外はポカポカと太陽が優しく照らし、それに便乗するように心地よい風が吹く。
 そんな素晴らしい風の中、相田ケンスケは学生の楽しみの一つにも関わらず、実につまらなさそうに菓子パンをかじり始めた。彼の嫉妬と、何で俺だけという妬みが混じった視線の先では、彼の親友の一人である碇シンジがいそいそと弁当箱を開けていた。むろん彼の母親が作ったものではない。彼自身の手によるものだ。彼の母親は手に火傷を負って以来、家事を余りしなくなっていたから。
 だが、ケンスケはシンジの言葉を全く信じていなかった。
 シンジの生活環境故に。
 美人で若くて優しい母親。
 天が二物どころか五つも六つも才能を与えた美少女と同居。
 更に美少女の母親と、チルドレンが姉のように慕うウワバミの美女。
 そればかりか彼の家の両隣には、レイとリツコが住んでいる。
 仮にユイが作らないのは事実としても、アスカと綾波、ミサト、もしくはキョウコがいる。なんて羨ましい。
 ケンスケの脳が正常な判断ができなくなるのも無理はない。

 「あ〜あ、羨ましいなぁ、シンジは。いつも手作りの弁当でさ・・・(俺は昨日も今日もたぶんこれからも売店の菓子パンさ!)」
 「そうかな?でも、これ作るのは結構大変なんだよ。朝早く起きないといけないし、適当な事するとアスカが怒るし」
 「またすぐそんなことを言う。委員長に聞いたぞ。最近、惣流は料理を習ってるってな・・・」
 実はアスカだけでなく、そこそこ料理ができるマナも、結構料理が得意なマユミもヒカリに教えを請い始めていてヒカリはてんてこ舞いなのだが、そこまではケンスケは知らない。まあこの際それは余談というものだ。
 とにかくケンスケはそこまで言うと、シンジの反応を確かめるようにニヤリと笑う。このとっておきの極秘情報で、シンジがおたおたしてボロを出すことを期待したのだが、シンジの反応は見事にケンスケの期待を裏切った。
 「ふ〜ん。あのアスカがねえ」
 のほほんと、まるっきり人ごとみたいにそう言いきったのだ。ケンスケの目がギラリと光る。
 「(くっ・・・やるなシンジ!)とぼけるなよ。で、どうだ?
 惣流の作った弁当はうまかったか?愛妻弁当を作ってもらってイヤ〜ンな感じだな」
 「だからこれは僕が作ったって言ってるだろ」
 「本当におまえが作ったのか?
 ・・・・・・つまんねえの」
 ここまではっきりと否定されたケンスケは天井を見上げながら、パンをかじった。フンと息を吐くその姿は、今までの情熱もどこかに行ってしまったのか、実につまらなさそうに見えた。
 「・・・惣流達は本当に家事とかしないのか?」
 「うん。母さんとキョウコさんは仕事で忙しいし、ミサトさんは家事全滅なんだよ。アスカは・・・どうなんだろ?今まで家事らしい家事を全くしてくれたこと無いから、わかんないや」
 シンジは寂しそうに笑った。笑いながらシンジは、壮絶なジャンケン勝負で決めた家事分担表が完全に有名無実化していることと、ミサトが以前作った絶滅カレーの味を思い出していた。あれは酷かった。一緒に食べたリツコさんとペンペンは顔を緑色にしていたなあ、と。今日のおかずはカレー風味の鳥の唐揚げ。思い出したせいでちょっぴり吐きそうになりながらも、シンジは必死に飲み込んだ。そんなシンジの哀愁を漂わせる笑いを見ながら、ケンスケはちょっぴり同情、直後、シンジのおかれている環境を思い出して、贅沢なこと言いやがってと考えを改めた。
 「惣流やミサトさんが家事を全くしないなら、綾波達はどうなんだ?頼めば少しはやってくれるだろ?」
 ケンスケのもっともな質問に首を振りながら返事をするシンジ。レイ達(アスカやマナも)は屋上で食べていてこの場にはいないから、その動作も心持ち大げさになっていた。
 「いくらお隣でも、余り無茶なこと言えないよ。それに綾波すごい偏食なんだ。
 ・・・肉を全く食べないんだよ。卵も、魚も。綾波が食べるのはせいぜい野菜と乳製品ぐらいかな。
 足りない栄養はビタミン剤でとってるみたいだし」
 シンジの言葉を補足すると、レイは料理をする必要がない、つまりできない、となる。
 ケンスケも納得がいって、改めてため息をついた。言われてみれば、彼はレイが弁当を食べているところを見たこと無かった。
 「ふ〜ん、ベジタリアンだとは思っていたけど、そこまで徹底してるとはねぇ。ナデ○アみたいだな。
 あれ?綾波の妹はこの間平気で肉食ってたぞ」
 「あっ、レイコちゃんは別。彼女、食べ物って名がつけばミサトさんの料理以外なら何でも食べるんだよ。
 ・・・だいいち綾波達も家事全滅だから、頼れないよ」
 「この間の家庭科では、惣流も綾波もそこそこうまく包丁使ってるかなと思ったんだけどな」
 ケンスケの言葉にシンジは頷きながらも、包丁(刃物)の扱いがうまいから即、料理が上手な訳はないと思った。


 「やあ、どうしたんだい二人とも。妙に元気が無いじゃないか!」

 ケンスケはとある女の子は料理が上手なのかなと想像の翼を広げ、シンジは一度でいいから誰かが作ってくれたお手製のお弁当を食べたいなと思って、アンニュイになっていたとき、突然横から元気よく話しかけられた。気配を感じていなかった二人は慌てて声の主に向き直る。
 相手を肉眼で確認してケンスケの目が露骨にゆがみ、シンジは意味無くちょっぴり頬を赤らめた。

 紅玉のような瞳、和紙よりも白い肌、銀色に輝くかすかに金属的光沢を持つ髪。
 そしてなにより、その顔に張り付いた笑顔。
 カヲルである。
 いつの間にか二人の横に立つカヲルは、弁当箱を二つ両手に下げて、意味無くにこにこ笑っていた。
 「シンジ君、相田君。今日も天気が良くてよかったね」
 「そうだな。・・・って、何でカヲルがここにいるんだ?」
 ケンスケが上級生のカヲルがなぜかこの場にいることに渋い顔をする。最近カヲルがシンジだけでなく、他のチルドレン(女の子)にモーションをかけているからだ。それがアスカやレイ、マナだったら彼はさほど気にしないが、黒髪が美しい少女も対象なら話は別だ。自然ケンスケの目つきは鋭く、きつくなっていた。
 ケンスケのぎらつく視線をそよ風のように受け流しながら、カヲルが返事をする。
 「僕がなぜここにいるのかって?ふふ、愚問だね。
 シンジ君と一緒にご飯を食べるために決まっているじゃないか!!」
 「そ、そうか・・・。(他に友達いないのか、こいつ)」
 力強くそう断言するカヲルに、ケンスケはちょっとだけよろめきそうになった。怪しい怪しいと思っていたが、ケンスケはこれで疑惑を確信に変えた。
 「納得したみたいだね。というわけでシンジ君。これ食べてみないかい?」
 「えっ、それ・・・なに?って、やっぱりお弁当だよね」
 強引に手渡された包みを見て、ほんの少し迷惑そうな、それでいてうれしそうな顔をするシンジ。彼も結構複雑なのだ。
 そんなシンジの内心の葛藤を見透かしたように、カヲルは更ににっこりと笑みを浮かべる。
 「ふふふ、僕はシンジ君の心の友。君が他人の作った愛のこもったお弁当を欲していることはわかっているよ。今日はマイスイートハート・シンジ君のためにお弁当を作ってきたんだよ」
 「カヲル君、ありがとう・・・」
 カヲルの言葉にシンジは我知らず頬を染めた。
 周囲にいた他の生徒達は、巻き込まれないように距離を空けた。それはもう見事なくらいに。楽しい昼食はあきらめるにしても、せめて午後の授業はまともな気分で受けるため、シンジとカヲルのことを意識の底から切り離す事にしたようだ。

 (み、みんなこっちを見ないようにしていやがる。そんなに嫌か?カヲルと関わるのが・・・)

 カヲルだからではなく、カヲルとシンジだから関わりたくないのだ。
 親友故に離れることのできないケンスケは内心で冷や汗を流しながら、少しばかりチルドレンになってカヲルと知り合ったことを後悔していた。

パカッ

 シンジは周囲のイヤ〜ンな視線に気がつくこともなく、うれしそうに蓋を開ける。
 直後シンジの目は見開かれ、固まった。
 「・・・・・・・こ、これは」
 「? どうしたシン・・・うげっ」

 様子がおかしいと、(嫌々)ケンスケがシンジの手にある弁当箱をのぞき込み、やっぱり固まった。
 「どうしたんだい二人とも?急に動かなくなって。そんなに感動したのかな?僕の料理に」
 胸を張って誇らしげなカヲル。だがやはりシンジとカヲルは再起動しない。
 周囲で意識を切り離していたほかの生徒達も、気になり始めた。
 なぜ二人は固まったのか?
 お化け屋敷同様の怖いもの見たさではあったが、とにかく気になった。およそ10秒ほどの逡巡の後、恐る恐る名も知れぬ男子生徒がシンジの背後から弁当箱をのぞき込み、直後真っ青な顔になって廊下に飛び出した。同じくのぞき込んだ別の女子生徒が、泡を吹きながら卒倒する。

 「おやおや、みんなどうしたんだい?そんなに美味しそうなのかな?
 コウモリヒキガエルのトマトソース煮込み地中海風は!」

 「そ、そんなもん食えるかっ!!!」
 ケンスケ再起動。でもちょっと腰が引けている。
 「失敬なことを言うね。これは某国のレストランのシェフお薦めメニューなんだよ(冗談みたいだが本当)」
 「た、例えそうであっても、昼間っからこんな血生臭いものが食えるかーーーっ!!」
 昼間じゃなければいいのか?
 幸いそうつっこむ輩は居なかったが、カヲルは心底心外そうな顔をしながら、コウモリの頭らしいものをつまみ上げた。とろりと、汁が垂れる。
 「そんなこと無いと思うけどね。ほらシンジ君あ〜ん」
 ニチャリ。そんな音を立てながら香ばしい匂いとともに目の前に迫る肉塊。シンジの瞳孔がグワッと開いた。

 「う、う、うわぁーーーーーーーーー!!!!」
 「ああ!?シンジくーーーん!!どこに行くんだーーーい!?」

 「か、カヲル・・・。おまえわざとやってないか?」
 シンジが逃げ出した後を見送りながら、ケンスケはたらりと汗を流した。もう完全に彼は食欲を無くしていた。しばらく彼は肉料理、特にケチャップを使った料理が食べられないだろう。ムカムカする自分の胃を落ち着かせようとしながら、ケンスケはどうしてこう自分の周りにいる奴はまともなのが居ないんだと、他の人間が聞いたら鏡を見ろと言いたくなることを考えていた。
 そんなケンスケの本音が聞こえたかのように、ムッとした顔をするカヲル。
 「なにを言うんだ。まるで僕がシンジ君をいじめたみたいじゃないか。
 ・・・・・・昨日徹夜して作ったのに、どうして逃げるんだ、シンジ君・・・。そうか!きっと照れてるんだね!」
 「(・・・幸せな奴め)理由を知りたければ、おまえが食ってみろよ」
 「それは無理だよ。僕は肉が食べられないからね」 
 しれっとカヲルは言った。そう、カヲルはレイと同じく肉類を全く食べることがなかった。
 改めてカヲルと友人であることを後悔するケンスケ。

 (味見もしないでこんなものを他人に食わせようとしていたのか、カヲルは・・・。やっぱ、こいつは変なんてものじゃないな)

 「・・・ケンスケ君。いるかい?
 このまま捨てるのも勿体ないからね」
 「(誰が食うかっ!)いや、遠慮しておく」
 「そうか・・・。そう言えば、こんな時役に立つ鈴原君はどこに行ったんだい?」
 キョトキョトと周囲を見回すカヲルの言葉に、ケンスケが真剣な表情になる。それは滅多に見ることができない、おふざけ抜きの中学生らしからぬ顔だった。
 「・・・トウジは今日、お見舞いだよ」
 「お見舞い?」
 「ああ、あいつの妹のな。怪我が酷いのかどうか知らないけど、滅多に面会の許可が出ないらしいんだ」
 ケンスケはスッと雲一つなく晴れ渡った青空を見上げた。そうしなければいけないとでも言うように。
 「・・・そうか。それはすまないね」
 なぜかカヲルも謝りながら、空を見上げた。





新世紀エヴァンゾイド

外伝1
「 幻影 」



作者.アラン・スミシー



 「どや?体の調子は?」

 日当たりの良い病室にトウジの声が響いた。その声はいつもの元気良い声ではなく、ぼそぼそとした声だった。声だけではない。彼の目も暗く沈んでいた。本人もそれがわかっているのだろう、口調だけだが冗談めかした明るい調子で話していた。

 「昨日な・・・ガッコでおもろいことがあったんや。ワシの友達にシンジ言うのがおるんやけど、こいつは同い年のおなごと一緒に暮らしとるんや。それを冷やかして寝る前におやすみのキスでもしとるんかって聞いたら、真っ赤になって否定して、かえってバレバレなんや。おかしいやろ?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 話しかけられた相手はなにも言わなかった。
 真っ白で清潔な、だが無個性な病院服を着た彼女、トウジの妹『鈴原ヤヨイ』はなにも言わなかった。息をして、それに併せてかすかに胸が上下しているから、死んでいるわけではないことがわかる。かといって寝ているわけでもなかった。目はしっかりと開いており、時々思い出したように瞬いたから。
 普通なら何らかの反応を返すのだろうが、相手は痩せて生白い顔をピクリとも動かさなかった。

 生ける屍。
 なにもかも無駄なのではないか。
 妹は二度と喋ったり、笑ったりする日は来ないのではないか。

 そんな思いがトウジの心を支配するが、彼は猛然とその思いを追い払った。
 そのままトウジは言葉を続ける。そうしないといけないから。彼が無精卵を暖めるも同然の行いであっても、声をかけ続けなければ彼女は、トウジの妹は話すはずもないから。

 「・・・これはこの前話したかもしれんけど、ワシのクラスのイインチョがな、一度おまえのお見舞いしたい言うとるんや。もちろんイインチョだけやのうて、他の奴、さっき言うたシンジや惣流達もや。次はいつになるか知れたもんやないけど、ええやろ?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 イインチョと名前を出したとき、ほんの少しだけ照れたような声を出したが、やはりトウジの妹は何の反応もしなかった。あからさまな失望を顔に浮かべるが、トウジはそれを空元気で覆い隠すと、悲しそうにつぶやいた。それは彼を知る者が聞いたら、とてもトウジ本人のものと信じられないくらい小さな声だった。

 「やっぱ、まだあかんか・・・。先生の話じゃ、異常はない言うけど・・・。
 ・・・・・・・あのこと、気にしとるのか?
 おとんも反省しとるんや。あんな事、言わな良かったって、泣いて反省しとるんやで」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・おまえが、最後に喋ったのはあの時が最後やな、ヤヨイ」

 トウジはなにも言わず、虚ろな視線で天井を見上げる妹の顔を見ながら、あの時のことを思い出していた。彼が戦うことを決意した日であり、大切な家族が失われた日のことを。







 人々が行き交うけたたましい、それでいて生命力を感じさせる喧噪が町中に響く。
 車は狭い道をのろのろと進み、通行の邪魔だとばかりに歩行者や、自転車、はたまた青信号を進む他の車にまでクラクションを鳴らす。都市計画に沿って造られた近代的な町並みにもかかわらず、どこか雑然とした空気を漂わせる日本の三番目の大都市、第二新大阪市。すでにこの頃の日本は県や府などに分かれてはいなかった。都市を中心とした構成に変わっていた。

 2つの大災害、通称ダブルインパクトによって平野部に発展していた多くの都市は壊滅した。
 鈴原トウジの両親が住んでいた旧大阪市も例外ではなかった。
 かろうじて生き残ったトウジの両親はファーストインパクトによって発生した謎の塵が降る中、苦労に苦労を重ねながら生き抜いた。そして復興を遂げた第二新大阪市に居を構え、慎ましくはあったが、平穏な生活を営んでいた。
 やがてトウジが生まれ、その数年後には妹も生まれた。
 それからの数年間。トウジが中学1年、つまり13歳になる直前までが彼のもっとも幸福な時代だったのかもしれない。





 「おとん、ワシのこと気にせんで本部に勤めてええんとちゃうか?誘われとるんやろ」
 「そうは言うけど、おまえはネルフからの誘いを断ったやろ。ワシはともかく、おまえはおり場がのうて、辛いんとちゃうか?」

 怪しい関西弁を話しながら、街中を歩くのは珍しく私服姿のトウジと、彼の父親、そして二人をちょっと困ったように見ている、彼の母親と妹だった。

 いきなりこんな会話をされても、意味が分からないであろうから説明をすると、さかのぼること半年前、トウジは非公式に全世界で行われたチルドレン適性試験で、きわめて優秀な成績を上げた。そのテストはIQテストなどに誤魔化される形で行われ、その成績が優秀だった者が、その後さらなる試験を受け、そして最終試験を受けた上位12名がチルドレンとして選ばれるのだ。
 この時すでにゼーレゾイドは世界各地を襲い、様々な破壊活動を行っていた。
 子供をさらい、復興したばかりの街を腕試しのように破壊して、人々を殺害するゼーレゾイド。そして彼らに対抗できる唯一の組織、ネルフ。
 故に、世界を守るチルドレンとなることは、同年代の少年にとって憧れの的だった。
 だが、トウジはチルドレンとなることを辞退した。
 どこかネルフに対して胡散臭いものを感じていたし、チルドレンになると決めつけたような高圧的な態度も気に入らなかったからだ。それになにより、彼は戦いというものが気に入らなかった。優しい両親、よく懐いている妹との暮らしの方が大事だった。
 やむなく、ネルフは次点だった少年をチルドレンに選んだが、その少年はまもなく訓練中の事故で死亡し、再びネルフはトウジをスカウトしようと躍起になった。その一環として、科学者としてそこそこ名のあるトウジの父と祖父をネルフの研究所にヘッドハンティングした。まあ、トウジが居なくてもそのうちネルフに誘っただろうけれど。今のところ大阪の支部勤めだが、そのうち第三新東京市に彼らが呼ばれることは想像に難くない。そのことについての会話だった。

 トウジと父親の会話が平行線になりそうなことに気がつき、ヤヨイが小鳥みたいに澄んだ声でたずねた。
 「・・・兄ちゃん。何でネルフのチルドレンになるのが嫌やのん?兄ちゃんぐらいの年齢の人はお金を払ってでも、チルドレンになりたいそうやん」
 無邪気な顔でトウジの腕にしがみつきながら、そう言うヤヨイ。
 強面の父親と真っ向から言い合えるトウジも、妹の質問に困った顔をした。
 理由を言うことは簡単だったが、それは彼曰く、『男の道』に反している気がしたし、なにより恥ずかしかった。かといって、黙ったままだと妹が拗ねるだろうということも理解していた。彼は自分に似ず、聡明で可愛い妹を溺愛していたので、彼女に嫌われるようなことはしたくなかったから、言うべきか言わざるべきかとハムレットみたいに悩んでいた。聡明なヤヨイもそれが分かっていたのだろう、意地悪っぽく笑ってトウジを見ている。
 2〜3分悩んでいたが、やがてトウジは決心がついた。どうやら妹への愛情より自分の男気を優先することに決めたらしい。
 「それは言えん。男には例え何があろうと曲げるわけにはいかんものがあるんや」
 「うちのこと嫌いなん?」
 ちょっとだけ目をウルウルさせながらヤヨイはトウジの顔を下から見上げた。もちろん上目遣いで、甘えるように。
 まともに目を覗き込んでしまったトウジの首が、ギリッと音を立てて硬直する。
 「そ、そんなことないで」
 「じゃあ、教えてくれてもええやん。教えてくれんてことは、うちのこと嫌いなんやろ?」
 「そうやない、そうやないんや!
 う、あ、コラおとん!おかん!何がおかしいんや!!笑うとらんと、ヤヨイにもなんか言うたってんか!」
 トウジの無礼な言い方だが、それ故にとても困っていることが伺える言い方に、ますます父と母はおかしそうに笑う。ニカッと笑うと、父はヤヨイの頭をなでつけた。その姿は絶滅したと言われる、古き良き父親像そのものだった。もっとも言ってることは大違いだったが。
 「もっと言うたれ。トウジがこまっとるのを見るのはごっつ、おもろいさかい」
 「なんやぁそれっ!ワシはヤヨイに変なこと聞かんように言うてくれて、言うたんや!
 けしかけろなんて言うてへんで!!」
 「なんや、それが親に向かって言うことか!!」
 「そんなこと言うんやったら、ちっとは親らしゅうせい!」
 噛みつかんばかりに言い合いを始める二人。しかも天下の往来で。鈴原婦人は深い深〜いため息をついた。
 さすがに恥ずかしくなったのか、ヤヨイが彼女、鈴原ハヅキの袖を引っ張った。
 「もう、いい加減にしてください」
 「「しかし・・・」」
 「いいですね?」
 「「はいっ」」
 なぜか揃う2人。つまりはそう言うことだ。
 トウジの父、鈴原ナツヒコは入り婿ということもあるが、苦楽を共にしてきた彼女にラブラブだったので、逆らうことなどできないのだ。どれくらいラブラブかと言えば、朝、夕、寝る前に毎回子供達が見ていても構わず熱烈なキスをするくらいにラブラブだ。
 トウジが男にこだわるのも、この両親の影響大。
 いつの間にかヤヨイは、トウジとナツヒコにお説教を始める母親達から距離をとっていた。

 (またやってる。毎度々、仕方ないなあ)

 ヤヨイは少し恥ずかしいなと思いながらも、この家族が大好きだった。

 「あれ?」
 ふと空を見上げたヤヨイが怪訝な顔をした。彼女の黒炭のような瞳には、空の青と、白い雲、そしてその中心を貫くようにだんだんと大きさを増していく黒い固まりが写っていた。
 彼女の様子がおかしいと気がついたトウジが、慌てたように側に駆け寄る。
 「なんや、どうしたんや?」
 「あれ・・・空になんか・・・だんだん近づいてくる・・・」
 そのころには周囲の人間達も、影が近づいてきていることに気がついた。そして、緊急避難警報が出されていることにも。見上げるトウジの目にも、羽を広げたそれの姿が写る。
 そして人々が避難に移る前に、パニックに陥って悲鳴を上げる前に、それは大地に降り立った。

ズズーーーーンッ!!!

 「うわあああっ!」
 「きゃあああっ!」

 それの真下にいた不幸な人間達が踏みつぶされ、血の詰まった皮の袋と化した。
 運良く踏みつぶされなかったトウジとヤヨイは突風に吹き倒されて、悲鳴を上げた。倒れた彼らの上に土煙と、それのあげるおぞましい雄叫びが響き渡る。

 「キシャーーーーーッ!!!」

 平和な休日の午後、突如第二新大阪市に舞い降りた死を呼ぶ異形。
 金属のカマキリ、スパイカー。その大きさは鎌の刃渡りだけでも並の大人3人分はあった。その大きさと、非現実的な馬鹿馬鹿しさに、周囲にいた踏みつぶされなかった人間達は逃げることも忘れて立ちつくしてしまった。そうしていれば、夢が覚めるとでも言うように。
 しばらくスパイカーは大きな複眼をくりくりと動かしていたが、突然、無造作に右腕の鎌を振った。
 瞬間、かすかな風切り音のすぐ後に、10人近い人間の体が血飛沫をあげながら転がる。
 ヤヨイを抱きしめるトウジの頬に、脂肪が混じった血がかかり、彼の心を凍らせた。

 (なんやこれ、なんやこれ。なんやこれ!?)

 ガクガク震えながら自問自答するが、もちろん答えが出るはずもない。
 やがて、スパイカーはトウジ達に向き直る。威嚇するように羽を広げて。拝むように、胸に鎌をそろえて。
 鎌が振り上げられるのを見て、トウジは頭の中が真っ白になるのを自覚した。

 あのかまがふりおろされたら、じぶんも、いもうともそこにころがるひとたちのように、まっぷたつにされる。
 しぬのかな?せめてやよいだけでもたすけたいな。

 だがいつまでたってもスパイカーは鎌を振り下ろさなかった。ただジッとトウジとヤヨイを複眼をくりくりさせながら見下ろしている。
 「なにしとるんや!はよこっち来い!!」
 ジッと睨めっこをして固まるだけのトウジ達に向かって突然声がかけられた。スパイカーを挟んで反対側にいた、彼の父の呼びかけだった。彼らは幸い踏みつぶされなかったが、彼の額は流血しておりとても辛そうだ。
 一瞬竦みかけたトウジの体が、その声でなんとか立ち直る。

 「大丈夫か、ヤヨイ!?」
 「う、うん・・・。それより、お父さんにお母さんは!?」
 「あっちにおる!2人とも無事みたいや。行くで!」
 トウジはぼうっとするヤヨイの右腕をつかんで走り始めた。固まったままのスパイカーの目の前を走り、その後ろで呼びかける両親に向かって。
 スパイカーは2人を目で追うが、やはり何もしようとはしなかった。それより、彼が相手をしないといけない存在が近づいていたからだ。
 重々しいローター音と共に、特殊輸送ヘリが飛来し、カーゴから一体の異形を放り出した。
 機械獣『グランチュラ』
 巨大蜘蛛タランチュラをモデルとしたゾイドである。落下途中で高層ビルの側面に張り付くと、顎を模したビーム砲の砲塔を右に左に射線を動かしながら、照準内にスパイカーをとらえる。
 「・・・目標確認」
 そのエントリープラグ内部で、レイは冷たい目をしながら呟いた。





 「わかったわ!敵の数はスパイカーが5体に、ビーシューターがおよそ30ね!
 レイが今グランチュラでスパイカーの迎撃と、網を張ってビーシューターを捕獲しているから、レイコは援護すると同時に、レイノスでビーシューターを撃ち落として!後、連中の母艦を撃墜じゃなくて適当な場所に不時着させるのよ!」
 『了解!』
 まだ所々工事が終わっていない発令所に、ユイの声が響いた。まだスタッフが揃っていないため、総司令である彼女自らの指揮である。
 「嫌がらせって訳ね。ゼーレの老人達の・・・」
 モニターに写る第二新大阪市の惨状。
 そしてまたもや後手に回ってしまったことに対する怒り。
 歯がみしながらユイは机に拳を打ち付けた。
 ゼーレの人間達が第三新東京市に的を絞る前に、それ以外の都市を襲うことを分かっていながら何もできないことに苛立つように。街が襲われてから、迎撃のために子供達を死地に追いやらなければいけないことを後悔するように。


 何とかスパイカーとグランチュラの戦闘から逃れることができたトウジ達だったが、即シェルターに逃げ込めたわけではなかった。瓦礫の山をかき分けかき分け進んだ最寄りのシェルター入り口には、ハチ型ゾイド『ビーシューター』が扉をこじ開けようと群がっていたからだ。
 その大きさ自体は子馬ほどで、冗談みたいに大きいゾイドの中にあっては小さい方だが、最大時速300kmで飛行する翼と、人間を確実に麻痺させる毒針を持つ金属の誘拐者だ。むろん、トウジ達では勝てるわけがない。見つかれば大人達は殺され、トウジとヤヨイは麻痺させられた上にどこかへ連れ去られるだろう。
 ゾイドを見ること自体は初めてだが、新聞やニュースで小型ゾイドが子供達を誘拐していることを知る彼らは、先のスパイカー以上に警戒しなければいけない相手だということを理解していた。

 「ここは駄目やな。他のシェルターをさがさんと・・・」
 「・・・・・・・・・きゃっ!」
 恐る恐るその場を離れようとしたトウジ達だったが、もう少しと言うところでヤヨイが石に躓き、悲鳴を上げてしまった。瞬間、近くを飛んでいたすべてのビーシューターが声の方、すなわちヤヨイに複眼を向ける。

ブブブブブブブブブブゥゥゥッ!

 羽根を羽ばたかせてふわりと舞い上がるビーシューター。その視線はヤヨイに固定されていた。
 「ヤヨイ、はやく!」
 「だめ!足が、足が挟まって!」
 ヤヨイの足は転んだことで瓦礫の隙間にはまり、膝から下が完全に飲み込まれていた。
 動けなくなった彼女の背後から、数体のビーシューターが迫る。
 「ヤヨイッ!!」
 「ハヅキっ、行くな!」
 「おかん!ヤヨイ!」




 苦痛と出血で朦朧とする意識の中、ヤヨイは父の泣いている姿をジッと見ていた。
 「どうして、どうしておまえが死なないかんのや・・・。
 あの時、ヤヨイが転ばなければ、足を挟まなければ・・・。
 おまえは死ななくてすんだはずなのに・・・」

 (お父さんごめん・・・。お母さんごめん・・・。お兄ちゃんごめん・・・)

 「ヤヨイがもっとしっかりしてれば・・・。ヤヨイがハヅキを殺したようなものだ・・・」

 (!!)

 「おとん!」
 「わかっとる。だがしばらく何もいわんといてくれ・・・」






 (あの時、おかんはおまえを助けるために死んでしもうた・・・。おとんはあんな事言う気はなかったんや。おまえかて本当はわかっとるやろ?)

 ヤヨイはあの事件により、足に重傷を負った。彼女を持ち上げようとしたビーシューターが、無理矢理隙間から足を引き抜いたからだ。それにより、彼女の足は無惨に引きちぎれた。そして、彼女を助けようとすがりついた母は彼女の目の前で無惨に殺された。
 だが、その貴い犠牲のおかげでレイノスがそこに飛来するまでの時間が稼げ、さらわれる寸前でヤヨイは助けられた。
 素早く救急隊員によって治療を受ける彼女は、母の亡骸を抱いて泣く父の言葉を聞いた。
 その時、彼女の心は死んだのだった。


 トウジは無言でヤヨイにかかるシーツをめくる。
 彼女の右足から下には・・・ちゃんと足があった。傷一つない、きれいな白い足が。
 ネルフのもてる技術の全てを用いて治療された彼女の足。その治療には母、ハヅキの体が使われている。
 その足をそっとなでた後、トウジは立ち上がって出口に向かった。

 「じゃあまたな。ヤヨイ、おかん」

 部屋から出る直前、振り返ってそれだけ言うと、トウジは病室を後にした。
 その夜、
 ヤヨイは一滴の涙を流したが、誰もそれに気がつかなかった。





後書き

 く、くらい。
 ギャグを下手に入れたせいで余計暗さが引き立ってしまった。書かなきゃ良かったかな。最後らへん支離滅裂だし。
 でもこの裏設定はこの話を書こうと思ったときからあった、設定だから書かないわけにはいかなかったんですよね。
 この話は10話が終わった直後ぐらいの話です。で、トウジの回想の時期はシンジが第三新東京市に来る1年ほど前です。母親の死亡でショックを受けたトウジは、抜け殻のようになってしまいますが、そこに居合わせたレイコの、「あなたがネルフにいれば、一緒に戦っていれば死ななかったかもしれない」という言葉を聞いて、自分にしかできないことがある、とネルフに入ることを決意します。もちろん復讐と、ヤヨイの治療のためでもありますが。
 その後、父親ともども第三新東京市に引っ越した彼は激しい訓練を耐え抜き、以後のゼーレゾイドによる無差別攻撃を防ぐため、修羅のように戦う。
 う〜む、やはり書かなければ良かったか。本編のイメージ壊れるもんなぁ。
 なぜレイがサラマンダーではなく、グランチュラに乗っているのかと言えば、この時はまだ大型ゾイドがゴジュラス以外なかったからです。また、アスカや他のチルドレン達はまだ日本にいません。
 あっ、一応書いておきますけど、ヤヨイちゃんの年齢は11歳。書いてるときのイメージはガメラ3に出てきた森部美雪(安藤希)です。これで想像しやすくなりました?
 それでは、暗いだけで救いがないこの話を読んでくれて有り難うございました。
 では〜♪

[ INDEX ]