♪  ♪  ♪  ♪

  う〜んと・・・こんにちは、かな?それともこんばんは?

  え?僕は誰かって?

  まぁ・・・一応自己紹介しておくね。

  杉山知子さんの飼い猫をやっているショコラって云うんだ。

  知子さん・・・まぁ、『ともちゃん』って呼ぶ事にするね?・・・が付けてくれた名前だけど良いでしょ?けっこう僕も気に入ってるんだよ?なんていう意味かは知らないけど・・・でも僕の毛の色がそんな感じなんだって。

  飼い主のともちゃんは中学三年生、いわゆる受験生ってやつ?

  まったくね・・・人間の事は良く解らないよ。好き好んで苦労するなんてね。

  そーゆーふーに自分から辛い目にあいたがるヒトの事をサドって云うんだったっけ?え?違うの?ふ〜ん・・・・・・人間の事って僕には難しくってよくわかんないよ。僕みたいな自由気侭な生活に憧れる事ってないのかなぁ。

  これは・・・そんなともちゃんのある日の物語。

  ちょっと付き合ってくれると嬉しいなぁ。

 

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気持ち、伝わりますか?

かいたひと:てらだたかし    

 

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  ばたん!

  「ただいまっ!」

  どたどたどたっっ

  ともちゃんが帰ってきたみたいだね。

  いつもながら乱暴な・・・いや、ここは元気が良いって云った方が良いのかな?・・・音を立てて僕の目の前を通っていく。

  長いことともちゃんの飼い猫やってると、ここでともちゃんの脚に蹴られない様にするタイミングも掴めてくるんだよ。ここに貰われてきたときなんか何度蹴飛ばされそうになった事か。一度なんか思いっきり僕のお腹にともちゃんの脚がクリティカルヒットしちゃってさぁ・・・意識が飛びかけたよ。あのキックは世界に通用するね、うん。

  ばたんっ、と再び盛大な音を立ててともちゃんは自分の部屋に入って行った。

  僕は少々待ってからともちゃんの部屋に入ることにする。

  前にねぇ、ともちゃんが部屋に入ってすぐ僕も入ったら(もちろん僕専用の入り口からだけどね)着替え中でクッション投げられちゃった。もー少しで窒息死するところだったよ。そんなことがあったから学習したんだ。僕だって学習するんだよ?馬や鹿とは違うんだから。

 

  そーっと部屋に入るとともちゃんはベッドに寄りかかって本を見ている。

  文庫本よりも少し大き目の本。しかも結構薄いのを何冊も横に置いて読んで・・・・・・ない。

  心なしか、って云うよりも明らかに不機嫌そうな顔で本を手に持ったまま真正面の壁を睨んでる。そこに大きなポスターがはってあってその向こう側に誰かさんが大きな穴あけちゃったんだけど、それは僕とともちゃんだけの秘密。

 

  「まったくさぁ・・・なんであんなこと云うんだろうね、あいつは」

  ともちゃんが『あいつ』って呼ぶのは親友以上恋人未満と自他ともに(?)認める荒木すぐる君のことだ。・・・彼も『すっちゃん』と以下呼ぶことにしよう。

  最近ともちゃんとすっちゃんは上手くいっていないみたいなんだ。もちろんこの二人に絶交と云う言葉は存在しないみたいなんだけど、仲が良いにこしたことはないよねぇ。ああいうのを痴話げんかって云うんだったっけ?見てても楽しいものじゃないしね。最初はすぐに終わるのかと思ってのんびり構えていたんだけど、今度のは長引きそうなんだよね。

  ともちゃんはそんなふうに機嫌が悪くなるといつも本を読むんだよ・・・って云うか・・・さぁ、受験生なんでしょ?もうすぐ年も越すと云うのにそんな事してて・・・良いの?

  僕の心の声が届いたのかどうかは知らないけど・・・・・・いや、本を寝そべって読み続けているんだから聞こえてないんだよね?本格的に読み出しちゃった。

  まぁ、良いや。僕も本読むのはキライじゃないしね。・・・あ、ひょっとして僕に本なんか読めるのか?って、思ったでしょ!?疑ったでしょ!?

  失礼な・・・僕だって本くらい読めるよ。生っ粋の日本猫なんだから漢字くらいお手のものだよ。え?日本猫なのに名前がショコラじゃおかしい?もぅ、いちいち煩いなぁ・・・いいじゃない。僕が気に入ってるんだから。

 

  女の子なのに・・・って思わず云いたくなる様な格好で寝ッ転がっているともちゃんの背中に乗ると肩ごしに僕はともちゃんの手元を覗き込んだ。

  ここがね・・・すっごく気持ち良いんだよ。ともちゃんがあったかくて・・・ほら、僕って猫でしょ?今みたいな寒い時期はあったかいところにいたいんだ。

  それにね、何よりもともちゃんの近くにいられると云うのが・・・嬉しいかな?

  ときどきともちゃんが僕の喉元をくすぐるから、ごろごろって咽ならしてみたりね。可愛く鳴いてみせたりするのはちょっとサービス。

  とにかく、僕も本を読み出した。ただ・・・・・・ともちゃんの本の読み方には変な癖があってね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「あぁ・・・どうして僕ってこんなに運がないんだろう・・・?」

  僕は思わず呟いた。

  僕・・・小鳥遊っていうんだけど、『たかなし』だからね?『ことりあそぶ』じゃないよ?・・・一応23歳大学でたての小説家なんだけど、今日何度めか判らない溜め息をついた。

  今僕が書いているのは、破局を迎えてしまった世界から再び立ち上がろうとする人たちの話なんだけど、まったく同じネタで書いてたヒトがいたみたいなんだ。

  しかも・・・僕よりもずっと名前の売れている、いわゆる大御所の先生。

  僕と同じ様な新人だったら担当さんから話を聞いた時点で競作って形で本にしてもらうって事もできたんだけどねぇ・・・・・・まさか大御所の先生にそんなこと頼むわけにはいかないでしょ?この業界も『一応』実力本位だけど影では先輩後輩みたいな関係が結構あるしね。

  ネタがダブっちゃったのはこれで三回目。

  こうなるとねぇ・・・もうつくづく運がないんだって思わない?ほとんど悟りの境地だよね。

  この世界も先に書いたものの勝ちだからさ、後から書いた人間がどうこう云っても単なる負け犬の遠ぼえだよね?解ってる、解ってるけど・・・・・・(涙)

  諦めがついた僕はプロットを書いた紙とともにデータの入ったディスクをゴミ箱に放り込んだ。いつまでも未練がましくしてても何にもならないからね。どれだけ努力したか、じゃなくて純粋に結果だけ求められる世界だから。そんなのが僕が首突っ込んだ世界なんだから。

  しかたない、今度はファンタジーものにでもしてみようかな・・・

  ぼーっとこの先の事を考えながら僕はデスクトップパソコンのディスプレイを睨み付ける。

  極彩色のアメーバみたいな模様がうにょうにょ動いてる。まるで出口のない迷路で彷徨っている僕みたいって云ったら・・・かっこ良すぎるかな。

  はぁ・・・もうスクリーンセイバも解除する気にならないや。

  しかたない、こんな気分でキーボードに向かったって大したものが書けるわけじゃないんだ。妥協ってのは僕がこの仕事に関して最もしたくない事のひとつだしね。

  僕はキーボード右上の三角マークの入ったボタンを叩く。

  最近買い替えたばかりのタッチの良いキーボードがカタッと小気味良い音を立ててディスプレイにウィンドゥを表示させた。僕は表示を見もせずにリターンキーを押して電源を落とす。本体からの信号がなくなった事でディスプレイの方が節電モードになってるけど僕はそのまま放っておく事にした。この節電モードって云うのも『使わないんならさっさと消せ!』って暗に迫られているみたいで好きになれない。

 

  ふっと気になったサイドテーブルのコーヒーはカップの中で既に冷えきってるし、コーヒーメーカも空のままで保温状態になってる。電気の無駄かも・・・・・・まぁ、ここは電力会社の利益に貢献したと云う事でお茶を濁しておこう。

  流しに冷えたコーヒーを躊躇いもなく捨ててからもう一度コーヒーを煎れようとして・・・・・・やめた。

  イライラしてるから胃によろしくない。それに昨日からまともにご飯も食べてなかったっけ。あんまり不摂生にしてるとまた担当さんに怒られちゃうな。この前も体調悪くて無理を云って締め切り伸ばしてもらったばかりだしね。

 

 

    ぷるるるる  ぷるるるる  ぷるるるる  ぷるるるる  ぷるるるる

 

 

  手持ち無沙汰なところに・・・電話がかかってきた。

  新しいネタは出たかって云う担当さんの催促かなァ?いや、催促ならまだましか・・・気が抜けるぐらい明るい呼び出し音なのにそれとは逆に僕の気持ちは思いっきり暗くなる。携帯じゃないけど着信音変えてやろうかな。いっそのことベートーヴェンの運命か何かに。・・・・・・できるわけないか、そんな事。

  少し、換気の為に開けた窓から入った風がさらりとレースのカーテンを揺らした。そのカーテンがまだふわふわとただよっているうちの僕は受話器を取る。十分すぎるほどの換気の済んだこの部屋は結構雰囲気が変わったかも知れない。さっきよりは僕の思考もまともになっている。適度に前向きになってるし・・・単なる自暴自棄になってるだけかな?

 

  「はい、小鳥遊ですが」

  『なによぉ、せっかくこのアタシが電話かけてあげてるって云うのにそんな声しなくたって良いじゃないのよ』

  「はいはい、なんですか、担当さん」

  『もぅ、友永陽子っていう名前があるんだから『とーちゃん』って呼んでって云ったでしょ?

  たっくんも照れ屋さんなんだから・・・』

 

  頭痛がしてきた。

  僕ははっきり云ってこの担当の友永陽子さんが苦手だ。

  端から見てると非常に仲の云い作家と担当らしいのだがこの無茶苦茶な性格はどうにもならないし。

  これでいて某大財閥の跡取り令嬢というのだから世の中間違っているって思わない?

  出来る事なら深窓の令嬢のイメージを壊して欲しくなかった。もちろん・・・・・・深窓の令嬢のイメージそのまんまのヒトが担当になってもいろいろ波瀾はあったに違いないけど・・・・・・実はそっちの方が怖かったりする。もっとも現状に感謝する気にもならないけどね。

 

  作家と担当と云うだけならまだましだ。週に1度逢うか逢わないかの関係なのだから。

  ところがこの友永さんは何を間違ったのか僕に求婚しているらしい。

  ・・・『求婚している』と断言してしまうと僕の精神衛生上よろしくないからあえてぼかしてある。自分自身に確定ではないと云う事を信じ込ませる事で辛うじて意識を保っていられる様な危ない状態だったりする。

  当の本人がこんな感じなのに彼女の御両親は諸手をあげて賛成しているらしいし。・・・これも精神衛生の(以下略)

  世の中何処か確実に間違っている・・・・・・

 

  『だ・か・らぁ、アタシは早くたっくんのお嫁さんになりたいって云ってるでしょ?

  ほらほら、ウチの親だって婿養子じゃなくても良いって云ってくれてるし、お父さんなんかさぁ、たっくんの事一目で気にいっちゃったし、ね?

  早く孫の顔が見たいって云ってるしぃ・・・・・・親孝行したいじゃない。たっくんもそう思わない?』

 

  受話器から30センチ、これが今の僕の耳のある位置。

  それでも喧しい。いっそのことスピーカホンにでもしてやろうか・・・・・・いや、そんな事をしたら先にスピーカの方が出力に耐え切れなくなるのがオチだろうね。

 

  彼女が云いたいことを云い切ったのか、不意に僅かな沈黙が生まれた。

  「すいません、担当さん。

  まだプロット組めてないのであと2、3日ほど待ってもらえませんか?

  それだけあれば構想もまとまると思うので・・・」

 

  僕は彼女が一息ついたところで云った。この僕の方から言葉を発するタイミングも我ながら神業だと思う。何処で途切れるのか予想して当てるのは難しいしね・・・・・・・

  もうそろそろ彼女の強引な意見に対してこっちの意見を云う気も失せてきてるんだ。

  結婚に対してかなり現実的な意見を持っている僕としてはごめん被りたい。こんな仕事してるとさ、もちろん結婚とか恋愛をテーマにしたものも書くけど・・・・・・そんな都合良くいくわけないでしょ?

  勇気を出して好きなヒトに告白したら「ごめんなさい」みたいなのが普通でしょ?ほらほら、そこの頷いてる貴方、解りますよね?やっぱり経験してるヒトは理解が違うね・・・・・・って、いかんいかん誰と話してるんだ、僕は。

 

  『ふ〜ん・・・そっか・・・たっくんアタシにそう云う態度取るんだ・・・

  まぁ良いわ。来週の月曜日に・・・たっくんの家で良い?それともウチに来る?』

  「出来たら僕の部屋の方が・・・」

  『判ったわ。あぁ、そうそう。ついでに婚姻届の用意も・・・』

  「しませんっていってるでしょ!?

  それから妖し気なセキュリティ関係のヒト連れてきちゃダメですよ。近所の人たちが思いっきり引いてましたよ、この前」

  『はいはい、分かりましたってば。じゃあね〜』

 

  この付近には打ち合わせをするのに都合の良い喫茶店の類がない。

  しかたなく一度彼女の家に行ったら待ち構えていたらしい彼女の両親親戚一同に紹介されてしまった。

  ホント、感想としては「親子だなぁ・・・」と云ったところか。妙に納得した気分だけが記憶に残っている。

  更に何処で打ち合わせをやるのかと思ったら彼女の寝室(まさしくベッドとサイドテーブルを置くためだけに存在している、存在自体が僕には信じられない様な部屋だった)に引っ張りこまれてしまったので、それ以来彼女家には行かない事にしている。

  間違ってもそんな事をしたら僕の一生は棒に振られた事になってしまう。

  あぁ・・・それにしても来週までにプロットは組まないといけないし・・・彼女は仕事にはしっかりとしてる人間だからなぁ・・・出来てないって云ったら『手伝って』くれるんだろうな。しかも懇切丁寧に。

  その方法は考えたくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  僕の両親は・・・・・・気づいたらいなかったって云うのが正しいと思う。

  戸籍上はいたんだけど、世間一般に通用する様な『家庭』とは無縁だった。

  小学校とかで家庭訪問ってあるでしょ?

  あのときだけは父親も仕事休むまでしているんだよ?

  普段しっかりしてないけど他のヒトにはそんなふうには思われたくないからって感じで。そうすると先生は決まって云うんだ、優しいお父さんお母さんで良かったね、って。

  いつも他人のことを表面だけじゃなくて内面を見て評価しなさいって感じのことを云っているヒトとはとうてい思えない。しょせん偽善者か・・・って思ったのかも知れない。多分このときが最初だよね、決して教師の云う事が正しいわけじゃないんだって悟ったのは。もっとも小学一年生の幼い知識はそれを的確に表現出来るだけの語彙を含んでいなかったけど。

  それに・・・授業参観の時なんかわざわざ僕に手紙を持たせるんだ。

  『ウチの子の様子を見てやれなくてすいません。よろしくお願いします』みたいなことを書いて。

  最初の頃・・・1年生の頃は夢じゃないのかって、僕にも優しい親がいたんだって思った。信じてて良かったって、一瞬だけ思った。

  けど・・・違ったんだ。

  優しい両親を『演じて』いたのは僅かに30分。

  暴力を振るうわけではない、両親の仲が悪いわけではない。ただ・・・・・・僕の事を見る目が異常なほどに冷たかった。

  疎まれてるって、肌で解るほど。

 

  でも人間ってけっこう強いんだね?

  慣れちゃった。

  思い出すだけでも嫌な思い出だけど・・・・・・でもそれを苦に自殺なんかしないよ、きっと。

  あの夜流した涙のことも・・・あの日絶対に忘れないって思った哀しさのことも・・・もう忘れちゃった。

  哀しいかも知れないけどこうやって人間って変わって行くのかも知れないね。

 

  変わる事って、悪い事かな?

  変わらないって事は・・・成長してないって事かな?

  僕はそうは思ってない。

  勿論変わらないためにも変わる以上に努力はいると思う。いつまででも小さい頃のままの純粋な心のままでいるヒトだってきっとどこかで努力してる。大人の心なんかにならないために。

  でも僕は・・・・・・自分が自分でいるために、変わった。

  あの日に僕は自分の感情を捨てなかったらきっと気が狂ってたと思う。だから後悔なんかしてない。

  誇りに思ってなんかもちろんいないけど・・・断じて、後悔はしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「おじゃましま〜す」

  「はいはい、汚いところですいませんね、担当さん」

  「だからとーちゃんと呼んでって何度も云ってるのにぃ」

 

  彼女の言葉を聞き流して僕は書斎に彼女を招き入れた。

  プリントアウトしてあるA4サイズの紙を渡す。今日彼女がかけている眼鏡は度が入ってないものだろう。いつも僕よりも視力が良い事を自慢していたのだから。

  ・・・・・・でも縁なしの気品のある眼鏡をかけているとやっぱりお嬢様なんだよね。彼女の外見に騙されてるヒトにはこの事実を告げずに夢を見させてあげるのが親切と云うものだよ、きっと。事実近所の人たちの視線を集めていたからね。

 

  黙って紅茶をいれている間彼女は一通り目を通したみたい。紙をテーブルの上に置くと僕の方をじっと見ている。それこそ僕の一挙手一投足を監視するかの様に。居心地が悪いのを通り過ぎてちょっと恥ずかしいね。

 

  「よろしければ、どうぞ。薬なんか入ってませんから」

  「ありがとう、たっくん。大丈夫よ、たっくんだったら襲われたって良いから」

  「何云ってるんですか・・・」

 

  薬なんか入ってないって云ったのは、前に彼女にいれてもらった紅茶に筋肉弛緩剤が入っていた事への皮肉。たまたま友人が獣医で安楽死用の筋肉弛緩剤の特有の匂いを知っていたから助かったものの・・・・・・大体その紅茶自体アッサムの様な香りの強いものだったら解らなかったに違いない。

  しかもそれを「冗談よ、冗談」で済ませられる彼女はどういう精神構造をしているんだろう?できる事なら後学の為にも一度拝見したいものだ。

 

  「どうですか、今度のは?」

  「うん。悪くないと思う。

  ・・・あ、アールグレイだったんだ。アタシの好きなのを煎れてくれたのね、ありがとう」

  「・・・・・・前はアッサムが好きだって云ってませんでした?わざわざアールグレイにしたんですけど」

  「ふふふ・・・たっくんの煎れてくれたお茶なら何でも好きよ」

  「はいはい・・・で、小説の方なんですけど、友永さんの目から見てどうですか?

  初めての試みなのでアドヴァイスとか貰えると嬉しいんですけど」

 

  僕がこういう話を始めると彼女は決まって真面目な顔になる。

  そう云う意味では最高の担当なんだと思うよ。

  大学だってT大学出てるんだから他にも就職先は逢った様に思うし、大体自分のところの会社に入ってしまえば良かったのにって思うのは罰当たりかもしれないね?

  ときどき僕よりもずっと大人びた顔するくせに僕と同じ年齢なんだよな・・・・・・天は与えるヒトには二物も三物も与えるものだって、最近知った。そしてそれが当然と思えるヒトが存在する事も。

 

  「そうね、猫で一人称をやるって云うのには・・・けっこう面白みがあると思うわ。だからそれに関してはアタシはたっくんの腕を信じるしかないと思う。

  問題は・・・せっかく猫の一人称を使うのにあえてファンタジーって云う世界を使う必要あるの?

  この世界のままでも充分だと思う。ほら、人間にとって当たり前でも猫にとっては凄い事って結構あると思うわよ?そのへん考え直してみてくれない?逆に今自分達が当然だと思っている事をおかしな事として捕らえてみる面白さもあるわね。

  そんなところは我が輩はネコであるとか・・・ちょっと参考になるかもよ?もっともあんまりマネしてるとか思うほど参考にしちゃったりすると困るけど。・・・・・・でも最近の読者って昔の名作に触れようとしないしね。関係ないかしら・・・・・・

  それに猫の動くのってみてても結構面白いわよ?そのへん・・・・・・誰かに借りてみて一緒に遊ぶと解ると思うけど、そんな雰囲気は欲しいわね。うん、その雰囲気だけは壊しちゃダメよ」

 

  このへんの発想っていったい何処から出てくるのだろう?

  自分で小説とかって書かないのかなぁ・・・もったいない。

 

  「はい、じゃあ・・・その線で書いて行けば良いですか?」

  「そうね・・・うん、たっくんの腕は信頼してるから、大丈夫。編集長の方にも掛け合っておくから心配しないで。

  締め切りは・・・あと60日、それがぎりぎりのデッドラインなんだけど・・・・・・出来る?

  勿論その中にはアタシも含めた数人の校正作業が入る事も忘れないで。だから・・・どう頑張っても実質45日で出来ないとアウトだけど」

  「はい、判りました」

  「じゃあこれで今日の打ち合わせはおしまいっと。あとはたっくんの原稿が出来てからね。もちろん毎日でも相談に乗ってあげるけど♪

  ねぇたっくん・・・」

  「駅まで送りますよ」

  「いけず〜、これからあそぼって云おうと思ってたのに・・・ねぇ、今日くらい良いでしょ?

  ほらほら、アタシだって今日はアイディア出したんだしぃ、まだお日さまは高いわよ?」

 

  それを云われたら僕は従うしかない。

  確かに・・・彼女がいなかったら僕は四苦八苦した挙げ句に目も当てられない様な惨状になっていたに違いないし。

  いつも編集長に無理云って通してれるのも彼女だし・・・いや、彼女の場合はバックが動いたのかも知れないけど・・・・・・この際助かってるのだけは確かだよね。

 

  「はいはい、解りました。今日はおつき合いしますよ、お嬢様」

  「だから、とーちゃんで良いって云ってるのにぃ・・・」

  「恥ずかしいから嫌です」

  「いいじゃん、アタシしか聞いてないわよ」

  「だから恥ずかしいんです」

 

  ポケットにいれていた右手に彼女の腕が絡まる。

  彼女の方が5センチほど身長は低いと思うけど、実際にはどれくらいなんだろう。

  背中まで届いたストレートの黒髪に何故か知らないけどフリルのついた真っ白なワンピース。これで喋らなかったら絵に描いた様なお嬢様なんだけどな・・・現実もそんなに上手くはいってくれないか。

 

  「で、何処に行くんですか?」

 

  少々強引に僕の手をとって歩き出した彼女に聞いてみる。

  無駄かも知れないと云う考えは少しだけあった。

  雰囲気に流されて無茶な要求を飲まされそうになった事も何度かある。

 

  「ふふふ・・・・・・い・い・と・こ・ろ!」

  「・・・・・・ホントですね?」

  「だからアタシの云う事をたまには信用しなさいって」

 

  この小悪魔みたいに可愛い顔していった言葉に何度僕は困らされた事か。

  普段から困らされてるんだけどこの顔の時は特に・・・・・・

 

 

 

  何故か、街のゲームセンターにいたりする。

  彼女がどうしてこんなところを知っているのか謎だけど、謎は謎のままの方が良い事もあるよね?

  さっきからバイクのレースゲームに熱中してるんだけど・・・普通一人でやるよねぇ?でもどうして彼女は僕の後ろに乗ってるんだろう?しかもそれでどうして狭いとは感じない様な設計になってるんだろう?・・・・・・思いっきり謎だ。でも・・・謎は謎のままの(以下略)

 

  「どうですか、お嬢様?」

  「う〜ん・・・たっくんのノリが悪いのがイマイチかしら?

  あら、もうこんな時間?今日はたっくんのところに泊めて?」

  「もうって・・・まだ19時じゃないですか。小学生じゃあるまいし・・・

  家のヒトを呼んだらどうですか?」

  「それが・・・その・・・」

 

  彼女がどもるなんて珍しい・・・てっきりまた無理難題を押し付けてくるのかと思ったのに。

 

  「今日はたっくんのところに泊まってくるからねって云っちゃったし・・・」

 

  やっぱり。

  どうしようもないヒトだ。

 

  「・・・何もしないと云う約束でなら、許可しますが」

  「え?本当?わ〜、ウソみたい」

  「だいたいあなたが言い出して引き下がった事なんかないじゃないですか。

  それにウソみたいって事は本当は云ってないんですね?」

  「うん、あ、でもたっくんとなら既成事実が出来ちゃってもOKよ。

  アタシは気にしないから出来ちゃった結婚でも構わないし・・・でもお腹が目立っちゃう前に結婚式はあげたいかな」

  「そう云う事云うなら泊めませんよ」

  「はいはい、解りました。じゃあ一晩だけ新婚気分を味わいましょ」

  「だからそう云う事はしませんってば」

 

  結局・・・こうなるんだ・・・

  でも、ちょっとだけ不思議なのは・・・こんな生活を既に当然の様に感じて楽しんでいる僕がいる。

  楽しんでいる・・・僕がいる。

  ここに・・・いる。

  結婚がどうこうって云うよりも前にやっぱり彼女といると楽しいのかなぁ・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  普通に僕が他人と接する事ができる日なんか決してこないと思っていた。

  当然の様にそれを受け止めていたし、また今まで何度も裏切られた様な気分になった事から自分から積極的に他人との接点を持とうとは思いもしなかった。

  そんなところに現れたのが・・・彼だった。

  まさしく現れたって感じで、気づいたらそこにいた。最初は僕と他人との境界線ぎりぎりのところに、でもそのうち僕の領域の中に入ってきていた。

  そこまで入ってきたのは彼が初めてだったんだと思う。僕からそれまでは僕から拒んでいたかも知れないけど、彼はそこにいるのが当然の様に・・・・・・僕の気持ちの中に入ってきていた。

  そのとき僕はどう思っていたのだろう・・・?

  他人を受け入れると云う事は思った以上に気持ち良かった。

  あのときは、まだ僕の思いは全て彼に届いていたんだと思う。そして僕ももちろん彼の事を分かっているって・・・・・・そう思い込んでいた。

  ひょっとしたら信じたがっていただけなのかも知れないけれど。

 

  だから、彼がいなくなったときには僕はふさぎ込んだ。

  事故だから?

  即死だったから?

  仕方ない事だから?

  だから・・・・・・諦めろって、云うの?

 

  仕方ない事だったら諦めてしまっても良いの?

  僕には他に、彼の為に出来た事もあるんじゃないの?

 

  何時まで考えていても答えが見つからないのは解ってる。

  だって・・・最初から答えなんか存在しないのだから。

  仮に答えが見つかったって・・・・・・彼がいないんじゃ意味がない。彼の為のものなんだから・・・・・・だから、意味がない。

 

  僕はどれだけの事を彼から学び取ったのだろう?

  今生きて、考えて、感じて、それらのうちのどれだけの事を彼から貰ったんだろう?

  そんな大切なものを僕にくれた彼のためにも、無理にでも僕は『これ』と云うものを彼から貰ったと・・・ヒトに誇れる様になりたかった。

  彼にはどうやったって手が届かないのだから、せめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  一緒に寝よ、と語尾にハートマークが幾つかついていそうな甘い声でにじり寄ってくる彼女をベッドに押し込んで、僕はリビングに置いてあるソファに横になった。

  日付けが変わりそうな、でもそのときを待ち構えていると変わりそうで変わらない、微妙な時間。

 

  眠れない理由は解ってる。

  そこに・・・彼女がいるからだ。

  ・・・・・・いつもと背中に感じる感触が違うのとかは関係ない。独りでいろいろやっている空間に他人が入っていると云う事がこんなに緊張するものだとは思わなかった。

  さっきまで飲んでいたにも関わらず、火照った感じはもうない。これで明日の朝頭痛がなければ最高だろけど・・・・・・それを望むのは無理かも知れないね。

  流石に二人でワインを3本も空けちゃったし。まださっきのアルコールの影響がほんの少し残ってるみたいに感覚がぼやけてるかも。火照った感じはないからまっすぐ歩けるんだけど・・・

 

  寝間着代わりのジャージのままで僕は部屋で寝ている友永さんの事を見てからそっと鍵を手に取る。

  この部屋の鍵。

  せっかくこんなに月の綺麗な夜なんだから部屋に閉じこもったままじゃあ罰が当たるってものでしょ。

  マンションの防音製の扉が大きすぎる音を建てない様に僕は神経質に閉めるとちょっと洒落たタイルの張ってある廊下を、階段を外に向かった。

  エレベーターなんか使わない。

  こんな空気の澄んだ夜には似つかわしくないでしょ?いかにも『電気使ってます』っていうのは不粋な感じがしない?文明の利器だって雰囲気をぶちこわしにするって云う欠点があるしね。開発したヒトはそんな事を考えなかったのかも知れないけど。便利さの追求だけじゃ、ヒトがホントに合理性だけを重視する様な種族だったらきっと小説家なんて職業はなかっただろうね。ときどき思ってみたりするけど。

 

  そのうちこつこつと僕自身の歩く音だけじゃなくて、サンダルを履いたちょっとせっかちな音が上から聞こえてきた。

  僕の部屋は7階なんだけど、このマンションそのものは10階建て。だから他のヒトがこの時間に起きてたって別におかしくともなんともないんだけど・・・・・・やな予感・・・

 

  「たっくん、酷い。一緒に寝てくれないばかりか夜中に女の子を一人っきりにする様な男だったのね!?」

  「・・・・・・起きちゃったの?」

 

  この手の予感が外れた事はない。自慢にもならないし、出来たら外れて欲しいと願うものばかりなんだけど・・・・・・そう云うものに限って・・・・・・ねぇ。

 

  「何処行くの?」

 

  自慢の黒髪を無造作に縛って僕のスウェットスーツ着てるけど、どうしてか解らないほど可愛いって思うんだよなぁ・・・・・・いかんいかん。このまま流されたら僕の人生は終わりなんだってば。

 

  「月の綺麗な晩だからね。近くの公園にでも見に行こうかなって思って。

  でもその格好で外に出るのって抵抗ない?」

  「え?ん・・・・・・まぁたっくんしか見てないから良いわよ、別に。

  それに夜中にあんな派手な格好してたらお水系のヒトに見えるでしょ。そーゆーのアタシは嫌なの。

  でも・・・たっくんが『月の綺麗な晩だから』、なんて云い出すなんてね・・・・・・」

  「おかしいですか?」

  「ううん、そんなことない。逆なの。

  いかにもそんな感じの繊細なところがあるから納得しちゃった。ほらほら、そんないぶかし気な顔しないの。アタシは貶してるんじゃなくて誉めてるんだから」

 

  ホント、この人は誉めてるんだか遊んでるんだか分からない表現をするんだから。

 

  彼女の歩くペースに合わせてのんびりと夜の道を歩く。

  ときどき通り抜けていく自動車のエンジン音以外は自分達の歩くその足音しか聞こえない。

  妙に響く感じがするけど、お互い何も喋らないからこのくらいの方が良いのかも知れないね。何の音もないんだったら逆に意識しちゃうでしょ?

 

 

 

  「・・・・・・ねぇ、手、つないでも良い?」

 

  囁く様な小さな声で紡がれた言葉に僕は無言で手を差し出した。

  こんなときに嫌だって云うのは・・・・・・ちょっとあれでしょ?

  決して彼女に好意を抱いているからとか、思わず抱きしめたくなるほど可愛かったとか、そんなんじゃないからね。・・・・・・これって実は墓穴掘ってるかも(汗)

  いつも強引に彼女の方から腕を組んでくる事はあったけど・・・手をつないだ事ってなかったかな・・・・・・

  小さな柔らかい手の感触に心臓がどきどきするのを感じながら僕は近くの公園への道をまっすぐに歩く。

  彼女に云わせると『朝長さんをエスコートしている』ってことになるのかな?

  やがて辿り着いたのはウチの近くにあるちょっと大きな公園。

  この付近は丘を切りくずして出来たみたいなんだけど、そのもともとは一番高かったところは松とか桜、梅や紅葉みたいな樹が植えられていてあちこちにベンチも置かれている。もちろん・・・樹を見るとか、休むとか云う目的だけじゃなくて、街を、星を見れる様にさり気なく配置されている。そのことに気がついたのはつい最近のこと。この公園を・・・そんな事に使う様になってからだったんだけどね。

  決して伝統のある街とか、景色が綺麗な街とか云うわけじゃない。それでも・・・・・・この公園を設計したヒトは、ここに住んでるヒトが自分の住んでいる街を見て、もっと自分の街を好きになれたら・・・・・・って思ったのかも知れないよね?もちろんそんな事僕の勝手な想像だけど、そんなヒトがいるって思ったほうが、それは素敵な事じゃない?

 

  「へぇ・・・こんなふうなんだ・・・いつもたっくんの部屋に行くときに駅から見て行くけどこんな良いところがね・・・まだあったんだ・・・・・・」

 

  独り言か、それとも僕に向かって云われた言葉か解らないけど、僕はベンチに座ると街を見下ろしながらその向こうにある山をぼんやりと見つめてみたりする。

  無意識のうちに手はつないだまま。でももう気にしてない。気にする様な事じゃない。気にしたら逆にギクシャクしちゃう気がする。だから・・・・・・さり気なくこのままで、良い。そう僕が決めた。

 

 

  「こんな場所で聞いちゃうのも卑怯かも知れないから・・・たっくんが答えたくなかったら答えなくても良いから・・・・・・だから、聞いて」

  「・・・・・・」

 

  静かな声だった。

  信じられないくらい静かだったし、綺麗な声って形容するのが最も相応しい気がした。

 

  「アタシがずっとたっくんにプロポーズしてるのは解ってるわよね?

  強引な女だって思ったかも知れない。

  たっくんの気持ちを全然考えてない酷い女だって考えたかも知れない。

  でも・・・・・・ほら、アタシってあーゆー家に住んでるでしょ?大学入るまではそれこそ箱入り娘ってやつ?お父さんもお母さんも可愛がってくれたけど・・・・・・全部さり気なくアタシの選択肢が決まってたの。

  だってさ、高校の願書書こうかなって思うと有名私立高校のやつがアタシの机の上に置いてあるの。しかも他のは封書か何かに入っているのにそれだけ見える様に置いてあって・・・・・・

  そこまでされちゃったらアタシもそう云うふうに育てられたから断われなかったのよね。

  でも・・・・・・大学入ってからやっぱり自宅から通える距離だったんだけど、やっぱりこのままじゃいけないって思ったから・・・・・・わざわざ下宿したんだよ?それくらいは聞いてくれる親に感謝したしね。

  そうしたら・・・・・・今までどれだけ親に頼ってたのかって・・・・・・思っちゃってね、もちろん勉強は多少出来たかも知れないけどそんなことには意味ないなって気づいたの。要は社会経験ってものが全然足りなかったのよね。

  だからね、大学卒業すると同時に親の前でアタシはやりたい様にやるからこれ以上干渉するなって断言したのよ。

  叱りつけるかと思ったらこれまた何を思ったのか喜んでるしねぇ・・・・・・

  結局、お互い今のままじゃアタシがダメになるって分かってたのよ。でも一回おせっかいしちゃったらその後もやらないといけないかなって感じの・・・・・・親切心って云うのかな、そんなものだったらしいの。

  ・・・ごめん、アタシばっか喋ってるね」

  「いいよ、気にしなくて。まだ友永さんのことってあんまり聞いた事なかったしね・・・・・・喋りたいときには喋った方が良いよ」

 

  虫が鳴いているのが聞こえる。あいにくと僕は虫とかにそんなに詳しいわけじゃないからなんて云う虫の音かは解らないんだけど、きっとこんな雰囲気の為に鳴いている様な響き。

  そんな声に背中を押される様に僕は促した。

 

  「・・・まだ続きがあるんでしょ?」

 

  僕の声にそっと彼女は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  他人との距離の取り方は、気づいたら知っていた。

  彼の事があってからなんだけど・・・・・・自分が傷付かずに、それでも寂しくないくらいの距離を取る方法を憶えた。たとえ表面的な関係に過ぎなくたって、僕にとっては大きな進歩だったと思う。

  ただ・・・そんな事を憶えたからと云って、彼の事を忘れられたわけじゃなかった。当然の様に、僕の心に居座り続けていた。ヒトの気持ちって、何処から何処までを信じたら良いんだろう?僕はあのとき、彼を失ったとき、これ以上の悲しみはないだろうって思った。それなのに・・・・・・今の微妙な関係が崩れてしまう事を恐れて心血注いでいるのも、やっぱり僕。

  間合いの取り方が上手くなったのは成長の証なんかじゃない。ただ単に僕がずるくなっただけなんだ。上手に手を抜く方法を見つけたって云う・・・それだけの事。

  本来ならどんなヒトにだって全力でぶつかって行くべきなんだって、思うよ?出来るんだったらそれに越した事はない。

  でも僕にはそんな事は出来なかった。全力でぶつかって行く事が出来なかったから他人と接触しようとしなかった。でも独りでいる事の寂しさを知ってしまってからは・・・・・・全く他人との関係を持たないわけでもなく、かと云って真正面からぶつかり合える様なそんな関係でもなくて、境界線上に吊るされている様な中途半端な関係ばかり。

  自分で自分を貶す事にももう疲れた。

  僕が僕でなければいけない理由が良く解らない。

  だって・・・・・・僕ができる事をできるヒトが他に何人いると思う?僕だけにしか出来ない事が、ないんだ。

  これだけはって、他のヒトに誇れる様なものもない。

  僕が自分のプライドの全てを預けられる様な素敵なものもない。

  今まで逃げ続けてきたツケなんじゃないのかな?

  ・・・・・・もうどうでも良い事の様な気がするけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「まったくね・・・たっくんの前でこんな話するだなんて思ってもなかったなぁ・・・・・・」

  独り言の様に彼女は呟いた。

  「アタシとたっくんの最初の出逢いって憶えてる?」

  「え?・・・・・・あの日の出版社で僕が原稿を持ち込んだ・・・・・・あれじゃなくって?」

 

  この業界で作家と担当さんって適当に決まるものなんだ。僕だって最初に出版社に持ち込んだときに見てくれたのが今の担当の友永さん。別に・・・担当さんが小説書くわけじゃないんだから似た様なものかも知れないけどね。そりゃぁ・・・有名な編集さんもいるけどそんなのはごく僅か、ほんの一握りの人たちだけなんだ。あとは作家と担当編集者がどこまであうかって云う事になっちゃうから。

 

  「あ・・・やっぱり憶えてないんだ・・・・・・

  大学の時にコンパやったじゃない?憶えてないかなぁ・・・・・・ほら、入学してからすぐに、うちの大学の文研とたっくんのとこの文研と合同で、さ。あのときにたっくん見たんだけど、あのときから・・・なんて云うんだろう?落ち着いてるって云うか、凄く大人なヒトに見えたの。

  みんな騒いでるのに一人だけ静かに見守ってる様な感じのね。あのときは・・・他のヒトには全く目立たない存在だったのかも知れないけど、アタシには一番かっこ良く見えたんだよ?」

  「買い被り過ぎでしょ」

 

  僕はさらっと返した。

  だんだんと記憶に呼び戻されてくる様な・・・そうだ、確かあのとき皆でいったカラオケで・・・・・・・

 

  「あのときに、一緒に歌、歌わされたよね?」

  「あ、やっぱりたっくん憶えてるじゃないの。そうそう、なんて云う曲だったっけ・・・・・・デュエットだったけど。

  アタシ達二人だけ何にも歌ってなかったらみんなに云われてね、アタシ自慢じゃないけどあーゆーところに行ったの初めてだったしね。

  かっこ良かったわよ?いつもぼけぼけっとした感じがするけどさ、それって少し先の事も考えてるからなんでしょ?お酒飲んでても絶対に他の人たちみたいに自分を見失ったりしなかったじゃない」

  「だから買い被り過ぎだってば。

  先の事を考えてるわけじゃなくて、ただ単に今現在起こってる事に頭がついて行かないだけだしさ、お酒飲み過ぎないのも弱いって知ってるからセーブしてるだけだよ。そんなふうに過剰評価しちゃダメだってば。

  ・・・・・・ね?だいたいそうやって聞いてみると不思議でも何でもない事でしょ?」

 

  む〜って云って、彼女は黙った。

  そんな彼女の仕種がいかにも彼女らしくって微笑ましく思える。

  今の彼女からは想像も出来ないよね・・・・・・あのときの女の子と今僕の目の前にいる彼女が同一人物だなんて思いもよらないわけだ。

 

 

  ここへ来てからずいぶんと月が傾いた様な気がする。三日月よりももっと細い・・・・・・使い古された表現だけど、死神の鎌の様に細い月。雲がかかりそうなくせに煌々とその姿を晒している月。見守ってるって云うよりも、なんとなく盗み見られてる様でちょっとそんな考え方をした自分を笑ってみたりした。

 

  「そうして・・・とにかく、それからたっくんのことはあちこちで聞いてたんだけどね。ほら、となりの大学だし、文研のヒトからもたっくんの書いた小説集めてもらったりしてね。だからウチには多分たっ君の書いた小説殆どあるよ?

  それに何回もコミケで逢ってるけど気付いてないんでしょ?」

  「う・・・・・・ごめん」

  「謝らなくたって良いの。だってアタシが云わなかっただけだしね。

  それに・・・たっくんのお話読むのも実際好きだったしね。ほら、たっくんの書くお話って気持ちがこもってるじゃない。

  結構ウチの文研の男ってヒトが死んだりそーゆー話書くヒト多かったけどさ、たっくんの話って一人も死なないでしかもハッピーエンド。そのくせきちんと読ませどころは掴んでるしね。

  知ってる?たっくんの昔書いてた同人誌って結構高く売り買いされてるんだよ?」

  「そう?ただ、書きたい様に書いてるだけだよ。どうせだったらめでたしめでたしで終わった方が良いに決まってるし、登場人物だって一人一人思い入れがあるから誰にも不幸になって欲しくないよ。

  それに・・・・・・小説の中とは云っても人殺しは人殺しだよね。小説の中でも誰かが死んだら悲しむヒトがいるわけだし、そんな思いをしなきゃいけないヒト、出したくないんだ。自己満足かも知れないけどね」

 

  そう、きっと僕の単なる自己満足。

  大学で小説書いてた当時から云われ続けている事なんだけど、僕のストーリーの中盤くらいで誰か殺してみると話に厚味ができるって云うんだけどね・・・・・・実際僕もそう思った事が少なからずある。

  その決意が出来なかったくせにこうして小説書いてご飯食べてるんだから、僕は我が侭なのかも知れない。

 

 

  「えーっと、話が飛んじゃったね。

  だから・・・その・・・アタシはね、昔から変わらない今のままのたっくんが好き。

  今すぐにアタシと結婚しろって云わないし、そんなのつまんないでしょ?

  一生かかってでも振り向かせてみせるから、待ってなさいよ」

 

 

  暗いけど、街灯のほんの少しの明かりに照らされた彼女の顔は赤かったと思う。お互いに相手を意識してしまって何も云わないままの時間が過ぎ去った。

 

  「・・・・・・返事は?」

  「え?」

  「だから、アタシがこんな恥ずかしい思いをしてたっくに告白したって云うのに返事のひとつもなしってわけじゃないでしょ!?そんなの許さないわよ!」

  「う・・・・・・

  えっと・・・じゃあ、いつか陽子さんの言葉に応えられると思うのでそれまで・・・待っててくれませんか?」

 

  こう真顔でにじり寄られると返事をしないわけにも行かないよねぇ。ちょっと彼女に無言の圧力みたいなものを感じたし。

 

  「ふふふ・・・やっと陽子って呼んでくれた。

  じゃあ今すぐにじゃなくてもそのうち良いからとーちゃんって、呼んでね?

  あ、でもそれだと結婚してからどうやって呼んでもらおうかな・・・たっくんは何て呼びたい?」

  「はいはい・・・・・・どうでも良いです」

 

  ああ・・・・・・・このまま泥沼にはまって行く気が・・・・・・

  ひょっとして今夜、僕は彼女の策略にはまったのかも知れない。うん、彼女ならあり得る。

  きっと、最後の最後まで解らなかったのは彼女自身の真意なのかも。

  永遠に手の届かない存在なのかも知れないよね・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ・・・どーしてともちゃんってば2冊の本を交互に読み進める事ができるんだろう?しかも片方はまだまともに読んでるのにもう一方は拾い読み程度にしか読んでない。

  それでも真剣に読んでるし、まぁ注意力散漫で寝返りばっかされてもおちおち本を読んでられないから良いけどさ。

  「だから、どーしてすっちゃんってこんなふうにストーリーに差が出来るんだろうねぇ・・・これじゃ同じ名前で載せたって誰も同一人物の書いた文章だとは思わないよねぇ・・・ね、ショコラ?」

  僕にいわれたって困るんですけど。

  つまり、すっちゃんが書いたのを今度同人誌に載せるらしいんだけど、その内容のギャップに困ってるみたい。彼が書いた昔のお話をこうして読んでても・・・・・・ほら、まったく別人だよねぇ。

  もう少し何処かに統一性みたいなものが逢ったって良いと思うんだけど・・・・・・そりゃ三人称を使わないで一人称ばっかとか、ストーリーの進行みたいなものが似てるのはあるけどさ、どっちの話を読んでもテーマに統一性ってものがないんだよね。

  「それにさ、最後に『永遠に手に入れられない存在』とか云ってるけどさ、どーしても手に入れられないものって云ったらアンタの気持ちじゃないの。

  自分のキャラクタにそーゆーこと云わせるくらいなんだから自分で気付きなさいよね。

  はぁ・・・・・・あたしが好きって云えないのもそうなんだけど、どうして云ってくれないんだろうね、ね、ショコラ?」

  困った様な、恥ずかしそうなともちゃんの顔。

  僕は黙ってともちゃんのほっぺたをなめていた。

 

 

  こんこん

 

  ドアをノックする音、誰だろう?

  「は〜い 開いてま〜す」

  「やぁ、知子さん」

  「すっちゃん?どーしてアンタがここにいるの?」

  

  あ、読者の皆様は初めてだよね。これがすっちゃんだよ・・・・・・って、見えないか。

  多分日本人の平均身長くらいの背の高さで、髪の毛は最近『先輩に騙されて』赤くなってる。

  でも・・・人なつっこい感じって云ったら分かるかな?別にかっこいいとかかっこわるいとかそう云うレベルのお話じゃなくて、見ていて人付き合いが上手かもって感じ。勿論ネコ付き合いもね。

 

  僕はともちゃんの前に座ったすっちゃんの膝の上で丸くなる。ともちゃんは僕がこんなことしてても何もしないけど、すっちゃんはこうしてるとそのうち僕をだっこしてくれる。まぁともちゃんほど柔らかい感じじゃないけどそれはそれで気持ち良いからときどき僕はすっちゃんに甘えてみたりする。

 

  「そんなふうに云われるとは心外だね。僕は知子さんのリクエストに応えてもうひとつ小説を書いてきたと云うのに・・・」

  「なに?またこの前書いてきたみたいな中途半端なもの?」

  「う〜ん・・・いやいや、今度はチョコッと趣向を凝らして読み方次第でストーリーが変わるお話なんだってば。

  二つのお話を組み合わせたんだけど、一章ごとに話が入れ代わるんだ。流して読んでもひとつとびに読んでいってもきちんとした話になると云うそれはそれは素晴らしい・・・」

  「また変なものを考えるし・・・・・・じゃあ読むから貸して」

  「はいはい。・・・・・・あ、そうだ。知子さん、これ食べちゃダメだよ。ディスク壊れちゃったからもう他にデータがないんだ」

  「・・・・・・誰がそんなもの食べるってのよ!?怒るわよ!」

  「と・・・知子さん・・・・・・もう怒ってる・・・だからすぐに蹴るのはやめてってば・・・・・・」

 

  御愁傷様。

  あの状態になったら誰にもともちゃんは止められないよ。

 

  そんなちょっとだけ(?)日常的な物語。次あうときにはすっちゃんのお話のことを話してあげられると良いな。

 

 

    おしまい

 

 


’99 October 11:書き始めた日

            15:第一稿が完成した日

    December31:第三稿が完成した日

 感想とか逢ったらてらだたかしまでお願いします。


あとがき

 こんばんは、てらだたかし です。

 某日、DARUさんが競作を募集すると云う事で書きましたが・・・如何なものでしょう?

オリジナルは久しぶりなので修行が足りません。キャラクタへのイメージが上手く像を結びませんね。誰かオリキャラの書き方教えて下さい。

 

 それでもとにかく読んで下さった読者さまと、名前を貸してくれた彼女に感謝したいと思います。

 そしてDARUさん、最後になりましたがHP開設3周年記念おめでとうございます。

 




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