ミサイルは上空まで達すると小さく自爆し、中から小さなパラシュート大量に撒き散らした。 パラシュートに括り付けられた大きな金属筒は、先端の強化ガラスの奥に潜む無数の小さな電子の目で 戦車を探しはじめた。そして戦車を見つけると、即座に鉛の固まりを音速の数十倍という速度で神の拳の 如く戦車に叩き付ける。 至る所で爆音が響き、金属がこすれ合い、悲鳴を上げ、弾け飛ぶ。 戦車は分厚い金属片をあたりに撒き散らしながら破裂する。 巨大なハンマーで叩き付けられたように戦車がひしゃげ、砕け散る。 トラックやワゴンも同様に、ミサイルは無慈悲に壊していく。 ガソリン燃料に引火し、真紅の炎を撒き散らし、白煙を吹き上げる。 戦車の上部装甲を貫通して、なお勢いが余り、底部も貫通して道路に大穴を開ける。 ナパーム弾が爆発し、幾筋もの巨大な炎の柱が地面を舐めつくす。 焼夷弾がニンニクのような匂いを撒き散らしながら大量に降り注ぐ。 それらはその場にいる者に例外なく、公平に降りかかってくる。 その中で碇シンジは奇妙に落ち着いた気持ちで、自分に向けて降ってくる小さなドラム缶のような 焼夷弾を眺めていた。 もう、どうでもいい。 今までの僕は夢を見ていたに違いない。 そうでなくては、どうして生きていたいなどと考える事ができたと言うのだ。 裏切り・・・・ シンジは熱せられたアスファルトの道路に身を起こした。 シンジは両目を大きく開いた。 そこは灼熱の炎が荒れ狂い、完膚無きまでに破壊されていた。 不思議に何も感じなかった。 (裏切られた・・・・) あの瞬間、自分を放り出すアスカが見えた。 それを黙って見る赤木リツコがいた。 それを黙って見る伊吹マヤがいた。 それを黙って見る綾波レイがいた。 それを黙って見る少女達がいた。 (裏切られた。) 今、自分の周りに沢山の人影があることがわかった。 その人影の全てが凶凶しい武器を手に、自分を睨み付けているのが感じられた。 血に飢えた猛禽たちが格好の獲物を見つけた時の視線。 (裏切られた) 遠い昔、自分の隣には惣流アスカが立ち、彼を守っていた。 遠い昔、自分の影には綾波レイが潜み、彼を守っていた。 彼女らだけではない。 アルファと名乗る吊り目の少女も、チャーリーと名乗る眼鏡の少女も、テンゴと名乗る金髪の 妖艶な少女も・・・ 遠い昔、みんながシンジを囲んで、シンジを守るように立っていた。 全てはこの瞬間の為に。 裏切られた。 この瞬間の為だけに。 裏切られた! 捨て駒にする、この時の為だけに。 裏切られた!!! 焼夷弾が降りかかる。 ナパームの火炎が巨大な渦を巻きながら、地を走り、迫ってくる。 シンジは後ろも見ずに駆け出した。 身体のすぐ脇を大きな金属片がかすって飛んでいった。 灼熱の炎がシンジの頬を撫でた。 肺に届く空気はまるで溶岩のようにドロドロと熱く唸っている。 シンジは少しでも気温の低い場所を求めて森の中に飛び込んだ。 木々の影に入ると不思議に気持ちが落ち着いた。 振り返ると、道路は灼熱の閃光と爆音に包まれていた。 皮膚を焦がす熱波がシンジを打ち付ける。 いつになったら終るのだろう・・・この無意味な破壊は。 この苦痛しかない生は! 熱せられたアスファルトの破片がシンジの頬に刺さった。 自分が死んでいないことが、まだ殆ど無傷でいることが彼は信じられなかった。 死んでいないことが不条理に感じた。 すぐ近くで紅蓮の炎が渦巻いていると言うのに。 すぐ近くで肉を引き裂き、骨を打ち砕く金属片が飛び交っていると言うのに。 その時、シンジの目前に炎に包まれた乗用車が落ちて来た。 けたたましい、断末魔の悲鳴を上げて車はひしゃげる。 地面が揺れ、木々が炎に苦悶の叫びを上げる。 細かなガラス片が飛び散り、シンジに降り注ぐ。 引き裂かれた車の隙間から、透明の血液が漏れてくる。 次の瞬間、血液は火を吹き、辺りを真っ赤に染め上げた。 竜巻のように渦を巻きながら炎を巻き上げ、周囲の木々を焼き払い・・・・・ すぐさま、シンジは踵を返すと森の奥に逃げ込んだ。 逃げながら彼は信じられなかった。 なぜ僕は逃げている? なぜ僕は死のうとしない? どうでもいいと感じているのは? どうなってもいいと思っているのは? いつまで続くのかと疑問を抱いているのは? 早く終って欲しいと願っているのは!? 丈の高い雑草がシンジの頬を軽く切り裂いた。 枝や雑草がシンジの剥き出しの腕を、顔を、首筋を叩く。 もう自分がどこをどう走っているのか分からない。 (なぜ僕は逃げているんだ!?) シンジは駆けながら問い掛けた。 教えてやろうか? 風に揺れる深い森がシンジの足音で答えた。 教えてやろうか。なぜならこの世界にはお前しかいないからだ。お前が死ぬとこの世界が終ってしまう からだ。 終らせてしまえ。シンジは叫んだ。終らせてしまえ。こんな世界は終らせてしまえ! おっと、そうはいかないぜ。森がシンジの剥き出しの腕を叩きながら嘲った。世界はまだ楽しんでいない。 世界を楽しますことが出来るのはお前しかいない。なぜならこの世界にはお前一人しかいないからな。だから お前は終わることができない。この世界を楽しませない限り。終りたいなら楽しみな。楽しませるにはお前が 楽しみたい事をするしかない。お前がやりたい事をやるのがお前の仕事だぜ。世界を楽しませたら、お前が楽し んだら、その時、お前は終るんだからな。 森は楽しんでいた。梢の揺れる音で高笑いしていた。 シンジが叫ぶ。 ここには敵しかいない!ここには裏切りしかない!こんな所で何をしろというんだ!! 敵しかいないのは、君が味方を作らなかったからだよ。 夜風がシンジの荒い息の中で踊りながら答えた。 裏切られるのが嫌なら裏切られないようにすればいいじゃないか。風はかれの髪を揺らして面白がった。 簡単なことさ。一人残らず敵なのは一人残らず君に関係しているからさ。誰一人として君を無視できる人が いないからさ。だってこの世界には君一人しかいないからね。君を無視すると言うことはすなわち自分の 存在意義を否定すると言うことなのさ。だからみんな君に近づこうとする。君と接触しようとする。君と 関わろうとする。君に存在を認めてもらうことが自分の存在意義だから。それがたとえ君の憎悪の対象に なろうとも自分が存在する為に行動する。君が見るから彼らが動く。君が声をかけるから考える。君が耳で 聞くから話すことが出来る。君のいない所では彼らは存在していない。誰が何と言おうと。君は見えない 所にいる人が本当に存在していると断言できるのかい? シンジはつまづき、地面に頭から倒れ込んだ。 もう止めよう、ここで横になれば楽になれる。この赤黒い土にゆっくりと溶け込み、何も考えずに済む。 森は死の住処だ。森は沈黙と平安の神殿だ。苔生した骸を大地に返す。人の手は及ばない。あるのはただ 厳然たる自然の法則のみ。そしてこれ以上苦しまずに済む。もう眠ろう。ゆっくりと目を閉じよう。 しかし、シンジは立ち上がった。 ゆっくりと足を上げ、再び走り始めた。 虫の這いずる大地を蹴り、雑草を掻き分け、岩を飛び越え、崖をよじ登り、坂を転げ落ち・・・ 彼はどこを走っているのか判らない。 しかし、彼はどこへ向かって走っているのか知っていた。 彼は何の為に走らされているのかを知っていた。 彼の目指す先には彼が真に欲しがっているものがある事を知っていた。 だが碇シンジは自分が真に欲しがっているものを知らなかった。 だが、彼は碇シンジの目指す先にあるものを知っていた。 そこにあるのは一瞬の喜びと永遠の恐怖、度重なる変動と革命、真の闇と偽りの光、臆病者の嫌悪と 心を縛る悔恨、身を焼き焦がす憎しみと悲しみに包まれた怒り、猜疑心に包まれた信念と確信を持った 疑念、絶望的な目的と心の底で踊り続ける享楽、一切の破壊と不必要なものの再生、信じた者の消滅と 望まれざる者の誕生、忘れられた子供と失われた呪い、溶けた鋼鉄とナイフを突き立てられた血肉、黒い 油まみれのアスファルトとコンクリート、闇を這いずる魔物と嘘の栄光に包まれた勇者、魂を切り裂く 残忍な裏切りと血にまみれた癒し手、獲物を求めて沼を泳ぐ巨大な胃袋と溶けかけた肉が混ざり合った 吐瀉物、割れた卵と腐って蛆の沸いた肉、永遠に回り続ける車輪と枯れた川に掛かる水車、終わりの無い 苦痛と目も眩む快楽、振り下ろされる棍棒と砕け散る白い岩、詩人の生け贄と美しき悪魔、残酷な天使と 優しき魔王、終わりの無い孤独といまひとたびの生、そして碇シンジの手と眼球・・・・・ この中のどれかが碇シンジが真に心の底から欲しているもの。 どうしてだ!? シンジは叫んだ。 どうして僕を走らせる!どうして僕を寝かせてくれない!どうして僕を放っておいてくれないんだ!! どうしてかって!? 星々が瞬きながら嘲笑った。 どうしてこんな事をするのかって!?そんなのは決まってるじゃないか!君はコンピューターゲームを やるだろう?ロールプレイングゲームをやるだろう?本当に分からないのか?何故、主人公の行く先々で ああもたくさん事件が起こるんだ?何故、悪の魔王は主人公が魔法の剣を手に入れるまで指を咥えて待っ ているんだ?何故、凶悪なモンスターは主人公のレベルアップにあわせて少しずつ強くなっていくんだ? 何故、いつも危機になると仲間が駆けつけるんだ?つまりそういう事さ。その方が楽しいからさ。盛り上 がるからさ!決まってるだろう!? ゲームだと・・・・・ 碇シンジは足を止めた。 彼の前には空洞が広がっていた。 ほんの数歩で横断できてしまう、月の光の差し込む小さな空地が目の前に広がっていた。 荒い息を吐きながら、ここがそうだと確信した。 ぽっかりと明いた木々の間から、満月がシンジを照らし出していた。 空地の中心に白い岩が立っていた。 シンジは、それがそうだ、と確信した。 空地は完全なる空洞だった。 空地には最終戦争後の沈黙が漂っていた。 空地には最古の神殿の静寂が支配していた。 空地にはいかなる生も、いかなる死も存在しなかった。 そこで白い岩はひっそりと立っていた。 幾千万の朝日を浴び、幾百億の月を見てきた白い岩があった。 森の奥深く、誰も訪れる事の無い空地に白い岩はただ黙って立っていた。 ここがそうなのだ。 シンジはいびつな形で立っている白い岩に近づいた。 その岩はシンジの胸ほどまであり、そして非常に年老いていた。 何千年、何万年。いや、何億年もの永きに渡る世界の変遷をここに立って眺めてきたに違いない。 シンジには何故かそう確信できた。 白い岩の表面は風化し、ざらざらに乾いていた。 シンジは指先が恐る恐るその岩に触れた。 これがそうなのだ! 彼は理解した。 誰もがここを訪れたのだ。 歴史に名を残した偉人達、世界を変えた天才達、世界を恐怖に陥れた大悪人達・・・・・ あのイエス・キリストも、ジャンヌ・ダルクも、ナポレオンも、アドルフ・ヒトラーも、織田信長も、 西太后も、操曹も、ニュートンも、アインシュタインも・・・・・ 世界の中心に、歴史の中心にいた者たちは誰もがここではない『ここ』を訪れたていのだ。 彼は跪き、両手でその岩に触れた。 年老いた白い岩は静かに鼓動を打っていた。シンジの手の平に痛いほどそれが感じられた。 『ここ』がそうなのだ!! シンジの中でなにかが大きく、熱く、痛いほどに強烈な閃光を放った。 同時に、シンジの中で何かが壊れ、何かが大きく変わった。 ゲーム・・・・・ ゲーム・・・ ゲーム! ここがそうなのだ!!! シンジは立ち上がった。 僕が正義の主人公。いいじゃないか。充分面白い。 それじゃあ、プレイヤーは一体誰なんだ?悪の大魔王はどこに居る? 「シンジ君?」 その時、木々の間から声がかかった。 「加持さん?」 シンジは暗闇を見透かそうと、目を細めながら聞き返した。 「ああ、やっぱりシンジ君か。」 加持の顔が月明かりに照らされ、木々の間に浮び上がった。 加持は雑草の間を掻き分けながらシンジの前に歩いてきた。 「ようこそ、と言うべきなのかな。」 シンジはハッと顔を上げ、思わず身構えた。 「じゃあ、加持さんが?」 「いやいや。俺じゃないって事は確かだよ。」 加持は慌てて手を振って否定する。 「もともと、本当にそんな奴が居るのかどうかも妖しいしな。」 加持は肩を竦めて、いつものようにニヤッと笑った。 「ただ資格の無い奴、資格があっても理解できない奴は絶対にここに来ることは出来ないのさ。シンジ君、 君には資格があり、理解もした。後はただ自分のしたいことをすれば良い。」 そう言って加持はシンジの肩をポンと叩いた。 「さ、こっちから行けば安全に街に戻れる。」 加持は一切迷いの無い歩調で森の中にさっさと足を踏み入れた。 シンジはその時、直感した。 何の証拠も、材料も、確証も無い。だが、何故だかシンジはそれを確信した。 「そうか・・・・」 加持が振り向いた。その顔には何も浮んでいない。 「加持さんが僕をここに連れて来たんだ・・・・・・。」 非難する様子も、なじる調子もない。それはただの確認だった。 加持は答えず、ひょいと肩を竦めて闇に包まれた森に入っていった。 シンジは黙って加持の背中を見送った。 沈黙を守っていた夜の虫が静かに鳴き始めていた。 風が静かにシンジの髪を揺らしていた。 そこに沈黙はなくなっていた。 そこに静寂はなくなっていた。 木々がざわめく。 虫が飛ぶ。 獣が地を駆け、翼がはばたく。 そこは生と死が支配する世界になっていた。 そこは定められた場所ではなくなっていた。 シンジは振り返る。 そこには白い岩が孤独に佇んでいた。 白い岩は何も言わずに立っている。 今までの孤独な時間、ずっとそうだったように。 シンジは辺りを見回し、地面に転がっていた太い枝を一振り、手にとった。 夜露に湿った枝はまるで、シンジの為に置かれていたように、しっくりと彼の手に馴染んだ。 彼は白い岩の前に立った。 白い岩は何も言わずに立っている。 今までの孤独な時間、ずっとそうだったように。 シンジは枝を静かに振り上げ、静かに振り下ろす。 枝は岩に打ちつけられた。 白い岩は音を立てずに粉々に砕け散る。 同時に、振り下ろされた枝もその役目を終えたかのように砕け散る。 これがそうなのだ 碇シンジは選ばれたのだ。 碇シンジは選ばれていたのだ。 彼の眼に砕けた岩が閃光のように焼き付いた。 彼の手に砕けた岩の衝撃が絡み付いた。 彼は振り返った。 目の前に広がるのは深遠な森の沈黙と夜の闇。 やがて碇シンジは加持リョウジの後を追って足を踏み出した。 自分のしたい事をすればいい・・・・・ 加持の言葉が蘇る。 自分のやりたい事がやらなくてはいけない事・・・・ 森の言葉が蘇る。 シンジは闇の中に足を踏み入れた。 昔の自分の住んでいた街に帰る為に。 これからの自分が住む、動乱の街に行くために・・・・・・
−補追− 1 折 れ た 魔 剣 闇 の 聖 母 1 The Broken Sword and Our Lady of Darkness. 1
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