第4話
「苦悩とノゾミ」


「アスカ、本日付けで君の担当になったマリア・ソレイユ2尉だ。仲良くな」
「アスカちゃんの噂はイギリスにも届いてるわよ。今から楽しみだわ」

この女も・・・

「マリア2尉の後任、シャルム・アレイル3尉だ」
「よろしくね、アスカちゃん」

この女も・・・

「マリア2尉の後任、シャルム・アレイル3尉だ」

いつも出てくるこいつも私のことを見てない・・・。
格闘技の講師も・・・戦術指南のあいつも・・・
何で・・・私を見ないのよ・・・


「シャルム3尉の後任、葛城2尉だ。よろしく頼むぞ」
「よろしくね、アスカちゃん」
よろしく。

「優秀ね、その年でもうハイスクールの3分の1のカリキュラムをマスターしてるなんて」
そんなことない。普通にやってるだけ。
「・・・普通・・・か。やっぱ天才っているのね。自分が情けなくなるわ」
天才・・・か・・・この女も同じか・・・。

「お疲れさま、アスカ。大したもんね、日本のファーストチルドレンだってまだ
 起動に必要なシンクロの20%も行ってないのに後発のあなたはもう50%まで
 来てるわ。この分で行けば今年中には実装テストに行けるかもね。
 ホント、生まれた星が違うのかしらね」
ミサト、私は天才なの。日本の凡人と一緒にしないでよね!。
・・・・・・・・・・・イヤな強がり

「残念だけど、上が決めたことだから・・・。
 私も、弐号機を最期まで見届けたかったんだけどね」
残念。向こうに行っても頑張ってね、ミサト。
・・・(フン、あんたの代わりなんかどこにでもいるわよ・・・いくらでもね)・・・

思った通り、ミサトの後任に来る連中全てが天才、天才と誉めはやす。
いいわ・・・ここまでやった私は天才なんだから・・・天才なのよ。


「アスカ、加持君だ。
 彼は監査部所属だが君を日本に送り届けるために半年間、輸送班所属となった。」
「よろしくな、アスカ」
・・・フン。

「ずいぶん枯れた青春だな。こんな事ばかりしてて楽しいのか?」
私だけに与えられた使命なのよ!。楽しいに決まってるわ。

「楽しい?。組織に縛られたまま年を取っていくのが?」
・・・・・・楽しいわよ。

「違うな、アスカは楽しいことをまだ知らないだけだ。
 そうだな・・・今度一緒に海でも行くか」
はぁ?。

「決まりだ。明日は柔道の訓練か・・・よし、すっぽかしちまおう。いいな、アスカ」
ちょ、ちょっと!

海・・・無理矢理に連れてこられた海・・・。
ここは整備されているらしくてレジャー施設がいっぱいあった。
大切な訓練を休んでまで来る価値のある事だったか・・・。
でも、こんな世界があることを私は知らなかった。
訓練では何度か潜ったことのある水の中。面白くも何ともなかった水遊びが
こんなに楽しいものだとは知らなかった・・・。


「でもあまり無理すんなよ。
 それに夜中まで起きてるのは美容に悪いからな。勉強も良いが、程々にな」

・・・何言ってんのよ。私が勉強なんてするわけないでしょ。
天才児といわれてるこの私が!。

「はは、天才か・・・」
な、何よ。何がおかしいのよ!

「君は天才なんかじゃないさ。この世界に天才なんか存在しない。
 全てはほんの少しの運と、目一杯努力をすれば誰でも天才になれるさ。
 君もその一人だ。運を味方に付けただけじゃない。
 アスカが努力の人なのは、君を見てれば分かるよ」
・・・・。

「ま、これは俺の考えだけどな。
 適正はあるかもしれないが、スーパーマンはいないよ。
 君が努力もしないでここまで上ってきたのなら天才だけどな・・・。
 ・・・・違うだろ?。ははは」

・・・加持、リョウジ・・・か・・・・・・フフッ。

「最近、変わったな。初めて会った時は無理に突っ張ってたから心配したんだぞ」
そうかな?。

「今は笑顔も輝いてるよ。女の子はこうじゃないとな」
・・・ねぇ、今日上手くできたご褒美に明日デートしようよ。

「だが明日もテストだろ?」
いいよ、1回くらい。ね、いこ。

「・・・そうだな。たまには羽を伸ばさないと。だったら、後は任せておけ。
 お偉いさんなんか瞬く間に説得してやるさ」
ほんとに?!。わ〜ぃ、加持さん大好き!!。


大好き・・・ぼそりと動くアスカの口。
その反応に呼応するかのようにマヤの口が動く。
「アスカの意識が戻ったようです」
腕組みをしながら弐号機のケージを眺めるミサト。
ファイル片手になにやら書き込んでいるリツコの声が響く。
「このままテスト続行、パターンをB34まで戻して再確認」
リツコの声と同時にマヤの指がキーを叩く。
彼女はファイルを置くと、側にあったマイクロマイクを手に取った。
「アスカ、聞こえる?。体の具合はどう?」
アスカの耳にこの声は届いていたが、薬からの目覚めは最悪だった。
頭がぼやけ、体の神経も、鈍く反応を返すに止まっていた。
2度目のリツコの声で、アスカはようやく夢から覚め、思考を開始する。
ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、今自分は何をしているのか。
一つ一つをゆっくりと認識してゆく。
そして、ここはエントリープラグ、今はテスト中、何故ここにいるの・・・。
アスカの疑問が過去の記憶と重なって解消されてゆく。
何故ここに・・・
アスカは思い出さなければ良かった。
彼女の絶叫とともに、今日の予定の大半を終えていたシンクロテストは幕を下ろす。


リツコは結果をファイルにまとめると実験室を出た。
これからが忙しくなる。リツコは今日中に終わらそうと足早に電算室へと向かった。
靴音を響かせ急ぐ彼女の目に、ネルフ本部のあるピラミッド型の建物が見える。
先の使徒に破壊されたそれ。修理中のネットに包まれた姿が彼女の視界に入った。
「何してるの。ずいぶんと暇そうにしてるわね」
リツコはピラミッド状の建物が見える窓と同時に視界に入った男に話しかける。
たばこを噴かし、破壊されたジオフロントをぼぉっと眺めていた彼は、
一度視線を彼女に移すと、口から煙を吐き出した。
「俺に仕事が無いのは知ってるだろ」
語尾も下がり気味に、視線を外に移しながら続ける。
「弐号機とアスカを引き渡した段階で俺の役目は終わった。
 引継が長引いたが、ようやく終わった。後はドイツに帰るだけさ」
リツコはただじっと彼の言葉を聞いている。彼はたばこに口を付けると
すぅっと口に煙を吸い込み、すぐに吐き出す。
「こんな状態の本部を置いて帰るのは本意ではないけどな」
彼の言葉に、初めてリツコの口元がゆるむ。
「ミサトを置いて帰るのは?」
加持は横目で彼女を見る。彼が見たのは旧友のいたずら心に満ちた顔だった。
「葛城か・・・確かに連れて帰りたいけどな。いいのか?。
 困るのはりっちゃん達だぞ」
負けずにやり返す加持、お互い横顔を見合うとくすりと笑みを浮かべる。
彼女の顔を見ると彼はたばこを落とし、つま先でもみ消すと
足を彼女の方に進めながら口を開く。
「安心しろ。俺がプロポーズしても葛城の返事は解るさ。
 あいつは一見だらしなさそうだが、責任感は人一倍あるからな」
そしてすれ違いざまに、加持はぽつりと呟いた。
「あいつは女の幸せより、仕事を選ぶ。・・・俺と同じさ」
すれ違い、背を向け会う旧友の二人。
「・・・仕事に熱心なのは良いけど・・・ね」
リツコの声に彼の足音が途絶える。
「あまり全力で走りすぎると・・・いつか足元が絡まるわよ。
 程々にすべきね・・・加持君」
横目で、視界に写らない加持の気配を観察する。
が、動揺を見せることなく加持の足跡はリツコから離れていく。
リツコが振り返り、彼の足音の方向を眺めたときには彼の姿は彼方に消えていた。


ぱんっ
乾いた音が響き、憎悪に満ちた視線を浴びる彼女は
手を振り下ろした赤い戦闘服を身に纏った少女を悲しげな瞳で見つめる。
そこに言葉はない。
言いたいことは腐るほどある。
だがオペレーター連中の眼が感情に身をゆだねそうになる彼女を辛うじて制していた。
言葉のない空間に、プラグスーツ特有の手を握りしめた音が彼らの耳に聞こえると
同時に走る音、扉が開く音が続いた。
今すれ違い、みるみるうちに小さくなっていった赤い戦闘服を着た彼女を見ながら
「なに?。何かあったの」
と、皆に聞いた。
リツコは扉を開けた瞬間に飛び出してきたアスカを怪訝に思い、
背を向けていたミサトに再度尋ねた。だが、ミサトは答えることなく発令所を後にする。
リツコは発令所を見渡してみたがその場の空気は重く、
リツコの問いにオペレーターも口を開かない。
彼女にすれは別にどうでも良い話だったので、そのままテストの後処理にかかった。

アスカはそのまま走り続け、見慣れた更衣室に飛び込む。
勢いよく扉を閉め、キーロックをかけた。
そこで彼女の足が止まる。力の萎えた体をドアにもたれ掛からせ、
呆然と静寂な空間に立ちつくしていた。
不意にプラグスーツを緩め、ダボダボになったスーツを体からはぎ取ると、
いつも自分が使っているロッカーを恐怖と期待が入り交じった表情を浮かべながら
ゆっくりと開いた。そこにある布きれを広げ、観察する。
彼女は無言で、黙々と布を調べてゆく。柄、形、サイズ、ブランド・・・。
全てが先ほどまで身につけていた服と同じ。相違点は見つからなかった。
アスカの思い出したくもないこと・・・先ほど諜報部員に無理矢理犯された時に、
服は破られたはず。なのに今目の前にある服は自分の服だ。
彼女は先ほど上司を叩く前に言われたことを思い出す。
「・・・ごめんねアスカ。無理矢理テストに駆り出しちゃって。
 どうしても外せないテストだったから・・・。
 あ、それと着ていた服はいつものロッカーに入れてあるから。
 私が着替えさせたんだから安心していいわ」
アスカにしても疑問はあった。体に違和感を感じないし、特に痛みもない。
鏡に映る体には、傷一つ付いてない。そしてこの服。
もしかしたら・・・何もなかった?。
その結論に行き着くと、彼女にのし掛かっていた負の思考が一気に軽くなった。
ちょうどその時に、ノックの音が聞こえた。
ノックの主はミサトだった。アスカは一瞬ためらいを見せたが気が楽になった分、
ロックを外すことが出来た。本来なら加持の一件だけでも話したくもない相手。
だが、今なら話せる。負の思考が取り払われている気分の良い今なら。
「あ・・・服わかったわね?」
ミサトはアスカの手に持たれた服を見るなり安心したように口を開く。
アスカは一回うなずいただけで、下着の上から手に持った服を纏った。
アスカがスカートを履くまでの間、ミサトは色々話しかけてきた。
だが、やはり吹っ切ることが出来ずにいたアスカの口からは
相槌の声しか聞くとは出来なかった。
ミサトの話した内容は無理矢理連れてきたことの詫びから始まり、
できればもう休まないで欲しい、何か不満があるなら善処するという事だった。
アスカにすれば不満は腐るほどあるが、
ミサトに言っても仕方のない事だということはわかる。だから黙っていた。
アスカはもう休まないとミサトに約束した。
当然だろう。また連中に踏み込まれたらたまらない。
まんまとミサトの術中にはまったわねと苦笑いを心の中で浮かべながら、
アスカは黙々と着替えを済ませた。
帰り際、ミサトはもう少し家には帰れないと告げる。
アスカにとっては嬉しい話だ。こんな女の顔など見たくもない。
「別にいいわ」
の一言を残し、ミサトの前を後にする。
アスカの投げやりとも取れる一言に、ミサトの顔は心無しが曇っていた。


何事もなく一週間が過ぎた。
アスカも学校に登校し、シンクロテストも約束通りこなした。
そしてこの日の午後、シンジが帰ってくるとの報を前日のテストでミサトから聞いた。
アスカはうっとおしいと感じながらも、
「そう」
とだけ返した。別にあいつならこちらから干渉しなければ
いてもいなくても同じという考えがアスカにはあったから。
だが、帰ってみればミサトもいた。
ミサトの顔を見るなりアスカは露骨に顔を歪め、その足で部屋に引きこもった。
彼女が部屋に籠もってから、アスカの耳にノックの音が聞こえるまでは、
それほど時間はかからなかった。
物音一つない部屋に向かい、努めて明るくミサトは語りかける。
「アスカ〜。おいしいチョコレートケーキがあるんだけど食べない?」
5秒、10秒、15秒。
時は彼女の返答を運んでは来なかった。
「いるんでしょアスカ。ケーキいらないの?」
2度目のミサトの言葉に、アスカは枕を頭の上から被し、手のひらで強く押しつけた。
「・・・じゃぁ残しておくから気が向いたら食べなさいよ」
足音が遠のく音と比例して、力を込めていた腕が頭を解放してゆく。
(・・・最低ね・・・物で釣ろうなんて・・・何であんな女・・・私の方が・・・)
不意に目頭が熱くなるのを感じ、彼女の腕は再び枕を強く押しつけていた。


「技術作業B班、B−62エリアの作業が完了。
 引き続きB−74の作業を開始してください。」
頭の上から聞こえるアナウンスをうっとおしく感じながら、
少しぬるくなったコーヒーを喉に流し込む。
疲れた表情で、カップに落としていた視線を窓の外に移す。
一息ため息を吐くと工事途中の破壊された施設を眺めだした。
「施設も直らない、エヴァも直らない、アスカも・・・か
 ・・・・・
     ・・・私も、こんな気持ちにさせてたのかしらね・・・」
ぽつりと呟いた瞬間だった。
「どうした、元気ないな。あの日か?」
断りもなく、彼女の真向かいに座る声の主。
彼のジョークにも、反応を見せずに外を眺め続けるミサト。
そんな彼女の態度に、加持の顔も無意識のうちに堅くなる。
「どうした?」
加持の軽い声とは違う声に、ようやくミサトがゆっくりと顔を向けた。
今まで見たこともないような顔。
「あぁ・・・加持君、どうしたの?こんな時間に」
かるく明るさが戻った顔を加持に向けたが、加持の目には先ほどの顔がまだ離れずにいた。
「仕事が残ってて死にそうだったよ。もう帰るところだったんだが・・・君の姿が目に入ったんでね。
 葛城は今日家に帰るのか?今は一時期より忙しくないんだろ」
ミサトは、加持の言葉を聞き終わる前にゆっくりとまた窓の外を眺め出す。
目をそらしたのは、加持が「家」といったあたりだった。
「・・・帰らないわ。色々あるから」
「仕事か?」
一呼吸おいた間の後、
「・・・ええ」
「大変だな・・・葛城も」
「・・・そうね」
会話に困るほど、ミサトの返事はそれきり。
さすがの加持も間が持たない。かえって苦しめるだけのような気がしてくる。
「じゃ、俺もう行くわ」
立ち上がりながらも、加持はミサトを見つめ続けた。
だが、
「・・・ごくろうさま」
と呟いただけで加持に一度も向くことはなかった。
「何かあったら、言ってくれよ・・・」
「・・・ありがと、お休み・・・加持君」


シンジは四回つたない日本語と、ドイツ語が書かれたドアの前に立っていた。
今日4回このドアの前に立ち、ノックをしたが中からの返事はない。
今一度ドアをノックしても、中からの返答はなかった。
鍵はこのドアにはついていない。開こうと思えば、ちょっと力を込めるだけでいい。
その簡単な行為が、今のシンジには出来ない。彼女が持つ精神の結界がそうさせるのか、
自らの心が自重させるのかは分からないが、ドアの前でノックを繰り返す。
「あ・・・・・」
シンジの喉から消え入るような声が漏れる。自分しか聞こえない声。
だがそれは、部屋に籠もるアスカへの語りかけだった。
当然、中からの応答はない。
シンジの手が、再びノックをしようとドアの前で拳を握りしめる。
しかしドアのノック音が流れることはなく、
廊下にペタペタと遠ざかる足音だけがアスカの耳に響いていた。

時計は8時を回り、シンジは体から湯気を上気させて廊下を歩いていた。
彼はいつもアスカが入った後で風呂に入る。
だが、彼らの間に会話はない。シンジはいつも7時を回った頃に風呂を準備したあとは
ずっと、アスカが入るのを待つ。
この家には2人しかいないのだから物音で彼女の動向は分かる。
彼女が入り終わると、シンジが続いて風呂に向かう。
こんな生活が、もう日課になっている。
シンジにしても、最初はアスカとコミュニケーションを取ろうとしたが、
会話は成り立たず、逆に睨み返される始末。もう、どう接して良いか分からない。
その思いがシンジの心に芽生えたとき、二人の間に溝は出来た。
今では顔すらあわせない。姿を見るのは学校だけという生活が続いていた。
学校でも誰とも話さないアスカ。誰も話しかけてこないアスカ。
時折委員長が話しかけるが、彼女も忙しいらしくてほんの一瞬だけだ。
シンジもそれを見て、一度話しかけたことがあったが相手にされなかった。
「やめとけやめとけ、俺たちとは住む世界が違うんだってよ。
 同じエヴァパイロットでも見下されてるのか?」
クラスメートの耳打ちで、大体の想像はついた。
アスカなら言いそうだと心の中で思ったが・・・。
ちょうど部屋に帰る途中で、思案していた相手の部屋が見えた。
立ち止まり、じっとドアを見る。物音一つなく、何をしているのかさえ分からない。

5度目のノックの音が、彼と彼女の体に響きわたった。
アスカが出てくることに期待して、出てこないことを望みながら・・・。


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