My sweet client
1:
第14使徒による破壊のため、第一発令所が使用不可となってから,半月が過ぎ
た。
俺は第二発令所内の所定の位置で、手元のモニターをぼうっと眺めている。
発令所の移動に伴う各種作業も、一応のひと区切りがついた。
幸いな事に、その間今日まで使徒の襲来はなく、モニターは・・・恐らくつかの
間の・・・平和を表示し続けている。
ぐるるるる・・・。
斜め前方から聞こえるのは、非常事態を告げる機械音ではなく、同僚日向マコト
の腹が鳴る音だ。
「なあ青葉、今日はマヤちゃん遅いな。」
俺と背中合わせのシートを定位置とする伊吹マヤは、朝から赤木リツコ博士のと
ころに直行したまま、昼食時になってもまだ姿を見せなかった。
「久しぶりに赤木博士がお昼に誘ってくれたから、ご一緒してくるって。
そういやさっき、連絡があった。」
「じゃあ当分、戻らないか・・・。
おれ今日朝メシ抜きだから、もう腹減って死にそうだよ。」
俺と日向二尉、伊吹二尉は職務の性質上、食事は交代で一人ずつ摂るのが原則と
なっている。
不憫に思ったので、引き出しからカ○リーメイトを出して投げてやった。
「ほら」
「お、サンキュ」
嬉しそうに受け取る日向は包装紙を剥きながら、
「マヤちゃん、ウキウキだったろ?」
と尋ねた。
「ああ」
マヤちゃんは赤木博士を尊敬、いや崇拝していると言ってもいい。
赤木博士が何かを延々と説明し出すと、俺は正直、辟易としてしまうのだが、彼
女は話の難度に正比例して、瞳をキラキラ輝かせるのだ。
「やっぱりね。でも不思議だよな。
おれはどっちかというと、赤木さんてちょっと近寄り難いんだけど、
マヤちゃんはすっごいなついてるよな。」
日向はシートを俺のいる方に回して話を続けた。
「もしかして彼女、そういう趣味があったりして。」
「どういう趣味だよ。」
「お前とは決してしない、あんなことやこんなこと、赤木さんとはしちゃってた
りして。」
ほんっとに、しょーがないなコイツは。
「お前、変なマンガの読み過ぎじゃないの?」
精いっぱいの呆れ顔を作って返してやった。
そんな事には構わず、ヤツは続ける。
「冗談だよ。
でもお前マヤちゃんと・・・ほんとにまだなのか?」
「ああ・・・。」
その話か・・・。
「もうかれこれ、付き合い出して1年だろ?
それなのにキスもしてないなんて、マジ?
あ、まさか、もしかしてお前もそういう・・・。」
・・・むか。
その先を言ったら、殴るぞ。
「・・・肩ぐらい抱いたさ。」
俺は不貞腐れて答えたが、日向はすかさず切り替えす。
「あれはノーカウント。」
「・・・・・・。」
はいその通り、だ。
確かに俺は彼女の肩を抱いたことがある。
その日、初号機が、使徒を喰った。
マヤちゃんはその光景のあまりのグロテスクさに嘔吐し、衰弱。
俺はそれを、時々支えて歩いた。
しかしそれを恋愛中の男女の抱擁とは呼べないことは、百も承知だ。
だから日向のこんな憎らしい言い草にも、反論ができない。
「でもさ、正直なところ。」
日向の黒縁の眼鏡の奥が、やや真剣味を帯びる。
「それってちょっとツラくないか?男としてはさ。」
俺もつい、多少冗談めかしたものの本音を漏らしてしまった。
「ちょっとどころじゃないぞ、想像してみろよ。
すぐ側にいるのにキスはおろか、手も握らせてくれないんだぜ。
あまりにストイックで、プラトニックで、感動するだろ?」
「・・・拷問だな。」
日向は憐憫の情を浮かべて呟いた。
拷問・・・当たらずとも遠からず、だな。
しかし俺は、彼女の笑顔を壊したくはないから・・・。
・・・その時。
日向の席の内線が鳴った。
相手は葛城三佐らしい。応答する声に弾みがついているから、すぐ分かる。
日向は電話を切った後、
「お前も大変だな。まあ頑張れよ。」
と言い残し、先程までとは別人の如く、真面目に仕事をし始めた。
お前に言われたくないんだよ、ってんだ。
自分だって、報われそうに無い片思いを、ずっと抱えているくせに・・・。
俺はモニターの右隅を見た。気が付けばもう、午後の1時を回っている。
つかの間だとしても、折角の平和だ。
無駄にせぬよう、俺もそろそろ書類仕事を片づけるか。
2:
シンジ君が初号機のLCLに溶け込んでしまって・・・今日でもう半月。
私が所属する技術部の職員は皆、シンジ君のサルベージ計画実行に向けて、忙し
い日々を過している。
特に責任者である赤木先輩は毎日自室にこもり切りで、殆どご帰宅もされていな
い様子だ。
私は、使徒が現れないうちは身体を休めるようにとの先輩の指示によりここ2・
3日は早上がりさせて貰っていた。
シンジ君のことはとても心配だけど・・・残念だが、現段階で私に出来る事は少
ない。
それに先輩のおっしゃることも尤もだし。
だから私は今夜も、彼との食事を楽しんで帰る予定だった。
・・・・・・しかし今、私は夕食を終えて食後のコーヒーが置かれた後、テーブ
ルの向かいに座る・・・彼、青葉シゲルに、別れ話を切り出している。
・・・やっぱり驚いてる。突然だもの、無理もないわね。
そして彼は、私がいきなりこんなことを言う理由を、あれこれ想定しては尋ねた
。
なんだかあなたらしいなあ・・・。
今に限っては的外れな、だけど真剣な質問の数々を聞きながら、愛おしさを募ら
せるのは、ちょっぴり不謹慎かしら?
「マヤちゃん。もう俺と居るの、嫌になったか?」
きっとこれが、最後の質問ね。
私は首を、縦にも横にも振ることができない。
本当の答え。
もちろんノーだ。
私がネルフに来てから、1年半。
付き合いはじめて、もうすぐ1年。
あなたはとてもさりげなく、いつも私を見ていてくれた。
そのことを、どれほど感謝しているか。
私がどんなに幸せな気持ちでいるか。
・・・知らないでしょう?青葉さん。
でも。
私に、そんなに優しくしてもらう、資格があるのだろうか?
いつかあなたの望みを叶えるという確約の・・・出来ない私に。
運ばれていたコーヒーはアイスで、氷は既に溶けてしまった。
一口も飲まれなかったそれは、私達の間に横たわる重い空気を、グラスの周りに
結露させている。
私は自身の重みに耐え兼ねた水滴が、グラスから滑り落ちるのを、ぼんやりと目
で追っていた。
テーブルに、ゆっくりと、落下する雫・・・。
・・・・・え?これ、違う!
やだ、涙だ。止めなきゃ。
お願い止ってよ・・・。
泣いたら折角の決意が台無しだ。だから泣くつもりなんか絶対、無かったのに・
・・。
矛盾を孕んだ言動で男の人を翻弄する女性。
私にとって、はっきり言えば、それは軽蔑の対象だった。
でも今の私の姿は、まるでそれそのものと言えよう。
いやな女、私。
青葉さん、やっぱり別れたくない。
2つの思いが堂々巡ってる。
やがてそれらは鎖となって、私の心を締め上げてゆく。
苦しい。
・・・・・・やっぱりいけない、こんなの。
3:
「私今日、青葉さんと日向さんのお話、聞いちゃいました。
赤木先輩とのお食事、碇司令からのお電話でだめになったんです。
だから青葉さんか日向さんに先にお昼にして貰おうと思って、戻ったらお二人が
私のこと話してるのが聞こえて、いけないと思ったんだけど、つい・・・。」
あれを聞いていた・・・のか?
さっき浮かんだ疑問符の群れ達が、彼女の言葉により、一瞬にして消滅した。
昼間の日向との会話。
あれはある意味、俺の本心だ。
取り消したり、取り繕う事はできない。
しかし、あれが俺の心の全てではない事も事実で・・・。
そのことをどうしたら、マヤちゃん、君に分かって貰えるだろう?
あれは。
お互いに同僚である以上の好意を持っていると確認し合ってから間もない頃のこ
と。
俺は次の段階として、当然のように、身体の接触を試み始めた。
でもマヤちゃん。
君はそういう雰囲気を察すると、いつもさりげなくはぐらかしたね。
部屋まで送った帰りにキスしようとした時なんか、俺のこと、悲鳴を上げて突き
飛ばしたもんな。
それで俺がむくれて、気まずくなって・・・。
その時、君が打ち明けた。
「私、そういうの、なんだか恐くて・・・。
おかしいですよね、もういい大人なのに。」と。
「私の事、嫌いになりましたか?」
と尋ねる君に、俺は確かこう答えた。
「いつか、マヤちゃんがいいと思ってくれるまで、気長に待ってるよ。」
・・・昔を思い出す俺を現在に引き戻すかのように、マヤちゃんは続けた。
「私、青葉さんがどんな気持ちでいるか、知りもしなかった。
それなのに、なんだか甘えてばかりで・・・・・・呑気なものですよね。
青葉さんは待ってる、って言ってくれた。
でも待ってて貰っても、それが何時までか、私にも分からないのよ?
そんなの待っていられますか?
・・・もしかしたら一生なのかもしれない、だから。」
やはりそうか。
自分が原因で俺が苦しむのだから、自分が身を引くべきだというロジック。
潔癖過ぎるところのある、マヤちゃんらしい・・・。
ふと微笑ましさと、愛おしさが湧き上がる。
・・・不謹慎だな。
この論理を覆せなければ、きっと俺は、君を失うというのに。
4:
先程からこちらをチラチラ見ていた店員がとうとうグラスを下げに来たので、俺
は
以前よく二人で立ち寄った公園に、彼女を連れて行くことにした。
公園へ向かう道すがら、思う。
昔と同じ言葉ではもう、彼女の気持ちを変えることは出来まい。
あの日君に言った言葉。
あれは決して、嘘ではなかった。
しかし、多分に妥協が混ざっていた事は否めない。
「いつか」はすぐだ、とタカをくくっていたのかもしれない。
では、嘘だったのだろうか?。
君が隣で笑わなくなるのが恐くて、自分を押し殺してついた、小さな嘘。
君を傷つけない為にではなく、自分が傷つくのを恐れてついた嘘。
そういう嘘は、ついた時点から有効な間は、確かに相手も自分も傷つけない。
だが失効と同時に、両者に深手を負わせる諸刃に変った。
それが今だというのだろうか?
真実だと断言できない真実。
決して嘘とは言い切れない嘘。
そしてそのどちらもが、君を愛しているという、ただひとつの本心・・・。
「わあ、ここは殆ど変り無いんですね?」
ここに来るまでずっと黙っていた彼女が、急にはしゃいだ声を上げた。
「そうだな。」
ひとしきり見回し、俺も答えた。
帰り道から少し外れた所にある、ベンチと砂場とブランコがあるだけの小さな公
園。
高台で第三新東京市が一望できるのと近所に住宅がないのが気に入って、以前は
よくここで彼女にギターを弾いて聴かせたものだった。
「でも街は・・・だいぶ変りましたね。」
「使徒が現れてからは来る事もなかったから、無理もないさ。」
「そうですね・・・。ここによく来ていた頃から、もう随分経ちましたものね。
」
少し淋しげな表情を浮かべる彼女を、俺はベンチに座るよう促した。
いよいよだ。
深呼吸をひとつすると、心拍数が自覚出来るほど上昇している。
これから俺は、かなりクサイ事を言わなければならない。
なぜなら君は、俺の気持ちを知りもしない、と言った。
・・・・・・だったら見せてやろうじゃないか。俺の心を、全て。
5:
「マヤちゃん。
昼間の話の事だけど、言い訳はしない。
本音を言えば、俺は君とその・・・そういう事、したいと思っているよ。
俺も男だし、君の事が好きだからね。
でもそれだけが目的で、君と付き合って来たわけじゃない。
そんなの当たり前だろ?
だって俺は君に出会って、側にいられて、今まで本当に楽しかったし、幸福だっ
たからね。
そんなことしなくても、だよ?
こんな生な言葉で言った事ないから、知らなかっただろうけどさ。
・・・だから君が嫌がるのなら、俺は自分を押さえてこられた。
でも永久に続くとしたら、やっぱり気が遠くなるな。
君が心配したように、俺は苦しむのかもしれない。
でもね。
それでも俺は、君の側にいたいと思う。
いい?
俺が、君が好きで、だから君の側にいたいんだよ?
・・・だからもう別れようなんて言われたときは、心臓が止まるかと思った。
・・・・・・マヤちゃん。
君はやっぱり、俺とはもう終わりにしたいと思っているの?」
少しの間の・・・時間にすれば10秒程の沈黙がひどく長く感じられた後、
「・・・思ってないです。」
と彼女が小さく呟くのが聞こえた。
「・・・良かった。
じゃあ聞いて、俺はね。
マヤちゃんとキスしたり・・・その先のこともできたら、どんなにいいだろうと
思っているけど、それは、君にもそう思って貰えなければ、全く意味がないんだ
。
でもね、君がそう思ってくれるのをただ待っている気は、もうないよ。」
俺は彼女の目を見つめる。
え?と驚き、身を固くして後退りするマヤちゃん。
・・・・・・俺の言葉は、ちょっと誤解を招いたらしい。
「待つってのはさ、思い遣りのようでいて、実はなにもしてないことと同義だよ
。
これについてはもう、俺の方が全面的に悪かったと思う。
だからね、もう、ただ待つのはやめた。
・・・良かったら話して貰えないかな?
少しずつでもいいし、何を聞いても驚かないから。
・・・一人で抱え込むのだけはさ、もうやめてくれないかな。」
警戒を解いた彼女の全身から、力が抜けてゆくのが見て取れた。
と安堵する間もなく、俺のほうを向いて見開いたままの目に涙が浮かびはじめる
。
ちょっと待て!また泣かれるのは、困る!
俺は慌てて、
「ねえ、マヤちゃんさっき、俺に襲われると思った?
傷付くなあ〜そういうの。」
とおどけて見せた。
すると彼女は、
「ごめんなさい・・・そう思っちゃった。」
と指で涙を拭いながら、今夜初めての笑顔を、俺に見せてくれた。
・・・・・・どうやら、別れの危機は回避できたようだ。
しかし、今から俺は、君専属のカウンセラーにならなきゃいけないらしいな。
6:
結局私は、別れを切り出したときから、こうなることを望んでいたのかもしれな
い。
そして今まで、本当には、あなたの気持ちを分かってなかった・・・・・・。
ごめんね。
ありがとう。
・・・大好き。
でもこの想いを、このまま発音したりはしない。
あなたの気持ちに答えるということ。
それはむしろ、私の心の最も暗闇の部分を見せることなのだと思うから・・・・
・・。
今。
私の脳裏に浮かぶのは、前に赤木先輩に言われた言葉。
「マヤ。潔癖性は、辛いわよ。人の中で生きていくのが。」
・・・潔癖性。
不正を極端に嫌う性質。
或いは、
異常なまでに不潔を恐れる、精神病の一種。
私がそんなものかしら、とその時は思った。
衛生観念は人並み。
不正はやはり好きではないが・・・必要があれば何度か、せざるを得なかった。
マジメ過ぎるというお言葉を、たまに人から頂く程度の、ごく普通の人間。
ただ男の人と・・・そういう事、に関してはちょっと臆病なだけ。
それが、私だと思っていた。
でも、やはり。
私は少し、異常なのかもしれない。
私の事をこんなに思ってくれる、そして私も心から愛する人とでさえ・・・そう
いう事、をするのが怖い。
この恐怖感も、潔癖性のひとつの現れだとするならば。
それにより、私は、青葉さんを苦しめた。
「潔癖性」だと言われた事は、もちろんあまり嬉しくはない。
でもそれよりも。
私の「潔癖性」が、青葉さんを苦しめたことのほうが、何倍も辛い。
今は先輩の言った事が、なんとなく分かる気がする・・・・・・。
・・・そういう事。
直視できなくて、こんな言葉で括ってきた物事。
男の人との、身体の接触。キス。そして・・・セックス。
それに対する、私のイメージ。
小さい頃、偶然見てしまった、従姉夫婦の性行為。
普段は優しい彼らの、獣のような息遣い。
中学の頃。
心無い男子生徒が廊下にバラ蒔いた,使用済み生理用品の、どす黒い血の赤。
高校の修学旅行。
同じ係の男の子に用があり、部屋のドアを開けたら、数人の男子が食い入るよう
にテレビを見ていた。
映っていたのは、嫌がり泣き叫ぶ、制服姿の女性。
それを暴力で無理矢理に犯す、二人の男。
そんな映像を、固唾を飲んで見つめるクラスメイトの男の子達が、まるで別の生
き物のように思えて、愕然としたのを覚えてる。
そして、大学へ向かう電車の中で。
ラッシュで身動きが取れない、私の身体を触った男の、酒臭い息・・・。
みんなみんな、怖かった。
怖くて仕方なかった。
その一方。
映画や小説の中の、幸せそうな恋人達のラブシーン。
彼とどうしたこうしたを、嬉しそうに話す友人達。
どうして?
だって、どちらの場合も、すること、っておんなじでしょう?
私には分からない。
この二つのことの違いって、一体、なに・・・?
ふと目を上げると、青葉さんは、きちんと文章化されていたかどうかも怪しい、
とりとめのない話を、黙って聞いてくれていた。
なぜだろう。
それだけで、心の中の澱が、身体の外へときれいに流れ出ていったような感じが
する・・・・・。
7:
私の話が完全に途切れたのを確認して、青葉さんが言った。
「マヤちゃん。
どうしても嫌なら、殴って構わないから。」
・・・・・・・・・!
何のことかと問う間もなく、私は青葉さんに抱き寄せられていた。
どうしてか、押し退ける気にはなれなかった。
それより、彼の腕の中で。
私は、内にふと湧き起こった懐かしさの正体を、解き明かすのに夢中だった。
・・・なんだろう、この感じ。
私は前にも、こういう種類の気持ちのよさを、どこかで味わったことがある。
私の唇、頬と額に。
瞼と首筋、ボートネックの肩口に。
優しく、絶え間無く降り注ぐ、青葉さんのキス。
この心地よさは・・・ああそうだ。
・・・ミストバス。
大学の研究室での旅行先のホテル。
サウナ程の広さの空間に、シトラスとミントを混ぜたような、良い香りのするハ
ーブの、温かくて細かい霧がさあっと、絶えず降っていたっけ。
その霧を体中に浴びながら、ぼうっとするのは、とても気持ちが良かった・・・
。
彼の唇の柔らかさを。
かかる吐息の体温を。
私より長くてくせのない、彼の髪が、サラサラと肩をくすぐる感触を。
受け止める度に、私の身体から、余分な力が抜け落ちていくのが分かる。
こういう、こと?
これが、私の求めていた答えなの?
・・・知らなかった。
キスって、こんなに気持ちのいいことだったなんて。
よかった。
私にもちゃんと、あったんだ。
・・・好きな人と、ひとつになりたい。
そんなことを願う、欲望の種子・・・。
8:
「次の使徒って、何時来るんでしょうね?」
「仕事の話?!」
いきなりの展開に俺は少々面食らう。
今、キスをしたばかりだというのに。
それも付き合って1年経って、初めての・・・。
俺にとっては、ひとつの賭けだった。
人を愛することと、身体を触れ合わせる事が結びつかないと言うのなら、自分が
それを君に教えられるかどうか。
性の持つ明暗の境界をはっきり説明してやることなどは、到底出来ない。
ただ俺は、君を愛するが故にこうするのだ、ということを伝えるためのキスだっ
た。
もしかしたら、より深く君を傷つけてしまうのではないかとの危惧もあったが・
・・。
しかし、君がこんな風に仕事の話をするのは、君の言葉を借りれば「心理グラフ
は安定」ということだろう。
・・・・・・しょうがない、お付き合いするとしよう。
「3ヶ月後か、3日後か・・・3時間後である可能性も無くはないですよね?
今迄はどうにか切り抜けて来られたけど、これからもそうだなんて保証なんか、
どこにもありませんよね。
まして今は、シンジ君や初号機が、ああいう状態だし・・・。
でもそうじゃなかったとしても、ネルフにだって、ないと思うんです。
今まで私、E計画に携わる者の一人として、正義の味方みたいな気分でいました
けど・・・・・・このごろそれも、よく分からなくなっちゃいました。
使徒が攻めてくる。
それを倒して、サードインパクトを防ぐために、ネルフとエヴァが存在する。
そんな単純な図式じゃない、計り知れない何かを、この頃感じるんですよね。
だって理論上動くはずの無い状況で、何度も初号機は動いたし。
ダミープラグにしたって、あんなに恐ろしいものだったなんて・・・。
赤木先輩も、私に何か隠しているわ・・・。」
「そうだな。」
彼女の言う事は、俺も薄々感じている。
どうやら最近は日向も、何か嗅ぎまわっているらしいし・・・。
「そんなことを考えていたら、死ぬってことが、なんだか今迄よりも身近に思え
て。
使徒に殺されること自体は、左程恐くはないんです。
ネルフに入ったときから、覚悟の上でしたし。」
眼下に、使徒に破壊された街並みが広がるからだろうか。
今日の彼女は、随分と悲観的な事を口にする。
「その時は多分、俺も一緒だろうな。」
彼女を安心させる為の言葉だった。
しかしそれが事実となる可能性は、決して低くはないだろう。
だからこそ、今、この時を大切にしたいと思う。
今、この腕の中の、君を。
「お、もう10時だぞ。そろそろ帰ろう、マヤちゃん。」
公園を後にして、俺達は歩き出した。
傍らの君は、3時間前とはまるで別人のようだ。
今度来るときには、前のようにギターを持ってきて欲しいとか、たわいもないこ
とを楽しそうに話している。
その横顔を見ながら思った。
君はなんて、現金な患者なんだろう?
「ずーっと外にいたから、喉渇いちゃった。
青葉さんも家に寄って、麦茶でも飲んでいきませんか?」
なんて。
言葉通りに受け取りゃいいのか、深読みしても構わないのか分からないセリフで
、俺のほうを悩ませるまでに回復してしまうとは。
・・・まあいいさ、どちらでも。
俺は心の中でだけ呟いた。
もう見返りは十分に貰ったのだから。
今夜のカウンセリングの報酬、それはね。
マヤちゃん、君のその・・・天使みたいな・・・笑顔だ。
END
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