「・・・好きにしたまえ」
司令室に、低い声が響いた。
「ありがとうございます。では早速移動しますので」
第7話「愚笑 Cパート」
「良くならないわね・・・」
リツコは上がってくるデータを眺めながらそう呟く。
ミサトは眼下のテスト風景を眺め、マヤもデータを見ていた目を少し窄める。
「ここまで落ちるとまずいわ。起動にも支障が出る恐れがあるわよ」
ミサトは何も言わない。マヤもデータの処理に追われていた。
そんな負の結果しか得ることの出来なかったテストが終わり、
ミーティングでも一人リツコに釘を差されたアスカを、
ミサトは他のみんなを避けるように自室へと来るようにと声をかけた。
そして、部屋に入るといきなり本題に入った。
彼女にしても、下手な慰め言葉は逆効果と分かっていた末の行動だったのだが。
「ねぇアスカ、副指令から聞いたけど、本部に引っ越すって本当の話かしら?」
半ば話される内容を悟ってか、アスカは即座に淡々と答え始めた。
「はい。元々はこちらで生活予定でしたから」
「でも・・・ここからじゃ学校はどうするの?バスも学校へは・・・」
そんなミサトの話途中にアスカは口を出す。
「学校は行きません。元々大学出の私が何であんな所行かなければならないんです?。
時間の無駄です。それにここなら緊急時にも即座に対処できますし」
確かに当を得ている言葉だが、ミサトは納得できかねた。
「でもね、日本ではあなたはまだ中学生だし、義務でもあるの。行かないなんて・・・」
「だったら籍だけ残しておいてください。
あんな低レベルの中にいつまでも入っていたら私まで馬鹿になってしまいますよ」
あまりに淡々と答えを続けるアスカに少し苛立ちを覚えはじめてはいたが、
ミサトはなるべく角のない言葉を選び、問いかける。
「でも何で急に・・・学校で虐められてるの?」
「ふふ、まさか。・・・もう嫌なんです、学校も、あの家にいるのも。
学校や本部への通勤で時間を無駄にするのも嫌ですしね。
元々作戦行動の為にお邪魔しただけでしたから元に戻りたいんです。
最高の住居が用意されてるのに、
マイナスにしかならないマンションに居候する必要はないと思います」
ミサトもこの言葉にはかちんときた。
「何がそんなに居心地が悪いわけ?。
私だって、シンジ君だってあなたのこと考えてあげてるじゃない」
アスカは視線を逸らして鼻で笑うと続けた。
「迷惑なんです、そういうの。恩着せがましいんですよ」
「な・・・」
「仕事は仕事、プライベートまでは口を出して欲しくありません。失礼します」
すっと立ち上がり、退室しようとするアスカをミサトの声が引き留める。
「ちょっと待ちなさい。まだ話は終わってないわ。
大体何なの?。なに形式張った話し方してんのよ」
背中で聞いていた声の方に向き直ると、アスカはミサトに視線を向ける。
「葛城三佐は私の上司です。当然の態度だと思いますが」
「前はそんなんじゃなかったじゃない・・・。
それに、今はプライベートで2人きりなんだから形式張る必要はないのよ」
ミサトの瞳を見つめていた青い眼が斜め下に一瞬落ちだが、
一度瞬くと気色ばむ瞳に変化してミサトに突き刺さった。
「だったら・・・プライベートな時間ならあなたに指図される覚えはありません。
二度と話しかけないでほしいわね」
「アスカ!」
雰囲気と言葉に、かあっと頭に血が上ったミサトの手がアスカの頬を打つ。
「何つっぱってんの!何が気に入らないのよ!!」
そんな言葉を荒げるミサトに顔全体を憎悪をむき出しにしたアスカの
見たこともない表情・・・流石のミサトもたじろいだ。
「あんた達みたいな偽善者と話したくもない・・・反吐が出るわ」
ミサトはアスカの言葉にもう何も言えず、
去りゆくアスカに言葉をかけることもできずに眺めることしかできなかった。
しばらく呆然としていたミサトだったが、
彼女の真下にあった椅子に身を沈めると頭を抱えながら呟いた。
「最低ね・・・子供に手を上げるなんて・・・」
思った通り、車内はがらんとしていた。
今日はまだ日が出ている間にテストは終わったのだし、
ここが始発なのだから車内ががらんとしているのも不思議ではない。
シンジは、無言のまま一緒に歩いてきたレイが椅子の端に座るのを見てから、
まるで貸し切りの車内に寄り添うような形で椅子に座った。
レイはずっと前を見ていて、彼に話をしてくるでもない。
待っていても話を振ってくれる相手ではないことはシンジも分かっているので、
空間を持て余したシンジは自ら口を開こうとしたが、何を話して良いのか分からない。
色々と思案をしているうちに、列車は音を立て始める。
対するレイも横にいる知人に興味を示さずに、
まだ地下の壁を映し出すだけの窓を眺めていた。
だが、レイは誰もいない列車が不思議なほど落ち着く空間であることに疑問を持ちはじめる。
何か体の底の筋がゆるむような、心をつなぐ筋が緩む感じを覚えた。
そして、隣に座る少年の生命の息吹も
同時に揺れる電車と、一定のリズムを刻む列車の騒音が聞こえるゆりかごが
彼女の瞼に付加をかけ始める。
久しぶりの心地よい感覚にレイも抗うことが出来ず、その瞼はいつしか赤い瞳を包んでいた。
「あら、どうしたの」
息せき切って部屋に入ってきたアスカを見つけると、
眼鏡を外しながらリツコは椅子を彼女の方に向けた。
息を殺してリツコの前に立つアスカは、彼女を見下ろしながら問いかける。
「・・・ココロってなんですか?。曖昧なものが兵器に必要なんて理解できません」
リツコも彼女を見上げながら、問い返す。
「あなたはその兵器に心を感じたことは無いかしら?」
シンジは肩にこつんと当たった感触に瞳が止まる。
肩に感じる重みと少し柔らかく、暖かな感触が肩と二の腕に感じた。
向かいの窓に映る景色を見ていた彼は、感触から大方の予想はついてはいたが、
その結論を信じることは出来ずに己の目で見るため、恐る恐る肩先に視線を移す。
シンジは肩に乗った空色の髪を見つけたとたんに、体が硬直するのを感じた。
感触通りの状況であったが、信じられない状況。
何が起こっているのかは分かっていたが、突然の出来事に動揺は隠せない。
言葉をかけてみようと思ったが、声にならない。
対するレイは黙ったままでシンジに体を預けたまま。
対応に窮していたシンジは、何度も彼女の方をチラチラ見ていたが、反応はない。
シンジは首だけ伸ばしてだんまりだったレイの顔を覗き見た。
何も言わぬ顔の瞳は閉じられていて、和らぎを感じさせる寝息だけをたてるレイが映る。
レイの顔、無理な力の入っていない顔、唇から漏れる寝息を見た瞬間、
シンジは言葉を失った。同時に、レイの顔に視線は釘付けにされてしまう。
時の流れも、列車の音も完全に彼の意識からは消え、
目の前の少女の姿態にだけ時間を費やしていた。
「そう・・・」
リツコはアスカの返答を聞き、外した眼鏡をいじりながらノートパソコンに視線を移す。
「あなたも知ってると思うけど、エヴァは機械仕掛けのロボットじゃないわ」
頷きながら、アスカはリツコを見ていた。
「あなたがエヴァを動かせるのも、エヴァに意志が残ってるからなのよ」
回りくどい言い方に、アスカは苛立ちを覚えながらも声を上げる。
「分かってます。それがシンクロという言葉で表されますよね。
でもエヴァは兵器です。電気信号を使った疑似脳波でのコントロールの方が
都合が良いんではないですか?」
リツコは少しため息混じりの息を吐き出す。
「・・・でも意味がないのよ、それでは・・・ね」
新箱根湯元と車内アナウンスがあった瞬間、シンジは目を見開きながら
慌ててレイの顔から視線を外して外の景色をもっともらしく眺め出す。
だがレイは全く変化を見せずに彼の肩を枕にして、心地よさそうに寝息をたてていた。
廊下を歩きながらアスカはエヴァに思いを巡らす。
兵器は人間に忠実に動くべきだし、動かなければ意味をなさないはず。
それなのに敢えて不安定になる要素を組み込んで、予期できぬトラブルも誘発している。
素体の全てを消せないのかもしれないけど赤木博士の言葉を聞く限りその可能性は低いし・・・。
今のアスカは考えれば考えるほど、学べば学んだだけ理解不能な鍵が出てくる。
リツコに教えを請うた当初は疑問に思ったことも可愛かったからか、
マヤもリツコも簡単に鍵の答えを返してくれた。
もちろん、今問いかけているような感覚的な質問ではなく、
基礎的な事柄だったからだろうが。
最近では明確な答えは返ってこず、いつも問答のような会話になる。
理解不能な鍵が増え、答えも見つからない。
「第一意味がないって何なのよ・・・」
苛立ちを隠さず表情に表しているアスカは歩みを進めていた足を止め、
真新しい『SOURYU・ASUKA・RANGLAY』
とプレートに書かれた扉の前に立ち、カードキーを差し入れた。
電子音と共に扉が開き、真新しい玄関が映る。
アスカは玄関に靴を残して中へと入ってゆく。
周りを見渡しながら、壁に目が行った。
コンクリートがむき出しだとイヤだなと思っていたが、以外に洒落た木目柄だった。
床もフローリングでパッと見は悪くない。
そしてここが新たな生活の場。
だが、彼女の部屋を見渡す顔に笑顔はなかった。
オレンジ色の液体に身を任せ、瞼を閉じたままで世界を見る。
淡い色に支配された自分の世界。でも、何もない世界。
再び異世界を見る。
オレンジ色の液体により、オレンジの世界が視界に広がった。
そして、力無く投げ出された手が視界に入る。
瞳を動かし、手の持ち主を見た。
しばらく眺めていたが、再び瞼を閉じる。
また何もない世界。
今一度目を開けてみた。
先ほどと変わらない手と人が目の前をゆらゆら漂わせ、こちらを見ていた。
そして、首をひねればまた別の人がこちらを見ている。
視界一杯になるほど、赤い目がこちらを見ているように感じた。
再び自分の世界へ潜る。
だが、何もない。
時折変化する瞼のスクリーンを見つめていた。
そのスクリーン視野の隅に何かが落ちた。
瞳を動かし、正面で見ようとしたが上手くいかない。
淡い光があるのが分かる。
でも瞳を動かす度に、その光を見失ったが、
点滅を繰り返す光に視線はすぐに向かった。
・・・あなた誰。
心の中で問いかけてみる。
が、返答はない。
瞳を閉じたまま見つめるのが辛くなった瞳が瞬きを強制した。
再び光を見失い、点滅を見つけた彼女は今一度問いかけた。
あなたは・・・誰?。
思いかけた刹那、彼女の足にガツンと衝撃が走った。
淡い感覚に陶酔していた彼女は、
瞼を開いたものの夢うつつのまま瞬きを繰り返す。
雑踏とした世界が赤い瞳に映したされ、
体を隣の少年に預けていたことを悟るのに暫しの時が必要だった。
ゆっくりと彼から離れると、辺りを見回す。
立っている客がいるほど混雑している車内の光景を見て、一度瞬く。
彼女の疑問に答えるように、車内のアナウンスが響いた。
そして窓に流れる見慣れていない風景を見ると、シンジの方に首を傾げる。
「あ・・・よく眠ってたから・・・悪いかな、って」
「ここ何処?」
「・・・さぁ?。湯本の駅から1時間位の所」
レイの目に駅のホームが流れ、徐々に列車が速度を落としているのを
感じたレイは立ち上がりながら口を開いた。
「起こしてくれて良かったのに」
シンジは彼女に続いて立ち上がると列車は停止し、
彼女に視線を向けた頃にはドアが音を発して開き始める。
一緒に降りてはみたものの、シンジは初めての光景に足を止めてしまったが、
レイは冷静に辺りの表示を見渡し、戻る路線は2番線と分かった。
そのまま止まることなく歩を進めていくレイに、少し小走りで横に並ぶと、
黙々と歩みを進めるレイの横顔をチラと見る。
「2番線みたいね。湯本行きの電車」
「・・・ええ」
会話はこれだけだったが、降りた駅はそれほど大きくはなかったので
目的の路線へはすぐに着いた。
空いていたベンチに腰を下ろし、電光掲示されている時刻表に目を移す。
「えっと、あと5分くらいで来るよ」
「・・・そう」
本部内にいたときには分からなかったが、
少し強い風が吹き、水色の髪を揺らした。
日が落ちてきたこともあり、彼らに吹きつける風は暖かなものではない。
シンジの瞳に映る彼女は表情一つ変えてはいなかったが、
自分に吹きつける季節外れな冷たい風が彼女にも当たっているのは、
髪の流れで察することが出来た。
風に揺られ、頬に流れてくる髪を見つめながら、シンジは口を開く。
「・・・ごめんね、余計なお世話だったかな?」
「なにが?」
「え、起こさなかったお陰で余計な時間取らせちゃったかな、って・・・」
「別に構わないわ」
「それに・・・日も落ちちゃってちょっと冷え込んで来ちゃったし・・・」
レイの顔は正面も向いたまま、返答が終わっている事柄には声も出すことはなかった。
間の悪さを感じながらも、間を何とか凌ごうとシンジは口を開く。
「・・・あ、でも綾波。・・・疲れてるの?」
含みを入れたシンジの言葉に、レイは初めて彼を見た。
「初めて見たから・・・綾波が寝てるところ」
レイは視線を再び正面に据える。
「いつも隙がないというか・・・そんな感じだったから少しびっくりしちゃって」
レイは視線を少し落とすと握られた手を見て、
自分に言い聞かせるように呟いた。
「最近、あまり眠れなかったから・・・だと思う」
2番線に列車が来るというアナウンスが流れていたが、
手を見つめるレイの耳にその音は入ることはなかった。
シンジは、列車が来るのを確認した後で、続けた。
「ふぅん・・・綾波でもそういうことあるんだ」
シンジの声を書き消すような列車の音と共に
切り裂かれた風が彼女の髪を揺らす。
すうっと立ち上がると、無表情のまま列車へと近寄っていくレイを見て、
シンジも彼女のあとに続いた。
シンジの目に映る表情とは裏腹の思考を巡らしながら、
レイは視線を落として列車のドアに歩みより、
視界に入った彼の足下をチラと見ると唇をきゅっと緊張させた。
ミサトは自室でノートパソコンから聞こえる起動音を耳に通過させながら、
液晶画面に映る自分の姿を見つめていた。
広い空間にぽつりと置かれた机の上にはノートパソコンだけが置かれ、
彼女は唯一の物をじっと見つめているだけで動きは見せない。
画面は真っ黒で、時折NERVの文字が浮かび上がってくる。
NERVの文字が浮かび上がる度に彼女の顔が赤いマークに消されてゆく。
そして、再び黒い画面に戻ると彼女の姿が戻る。
モニタに移る光のない瞳を見つめていたが、
瞬くと同時に尻目にかけると封を切られてたタバコが視界に入った。
封は切られ、僅かな隙間が作られていたタバコの箱と、ライター。
暫しの時をタバコのラベルに費やすと、ゆっくりと手を伸ばして慣れない手つきで
中のタバコ1本を掘り出し、口にもって行くとそのまま火をともした。
空いた透き間を煙で埋めるかのようにタバコの煙を体に注ぎ込む。
満たされた煙は、隙間を埋めることなく対外に吐きだされた。
目の前に漂い、消えて行く煙を見つめながらミサトはボソリと呟いた。
「あと残り・・・何本なんだろ・・・いつ、消えるのかな」
ミサトはそう呟くとタバコの先から流れ出る煙を追い始める。
何を話そうか、先程まで頭の中を支配していた思考は彼の頭の中にはすでになかった。
すでに日は落ち、所々街灯が照らすだけの面白みのない風景。
肌に当たる風も強く、心地よいというより寒いという感覚を植え付ける。
隣を平行して歩いている彼女の足音が、彼に全ての言葉を捨てさせていた。
ペンを染めた髪に絡ませながら、レポートに目を通していたリツコは、
傍らでキーを叩きながら仕事をこなすマヤに向かい呟いた。
「・・・しかし驚いたわね。まさかここまで頭がキレるなんて思わなかったわ」
「私も同感です。あっちで大学を出ているので、
それなりのレベルで接してきましたけど・・・。
それでも彼女の頭の回転には驚かされましたから」
リツコはレポートをマヤの横に置きながら、ペンをポケットに納めた。
「3週間の教授でE細胞とのポリマー結合理論まで理解して、このレポート。
C-FRPの代わりに、ガラス繊維を編み込み、それを土台に
従来のマイナスプラグを吸着させるなんて思いつきが斬新ね。
・・・あと1年間、包み隠さず教え込めばかなりの戦力になるわ」
マヤは、少し熱を帯びてきたリツコの声に吸い寄せられるように視線を向けた。
「あ・・・せ、先輩。それ以前に彼女はセカンドチルドレンですから・・・」
マヤの少し憂いを秘めた目線と彼女の目線が交差した。
「まぁその事ならとりあえず指令と相談して・・・全てはそれからね」
「でも・・・納得、してくれるでしょうか・・・」
マヤは視線をディスプレイに移しながらそう問いかけた。
そんなマヤのディスプレイにはエヴァの起動に必要な最低限のシンクロデータにすら
届くか届かないかのデータが映し出されていた。
「・・・してもらうしかないわね」
リツコは立ち上がると、
彼女たちの眼下に見えていたテストが終わったばかりの訓練場を見下ろす。
すでに撤収作業が行われており、射撃訓練用のターゲットがトレーラーで
運ばれていく光景がリツコの瞳に映し出された。
散らばった弾痕のみで、中心には弾痕のないターゲット。
シンクロが低いせいで、思い通りの操縦が出来ていない証のターゲット。
「彼女がここに残るための選択肢は、2つしか残ってないわ・・・」
ターゲットを見下ろしながら、リツコはぽつりと呟く。
「そのうちの一つは・・・もう消えたも同然だもの・・・・・」
「次回予告」
と言いたいところですが、ここでお知らせ。
挽歌の刻はこの話で休止します。
続きのお話である「らくがき」にシフトしたいと思います。
今後の『挽歌の刻』の展開について簡単に語りましたので、
興味のある方はこちらへどうぞ。
基本的に「らくがき」もこの設定を引き継ぎますのでよろしく。