第16話「覚醒」
「マヤ」
アスカの声に、マヤは彼女の声がする方を眺る。
そこにはトウジに支えられたアスカの姿があった。
「あぁアスカ、なかなか頑張ったじゃない、お疲れさま。
あ、でもトウジ君もお揃いでどうしたの」
トウジはアスカをマヤの隣の席に座らせようとした。
しかしトウジが、アスカを座らせるのに何から何までサポートしている光景を見て
マヤもこの時、アスカの異変に気づく。
「アスカ?。どうし・・・」
と、言いかけたとき、トウジがその言葉を遮るように口を開いた。
「どうでっか!シンジの調子は!」
マヤも馬鹿ではない。禁句と感じたマヤは話題を即座に変えた。
「あ、ああ。シンジ君なら完璧よ。トラブルもないし、後はシンジ君次第ね」
「そうでっか、アイツのことや。きっとやってくれるやろ」
しかし、少しぎこちない会話の雰囲気を、アスカが感じない訳がなかった。
「もういいよ・・・鈴原、マヤ」
トウジもマヤも返す言葉を失った。今下手に慰めの言葉をかければ、
彼女を傷つけるだけの結果で終わると思ったからだった。
「でも、どうって事はないわよ。ほら」
そう言いながら、左手を見せる。
腕を上げようとしたが、動くことはなかった。
そして、眼を細めてもう一度腕を上げようとしたときに、
指がぴくりと動いて震えだした。
「ほら、こんなに回復してるからじきに直るわよ」
明るく話すアスカ。それにトウジが続いた。
「・・・そやな。ったく、心配させおってかなわんな」
「あんたに心配してもらうほど私は弱くないわよ、ば〜か。
そんな気を回さないでシンジを応援しましょ。
ま、シンジが表彰台の頂点に立ってる頃には万歳三唱ができるわよ」
「頂点って・・・なんや、ずいぶんな自信やな」
「そりゃそうよ。何たってシンジは一番大事な物をこのレースで賭けてるんだから」
アスカは手短にマックスとの賭の話をトウジとマヤに話し始めた。
ここを勝負所と決めたレイ。
彼女は全開でコースを駆け抜けていく。
しかしそれでも、シンジは離れない。
コーナーでも、ストレートでも彼のマシンはレイのマシンを捕まえて離さない。
だが、シンジは1度も仕掛けようとはしなかった。
いや、出来なかったという方が性格だろう、ついていくので精一杯。
とても揺さぶりなどかける余裕はない。
そして一行はイリュージョンストレートに来る。
レイとシンジとマックスはブースターを立ち上げ、
カヲルはシンクロを引き上げ、何とか食らいついていこうとする。
「この勝負、もらったね」
カヲルはシンジ達にストレートでも離されない事と、
マックスのマシンがストレートで遅いのを見て取り、この勝負の勝利を確信した。
「あとはどれだけ、僕が耐えられるか・・・」
カヲルの瞳の中が輝く。
同時にマシンが伸び、目の前のシンジのマシンの後ろにピタリとつけた。
ここまで接近できれば、シンジを空気の盾にしてついていくことができる。
今まではここで一息ついていたのだが、カヲルはここで更にシンクロを引き上げた。
シンジとカヲルはトルネードバンクを抜け、コントロールラインが迫ってきた。
「来た!」
カヲルはシンジのマシンのブースターが切れた瞬間、溜めていた力を爆発させた。
彼のマシンの加速力は、シンジのトップスピードで巡航中であるにもかかわらずに
シンジに並びかけさせた。
「なんで彼がこんな!」
シンジの驚きも当然だろう。カヲルのマシンでは不可能な事なのだ。
しかも、トップスピードが低いのは高速道でも先刻承知の事実だった。
シンジの斜めにグレーのマシンが見えた時、1コーナーへの減速ポイントに来た。
無念だが、ここからカヲルを抜き返す術はなかった。
「まずい。このままじゃ・・・」
残りは5周。チャンピオン候補の2人に先行を許したシンジは、次第に焦りだした。
しかも2人とも、速い。
シンジの目は先ほどよりも離れたマックスのマシンに向き、小声でつぶやく。
「そうさ・・・・アイツにさえ勝てれば・・・」
カヲルは1コーナーをレイに続いてクリアする。
赤い光が支配する瞳には、もう白いマシンしか見えていなかった。
「もう同じ手は通じない・・・2コーナー出口、そこしかない」
カヲルがオーバーテイクポイントにしたのは2コーナー出口。
ここはレコードラインから一車線分外側に余裕がある。
2コーナーは左コーナーで、次の3コーナーも左巻きである。
それに加え、2コーナーに続いてすぐ3コーナーがある。
アウトから抜くのは無理な話だったが、カヲルは逆にその部分で抜こうと決めた。
レイのマシンが目の前に見える。すでにその差はほとんどなかった。
「さすがにコーナーでは速いわ。でも抜かれるほどではない、抜けるポイントもない」
レイはカヲルをマークしながら2コーナーに進入する。
真後ろにはカヲルのマシンが続く。
レコードラインを通っていく白いマシンを見つめながら光を湛える瞳を、更に輝かせる。
「行くぞ」
貯め込んだ力と新たな力が融合し、爆発的な加速を生んだ。
「えっ?!」
レイが気づいたときにはカヲルはアウト側の斜め前方にいた。
「なぜ?!なぜ彼にこんなパフォーマンスが!」
驚きの面もちでグレーのマシンを見るレイ。
そして、アッという間に3コーナーの入り口にさしかかる。
レイも内側から何とか抜かせまいとしたが、
すでに車体半分前に出ているカヲルのマシンの方が圧倒的に有利だった。
3コーナーに重なって侵入するカヲルとレイ。
「ここで抜かれちゃ駄目」
レイはアウトから被せるカヲルに譲らなかった。
しつこくコーナーのインをトレースするレイに向かい、グレーのマシンが
マシンを急激に寄せてきた。
引かなければ接触するほど迫りくるグレーのマシンに、命の危機を感じるレイ。
「はっ!」
前とは違う。今、彼女はここにある生命が愛おしくて仕方なかった。
その時、カヲルのリアタイヤがレイのマシンのサイドポンツーンにヒットして、
激しく擦れ合う音とともに、レイのマシンに振動が伝わってくる。
「・・・駄目っ!!」
レイは内側の縁石まで乗り上げてカヲルのマシンを避ける。
荒く息を吐き出すレイの瞳がうっすらと潤っていた。
「・・・怖い
でも・・・」
レイは先行を許したカヲルを見た。チャンピオンを取るためのライバルのマシン。
「この恐怖に勝てなければレーサーとしては失格。
・・・今の私ならできるはず。
恐怖よりなにより、喜ぶ顔が見たいから・・・。
それに私が勝たないと・・・すべてが終わる」
50型のTVモニターを眺めるゲンドウとリツコ。
そして向かいに座り同じようにモニターを見る男二人。
リツコがゲンドウの耳元に小声でささやく。
「レイに弊害が出てしまいましたね。
今後に影響が出ないとも限りません」
ゲンドウのサングラス奥の瞳はテレビを凝視している。
向かいに座っている男のうちの1人が、ゲンドウに向かい満足げに口を開く。
「フフフ、ついにうちのカヲルがトップに立ちましたな。
ま、所詮は我々ZEELEの方がレベルが上ということだな」
隣の男も、含み笑いを浮かべながら頷いている。
「まだ勝負は終わったわけではありません。
レイもシンジもマックスもすぐ後ろについています。勝負はこれからです」
「だが、君自慢の新型はあの様ではないか。
それにカヲルは君のドライバー達を抜いてきてるのだよ。負けるはずはない」
隣にいた鼻の尖った男も、口をそろえる。
「さよう。もう勝負は見えたよ。覚悟はいいかね。
君のモーターレーシング界生命もこれまでだよ。最後のレースを楽しみたまえ」
ディアブルコーナーを抜けるカヲル。充血した目で長いストレートを見据える。
ブラジルグランプリで見せた限界ギリギリのシンクロ率で走る彼に、
流石のレイでさえついていけなかった。
「ここからが勝負だ。このストレートで詰められては元も子もない」
カヲルは更にワンランクシンクロ率を上げた。
プラグレーシングスーツに包まれた体は分からないが、額と首に血管が浮き出る。
レイも少し離れてイリュージョンストレートに入り、ブースターを入れた。
だが、その差は詰まる気配を見せない。ストレートでもカヲルの姿は遠のいていく。
「そんな・・・ブースターも付いてない彼が・・・」
一方のシンジはインフィールドセクションでピッタリと真後ろに来るアベルを
必要以上にブロックしていた。お陰でレイとの差も少し開いた。
そして、ストレート。シンジはブースターをかける。
マックスも同様にブースターを使うが。ミッションがコーナーパターンのため、
すぐにリミッターにぶつかってしまう。
コーナーで追いついてもストレートで一気にシンジに離される。
「くそ!ここまで来てなんて様だ!。これでは勝負にならない!!」
しかし、離れていくマックスを見て、シンジは安心する。
「良かった。何とかこの分ならマックスは押さえられそうだ。
守れそうだよ・・・アスカ」
残り4周。ストレートでも追いつけなかったレイは、コーナーで更に離される。
「このままじゃ追いつけない。負ける・・・」
レイの目には、コーナーごとに小さくなっていくグレーのマシンが写る。
「負けたら・・・会長は・・・」
しかし彼女は本気で走っている。だが、それでもカヲルにはかなわない。
そんな自分にレイは歯がゆい思いだった。
「何も・・・何も出来ないなんて・・・・・・・」
1コーナーを抜け2コーナー、そして3コーナ付近でシンジがストレートで作った
マックスとの差が無くなる。その後にいくつかのコーナーが続くが、
オーバーテイクポイントは無いに等しい。マシンの性能差はあるが、
本気でシンジがブロッキングに入れば抜くのは困難な話だった。
ディアブルコーナーまで押さえきったシンジはここで安心する。
ストレートに入れば抜かれる心配はない。
カヲルがトップでコントロールライン通過。これで残り3周。
2秒後方にレイ、更に3秒遅れてシンジ、そのシンジから3秒後方にマックスが続く。
マヤがアスカに経過を知らせる。アスカはシンジの状況を聞き、口を閉ざした。
モニターを見ていたトウジ。
カヲルのマシン、レイのマシン、シンジのマシン、マックスのマシンと
映し出されるのを黙って見ていた。だがその目は、怒りに満ちあふれていた。
「・・・あのやろう」
トウジの低く呟く声がアスカに聞こえた。その意味を、彼女は知っていた。
シンジを弁護しようとアスカは口を開くが、その声は力がなかった。
「仕方ないよ。シンジはチャンピオンには固執してなかったし・・・。
私が悪いのよ。あんな賭けしたから・・・」
だが、肩を落とすアスカを見たトウジは、もう黙ってはいられなかった。
「おい!ちょいとそれ貸せや!!」
トウジは傍らにいたメカニックマンからピットサインボードを取り上げると、
すべての数字版をびっぺがして手元にあったマジックでなにやら書き出した。
マヤは黙ってその光景を見ていた。
彼女自身、トウジのやろうとしていることを代わりにやりたいくらいだった。
「ブースター・・・」
震える声でそう呟き、ブースターを使うレイ。手も震える彼女、いや体が震えていた。
レイの目にはカヲルが見える。だが、さっきよりも更に離れた。
その光景が、更に彼女の焦りを買うことになる。
「負けられない・・・負けられないのに・・・。せっかく・・・せっかく・・・」
レイの脳裏に今までの長く辛い日々がよみがえる。
生まれてから12年間、ずっと薬物実験のために薬漬けにされた日々。
感情を持つ事すら許されなかった日々。
代わりの自分に取って代わられるかもしれない。
そのプレッシャーの中で走らされた日々。
今までは普通だった事が、今では苦痛と、凄惨な思い出しかない日々。
去年、初参戦で3位入賞したときにトロフィーを貰った。
それを表彰台で貰った時から私は始まった。
知った顔EVIA会長、碇ゲンドウがトロフィーを私にくれた。
無表情で事務的にトロフィーを受け取る私に会長は微笑んで言ってくれた。
「よくやったな。見事だったぞ、レイ」
「・・・」
それからの私はトロフィーを貰い、会長に見せるのが行事になった。
私はその為だけにグランプリを走っていたと言っても良かった。
が、突然の最期通告。そして・・・
『今まですまなかったな。辛かったろう・・・許してくれ』
初めて優しく包んでくれたゲンドウのぬくもり、彼女は幸せな時をかみしめていた。
その時、彼女の思考の中にはゲンドウしかいなかった。
そして、今回のゲンドウの立場、最悪の結果のイメージが彼女の脳裏を支配する。
『よろしいのですか?、何の策も講じないなんて・・・』
『あぁ、レイに危険が無くなった今、いつ消えようがかまわんよ』
『しかし・・・カヲルに負ければ全てを失うことに・・・』
せっかく掴んだ幸せの鍵。
暖かい存在の彼、父親が消えるイメージにレイは耐えられなかった。
自分がチャンピオンになれれば全ては丸く収まる。
だが、今の状況は最悪のパターンだった。カヲルだけには負けてはいけないのだ。
そして、彼女はカヲルに力の差を見せつけられている。
レイはカヲルに勝てないことを、自分の中で認めてしまっていた。
レイの中で思考が渦巻く。
『終わりだよ、碇』
ゲンドウに銃口を向ける黒いスーツを着た男。ゲンドウは沈黙のまま。
『約束だ、君の役目はもう終わりだよ』
レイはゲンドウの袖を引っ張ってこの場から逃げようとするが、彼は動かない。
『覚悟はいいかね。元EVIA会長さん』
ゲンドウがレイに向かい少し微笑む中、男はトリガーに力を込めた。
「やめてぇ!」
力無く崩れ落ちるゲンドウ。レイが掴んでいた袖に赤いにじみが現れ、
それはレイの手も赤く染めていく。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
エントリーコクピット内に響きわたるレイの声。
同時に彼女の思考はマシン・・・白いEG-Mに飲み込まれた。
「うあっ・・・?!」
手足の感覚が急激にぼやけ、LCLに体が溶けだしていく感じがレイを支配する。
「カラダが・・・・ワタシの・・・・・・・・・・・・・・」
その言葉を最期にレイの体は力を失い、シートとシートベルトにその抜け殻を預けた。
体が力を失うのと同時に白いマシンのフロントウイング前方に付いている
4つのライトが赤い光を帯び始める。
その真紅の光がサーキットの道を照らしたのを見つめていたゲンドウとリツコ。
「始まったな、赤木博士」
「・・・はい。A10神経レベルが頂点に・・・これで、終わりましたね」
「あぁ、何とか間に合ったようだな」
「でも、よろしかったんですか・・・これで・・・」
リツコの問いに、ゲンドウは何も答えずにモニタを見つめていた。