暗闇
 ひそやかな呼吸。

 どことも知れぬ薄暗い部屋に一人の少年がいた。
 精神的圧迫感を必要以上に感じさせる狭い部屋には堅いベッド、簡易トイレ、何もおいてない机と椅子。それだけがこの部屋に存在する全てだった。音と言えば、かすかにジーッと音を立ててプライバシーという名の個人の防壁をうち崩す監視カメラがたてる音のみ。
 そこに、少年こと碇シンジはいた。
 闇を見つめて何を考えているのか?
 むろんそれを知る術はないが、彼は目を暗闇の中で意味無く開き、目を覚ましてからの数時間を、ただぼんやりとしていた。
 目を開けて寝ているのかとも思われたが、そうではなかった。扉の前でかすかな音がすると、闇の中で彼の目がクイッと動いた。彼の目の前で無機的な空気音を鳴らして金属の扉が開いき、その音に反応して彼は身を起こした。
 まぶしそうに扉の人影を見つめていると、数瞬のためらいの後に低い声がかかった。

 「出なさい。碇シンジ君」



<その三日前>

 ブリーフィングルーム。
 そこに彼は、シンジは左右を没個性の黒服に囲まれ、ミサトの前に立っていた。普段は子供達通しのちょっとしたざわめきや、戦闘前の作戦説明時の軽い緊張感が支配する部屋なのだが、今は身を切るような視線が織りなす無形の沈黙が支配する鉄の箱だった。沈黙の張本人であるミサトのシンジを見つめる目には、いつものおどけた雰囲気が全くなく、鋼鉄の鋭さを持っている。
 シンジは何か話しかけようと思ったが、その雰囲気に口を開くことができなかった。
 黒服の男達はうなだれるシンジをミサトの目の前までつれてくると、それで仕事は終わったとばかりに退室した。ここから先は彼らの管轄外、事実知ったことではない。
 彼らがいなくなると、ミサトはシンジを睨み付けながら聞いた。

 「シンジ君。どうして、私の命令を無視したの?
 アスカを自分のエントリープラグに乗せたのは、まあ許すとして、どうしてその後退避しなかったの。
 もしあのまま使徒を倒せなかったり、ゴジュラスが制御不能になったりしたらどうなってたと思うの?」
 「すみません・・・」
 「『すみません』ですむ問題じゃないわ!
 私はあなたの作戦責任者なのよ!あなたは私の命令に従う義務があるの!
 わかる!?」
 「わかりました・・・」
 「本当にわかってるの!?」

 ミサトはシンジに対して厳しい態度をとった。
 仮にもネルフは軍隊であり、加えて戦時中である。そのような環境の中では、たとえ理不尽な命令であっても部下は上司の言葉には絶対服従をしなければならない。そうしなければ、秩序を保てないからである。そしてシンジは彼女の命令を無視した。
 だが、そのことをまだ中学生であるシンジに理解させるには、まだまだ早すぎ、無理なことだった。
 シンジは辛抱強くミサトの言葉を聞いていたが、その、まるで自分や他のチルドレンを道具か何かのように喋るミサトの言葉にいらだち、ついには言葉荒く反論を返した。黙っていると、自分が道具なのを肯定してしまいそうだったからだ。

 「もういいじゃないですか!勝ったんだから!!」

 「あんた、自分の仕事をなんだと思ってるの!そんないい加減な気持ちで!
 ・・・・・もういいわ。しばらく頭を冷やすことね」

 それだけ言い残して、ミサトはシンジを退室させた。再び黒服に連行されていくシンジ。
 シンジが退室した後、しばらくミサトは部屋に残っていた。彼が自分の言うことを聞かなかったことを、自分の思い通りにならなかったことを、うつむき、考え込みながら。


 「何で命令無視なんかしたのよ?下手したら死んでいたかもしれないのに・・・。
 レイコ達を助けるため?
 ・・・そっか、彼は自分が軍隊の一員なんて、考えてもいなかったんだわ。
 あの特攻は、アスカのためでも、レイコのためでも、私達のためでもなかったんだわ。
 そんなことにも気づかないでいたなんて、・・・私、上司としても、家族としても失格ね」

 (・・・・・・・・やばいわ、若いツバメが逃げかねない。何とかしないと・・・)

 口ではそう呟いていたが、本心ではとんでもないこと考えていた。


<碇家のリビング>

 リビングの一角では世間一般で言うところの、『こたつ』を囲んで仲良く座り、2人の少女と、1人の妙齢の女性がいた。
 普通の主婦が着るにしては若々しい服を着た妙齢の女性は、ごりごりと不器用にリンゴの皮と言うか身というか、とにかくリンゴをむいている。むろん3人で食べるためだが、他2人はそうは思っていないようだ。
 2人の少女はそれをむいたそばから食べていく。女性の分を残してあげるといった考えはない。女性のこめかみがちょっとだけひくついていた。
 一人は水色の壱中の制服を着て、無表情にぱくぱくとリンゴを食べている空色の髪の少女。
 一人はオレンジ色の柄の少ないワンピース着た茶色の髪の少女。
 やはり、もぐもぐとリンゴを食べている。
 いったいいくつのリンゴを食べたのか、ユイの前の皿には大量の皮がたまっていた。

 (Q○太郎)

 そんな失礼なことを思いながら妙齢の女性、碇ユイが話しかけた。

 「ねえ、レイ。
 確か、今日の正午だったわよね。シンジが釈放されるの」
 「はい。確かそうでした」
 「・・・だめよ、レイ。もう少し自然に話せるようにならないと。今はネルフで仕事中じゃないんだから」

 やっぱり一口もリンゴが食べられなかったことが悔しかったのか、ちょっときついユイの叱咤。その言葉にやはり無表情のままだが悲しそうにレイがうつむいた。場にちょっとだけ暗い空気が流れた。
 話をそらそうと何気なさを装ってレイコがユイにたずねる。

 「ねえ、ユイ母さん。どうして、シンちゃんが営倉いりしないといけないの?
 そりゃあ、ミサトさんの命令は無視したかもしれないけど、そうしなければ私死んでたかもしれないし、それに何より使徒をやっつけたのよ。わかんないよ」
 
 「・・・レイコ。いろいろあるのよ。
 葛城さんも、もちろん私だって辛いわ。命を賭けて使徒を倒したシンジ達を営倉に放り込まないといけないから。でも、私達はそうしなければいけないのよ。ネルフみたいに大きな組織になるほどね。そして私は決まりを守らせるためにもいるの」

 「でも・・・」
 レイコはまだ何か言おうとしたが言いよどんだ。上目づかいにじっとユイを見ている。たとえ相手がアスカであっても決して後には引かない彼女だが、やはりユイは苦手らしい。
 それを見ていたユイが唐突に口を開く。少し面白そうな響きが声に感じられた。
 「そうだ。あなた達、今日の実験は休んでいいわ」
 「本当!でも、なんで?」
 「そのかわり、シンジのところに行ってほしいの。私が行きたいところなんだけど、さすがに用事があって・・・。葛城さんやキョウコばかり働かせるわけにはいかないから」
 「わかったわ!私達、シンちゃんの出所祝いに行って来るから!」
 立ち上がりながらレイコが答えるが、レイはやっぱり無表情に座ったままだ。
 それにしても、出所祝いはないんじゃなかろうか?網走じゃないんだし。

 「レイ。いいわね」
 「それは、命令ですか?」
 「はあ。・・・・・・命令よ」
 ため息をつきながらユイがレイに言った。心の底から疲れたような顔をしていた。
 (どうして、こんな変な性格の子になっちゃったの?育てかた間違ったかしら?
 レイコはレイコで底抜けに明るいかと思ったら、とんでもないことを平気でする爆弾娘だし。
 何よりもほっとくといつまでも、モノを食べる大食らい。ご飯をあげるって言われたら誰にでもほいほいついて行くんじゃないかしら?)
 とっても失礼なことを考えてるユイ。
 しかし、二人はまだ物足りないと言った顔をしているから、あながち間違いではないかもしれない。

 「わかりました」
 最後のリンゴをゴッキュンとのみこんで、やっぱり無表情にレイが返答する。
 そそくさと立ち上がり部屋に戻ろうとするが、そのときレイコがにやにや笑いながらレイに話しかける。

 「ねえ、お姉ちゃん。
 シンちゃんに会うの三日ぶりよねぇ。やっぱりうれしい?
 お姉ちゃんがシンちゃんを見る目って、なんか違うのよねぇ。他の男子より接し方がずっと優しいし。
 これは、も・し・か・し・て〜〜?」

 レイコがそこまで言うと、少しだけ顔を赤くしてレイが返事をした。
 「・・・何を言うのよ」
 その反応を見て、ユイも興味津々。今の彼女は年齢相応、近所の噂好きなおばさん。
 「レイ、シンジのことを好きなの?
 シンジったらもてるのねぇ。それより、ねえ、どんなとこが好きになったの?
 顔?それとも料理とか家事がうまいところ?やっぱり、私に似て優しいところかしら?
 アスカちゃんとキョウコには悪いけど、こっそり相談にのってあげるわよ」
 高周波攻撃を加えるユイ。レイはもちろんレイコもその変わり様と、攻撃のすさまじさに呆気にとられている。そんなことを無視して質問は続く。レイはなんと答えればいいか分からずおろおろもじもじとしている。少し赤くなった困った顔をして、スカートの裾をキュッと握りしめてたりする。
 ちょっと、いやかなり可愛い。
 それはともかく、ユイの攻撃は続く。










しばらくお待ちください。











 「い、行って来ます」
 「お姉ちゃん待って、わたしも・・・・」
 二人がそう言って碇家を出たのはそれからだいぶ後のことだった。ちなみにそのときの時刻はAM11:50分。ここからではどんなに急いでも、ネルフ本部まで30分はかかる。つまり完全な遅刻。ユイも仕事があったがやっぱり遅刻。後で、さんざんにどやされることだろう。だが、彼女は司令という特権を生かして『そう、良かったわね』と言いながら、きっとキョウコ達を煙に巻くはず。
 そしてその反動は、きっとチルドレンに返ってくる。
 レイコはよけいなことを言わなければ良かったと心の底から後悔していた。


<ネルフ本部>

 シンジとアスカがネルフ本部内の、異様に長いエスカレーター上にいた。
 二人ともつい先ほど解放されたのだが、そのときからお互いに一言も口をきかずにいる。話さなかったと言うより、話せなかったと言うべきかも知れない。アスカは目に見えるほど不機嫌なオーラを溢れさせていたからだ。シンジはそんなアスカを少し気にしながらも、少し恐怖し、なんと声をかければいいか分からず、アスカの数歩後ろを黙って歩くだけだった。
 後ろを金魚のフンよろしくついてくるシンジのことを気づいているはずだが、アスカはただむっつりと黙り込み、彼の方を見ようともしなかった。
 その異様な沈黙の前には、途中で声をかけようとした青葉、日向、伊吹のオペレーター三人衆も固まってしまう。
 10人以上の人間を石化させた後、沈黙に耐えかねてついにシンジは口を開いた。

 「アスカ・・・その、巻き込んじゃってごめん」
 アスカは怒った。シンジの言葉があまりにも卑屈に感じられたからだ。
 本当ならシンジも参っているはずだから、優しい言葉でもかけてあげ、自分たちは間違ったことをしていないと、再確認するつもりだったのだが、彼女の口から出てきたのは辛辣な刃だった。
 「どうして謝るのよ?私が作戦無視してやられちゃって、それを助けたせいであんたは営倉に入れられたのよ!私が謝りこそすれ、あんたが謝る必要なんて無いじゃない!
 まあ、使徒にいともたやすく負けた私のことを心配してくれたんでしょうけど、おあいにく様。この惣流アスカラングレーはあんたなんかに助けてもらわなくても、アレくらい簡単に脱出できたわよ!!
 私に貸しを作ろうとしたんでしょうけど、あんたは私の下僕なんだから貸しになんかならないわよ!」
 (違う!あたし、こんな事言いたいワケじゃない!!どうしてこんなに意地っ張りで負けず嫌いなのよ!?
 どうして素直になれないのよ!?)

 言った後、心の中だけで辛そうにするアスカ。
 「・・・・別にそんなつもりであんなことしたわけじゃないよ」
 「へえ、そう。私に恩でも売ろうとしてたんじゃないの?馬鹿シンジが考えそうな事ね。
 それともレイコを助けるため?そうすれば、ファーストにも恩を売れるからね。まったく、男ってのはどうしてそんなに・・・」
 アスカの言葉をシンジは遮った。とても辛そうに。
 「別にそんなこと考えてなんかいないよ。
 あの時、本当にアスカのことが、綾、・・・レイコさんのことが心配だったんだ。だから・・・」
 「ああ、もういいわよ!私帰る!何でこんなトコであんたと言い合わなければならないのよ!?あんなバスもテレビもない所に三日も閉じこめられてイライラしてるんだから、話しかけてこないでよ!!」
 それだけ言うとアスカはエレベーターを走りながら昇っていった。
 その顔は怒りに満ちていたが、どこか辛そうだった。
 そしてシンジはそれに気づくこともなく、暗い目をしながらただアスカの姿が消えていくのを見守っていた。





新世紀エヴァンゾイド

第四話Aパート
「レイ 心の向こうに」



作者.アラン・スミシー



 「シーンジ♪」
 突然そう言って傷心のシンジに抱きついてくる女の子。
 言わずとしれた綾波レイコ、ではなくて霧島マナである。
 今日の彼女は、お気に入りの白いワンピースを着ていた。休日だから私服でいても問題はないのだが、一応今日も起動試験等がある。だからなるべく着替えやすくて、なおかつ動きやすい服の方が良いのだが、鋼鉄のガールフレンドこと霧島マナはそんなことにはお構いなし。今の彼女は恋する乙女。あなたが望むなら2人ッきりの時、裸だって見せてあげるわ!といったところか。
 大胆なマナの行動に、当事者のシンジは赤い顔をして、どこか困っているように見えた。
 それを敏感に察知してマナはシンジから離れる。顔は笑っているが、目の奥には『やりすぎたかな?』と自分の行動を後悔する光が浮かんでいた。

 「大変だったわね。せっかく使徒をやっつけたのに、命令無視で閉じこめられちゃうなんて。ホント、ミサトさんたらこういうことにだけ妙に厳しいんだから。
 ・・・・・ねえシンジ。辛そうだけど、なにかあったの?
 そういえばアスカさんは?アスカさんも今日釈放されたんでしょう?」
 「うん。さっきまで一緒だったんだけど、少し喧嘩しちゃって・・・。先に帰っちゃったんだ。
 でも、何で急に怒りだしたんだろう?やっぱり三日も閉じこめられていたせいかな」
 そこまで言って、シンジは自嘲するように顔をゆがめた。もしかしたら笑おうとしたのかもしれない。
 「よくわかんないけど、話してみてよ」
 促され、シンジはマナに先ほどのいきさつを話した。まったく蛇足のない、客観的な話し方で。それを聞いたマナが眉をしかめる。

 (アスカさん、シンジを巻き込んだことをとっても気にしてるのね。でも、あれだけ意地っ張りな人が素直に謝れるわけないもんね。で、シンジの言葉に突っかかって、喧嘩になっちゃったと。まったくしょうがない人ね〜。
 シンジも何でそれに気づかないのかしら?もしかしてシンジってすっごい朴念仁なのかな)

 「ねえ、どうしたの?急に黙り込んじゃって・・・。あの、なにか分かった?霧島さん」
 顎に右手を当てて、薬中の名探偵のように考え込むマナに、シンジは不安そうな目を向けた。しばらくして、マナは顔を上げるとシンジの目を見据えて、ちょっときつい口調でこういった。
 「そうね。たぶんどうして喧嘩になったのかは分かったけど、私の口から言うことはできないわ。これはシンジとアスカさんの問題だから。
 それから、私のこと霧島さんじゃなくって、マナって呼んでね♪」
 「え、あ、うん。・・・ま、マナ。これでいい?」
 「うん、よろしい♪・・・ところで、シンジ今暇がある?
 もし暇だったら、ちょっとそこまで散歩にでも行かない。お弁当持ってきてるんだ」

 返事を待たずに、そのままシンジの手を引っ張ってジオフロントの森林公園に向かうマナ。彼女の生地の薄いスカートが、風にもまれてふわふわと彼女の足にまとわりつく。だが、彼女の足は空気ででもできているかの様に軽やかに舗装されていない、土の小道の上を駆けていく。
 シンジもはじめはその強引さに驚いていたが、実際暇だったし少し息抜きをしたいと思っていた(何よりマナに誘われてうれしかった)ので、抵抗もせずに公園まで引っ張られていった。途中から、マナに引っぱられると言うより、シンジが引っぱるような形になる。
 その事に気がついたマナは、ほんの少しだけ先行するシンジの横顔を見て、にっこりと笑った。





 ちょうど時間は昼食時で、公園にはちらほらとネルフ職員の姿が見える。中にはシンジ達が知った顔もおり、ちらちらとシンジ達の方を見ていた。それがシンジには妙に恥ずかしかった。
 適当な場所を見つけるとシートを広げ、シンジは恐る恐る、マナは楽しそうに隣り合って座った。シンジは左手に触れたマナの手にビクッと身を震わせるが、優しい眼差しで顔をのぞき込むマナを見ていると何も言えなかった。赤くなって視線を下に向けるシンジにクスッと笑いかけると、2人はサンドイッチを食べ始めた。
 とたんに周りからの視線が集中していく。

 「うふふ。私達、周り中のみんなから見られてるわね。もしかしたら、恋人同士に見られてるかも」
 「な、なに言ってるんだよ。ビックリするじゃないか!」
 「・・・シンジ、私と一緒にいるの、嫌なの?」
 「嫌じゃないけど、恥ずかしくって・・・」
 マナの言葉に真っ赤になってシンジが答える。周りで見ていた職員達はそのあまりにも初々しい二人にすっかり当てられて身もだえしていた。
 「真っ赤になっちゃって、シンジのそんなところってかぁわいい♪」
 反応に気をよくして、笑いながらシンジのおでこをつつくマナ。
 公園にいた人間はカップルも独り者も全員がのけぞる。

 「なあ、シゲル・・・。少し背中見てくれないか?かゆくてたまらないんだけど・・・」
 「おまえもか?俺もなんだ。・・・ところでマヤちゃん。大丈夫かい?」
 「素敵ね〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!私もシンジ君とあんな事してみたーーーーーーい!!」
 いやんいやんしながらもだえるマヤ。ついでにアスカそっくりな声のオペレーター。
 それを気味悪そうに日向が見つめ、青葉がだったら俺が!といった感じでマヤを見ていた。

 額をちょっと強めにつつかれたシンジは、痛かったので文句を言おうとしたが、彼の言葉は途中で消えた。マナの顔が、目の前10cmでニコニコ笑っていたからだ。マナの髪の毛の匂いが風に乗って彼の意識に到達したとき、シンジはたちまち真っ赤になった。彼だけではない。ふと2人の目が合い、お互いの姿勢と顔の距離に気がついたマナも真っ赤になって動きが止まる。
 ギャラリーは声もなかった。ただ生唾を飲み込む音と、ビデオテープが動くかすかな音が聞こえるのみ。
 周囲の状態に気づいているのかいないのか、2人はラブラブなLMSフィールドを展開した。周囲の雑音を遮断するために。
 ちなみにこのLMSフィールドはタイプKIに分類されるもので、あまり広範囲には展開できないが最も強度が強いと言われている。さすがは鋼鉄のガールフレンド、堅さだけなら誰にも負けない。他にはタイプYAやタイプIB、タイプKAといったものが確認されている。
 とにかく今の2人の間に分け入る存在には死あるのみ。
 だが、その絶対不可侵な領域に近づく命知らずがいた。

 「やあ、シンジ君。元気そうで何よりだ。
 霧島君と一緒に昼食かね」
 ネルフ(一応)副司令、冬月コウゾウである。

 「あ、副司令。こんにちは」
 シンジとマナがあわてて挨拶をした。絶対不可侵のはずのLMSフィールドは効果がなかった。さすがのLMSフィールドもすっかり枯れた男には効果がないらしい。
 「いや、いいんだよ。今は昼休みだ。そんなにかしこまらなくてもいい。
 ・・・ところで、すまなかったね。シンジ君。君を独房に入れたりなんかして。使徒を倒した功労者である君に罰を与えなければいけないとは、何とも矛盾した話だがこれも決まりというものなんだよ。
 だから、あまり葛城一尉やユイ君達を恨まないでくれないかね」
 「そんな、恨むだなんて・・・。あ、そう言えばミサトさん達はどこにいるか知りませんか?」
 「ああ、彼女たちなら今君が倒した使徒の分析作業をしているよ。
 明日は君も使徒の残骸を見に行く予定だ。たぶんそのとき会えるのではないかな。」
 「そうですか、わかりました。ありがとうございます。副司令」
 「いや、別に礼を言われるほどのことではないよ。
 それよりも、こっちから君に礼を言いたいくらいだよ。
 君は知らないかもしれないが、碇がいなくなってからユイ君はひどいヒステリーをおこすようになってね、大変だったんだよ。だが君がこっちに来てくれてからはそれも治まってね」
 冬月のヒステリーという言葉に、ムゥッとした顔をしながらマナが力強く頷いた。
 激しく頷き会う2人を見て、シンジはユイのヒステリーを想像し、怖くなって慌てて冬月に謝った。イヤ、もしかしたらユイのヒステリーに酷い目にあった全ての人達への謝罪だったのかも知れない。
 「・・・そうだったんですか。すいません」
 「君が謝る事じゃないだろう?
 葛城一尉も言っていたが、その謝り癖はなおした方がいいんじゃないかね。
 いかん、もうこんな時間か。・・・いや年寄りの長話につき合わせて悪かったね。じゃあ、邪魔者はこれで退散するよ。
 シンジ君、これからもしっかりと頑張ってくれたまえ」
 それだけ言うと冬月はその場から離れていった。

 (いったい、なんの話をしに来たのよ、あの副司令は!?そんな馬に蹴られるようなことばっかりやってるから、その年になってもまだ独身なのよ!!)
 マナがそんなことを考えながら冬月の後ろ姿を睨み付けていた。
 実は彼はシンジに近づく女の子を調査する、ユイの間者の一人だったりする。マナの言葉じゃないが、だからあんたはその年になっても独身なんだよ。
 それはともかく、いつの間にか昼休みは半分以上終わっており、職員達もだいぶ少なくなっていた。
 シンジ達はあわててサンドイッチを食べはじめた。

 「ねえ、シンジおいしい?」
 「うん。おいしいよ、マナ」
 「ありがと、シンジ♪」

 10分後、すっかり食べ終えて満足そうなシンジと全部食べてもらってうれしそうなマナ。
 なんだかとってもいや〜んな感じぃ。
 そのいや〜んな感じが心地よいマナは、お茶を飲むシンジをにこにこしながら見つめていた。
 (ふんふん。まだまだアスカさんやレイさんの方になびいてるみたいだけど、まだ私にもチャンスあるみたいね。
 焦ることないわ。この調子でゆっくりと籠絡しましょ)

 「じゃあ、マナ。僕いったん帰るからまた明日ね。
 ・・・それから、今日はありがとう。おかげでだいぶ元気になったよ」
 名残惜しそうなシンジの言葉。
 「別にこんな事ならいつでもOKよ。じゃ、私午後からアロザウラーの起動実験があるから・・・。また明日ね!」
 彼の言葉に、マナはそれだけ言うとスカートをヒラヒラさせながらケージのある方に歩いていった。
 
 「さてと、帰るか!」
 彼女の姿が見えなくなるまで見送った後、迷いが吹っ切れたのか元気よくシンジは歩き始めた。
 職業柄ずっと見ていたガードの目には、彼の姿がほんの少し、大きくなったように見えた。





 そのころ、レイとレイコの二人はジオフロント森林公園に向かっていた。シンジがマナと一緒にジオフロントにいたという情報を聞きつけたのだ。そのことをレイ達に話した潔癖性のオペレーターは、現在極度の緊張により医務室で寝ていたりする。
 何が彼女たちを駆り立てているのかは知らないが、その歩調は歩くと言うより走ると言った方がいいだろう。
 レイコはそれと分かるほどの怒りを顔に浮かべ、レイは全くの無表情だがその背中から鬼気を立ち上らせていた。途中ですれ違ったネルフ職員達は彼女たちを確認した瞬間、顔を引きつらせながら道を譲った。そのことからも彼女たちの怒りのほどが知れよう。
 シンジの運命やいかに?

 だが、彼女たちがそこについたときにはすでにシンジはいなかった。一歩どころか十歩ほど遅かったのだ。
 ちっと舌打ちすると、レイコは素早く状況を分析する。
 「いないわね。・・・・よし、お姉ちゃん。
 二手に分かれて探しましょ!そして見つけたら、すぐ連絡して!引きずってでもつれて帰るわよ!
 そして、マナさんと何をしていたか洗いざらいはかせるのよ!!」
 「わかったわ」
 二人はこくりとうなずき返すと、二手に分かれた。シンジを捕まえるために。
 レイコは公園周辺を捜索し、レイは行き違いになったと判断して元来た道を戻り始めた。シンジはとっくにこの場を離れたと判断したからだ。

 レイの判断は正しかった。
 それからしばらくして、レイはジオフロントゲート付近でシンジを見つけた。何かゲートチェックでとまどっているらしい。
 それにかまわずレイはシンジに近づき、背後に立つと冷たい声で話しかけた。

 「碇君。・・・何をしてるの?」
 「えっ、綾波・・・。ちょっとカードの調子がおかしいんだ。機械にとおしても反応してくれないんだ。
 やっぱり、カードが壊れちゃったのかな?」
 「・・・・・・・・・」
 レイは無言のまま自分のカードでゲートを開いた。そしてシンジの手を引っ張るとそのまま扉が閉まりきる前にゲートをくぐる。当然背後では警報が鳴るがレイはまったく気にしない。そのままリニアモノレールの駅までずんずん歩いていく。
 「ちょっと綾波!なんか大騒ぎになってるけど、いいの?」
 小心なシンジはびくつきながらレイに言うが、返事は全くない。
 もう少しレイに注意を払っていたら、少し赤くなっていることに気がついただろう。
 そのまま駅まで早足で進み、モノレールに乗り込んだ。
 あわててシンジが乗り込むと、モノレールは発車した。
 普通なら警報が鳴ったことでモノレールは停止するのだがそこはネルフ。とっくにシンジとレイが無理矢理ゲートをくぐったことで警報が鳴ったことを確認しており、すでに警報を止めていた。ユイの絶対命令が出たからだ。
 もっとも警備の人に迷惑をかけたと言うことで、後で二人がこっぴどく怒られるのは別の話。

 座席に向き合って座るがそのまま無言の二人。
 シンジは何か喋らなきゃと思っていたが、何を話せばいいか分からない。
 レイはなぜ自分がこんな事をしているのか、今頃になって疑問に思い、自分で自分が分からなくなって答えのない思考の迷宮を彷徨っていた。
 そのまま駅から出ても無言のままだったが、ついにシンジは意を決して話しかけた。根拠があるわけではないが、絶対にレイの方から話しかけてくることはないことが、理屈ではなく分かったからだ。
 「・・・・・綾波。今日は実験とかなかったの?」
 「今日はないわ。碇司令が休みをくれたから。それに赤木博士も信濃博士もいないもの」
 「そっか。使徒を見に行ってるんだったね。
 あのさ、・・・・・綾波は怖くないの?」
 「何が?」
 「何がって、・・・・・・・・・・その、ゾイドに乗るのが」
 振り返りもせずにレイが質問を返す。
 「あなたは怖いの?」
 その質問にシンジは少し考え込んだが、すぐにはっきりとした返事をした。
 「そりゃ怖いよ。怖くないって言う方がおかしいんじゃない?」
 「お母さんの仕事が信じられないの?」
 「分からないよ・・・。母さん、何も話してくれないから。」
 シンジがそう言ったとき、初めてレイはシンジの方を振り返った。少しだけ寂しそうな顔をして。
 「私は、信じてるわ。
 私が信じてるのは、この世で碇司令とレイコだけ。
 ・・・碇君。あなたも司令を信じて。あなたが信じないとあの人は悲しむから」
 それだけ言うとレイはそのまま歩き始めた。
 結局二人は家に帰るまで終始無言だった。
 その後、レイから連絡をもらって駆けつけたレイコによってマナと一緒に昼食を食べたことを白状させられたのは、やっぱり別の話である。



 その夜、碇家にはユイ達は帰ってこず、アスカはヒカリの家に泊まりにいっておりシンジは久しぶりに一人だった。正確に言えば、赤木家の猫とペンペンがいたが。
 いろいろ彼をこき使う同居人がいないせいか、彼がいない間たまっていた掃除や洗濯もとっくに終わらせて、シンジは久しぶりにゆっくりしていた。完全に主婦業が身に付いている気がするが、気のせいだろうか?それはともかく、シンジは三日間の拘束でたまった垢を流し、さっぱりとした気分を取り戻したが、全然気分が晴れていなかった。
 彼の心は、ペンペン達と遊んでやりながらも物思いに耽り、沈んでいた。
 (この世で信じているのは、碇司令とレイコだけ・・・・か。どうして、そんなに母さんのことが信じられるんだろう?
 理由があって僕たちをゾイドに乗せるのは分かってるけど、納得できたわけじゃない。
 綾波だけじゃない。レイコさんも母さんのことを信じている。あの二人にとって母さんっていったい何なんだろう。そして、母さんにとってあの二人は何なんだろう。だいたいどういう関係なんだよあの3人)




<第二次直上戦跡地>

 その次の日、シンジは巨大な仮設施設内に保存されている使徒の残骸を見ていた。残骸と言っても見上げるほど大きく、シンジはその大きさに圧倒され、呆然としていた。
 「これが、僕が、僕たちが倒した使徒」

 そのすぐ横の研究室で、リツコとミサトが話していた。
 リツコはあいかわらず、タイトな服装の上から白衣を着ており、目の前のMAGIの端末を操作している。一方のミサトは上はTシャツ、下は作業ズボンをはき、頭には色気のない作業用ヘルメットをかぶっていた。
 「シンジ君、結構元気そうね」
 「元気そうって、それどういう意味よ?」
 「言葉どうりよ。前回に続いて二回も死にそうになったんですもの。逃げ出してもおかしくないわ。
 加えて、命令無視で営倉に入れられたのよ。ふつうは落ち込むでしょ。
 その様子が見られないって事は、結構彼が強いのか、周りが支えてあげたかのどちらかね」
 リツコはそこまで言うと、年齢相応に驚きの顔をして使徒を見上げるシンジに目を向けた。ミサトが彼女の視線を追い、視線の先の正体に気がつくととたんに不機嫌な顔をする。
 「ふ〜ん。そこまで分かってて、あの時私の意見に反対しなかったの。まさか、私がシンジ君に嫌われるようにし向けたんじゃないでしょうね?
 まさか、落ち込んだシンジ君に優しくしてあげて、モノにしようとか考えていたんじゃ・・・?」

 「そ、そんなことあるわけないじゃない!まったく、ミサトったら何を言うのよ」
 「思いっきり動揺しているみたいに見えるんだけど」
 「いやね。気のせいよ、気のせい」
 焦りまくっているリツコをジト目で睨むミサト。はっきり言ってリツコの弁明なんて信じてはいない。
 敵だ。ミサトはハッキリそう判断した。
 「思いっきり納得いかないけど、それはまあ・・・・・・良くないけど、いいわ。
 それより三日以上も調べてるんだから、敵さんのサンプルから何か分かったのかしら?」
 「見てのとおりよ」
 汗を上品なハンカチで拭いながら、リツコは真面目な顔をしてディスプレイをミサトに見せる。
 そこにはこう書いてあった。


601



 「・・・何これ?」
 ディスプレイをのぞき込みながら、ミサトが質問をした。まったく意味が分からなかったからだ。
 その質問に顔の横で揺れるミサトの胸を鬱陶しそうに見ながら、リツコがぼそっと呟いた。どうせ教えても栄養が全部胸に行って脳が活性化していない、あなたには分からないでしょうけど、と心で付け加えながら。
 「解析不能を示すコードナンバー・・・」
 「つまりワケわかんないってコト?」
 「そう、でも・・・」
 コーヒーを一口飲んでリツコが続ける。
 「二つ解かったことがあるわ。
 使徒の体は波と粒子両方の性質を持つ、光のようなモノで構成されていること。
 それから使徒の固有波形パターンが構成素材の違いはあっても、人間の遺伝子と酷似してるってコトが。
 ・・・99.89%ね」
 その言葉を聞き、ミサトがハッとした顔をする。リツコも真剣な顔で頷き返した。
 「99.89%!!
 それって・・・・・・・・・どういうこと?」
 疑問符を頭からはやしたミサトの言葉に、なんかどっと疲れたという顔をしてリツコが答えた。
 「知らないわよ。
 母さん達は何か知ってるみたいだけど。でも、教えてくれなかったわ」
 「なによ、それ」
 「つまり、私達の知らない秘密がネルフにも、使徒にもあるってコトよ」
 「ネルフ、そして使徒の秘密か・・・。使徒を送り込む謎の組織、ゼーレ。
 考えてみれば、ユイさん達は敵のことを元から知ってたみたいね。ゼーレって名前も後から考えたんじゃないみたいだし。
 先の使徒、サキエルだっけ?アレを三番目だって言ってるわね。アレが三番目だったら、一番目と二番目はいったいどうしたっていうのかしら?」
 「さあね。・・・・・とかくこの世は謎だらけよ」
 それだけ言うとリツコは、この日何本目になるか分からないタバコに火をつけた。





 圧倒されて声も出なくなったシンジが使徒を見ていると、後ろから話し声が近づいてきた。
 「ええ。劣化が激しくてサンプルとしては完全とは言えませんが・・・・」
 「かまわないわ。これ以外は全部破棄して」
 その声にシンジが振り向くと、そこにはユイとキョウコ、ナオコがいた。3人はシンジに気がつくとにっこりと笑いかけてきた。
 ナオコが固まったシンジに不思議そうな視線を向け、どうしたのか聞こうと口を開きかけるが、キョウコに白衣の袖を捕まえられて口ごもった。2人は無言で目配せをしあった後、
 「あら、シンジ君。昨日は帰宅できなくてごめんね。
 この使徒について少しでも解析をしておかなくちゃいけなかったのよ。まあ、三日も泊まり込んで解析をしてたから、今日はもう帰れるけどね。
 そういえば、昨日はアスカちゃんとふたりっきりだったのよね?
 ・・・・えっ、違うの?ふ〜ん、アスカちゃんも照れ屋さんね」
 「ごめんね、シンジ君。うちの猫ちゃん達の世話を押しつけて。
 それより、・・・・ほら、ユイさん。話すことがあるんでしょう。じゃあ、しっかりね」

 それだけ一方的に言うと、ユイを残してさっさと使徒のコアの方へと歩いていった。シンジはすれ違いざま、キョウコが『しっかりね』と言うのが聞こえたような気がした。
 シンジと二人だけにされて、少し困っているユイ。とまどっているのが手に取るように分かる。シンジはそんなユイが可愛いと思った。
 「・・・あの、シンジ。ごめんなさいね。
 命がけで戦ってくれたあなたをあんな目に遭わせて。でも、葛城さんのことを悪く思わないで。
 あなた達に命令して、使徒との戦いの指揮を執ることが彼女の仕事だから。だから命令無視したあなたには何らかの罰を与えなければいけなかったのよ。決して、シンジのことを嫌いなワケじゃないわ。
 それだけは分かってあげて」
 「別に、もう気にしてないよ。
 命令無視した僕が悪かったんだしね。でも、もうこんなコトしないとは言い切れないと思う。
 また、同じようなことがあったら、僕は・・・」
 「わかってるわ。あなたのしたことは軍人としては間違っていたけど、人としては間違ってないわ。その調子でしっかりやりなさい。
 ・・・・それから、あの時言い忘れてたけど、よく頑張ったわね。シンジ」
 それだけ言うとユイはキョウコ達の所まで歩いていった。シンジが落ち込んでいない、強い意志を秘めていることに満足して。

 シンジはそれを見送っていたが、ふと見るとユイの両腕に醜いひきつれがあるのを発見した。
 (あれは・・・、火傷?)
 ユイの腕にあるひきつれ、火傷。今まで気がつかなかった傷があるのを見つけ、シンジは不思議な顔をした。

 「何見てんの?シンちゃん♪」
 「わっ!!」
 いつの間にか体を柱で隠すようにユイを見ていたシンジは、突然背後から声をかけられて大声を上げた。幸い周囲の作業音に隠れて、その声はユイには届かなかったようだ。
 あわてて振り返ると、ミサトが立っていた。その顔はおもしろそうに笑っている。
 「驚かさないでくださいよ、ミサトさん」
 「なによ、あなたが勝手に驚いたんでしょ。それより何を見てたの?
 ははーーーん。お母さん見てたの?でも、そんな熱い目で見てると誤解されるわよ」
 この人には困ったモノだと言った感じでシンジが説明した。
 「そんなんじゃないですよ。
 あの・・・母さん、手に火傷してるようだから・・・」
 「ヤケド?そう言えば司令いつも化粧で隠してたわね。でも昨日は泊まりだったから・・・。
 ねー、リツコ。司令のヤケドのこと知ってる?」
 ミサトの質問にリツコは答えるべきかどうか一瞬迷ったが、家族なら知っておくべきだろうと思い話す事にした。良かれ悪しかれ・・・。

 あらためて、音が静かなコンピュータールームに3人が入り、ミサトが扉を閉めて完全に外と遮断のを確認すると、リツコは遠くを見るような目で話し始めた。
 「あなた達がまだここに来る前・・・レイ達が今の部屋に暮らす前の話よ。
 そのころの二人は確かに碇司令、ユイさんと普通に会話していたんだけど、どこかよそよそしかった。
 人形の姉妹。そんな感じだったわね。
 母さんの話だと、あの二人を育てたのはユイさんだってことだけど、とてもそうとは思えないくらいにあの二人はユイさんになついてなかったわ。ユイさんが一緒に住もうと言ってもハイともイイエとも言わなかったわ。
 そんなときよ、あの事件が起こったのわ」



 「パルス逆流!!」
 マヤの声とともに、神経接続状態を示すグラフが断裂していく。警報が鳴り響き、オペレーターの心に苛立ちを産み付ける。
 「中枢神経素子にも拒絶が始まっています!!」
 ゴジュラスの目が鈍く緑色に光り、その体を動かないように止めている金属の拘束具がみしみしと音をたてた。
 北欧神話の破壊神『ロキ』のように激しく身を捩り、その振動が地鳴りを伴って観測室を揺らした。両腕を固定していたロックボルトを破壊し、腕の拘束具を引き抜こうとあがく。
 ついには、1000トン以上の張力にも易々と耐えられるはずの拘束具が基部ごと引きちぎられた。
 そして何かに苦しむように頭を抱えながらヨロヨロと歩き出した。
 リツコの声が響く。
 「コンタクト停止!6番までの回路開いて!」
 「信号拒絶っ!だめです!!」
 そのまま、のたうつように暴れ回るゴジュラス。自らの体が傷つくこともかまわずに、壁に頭突きを、蹴りを浴びせ続ける。
 ついには、マヤが悲鳴をあげる。
 「G制御不能!」
 ユイが焦った声で命令を叫んだ。
 「実験中止!停止信号を送りなさい!!」
 ユイの指示を受け、リツコが素早くコントロールパネルのガラスを叩き割り、奥にあるレバーを引く。
 装甲をはずされたゴジュラスの胸部で淡く輝いていた紅球が光を失う。だが、その動きは止まろうとはしない。
 むしろますます激しく暴れ出していた。
 「Gのゾイド生命体が活動停止!
 補助動力機関の内部電源に切り替わりました!
 ゴジュラス、完全停止まであと35秒!!」
 暴走したゴジュラスは狙ってでもいるかのように、管制室にいるユイ達めがけて攻撃を繰り返す。だが、超強化ガラス及び特殊複合鋼の壁によってその攻撃はかろうじて止められる。あくまでかろうじて。
 微動だにせず、その攻撃を眺めているユイに向かってキョウコが叫ぶ。
 「ユイ!危ないわ!そこから下がって!!」
 幾度も繰り返されるゴジュラスの頭突きとパンチにより、ガラスは完全に砕け、壁もぐちゃぐちゃにひしゃげる。飛び散ったガラスの破片がユイの頬を浅く傷つけた。だがユイはじっとゴジュラスを見つめたまま、動こうとはしない。
 「オートエジェクション作動!!」
 マヤの報告とともにゴジュラスの首が前のめりに折れ曲がり、首の付け根に当たる部分からエントリープラグが排出された。暴走したロケット噴射によってそのまま天井までぶち当たり、それでも止まらずネズミ花火のように右へ左へと動き回る。
 「レイッ!」
 それまで微動だにしなかったユイが叫んだ。声と同時に燃料が無くなったプラグが落下した。パラシュートが開くが、高さが低くあまり役にたっていない。
 「ワイヤーケージ!特殊ベークライト!!急いで!!」
 ナオコの命令によって、拘束ワイヤー、及びベークライトが噴出される。それにより、電源が切れる前だったがゴジュラスの動きが鈍くなった。
 そして、そのときには、すでにユイはケイジに向かって走っていた。
 パイロットを失ったゴジュラスだが、それでもまだ暴走は止まらない。
 その横をすり抜けるようにユイが落下したプラグへと駆け寄る。心配そうに見守るキョウコ。
 「5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・0」
 ちょうどユイがプラグへとたどり着いたとき、ゴジュラスの暴走は止まった。
 ユイは地面に落下したプラグの緊急用ハッチを開けようとするが、ハッチのハンドルはジェット噴射と天井や壁との摩擦熱により高温になっていた。
 
 「きゃあ!」

 ハンドルをつかむがその熱さにあわてて手を離すユイ。
 だが、一瞬の逡巡もなく再びハンドルをつかむと、掌が焼けるにも関わらずハッチを開こうとする。
 「ううううぅぅうううう!!!」
 うめき声を上げ、顔をゆがませるユイ。手からは肉の焦げる臭いがするがそんなことにいっさい関わらない。

バシュッ!

 ついにそんな音を立ててハッチが開き、加熱したLCLがユイの顔や手と言わず全身に降りかかった。
 その体が焼ける苦痛を無視して、ユイはプラグ内に頭を差し入れる。
 中では、レイが頭から血を流して気絶していた。

 「レイ!」
 ユイの呼びかけによって気がついたのか、ゆっくり顔を上げて目を開くレイ。どこか焦点の合わない目をしていたが、意識ははっきりしているようだ。
 「大丈夫なの、レイ!?」
 「はい・・・」
 とても小さな声でレイが答えた。
 それを聞くと、ユイはほっとした顔でレイに笑いかけた。じわじわとその目に涙が浮かび始めていた。
 「そう・・・。良かった、無事なのね・・・」
 そのままレイを抱きしめると、ゆっくり泣き始める。
 「ごめんなさい。ごめんなさい。こんな危ない目に遭わせて・・・。
 でも、良かった・・・。あなたが無事で」
 そんなユイをとまどった目で見つめながらレイがたずねた。ユイの行動がまったく理解できない故に。彼女は生まれて初めてとまどっていた。
 「どうして、泣くんですか?私にはいくらでも代わりがいるんじゃなかったんですか・・・」
 「あなた達に代わりなんかいないわよ。そんな悲しいことを言わないでよ・・・。
 私達、家族でしょう。家族に代わりなんか無いのよ。
 でも、本当に良かった。あなたが生きてて・・・」

 そのまま、ユイは医療班とレイコが駆けつけるまでヤケドの手当もせず、レイを抱きしめながら泣いていた。


 「・・・といったことがあったのよ。
 掌のヤケドはそのときのモノよ。でも、それからね、レイ達がユイさんに心を開くようになったのは・・・。
 あれから、ユイさんの言うことは素直に聞くようになったし、ユイさんのことを『お母さん』て呼ぶようになったのよ。
 そして、ヤケドのせいで家事ができなくなったユイさんを助けるために、隣の部屋に引っ越してきたわ。
 もっともあの二人、そんなユイさん以上に家事ができないんだけどね」 
 シンジはリツコの説明をただ黙って聞いていた。
 聞いているしかなかった。あまりにも壮絶なユイの火傷の由来を聞いて。
 ミサトとリツコが再び仕事の話に戻るのを頭の隅で聞きながら、シンジはもしレイの立場に自分がいたら、ユイはどうしただろうと考えていた。


Bパートに続く



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