まだこの周囲は区画整理が出来てなくて、サードインパクトの後、そのままになってい
た。
取り壊されるであろうマンションに、新たに入居するような人はいない。
ひょっとしたら、このマンションはおろか、見渡す限りの建物に、僕以外の人間はいな
いんじゃないかって思うほど、この辺には人が住んでいなかった。
でも、それがかえって僕の精神を落ち着かせてくれた。
―――脅え。
人と出会い、傷つき。
―――弁解。
言い訳で作る、もう一人の自分。
―――戸惑い。
知らないモノに対する、恐怖と。
―――遁走。
限りない、弱さと優しさの間で。
この街から、僕は離れられない。
いつものように、カードキーで開けるドアと格闘しながら。
待つ人のいない、家族を営んできた、この部屋へと帰ってこれた。
それはまるで、生まれてから何万回も繰り返してきた行為のように思いながらも。
まだ、数年しか経っていない、驚くほど濃密な、日のあたる記憶。
(このまま、誰も知らないまま、僕が死んでしまっても、誰も悲しまないかな)
そう思った時もある。
あれはそう、―――目覚めてから半年。
アスカの目が覚めず。
綾波の消滅を知り。
父さんが殺され。
僕に関わるすべての人に、平等に不幸は訪れて。
なぜ、僕がこうして健康でいられるか、知らなかった時。
例えるなら、今の僕は偽りの自分。
死なない為に生きてるに過ぎない・・・。
唯一の、生きる執着が、アスカという存在。
もしかしたら、アスカを・・・殺してしまえば、僕は救われるのではないかと思った。
カヲル君を殺したときのように、あっけないくらいに、その機会が僕には訪れている。
そっと、アスカの細い首を絞めるだけで、彼女の命の火は消える。
―――僕に関わるすべての「敵」を殺せばいいんだろうか。
しかたないじゃないか、しかたないじゃないか、しかたないじゃないかっ!
みんな恐いんだ。なんでみんな、そんなに強いんだ。
なんで、僕に優しくしてくれないんだ・・・。
僕は逃げてるんじゃない。変わりたいんだ。
強くなりたいんだ。そうすれば、アスカを・・・殺さないで済むんだ。
『それは嘘』
嘘でもいい。僕はもう戦いたくない。
『それも、嘘?』
嘘でもいい。僕はもう知らない。
『それで、いいの?』
いいんだ!だって、みんな死んじゃったんだ・・・。
『じゃあ、なんで君は生きてるの?』
死にたくないから。あたりまえじゃないか。
『じゃあ、なんで君は死にたくないの?』
死ぬのは恐い。一人になりたくないんだっ!
『君は一人じゃないの?』
一人じゃない、ミサトさん、加持さん、ミサトさんだっている。
『でも死んでしまった』
一人じゃない!綾波だって、アスカだっているんだ!
『でもここにはいない』
僕は僕なんだ、それでいいじゃないか。
『そう、君は君。でも一人』
一人でもいいじゃないか。一人じゃ何がいけないんだ。
『それは死んでるのと、一緒』
うるさいっ!誰なんだ、お前こそ、一人じゃないか!
『僕は僕。碇シンジという、一人の人間』
どんどん!
「シンジ、おらんのか〜!」
・・・夢か。
ソファーに横になったら、寝てしまっていたようだ。
「おらなんだら帰ってまうぞ〜!」
ああ、トウジ、トウジ!
うっ、涎垂れてる〜。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
3年ぶりの友人との再会としては、最悪のパターン・・・。
急いで顔洗わないとっ!
「早よせーや!」
やっぱり、3年前とちっとも変わってないや。
「か〜、人を待たせてグースカ眠りこけくさって!」
「ごめん、気がついたら寝ちゃってて・・・」
「ワシが起こさなんだら、いつまでも寝ておったな、このやろ!」
「トウジ、そのくらいにしときなさい。碇君だって反省してるじゃない」
これは洞木さん。3年で女の子は、これほど変われるものなのかな。
ものすごく可愛くなった。チャームポイントのそばかすもなくなっちゃって、すっかり
大人の女性になってる。
おまけに、すっかりトウジが尻に引かれてた。
「いいやないけ、ワシはいじめっ子やさかい。ごめんなセンセ〜」
「トウジ、そのセンセっていうの止めてよ」
「センセはセンセやないか。なあ、イインチョ?」
「イインチョも止めなさいって、あれほど言ってんのに、この人ったら!」
そう。
なんと、トウジと洞木さんは、結婚してる!
サードインパクトのあと、あまりの人口の激減によって、男子の結婚可能な年齢が18
歳から16歳になったんだ。
前から洞木さんは、トウジにお弁当を作ってあげてたけど、まさか結婚するなんて。
新婚ほやほやの二人を見ていて、微笑ましいと思うし、お似合いだと思う。
そのことが、僕を責めるとしても、それはあまりにも幸せな家庭だった。
「くぅ〜、ワシはいじめられっ子やないか」
洞木さんは、そんなトウジをすっかり無視。
「碇君も、早く幸せになれるといいね」
・・・。
「べ、別に変な意味で言ったんじゃないのよ。アスカも、こんなにいい人待たせておく
なんて、罪な女よね」
「ああ、あの性悪女、寝たふりしてシンジからかっとんのとちがうんかい?」
「トウジ!」
「・・・いいんだ、洞木さん」
「僕は・・・」
「いつまでも、まっているよ・・・」
「・・・すごい、碇君」
「かぁ〜、やっぱセンセの言うことはちゃいますなぁ!」
「・・・でも、やっぱりそれも今じゃ・・・わかんないよ」
「このままアスカが目覚めないで一生を遂げられたら、それはそれで幸せなんじゃない
かって、思うようになっちゃった。僕のことなんか、本当はどうでもいいのかもしれない。
だって、僕はアスカを守り切れなかったんだもの・・・」
夢の中のように、それは独白だった。
そしてそれは、絶望。
「・・・シンジ。アスカも、お前のことわかっとると思う。アスカが何でああなったか
ワシは詳しくしらんけど、今のアスカを支えてやれるのは、シンジしかおらへん。シンジ、
しっかり護ってやろうと思っとかんと、アスカはお前のこと信じられへんよ」
「ワシは今、幸せや思っとる。それもこれも、全部シンジ、お前が戦ってきたおかげや。
幸せの代償が、これ、左足やとしたら、右も催促されそうで恐いわ」
そういって笑った。
「シンジ。お前は人に誇れることをやったんやから。例えそれが周りの人間を傷つけた
にしろ、お前はワシの自慢の親友や」
「・・・三年前、僕はすべてを置いて、逃げ出したんだ。恐かった・・・何もかも。
あの時目覚めずにずっと眠り続けていれば、今のように辛い思いはしなくて済んだはずなの
に、早くアスカが目覚める事を祈ってる、僕がいる。一人でいるのが寂しいのは本当だけど、
でも・・・アスカが僕と同じ気持ちで眠り続けているのなら、この現実に目覚めるのは、
あんまりにも残酷だ・・・」
「なんでトウジは、こんな僕に優しくしてくれたの・・・僕はそんなに、弱い人間に見
えた?」
みんなが優しくしてくれる程に、僕は唇を噛み締めている。
本当は叫びたいのに、相手の顔を見ながら、へらへら笑っている、自分。
アスカが嫌っていた僕た。夢の中の・・・。
「ワレは、殴られたいんか」
トウジが本気で怒っていた。
こんなに怒ったのを見るのは、初めてあった時以来だった。
「ワレがエヴァに載って戦ってたから、ワシらを守ってくれたから、優しくしたのと思
っんのか?ごっつ腹立つ奴やな・・・ホンマいっぺん殴ったろかっ!」
「ワシはシンジを親友やと思っとったけど、違ったんか?親友に優しくせえへん奴のが、
ワレにとっちゃ良かったんか?」
悲しそうな目をして、トウジがつぶやいた。
「ごめん。そうじゃなくて。何て言えばいいんだろう」
こんな風に、トウジが僕を気遣ってくれることが、かえって辛い。
「例えば、トウジは洞木さん・・・ヒカリさんに優しくしてるのは、大切に思ってるか
らだよね」
聞いた方が恥ずかしくなるくらい、二人とも真っ赤になってしまった。
返事を聞くまでもないか。
「以前一度、アスカの精神は壊れかけた。それが僕の優しさのせいだとしたら。毎日顔
を合わせていることが、アスカにとってその目覚めない原因になってるとしたら。そう思
うと、恐いんだ。僕のあいまいな優しさが、アスカを傷付けているようで・・・。」
「そこまで解ってて、アスカを毎日見舞ってくれてるのね・・・。大丈夫、碇くん。そ
こまで自分のこと考えてくれる人を、女の子は裏切ったりしないわ。特に、アスカは
ね・・・」
そう言って、ヒカリさんは意味ありげにウィンクした。
?
どういう意味だろう。