マケイヌ
捨て駒
今日も窓のそとの景色はさえない。
灰色の背景は霧と空の境界線はわからず、ただ暗い。
私はキーボードを操作する手をやすめ、しばらく外を見ていた。
やっぱりドイツに戻ろうか、ここの空気も変わらない。そしてすぐにその考
えを打ち消した。私は故郷から逃げ出してきたのに。
サードインパクトがおこったあと、私は不思議な世界に一人の少年といた。
そしてもう一度気を失い、気付いたときには病院のベッドの上だった。
人々の記憶にはサードインパクトはなく、未然に防がれた事になっていた。
ミサトはこういった。
「ありがとう、アスカ。あなたのおかげよ」
あれほどいわれたかった言葉なのに、嬉しくなかった。あたりまえだ。私は何
もしていない。そしもう一人の少年、碇シンジはこう言われたのだ。
「シンジ君、ありがとう。本当にあなたのおかげよ。あの時アスカを助けてく
れて、白エヴァもやっつけてくれて。あなたがいなかったら、人類は滅んでい
たわ」
私はそれをたまたま通りかかったときに聞いてしまった。
それを聞いたとき、涙が出てきた。私は結局役立たずで終わったのだ。それな
らそうとはっきり言ってくれた方がどんなにかましか。
ミサトが出ていった後、シンジの病室に入った。
「あ、アスカ」
そこには相変わらずおどおどとした目で私を見る少年がいた。二人が一緒に暮
らし始めた頃は、そんな目で見る事もなかったのに。
「さすが、サードチルドレン、シンジ様ね。世界を救った英雄ね。ミサトの賞
賛も一味違うわ」
私の刺だらけの言葉を受けて、彼は身を竦ませる。
「そんなの、ちがうよ。実を言うと、僕にもよく解らない。また・・・エヴァ
が暴走したんだよ。初号機が活動限界に来ても、勝手に動いたんだ」
怒られた子供がいいわけをするように話す。
「だから、僕のおかげだなんて言われても」
「うるさい!」
私は彼の言葉を遮るように怒鳴った。
「あんたなに言ってんのよ。エヴァってものがパイロットとのシンクロってい
うわけの解らないもので動いている以上、私達パイロットはエヴァとどれだけ
シンクロ出来るかが能力なのよ?あんたは一番シンクロ率が高かった。だから
エヴァが動いた。それだけの事じゃない!」
彼は何も言えずに黙っている。
「もうちょっとは自慢したら?僕には才能があるんだって。僕は世界を救った
英雄だって」
そして私は彼に背中を向けると部屋を出ていった。
彼は黙ったままだった。
結局その後、ネルフとUNがした事は事実の隠蔽工作だった。
極東の島国のほんの一地域での出来事だ。
エヴァも、ゼーレも、何もかもなかった事にされ、私は体が回復するとドイツ
に返された。
普通には暮らしていける程度のお金の支払いが、死ぬまで保証されたかわりに、
一切について口をつぐむ事を約束させられた。
ネルフや第三新東京市での関係者との接触も禁じられた。
どのみち、UNとネルフが本気で隠蔽工作をした以上、私一人何を言っても無
駄だ。真実を口にしても狂人扱いされて終わるだけだ。
14歳までずっとその組織の中で育ってきた私は、殺されないだけ、消されな
いだけマシだと思った。
16の時に家を出た。
出て行く私に父は言った。お前は研究の為の人工受精で出来た子で、私の本当
の子供ではないのだ、と。
私は一言、そんなのとっくに知っていたと答えた。
父との関係はそれで終わった。
アメリカの大学院に入った。
大学で専攻していた物理学ではなく、数学科にした。記号と数字の世界なら、
余計な事を考えずにいられると思った。
しかし、私はすぐに行き詰まった。
どんな学問の世界にも、自分なりの世界観を確立している事が要求される。私
にはそれがなかった。
人とは距離を置いて付き合っていた。
ドイツでの大学時代ほどではないにしろ、マスターに16歳の少女がいる事は
いやでも目立つ。近づいてくるものはたくさんいたが、私のそっけない態度で
そのうちあきらめて去っていく。
誰にも私の過去は分からない、私の思いは理解できない。そう思っていつも一
人ぼっちでいた。
そのなかで一人だけ、友人と呼べるような関係の人がいた。
ジェニーといって同じ研究室にいた彼女は、私より6つ年上だったが、生真面
目な性格のゆえか、外見も行動も派手なところがなく落ち着いていた。
私が情緒不安定なのを見かねた彼女は、カウンセリングを薦めたが、私はなか
なか受ける気にならなかった。
ある日、ビデオで「F. B.」という古い映画を見た。
軽いアクション映画のつもりで見たら、内容は違っていた。
ヴェトナム戦争で有能なグリーンベレーの隊員として活躍した男が国に帰って
くると一転冷たいしうちを受ける話だった。
映画の中で彼は言った。厳しい訓練に耐えて、強い自分を作り上げて国のため
に戦ったのに。その時自分はヒーローだと思っていたのに。
帰ってきたらどうだ?職もなく、社会からは置き去りにされて。自分の能力な
んてなんの意味もない。俺の努力はなんだったんだ?俺の人生はなんなんだ?
最後、主人公が泣きながらそう語るところで、私も泣いていた。
映画や本に泣くなんて生まれて初めてだった。
それまで私は、自分のような人間は他にいないと思っていた。
少なくとも14歳までは、世界に2人しかいない選ばれた子供として育ってき
た。私がいなければ世界は滅ぶのだと教えられて生きてきた。
厳しい訓練をずっと受けてきた。あざだらけになった格闘技も、完璧なトライ
リンガルになる為の訓練も、頭が痛くなっても止められないシンクロテストも
ぜんぶ全部そのためだと言われた。
そして現実に、私は戦ったのだ。なんだかよく解らない、怪しい使徒と称され
るものたちと。
私の記憶にはしっかりと残っている。右目を貫かれ手足を食いちぎられた感触
が。
そして・・・、最後はこの主人公の男と同じように、用済みになるとあっさり
と捨てられた。
映画が終わり真っ黒なままの画面の前で、私は泣きつづけた。
今も昔もこれからも、よくある話だったんだ。
私は特別な立場の人間でも何でもなく、歴史の裏で名もなく利用され、消され
ていった人々の、一人でしかなかったのだ。
悔しくて悲しくて泣きつづけた。
そして、涙がかれたあと、私のこころに新しい考えが生まれていた。
今まで、私の気持ちは誰にも解らないと、ずっと思っていたけれど、私がこの
主人公に感情移入したように、誰か私を理解してくれる人もいるかもしれない。
私は孤独な人間ではないかもしれない、と。
その夜、私は5歳のときからずっと大事にしてきた「他の人間とは違う特別な
自分」をとうとう手放してしまった。誰かから理解してもらえる、誰かを理解
できる自分への希望とひきかえに。
その日から、私は昔は手にとる気もおきなかった児童心理学(そう、この児童
という言葉が気に入らなかった)の本や、その他いろいろな本を、手にとって
読むようになった。
それらの行為は、ますます私に「自分は特別でもなんでもない、むしろ典型的
といってもいいような愛されなかった子供だった」ということを認識させた。
私はある日ジェニーに、カウンセリングを受けてみようと思っているといった。
彼女は、それがいい、話すだけでも楽になる事もあるからと微笑んだ。
その時、私達の前を一人の学生が通りすぎた。
彼、ジョンは彼女が密かに思いをつのらせている相手だったので、私は彼を呼
び止めると三人で少し話をした。
彼が行ってからジェニーは、あの人は、やっぱり私の事なんて友達以上に思っ
ていないのよね、とつぶやいた。
そんな事ないわよ、あなたと話をするとき、彼は嬉しそうだもん。ただちょっ
とジェニーがまじめだから、彼も上手く誘えないでいるのよ。もっと積極的に
行動したら?
ホントにそう思う?と聞いてくる彼女の顔は初恋をした少女のようで、かわい
かった。
うん、大丈夫よ、と私が言うと、彼女は真っ赤になってうつむいた。
そのときなんで彼女とだけは友達になれたのか解った。
外見も歳も話す言葉も違ったから今まで気がつかなかったけれど、彼女は私が
初めて友達になった少女とそっくりだった。
生真面目な性格ゆえに、ちょっとまわりから煙たがられるところ。でも優しく
て細やかで、好かれているところ。そして恋愛にとてもおくてなところ。好み
の男性のタイプまで。
大丈夫よ、ジェニー。今度のパーティーに誘ってみたら?
彼女の恋を励ましながら、私の初めての友達だったあの少女は、ヒカリは、今
どうしているんだろうと考えた。