第3話
「反抗の序曲」



「あんたはどう思う?」
ミサトは加持の目の前に幾つかの写真と数枚の英文のレポート、
それとプログラムらしい英字と数字の羅列が延々と書かれた分厚いファイルを
彼の目の前に差し出す。
加持は最初の数ページの写真とレポートに目を通した後、
それに続くファイルをパラパラとめくりながら口を開いた。
「サルベージ計画・・・か・・・」
ミサトは黙って彼の言葉を待つ。彼女自身、もう彼に話すことはない。
彼女の視線を感じながら、加持は横目でミサトを眺めた。
「最近はえらく心配性だな。
 ・・・リッちゃんなら大丈夫。きっと上手くやるさ」
「そうは言うけど失敗したらお終いなのよ。もしそうなったらシンジ君はもう・・・」
加持に背を向け、手に持っていた缶コーヒーを口にするミサト。
「妖怪と恐れられるネルフ作戦部長さんの言葉とは思えないな」
加持の軽い口調にも、ミサトは背を向けたまま無言。
彼女のなにも言わぬ口と態度を見つめながら加持は心の中で呟いた。
「・・・・・家族・・・・か・・・」

アスカの体が物音一つしない部屋の中を移動し、あるタンスの前で止まる。
彼女の腕がゆっくりとタンスに伸び、一番下の引き出しにたどり着く。
アスカの手が何の抵抗もなく、すぅっと引き出しを開け放つ。
部屋の中は薄暗く、開け放たれたドアから射し込む
廊下の灯火だけが部屋を照らしていた。
アスカは中から先ほどのシャツを取りだし、
長い間彼女の憂える視線が緑のシャツに降り注ぐ。
彼女の視線の先には
『R.KAJI』
の刺繍が浮かび上がっていた。

「用事ってのは、アスカのことだけか?」
半分分かり切った質問を加持は真剣な口調でミサトに向ける。
ミサトは加持に言葉に対しても無言だった。
「・・・地下のことだろ」
ミサトは一呼吸置いた後、一息大きく息を吐き出す。
と同時に彼の方向に振り返り、『きっ』と加持を見つめる。
「分かってるなら話は早いわね。
 地下にあるアダム・・・何であんな所に置いてあるの。何故あれがここにあるのよ」
加持はじっと彼女の目を見ていた。彼女も加持を凝視している。
「アダムと使徒の接触はサードインパクトを引き起こすからだろ。
 ここは対使徒迎撃用に作られた都市だからな。ここが一番安全なんだろ」
ミサトは加持から視線を外すと露骨に苦々しい表情を浮かべる。
「それだけとは思えないわね・・・。何か知ってるなら教えて欲しいのよ」

『ジャキッ』
暗やみに包まれた部屋に響く音

『ジャキッ』
無表情で座り込むアスカの傍らには無数に布きれが散乱している。

『ジャキッ』
彼女はシャツを手に持ちながら幾度もはさみを動かしていた。

『ジャキッ』
彼女の思い出とはさみの動きは連動していた。

加持と初めて会った日、加持に助けられた日、加持を好きになった日、
加持とデートをした日、加持と食事をした日、加持と日本まで来た日、
加持と甲板で話した日、加持と彼女を見た日、加持と仲良い女の存在。

思い出すたびにはさみを入れていった。
彼との思いでは尽きることなく脳裏に描き出された。
その度にはさみを入れていった。
そして思い出されたのは先ほどのこと・・・

【はい。あぁ葛城か】
『ジャキッ!』
彼女の手が、若干力を帯び始める。

【心配しすぎだよ、葛城は。アスカだって幼稚園児じゃない。自分で生活できるさ】
『ジャキッ!!』
はさみに切り取られた緑の布が、アスカの足下に落ちる。
すでに彼女の足下は緑の落葉で包まれていた。

【はは、まさか。確かにここは葛城の家だが、俺がアスカに手を出すわけないだろ】
『ジャキッ!!!』
交わったはさみの切っ先が微妙に震えだした。
同時にアスカの白い腕に青い筋が浮かび上がる。

『わかったよ。じゃあこれからそっちに行くから』
彼女の頭の中でこの言葉が加持の声で復唱された。
「・・・・・・・・・・・なん・・・で・・・」
アスカの体が震えだした。
「なんで!何で私を見てくれないの!!」
叫び、はさみを力一杯動かそうとしたその時、
「!!」
アスカの動きがピタリと止まった。
じっとはさみを入れようとした布きれを眺める彼女の目に涙が溢れだす。
「切れない・・・切れないよ。こんなに・・・こんなに悔しいのに・・・」
涙は頬を伝わり1粒2粒と彼女の手に握られた布きれに落ちる。
その濡れた4センチ四方にまで小さく切られた布の真ん中には
『R.Kaji』
の刺繍の文字が縫い込まれていた。

次の日の早朝、第2発令所内でミサトの上着から電子音が響く。
「そう・・・分かったわ。引き続きよろしく」
ミサトが携帯電話を内ポケットにしまうと、
興味ありげに隣でノートパソコンをいじっていたリツコが訊ねる。
「何処からの電話?。穏やかな内容じゃなかったみたいね」
ミサトは聞きたがりのリツコをうっとおしく感じながらも、
別に機密事項でもないので彼女に電話の内容を偽りなく話す。
「諜報2課からよ。今日アスカが学校休んだらしいわ」
リツコはキーを叩き続けながら口だけ彼女に向ける。
「どうしたの?病気?」
リツコの問いに、ミサトはしばらく間をおいてこう答える。
「・・・いや、違うみたい」
「そう、なら今日のシンクロテストは予定通りね。
 スケジュールが圧している時に休まれたら大変だったわ」
リツコの口調は相変わらず、冷静そのもの。
アスカの事に気にしてるのか興味を持っているのかはミサトには分からない。
だがミサトはそんなセリフに少々カチンときた。
「でも来るかどうかは分からないわよ。学校だって行ってないんだし」
ミサトは少し意地悪い返答をリツコに返した。
しかしリツコは相変わらず、淡々とキーを打ち込みながら続ける。
「病気じゃないなら連れてくればいいのよ。
 諜報部でもモニターしてるんだろうし無理にでも連れてくれば問題ないわ」
ミサトはリツコを半ばあきらめ顔で見た。
彼女自身、今の戦力を見ると不安に駆られる。
出来るだけ早くエヴァを修理して欲しいとは願っている。
だが、今まで予定をすっぽかすことの無かったアスカが・・・。
理由はだいたい想像が付く。今はアスカに考える時間をあげたいと思ってはいたが、
個人の事情に構っているほど、今のネルフに余裕はなかった。
「そうね・・・現状では零号機と弐号機が頼りだものね。
 個人の事情までは挟めないか・・・」
「組織の中で生きる以上、仕方のないことだわ。
 アスカだって子供じゃないんだし、分かってるはずよ」

同日、14時 セントラルドグマ。

「さすがにガードが堅いな。F309パターンの対ハッキング防壁とはね」
加持はセントラルドグマの一室にいた。暗闇の中に液晶ディスプレーの光だけが
その部屋を照らし、その光が彼の顔だけを黒い空間に浮き上がらせていた。
素早く指を動かしコードナンバーを入れる。
音もなく部屋を照らす光が赤く変化すると、彼は頭をかきむしる。
「やれやれ、こうまで完璧な防壁を作られたらたまらないな。
 ・・・まさに人類の英知を結集した砦か・・・
 ここより先に進めるのは、膨大なパスを知ってる者だけ・・・
 人類の浮沈を賭ける砦にふさわしい堅固さだな」
加持は端末につなげていたコードを引きちぎると、先ほどこじ開けたパネルの
隣のパネルに手をかけ、同じようにこじ開ける。
そして中から配線の束を取り出すと、束ねてある配線の色を確かめながら、
その中の二本を束の中から少し引き出す。その後で配線の皮を少し切り取ると、
彼のパソコンのコードと簡易配線コネクタを使って接続する。
この辺りは使徒が襲来してからの工事区画だったので緻密には作られていない。
普通ならX−FRPにプリントされた基盤を使うのだが、ここではオーソドックスな
銅線コードで配線されていた。しかも配線パターンもありがちなもので
色を見ればどこに行くかは大体分かる。
「突貫工事様々だな」
加持は呟きながらキーボードのエンターを押し込む。
彼の画面に流れるように数字とアルファベットの羅列が流れ行く。
『ぴぴっ』
その音がした後、画面には数種の文字が浮かび上がる。
加持の口元が僅かにほころんだ次の瞬間、警告音がその部屋に響いた。
同時に加持は素早くキーを打ち込みながら言葉が無意識のうちにこぼれる。
「長居しすぎたな」
狡猾な後処理を迅速に済ませた彼は全てのコードと配線を元に位置に戻すと、
足早にその場を立ち去った。

同日14時20分 葛城邸

『ピピピッ ピピピッ』
さっきから何度か鳴る呼び出し音。
エヴァに乗れと催促する音。
今日はどこにも行きたくない。
ましてや「あの女」のいる本部になんか死んでも行きたくない。
ベッドで寝そべるアスカの口がぼそぼそと動き、
うつろな瞳にネルフのマークが刻印されたベルの点滅が映る。
今日は定期シンクロテスト・・・行かないところでどうってことないわ。

同日14時30分 第2実験施設内

「結局、来ないみたいね」
先ほどかかってきた電話の内容をミサトの態度から感じ取ったリツコは
作業を続けながらミサトに尋ねた。
だが無言で言葉を返そうとしないミサトを横目でちらりと見る。
少し厳しい表情を浮かべ、治りかけの弐号機を見ているであろう彼女。
「どうするつもり?。私の立場で言わせてもらえば穴は空けて欲しくないわね。
 それと、今回のテストは主に機体とパイロットの接続パターンの確認だから
 パイロットの意識の有無は問わないわ」
リツコはこの言葉の中にミサトの脳裏にいくつか浮かんでいるであろう方策の内で、
最も都合のいい策に対する見解と、誘導の意を込めた。
この言葉を受けたミサトは動きを見せることなく、ただ弐号機を見つめていた。

同日14時40分 セントラルドグマ

レイは部屋の中心にあるガラスケースの中で目を閉じて、中の液体の流動を感じながら
体の表面に感じるチクチクとした感覚が終わるのを待っていた。
それは痛みというよりも、たわしでこすっているような感じ。
その後には体が軽くなるので、レイはこの作業と感覚は嫌いではなかった。
もうこの液体に浸かって2時間。この後にはシンクロテストも控えている。
結構なハードスケジュールだが、彼女は黙々と日課をこなす。

彼女の体からすうっと痛みが引いた。
その感覚と同時に彼女の耳にブザーの音が響き、
彼女を覆っていた液体がカプセルから下の廃液口から外に流れて行く。
カプセル上部からなま暖かい熱風が彼女の体に吹きかかり、
濡れた体を徐々に乾かし始める。
『レイ』
上から聞こえるドライエアの作動音に混じってゲンドウの声がレイの耳に聞こえた。
『この後はシンクロテストだったな』
『・・・はい』
『体の方は問題ないか?』
『はい。違和感はありません』
『そうか、ならばこの後は予定通りだな』
『問題ありません。スケジュール通りに行動できます』
『だが疲れただろう。この後昼食にしよう』
『はい』
そのやりとりの直後にドライエアのファンが止まり、目の前のガラス度が開く。
レイの目には優しい眼差しをサングラスの奥に秘めたゲンドウが映っていた。

同日、同時刻 葛城邸

『バン!!』
衝撃音がアスカの耳にいきなり響く。
アスカのネルフベルを眺めていたうつろな瞳が大きく見開かれ、
同時に起きあがりながら、音がした方向に振り向いた。
アスカの目の前に立つ2つの人影。
黒い服で包まれた彼らをアスカは見上げなければ顔を見られなかった。
それほど接近していたし、彼らは大きかった。
「な、何なのよあんた達は!」
しかし、彼らはアスカの問いを聞いたのか聞いてなかったのか居丈高に口を開いた。
「作戦部からの命令だ。惣流・アスカ・ラングレー、お前を迎えに来た」
黒服の男はアスカの腕を掴んだ。
「やめてよ!あたしは本部なんか行かない。行くもんか!」
優しく握られた彼の手は、彼女の抵抗により簡単にはずれた。
アスカは彼の腕を払った後、その手の持ち主をきっと睨み付ける。
彼らはサングラスをしているので表情は分からない。
ただ、今の私の態度で何かが変わった・・・そうアスカは感じた
「我々はあなたを連れてこいとの命を受けている。
 抵抗するようなら、多少乱暴にしても構わないとも言われている。
 ここま大人しく言うことを聞いた方が利口だぞ」
凄む黒服の男にもアスカは臆することはなかった。
第一それくらいで黙り込むほどしおらしい女ではない。
「冗談じゃないわ!なんでもあの女の言う通りになってたまるもんか!」
アスカの目には彼らは諜報部員でミサトの差し金だろうと写る。
その思いが、彼女を余計に反発させていた。
彼らの口から作戦部という言葉も出たが、ここはネルフの作戦部長のマンションである。
いくらネルフ諜報部の彼らでも、ここまで簡単に入れるものではない。
アスカの瞳は彼らの影にミサトを見る。
「いいから来い」
再びアスカの手を握りしめる諜報部員。先ほどと同じように振り払おうとするが、
今度は彼の手にも力がこもっていた。抵抗はむなしく徒労に終わっていく。
「このっ!!」
アスカは足を思い切り振り上げると、そのまま弧を描かせて足の甲を彼の股間に飛ばした。
鈍い音と、呻くような声を同時に上げた彼は、その場にうずくまった。
彼がうずくまると同時にアスカは後ろにいた、もう一人の男に向かって同様の攻撃を仕掛ける。
相手は諜報部員。股間を狙う以外、アスカに勝ち目はない。
だが、相手もプロ。2撃目ではもう通用しなかった。
もう容赦はなかった。アスカの蹴りを防いだ彼の右拳が彼女の腹部に入る。
「・・・ぐっ」
・・・凄い、手加減してるのはわかる・・・それでもこんな・・・。
アスカはこの一発だけでダウン寸前に追い込まれた。
立っているので精一杯といった彼女の肩を彼のごつごつした手が鷲掴みにすると、
そのまま床に押し倒された。
腕も足も押さえ込まれ身動きもとれないアスカの目に、馬乗りになった彼が映る。
「おい、大丈夫か?」
その男は先ほどのアスカの攻撃でうずくまっていた男に声をかけた。
「離しなさいよ!私はエヴァのパイロット、選ばれたエリートパイロットなのよ!!」
喚き散らすアスカを横目に彼はすぐに起きあがると、ポケットからなにやら取り出す。
「このガキ・・・手こずらせやがって」
アスカの脳裏に先ほどとは異質の恐怖がわき起こる。
「いやっ!離して!」
顔を背けて何とか馬乗りになった男を振り落とそうとしたが、
ここまで完璧に押さえ込まれたらもうどうにもならない。
彼がポケットから取り出したのは睡眠スプレーだった。
スプレーの口をアスカに向けると、彼女の顔を強引に彼の方に向けた。
苦渋に包まれた顔を見つめながら彼は口を開く。
「何がエリートパイロットだ。攻めてくる敵も倒せないくせに。
 威張れるのは仕事をきちんとこなしてるサードチルドレンのような奴だけだよ。
 ・・・それにこんな扱いされてるのがエリート様か?フフッ」
アスカの目にはうっすらと涙がたまっていた。
涙のフィルター越しに目の前の二人の冷ややかな笑いが映る。
「私はエリートよ!
 子供の頃から選抜されて、訓練を受けた選ばれたエヴァのパイロットなんだから!馬鹿にするな!!」
かなりの剣幕で食ってかかるアスカだが、それとは対照的に彼らは冷笑を浴びせ続ける。
アスカは、目の前にスプレーと冷笑を浮かべる顔を近づけた男を、
今にも泣き出しそうな目で睨み付ける。
彼女の目前に接近した彼の口が動く。
「お前・・・知らないのか?。
 セカンドチルドレンはお払い箱になるって話だぜ」
その言葉が耳に入った直後にスプレーの口から気体が放出された。
アスカはその気体を吸うまいと息を止める。
だが、そんな事が長く続けられるはずもなかった。
「はぁっ!」
我慢の限度でついに1回だけ空気のやりとりをした直後、強烈に瞼が重くなった。
眠るまいと必死に目を開こうとするアスカだったが、意識がどんどん遠のいて行く。
(こんな所で・・・眠ったら・・・何をされるかわからない・・・)
必死に睡魔と格闘するアスカだが、もう体に力は入らなくなっていた。
手足の感覚で、アスカを押さえていた手足が離れたのがわかった。
だが、動かすことはできなかった。
もう瞼すら空けていられなくなったとき、2人の話す声が聞こえる。
すぐ側で話しているはずなのに、彼方で話しているような感じ。

「おい・・・このおもちゃをこのまま渡すつもりか・・・?」
「・・・そうだな・・・少し遊んでいくか・・・」

彼女は意識を失う寸前に自らの衣服が引きちぎられた音を聞いた。

・・・・・やめ・・・・て・・・・・・・・・・・


第4話に続く

挽歌の刻へ