「ありがとう。君に逢えて嬉しかったよ。」……………
長い沈黙のあと、僕は彼を、カヲル君を殺した。
初めて僕を、好きだって言ってくれた人を………。
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それから一ヶ月がたった。
カヲルを殺したあの日から、シンジはミサトさんのマンションに帰っていない。
毎日、食堂とNERVとアスカの病室を往復するだけ。
ミサトさんも自分のことで精一杯で、もうシンジのことを忘れてしまったかのようだ。
シンジにとってもそのほうが都合が良かった。
ミサトさんが、シンジの行為を正当化しようとした言葉、
「彼は死を望んだ。生きる意志を放棄して、見せかけだけの希望にすがったのよ。」
「シンジ君は悪くないわ。」
シンジはむしろ自分を罰してほしかった。大好きな人(使徒)を殺してしまった自分が
たまらなく嫌だった。自分という存在を消してしまいたかった。
だから、そんな嫌な自分を肯定するミサトさんがひどく冷たく思えた、怖かった。
ミサトさんが、ひどく遠い存在になってしまったと感じた。
綾波も怖かった。
昔の綾波と今の綾波は違う。
シンジの知ってた綾波は、シンジをかばって死んでしまった。
それからリツコさんやミサトさんと共に見た光景…。
たくさんの綾波が水槽をただよい、そして壊れていく…。
あのときに感じた恐怖はリツコさんに対してだけではない。
綾波の本性を知ってしまったことが怖かった。
そう、綾波は人間ではなかった…。
こんな組織を作った父も怖い、NERVも怖い、EVAも怖い。
もう、シンジにとって安心できる場所はアスカのそばしかなかった……。
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303号室、アスカのいる病室。
かつて第一中学校の男子を魅了し尽くした風貌の面影は全くない。
その頬はこけ、目だけが大きく、うつろに開いている。
長い間食事をとっていないため、飢餓傾向にあることがはっきりとわかる。
漫然として死にゆくアスカ。
科学の力だけが彼女の命を支えていた。
そんなアスカに、シンジは毎日呼びかける。
最初に今日起こった出来事について語りかける。
といってもシンジに起こる出来事は、大して多くはない。
それからは、毎日同じ言葉が繰り返される。
「アスカ、起きてよ。目を覚ましてよ。」
「前みたいに僕のことをののしってよ! ねぇ、お願いだから、バカって言ってよ!!」
だんだん口調が懇願調になっていく。
それでもアスカは身じろぎもしない。
シンジにどんなに体を動かされても、なにも感じていない。
それでもシンジは彼女に呼びかけ続ける。
それしか自分のできることはないから。
それだけが不安を紛らわすことが出来るから。
それから、呼びかけに疲れるとアスカの手を握りながら寝てしまう。
そんな生活を続けていた。
今日もハーモニクスの訓練後、アスカの元へシンジは向かった。
そして、いつものようにアスカに呼びかけ続ける。
「アスカ、ねぇ起きてよ。」
「また前みたいにバカって言ってよ。」
「ミサトさんも、綾波も怖いんだ。」
「ねぇ、なんとか言ってよ。」
そして、彼女を揺さぶり続ける。
ただ今日がいつもと違ったのは、シンジがアスカを強く揺さぶりすぎて、
彼女の胸元が露わになってしまったことだった。
一瞬息をのむシンジ。
アスカの胸に視線が貼り付いたまま、手を挙げて身構え、やってくるはずの
アスカのビンタを待ち受ける。
でもアスカは動かなかった。
その手も、体もピクリともしなかった。
シンジは手を下ろし、ぼんやりつぶやく。
「なんでアスカがこんな目に遭わなきゃならないんだ?」
「アスカは一生このままでいなきゃならないのか?」
そして、アスカの露わになった胸元にしがみつく。
そして絶叫!!!
「アスカ! お願いだよ!! 起きてよ!!! 目を覚ましてよ〜〜〜!!!!」
そして、アスカの胸にしがみついたまま、泣き続ける。
シンジの心にあるのは絶望、ただそれだけだった。
あまりのむごさに、アスカとシンジのガードも目を背け、
モニターのスイッチを切った………。
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『やぁ、シンジ君。』
「!」
声のした方へとっさに顔を向けるシンジ。その表情は驚愕から歓喜へと変わってゆく。
『久しぶりだねシンジ君、一ヶ月ぶりぐらいかな?』
「………カヲル君!!!」
そう、ドアの前にまごうかたなきカヲルが立っていた。一ヶ月前と同じ姿で!!
シンジは慌てて問いかける。
「カヲル君!!生きてたの!!?」
『僕は前から君のそばにいたんだよ。やっとガードが解けたので声をかけることが
できたのさ』
『それに僕にとっては生も死も等価値だからね。たとえ体が滅んでもこれぐらいは
おやすい御用さ。』
確かに彼の体は透き通っていて、向こう側にある病室の扉も見えていた。
その言葉を聞き、半透明の彼の姿を見てシンジはうなだれる。
「僕は君を殺してしまった…」
カヲルはすぐに答えを返す。シンジを傷つけまいとするように。
『違うよ。君は僕が望んだことをしたに過ぎない。』
「でも、でも…」
『それに今はね、君のお手伝いをしにきたんだよ。』
「なにを……」
『そこに寝ている少女、惣流・アスカ・ラングレーさんのことさ。』
「アスカ…」
『そう。自ら閉じこもってしまった弐号機の魂。彼女の心を解き放てるのは彼女自身だけ、
けどそれを手伝えるのは君しかいない!!』
「でもどうやって?この一ヶ月、なにも答えてくれないのに。」
『僕たち使徒はね、お互いに意志を伝達することが出来るんだ。
そして第15使徒、アラエルからは人の心とも接触できるようになった。』
『だからその力で君をお手伝いできると思ってね。』
『要は、僕がシンジ君と弐号機パイロットの心をつなぎ合わせるのさ。』
「そんなことが出来るの?」
『ああ、僕たちはこのために造られたのだから。』
「???」
『今はわからなくてもいいよ。これが終わったらゆっくり教えてあげる。今は、
弐号機パイロットの魂を救う方が先だ!!』
「ありがとう。なんて言ったらいいか……」
『君の笑顔が報酬さ。さぁ、彼女の手を握って彼女のことだけを考えるんだ。』
シンジはアスカの手を握りしめ、その上かカヲルが半透明な手をかぶせた。
『さぁ、始めるよ。』