俺がその場末の酒場に足を踏み入れたのは、5:00PMの少し前、そろそろ空がオレンジ
色に染まろうかという頃合だった。
まだ宵の口というにも早すぎる時刻のためか、煙草と安い酒の臭いが充満する店内に
客の姿はまばらだった。男達が3人、店の奥にある丸テーブルに陣取り、ポーカーに興
じている。他に客の姿はない。
どうやら俺の方が先に来ちまったらしい・・・・
カウンターの空席につくと、それまで黙々とグラスを磨いていたバーテンが近づいて
きた。
「何にします?」
「シェリー酒だ。そんなに高いやつじゃなくていい。・・・・・それからな。」
「はい。」
「ここにヘソを出した黒い髪の女がこなかったか?」
「いいえ。」
バーテンは無表情に首を振った。
「・・・・そうか。ならいいんだ。」
俺とのやり取りが終わると、バーテンは黙って後ろを向いた。
ほどなく、目の前のテーブルの上にグラスが置かれ、それに透明の液体がそそがれだ
す。
「スパイク・・・・・・スピーゲルさんだね。賞金稼ぎの。」
唐突に目の前で声がした。
それまでグラスに酒がそそがれるのを眺めていた俺の視線が、ゆっくりと正面へはい
上がる。
そこに、あいかわらず表情のないバーテンの顔があった。
バーテンはグラスに酒をそそぎながら、俺のことを見ていた。
お互いの目が合う。
「そうなんだろ。」
バーテンの口の部分だけが動き、そこから抑揚の感じられない無機質な声が漏れた。
カウボーイ・ビバップSS
ア・ウーマン・ハード・トゥ・ディール・ウィズ
その日、俺がフェイからの通信を受け取ったのは4:00PMの少し前だった思う。
いつもの様にビバップ号のリビングのソファに寝そべり、惰眠をむさぼっていた時の
ことだ。
「ハアイ お元気? 私がいないんで寂びしかったんじゃない?」
「アァ?」
せっかくいい気分で寝ているところを起こされたうえに、起き抜けに見せられたのが
能天気この上ない疫病神の顔とあっては誰でも似たような対応になる。
俺はクソ面白くもなさそうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えた。
途端に、モニターに映る疫病神殿の笑顔が険しくなる。
「ちょっと。せっかく私が3日ぶりに連絡取ったてのに、そんな挨拶はないでしょう。
」
「3日? 別に一生連絡とれなくても、こっちはいっこうにかまやしないぜ。」
「どういう意味よ、それ?」
「言ったまんまその通りの意味だ。じゃあな、今度は来世で会おう。」
そう言って俺はさっさと通信を切ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 話がまだ済んでないでしょう。」
「聞かなくてもわかる。」
俺はモニターに映るフェイの顔を睨みつけながら言った。
「な、なによ・・・・」
「どうせお前のことだ、この3日間どこかのカジノにでも入り浸ってたんだろ。それで
有り金全部すっちまったもんで迎えに来てくれって寸法だ。冗談じゃねえ。」
「ア、アンタねえ。」
「とにかく俺は今寝るのに忙しいんだ。話なら他の奴にしてくれ。」
俺はそう言うと、ゴロリとソファに横になった。
「いいわよ。ならジェットを出してよ・・・・」
「アイツは今病院に行ってる。」
「病院?」
「ケダモノの病院だ。朝から犬っころの調子が悪いと騒いでやがった。」
「・・・・・・ならエドは?」
「アイツも一緒に行った。」
「・・・・・」
「残念だったな。」
俺はフェイの顔が映るモニターに背を向けた。
しばらく沈黙が流れる。
通信の切れた様子はない。今、フェイの目には俺の背中が見えているはずだ。
「あ、あのさ・・・・あたし賞金首見つけたんだ。」
俺の背中越しに声が届いた。
「・・・・・」
「ほ、ほら前に言ってたリック・ゲイルって奴・・・・100万ウーロンが懸かってる・
・・・」
遠慮がちに言うフェイの言葉にも、100万ウーロンという金の響きにも俺は振り返らな
かった。
「そいつが今夜シティのカジノに現われるって情報をつかんだのよ・・・・。だから
皆で捕まえようと思ったけど・・・・いいわ。独りでやる。」
「・・・・・」
「平気よ、このくらいなんとかなるわ。じゃ・・・・」
通信が切れた。
と、思ったら一端消えたモニターが再びついた。
「でももし手伝う気になってくれたなら、5:00PMにウロボロスっていう酒場に来て。
場所はシティの東の外れにあるわ。それじゃ。」
もう一度通信が切れた。
今度はもうモニターは再びつかなかった。
俺は寝返りをうち、それまで背中を向けていたそのモニターに目をやった。
ブラックアウトした画面が俺の目に映る。
まったく・・・・・、独りでやるって言っておきながら、未練たらしいことぬかしや
がって・・・誰が行くか。
俺はもう一度寝返りをうち、再びモニターに背を向けると、憤然と目を閉じた。
その1時間後、俺はフェイの言ったウロボロスという酒場に足を運んでいた。
我ながら何故来たのか、と思うのだが理由は俺にもわからない。
永遠の謎だ。
だが慣れないことってえのはするもんじゃない。
節を曲げずにあのまま眠ってりゃ良かったものを、あのはねっかえりに関わったため
にどうやらまたトラブルに巻き込まれそうな雰囲気だ。ヤレヤレ・・・・。
「もう一度聞く。スパイク・スピーゲルさんだね、賞金稼ぎの。」
バーテンが、再び俺を問いただした。
「さあ? どうだったかな?」
「とぼけるなよ。」
そう言って、バーテンが店の奥に顎をしゃくる。
そちらに目をやると、先ほどポーカーをしていたはずの男たちの視線が皆、俺の方を
向いていた。・・・・・どれもポーカーを楽しんでるという目つきじゃなかった。
それが証拠に、その内の一人の手にはカードではなく拳銃が握られ、その銃口がピタ
リと俺に向いている。
残る二人の仲間もご同業だろう。銃こそ握っちゃはいないが、その体にまとわりつか
せた鉄の様な雰囲気・・・・・、こういう荒仕事は初めてじゃなさそうだ。
「正直になった方がいいぜ。なにせ命は一つっきりしかないからな。」
俺は視線をバーテンに戻した。
グラスには相変わらず酒がそそがれ続けている。
すでに中の液体はその容量をオーバーし、テーブルの上に溢れ出していた。
「素直に話せば怪我で済せてやるよ。」
『全治一生でか?』
俺はテーブルの上でだんだん大きくなってゆく水溜まりを見つめながら、腹の中で苦
笑いを浮かべた。ありがたいねえまったく、涙が出るよ。
「どうなんだ?」
「わかった。そうだよ。」
少々苛ついた感じの出てきたバーテンに、俺は軽い調子で答えた。ついでに肩をすく
め、両手を軽く上げるてやる。
「いかにも、スパイク・スピーゲルってえのは俺だよ。で、何だ? 俺の名前がとう
とう無銭飲食のブラックリストにでも載ったか?」
「ヨハネス・シュナイダー。この名前に覚えがあるだろ?」
「さて・・・・、このところ人と会う機会が多かったからなあ・・・・・。」
俺は顎に手をやり天井を見上げた。
「帰って日記でも見直しゃ思い出すかも・・・」
「賞金首だよ。・・・・・いや、正確には賞金首だった。三日前にお前さんたちが、
奴を捕まえたからな。」
バーテンの言葉に、俺はさも今思い出した、という風に手を打った。
「ああ・・・あいつか。思い出した。」
「俺達は奴と同業の者でね。」
「変だな・・・・にしてはオタクらに賞金が懸かってた覚えはないんだが・・・・・
。・・・・・なんだ、奴の手下のザコか。」
一瞬、バーテンの顔がこわばり、凶暴な相がその顔に浮かびかけた。そのまま手にし
た酒瓶で殴りかかってくるかと思ったが、なんとか持ち直し、もとの無表情に戻る。
「奴の仲間だ。それと口の聞き方に気をつけろ!」
幾分バーテンの声が低くなっていた。
「へえへえ。」
耳をほじりながら俺が生返事を返す。
「で、その同僚の方々が俺になんの用だ? ダチを捕まえられてその腹いせにでも来
たか? 麗しい友情だな。」
バーテンが首を振った。
「いや。ドジを踏んで捕まっちまった者に興味はない。自業自得だ。だが捕まった時
、奴は使いの途中だったのさ。あるものを運んでいてね。それを今俺達は探してる。
」
そう言い終え、バーテンは手にしていたとっくの昔に中身の無くなった酒瓶を、トン
とテーブルの上に置いた。
「あの時奴が持ってた鞄・・・今どこにある?」
「鞄? ・・・さあな。奴と一緒に警察が持っていったんじゃないか?」
何気ない風に振る舞いながらも、俺の脳裏には3日前、ヨハンを捕まえた時の光景が甦
りつつあった。
鞄・・・・そう言えばあったように思う、だが・・・・ありゃ確か・・・・
「それがないんだ。いろんなところに金を配って、あちこち探してみたんだがどこに
もない。捕まる直前まで奴がそれを持ってたという事は掴んでるだが、どういう訳だ
かそれが警察に行くまでの間に消えてるんだ。どうしてだろうな?」
「さあ? どうしてかな?」
「誰かがこの間に盗んだと見るのが普通だろうな。」
バーテンが凄みのある目で俺のことを見た。
その視線を、俺が静かに見返す。
しばし沈黙が流れた。
「それとこれは今日入った情報なんだが、この界隈のその手の鍵屋に、特殊な鞄を持
ち込む者がいたそうだ。特殊な電子ロックがかかっていて普通では絶対開けられない
鞄なんだが、それを開けてくれと頼んでまわっていたらしい。その鍵屋たちに例の鞄
の写真を見せたら、皆これに間違いないと言うんだ。」
「へえ。」
「持ってきたのは、『ヘソを出した黒い髪の女』、だそうだ。さっきお前が言った女
のことだろ。」
「・・・・・」
表情には出さず、俺は腹の中で舌打ちしていた。
あの女ギツネ・・・・・
「どこにある?」
「俺は持ってねえよ。その女に聞いてくれ。アイツが俺達の目を盗んで勝手にやった
ことだ。関係ねえ!」
「それはおかしいな?」
そう言って男が右手を見た。
そこにあったドアが開き、中から男に背中を突き飛ばされるようにして一人の女が出
てきた。
一番見たくない顔がそこにあった。
女が俺の方を見、引きつった様なぎこちない笑顔を見せる。
俺は頭を抱えたくなった。
そこに、両手に手錠をかけられたフェイが突っ立っていたのである。
「彼女は鞄を君に預けたと言ってるが?」
「冗談じゃねえ!」
精一杯力を込めて抗議したつもりだが、どうにも気力の方が萎えてしまっていたらし
い。自分でも情けなくなるほど弱々しい声が出た。
「俺はそんな鞄の事なんざ一切知らねえ。その女が出鱈目を言ってやがるんだ。」
バーテンがちらりとフェイの方を見、また俺に何か言おうとした。
その時、
「往生際が悪いわよ・・・・男のくせに・・・。」
横手から声がかかった。フェイの奴だ。
「もうだめよ、あきらめて。私もなんとかあなたの事は黙っていたかったけど・・・
・私だって女ですもの・・・・せめて最期の時くらいは愛する人と一緒でいたかった
のよ・・・・」
愁いを帯びたその黒い瞳が、俺の事を見つめていた。
そしてその頬に光るものを見つけた時、俺は開いた口がふさがらなくなった。
愛する人だあ!!!
「ねえ。もうこうなったら言う通りにするしかないわ。この人たちだっておとなしく
渡せばそんなに手荒くはしないはずよ。そりゃ、鞄を奪おうと持ちかけたあなたを痛
めつけるぐらいはするかもしれないけど・・・・・。でもそうなっても私は平気、傷
ついたあなたを私の愛で癒してみせる。だから・・・・」
「いいかげんにしろ!」
俺は我知らず、いつの間にか立ち上がって怒鳴っていた。腹の底でふつふつと怒りが
わいている。
「だ、だ、誰が愛する人だ、誰が! い、いつ俺達がそうなった!」
逆上して喚く俺の言葉にフェイは少しも動じず、逆にそっとうつ向くと、その頬を赤
くしながらぽつりとつぶやいた。
「・・・・・いやだわ。女の私にそんなことを言わせる気?」
「て、てめえ!」
俺は激昂してフェイに飛びかかろうとした。
が、バーテンが立ち上がって俺の肩を掴み、強引に席につかせた。
「痴話喧嘩はそれくらいにして、そろそろこちらの用件を済せてもらおうか。鞄はど
こにある?」
バーテンが言った。この俺にだ!
痴話喧嘩だと・・・・・。まったく、どいつもこいつも!
「知らねえよ。」
ぶっきらぼうにそれに答える。どうにも腹の虫がおさまらねえ。
「それは困ったな。」
バーテンはそろりとその言葉を口にすると、カウンターの下に手をやった。
その手がテーブルの上に出てきた時、そこに拳銃が握られていた。
その銃口が持ち上がり、ゆっくりと俺の方を向く。
目の前、10センチぐらいしか離れてないその銃口を、俺は憮然とした表情で眺めた。
「命がなくなってもいいのか?」
バーテンが聞く。
「知らねえもんは、知らねえ。」
俺が答える。
バーテンが値踏みするように、俺の目の奥を覗いた。
ゆっくりと、銃口が俺の前から消えた。
「そうか。ならこれではどうかな?」
バーテンが席を立ち、ゆっくりとフェイの方へと近づいた。そしてその傍らに立った
奴は、今度はその銃口をフェイのこめかみへと向けた。
つまりこの女の命が惜しければ・・・・、というやつだ。
しかし・・・・、その光景を見て、俺は恐怖を感じるよりもむしろ呆れた。
「アホか? 今のやりとりを聞いてなかったのか? 俺はそいつとは何の関係もない
し、そいつがどうなろうと知ったこっちゃねえ。」
鼻先でせせら笑うように言ったつもりだったが、バーテンには通じなかったようだ。
「ならそこで黙って見ていろ。」
そう無造作に言うと、奴はためらうことなく引き金にかかるその指に力を込めた。
その目つきに、一瞬俺の背中に冷たいものが走る。
「ま、待った!」
「何だ?」
「そいつに何を聞いたか知らねえが、鞄の在り処はそいつしか知らねえ。そいつを殺
せばわからなくなるぞ。」
「本当か?」
バーテンがフェイを見る。
フェイが首を振った。
「違うと言ってるが?」
「馬鹿! 本当の事を言っちまえ。でないとこいつ本気だぞ。」
一瞬、フェイが俺を見た。本当の事を言おうか言うまいか・・・・葛藤が攻めぎあっ
ているようだったが、結局この女はこの女らしい判断を下した。
フェイの首が・・・もう一度横に振られた。
「だ、そうだ。」
バーテンの指に再び力がこもる。
「わかった! 言う。言うよ。俺の負けだ、鞄の在り処を言う。その代わりその女を放
してやってくれ。頼む。」
「鞄の在り処を聞いてからだ。」
「・・・・わかったそれでいい。」
俺は観念したように肩を落とし、顔を伏せて言った。
どうしてこうなるんだ?
バーテンが再び俺の前に座った。
「どこにある?」
「・・・・・・言う前に一つ頼みがある。」
顔を伏せながら俺は言った。
「煙草を一本吸わせてくれ。」
「なに!?」
「いいじゃねえか。これが最後になるかもしれねえんだ。頼む、吸わせてくれよ。」
顔を上げ、両手を合わせて拝む様な格好をする。
「・・・・・いいだろう。ただしおかしな真似はするなよ。」
バーテンが、俺の眉間に銃口を向け直した。
俺はうなずくと、上着のポケットから煙草を取り出して口にくわえ、それに火をつけ
た。
深く吸い込み、そしてゆっくりと煙を吐き出す。
「うまいねえ。」
しみじみと俺は言った。
その後、何回か煙を吐くうちにバーテンが焦れてきた。
「おい、もういいだろう。そろそろ・・・・・」
「まあ待てよ、こうなったのも何かの縁だ。最後に一つ芸を見せてやるよ。」
そう言うが早いか、俺は大きく口を開け、煙草をその上に乗せたまま、ゆっくりと突
き出した舌を丸め始めた。
「お、おい・・・・・」
目の前でバーテンが慌てた様な声を出すが気にしない。かまわずその作業を続ける。
俺の動きに合わせて舌の上に張り付いた煙草が倒立し、やがてそれは重力の働きによ
って、元あった場所とは反対の方向へと倒れた。つまり俺の口の中へ・・・・
口を閉じ、喉仏が動く。
そして・・・・、再び開いた俺の口の中に、煙草は影も形もなくなっていた。
「バア!」
「・・・・ふざけた野郎だ。」
にっこりと笑う俺に、しかめっ面でバーテンが答えた。
「さて、つまらん芸も見たし、とっとと鞄の在り処を吐いてもらおうか。」
「嫌だね。」
「なんだと!」
「イヤだと、俺は言ってるんだ。」
言い聞かせる様に、俺は一語一語区切るようにゆっくりとした口調で話した。
「どうせ在り処を言っても、このままおとなしく帰してくれるつもりはないんだろ。
だったらアンタラに鞄を取られた分こっちが損じゃねえか。なら言わない方がいい。
」
「てめえ、殺されてえのか。」
ついに凶悪な本性を現したのか、バーテンが手にした銃を俺に突き付けて怒鳴る。
「それも嫌だ。で、しょうがないからもう一つの方法をとった。」
「・・・・・?」
「さっき俺が飲み込んだあれな、煙草に含まれてるニコチンてやつは猛毒なんだぜ。
知ってたか? 例え一本といえど飲み込んだ日にゃあ・・・・」
そう言うが早いか、俺は猛烈な腹痛と寒気に襲われ、体をくの字に折ってカウンター
の上に突っぷしていた。
「お、おい?」
バーテンの動揺した声が遠くに聞こえた。
「へ、へへ・・・・。どうだい。俺が死んだら鞄の在り処がわからなくなるぜ・・・
」
苦痛に顔を歪めながら、俺はバーテンに笑いかけた。
「て、てめえ!」
バーテンがそう叫んだ瞬間、俺の体に強い痙攣が走った。
俺はたまらずスツールから転がり落ち、床へと倒れこんだ。その後何回か痙攣は続き
、俺の体が、埃っぽい床の上でのた打ち、跳ねる。
「クソ! オ、オイ手を貸せ。こいつを病院に担ぎ込むぞ。鞄の在り処がパーになっ
ちまう。」
その言葉を合図に、店内にいた計5人の男たちが俺のまわりにワラワラと集まってきた
。
そしてそいつらが俺を取り囲んで担ぎ上げようと、手にした武器をいったん収め、一
斉にしゃがみ込もうとした瞬間。
それまで痙攣にのた打っていたはずの俺の体が、突然ふわりと立ち上がった。
あまりに突然の出来事だったため、男たちには何が起こったのか理解できなかったろ
う。しゃがみこもうと身を屈めた状態のまま、男達の動きが止っていた。
俺は指先で火の付いた煙草を弾いた。口の中に入れて飲んだと見せ、実は別のところ
に隠し持っている。手品としちゃ古典的なものさ。
中腰の状態のまま、煙草がゆるいカーブを描いて落ちてゆくのを、男たちが唖然とし
た表情で見つめていた。
その顔が、なんとも蹴りごろの位置にあるじゃないか。
次の瞬間、俺の右足が鞭の様にしなり、前方に並ぶ3人の男の顎に飛んでいた。
ヒット! 回し蹴りを食らった男たちの体が後方に吹っ飛ぶ。
後方で気配動いた。
と同時に、俺は男たちの顎を砕いた右足を地面に着けると、今度はそれを軸足として
、勘だけで左足を右斜め後方に走らせた。空手で言うところの後ろ蹴りだ。
靴底を通じて、手応えがあった。この感触、当たったのは鼻ぱしらだな。
数瞬の後、振り向いた俺は、壁際まで吹っ飛ばされたそいつの潰れた顔を見、自分の
推察が正しかったことを確認した。ずっと店の奥から俺を銃で狙ってた奴だ。気を失
いながらも、その右手に拳銃を握っていた。おそらく仲間がやられたのを見て、とっ
さに得物を抜こうとしたんだろうが、こんな狭い間合いの戦いじゃ、銃が絶対的に優
位な武器だとは限らない。特に、俺の様な人間に対してはな。
この時、ようやく俺が弾いた煙草が床に落ちた。
これで残るは一人・・・・例のバーテンだ。俺の右手に立っている。距離は互いに1メ
ートルも離れていない。
次のアクションは奴の方から来た。
銃を抜くのをあきらめたのか、バーテンが一歩踏み込んで右ストレートを俺に叩き込
んでくる。悪くない攻撃だったが、それも相手が俺でなければの話だ。俺は瞬きもせ
ずに、頭を横に振って軽くそれをかわし、がら空きの脇腹にフックを叩き込もうとし
た。
その途端、奴の上着の袖口が裂けた。瞬間的にダッキングした俺の頭上を、何かが凄
い勢いで通りすぎていく。
それが何なのか確認する間もなく、俺は次の瞬間、体中のバネを総動員して横手に跳
んでいた。いったん攻撃をかわした奴が、振り向きざま、再びあの奇妙な腕を振るっ
てきたからだ。
床に転がり奴との距離を充分にとってから、俺は立ち上がった。
見るとすでに奴はこちらを向いて構えていた。その右手の手首から、30センチぐらい
の金属が肘と直角に生えている。さっき俺が仕掛けた攻撃を、途中でやめた理由がこ
れだ。
わざわざこんなものを腕に仕込むくらいだから、ただのナイフじゃあるまい。さっき
から聞こえている蚊の鳴くような音から推察するに、おそらくは超振動ブレード・・
・・・。どの方向からでも、切っ先に触れるやたちまちスパッといっちまう。ふふん
・・・・、おもしれえ。
「いいオモチャだな。何処で売ってた?」
口の端がつり上がる感覚を覚えながら、俺は言った。
それに対する答えはない。ただ冷徹な瞳が俺を映している。
俺も無言で軽くステップを踏み、構えをとった。左手を自然に開いて掌を相手に向け
、右手は逆に拳を握る。左手が前で、右手が後ろ。
全身の力を抜いた。
数瞬の後、音もなく、奴が俺めがけて突っ込んで来た。間合いに入るやその右手を横
一線に走らす。俺の鼻先ギリギリのところを、その切っ先が通り過ぎて行った。
その間隙に半歩踏み込んで、軽く左右のパンチを奴の頬に当てる。踏み込みが甘いた
め、それほど効果はない。
すぐに、通り過ぎたナイフの切っ先が反転し、俺の後頭部を襲ってきた。それを頭を
沈めてやりすごす。
と、それを見越したように、奴の左手が、身を屈めた俺の襟首をつかみに来た。
俺の服を掴んで逃げられないようにし、その後ゆっくり右手のナイフでとどめを刺す
気だ。例え俺がその間に2、3発入れても勝負は動かない。
蛇の様に伸びてくるその左手を、俺は右手で弾いた。弾くと同時にサイドステップし
て、奴の死角、その左側に回り込む。
奴も俺を正面に捕らえようと体を回転させたが、スピードならこっちが勝ってる。一
瞬早く奴の側面に回り込んだ俺は、右足を奴の頭部めがけて走らせた。
命中。が、敵もさるもの、すんでのところで左腕でガードし、直撃は避けてる。ぐら
つきはしたが、次の瞬間、奴の右手のナイフが俺の左脇腹から右肩に向け、逆袈裟切
りの形で跳ね上がってきた。
当の俺は右足を撥ね上げ、左足一本で立っている状態。まずい。
俺は体を宙に投げ出すや、走り高跳びのベリー・ロールの要領で身を刃の走る方向、
右へとひねった。
空中で俺の体が一回転し、その軌道を、恐ろしいほど正確に氷の刃がなぞっていった
。
永遠ともとれる一瞬の後、刃が通り過ぎたと見るや、俺は左手を地面に着き、体に与
えた回転力を利用して、右足を撥ね上げた。
体を奴に浴びせかける様にして、背中越しに、撥ね上げた右足の踵を奴の右こめかみ
に叩きこむ。
ほぼ俺の全体重を乗せた蹴りは見事に決まり、バーテンの体が人形の様に吹っ飛んで
いった。その体がテーブルに突っ込み、盛大な音が店内に響く。
「ふう・・・・ヤレヤレ。」
しばらくして、店の中におかしな気配が無いことを確かめ、俺は服に付いた埃をはら
いながら立ち上がった。
見ると、右肩から左脇腹にかけて上着が奇麗に裂けている。
さっき、バーテンの攻撃をかわした時に出来たものだ。
せっかくの一張羅が・・・・畜生・・・・
額を押さえて途方にくれていると、後ろからパチパチという拍手が聞こえてきた。
振り向いてみると、すぐそこにフェイが突っ立ってやがった。どうやったのか知らな
いが、両手にかかってた手錠も外れている。
「さすが・・・・それでこそ私の愛しい人。」
「なに言ってやがる。」
俺は心底うんざりしたような顔で言った。張り倒してやりたい心境なのだが・・・、
どうにも声に力が入らない。
「おかげでこっちは死にそうな目に会っちまった。」
「いいじゃない。ホントに死んだ訳じゃないんだし。」
悪びれもせず、小悪魔の様に笑うフェイの顔を見て、俺の口から深い溜息が漏れた。
どうせ言ったところでこたえやしないんだ。
「・・・・・・で、さっきお前が言った賞金首を見つけたって話・・・・ありゃ嘘だ
よな?」
「ええ、もちろん。」
臆面もなく、堂々とした態度でぬかしやがって。
「どこからが本当で、どこからが嘘なんだ?」
「私の言った事が全部嘘で、そいつの言った事が全部ホント。」
テーブルの残骸に埋もれてのびるバーテンに冷たい一瞥を放ちながら、フェイが言う
。
「3日前、そいつの言ってた鞄を手に入れて、どうにか開けようと色々やったんだけど
結局だめで、いい加減あきらめかけてた時にそいつらが現われて捕まっちゃって・・
・」
「それで俺に賞金首が見つかったと嘘ついて呼び出し、罪を全部俺に押しつけようと
したって訳か・・・・・」
「ハハハ・・・・ごめんなさい。あの時はああするより手がなくて・・・・」
両手を合わせて拝むようにあやまるその姿を見て、俺はもう一度溜息をついた。
「まあまあ。巻き込んだのは悪かったけど、これで何とか鞄が開けられそうな展開に
なったし。それで儲けられたら借りは返すって。」
そう言うが早いか、フェイはいそいそと床に転がったバーテンに近寄り、その懐を探
りだした。
「・・・・なにしてる?」
「キーよキー。鞄の電子キー。捕まった時聞いた話じゃ、こいつがそれを持ってる風
だったんだけど・・・・」
そう言いながらも、フェイは懸命にバーテンのポケットやらなにやらを必死に探って
いる。
俺は心の中でバーテンに合掌しつつ、ポケットから煙草を取り出した。
煙草と一緒に手に握られているのは、本のしおりの様な形状をした、今フェイが必死
に探し求めている鞄の電子キーだ。
さっきやっこさんとやりあってる最中に抜き取った物だが、どうしたものか。
俺に背中を見せているフェイはそれに気付いていない。
ふと、疑問が生じた。
「なあ、お前なんでそんな鞄なんか横取りしようとしたんだ?」
「決まってるじゃない金になりそうだったからよ・・・・それに・・・・」
「それに?」
「鍵がかかってたからよ・・・・」
「はあ?」
「アタシ何故だか鍵のかかってるものを見ると、無性に開けたくなっちゃうのよね。
それが開かないうちは夜も眠れなくなっちゃうの。」
その言葉が、俺の脳裏に電流を走らせた。
そう言えば・・・・、さっきまでそれどころの騒ぎじゃなかったから気付かなかった
が、フェイのその顔、微かに憔悴し、目の下にうっすらと浮いていたのは隈じゃなか
ったか?
「まさか・・・・お前ひょっとして・・・・」
この3日間寝ずに鞄開けようとしてたのか?
俺がその言葉を継ぐ前に、フェイの方から答えが返ってきた。
「そうよ。」
呆れたね・・・
俺は煙草に火をつけ、頭を振りながら店を出た。
後方から
「ねえ、ちょっとアンタも探すの手伝ってよ! 薄情者!」
と、いう声が追ってきたが無視した。
ふと、右手を見ると川が流れてる。ちょうどいい。
俺は右手に持った電子キーを一瞥もせず、それを川に投げ込んだ。
見上げれば、空にはいつの間にか夜の帳が下りようとしている。
後ろから
『キーは何処よ!』
という、女の金切り声が聞こえた様な気がしたが、多分気の性だろう。
俺はまた一つ溜息をつくと、夕闇せまる街を独りとばとぼと歩き出した。
何故か・・・くわえ煙草の煙が目に染みた。
まったく・・・・よくやるよ。