近衛兵団は奮戦した。とくに昼間の戦闘では、中途からカッテンデイケを皮切りに幹部たちが合流し、ともかくルードの軍を王宮付近から撤退せしめることに成功したのだ。なにより大きかったのはイリーヤの合流であった。彼が合流したことにより、近衛兵団は大軍の編成と動員とが可能になり、営舎にあった残兵力を戦場に投入することがかなったのである。 ともかく、近衛兵団側は王宮周辺の地理を熟知しており、またイリーヤらによってヨッサムの横死がつたえられ「総監閣下の仇を奉ず」と、戦う理由が明快であり戦意も高かったため、この日の戦闘は、近衛兵団の勝利におわった。この時点で合流に成功していた幹部は、イリーヤ、カッテンデイケ、それに、戦闘の最初から指揮をとって奮戦したレッケンとヒューホーである。また、戦闘が終わりつつあったときにデリウスが、完全に終わってからビルスナーとレンドルフが、それぞれ合流をはたし、兵団の士気はますますあがった。その一方で、シモーネはイリーヤを逃がすために闘死し、カドゥラとヤン・ヨアヒムは行方不明のままであった。さらに、三〇〇ほどの兵を率いて巡察に出ていたバルーフも帰還していない。カドゥラとヤン・ヨアヒムについてはどこかに身を隠しているとも考えられるが、バルーフは事情を知らなかったであろうし、三〇〇という兵を率いていたことから考えても、おそらくはすでに捕らえられたか、殺されたかどちらかであろう……。 「それもこれも、宰相の奸智とダルベルトの卑劣さよ」 若いレンドルフは、彼らしく明快に事態を斬り捨てた。 ビルスナーはそんな彼に好意ある苦笑をもらしつつも、イリーヤにむかっては深刻そうにこう言った。 「兵力は七五〇〇強。営舎におらなんだ者が、士官をふくめ三〇〇〇ほど……バルーフ卿の率いていたという一隊もですが、彼らが参陣することは期待しないほうがよろしいでしょうな」 「同感です。すべてを拘禁したり殺害したりすることは不可能であるにしても、ますます警備が厳しくなるでしょうし、士官には監視もつくでしょう」 と、これはヒューホーである。彼はつづけて、王都にあるもう一人の上将軍ソルヴェや、陸海軍の諸隊に助力をあおぐことを提案した。カッテンデイケが、ひかえめに異議をとなえる。 「やって有害ということもないだろうが……」 無益だ、というのである。王位継承の最有力候補がウィレム大公である以上、フォンデルにたてつくような真似は誰もしたがらないはずだ、というのがその理由である。 「だが、卿も言ったように有害ではない。少なくとも宰相の犯罪を広く王都に知らしめる、それだけでも有益ではないか?」 イリーヤがそう言うと、カッテンデイケも、みずからの冷笑的な意見を恥じたように一礼した。 「予備兵力はない、王宮以外に拠点もない、外からの助勢も期待できない……」 そうつぶやいたデリウスが、思い出したように、 「……それがしは、王宮にむかう途上で聖堂騎士団の一隊を見かけました。副総監閣下におかれましては、彼らとの間に何らかの関係をもったことがおありですか?」 と尋ねた。 一同がざわめいた。 「いや……。そのようなことはない。たまに礼拝に行くことはあるが」 平時にこのような質問が出て、このような答えがあったら、それは糾弾と自己弁護以外のものにはなりえなかっただろう。近衛兵には、階級の上下を問わず、王族以外の何者にも便宜をはかってはならないと法でさだめられている。むろん教会もその例外ではない。だが、このときのイリーヤは、デリウスの非礼な質問に怒るでも、まして慌てるでもなく、なんとも残念そうな口調でそう言った。教会勢力が近衛兵につけば、現在の劣勢はくつがえるか、すくなくとも対等になる――質問の意図を、イリーヤも悟ったのだ。 「安心しました」 デリウスの言葉に、一同はふたたび驚く。 デリウスが苦笑ぎみに言うところによると、宰相に対してはげしい遺恨があるとはいえ、この争いに教会を介入させるのは避けたい。軍部には、一部をのぞけば、教会が政治的な力をもつことをきらう者が圧倒的に多い。なるほど教会に頼れば、この一戦には勝利できるだろう。だが、その後どうなるか。将軍たちは一斉に近衛兵団を非難し、宰相を支持するのではないか。またそれが杞憂に終わり、首尾よく宰相を打倒しえたとしても、ことが終わったあと、教会は王宮に対して、聖堂騎士団の武勲と武力とを背景に、とほうもない要求をつきつけてくるであろう……。 「なるほど、言われてみればその通りだ、しかしわれらとしては、聖堂騎士団とまでことをかまえるわけにはいかぬ。せいぜい、宰相の軍と派手に噛みあってほしいものだが」 「まったく」 デリウスがうなずいた。だが、その可能性はうすいだろう、とも思う。彼らの亡き総監が教会と通じていたなどという話は聞かないし、またそれがあったとしても、そのヨッサムが死んだ今となっては、教会が近衛兵団のために危険をおかす理由はない。 「それはそうと、ウィレム殿下はどうしておられますか」 と、ビルスナーが王宮内にいるはずの貴人の名をあげた。イリーヤが首を横にふった。面会を拒絶されたというのだ。このあたりが、イリーヤのみならず、例外なく貴族あるいは上級騎士の家柄で、少年期より近衛兵団以外の部隊に属したことの少ない彼らの限界であろう。王子の思惑などおかまいなしに宮中にふみこんで、みずからを官軍とし、フォンデルらを賊とする布告を出させる――そのようなえげつない真似は、彼らにはできなかった。彼らには「近衛兵たる者……」という訓戒が骨まで染みついている。例外を挙げるならば、それはヨッサムだけであっただろう。彼ならば、その戦歴の長さからも、将軍としての格からも、重臣としての自負からも、何より武の名門にふさわしい剛胆な性格からも、王子を叱りとばし、現実を凝視させることができたかもしれない。だがその彼は、すでに地上の住人でさえなかった。宮中の長い廊下を侍従や侍女を押し退けつつ通り、王子の寝室にまで踏みいって「目をあけられよ、殿下!」と怒鳴ることのできる人物は、この場にはいなかった。 彼らにできることは、ウィレムを煽ったり、ましてや脅したりすることではなく、期待することだけであった。儚く、無益な期待と知りつつも。 彼らがそれぞれの思考に沈みかけたそのとき、血相を変えた士官が飛び込んできた。カドゥラの部下で、今は臨時にイリーヤの直属になっている三等参軍ヴェルドであった。彼はこの夜、王宮周辺ではなく、王宮内の警備をうけもっていたはずだった。 「なにごとだ! 夜襲か!?」 とレンドルフが叫んだが、常識的にはありえることではなかった。夜襲には放火が不可欠であり、それがなければ戦術として成立しない。王宮を背にしているというのが彼ら近衛兵団にとって、ほとんど唯一の強みであった。どちらも国王の軍を標榜しており、相手を秩序を乱す叛臣とみなしている以上、王宮に布陣した側は、夜襲の気遣いだけは要らないはずであった。 みながレンドルフの「冗談」に顔をほころばせたが、その表情は、笑顔になる寸前に凍り付いた。「そのとおり、夜襲です」とヴェルドは言ったのだ。 「な、何者だ!? ルード将軍ではあるまい、ベリアスか?」 ヒューホーが悲鳴にちかい声で詰問する。 「聖堂騎士団――」 「!」 本営から飛びだしたデリウスは、息をのんだ。東――王宮の敷地内かどうかは微妙なところだが、ともかく東門の付近――の空が、あかあかと照らしだされている。 「なんということを……」 まさか、これほど早く彼らが戦闘に参加するとは……。デリウスはそう思うと同時に、やはり、とも思った。王宮に火をかけることに畏怖をおぼえないのは、盗賊か他国の軍兵、そうでなければ、地上の権威をみとめない者たちであろう。 「狂信者どもめ!」 デリウスは、自身もデリス正教会の信徒である。だが、その彼にしても、このような罵声が自然に口をついて出てきた。天上の権威を奉ずる者が地上の権威をも独占しようとしたとき、どのような行為におよぶか――その生きた見本どもが東の空の下にいる。 「それがしはこれより、手勢をかき集めて一足先に東門にむかいます」 「卿だけでは危険だ。全軍とは言わぬが、せめてもう少し」 「それでは遅い」 とデリウスは言う。 「こうしている間にも火の手はまわっています、今は門外を焼かれたていどですが、いつ王宮に火をはなたれるかわかりません、それに、東の宮殿にはウィレム殿下がおられる。門を突破されては大事にいたりましょう」 「……わかった、だが、決して無理はするな、敵の兵力が大きければ、あえて戦闘におよばず、本営への報告を優先せよ」 「はっ」 と一礼したが、それほどの大兵力がいるはずはない。教会があの宰相とどのような汚い取引をかわしたかは知らぬが、「今後のため」には、できるだけ兵力を温存しておきたいところだろう。そもそも夜襲とは、少数をもって多数を混乱におとしいれる戦法なのだ。しかも野戦ではなく市街戦である。大兵力を動員しての夜襲など、同士討ちの危険をたかめるだけである。 デリウスはふたたび本営を飛びだし、すでに待機していた一隊を率いて東にむかった。この迅速さは、ヴェルドがすでに付近にいる者を集めていたからである。人数は、およそ二〇〇人。不安ではあるが、やむをえないだろう。 本来ならば門外を迂回すべきであろうが、ことは一刻をあらそう。また、東門の外側から敵を宮中に追いこむよりも、内側から撃退したほうがいいに決まっている。王宮の外側をまわれば伏兵の可能性もある。 「なんだってこんなに広いんだ!」 他国にくらべればまだ小さいはずの王宮が、ずいぶんと広壮に感じられた。デリウスらが手綱をしごき、馬を走らせている間にも、空の明るさはどんどん増している。 「東苑に火を!」 デリウスの手勢の中にいる誰かが叫んだ。 王宮の外縁は林でかこまれている。その中でも東門の外にある林は、その奥には小さい湖まであり、かつては王族のために狩場に使われていたというだけあって、王宮内部よりはるかに広く、全敷地の四割ちかくを占めるほどの広さがある。また林の中には離宮があり、そこには歴代王が祀られており、立太子の式典――グスタフ王の在世中はついにおこなわれなかった――もそこでおこなわれる。王宮に仕える者にとって、きわめて神聖で、畏怖すべき場所なのである。 その場所が、この乾いた空気の中、火に侵されてゆく。 デリウスらは、聖堂騎士団がちょうど門をこじ開けて中に入ってきたところに出くわした。門の向こう側に見える、風光明美で知られる東苑が、度が過ぎるほどの照明になりはてていた。敵も、さすがにこれ以上の放火は必要ないと判断したのか、続々と門内になだれこんでくる。人数は三〇〇人といったところで、デリウスの読みどおり、大した兵力ではない。といってもデリウスの指揮する兵はさらに少なく、二〇〇人ほどでしかないのだが。 「神の御名を騙る凶賊どもめ!」 そういって、誰よりも速く駆け出したのは、やはりデリウスであった。 長身を、高級士官用の軍服と上半身だけの白い甲冑でつつみ、口のまわりはみごとな髭でおおわれている。目は憤怒に燃え、それは天界で悪人に裁きをくだす大天使を彷彿とさせる。 「ひっ」 聖堂騎士として認められるには、幼少期より教会で起居し、俗世との係わりを絶たねばならない。その彼らの中で、近衛兵団三番隊々長の顔を知っていた者は少数派であっただろう。だが、どちらにせよ、王宮に冒涜をくわえた彼らが最初に出逢った敵がこの男であったことは、大いなる不運であった。先頭に立っていた者は、悲鳴をあげるのとほぼ同時に、その命をうしなった。 「おくれをとるな!」 士官が叫び、二〇〇騎が突進した。敵は三〇〇人とはいえ、騎乗しているのはその半数にも満たない。まして、近衛兵たちは、みな熟練した騎兵である。小規模だが熾烈な戦闘は、しかし、あっという間に決着がついた。数十の屍体を残し、ある者は捕らえられ、他は逃げ散った。デリウスは追おうとする部下を制止し、付近の消火を命じた。 デリウスは、敵兵を拘束するのに必要な人数をのこし、みずからは林の中に、またしても先頭をきって駆け込んでいった。 「東苑の奥に湖があるはずだ、そこの水を使え、なんとしても今夜中にこの火を消し止めるのだ!」 みな必死である。賊の手によって王宮が焼けたり、あるいは王族が害されたりすれば、近衛兵にとってこれほどの失態はない。後からイリーヤの率いる兵も合流し、東門の警護にあたるのと同時に、消火にも参加した。大人数を動員した成果か、ともかく夜明けごろには、東苑の火はしずまっていた。歴代王がまつられている離宮も、外壁の一部が焦げたが、焼けはしなかった。 「なんてこった……」 レンドルフがつぶやいた。この東苑は、おそらく王都ジュロンの中でもっとも美しい場所であっただろう。木々は無惨に焼け落ち、住処をうしなったのだろう、鳥の声はまったくきこえない。人造湖の周囲は火の害からまぬがれたが、消火のためとはいえ多くの兵がそこを行き来したために、灌木はつぶれ、草地には無数の足跡が残され、どうにも美景とはいえなくなっている。 「……」 聖堂騎士団を撃退することはできた。だが、イリーヤをはじめ、幹部たちの表情は一様に暗かった。これで教会までもが敵にまわったことがあきらかになったのだ。宰相フォンデルと大主教フレスト、彼らの同盟が永続するはずはない。だが、能動的であれ受動的であれ、教会と手を組んだというのは、宰相府が近衛兵団を殲滅することを最優先とした、ということであろう。そうである以上、戦闘を長引かせることに益はない。おそらく今日にでも、宰相の軍と聖堂騎士団、それに両派に属する諸将が合流して攻めかけてくるのではないか……。 |