新世紀エヴァンゾイド
第弐話Bパート 「 THE TWILIGHT 」
作者.アラン・スミシー
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「シンちゃん、第三新東京市へようこそ!!」
そしてとどめは机の周りの椅子に座り、満面の笑みを浮かべる赤い髪、鳶色の目をもち、優しさと精悍さを併せ持った顔の30歳前半くらいに見える女性。アスカの母、惣流キョウコツェッペリン。
その横で、同じく優しい微笑みをシンジに向けるもう一人の女性。どう見ても20歳後半、悪くても30歳前半にしか見えない超若作りの、碇ユイ。
シンジの時間は停止した。
「か、母さん・・・。いったい、どういうこと、これ・・・?」
たっぷり三呼吸後、シンジにはそれだけ言うのが精一杯だった。
すっかり頭が混乱しているのである。
(何で、母さんがここにいるの?僕はいらない子じゃなかったの?どうして惣流がここにいるの?それにミサトさんも?ここは誰の家なの?いったい何が どうなってるんだよ?それにこのゴミの山はなに?
ここはどこ?僕は誰?)
なにやら完全にトリップしていた。つくづく逆境に弱い男である。知らない町に一人で放り出されたら三日と持たないだろう。
ブツブツ言いながらどっかの誰かを彷彿させる自嘲めいた笑いを浮かべるシンジ。そんなシンジの態度を不思議に思ったのか、ユイがシンジに話かけた。
キョウコとミサトを凍り付かせたシンジからの精神汚染にまったくおかされていない。
「どうしたの、シンジ?私たちの歓迎パーティそんなにうれしかったの?それとも、・・・そうよね、レトルト食品で歓迎会なんて、いやよね、やっぱり。
ふふ、母親失格よね、私。
・・・ごめんね、シンジ。こんなパーティで」
シンジを現世に呼び戻すため話しかけたはずなのに、一人で話し出して一人で急速に暗くなっていく。
シンジが暗くて内向的なのはユイのせいかもしれない。
あたりがどんどん暗い雰囲気に飲み込まれていく。このような状態になったら復活することは困難である。シンジですら飲み込まれていくユイの精神汚染。
さすがに母は偉大だ。
このまま全ての人間は精神汚染されるのだろうか?
「ユイ!そんなこと無いわ!
シンジ君はちょっと照れて、とまどってるだけよ!」
その場の皆を救ったのは惣流キョウコであった。
彼女はそう叫ぶとユイの手を取りその目をまっすぐのぞき込む。そうしてしばらく見つめ合っているとユイがあっちの世界から戻ってきた。
なぜか顔を真っ赤にして、目を弱々しくそらすユイ。
『怪しい』ミサトは背中の皮が突っ張るように引きつるのを感じた。その後に続くユイの言葉に、疑惑を確信に変えていく。
「ありがとう、キョウコ・・・。でも、慰めはよして。私がよけい惨めになるだけよ。
息子に嫌われただめな母親・・・。
もうシンジは私のことを必要とはしてくれない・・・。
誰も私を必要としてくれない。あの人だって・・・」
ユイはやはり目をそらしたまま、力無くつぶやいた。ぽつりとこぼれる一滴の涙。ミサトは叫びだしたくなった。本当に叫んだらどんなことになるかわからないから、声を出さないように爪を太股に突き立てて堪え忍んだが。もっとも彼女は痛みを感じていなかった。目の前の光景が怪しさをどんどん増していったからだ。
空気がピンク色に染まっていく。シンジはそう思って恐怖に震えた。
「そんなこと・・・そんな悲しいことを言わないで、ユイ。
たとえ、シンジ君が、ゲンドウさんが、世界中の全ての人がそう言ったとしても、私にはあなたが必要よ、ユイ」
キョウコの言葉に目をうるうるさせたユイは、キョウコにしっかと抱きつく。キョウコもユイの重さを確かめるようにぎゅっと抱きしめ返した。
周りのことはもう目に入ってはいない。二人だけの世界へ突入だ!
あたりが先ほどとは違った方向で精神汚染されていく。
このまま、「ユイ!」「お姉さま!」といった世界へと突き進んでいくのか!?
幸い、そうはならなかった。
パン!パン!
どこからともなく現れた赤鬼・・・ではなく恥ずかしさに真っ赤になったアスカがキョウコとユイの頭をスリッパでおもいっきりはたく。
手加減全くなし!な一撃、いや二撃にユイとキョウコはゴミの山に頭から突っ込んだ。そのままピクリとも動かなかったが、ミサトが引っぱり出すと、正気に返ったのか目をパチパチさせた。
「いたいわね〜親の頭をスリッパでたたくなんて乱暴な子ね。そんな事じゃ、お嫁のもらい手がないわよ。・・・まったく誰に似たのかしら」
「アスカちゃん、はしたないわ。それじゃシンジに嫌われちゃうわよ♪」
頭を押さえながらアスカに文句を言う二人。ただ、その目と口元がおもしろそうに笑っている。シンジにはその笑いが誰かにそっくりに見えて、背中がぞくりとした。一方、アスカは二人の言葉にものすごい反応をかえした。
「な、なんで私がこいつに嫌われることを気にしなきゃならないのよ!?
それに!
私は、結婚なんか、する気はないんだから!!」
アスカは耳の裏まで真っ赤になってユイとキョウコにわめき散らした。2人の指摘が図星だったからだ。
そんなアスカのわめきを余裕で受け流すユイとキョウコ。ここら辺は経験の違いというものだろう。
シンジとミサトはそんな3人にすっかり置いてけぼりをくらっていた。
(僕を無視して惣流と話している。それに、さっきのキョウコさんとのやりとりはなんなの、母さん?
・・・やっぱり僕はいらない子なんだ)
そのまえに本当に主人公なのか疑問に思うべきだろう。このままでは主役から追い落とされる可能性大。
そんなシンジの様子に気がつき、ユイが話しかけた。
「シンジ、どうしたの?ぼんやりして。
・・・顔はあんまり似てないけど、そんなところはあの人似ね。」
「か、母さん。どういうこと?なんでここに母さんが居るんだよ!?
それになんだよ、その『ようこそシンちゃん』てのは!?
僕はいらない子だったんだろ!?
だから十年間もほったらかしにしてたんだろう!!
今更こんな事されたからって、僕は、僕は・・・」
そのあまりの剣幕にユイもキョウコもアスカも、ついでにミサトも静まり返る。
黙り込むシンジにユイは寂しそうに笑いながら話しかけた。一言一言、糸を解きほぐすように。
「・・・シンジ。ごめんねって言っても今更遅いわよね。でも聞いてちょうだい。私があなたをお祖父ちゃんの所に預けたまま一度も会おうとしなかったのは、あなたが嫌いだからではないの。
今は話せないけど、本当に大切な用事があったからなのよ。
私はシンジのことを愛してるわ・・・今はまだ、信じてくれなくてもいい。
でも、自分のことをいらない人間なんて言わないで!この世界にいらない人間なんていないわ!」
灯火を紡ぐようなユイの言葉は、シンジの心をとらえた。シンジの心にわだかまっていたモノが夏の雪のように消えていく。
(母さん・・・。信じていいんだね?僕は、僕はいらない人間じゃないんだね?
・・・今すぐには、わだかまりを捨てられないけど、いつか、いつかはきっと・・・)
二人は見つめ合って動きを止めた。シンジとユイの10年間にもわたる親子の確執が消えていく。人と人とのつながりというモノはちょっとしたことで崩れたり、また修復されたりするモノである。何年もの間一緒に仲良く暮らしていた夫婦が、夕食の内容で喧嘩して離婚することもあれば、ほんの1時間前であったばかりの男女が結婚を決意することもある。
ともあれシンジとユイの確執は解決した。
だが、シンジが今までに受けた心の傷までが解消されたわけではなかった。
それは後に二人を、二人に関わる人間を傷つけるかもしれない。
だが、シンジが母を許すなら、周りを信じることができるなら、自分を好きになることができれば、きっといつかは解決できるだろう。
「はい、はい、いつまでもそんな話してないで、そろそろ歓迎会を始めましょう。ほら、しゃっきとしなさいしゃきっと。それからアスカちゃんと葛城さんも早く着替えてきなさい」
キョウコの言葉で止まった時間が動き出した。ユイとシンジの和解に感動していた時間が、キョウコの明るさと暖かさで自分の役目を思い出したように。
なぜか目をうるうるさせたアスカと、何とも言えない複雑な心境のミサトは着替えのため自分の部屋に入り(その前にアスカはシャワーを浴びに風呂に入ったが)、ユイとシンジも活動を再開する。
「いいわね〜、親子の再会、対決、そして和解。ドラマを見るよりおもしろかったわ。
・・・そう言えばシンジ君、何でユイがここにいるのかって聞いてたわね。
教えてあげるわ。
ここが、ユイの家だからよ。同時に、私たち親子の家でも、葛城さんの家でもあるのよ」
さらりと言ってのけるキョウコ。自分が結構凄いことを言っていることがわかってるのだろうか?たぶんわかっていない。彼女の言葉にシンジは固まった。まあ当然といえば当然といえる。読者諸君にもなぜ、リツコがミサトからの電話に対し、訳が分からないと言う返事をしたのか、お分かりいただけたと思う。ミサトはユイと同居してるのだから、ミサトと同居するということは、ユイと同居するということでもあるからだ。
「母さん・・・そうなの?」
「ええ、そうよ。元々は私一人で暮らしてたけど、広い家に一人だけってのは寂しいと思ってたのよ。そう思ってたらキョウコがアスカちゃんを連れて引っ越してくれてね・・・。ついでにボディーガードとして葛城さんも一緒に住むことになって・・・。
あの時はうれしかったわ・・・」
何故かぽっと頬を赤らめたユイの発言を、シンジはほとんど聞いてはいなかった。
頭の中でいろいろなことを考えていたからだ。
(そ、そんなの聞いてないよ〜。ミサトさんが一緒ってだけでも大変なのに、まさかまさかと思っていたけど、本当に惣流まで居るなんて・・・。
どうしよう・・・やっぱりここには居られないよぉ・・・)
そんなシンジを無視して盛り上がっていく大人達。結構、いやかなり薄情だ。
一気に飲めや歌えやの大騒ぎになろうとしている。ミサトは言うに及ばず、ユイとキョウコも酒を飲み出す。これはシンジの歓迎会であって、ミサト達の宴会ではないはずだが、そんなことはお構いなしである。
リビングの一角はサバトと化した。
「な、何かようなの。惣流さん?
ぼ、僕は、決して逃げようとしてるわけじゃなくて、あの、少し疲れた、いや、とっても疲れてるから、休もうかなあって・・・」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。それに、また私のこと惣流って呼んだわね・・・。仮にもこれから同居するんだからそう他人行儀に呼ばなくてもいいじゃない。
それより、おばさまの話じゃ、わたし達昔あったことがあるらしいけど、あんた覚えてる?」
必死に状況を改善しようとするシンジに、アスカはドスの効いた声でストップをかけた。優しい声で言っているが、その目はすわっている。
覚えてなければ、殺すわよ。
その目はそう言っていた。
女が、特に女の子がこういう目をしたとき、何とかできなければ逃げた方がよい。もっとも逃げたら後でもっとひどい目に遭うだろうが。
で、当然シンジの頭の中は、
(逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ・・・)
呪文でいっぱいになっていた。・・・まったく成長の跡が見られない。
普通、人間というモノはあんな体験をすれば良かれ悪しかれ成長するのだが、とても使徒との戦いで見事な勝利を飾ったとは思えない有様だった。
結果として、今のシンジはまたまたアスカのことを無視した形になっていた。当然アスカの機嫌は悪くなる一方である。それでもシンジはぶつぶつ言っていた。そうやっていれば、ユイが助けてくれると信じているかのように。もう少し目を開いてよく辺りを見回せば、ユイがジョッキ片手に興味津々で見ていたことに気がついたのに。
結局、質問に答えないシンジの態度に、ついに彼女の凧糸くらいの堪忍袋の尾が切れた。少し気が短すぎ。
細い、最高級の陶磁器でつくったかのように綺麗な−だが冗談ごとではない握力を持った−指がシンジの首を締め上げた。
「あんた、聞いてるの?とにかく私の質問に答えなさいよ!
覚えているのかいないのか!?
さあ、どっちなの!!」
シンジの脳はフル回転!
(思い出せ!思い出すんだ!でないと僕は殺される!殺されてしまう!
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ
死ぬのは、嫌だーーーーーーー!!!!!)
他人の科白をとってまで考えたかいがあったのか、彼の記憶に一つの鮮烈なビジョンが浮かび上がる。それはどこともしれぬ倉庫のようなところだった。その暗がりに二人の子供がいる。一人は4歳くらいのとっても可愛い女の子。赤い髪をしてなぜかとっても偉そう。もう一人はなよなよ〜とした可愛い男の子。なぜか顔をくしゃくしゃにして泣いている。男の子に向かって少女が偉そうに何か言っている。少女が何かしゃべるたびに男の子はますます悲しそうな顔をする。
『もう泣いちゃだめよ、シンジ。気持ちは分かるけど、男の子は泣かないモノよ!』
『だって、だって、アスカが悪いんじゃないか・・・』
男の子の言葉とともに少女は彼のほっぺたをたたく。たいして強くぶったわけではなかったが音だけはあたりに大きく響く。
とたんに男の子は泣き出した。
『・・・うわ〜ん!!アスカがたたいた〜〜〜〜!!』
『泣くなっていってるでしょ!馬鹿シンジ!!』
「え、ええぇ〜〜!?
アスカって、あの、アスカ・・・なの?小さい頃一緒に遊んだ・・・」
おずおずとシンジは口を開いた。
とたんにひまわりのような笑顔をするアスカ。その笑顔を間近で見てもうシンジは真っ赤。なんだかとってもいや〜んな感じ。
アスカはシンジが彼女のことをなんだかんだ言っても覚えてくれていたことに、心臓が急速に速くなるのを感じた。今までしっかりと覚えていたと思っていたことが、よりハッキリと脳裏に蘇るのを感じ意識せず彼女の全身は真っ赤になった。それはどこか心地よい苦しさ。
(覚えてくれたんだ・・・シンジ・・・)
シンジは彼女の、アスカのことを思いだした。幼なじみ。もっともその内容はアスカの認識とは少しばかり違っていたようだが。
「アスカなんだ!小さい頃僕をいじめていた、いじめっ子のアスカなんだ!!」
「そうよ!思い出したのね!!・・・て、何で私がいじめっ子なのよ!!
あんた頭の中が膿んでんじゃないの!?いつ私があんたのことをいじめたって言うのよ!!!
それより他に大切なことがあったでしょ!!」
思いがすれ違っていたことに目眩を感じながらも、アスカはシンジに決定的なあの出来事を思い出させようと、首をガックンガックン揺さぶりながら詰め寄った。それだけ思い出してくれればいい、もう怒ったりしないから、内心でしおらしいことを考えながら、彼女は初めて心の底から神に祈った。
(お願いだから・・・思い出して・・・。思い出さなかったら・・・ふぅっふっふっふ)
「・・・えっ、大切な事って、何・・・か・・な・・・。はははは・・・。
覚えてないんだけど・・・」
とどめの一言。
悲しみから怒りへと大魔人のように変化する顔を見て、シンジは覚悟を決めた。
最後にフッと笑っい、下を向いてぷるぷる震えていたかと思うと、
「ばかぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
バッチ〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!!!!!!!
そんな音を立てて思いっきりひねりを加えてシンジをひっぱたいた。ふっとびながらシンジは思う。
(完全にいじめっ子だよ、これじゃ。・・・このびんたの感触。やっぱり、アスカだ・・・。でも久しぶりにあったってのにこれかよ・・・)
シンジがたたかれて玄関にふっとんだちょうどそのとき、扉が勢いよく開いた。
よくよく彼は不幸な星の元に生まれたらしい。もっとも見ようによってはとっても幸せな星かもしれないが。だから同情はしない。
どしんっ!
(アレ、痛くない、・・・それよりこの柔らかいモノはいったい?)
シンジは堅い床にぶち当たると思って覚悟を決めていたのだが、意外にも彼がぶつかったのは柔らかいふにゃふにゃしたモノだった。右手がさらに柔らかいモノをつかんでいた。その心地よい感触を確かめるかのように思わずひともみふたもみするシンジ。
「も〜う、いきなり押し倒すなんて強引なんだから♪でも、碇君だったら、私・・・。
て、あ!?もう、いきなりそんなことするなんて!・・・あ、ああ!だ、だめよ!」
(えっ、えっ、えっ、なに!?何が起こったんだよ!?僕の下にあるのはいったい何なんだよ!?)
あわててシンジは自分の状態を確かめた。腹這いになって玄関に倒れていた。
何か柔らかいモノを下敷きにしたため、ケガはない。左手は玄関のざらざらした床を触っており、顔は何か柔らかいモノの上にのっている。というか挟まっている。そして右手はその何かの上にのっている。足は長くのばして、床の上に転がってるが、何か細長いモノを間に挟んでいる事が彼にはわかった。次に、彼は沸々と沸き上がる『まさか、そんなことあるわけないよね?お願いだからそう言ってよ!』という疑惑を押し込めながら、下敷きになってるモノを調べた。
ゆっくりと顔を持ち上げ、下を見るシンジ。
彼が目にしたのは少し赤くなった整ったきれいな顔、おもしろそうにシンジの目を見つめる茶色の目、日なたのようないい香りのする茶色の髪だった。綾波レイコである。
もちろんシンジの右手の下にあるのはレイコの胸だ。にぎにぎと揉みしだいたのもまた然り。
「う、うわあ!ご、ごめん!わざとじゃないんだ!ほんとだよ!だから、あの、信じてよ!」
あわてて玄関前で土下座して謝るシンジ。もう必死だ。許してもらえないと彼は間違いなく痴漢呼ばわりされるのだから。そんな彼に冷たい声がかかった。
「・・・碇君、邪魔。どいてくれる」
レイコの姉、綾波レイだった。レイコそっくりな顔は無表情で何を考えているかはさっぱりわからないが、シンジには激怒しているように思えた。
(あ、青鬼だ・・・)
そんな失礼なことを考えてるシンジの後ろでアスカが突然大声を上げた。
先ほどのシンジとレイコの痴態(彼女にはそう見えた)にショックを受けたのか、その顔を蒼白にして体をぶるぶる震わせている。
シンジは気づかなかったが彼女の目をよく見れば今にも泣き出しそうになってたことがわかっただろう。
「この馬鹿シンジ!!
あったばかりの女の子をいきなり押し倒すなんて、何考えてんのよ!あまつさえ胸までもんで!
この馬鹿!!チカン!!ヘンタイ!!女の敵!!
もうあんたなんて知らない!!ゼロやファーストとよろしくやってなさいよ!!
男なんて、男なんて、大嫌いよ!!」
(変だ。どうして私こんなに悲しいのよ!?)
それだけ言うと、アスカは自分の部屋に駆け込んでいった。
「シンジ君、あなたって人はまったく無様ね」
呆然としてアスカが消えたドアを見つめるシンジに、そう声をかけてきたのはリツコだった。それに続いて、彼女の隣に立っているやっぱり化粧が濃いナオコが言う。
「シンジ君何をしてるの!?女の子を泣かせたのよ!早く追いかけなさい!でないと、あなた一生後悔することになるわよ!」
「え、何でリツコさんがここに?」
「そんなことはいいから早く追いかけなさい!!男の子でしょ!!」
「は、はい!」
あわててシンジはドアの前に立ち、ノックをしてドアを開けようとするがカギがかかっていて開かなかった。やむなくシンジはドア越しにアスカに話しかける。
どこか心配そうに、どこか期待するような目をしたユイ達の前で、アスカの暴風のような怒鳴り声がドア越しで聞こえ、反対にシンジが優しい、凪のような言葉をひねり出した。
はじめはアスカの怒鳴り声しか聞こえなかったのだが、次第にその声は静かになっていき、2人の声は同じくらい静かで、ぼそぼそとした物になっていった。最終的には突然開いたドアの中にシンジが引きずり込まれて静かになる。
それをおもしろそうに見ている大人達。
「ふ〜ん、やるわねぇ。アスカちゃん。シンジの性格をよくつかんでるわ。こりゃシンジ、アスカちゃんのお尻にひかれそうね。それにしても、あの子達、 昔の記憶がちゃんと残ってるのかしら?」
「う〜ん。あの二人、前はいつも一緒だったからお互いのことをちゃんと覚えてると思ってたのに。完全に忘れてたみたいね・・・。あんな事やこんな事もした仲だったってのに」
「・・・まあ、しょうがないんじゃないでしょうか。
アスカは毎日勉強に訓練。シンジ君はシンジ君でいろいろあったんでしょうし。あ、決して皮肉を言ってるんじゃありません!だからそんなに睨まないでください、碇司令・・・」
「何をやってるんだか・・・。ほんと世話が焼ける子達ね」
「な〜にを悟ったようなことを言ってるのよ、リツコは。そういうことは、男を見つけてから言いなさい。それにしても、これでアスカちゃんが1馬身リード、ってとこかしら。誰が一位になるか楽しみね」
「もうシンジ君たら、押し倒した分と、胸をもんだ分は、後で絶対返してもらうからね!でも、あのアスカが泣くところなんて、初めて見たわ。・・・鬼の目にも涙ってとこかしら?」
「・・・・・・・・・」
彼女たちがそんな話をして、シンジがドアの中に消えてから5分後。頬に新しい紅葉をつけ、なぜか真っ赤になっているシンジと、同じく真っ赤になっているアスカがでてきた。中で何をしてたんだろう?イタチは必死になってそう聞きたい心を押さえ込んだ。
あらためてシンジとアスカが席につくと、ユイが仕切りなおし、あらためて歓迎会が始まった。今度は先ほどのような酒盛りにはならず、まあ普通の歓迎会である。
ところであんなに酒を飲んでいるのに、ユイ達三人はまったく酔っぱらったようには見えない。そんな三人を化け物のように見るシンジ。
アスカやレイ達は知っているためかなんの表情も浮かべてはいない。
「では、あらためて歓迎会を始めましょう!シンジが、ここ第三新東京市に来て、私達と同居することを祝して・・・、乾杯!!」
その音頭とともに酒を飲み、食事を始める一同。
「そういえば、ちゃんとした挨拶をまだしていなかったわね。私の名前は惣流キョウコツェッペリン。知ってのとうりアスカの母親よ。ネルフでは作戦部の顧問をしているわ。よろしくね。
ところで、10年前にもシンジ君にあったことがあるんだけど、覚えてる?」
「・・・そう言えば、父さん達と一緒にいた人たちの中にいたような」
そう言いながら、シンジは父の姿を思い出そうとしていた。なぜか大きな背中がゆっくりと遠ざかって行くところしか思い出せず、すぐに止めたが。
「ありがとう覚えていてくれたのね!」
そう言いながらシンジに抱きつくキョウコ。ユイ以上に年齢不詳の彼女に抱きつかれてシンジも悪い気はしない。ついでに胸もアスカやレイより大きい。
抱きつかれたことでシンジは脳裏からもやもやした父らしい記憶を消し去って、思いっきり慌てた。それを見てたちまち機嫌を悪くするアスカ、他数名。
キョウコをシンジからひっぺがすと次々に自己紹介を始める。
「あらためて、自己紹介ね。私は葛城ミサト。ネルフの作戦部長よん♪」
そう言いながらシンジに抱きつこうとするミサト。それを邪魔するようにリツコ達が続ける。
「初対面の時に自己紹介したけど、赤木リツコよ。よろしく」
「私は、信濃、信濃ナオコよ。名字は違うけど、リツコの実の母親よ。ネルフでは技術部顧問をしているわ。
シンジ君、私のことも覚えてる?」
「私は綾波レイコ!シンジ君と同じチルドレンよ。ナンバーはゼロ、ゼロチルドレン。後で胸を触ったおかえしをしてもらうからね。それはともかく、仲良くしましょ!」
「綾波レイよ」
「・・・私たちは、自己紹介の必要なんて無いでしょう?馬鹿シンジ」
そしてそのまま始まる、宴会。未成年だというのに酒を飲まされ、ミサト達にいたずらされそうになったシンジにとっては阿鼻叫喚の宴。リツコは男ができないことの愚痴を言い、ナオコは旦那の悪口を言い、レイはひたすら食べ続け、レイコはシンジにからみつき、アスカはそれを排除する。もちろんユイ達は酒を飲みながら怪しい百合の花を咲かせようとする。
そんな騒ぎの為、シンジはそばをとことこ走り回る黒い物体に気づかなかった。
それどころではないのであるが。
とにかく、宴会が終わったのは、夜の11時を過ぎた頃だった。
「「「またね〜♪」」」
と言いながら自分の部屋に帰る綾波姉妹(レイはさよならと言ったが)と、赤木親子。彼女たちの部屋は碇家の両隣だったりする。
レイ達4人が消えて、リビングは静寂に包まれた。さっきまでの騒ぎが本当にあったことなのかなと疑問に思うくらい静かに。音と言えばミサトの高いびきがかすかにするくらいだった。キョウコは妙に乙女チックな格好で床に転がっていた。ただ、寝言の中にユイの名前があったりしてシンジはとっても気になってたりするが。
アスカはとうの昔に、
「つきあいきれないわ!」
といい残して眠っている。
結局の所、今リビングに正気でいるのはシンジとユイだけだった。
今更ながらシンジは緊張した。
彼が待ち受けていた環境が整ったことに対する恐怖が、ひしひしと感じられた。
「あの、母さん・・・。今まで何があったのか、僕を実家にあずけてまでしなければならなかったこととか、できたら説明してくれないかな。・・・もちろんできたらでいいけど」
「簡単に言うなら、私たちは人類を救うある研究を行ってたの。でも、その計画は頓挫し、私たちの周りに危険が及んだのよ。
そして、私のために・・・ゲンドウさんはあなたのお父さんは行方不明になったわ。危険があなたに及ばないように、私はあなたを、捨てるように実家にあずけたの。
・・・ごめんね、シンジ。これ以上はまだあなたに話すことはできないの。
ただ、これだけはいえるわ。私は人類を守りたいと、救いたいと、心の底から思っている・・・。ただのエゴかもしれない。私みたいな人間が願うようなことじゃなかったかもしれない。でも、それが、あの人の、ゲンドウさんと私の願いだったから。だから、やめるわけには、諦めるわけにはいかなかった・・・。
もちろん、シンジをひとりぼっちにした言い訳にはならないわ。でも、私はあなたのことを愛しているわ。それだけは信じて」
「母さん・・・、わかったよ。今はまだ聞かない。
僕は、僕は、母さんに捨てられたと、いらない子供なんだと、そう思っていた・・・。だけど、そうじゃないって、わかっただけで、・・・・・・今はそれだけでいいよ」
「ありがとう、シンジ。
さあ、もう12時よ。後片付けは後でもできるから、早くお風呂にはいって休みなさい。もう転入手続きが済んでるから、明日からあなたも学校に行くのよ」
「わかったよ。母さん。」
シンジはそれだけ言うと、さっさと風呂場に向かった。ユイはそれを見送りながらグラスを傾けた。前髪が額にかかるのをのけようともせず、中身を飲み干した。
(あなた、シンジはこんなに立派になったわ・・・。今まで辛い思いをしてきたというのに。でも、私は、シンジを辛い戦いの場に送り込もうとしている。
シンジだけじゃない、他の子供達も戦場に送り込もうとしている・・・。私たちは、決して許されないでしょうね・・・。
・・・・・・そう言えば、何か忘れているような・・・。なんだったかしら?)
「うわあ!!なんだよ、おまえは!!?」
ユイがそこまで考えたとき、風呂場から叫び声があがった。
あまりにけたたましい純然たる恐怖というエッセンスを感じさせる声に、ユイはグラスを放り出して風呂場に走りかけ、ミサトは軍人の目をしながら飛び起き、キョウコは猫のように転がって机の下に身を潜めた。途中で机の脚に頭をぶつけて転がらなければ完璧だったが。
「・・・・・・か、母さん!あ、アレ!!」
そんな叫び声をあげながら全裸のシンジが飛び出してきた。その顔は驚きで引きつり、自分の状態にまったく気づいていない。
そして彼女たちの横をトテトテとすり抜けていく真っ黒い物体。
それは、謎の冷蔵庫の前まで行くと扉を開き、やれやれと言った感じで固まったユイ達と、シンジの股間を見つめた後中に入っていった。
「あ、そうか。ちょうど今ペンペンがお風呂に入ってたんだっけ」
「かあさん、なんなの・・・あれ?」
シンジが冷蔵庫を見つめながら、おずおずと質問した。風呂場で何があったのかはわからないがよほど心臓に悪いことがあったのだろう。
「あ、あれ。アレは新種の温泉ペンギンのペンペンよ。かわいいでしょ。もう一人のここの同居人よ。一応さっきの宴会の時からいたんけど、気づかなかったの?だとしたら、注意力悪すぎるわよ」
びくびくするシンジを落ち着かせようとミサトがある一点を見つめながら言った。もちろん、ユイとキョウコも同じところを見つめている。1秒たりとも見逃さないとばかりに。
(あなた。シンジは、本当に立派になりましたよ・・・)
(シンジ君、見かけによらずすっごいのね。アスカちゃんには悪いけど、本当に計画変更しようかしら?)
(まあ、ご立派)
シンジは三人のあまりにも不躾な視線に、自分の状態に気づいてあわてて風呂場に駆け込んだ。
(み、見られちゃったよ・・・。恥ずかしい。
か、母さんと一緒に住めるのはうれしいけど、やっぱり、こんな環境じゃ一緒に住むわけにはいかないよ〜。だれかなんとかしてよう)
<同日深夜・シンジの部屋>
まだあまり荷物のない、ベッドと机だけの部屋だった。そのベッドの上にシンジが横になっている。シンジは横になってはいたが、興奮していて眠れなかった。
使徒との戦い。
母との邂逅。
なぜか気になる少女、レイとレイコ。
その他多くの人たち・・・。
(今日は本当にいろいろあった。母さんと話せた。これからは一緒に暮らせるんだ。うれしいのかな?こんなにどきどきして。・・・うれしいんだろうな、やっぱり。
ミサトさんとキョウコさん、リツコさん、ナオコさん・・・悪い人じゃないみたいだ。
アスカ・・・乱暴で騒がしくて、とてもまぶしい女の子。・・・変だな、さっきよりもっとどきどきする。
・・・綾波レイ。無口で無表情な不思議な女の子。なにかとても懐かしくて、安心できる。なんでだろ?彼女のことを考えると、胸が苦しくなる・・・。でもそれが嫌じゃない。
綾波レイコ。綾波とは正反対な明るくて表情豊かで、人なつっこい女の子。彼女も懐かしい感じがするけど、胸は苦しくならない・・・。そう言えば、あの子の胸って柔らかかったなぁ」
いつの間にか考えを口に出しているシンジだった。
顔を赤くしながらその感触を思い出そうとしているシンジ。なぜか右手をワキワキさせている。こんな所は絶対、人に見られたくないという状況だった。シンジの手が音もなく下に伸びる。
そのとき風呂上がりのミサトがシンジの部屋の前に立った。
「シンジ君・・・。開けるわよ」
スッとふすまが開く。
伸ばしかけた腕を慌てて元に戻し、思わず寝たふりをするシンジに声がかかる。それは『ばれてるわよ』という彼が自殺しかねない言葉ではなく、
「ひとつ、言い忘れたけど・・・。あなたは人に誉められる立派な事をしたのよ」
それだけだったが、シンジはなぜか心が落ち着き、眠りに落ちていくのを感じた。
ミサトの言葉とともに第三新東京市の夜はふけてゆく・・・。
第弐話完