邂逅 第壱拾参話

 

 これは、新世紀エヴァンゲリオンのもう1つの局面を描いた物語。

 ひょっとしたら有り得たかもしれない、もう1つの物語。

 

 

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          新世紀エヴァンゲリオン外伝

 

               『邂逅』

 

 

         第壱拾参話「無限抱擁 −後編− 」

 

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                *

 

 喧騒を離れ、司とマナは帰路についた。

「綺麗……」

「何が?」

 背中にいるマナに、司は問いかけた。

「星…」

 司は足を止め、夜空を見上げた。

 瞬く星々は手を伸ばせば届きそうで、満天の星空は司達をすっぽりと覆

い尽くすように諸手を広げていた。

「昔はこのへんも街の明かりの所為で、星なんてあんまり見えなかったっ

 て、恵子のお父さんが言ってたな」

「恵子の……お父さん?」

 マナは言った。

「俺、このへんの育ちじゃないねん。幼稚園ぐらいの時に引っ越して来た

 から」

「ふぅん……」

 マナは気の無い返事をした。

 司は再び歩き出した。首に掛かる、マナの腕が少しこそばゆい。

「……髭」

「は?」

「井波君、少し髭生えてる」

「あ、ああ…これね」

 司は苦笑し、自分の顎を擦るマナの手をそっとどけた。

「男の子だもんね……何だか、加持さんみたい」

「加持さんて誰?」

「私の保護者みたいな人。この頃連絡ないんだ…」

 それからしばらくの間、2人は無言だった。司は黙って歩を進め、歩け

ば歩くほど喧騒は遠ざかっていった。だが、神社で鳴り響く太鼓の音が聞

こえなくなることはなかった。

(井波君の背中って、シンジより広い……やっぱり、男の子ね)

 マナはしっかりと司の背中に抱き着いた。

(山南さんの身体……柔らかい。女の子の身体って、こんなに柔らかくて

 温かいものなのかなぁ…)

 マナの温もりと柔らかな感触を背中にひしひしと感じながら、司は黙々

と歩を進めた。

 何時もは多少うるさく感じる蝉の音も、今はあまり気にならなかった。

時折蛙の鳴き声が混じり、まるで蝉の声に調子を添えているようにも聞こ

えた。

 

                *

 

「結局、どうなったんや?」

 祭りが終わり、志郎は居間でくつろいでいた。テーブルの向かいには真

也がいた。

「何が?」

「恵子や恵子。結局……その、彼氏とは上手くいったのか?」

 言いづらそうに志郎は言った。真也はさあと首を傾げた。

「まだなんとちゃうか?綾音ちゃんとかが一緒やったし、俺も今日はそれ

 らしい人間と会ってる所見てないし」

「そうか……なあ、真也」

「ん?」

「あいつの好きな男って、どんな奴なんやろな?」

 真也は首を傾げた。

「さあ?恵子と釣り合うような男、このへんにはおらんと思うけどな。

 母さんに似て可愛いし、優しいし、しっかりしてるし、スポーツ万能の

 上、頭もええし」

「釣り合うかどうかっていうのはあいつの判断やろ。回りから見て、『こ

 んな奴が…』って思うような男でも、あいつからすれば魅力のある男な

 んだろうな」

「今日はえらい饒舌やな、親父。まだ酒残ってんのちゃうか?」

 真也は煎餅をかじりながら言った。真也自身も、まだ大分酒が残ってい

た。

「お前の言うように、確かに優しいええ子やけどな……あいつは根はまだ

 まだ子供や。……まあ年が年やから、身体の方は段々女らしくなっては

 きてるけど……」

「そうそう。5年後が楽しみやなあ、親父。母さんそっくりになるぞ、きっと」

「親をからかうな!」

 へいへいと、真也は肩を竦めた。

「根が純粋やから、変な男に引っ掛からへんか……それだけが心配やな」

「そんなに心配?」

 真也が軽い口調で聞いたので、志郎は少しむっとした。

「当たり前だろ。仮にも俺の娘やぞ」

「じゃあ俺にくれへん?相手が俺やったら絶対大丈夫やろ?」

 ガスッ。

 志郎が無言で投げたお盆が、真也の顔面を直撃した。

 

 ちょうどその頃、恵子は電話をかけていた。

『はい、井波ですけど』

「あ、おばさん?こんばんわ」

『恵ちゃん?こんばんわ。どうしたの?』

「司、もう帰ってますか?」

『いいえ、まだなのよ。あの子、山南さんと出掛けてそれっきりなのよ。

 もうそろそろ帰ってくると思うんだけど』

「…そうですか」

 恵子は亮子に礼を言い、受話器を置いた。ふと時計に目をやると、もう

10時を随分回っていた。司と恵子が別れたのが9時を少し回った頃だか

ら、帰宅していないというのはあまりに不自然だった。

(まだユキの家にいるのかな?)

 そう考えて恵子はぎょっとした。慌てて考えを打ち消すが、打ち消せば

打ち消すほど、自分の考えの信憑性が増していくような気がした。

 司に直接会って話をすること。

 それが恵子の取った選択だった。電話や、(今時古いが)手紙等を使う

よりも面と向かってはっきり言うことを恵子は選んだ。普段から話をして

いる相手だけに、いきなり間接的な手段を講じると、返って不自然になる

と思ったからだ。

 ただ、一体どういう風に言えばいいのかまでは考えていなかったが。

 恵子はもう1度受話器を取った。今度はマナの家の電話番号を押した。

だが、かかる前に受話器を置いてしまった。

 マナが出てくればいい。

 だが、もし司が出てきたらどうする?

 それを考えると、電話などとても出来なかった。

 しかし、もし司がまだマナの家にいるのならば、恵子にとって大事(おおごと)

である。今すぐマナの家に電話するべきなのだが……

「恵子、何してるんや?」

 廊下の向こうから真也が顔を出していた。電話の前でうろうろしている

恵子が気になったらしい。

「もう風呂沸いてるから、先入ってええぞ」

「う、うん」

 恵子は電話に目を落としていたが、すぐに顔を上げた。

「お兄ちゃん。私、やっぱり後でいいよ」

「そうか?」

「私、これからちょっと出掛けてくるから」

 言うが早いか、恵子は靴を履き始めていた。慌てたのは真也だった。

「こんな時間に何処行くんや!?」

「友達の所。ユキんとこよ」

「山南さんとこか。夜遅いし、気ぃつけていけよ」

 恵子が出ていくのを見送って、真也は居間に戻った。

「恵子は?」

「友達んとこ行くってさ。さっきも電話してたし、何か急な用事でもある

 んやろ」

 真也は煎餅の最後の1枚を口に放り込み、麦茶を口に運んだ。

 

                *

 

 その数十分前。司はマナの住む団地に到着していた。

「上がって。何にもないけど」

 司は靴を脱ぎ、中に入った。中に入ると、微かな芳香が司の鼻孔をくす

ぐった。花でもいけてるのかと思い、司は足早に中に入った。

「ここが山南さんの部屋かぁ…」

 部屋はそれほど広くはないが、女の子が1人で生活するには広すぎると

もいえた。洋服ダンス、ベッド、風に舞う桜色のカーテン、壁に貼られた

数枚のポスター、姿見、机の上の花瓶………花は微かな匂いを漂わせてい

たが、最初に司が感じたものとは違う匂いだった。

 こういうのを女の子らしい部屋と言うのだろう。時折覗く散らかりまく

った綾音と恵美の部屋とはえらい差である。

「どうしたの?」

「いや……俺、女の子の部屋って初めてだから…」

 マナに渡されたクッションに司は座った。夜風に打たれて酔いが冷めた

のか、マナはすっきりした表情をしていた。

「恵子の部屋とか、行かないの?」

「ちっちゃい時に何度か……もう10年近く前やけど」

 そう言えば、ここんとこ恵子の家に行ってないな……司はそんなことを

考えていた。

「ちょっと待っててね。着替えてくるから」

 そう言うとマナはバスルームの脱衣所に入ったが、すぐに顔だけ出して

こう言った。

「絶対、覗かないでね」

「そ、そんなことせーへんて!」

「冗談よ。井波君、そういうことしないの分かってるもん」

 真赤になって司が否定したので、マナはくすくすと笑った。

(井波君ってかわいい……まるでシンジみたい)

 マナが着替えてる間、司はすることもなく部屋を見渡していた。ふと、

視界の隅に机の上の写真立てが入った。

(……友達の写真?)

 司は少し怪訝な顔をした。写真立てを手に取って見ると、写真が2枚挟

んであるのが分かった。

 1枚は、2人の男に挟まれて、作業服のようなものを着ているマナの姿。

もう1枚は、以前海に行った時に着ていた白いワンピースを着て、知らな

い男の子と腕を組んで、嬉しそうに微笑んでいるマナだった。

 司は、その少年がシンジなんだなと、直感的に判断した。

 手に取ってシンジの顔をまじまじと見詰める。優しそうな表情の少年だ

が、何処か頼りなくて、おどおどした印象を司は受けた。女の子はこうい

う男の子に憧れるのだろうか?線が細くて、少し女性的な雰囲気のする男

が。そういう頼りなさが、女性の母性本能のような物をくすぐるのだろう。

「井波君、麦茶とコーヒー、どっちがいい?」

 不意に声をかけられ、司は振り向いた。姿は見えないが、台所から声が

聞こえた。

「眠れなくなるから、麦茶入れてくれるかな?」

 ほどなくして台所からマナが出てきた。マナは半袖のTシャツに青いシ

ョートパンツという、いたってラフな、完全な部屋着姿だった。司は目の

やり場に困って、マナから目を逸らした。

「はい。井波君、座るとこそこでいいの?」

「う、うん…ありがとう」

 麦茶の入ったコップをテーブルに置くと、マナは司の向かい側に座った。

 2人の間に、重い沈黙の時が流れた。

「何で黙ってるの?」

「え?あ、いやその…」

 司はしどろもどろになった。

「こんな時間に女の子と2人きりなんて、やっぱり気が引ける?」

 マナは悪戯っぽく笑った。「それとも興奮する?」

「そ、そんなわけないやろ!」

 思わず大きな声を出してしまい、司は慌てて口を押さえた。気まずさの

ようなものを感じたのか、司はまた、マナから目線を逸らした、マナは別

に気を悪くしたわけではなかったのだが、わざと不機嫌そうな顔をしてみ

せた。

「そういう興味ないようなこと言われると、傷付くのよねえ」

 そう言って、いきなりテーブルに身を乗り出し、司に顔を近付けた。司

の鼻孔をくすぐる、微かな芳香。

「………ねえ」

「な、何?」

「私はいいよ……井波君となら」

「は?」

「私、1人暮らしだから邪魔も入らないし。こんな時間なら人が来ること

 もないし…………ねえ?」

 慌てたのは司だった。

「そそそそそそんなことでけへんよ!俺達まだ中学生やし、責任取られへ

 んし、御両親にも迷惑かけるし、それに恵子に殴られるし母さんや綾音

 に何言われるか分からへんし……ほ、ほら、昔から言うやん『急がば回

 れ』って!急いで手を出したら後悔するからもう少し我慢しろっていう

 意味で……」

 司自身、自分でも何言ってるのかさっぱり分からなくなってきた。

 その慌てぶりがあまりに滑稽だったのか、マナはぷっと吹いてしまった。

1度笑い出したら止まらない。司はこの時になって初めて、マナにからか

われたのだと気付いた。

「山南さん、酷い」

「ごめんごめん。井波君があんまり慌てるから、つい……」

 くすくす笑いながら、マナは謝った。

 

 それから2人は、他愛もない雑談に華を咲かせた。

 学校のこと、友達のこと、マナの最初の友達である恵子のこと……色々。

司は緊張しているのか、自分から話題を振ることはなかった。ずっと、マ

ナの聞き役に回っていた。マナはやはり女の子だからか、ぺちゃくちゃと

おしゃべりをするのがとても楽しいらしく、進んで自分から話をしていた。

だがしばらくして、司は緊張しているのではなく、本格的に様子がおかし

いことに気がついた。

 マナはコーヒーの入ったカップを置き、話をやめて急に神妙な顔つきに

なった。

「井波君、さっきから何考えてるの?」

「え……」

 司はドキッとした。

「別に何も……」

 マナは少し微笑んだ。

「嘘。だって、さっきから相鎚うつばっかりで全然井波君の方から話して

 くれないんだもの。顔見てたら、何か考えてるって顔してるし」

「…………」

 司は無言で麦茶をすすった。マナはぴーんと来た。

「ひょっとして、何かやらしいこと考えてた」

 ぶっ!

 司は麦茶を吹きそうになった。

「べ、別にそんなことは……」

「じゃあ、何考えてたの?」

 マナが笑顔でそう問うので、司は決まりが悪そうに頭を掻いた。

「山南さんのこと……」

「私?」

「……と、シンジのこと」

「シン……ジ?」

 司は頷き、少し真面目な顔つきになった。

「もし、嫌じゃなければ……シンジのこと、聞かせてほしい」

「シンジの…こと?」

 司はまた頷いた。

「前に言ってたよね?『シンジに会いたい。でももう会えない』って。

 今でもまだ会いたいと思う?」

「……どうしてそんなこと聞くの?」

 司は立ち上がると、机の上の写真立てを取った。

「これ、シンジだろ?何でこんなもん机の上に飾ってるの?」

「それは……」

 マナは俯き、口篭もった。

「山南さん……正直に言うてくれへんか?」

 司は静かな口調で言った。「シンジのこと、まだ好きなんだろ?」

 俯いていたマナの肩が、軽くはねた。

「今でもシンジのこと忘れられへんから、だからこんな写真まだ飾ってる

 んやろ?」

「…………」

「シンジと俺、ホンマに好きなのはどっちなわけ?」

 マナは顔を上げなかった。上げられなかった。見たわけではないが、司

の刺すような視線が自分に注がれているような気がしたからだ。

「シンジは……」

 マナはぽつり、ぽつりと話し始めた。

「第3新東京市に住んでて……何時も、使徒の危機に晒されてるの」

 シンジがエヴァンゲリオンという名の決戦兵器に乗って戦っていること

は、あえて伏せた。

「随分前松代で爆発事故があった時、私、心配で仕方なかった。マスコミ

 や研究所の人達はN2爆弾の暴発だって報道してたけど……私は、そう

 は思えなかった。これもきっと使徒が何かしたんだって、そんな気がし

 たの。

  その時、シンジのことばかりが気に掛かって……気が気でなかったわ」

 まるで罪人が独白しているようなマナの姿を、司は冷めた表情で見下ろ

していた。

 何故、松代の爆発事故が使徒と関係するのか、何故それにシンジの話が

関係するのか……司には分からなかった。

 ただ1つ分かったのは……

 マナが未だに、シンジのことを気にかけているということだった。

「でもね、私は井波君のことが好き、それは嘘じゃない!

 井波君がいなかったら私、きっと立ち直れなかったと思う。だって……」

 マナが顔を上げて言葉を紡ごうとした瞬間、マナは強い力で床に押し倒

された。

「井波君!?」

 何か叫ぼうとしたマナの唇を、司は荒っぽく、強引に塞いだ。そこに、

あの時マナを受け入れ包み込んだような優しさはなかった。

 司は両腕をマナの背中に回し、自分の身体をきつく密着させた。次いで、

片腕がマナの腰辺りに下ろしていく。

「いやっ!」

 マナは抗ったが、いくら戦自で鍛えられていたとはいえ、自分より大き

な相手に組み伏せられた状態から逃れる方法を、マナはまだ身につけてい

なかった。

 司の手が、マナの上着の中をまさぐった。

「あっ」

 ぴくっとマナは身体を仰け反らせた。

 

                *

 

「確か4階よね、ユキの部屋」

 マナの住む団地の階段を、恵子は表札を1つ1つ確認しながら上ってい

た。その足取りは、躊躇っているようにも急いでいるようにも見えた。正

直なところ、恵子は怖かった。マナの家にもし司がいたらと思うと、一体

何を言えばいいのかすら分からない状態だった。

 やがて、“山南”と書かれた表札のかかったドアにぶち当たった。

「……ここね」

 そっとドアベルに指を伸ばす。だが、触れる直前で引っ込めた。また伸

ばしては引っ込める。伸ばしては引っ込める。

 その動作を幾度か繰り返し、何やってるんだろう私は、と恵子は思った。

 

『恵子、お前のいいとこって何か分かるか?うじうじせんとはっきり物を

 言う所や』

 

 真也の言葉が、ふと恵子の脳裏に甦った。

(そうよね……今躊躇してたら何にもなんないよね。何時か絶対、何とか

 しないといけないことなんだし。

 仮に今、ユキの部屋に司がいたら、それはそれで好都合じゃない。ユキ

 へのあてつけにもなるわ)

 とんでもないことを考えてると自分でも思いつつ、一旦ドアから離れ、

恵子は深呼吸した。

(いくわよ…)

 ずいっと一歩踏み出し、恵子はベルに手を伸ばした。

 その時だった。

 中から、司とマナの声が聞こえてきたのは。

 

 恵子は思わず指を引っ込め、ドアの向こうに耳を傾けた。

(司、やっぱり中にいるんだ)

 そっとドアに耳をつけると、中の声がよく聞こえた。

 

「山南さん…」

 荒い、司のものと思われる吐息。

「井波君…」

 少し涙声のマナの声。

「俺のこと、好き?」

「…………うん」

 普段の元気な様からは考えられないぐらい、マナの声は弱々しかった。

「もしまた、シンジに会えるようなことがあっても、俺のこと好きでいて

 くれる?」

「…それは……」

「もし保証してくれるなら、俺はもうこれ以上何もしない。でも、もしシ

 ンジが現われた時、そっちになびくようなら……」

 しばしの静寂。

「俺……今ここで、“君”を抱くから」

 マナは目を見開いた。

「井波君…」

「例えシンジが現われても、もう間に入り込めないような関係を、今この

 場で作りたい……」

 

(ちょ、ちょっと待ってよ!)

 恵子は我が耳を疑った。まるで、悪い夢でも見ているような心持ちだっ

た。先程飲んだアルコールはすでに抜けきっているはずなのに、頭がくら

くらしてきた。

 2人の会話はまだ続いている。

 

「ごめん、さっきは乱暴なことして。

 シンジの写真見た時、急に腹が立ってきて…………悲しくなってきた。

 『俺は山南さんにとって、シンジの代わりでしかないんだな』って、そ

 んな気がした」

 マナは黙って話を聞いていた。

「なあ……不安で仕方ないんだ。何時か、シンジが現われて山南さん連れ

 ていってしまうんじゃないかって。

  だから……保証が、ほしい。その……」

 

「駄目!」

 

 マナの言葉ではなかった。司もマナも、視線が玄関に釘付けになった。

 盛大な音と共に開いたドアの向こうに立っている、恵子の姿(鍵は開い

ていたのだろう)。恵子は息を切らし、息とともに何度も言葉を呑んだ。

「け、恵子…」

「何でお前……」

「司……駄目だよ、そんなの」

 恵子は声を振り絞って、そう言った。

 怪訝な顔をしたのは、司だった。

「駄目って……お前、さっきからそこで立ち聞きしてたのか!?」

 途端に司の顔が真赤になる。

「いや、ち、違うんや恵子!別に本気でそういうことしようと思ったわけ

 やないんや!ホンマに!」

 そう言って司は慌てて身体を起こした。支えにした左手に、柔らかな感

触を感じた。

「井波君、痛い…」

「え?…あ、ご、ごめん!」

 司は慌ててマナの胸から手を退けた。マナはそそくさと乱れた服装を整

えた。

 司はどうすればいいか分からず、ただただ、マナと恵子を交互に見てい

た。マナは起き上がると、恵子の方を向いた。恵子は決まり悪そうに目を

逸らした。何やらぶつぶつと言っていたが、やがてはっきりとした口調で

こう言った。

「ごめん……司もユキも、もうそこまで関係が進んでるって思わなかったわ」

「恵子……」

「ごめんね、司。邪魔して」

「あ……」

「実はね、さっき皆で花火見てた時に司に言いそびれたことがあって……

 出来れば今日中に言いたくて司に会いにきたんだけど…」

「俺に?な、何や?」

 司は何時もと違う恵子の様子に戸惑い、出来るだけ優しい物言いで問う

た。だが、恵子は軽く首を振って笑って見せた。

「ううん、いいのよもう。別に大したことじゃないから」

「そ、そうなんか?」

「うん……ごめん、私もう帰るわ」

「あ、ちょっと待…」

 司の静止も聞かず、恵子は踵を返すと、そのまま逃げるようにマナの部

屋を後にした。後には、茫然と立ち尽くした司が残された。

 司はマナと恵子の去った玄関を交互に見た。

「井波君、追い掛けて!」

「え?」

「恵子よ!早く、追い掛けて!」

「……ごめん、山南さん!」

 司は謝ると、恵子の後を追って部屋を飛び出していった。

 後には、マナがただ1人取り残され、2人の去った玄関を眺めていた。

 

                *

 

(私……何やってんだろ…馬鹿みたい。

 私の入り込む隙なんて、全然ないじゃない……1人でその気になって…)

 恵子は何度も何度も転びそうになりながら、逃げるようにマナの団地を

後にした。

 その彼女を見詰める、人影があった。

 団地の前の小さな公園。そこの街灯の上に腰掛ける、銀髪の少年。もし

恵子がその姿を見たなら、昼間、彼女の店に来た少年だと気付いたことだ

ろう。

 しばらくして、恵子を追って司が出てきた。だが、司の追った方向は恵

子とは別の道であった。

「やれやれ……やはりここにいたか…」

 少年は団地の方に視線を移した。

「あなたの目的も彼女ですか、田中さん?」

 街灯の届かぬ、暗闇に流し目を送る。ややあって、暗闇から1人の男が

姿を現わした。無精髭を生やした、中年の男である。

「まさか気付かれてるとはな…」

 男……田中は無精髭をぽりぽりと掻き、懐から煙草を取り出し、火を点

けた。

「霧島マナ。あなたの目的も彼女でしょう?」

「お前もそうだろう」

「まあ、ね」

 少年はフフッと笑った。

「お前、使徒だろう?」

「気付きましたか?」

「フツーの人間じゃねえ、ていうことは何となく分かったからな。となる

 と、宇宙人か使徒かぐらいしかいねえだろ?」

「普段はアテにもならないリリンの“直感”も、たまには当たるみたいだね」

「ほざいてろ」

 田中は吐き捨てるように言った。

「まさかマルドゥック機関が使徒を保有してるとはな。ひょっとすると、

 マルドゥックで選抜されているチルドレンって奴は、皆使徒なのか?」

「まさか」

 少年は苦笑した。

(まさか、マルドゥック機関の存在をまだ信じてるとはね……)

 戦自の諜報部のおそまつさが覗える。

「……で、どうします?僕が使徒だということで、今すぐ始末しますか?」

「出来ねえことが分かってて、そういうことを言うか貴様は」

 田中は苦々しく呟いた。「使徒が俺1人でどうにかなると思うほど、俺

は己惚れてもいなければ愚かでもないぞ?」

「それを聞いて安心しました」

 少年は人懐っこい笑みを浮かべ、街灯の上から飛び降りた。ふわりと砂

煙が舞い、少年はゆっくりと地面に降り立った。

「あなたと僕の目的は、ある程度似通っているみたいですからね……出来

 れば、敵対はしたくありませんから」

「ふんっ」

 田中は鼻を鳴らした。少年は去り際に軽く手を振ると、闇の中に消えて

いった。

 田中はぺっと煙草を捨てると、靴底で揉み消した。

 懐の携帯電話の音が、夜闇の中、静かに響いた。

 

「俺だ……ああ、確認した。間違いない…準備は出来てるのか?

 いや、待て。…………もうしばらくは………トライデントを……」

 

 

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                               続く

 

<後書き>

 ども、淵野明です。『邂逅』第壱拾参話、如何でしたか?

 う〜ん、司とマナのやりとり以外は、結構分かり難いかなあ……と思っ

ています。でも、今回で風呂敷きは大体広げたので、後はもう少し広げて

畳むだけです(笑)。

 今回はいくつか別の結末を用意してたのですが、どれとも違う結末にな

ってしまいました。やー、小説の展開って、書いてる本人にも分からない

ことが多いですね。

 しかし……司、全国一千万人のマナちゃんファンを敵に回したな。マナ

FREAKSメンバーからの制裁は覚悟するように(笑)。

 

 あ、そうそう。挿し絵の件ですが、今年中には無理になりました。

 といいますのも、絵描きのクニさんが、只今夢に向かって大爆進なのです。

皆さん、応援してあげてくださいねっ(頑張れ、クニさん!)

 

 次回は多分ネルフパートです。綾波大活躍……かな?(笑)

 これからは段々更新スピードが落ちていくと思いますが、私のオススメ

HPコーナーにある、「マナFREAKS」共々、今後ともよろしくお願いいた

します。

 ではでは、第壱拾四話でお会いしましょう!

 

                   ★淵野明(t-ak@kcn.or.jp)★



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