第15話「代償」
「ひゅ〜。凄いな。こうしてサーキットの外から見ると迫力あるなぁ」
カメラのファインダー越しに彼らのバトルを眺める男。
彼に、黒いキャップを被った男が背後から近づいてきた。
そして、音もなくポケットから黒い塊を出すと、その男の背中に突きつけた。
「・・・動くな、じっとしてろ」
カメラを持った男は固まった。銃口を突きつけられた彼は今、命の危機に瀕している。
「あ、あの・・・命だけは・・・」
震える声で恐る恐る振り向こうとする彼。だが、
「バァァァン!」
「ヒィィィィ・・・」
「ク、クク、ハハハハハハ。なんやお前、けったいな声出しおってからに」
カメラを持った男はその声に聞き覚えがあった。
「お、お前!悪ふざけにも程があるぞ!」
眼鏡の奥の瞳が潤んでいた。よほど怖かったのだろう。
「しかし、何してんのや。カメラマンにでも転向したんか?
ま、万年最下位じゃ、やる気ものうなるか」
黒キャップを取る男。
「仕方ないだろ。マシンがないんだ。カメラマンくらいしか出来ないし。
それよりトウジは何やってるんだよ。もうやめたんじゃないの」
その時、1コーナーにシンジが侵入する。後ろにはピタリとレイがいる。
トウジとケンスケの目は1コーナーを走り抜ける彼らを追いかけていく。
遠い目で彼らを見つめながら、トウジはケンスケの問いに口を開いた。
「ホンマは田舎で見てるつもりやったがな・・・
ワシの目を覚まさせた張本人のあまりに不甲斐ない走りに腹が立ってな。
一言言ってやろうと思って来たんやけど色々あって遅くなってもうた。
・・・だが、何も言うことはなかったちゅうこっちゃな。
今の奴は元のあいつに戻っとる。いいレースになる予感がするわ」
現在すでに4周目。アスカはまだ二人の前を走っている。
1コーナーをブロックラインで通過し、カヲルに隙すら見せなかった。
アスカの目に1コーナーの出口が見えた。パワーをかけようと指令を送った時、
「うっ!!ゴホゴホン!!ケッ・・・・・・・・・・・」
先程からアスカは時々せき込んでいた。
「また血か・・・でも負けるもんか・・・」
だが、喉から出るのは気体ではなく、赤い血だった。
それでも彼女はマシンを転がし、彼らを押さえつけ続けた。
「譲れない・・・譲れないのよ・・・あんたらだけは絶対通さない・・・」
流石の二人も焦りだした。後残りは16周しかない。シンジ達とは10秒の差がある。
そろそろ彼女を抜かないと追いつけなくなる可能性がある。
「ヘルイカリは賭の対象にもなっている。もう仕掛けないと駄目だ」
しかし、マックスの前のカヲルはかなり「いやらしい」走りをする。
今までものらりくらりとブロックしてマックスのマシンを前に出さなかった。
「彼はやる、さすがにゲンドウが一目置くだけのことはあるな。だが・・・」
イリュージョンストレートに入るアスカ一行。
「・・・ラベンダーウイング」
カヲルも同時にシンクロを引き上げる。カヲルのマシンはトップスピードがないが、
彼がシンクロを最大まで引き上げれば勝てないまでも、同等のスピードは出る。
「さぁ、遊びは終わりだ」
マックスのマシンが変形を開始する。同時にブースターが活動を始める。
その変形を見たアスカ。
「アベルも本気になってきたって事・・・けどカヲルがいれば・・・」
アスカはマックスの加速が本物になる前に右にマシンを振った。
「何!」
このタイミングは最高だった。
カヲルの横に、その加速力で並んだマックス。
彼の目の前に赤いマシンが横から出てきた。
マックスは行き場を失い、ブレーキを踏むしかなかった。
彼らはアスカのマシンのトップスピードでトルネードバンクに進入する。
「くっ・・・」
アスカは歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべながらもマシンからのプレッシャーと
強烈な横Gに必死で耐えていた。
極限の状態下で、通常のレーサーでもトルネードバンクでは視界がぶれる。
それに加えてアスカは自らのシンクロを機械的に高めた状態で走っていた。
彼女の目はすでに限界まで達している。
そして、この強烈な横Gにより、新たな弊害が現れた。
彼女の視界がいきなり暗黒に包まれる。
「な、何!これ!!」
ブラックアウト現象。強烈な横Gで眼球が一時的に貧血状態に陥り、
目の前を暗黒に変える現象が、彼女に起こった。
「ま、前が見えない!!」
何も見えない恐怖心から彼女はいきなりマシンを減速させる。
カヲルが減速した彼女の横をすり抜けた。
「抜かれたの?!カヲル?!!」
アスカは左横をすり抜けたマシンの音を聞き、抜かれたことを悟った。
「くそぉ!目なんか見えなくたって音で何とかなる!」
アスカは先程抜かれたマシンのコア音を頼りに、再びアクセルを開ける。が・・・
彼女の真後ろにはマックスがいた。
「馬鹿な!何故こんな所で!」
大きくなるアスカのテールを避けようと、
ブレーキと同時にコーナリングモードに変形させて
彼女のマシンを避けようとマックスはG-EV-Mを左に向けようとした。
「駄目か!」
タイヤが食いつき、
クイックに左方向を向いたG-EV-Mだが、赤いテールは目の前に迫っていた。
「うくっ!」
アスカを後ろから突き上げるような衝撃が襲う。
彼女はいきなりのその衝撃に後頭部をシートに強打した。
同時に幾つかの黒と赤のパーツが空に跳ね上げられる。
「ウイングをやられたか?!」
マックスは幾つかのパーツが飛んだのを確認した。
スローダウンしたアスカのマシンを横目で見ながら、彼女の前に出る。
同時にマックスは現在のマシン状況のチェックに入った。
「まさかこんな終わり方になるとは・・・
残念ですよ・・・フロイラインアスカ・・・」
『おい、アスカ。大丈夫なのか?!アスカ!!』
冬月の声がマイクから聞こえていた。が、まだ彼女の目は見えていなかった。
アスカは手探りで無線のスイッチを探すが、どれがどれだか判らなかった。
「何なのよ?!一体何なのよ!!」
彼女は今、自分に何が起こっているのか全く分からなかった。
ただ分かっているのはカヲルとマックスに抜かれたという事と、
マシンのコアが先程の衝撃で停止したことだけだった。
「見ろよ、惣流が抜かれたみたいだな」
ケンスケは、最初に見えたカヲルを見て、トウジに話しかける。
続いてマックスのマシン。
「どうしたのかな。トラブルかな?」
その時、赤いマシンが彼らに見えた。
スピードはそれほど出ていなかったが、挙動がおかしい。
1コーナーが迫っているというのに、ブレーキングしない。
曲がる気配がまるでなかった。その異常にいち早く気づいたトウジ。
「あかん、突っ込むで!」
彼が言い終わるか終わらないかの内に、アスカのマシンはそのままコースを外れた。
「きゃぁっ!」
サンドトラップに突っ込んだ際、マシンは大きく跳ね上げられた。
目の見えない彼女は、受け身も出来ずにコクピットの中でシェイクされる。
マシンはタイヤを初めとしたパーツをまき散らしてタイヤバリアに突き刺さった。
「・・・・・・・・くっ、止まったの」
アスカは後頭部と、首に痛みを感じる。目は、相変わらずだった。
痛みに意識が遠のいていくアスカの耳には冬月の声が聞こえていた。
「そうだ、シンジに・・・無事だって教えないと・・・アイツ」
その時、キャノピーが開いた音が彼女の耳に聞こえる。同時に聞こえてきた声。
「おい、しっかりせぇ。惣流、大事ないか?」
アスカは彼が誰なのか一発で判った。
「あんた・・・何でこんな所に・・・?。
まぁいいわ・・・無線、入れてくれる。
チャンネル2に・・・」
トウジは明らかにおかしいアスカに気づきながらも、
その何かを決意しているような彼女の雰囲気に押され、
言う通りに無線のチャンネルを切り替える。
「ほれ、チャンネル2にしたで」
アスカはトウジの声を受け、
「一つお願い。シンジが1コーナーに来たら・・・教えて」
「何言ってんのや。それくらい自分で・・・」
トウジはその時初めて、アスカの目の焦点がおかしいことに気づいた。
「まさか惣流・・・お前・・・」
対応に窮するトウジに、アスカは
「いいわね、頼むわよ」
「・・・わかった」
その頃マックスはイリュージョンストレートに入った。
彼はエアロモードに変形させようとしたが、先程の接触のお陰で
フロント周りの変形時にエラーが出るため、変形が不可能に陥っていた。
「駄目か、だが変形など出来なくても問題ない。ちょうどいいハンデだ」
マックスはコーナリングモードのままでブースターを入れて、シンジの背中を追った。
「惣流、来たで!今、コントロールライン通過や!」
アスカはそれを聞くと、目を閉じてゆっくりと息を吸い込んだ。
シンジはホームストレートに幾つか落ちていた黒と赤の破片が気になっていた。
まさかとは思っていたが、一抹の不安があった。
(アスカ・・・まさかな、約束してくれたもの・・・ぶつけて止めないって)
そして、シンジの視界に無数の赤い破片と、
変わり果てたアスカのマシンが飛び込んできた。
「な?!何だよ!!これ!!!」
その時だった。
『馬鹿シンジ!チャンピオン取りなさいよ!!負けたら許さないから!!!』
大声で無線に向かい喝を入れるアスカ。
そのいきなりラジオから強制的に聞こえてきた大声に、
不安に駆られていた彼は飛び上がらんばかりに驚かされる。
喝を入れるのとほぼ同時に最後の力を振り絞ってアスカは立ち上がった。
そしてシンジのマシンが走ってきているであろう方向にVサインを送った。
一瞬の不安を吹き飛ばしてくれたその声と、姿。
この時のシンジにとっては最高の情報だった。
シンジも、無線を一瞬だけ彼女に向かい切り替えた。
違反と分かっていても一言だけアスカに言いたかった。
『アスカありがと。見てて。一番大きなトロフィーをアスカに見せるよ』
そのシンジの声に、アスカは少し笑みを浮かべた。
シンジのコア音が彼女の耳から消えるまで、彼女はサインを送り続けた。
そして、消えたと同時にVサインをしていた手を下ろした。
「これで・・・・・・・・・・・おしまい・・・・・・・」
彼女の意志に反して一気に力が体から抜け落ちて、アスカは倒れ込む。
「おい!どうしたんや!!惣流!惣流!!」
薄れゆく意識の中で、彼女の耳にトウジの呼ぶ声だけがやけに心地よく聞こえていた。
すでにレースは残り6周となった。トップは依然シンジ、彼の真後ろにレイが続く。
そして、猛追を開始しているカヲルが4秒後方まで迫っていた。
マックスはカヲルの真後ろでシンジ達に追いつくのを待っていた。
そして、ここまでじっと動きを見せずにいたレイがついに動き出した。
彼女自身、もうカヲルには追いつかれると踏んだ。
ならシンジを抜いておいて損はない。
今まで通り、無警戒で1コーナーに向かうシンジを見て取ったレイの瞳が鋭く輝いた。
シンジはいつも通りブレーキをかけたが、
レイはそれを待っていた。白いEG-Mが急激に左を向いた。
「綾波?!」
シンジは完全に虚を突かれた。と、いうより油断していた。
レイの目からシンジのマシンが消える。シンジのマシンが彼女の真横に来たときに
彼女も初めてブレーキをかける。
完全にインコースを固められたシンジは、なす術なくレイに先行を許した。
「・・・うかつだった・・・綾波の後ろのカヲル君とアベルを気にしすぎた」
今のバトルで減速したシンジ達をついにカヲルが射程距離に捕らえた。
「・・・いよいよだね・・・シンジ君」
ここまでカヲルはかなり無理していた。
それもそうだろう、マックスと同じペースで彼のEG-Mが走れるはずもない。
彼は今、限界ギリギリのシンクロでマシンを転がしていた。
「楽しみたいがそれだけの余裕はないね。・・・チャンピオンになるのが最優先だ」
コーナーセクションで一気にカヲルはシンジの真後ろまで迫った。
カヲルは眼前に迫った紫と白の2台のEG-Mから
視線をシルバーに輝くブレスレットに移す。
「もうすぐだ。ユキ・・・これが終わればまた・・・何もない平穏な生活に・・・」
そのカヲルの後ろにはマックスも控えていた。
「ゾクゾクする。チャンピオン候補と、イカリシンジとレースが出来る。
こんなエキサイティングな経験がまさかエヴァンフォーミュラで出来るとはね」
今まで刺激のない生活を送ってきた彼だけに、その思いは尚更だった。
先のアスカのバトル以来、今の彼は走れることが楽しくて仕方がなくなっていた。
「ん・・・ここ・・・は」
「気ぃついたか。ここは救急車の中や。
しかしびっくりしたで、いきなりぶっ倒れたんやから」
トウジの言葉が、もうろうとしていた彼女の頭を醒ました。
アスカは救急車のベッドから飛び起きる。
が、その後でベッドについた手が、彼女の体重を支えきれずに
かくんと彼女をつんのめさせた。
「あ・・・あれ・・・」
腕は動くものの動かそうにも力が入らない彼女は
顔を声がした方に少し頬を染めながら向けながらアスカは訪ねた。
「レースは?シンジはどうなってるの?!」
見慣れた角刈りの男と、白衣を纏った医師の姿が映る。
トウジは隣にいた医師の方を向くと、医師はゆっくりと首を横に振った。
「やれやれ・・・目、大事ないか?」
トウジは無理な姿勢でベッドに突っ伏しているアスカの上体を持ち上げると
そのままトウジは黙ってアスカの腕を取る。
「まだ終わってへん。後6周残ってる。シンジはまだトップを走っとるわ」
そう言いながらアスカの腕を引っ張って立たせた後、自分の肩をアスカに貸した。
アスカは、トウジが抱きついてきたのかと錯覚した。
「な、何よ。変な事しないでよスケベ!」
しかしそれは誤りだったと、すぐに気づいた。
「・・・応援するんやろ、アイツを。ピットまで連れてったるわ。
ずっと走り続けて疲れてるようやからな」
彼女はその言葉に、彼は自分の体が変だということを知ってると感じた。
知っていて、口に出さずにアスカが望んでいる行動をしてくれようとしている。
アスカは彼のその心に、少し口元をゆるめた。
「なんやニヤニヤして。くすぐったいんか?」
「・・・別に」
レイがトルネードバンクを通過して、初めてトップでコントロールラインを通過した。
「何や、アイツ抜かれとるで」
当時に担がれながら、レイのマシンが先に通過したのを見たアスカ。
「あのバカ・・・負けたら無駄骨じゃない」
アスカの威勢のいい声にトウジも嬉しくなってくる。
「とりあえずマヤさんの所に行こか。情報も入るやろ」
トウジは更に歩を進めるが、アスカは意地悪そうな声でトウジに
「でもいいのかなぁ?私を構うよりもヒカリに会いに行った方がいいんじゃないの?」
口元を緩ませながら明るく話すアスカに対し
「ヒカリにはさっき会ってきたんや」
少し頬を染めて答えるトウジ。
「ふぅん。言うまでもないってか〜。じゃ、来年からはライバルね」
「まぁな。来年は負けへんからな」
アスカは満足げな笑顔を浮かべた。
「ふふん、アンタじゃ勝てないわよ」
本当に明るい笑顔だった。その顔を見るにつれ、トウジの心は少し沈む。
沈んだ心がトウジに先程のことを思い出させていた。
救急車内での診察が終わり、トウジに診察する場所に入っても良いという許可が下る。
トウジが出向いた先にはベッドに寝ているアスカと、診察したドクターがいた。
「どうでっか?惣流の容態は」
ドクターは淡々とした口調で話し始める。
「意識の喪失は精神的なプレッシャーと、体の疲労からでしょう。
疲労の方は時間がたてば、支障はありません。
しかし、疲労で倒れるとは思えません。
検査をしないと何とも言えませんが・・・
神経系がマシンに浸食されてなければ良いのですが・・・。
目がおかしくなったのはブラックアウト現象でしょう。
しかしそれならじきに戻るはずです。
もし彼女の意識が戻っても目が見えなかった場合は・・・。
現象とは関係なく、失明しているということです。
詳しい検査が必要になりますから、ここでは何とも・・・」
アスカの明るい笑顔と力無くふらさがる腕を眺めながら、トウジは思う。
(惣流・・・来年は無理や・・・)
シンジはレイのストレートの速さに正直焦った。
スリップに付いているというのに、ついていくので精一杯だった。
「何でこんなに速いんだよ・・・」
レイは今までずっとマシンを温存して走っていた。
レイが速いのではなく、シンジが疲弊した結果、レイのマシンが速く見える。
シンジは、その事には気づいていなかった。
「やはり限界を超えていたアスカ君とは明らかに違うね。
ストレートではついていけるかどうか・・・ポイントはインフィールドか」
やはりストレートでは勝てそうもないとカヲルは思う。
コーナーで速いカヲルはインフィールドで二人を抜く場所を探すことにした。
その後ろのマックスは、ストレートで遅れてしまう。
「くそ、ここにきてカウルの変形だけでなくミッションまで
コーナリングパターンでフリーズか。
ハイテクも、狂いだしたらこんなものか。
ストレートでは完全に負ける。 コーナーで行くしかないのか」
マックスのマシンはブースターを使ってもレイ達のマシンについていけなかった。
コーナーではいつものパフォーマンスを見せて一気に追いつくのだが、
ここはコースの7分の4がストレートとバンクで構成されている。
スピードの伸びないマックスは、辛い戦いを強いられる事実に歯の根を鳴らしていた。。