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第四話 「過去への回帰」




 「おはよう、アスカ」

 いつからだろう、一日の始まりを、この部屋でするようになったのは。

 家にいても、思い出にからめとられてしまい、震えているだけだ。

 チェロも、もうしばらく弾いていない。

 チェロの音は、心に良く染みる。

 一人のとき、寂しさを紛らわすのには良いけど、度を過ぎると苦痛になる。

 孤独を紛らわそうとすればするほど、虚無感が漂うばかり。



 でも、今日は久々に来訪者。

 トウジが家にくるんだ。

 ついでと言いながらも、洞木さんも来るらしい。

 ケンスケも、と思って電話したけど、今日は日本にいられないって言ってた。

 アスカがいってた「3バカトリオ」も、今じゃみんな、働いてるんだよ。

 サードインパクトが無ければ、今ごろみんなで高校に通ってるだろうね。

 受験勉強で、僕なんか目の下にクマ作ってるかもしれない。

 アスカはあの歳で大学を卒業してるから、余裕だろうけどね。

 勉強させないで、ご飯を作らせてるだろうな。



 ―――儚い夢。



 今は、もう仕方がないと思ってるし、実際、僕らが責められる理由はないと思うよ。

 そんなことが問題じゃないことは、僕は十分知ってるし、だからこうして目覚めたんだ。

 だから、アスカ。

 結論なんて、日常の中で見つければいいじゃないか。

 心の中に、答えがあるとは限らないよ。

 お願いだから、目を覚ませてよ、アスカ。

 アスカ。



 「・・・行ってくるよ」



 後に残るのは、何事もなかったような静寂ばかり。



 午前中は、子供たちと絵を描いたり、歌を歌った。

 今では僕も、そんな日常的な生活ができるまでに回復した。

 子供たちの優しい瞳は、常に何かを求めているのに、僕は何もしてあげられない。

 甘えたい盛り。僕に出来ることといったら、せいぜいそんなことぐらい。



 午後の事を、この施設の責任者、大塚という初老の女性にお願いする。

 彼女は、セカンドインパクト以前の戦争で使用された放射能兵器で、子どもの産めない
体になってしまった。

 だから、彼女の子どもに対する愛情は、並大抵のものじゃない。

 大塚さんは僕に、

 「子どもは人間の宝っていうけど、親の宝の間違いよね」

 と言ったことがある。その時、僕は大塚さんの悲しみを知った。

 彼女のような人がいてくれたら、ここの子供たちも愛情を知らずに育つ、なんてことは
ないだろう。

 彼女が僕に仕事を任せてくれたのも、僕の心を解ってくれたから。

 大塚さんは、僕がエヴァ初号機のパイロットということを、知っている。

 今となっては、彼女の様に僕のことを知っている人間はもうあまりいないけれど、彼ら
が決まって口にするのは憎しみの言葉。

 当たり前のことの様に、僕を非難し、暴力を振るった。

 僕は反抗する理由が見付からないまま、言われるまま、殴られるまま、3年間過ごして
きた。

 もちろん、真実を知っている人もいる。ただの巧言にだまされた人々もいる。

 それでもやはり、自分の冒した罪を償う術を、僕は知らないから。

 他人を傷付ける勇気が、自分を護ろうとする弱さに変わってしまった。

 真実は、単純にして明快。

 一度遺族の方々に捕まって、無理矢理壇上にあげられたことがある。

 そこは罵声と野次が飛び交う、「敵」のさなかに置かれた一つの処刑台。

 「僕は弱い人間だから、戦いから逃げていました、それだけです」そう言った。

 「あなたたちは強い人間だから、人を殺してまで幸せになろうとするのですか?」

 「それなら僕を殺して、幸せを感じるのですか?」

 「人を殺すことで、幸せを得て、何が人間なのですか?」

 僕はそういいながら、アスカに思いを馳せる。

 「幸せを感じることのできない人もいます」

 「生きることに、疑問を持たない人もいます」

 「死ぬことに、希望を持つ人もいます」

 そこまでいって、僕は自然と涙ぐんでしまっていた。

 「あなたたちは、五体満足の体で、今、この世界で生きることが、できるのでしょう?」

 「それでも幸せじゃないんですか?幸せを感じることができないんですか?」

 「僕は確かに、数々の戦いで、人間を傷つけ・・・時には命を奪ってきたかもしれない
。いろんな敵も殺してきた」

 「僕は敵を殺すことで、幸せを得ることができると、思ってたんだ」

 「だけど、そんなの、本当は違うと思う」

 「ある人に、僕は言われたんだ。『生きることと死ぬことは、等価値なんだよ』って」

 「僕はその人を殺してしまった・・・」

 彼の顔を思い出して、急に嘔吐感が胸を襲う。

 僕の手は、血塗られている。どんなに洗っても、洗っても、消えない「穢れ」。

 「・・・カヲル君は、僕を好きだって言ってくれた」

 「でも、僕が彼を殺したのは、彼に裏切られたからじゃない」



 (敵だったから)



 その一言が、言えない。いったら、吐いてしまいそうな気がして。

 「確かに、彼を殺して、僕は生き残ったし、今ここにいるすべての人も、僕が彼を殺さ
なければ逆に殺されていたかもしれない」

 「何が正しくて、何が悪いかなんて、結局は人間の一人よがりなんだ」

 言い終えると、次第に人数が減っていった。

 肩で息をして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔。

 あきれて帰ってしまったのかな。



 最後まで残っていた女性。それが大塚さんだった。

 「あなたたちは、セカンドインパクトの後に生まれてきたのね・・・」

 「つらかったでしょう。恐ろしいものと戦ってきて。まだ、こんな年端もいかない少年
が、私たちを救ってくれていたのね」

 「みんな、解っています。あなたを責めることが、いかに不当で侮辱的なことかを」

 それでも、私たちは生き残ることができたのよ、と言って、泣きながら僕を抱きしめて
くれた。

 大塚さんに薦められて、僕は今、ここで働いている。



 「じゃあ、お願いします」

 「はい。それじゃあ、楽しんできなさい」

 大塚さんはそう言って、僕を送り出した。

 相変わらず外は曇っていて、陰鬱な気分にさせるけど。

 それでも、3年前よりはだいぶマシになったかな。

 コンビニだって、新しく作られているし、車だって走っている。

 改めて、人間という生き物の強さを感じる。

 日本という国が、二度もの首都の壊滅を受け、そして再生したのも、やはり人間の強さ。

 確かにそれは人間としての本能だけではないかもしれない。

 群衆という一つの心理が生まれなければ、人は人間としての生活を得られないのだろう。

 でも、人としての幸せは違う。

 サードインパクトによって、人は幸せになれるはずだったようだけど、失われた幸せま
では、帰ってこない。

 消えてしまってものは、帰ってこないんだ。

 だから、生き残れた僕らは、幸せにならなければいけないんだ。

 憎しみと悲しみで一生を終えてしまうことなく。



 トウジと会うのは、3年ぶり。僕がまだ病室で寝たきりの時、一度だけ訪れてきた。

 松葉杖で洞木さんに支えながら僕に近づいてくるトウジの顔を、僕は見ることができな
かった。

 きっと僕は、泣いていたと思う。

 初めてあった時のように、殴られるのは覚悟していた。

 そんなことで、泣いていたんじゃない。

 決定的な言葉を口に出されるのが、恐かった。

 トウジと僕が、トウジと僕でなくなる瞬間。

 それは、僕をこの世界に留めておく鎖を、引き千切る痛み。

 だけど、トウジは、そのことについては、何も言わなかった。

 ただ一言「よく、帰ってきたな、シンジ」と。



 あの時・・・僕は、何も言えなかった。

 ただ、僕の中で、何かが変わろうとしていたのを、覚えている。


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