BOSS


シュフィルが滞在しているホテル、その眼下の市街地を使い模擬戦闘は行われる。
元々使徒を要撃するための都市、反対運動をする一般市民は第三新東京市にはいない。
ホテルからの眺めは良く、360度とまではいかないが140度の視認性がある。
この範囲内で模擬戦闘を見学するのは十分。本来はNERV本部施設内の演習所で
視察することになっていたのだが、実際に戦闘が行われている市街で、という王女の一声で
場所はここに決まる。だが、ブライトはNERV本部の第一発令所に控えさせた。
彼は模擬戦闘を王女と共に見ることを望んだが、王女は許さなかったのだ。
ガラス越しに見える町並みに、王女は二体のエヴァを見つける。オペラグラスで
機体を眺めていた王女だったが、一体少ないことに気付く。
最も近くにいるのは青の機体、そこから1km程離れた位置に赤い機体が目視できた。
だがもう一体を暫く探していたが見つけることが出来ずにいると、
横のピーターが王女の耳元に、自らの手で覆いながら口を寄せた。
「もう一体はあの山の斜面に」
王女は捜索をその山に向けると、神社に巨体を屈ませる紫のエヴァを見つけた。
「一体だけ、随分と離れた所に」
「機動力をお見せするとのことです」
「そうですか。人型だけに見物です。あっ」
オペラグラスの中の機体が立ち上がったのを見てシュフィルは小さく声を上げた。
その声とほぼ同時にメイファが王女の居室に入り、彼女に歩み寄った。
「王女殿下、そろそろお時間です」
シュフィルは彼女を見て頷きを返すと、腰を上げる。
それに合わせて身近にいた青いエヴァが、王女に向かい右手を胸の前に掲げたのが見えた。
その光景に彼女は微笑を浮かべると、その口を開く。
「国家が信仰を捨てたとき、神は滅びました。指針を弔った人類の象徴たるこの国で、
 暗中模索した証である貴君らの存在を直に拝見する機会を得たことに感謝します」
その光景はマナ達にも配信され、バースのコクピット内でその映像を見つめていた。
そんな中、発令所で待機していたミサトに、上からの命令が下る。
「みんな、そろそろ始めるわよ。いい?」
『はい』
『おっけ〜』
『葛城一尉、配達準備完了しました』
ミサトは少し不満顔で頬を掻くと、日向に作戦開始を告げた。


BOSS第三話 陽電子の閃光


まず、火を放ったのはアスカだった。マヤのサポートを受けた大気圏内型の
ポジトロンライフルを挨拶代わりにシンジのいる山の中腹に向けて放ったのだ。
ゲストは光が走ったのを認識する間も無くそれは山腹に着弾し、市街に轟音を響かせた。
「なんだよ、あれはっ」
背中越しに広がる爆発にシンジはそう声を上げたが、同時に警告音がプラグ内に響く。
「ふざけんなよ。あんなの隠れようが無いじゃないか」
照準が自機に向けられている証の音にシンジは苛立つ。とにかく、一刻も早く市街に
入らねばと機体を動かそうとした時、市街の一部が輝くのが見えた。とっさに手を
輝きに向ける。刹那、彼の視界は光に包まれ、耳を聾する爆音が響いた。一時的に
モニタとスピーカーが安全装置に遮断されたが、ATFのお陰で損傷は無さそうだった。
「アスカの奴、無茶してっ」
徐々に視界が戻りつつあるモニタを睨みながらシンジは機体を市街に急がせた。
「さすがにこの出力じゃATフィールドも貫けないか」
アスカは無傷で走る初号機を見て空になったエネルギーパックを外す。新しいパックを
装填し、レベルを見ながらレバーで圧縮数値を上げてスコープを覗き込んだ。

陽電子が光の壁にはじかれ、幾百の軌跡を残して空へ広がる光景をシュフィルは見る。
それらの衝撃波が彼女の居た建物を振るわせ、シュフィルは驚きの中で呟いた。
「バリア、ですか。ポジトロンの閃光を寄せ付けないとは・・・」
「はい、ATフィールドという物と聞いています。原理などは極秘事項とかで・・・」
ピーターの言葉に王女は相槌をうちつつ、再びオペラグラスを瞳に寄せた。
そんな王女を視界の隅に据え、ピーターは眼下に見える町に別の光景を重ねていた。
先程の攻撃で伸びた光が幾つか地表に着弾し、煙が上がっている光景。その景観が、
唯一体験した実戦の記憶を彼の脳裏に呼び覚ます。
「よぉ、また見てるのか」
「あぁ」
封鎖されている街はこの小高い丘から一望できる。ピーターは日に一度はここから
眼下の街を見下ろしていた。もう、かれこれ20回ほどこの場所に来ているだろうか。
「頑張るよなぁ。ワロルにも見放されたってのに」
ピーターは無言で町並みを見つめていた。邦国も、議会もワロル人は既に彼らを
見放し、新たな生活を始めている。それでも、まだ彼らの抵抗は続いていた。
セカンドインパクト、地球を襲った突然の災害は全世界の気候を狂わせ、
地球の生態系そのものを破壊してしまう。その余波はベルギーにも北側の水没、
気候変化、海水温上昇による食糧危機という形で押し寄せた。
公正を期すため、との名目で生産された作物は政府が統轄し、価格の高騰を押さえる
システムを時の首相、キリスト教国民党のギイ・ホフスが発表した。
しかし、公正を唱ったそれは半年後、ワロル人民同盟がブリュッセルと自邦国の
待遇差を議論の場に挙げたことで、崩れ去る。
多く食料を生産できたのは南側であるワロルの邦国なのに加え、
以前より、人種・言語で虐げられてきたとの思いこみも彼らの怒りに拍車をかけた。
そして、集約農家単位で食糧供給拒否が始まるのと同時に、ワロル人地区が他地区に
対して一切の供給を打ち切ると発表したことで事態は一変。幾多の交渉にも関わらず
好転しない状況、ブリュッセル、フラントル人地区の逼迫する食糧事情は
オランダのお陰で一線を越えることはなかったが、国内の情勢悪化を迎えて
政府及び国王アルベイル3世は軍の派兵を決断する。
そして犠牲者の増加とともに戦線は進み、最後の抵抗地であるアイフェルを軍が包囲したのだ。
「でもよ、可哀想だと思わないか。悪いのはブリュッセルだろうに」
街の中央に時計塔が見える。11年ぶりにピーターが見たそれは、何一つ変わっていない。
その塔を見る度、脳幹に浮かび上がるセピア色の記憶が鮮明になってくる。
子供の頃から親しんだ街並、友人が脳裏に浮かんでは消えていった。
「こんな所にしがみついている連中になにを哀れむ」
「そうは言うがな・・・」
ピータに習い、彼も眼下の街を見つめる。
「信仰と人種と言語。生まれ育った故郷。
 これだけ揃えば離れたくないと思うもんだろ?。
 俺はワロルだから少しは思うところがあるのさ、お前と違ってな」
ピーターは口を一文字にして無言でいる。
武装解除の交渉が始まり、戦闘待機のまま週単位で時間が流れた。
その期間中、眼下に見える町を見て浮かぶのは侮蔑の言葉だけ。
しかし、軍上層部は彼の見解とは違い、武装組織が市民を巻き込んでいると考え、
武装組織を潰せば終わると思っていた。実状は、ピーターが考えている通り、
流れ流れてきた武装集団がこの町に結集してはいたが、北に対する反骨から
半数以上の市民が関与していたのだが・・・。
そして、夜半の奇襲により軍属者に死者が出たことで、上層部はついに交渉を諦め、動く。
彼が街を開放する軍人として再び足を踏み入れた街の区画は皮肉にも生家の側だった。
街の至る所で火の手が上がる中でも、懐かしい思い出だった光景は
何一つ変わってないように感じられた。
唯一、子供の頃遊んだレオンとアンの顔が成長していたことが変わっていたこと。
銃を手に道ばたに寝ているレオンと、部屋の隅で怯え震えていたアンの顔が、
再び轟く戦場の雰囲気に導かれて浮かび上がる。
あれから7年、思考を嫌悪していたドイツ語に戻してからの歳月も同じ7年。
ドイツ語を使う時が2年、3年と経つにつれ、連中は自分と同じだった、
そう感じるようになる。ただ、街に残るか残らなかったかの差でしかないと。
今、彼は擬似的とはいえ再び戦場に身を置いている。
国から王女に守護する対象を代えて。

弐号機、そのパイロットのアスカはスコープに映し出されるカウンターに目をひそめる。
一つは敵との距離で、当初は10km程あったものが既に
4kmとなっていた。もう一つはなかなか上がらぬレベルメーターである。
とりあえず肩に格納されている寿司だけはライフルで吹き飛ばしたいと
考えていたのだが、圧縮数値を上げすぎたためか、なかなか充填されない。
初号機は既に市街に入っており、ライフルを撃つべきかどうか迷った。
だが彼女の弐号機に、正確には王女の居るホテルに向かって一直線に走り寄ってくる
初号機が時折ビルを飛び越えるのを見て、その機会を狙うことに決める。
アスカが暗算した結果では700メートルの地点でライフルは射撃可能になる。
そこから、至近弾にならない100メートル地点までに撃てる場所を探す。
遙か後方でパレットライフルの連射音が聞こえる中、アスカはトリガーに指を乗せたままで
平面全方位レーダーと、透過率60%でCG化された映像に目を走らせた。
すると、400メートル地点に程良い高さの集光ビルがあるのを見つける。
トリガーに乗っていない左手でパネルを操作して初号機とその建造物のみ透過率を0に。
そして映像を西側からのCG描画に切り替えて再びカウンターに集中した。

「なにかの演出か?」
ゴロウは配置された場所から見える零号機が、淡々とパレットライフルを連射して
風船を割る光景と、モニタに写しだされた初、弐号機のポジトロンとのギャップに
こう呟いていた。三機のバースはホテルを中心に500メートル離れて北側にゴロウ、
南東にジロウ、南西にマナが布陣していた。レイの零号機はジロウの正面。
アスカとシンジも北側にいたが、彼らの姿はゴロウの肉眼では見えない。
先程の二号機による射撃による振動や、爆発の音は体感できた。
だが、目の前のエヴァがあまりにも平和的な戦闘をするので、NERVの催しが
始まるまでは張りつめていた気もなんとなく緩みかけていた。そうしている内に、
零号機がまた一つ風船を割った。風船のお粗末な破裂音に、ゴロウは呆れながら
ヘッドレストに後頭部を保たれてため息を吐く。その時彼は視界の中で、青白い閃光を
雲と大地の間に見る。赤い太陽と青い太陽が第三新東京市に寸刻混在し、
光球が歪んだ直後に幾千の矢となり光が伸びた。
伸びてきた光が目の前をかすめても彼は動くことが出来ず、後ろで起こった小爆発に
初めて自分の機体を回避に動かす。土煙とコンクリートの破片が機体に当たる音を
聞きながら何か言葉を吐いた、全く記憶に残っていない言葉を。
音が収まるのを待って機体を立ち上がらせると、辺りを見渡す。
絶望的な思考が渦巻く中で様相を見たゴロウだったが、意外と町並みは無事に見えた。
これはポジトロンライフルが対消滅タイプだったお陰だが、
それを知らない彼はあのインパクトに対しての現状に呆然と市街を見渡した。
本来なら被害が少なくて安堵すべき光景なのだが、とてもそんな気分ではない。
被害小といえど至る所で煙が上がる町並みを眺めていた彼だったが、
任務を思い出して顔を青くする。ハッとして振り返ると、そこにホテルはあった。
だが同時に飛び込んできた光景、零号機が王女がいるホテル前にあるビルの上で
王女を守るように仁王立ちしていたことに彼は衝撃を受ける。
それが、見下していた機体だけに。

戦自の特設司令所はテントを用いてホテルから南に1kmの地点に設営されていた。
「ダメです、各部隊との通信が現在も途絶えたままです」
その中で通信士がインカムを耳に押しあてながら、後ろに控えていた今回の
最高責任者である神尾に報告する。先程の影響はあろうと思っていたので特に気にせず
神尾は受け流す。正直、彼はホッとした。だが、隣にいた男はそんな彼の心の内を
覗いたのか、アイメトリクスの眼鏡を押し上げながら口を開く。
「困りましたね。これでは第二東京との連絡もできないではないですか。
 しかし、あなたも幸運なお人だ」
チラリと神尾を見る。
「この状況です。貴官の先程の背任も私の胸の内に留め置きますよ、神尾司令。
 あなたも勇退直前に不祥事は困るでしょう」
彼の言葉にため息を吐くと、司令長官用デスクの椅子に腰を下ろす。
「藤堂君、私はここまで生きられれば十分なんだよ。
 セカンドインパクトの時が来た後、私の周りがこんなに平和に。
 そして至福の時が長く続くとは思わなかったからな」
彼は机の上に置かれた書類の整理をしながら続けた。
「私が迷うのは間違いなく正式な要請なのかということだけだ。
 どうしても信じられんのですよ、あの吉川総理の決断とは思えん。
 それに、王女殿下自らこんな島国で諜報活動をする理由があるのだろうか」
彼の疑問ももっともで、ハイリスクの割には見返りが少ないように思えた。
そんな事に、穏健なイメージを演出している総理が乗り出すか否かと問われれば、
答えは明白。それ以前に、王女に詰問するための罪状も疑問符がついた。
『ベルギー諜報員が得た軍事機密を本国に持ち帰る』
仮に諜報活動をしていたとしても、わざわざ王女の身を危険に晒す方法を採る理由が
あるのか疑問だった。本国に得た情報を送ろうと思えばいくらでも送れる。
それほど日本の危機管理はズサンなものなのだから。だが、報告では彼女が
乗ってきた政府専用機から戦自の二足歩行メカニズムに関する研究資料、
実際実用化された設計図が発見されたらしい。信頼のおける機関からの報告だけに
無視するわけにも行かず、深刻な顔で整理が終わった卓上の書類を眺める。
「確認の方式に誤りがありましたか?」
神尾は口を真一文字に閉じて首を横に振った。パスワードが総理、防衛庁長官の
承認を証明しており、副司令が金庫から出した戦自部隊側のパスも間違いなく
命令書に記載されていた、疑いようのない代物ではあったのだが。
「まぁ、あの光で当分通信の復旧はない。貴官は残念かもしれんが、部隊は使えんよ」
「仰るとおり、部隊との交信が戻らないことには何も始まりません。
 しかしあのポジトロンライフルも大気圏内で使用する以上、
 ましてや御前での模擬戦闘で使用する得物。すぐに回復しますよ、神尾司令」
横目を向けていた神尾に、藤堂は視線を向ける。
「とりあえず、事前に使者を出してしかるべきでしょうな」
視線が一瞬交差したが、神尾がそれを避け、手を忙しく動かすオペレーター達を
ジッと見つめた。その中の一人に藤堂が歩み寄り、インカムを外させる。
「王女殿下に伝令を走らせてくれ」
そう言い、オペレーターの胸の前に内閣官房と印字されたB5変形の封筒を差し出す。
「それとこっちは特別SS部隊隊長、李・メイファ宛だ」
同様の大きさの封筒、だがこちらは取り違えぬように表に彼女の名前が書かれていた。
「本部直属の692歩兵部隊長に一任しますが、よろしいですか?」
藤堂、そして長官が頷くのを見て、オペレーターは立ち上がった。
恭しく二通の書簡を受け取ると小走りで司令室より出ていく。
その光景を見送りながら神尾は目を瞑り、藤堂に背を向けた。

ソニックグレイブを振るう弐号機の攻撃をシンジは辛うじて避けた。
だが手持ちの武器も無く、ATフィールドを貫いた陽電子の激流に晒された左肩の
装甲は原形を留めないほど爛れる形に固まった。当然、中のシンジも肩に鈍い痛みを
感じ、顔を歪めつつアスカの攻撃を必死にかわすがそれ以上の策があるわけでもない。
痛みはそのうち引くだろうが、それだけではこの状況を打開できないとシンジは
感じていた。とりあえず避けるためにビルを利用しようと手近なビルに身を隠す。
だが、弐号機は建築物ごとなで斬りにしようとソニックグレイブを振り落とす。
ビルの瓦礫が舞う中で、手加減してくれても良いのにと苦笑いを浮かべて赤い機体を
眺める。だがその願いも通じず、なおも武器を振り回してきた弐号機にシンジは
ATフィールドで対抗。今まで出現しなかった光の壁にアスカは一瞬動揺する。
その隙をシンジは突き、赤い機体目がけて自らのエヴァを突っ込ませた。
巨体がぶつかり合い、激しい衝撃の中で彼は武器を持った弐号機の右腕を掴み上げて
背負い投げを打つ。同時に接触回線を開いてアスカに言葉を投げかけた。
「やりすぎだよっ、殺さない程度って言っただろう!」
開いた先から返答はすぐに来た。
「言ったでしょ!。アタシはマジだって!」
弐号機が地面に打ち付けられた。だが、通信の糸である腕は放さない。
「僕は使徒じゃないんだからっ!」
「アンタは使徒より始末悪いのよっ!」
弐号機が動きだし、腕を振り払おうとしたので、彼は更にきつく弐号機の腕を握った。
「そんなっ。トンカツ食べた仲じゃないか。喜んでくれたと思ってたのに」
「それとこれとは次元が違いすぎっ。こんな時に馬鹿なこと言わないでよね!」
赤い左手が拳を飛ばそうとしたのを見たシンジは、弐号機の右腕に雑巾絞り攻撃を敢行する。
「いたたた、痛いっ」
ある意味では腕をへし折るより、黙らせることに関しては効果的な攻撃。
流石の弐号機も動きが鈍くなり、途中だったパンチも初号機の頬を撫でる程度に弱まった。
「もう寿司もないんだ。僕らが戦う理由なんか無いだろ。模擬戦闘も十分だし。
 アスカの力も世界に見せつけたよ。なにしろ、僕の初号機はこの有様なのに、
 弐号機は傷一つないじゃないか。射撃の精度だって見事だったし、破壊力も・・・」
シンジは言葉の途中だったが、彼の声をアスカの悲鳴に似た声がかき消した。
「や、やめてっ!。千切るつもりっ!!」
彼女の鬼気迫る声に初号機の腕が更に赤い腕を絞り上げていたのを知って力を落とす。
「あぁ、ゴメンゴメン。ここまでやるつもり無かったんだけど」
スピーカーから安堵の吐息が流れた。当然だろう、弐号機の腕を覆うラバーに
描かれたEVA2の文字が歪んで戻らないほど絞られていたのだから。
「ごっ、ゴメンじゃないわよぉっ!!」
高性能なスピーカーの音が割れる程の怒声に、彼は身をすくめて笑って
誤魔化すしかなかった。もっと酷い事したくせにという言葉は飲み込むことにして。
その光景を上から見ていた王女はEVAの動きが止まったのでオペラグラスから目を離す。
「バリエーション豊富なプログラムですこと」
隣にいたピーターに、にこやかな視線を向ける。だが彼はあまりいい顔はしていない。
「中尉殿、過ぎたことは忘れよ。ここが無傷なのが計算されていた証拠です」
「はぃ・・・」
「・・・とはいえ、立場上困るでしょう。形式だけの抗議なら許します」
そんな会話の最中に、黒スーツのベルギーSSが入り口から入ってきた。
彼は王女の右斜め後ろまで来ると腰を落とし、押し殺した声で王女を呼んだ。
その声に王女の視線が向くのを確認してから、封筒を彼女に差し出した。
「戦自護衛部隊司令部からです」
彼を横目に王女は内閣官房の印で封じられた封筒と、添えられたペーパーナイフを
手に取りナイフを入れた。傍らのピーターと先のSSが見守る中、王女は中に入った
一枚の書類を封筒から取り出す。だが、その紙は白紙だった。王女は怪訝な顔で
封筒の中を確認するがその紙しか見えず、ピーターと顔を見合わせる。
「何かの間違いでしょうか?」
「封もされていたようですし・・・。おい、これを持ってきた者はどうした?」
「任務に戻ると出て行かれました。特に引き留める理由もありませんのでそのまま」
「でしょうね。司令部からの封書だというのは間違いありませんか?」
「はい、コードも間違いなく。届けたのも司令部直属の692普通歩兵隊員でしたので」
王女は一度小さく吐息を吐き、胸の内ポケットからペンを取りだして封筒の表側に
サインを書き込んだ。中の白紙にも確認文と共にサインを書き込む。
そしてそれをSS隊員に差し出して命令を下す。
「先方の司令部まで出向き、事情を説明して伝達事項を確認して下さい。
 重要な事項かもしれませんから至急に頼みます。よろしいか?」
最後の一言はピーターに向けられたもの。彼も王女の提案に賛成し首を縦に振った。
もう一方の封筒は李・メイファに手渡されようとしていた。
王女と共にあったメイファだったが封筒が司令室に届けられた為に、呼び戻される形で
彼女は司令室に足を向けた。司令室はホテルの10階に特設されたもので、
通信士が一人と、一人の護衛隊員がいるだけ。今はそこに橘を加えた3人が待機している。
そこに彼女は顔を出すと、副隊長の橘が彼女を出迎えて封筒を手渡す。
頬を膨らませながら、カッターの刃を封に入れていた彼女は橘に話しかけた。
「あ〜ぁ、せっかくイイとこだったのに」
「いいとこ?。・・・あぁ、NERVの模擬戦闘の事ですか」
「そ、凄いの。撃って弾いて格闘してと、三拍子揃ってて『イチロー』も真っ青」
「は?。いちろー、ですか?」
「今年ベースボールワールドチャンプになった鈴木監督って言えば分かる?」
「え?。あっ、あ〜なるほど」
本気で分からなかったらしく、笑顔で頷く橘に彼女が空笑いを向けた時に封は開封された。
そして初めてまともに封筒を表、裏と見る。
表には自分の名前、裏には内閣官房の印。それを見た時僅かに口元が緩んだ。
中から一枚だけ入っていた紙を取り出し、印字された文を読み始める。
目が文を追う様な素振りを見せる彼女を橘らは見守った。そして読み終わると、
落胆の色を顔に浮かべながら息を吐き、肩を落としてメイファは呟く。
「む〜、藤堂さん事後処理どうする気なのかな」
彼女は眉に掛かった青い髪をいじりながら橘に封書と紙を差し出す。
同時に通信員に近寄り通信の状態を聞く。
先程から少し調子が良くなってるが成否は分からないと報告される。
ダメで元々と通信を入れさせると、状態はノイズ混じりで良くないもののなんとか繋がった。
「神尾長官と交信希望、伝えて」
書類を読み終えた橘の上擦った声が彼女の声に被さり聞こえてくる。咄嗟にメイファは
自分の唇に人差し指を押しあて、静かにしろと諭す。彼もその態度に渋々口を噤んだ。
長官は、思いの外早くモニタに映し出された。簡単に自己紹介をした後、寄ってきた
橘から封筒を取り上げて、カメラの前に掲げる。
「神尾長官、これに間違いありませんか。正式な命令書と受けてよろしいのですか?」
『ああ、正式なものだ』
「わかりました」
メイファは目の前でその封ごと命令書を二つに破り去った。
彼女以外の全員が驚く、モニタの先の神尾も例外なく。
対する彼女はカメラに微笑みながら紙をクシャクシャに丸めた。
「私は榊防衛庁長官より王女殿下護衛の任を与えられています。任務を榊防衛庁長官に
 解除されぬ以上、大罪人とはいえ守る義務がありますし、最優先事項です」
『だが、これは総理からの正式な要請なんだぞ。それを・・・』
「はい、署名を見れば分かります。でも私達は特命を受けてますので・・・。
 護衛される等のご本人、王女殿下に下がれと言われても聞かない私ですよ。
 無関係筋からの命令を聞くはずありませんわ」
『無関・・・。しかし、私達は殿下の身柄を拘束しなければならない。
 だが貴官は守ると言う。それがどういう結果になるかお解りか?』
「はぁ、一応は。・・・とりあえず、私達の態度は先程申し上げた通りです。
 あとは殿下と直接交渉して下さい。鉄砲出すのは最終手段でお願いしますね」
そう言いながら、彼女は微苦笑を浮かべて頭を掻く。
『君は王女を守るためなら戦自の同志が殺し合うのも厭わないと言うのかね?!』
眉を釣り上げる神尾に対してメイファはにこやかに応対するが、言葉はストレートに刺さる。
「あの〜、ブシツケですが力技で来るより総理から榊防衛庁長官に話通してもらった方が
 皆さん幸せだと思うんですけど、何か問題あるんですか?。榊長官の指令があれば、
 殿下だろうが陛下だろうが野良猫だろうが李家の名誉に賭けて拘束いたしますのに」
神尾はまだ説得しようとしたが、横にいた藤堂が無駄だと言って彼を制止させた。
そして、モニタには神尾に代わって藤堂が入り、メイファは笑顔で彼を迎えた。
『お久しぶり、メイファ君。父上の葬儀以来かな。ご立派になられた』
「どうもです。藤堂さんはあの頃から立派でしたからあまり変わってませんね」
『さて、志を一にする者が抗うなど愚の愚です。王女を渡せばそれで済むことですよ。
 そうすれば全てが丸く収まります。私を信じて考えを改めてくれませんか?』
「私の行動は榊さんの特命を得てのもので、改めろといわれてもちょっと」
『特命、ですか。榊がSS隊長に貴女を推した意図を理解できないとは思えないのですがね』
「あの〜。命令書、これ以外に何を以て心の底を察すればよいのでしょう?」
「記録に残っては困る物もあるのですよ、上に立つ者は尚更にね。
 貴女がその位置で兵を持っているのが何を期待しているのかを物語っているでしょう?。
 愛国心溢れる兵士の同士討ちを望みますか?、あの榊が」
「ん〜、確かに望まないでしょうねぇ。・・・では、榊さんに心情に沿った命令書を
 出してもらってください。榊さんは王女を消したがってるんだ、と藤堂さんは仰いますが、
 今ある情報ではとても信じることはできません。化かし合いの極意は今度ご教授くださいな」
彼女の言葉に藤堂は僅かに眉間にしわを寄せ、一瞬沈黙する。
だがすぐに、彼本来の柔和な顔に変わった。
『傀儡の貴女らしい言葉だ。
 これだけ命令に従順なら父上を作ったロシアの連中もさぞお喜びでしょう』
そう吐き捨てた彼にメイファは微笑みを向ける。
『いいでしょう。既に殿下には貴女に送ったものと同様の書簡を送りました。
 2時までに出頭しない場合は力で拘束する予定になっています』
メイファは腕時計を見る。1時半の時刻を指していた。
『穏便に事を済ますのが一番ですが、むしろ戦闘になった方が好都合な事があるのも
 事実なのは貴女も周知の通り。よく考えて結論を出すことを望みますよ、李隊長』
藤堂の言葉の最中、メイファの笑顔が初めて消える。彼の言葉の裏からオランダ語の
声が聞こえてきたからだ。語学が堪能な彼女が殺気だったその声の意味を
理解しての態度だった。そして一発の銃声で声は途絶えた。
その事で初めてメイファの顔色が変わり語気が強まる。
「なにしてるんです!」
今度は藤堂の口元が緩んだ。その彼らの態度に、事情の見込めない橘らは
隊長であるメイファの変貌を唖然として見つめていた。
『何をしてるといわれても、総理の代理で現場』メイファの声が続きを掻き消す。
「オランダ語の人ですよっ。彼は王女殿下の勅使じゃないんですかっ?!」
『あぁ、あの暗殺者ですか。高貴なお方は汚い手の打ち方が上手でいらっしゃる』
「暗殺者?」メイファは先程の男の言葉を流暢なオランダ語で藤堂に聞かせてやる。
「わざとそう言ってるなら趣味悪いですよ、藤堂さん」
メイファの言葉の最中、藤堂は脇から差し出された封筒を手に取った。
『我が方の書類に難癖つけて近づき、私に銃を向けたのです。顔に似合わず怖いお人ですな』
彼はZIPPOを懐から出すと、その封筒に火を放つ。瞬く間に炎は封筒を焦がした。
モニタで映る位置に置かれた灰皿にそれを移し、立ち上る炎はメイファにも見てとれた。
「どちらにせよ、拘束した者をその場で射殺したんですかっ?!」
『私は殿下の打った手段に沿った対応を行っているだけです。表立って
 困るのはあのお方でしょう。利口な身の振り方を貴女も考えるべきですよ』
「ちょ、まだ話は終わってませんっ」
ブツッと切れたモニタにかじりつくように言葉を飛ばす。無駄と分かり、再度通信を
入れさせようと通信士に鬼気迫るメイファがにじり寄る。だが、一向に繋がらない。
その結果を受け、やはり藤堂に無視されるかと早々に諦めて隣の橘に言葉を振った。
「橘さんは王女殿下を捕らえるのを是と思いますか?」
「いえ、捕らえるのは反対です。ですが護衛のため戦自に矛先を向けるのはどうかと」
「でも今の所は殿下に動きがないみたいですね、覚悟が必要かもしれません」
橘の顔色が無くなってゆく。自分も眉をつり上げていたのに気付いて顔の力を抜いた。
「今投降すれば恐らくあちらが勝ってもお咎め無しでしょう。私と共に王女を守るのが
 嫌なら投降しても構いませんよ。あ、そうだ。橘さんは隊員に意志を聞いてきて下さい。
 私は殿下に真意を問いに行ってきます。時間がありませんから至急にお願いできます?」
メイファは床の上に転がる先程の命令封書を拾うと司令所の扉に足を向ける。
「あっ、た、隊長」彼女が振り返るのを見て言葉が詰まった。彼女が笑顔を向けたからだ。
「頼みますね。45分にここで落ち合いましょう」
そのまま足早に退出していった彼女を橘はただ呆然と眺めるしかなかった。
扉を10秒ほど凝視していた彼は思い出したように口を開く。
「ところで、お前達はどうする?」
橘の問にメイファのような立場表明をする者はなく、それは彼も同じ。
その事を通信士に突っ込まれた橘は、その者に一喝すると警備中の兵員の元に向かう。
地に足が着かない感覚が彼の胸を締め付けながらも足を早める。その方が楽になれた。


『だってジロー、私には届いてないもん。信じられないよっ』
「隊長からの命令なんだよ、間違いないんだ」
接触回線で彼女と繋がるヘッドホンはそれきり声を発しない。戦闘となればマナは
無線通信できない状態にして殻に閉じこもるかもしれないと彼は思っていた。
「僕らはNERVの人型兵器を抑える任務。作戦開始時刻の13:40までに
 ゴロウと合流する。もう時間がない。行こう、マナ」
足のホバーを効かせて移動体制に入ったバース2だったが、マナのバース3は
動きを見せなかった。無理ないかとジロウは思ったが、放っておくわけにもいかない。
「僕らと行動した方が安全だから、蕨隊はアテに出来ないって隊長が言ってたし。
 大丈夫、ボクがマナを護ってやるから一緒に行動しよう」
貝になったマナから返事はなく、やるかたない彼の通信機にゴロウが割り込んでくる。
『高須、ほっとけ。どうせ元々戦力構想から外れてるんだからな、そいつは。
 囮になればそれで十分だろ』
彼はマナにこの通信が漏れた影響を不安に思いながらバース3との接触を断った。
「お前を見捨てたりはしないが、マナだって見捨てる気はない。黙って待っててくれ」
『とりあえず、そいつの通信機をなんとかさせろ。お前はとっととこっちに来ればいい』
「何言ってるんだよ。戦場に女の子一人置いていけないだろ」
『少しはアタマ使え!、軟派野郎!』
怒声が響くと同時に通信モニタが消える。彼はマナのバース3を一瞥すると。瞼を閉じた。
胸の前で小さく十字を切った後、瞼を開いたジロウは一番にホバーのスロットルレバーに
視線を移し、それに手をかけた。最後に、ジロウはバース3との接触回線を開く。
「マナはここにいて。でも、通信だけは開けておいてくれないかな。それと、これを」
ゴロウはコクピット右にあるキーボードに指を走らせバース3にデータを送りこむ。
「NYA製のウイルス、必要に応じて使って。マナは本部から通信が来ても
 NERVの電子破壊工作を受けたと言い訳すればいい。
 点滅しているボタンを押せばバースの操作系を破壊できるから。分かるよね?。
 あと、何かあったらすぐ僕に言って。必ず助けにくる」
だが、シートの上で膝を抱えて小さくなっているマナは黙ったままで、
確かに右側で点滅を始めたボタンを虚ろな瞳で眺めていた。

全てをメイファから聞いたとき、シュフィル・アルベイルはこう答えを出した。
「行きましょう。法治国家で武力を手段とすることはありません。
 こちらはやましい行いを何一つしていないのですから」
それにメイファは反対。彼女は長くて二時間が藤堂に与えられた時間だと思っていた。
そこまで守護できれば、戦況は大きく王女側に有利となる。それくらいならなんとか
護りきれる自信がある。それだけに、使者を葬ったような連中に王女を引き渡すことなど
出来なかったし、何よりメイファにとっても、総理が軍を動かしたという実例が
欲しかった。それは王女とて同じの筈だと思っていた。だが、王女は首を横に振ると
ピーターを連れて部屋を後にしようと準備を始めた。戦自が配備していた機甲部隊、
第二機甲師団の主砲が王女のいるフロアに照準を合わせていたことを知ることもなく。
オレンジを基調とした法服の上から、白いコートを着ようと手を動かす王女に
メイファは詰め寄っていく。できれば言いたくなかったことではあったが、
他に良い案も浮かばなかった。周りにベルギーのSSが大勢いる時に言う方が
効果的とメイファは睨み、決断した。
「相手は本気です。現にベルギーの人が理不尽な理由で彼らに殺害されているんですよ」
「ベルギーの人?。しかし、そのような報告は聞いていませんが」
「先程仰っていた使者でしょう。司令本部と通信中、漏れ聞いたのですが」
そう言って、彼の最後の言葉をオランダ語で話す。その内容に王女の顔色が変わる。
ピーターや、周りにいたSS隊員も生々しい言葉に同様の仕草を見せた。
「銃声の後で、声は途絶えました。
 問いただすと、王女殿下が送った暗殺者を処刑したのだと嘯きました」
「暗殺者などと!。ヤツは殿下の書簡を届けるという使いを遂行しただけだ!」
「はい。暗殺者云々というのは司令部の擬制でしょう。それは彼の最後の言葉からも」
「そんなことよりメイファ、かの者は殺害されたのですか?。間違いなく?」
「残念ですが。銃声の後、悲鳴もありませんでしたし」
「・・・なんということ」
王女は呆然とメイファを見つめる。というより、彼女の方を眺めているだけ。
「使者は殿下の代理。彼らから見たら使者の命は殿下のそれと同義でしょう。
 然るべき場で裁きをと仰いましたが、彼らに同道すれば国連本部は言うに及ばず
 この地から離れることもできないでしょう。
 死人に口なし、歴史は彼らのいいように書き換えられてしまいます」
彼女の言い様にピーターが色めき立つが、王女がそれを制す。
王女は深呼吸をすると、青い瞳を部屋の出口に向ける。
その瞳は先程垣間見せた悲哀に満ちた瞳ではなく、いつもの凛とした瞳に戻っていた。
先刻までの喧噪が嘘のように静まり返る中、王女は白いコートを翻して出口へ向かう。
「ま、待って下さい。どちらに行かれるのですか?!」
メイファが王女の二の腕を掴んだ。振り返った王女の目は冷徹で、彼女は思わず息を呑む。
「それを聞いては尚更ここにいるわけにはいかないでしょう。彼らの狙いは私一人。
 白紙の書簡に在るべき動きをしてみましょう。どう出るか楽しみです」
「そんな、結果は見えてます!」
「メイファ、彼らはNERVをも同時に葬るつもりでしょうか?」
「えっ?」
「この状況で怪しい動きを見せればNERVも黙ってはいないでしょう?」
「それは・・・NERVが動く前に目的を達する自信があるのではないかと。
 もしくは、裏取引があるのかも。NERVがどういう組織であるかは御存知の筈です」
メイファが思案の面もちで出した言葉を受け、王女は冷笑を浮かべる。
「己の衰退を認識する良い機会になることでしょう。
 魔女に波紋を広げるきっかけとなるのであればこの命、惜しくはありません」
王女の言葉の意味を理解できず、当惑するメイファを横目に続ける。
「それに、そこまでの決意でベルキーの王女でしかない私を消そうというのなら
 むしろ光栄というもの。シーラ陛下がいれば安心して世界をお任せできますし、
 その礎になれる事に感謝を」
「礎なんて!。こんな所で力尽きては犬死同然です!」
王女は自分の腕を掴んでいた彼女の手をチラりと見る。
「メイファ。たとえ貴女でもこれ以上の無礼は許しません。さがりなさい」
それでもメイファは王女をまっすぐ見たまま手を離そうとしなかった。
仕方なしに王女はピーターに視線を向けた。彼は懐から拳銃を取り出し、メイファの
こめかみに押し当てる。本気でないことはメイファも承知だったが、ここまでされては
手を引くしかない。青い瞳に冷たさしか感じられないままでメイファは王女の腕を放す。
王女の真意が伺えず、憂色の面もちで見つめるメイファ。
「貴女方の任は榊殿に変わり、私の名において解除します。あとは御随意に」
王女は彼女の横をすり抜ける。ピーターも、唇を噛むメイファを一瞥して
王女の後に続いた。暫く廊下を歩くと一行の目にエレベーターが見えてきた。
一行に先駆けて、ピーターはエレベーターを呼ぶボタンを押す。
だが、間違いなく押したはずだが手応えがない。
エレベーターの階数表示の掲示を見上げたが、ランプが点っていない。
「動きませんよ」
王女らが声の元に振り返るとメイファが映る。
「御前に参上する際にベークライトで固めてしまいました。
 殿下がそのようにお考えになるとは思いもしませんでしたので・・・」
萎れた彼女に、王女はエレベータの扉に手を置きながら言った。
「適切な判断ですよ。この建物の構造を見ればこの空間は危険ですもの。
 幸いにして、時間にも余裕があるので非常階段を使いましょうか」
自分に微笑みかける王女を見て、メイファの顔もパァッと明るくなる。
「はい。それならこちらへ」
メイファの誘いに応じて王女が第一歩を踏みだそうとした時、
その目の前にピーターが割って入る。
「あの者、信用出来かねます。それにあの変わり様、なにかあるのでは?」
王女の耳に寄せた彼の口から発せられた言葉に、シュフィルは口元を緩める。
「大丈夫ですよ、彼女なら。中尉殿は心配性でいらっしゃる」
ひそひそとそれだけ言うと、王女はメイファに向けて保留していた一歩を踏み出した。

世に名高い関ヶ原の戦の火蓋を切った井伊直政隊の最前線の兵士がどのような思いで
あったのかは今となっては知るのは難しい。残っているのは、よくて一軍の将の
言葉のみ。今回も、ある者が戦車の主砲をベルギーの第一王女に向けて
放ったのが始まりだった。今回も、彼の心情を綴った通信は残されていない。
彼の名は、記録から3名まで絞ることができた。だが彼らは全員語る思想を持たない。
唯一、彼が所属していた戦自機甲中隊の隊長である結城が攻撃命令と共に
残した言葉が最下級指揮官の言葉として国連が持つ記録の中でも注目されている。
「変革に弱腰の参謀など無用。米欧に世界を創造させないために、迂愚な臣の血を以て
 我らの決意と存在を老いぼれ共とシーラ陛下に示さねばならん」

つづく


付録・「BOSS」第3話制作データ

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