マケイヌ
愛されなかった子供結局、次の日私はカウンセリングルームには行かなかった。
これ以上話すなら、エヴァの事に触れないわけにはいかないし、そこをごまか
して話したら、話のつじつまが合わなくなる。
カウンセラーはそんな事を気にはしない、というか、ありふれた普通の実験が、
誇大妄想気味の少女には世界を救う実験に思えたという事で納得するだろうが、
それで得られた結果は、私にとって正しいものに思えないと思った。
いや、それは単なる言い訳にすぎなくて、私はそれ以上自分の心をのぞくのが
怖かっただけかもしれない。
昨日、私が思わぬところで泣き出したように、私の心にはまだまだ私の気付い
ていない闇がたくさんあるに違いない。それらのものと直面することに、いっ
ぺんに心の中に明らかになってしまうことに、恐怖を覚えた。
それでも、やっぱりカウンセリングを受けた方がいいのではないか、私には相
当な病魔が心にすくっているのだからと、もう一人の自分が意見したが、私は
その心をこう言って押し込めた。
焦る事はない、徐々にでいい。ここで慌てて失敗したらもとの木阿弥だ。私に
は時間があるし、まだ若いのだからと言って。
ジェニーは彼をパーティーに誘った。
もちろん二つ返事でOKだった。
「どうしよう、アスカ。何をきていけばいいかしら?」
彼女を人気のブティックに連れて行き、二人でドレスを選んだ。
行きがかり上、私も出席する事になった。
ちゃんとお化粧をして、胸元のあいた服を着て髪をアップにまとめたジェニー
は見違えるようだった。
彼と並んだ姿は、とてもお似合いだった。
その日のパーティーは楽しくて、私に話しかけてくる見ず知らずの男達にも自
然に話す事が出来た。
私のところにはダンスの相手になろうと、絶えず男性がやって来て、
「アスカ、選び放題じゃない」
とジェニーが笑った。
帰ってきて、メイクを落としながら考えた。
普段私は化粧をしない。しても意味がないと思うからだ。
私がキレイだから喜んでくれる人が居るわけじゃないし、モテたいと思ってる
わけでもない。そうしたら何の為にオシャレなんてするんだろう?
自分の為にオシャレするほど、私は自分の事が好きじゃない。
私はたしかに美人だ。今日のようなパーティーでは、確かに得だ。
でもそれだけだ。
モデルになるとか女優になるとか、大好きな彼の目をひきたいとか、そう言う
はっきりした目的がない以上、あんまり意味がない。
私はモデルにも女優にもなれない。なりたいとも思っていないが、目立つ職業
につく事はネルフから禁止されている。
エヴァ的なものとはあまり関係のない研究者にでもなってくれるのが、ネルフ
は一番有り難いのだろうが、私にはそこまでして追い求めたいものもあまりな
い。
頭はいいだろうと思う、学者を出来る程度には。でも一番大事なのはなんだっ
て情熱だ。私にはそれがない。
それ以外に何があるだろう。スポーツ?
運動神経も人並み以上にはいいけれど、今さら何になれるわけでもない。
人と競う事にも、もう興味がないし、人に夢を与えられるような人間に、自分
がなれるとも思えない。
自分の楽しみの為に、趣味の為に続けていくのは生きがいとは違う。
そう、私には何もない。
情熱、希望、夢、そういったものがまるでない。
エヴァにのっていた頃は、あるには、あった。でも、それが壊れてしまってか
ら、私の心にそういったものが芽生えたことはない。
当然だと思う。
でも、それは私が特別だからじゃなくて、誰だって最初からそんなものは持っ
ていないのだとも思う。
それは解っている。みんな、自分が何者なのか、何者になれるのか、それが解
らなくて苦しんでる。
そしてそれでも生きていかなければならない、と悟ったとき、人は大人になっ
た、というんだろう。
だから大人達の決まり文句はこうなってる。
「俺にも、昔は夢だってあったさ」って。
そして運のいい人、もしくは思い込みの激しい人だけがこう思える。
「自分は思った通りに生きています。幸せです」と。
顔を洗い終わって、着替えて。ベッドの上に寝転がった。
ジェニーが言った。
「アスカみたいにキレイなら、私ももっと自信が持てるのに」
でもジョンは、きれいな私を選ばすに、ジェニーを選んだ。
外見じゃない、それ以外の魅力でジェニーを選ぶ。
ルックスなんて好みの一言で簡単に切り捨てられる。
どんな美人でも、一言「ごめん、好みじゃないんだ」といわれればそれまでだ。
げんにジェニーだって、カッコ良さとは程遠いジョンを選んだ。そういうとジ
ェニーは彼はカッコいいじゃない、というのだ。
結局はその人にとって価値のあるものが、価値があるのだ。
気付いてしまえば当たり前の事だけれど。
それは何も見た目だけに限らなくて、どんな能力でも本人が望んでいない、価
値を見出していないのに備わっている能力、というのは本人にはどうでもいい。
でも、そう言う態度をとる人間は、それを望んでやまない人から、なんていや
なはなもちならない奴だと思われる。
シンジ。馬鹿シンジ。
そう言って馬鹿にしたあいつは今どうしているんだろう?
何一つ私には勝てなかったくせに、いつも羨ましそうに私を見てたくせに。
私の十年の努力を才能の一言で否定したあいつ。
望んでも望んでも、私がえられなかったのものを、なんの苦もなく手に入れて
しまうあいつ。
今ならはっきり解る。
なんであんなにもあいつの事が嫌いだったのか。みているだけでイライラした
のか。
私が欲しかったのは特別な自分だ。
まわりから注目されて、大事にされる自分だ。
私の存在を、喜びと共に受け入れてくれる人だ。
私の存在を、自分の命と引き換えにしてもいいと思うくらい、大事に思って守
ってくれる人だ。
あいつは、それをいっぱい持っていたから、悔しかった。妬ましかった。
流れてきた涙の上にかぶせるように枕を抱いた。
私はあの頃、そういう扱いをされるのは、特別な人間として大切にされるのは
本当にほんの一握りの人間しか居ないのだと思っていた。
だから努力する事に、その結果として必要とされ、大事にされる事に疑問を抱
かずすんできた。
だが、ちがう。
これは、多分誰しもが普通に与えられる事なのだ。
祝福と共に生まれ、親に愛されて育ってきた子供ならば、生まれてきたときは、
小さいうちは、きっと当たり前に与えられるものなのだ。
私は両親から愛されていなかった。
生まれた瞬間は解らない。少なくともママは、痛みに耐えて産んでくれたママ
は、私の事を祝福してくれたんだと思いたい。
だけど、だけど。
物心ついてからの私の記憶には、私を見て愛してくれた人は誰もいなかった。
私は典型的な、親から愛されなかった子供で、だからそれに代わるものを求め
続けた。
それだけのことだ。
自分が愛されないのは、自分の努力が足りないからだと思い込んだ。
親のせいには出来なかった。それを認めてしまったら、私は愛されない子供で
ある自分を認めなくちゃいけなかった。それは子供にはできない、だからそう
やってすりかえた。
そして私は運がよかったのか、悪かったのか、たまたま人並み以上の才能があ
ったから注目され、それを愛情のかわりにしてしまった。愛されるのは努力の
結果であると思い込んでしまった。
今はそんな自分が特別に不幸だとは思わない。
私のような人はたくさんいると思う。
ただひたすら虐待を受けてきたような子供に比べれば、私ははるかに幸福でさ
えあったと思う。
今もそうだ。
私は一人で生きていけるだけのお金が保証されていて、社会的にやっていける
だけの知識はあって、友達だと大事に思える人もいる。
ぜんぜん不幸じゃない。
振り返ることが出来るようになりはじめた今は、そういう過去を経験だと受け
止めることが出来る。悲しみを、今ではいとおしくさえ思える。
だから、今は焦ることなく生きていけばいい。
無理をする事はない。
そのうち、なにかまたやりたい事が見つかるかもしれない。
夢中になれる事が見つかるかもしれない。
人でも、モノでも、なんでもいい。
そういうモノは見つけようと思って探しても見つからない。
だから今は、自分を追い立てる事なく、ゆっくりと生きていけばいいと思うの
だ。
だけど。
だけど。
やっぱり寂しい。寂しい。
うまく言えないけど、やっぱり理不尽だと思う。
お世辞にもかわいくない子供を自慢している親を見ると、大事そうにチャイル
ドシートに寝かされている赤ちゃんを見ると、子供らしく無邪気に振る舞って
いる子供を見ると。
街で見かける私と同じ歳のハイスクールの学生は、みんな幸せそうに見える。
そんなことないのだけれど、どんな人間だって悩みはあるんだと分かっている
んだけど、でも悲しい。
今、どれだけの人が私の事を思っているのだろうか?
日本にいた頃の知り合いは、シンジや、ヒカリや、ミサトや、クラスメートや
ネルフの人達は私の事を思い出したりしてるんだろうか?
私と同じように、なにかあったりすると思い出すんだろうか?
それは、私が彼らの事を思い出す回数より多いだろうか、少ないだろうか。
シンジは死んでしまったファーストと、いなくなった私と、どちらを多く思い
出してるんだろう?ミサトは私の事を思い出すことなんてあるんだろうか?
ヒカリは私の事をまだ友達だと思っているのか、それとも昔の知り合いくらい
にしか思ってないだろうか。
確かめる手だてもない。
今、私が死んだら悲しんでくれる人がいるんだろうか?
ジェニーの顔が浮かんだ。
無性に声が聞きたくなった。
受話器を取ってジェニーに電話しようと思ったが、すぐに、まだジェニーはデ
ートの途中だろうと思ってやめた。
彼と一緒の幸せそうなジェニーの顔が浮かんだ。
その笑顔に少しでも貢献できたのかと思うと、寂しい心がすこし軽くなった。
今夜はこの気持ちを抱いて、薬を飲んで寝てしまおう。