなくても・・・」
「イ・ヤ・ダ。だいたいエヴァに積んで運ぶメリットなんか一つも無いじゃないさ」
ぷいっとそっぽを向くアスカに説得の余地はないと感じたシンジは作戦を変えた。
「・・・じゃあ、別にいいよ。アスカは運ばなくても」
「そーゆー問題じゃなくて、NERVの沽券に関わる問題でしょ」
「リツコさんだって良いって言ってるんだから」
シンジはリツコの様子を窺う。彼女は頷きで答えた。アスカが反論しようとしたが、
彼の手がそれを制した。
「君がなんて言おうと、僕はこの案を実行する。
 もし、それを邪魔する障害があれば、それが例えアスカ、君でも・・・」
シンジはアスカに向かって右手を突き出し、親指を立てると下へ向けて突き落とした。
「ブッ潰す」
「えっ・・・」
シンジの言葉と態度は彼の性格を概ね理解しているアスカが立てた予想の
範疇を大きく越えるものだった。お陰で呆然と彼を眺める事しかできずにいる自分に
気づくのに多少の時間を要した。だが、我に返って親指を下に向けている彼の姿を
見ているうちに、不思議と先程までの怒りは消え去り、愉悦の感情すら浮かんできた。
「・・・言ってくれるじゃないの。私に阻止されるとは考えてないわけ?」
「ないね。手を携え寿司を握るか、無様に地面で平伏すかのいずれかだよ」
キッパリと言う彼の歯切れ良さに、アスカの口元も笑みを浮かべた。
「ふん。ならアンタの好きにすれば」
アスカは人差し指を再びシンジに突きつけた。
「御前で真のエースが誰なのかはっきりさせてあげるわ。大言壮語を後悔することね。
 ミサト!明日は模擬戦闘でいいんだよね?」
いきなり話を振られたミサトは上機嫌で口元をゆるめるリツコを一瞥したが、
「一応、そうなんだけど」とアスカに言った。
「時間は?」
ミサトはアスカに模擬戦闘を披露する時間と場所を、メモを見ながら教えた。
「じゃあ、明日の午後二時にケージに来るわ。ミサト、後は任せるからよろしく」
アスカは軽く手を挙げてミサトに挨拶した後、踵を返してミーティング施設から
退出する。彼女はそのまま明日の準備の相談に発令所のマヤの元に向かった。
一方、ミサトもアスカが消えた扉を見ながら呟く。
「任せられても・・・」
隣で何やら相談しているリツコとシンジに視線を向けると無意識に溜息が漏れた。
彼らを見ていると形はどうであれ模擬戦闘さえ出来ればいいと投げやりな思考が
彼女を支配していく。そんな時、彼女の袖がくいくいっと引っ張られた。
それにつられるように振り返ると空色の髪の少女、レイの姿がミサトの目に映る。
「わたしは?」
つぶらな瞳で彼女の言葉を待つレイを前にして、永遠とも思える一瞬がミサトを包む。
ミサトはこれほどレイを可愛いと思った瞬間はなく、
思わず目の前の、いたいけな少女を胸の中へ抱き入れていた。

つづく。


付録・「BOSS」第1話制作データ

トップページへ