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重音奏法の解説

 一本の絃から同時に二つの音を出す一絃琴の重音奏法は1980年ごろ小路正弘が考案。1986年に重音奏法を使用した最初の一絃琴独奏曲「白絲の詩」を「あけぼの会創立25周年記念 第10回 一絃琴演奏会で発表した。

1. 影の音

一絃琴の模式図

 一絃琴は、芦管と呼ばれる筒状のものを左手の中指にはめ、その芦管を絃の上に置いて絃長すなわち音高を決定し、右手にはめた爪で絃をはじいて音を出す。この様子を模式図に示す。バイオリンなどの他の弦楽器と大きく異なる点は、音高を決定する芦管を板まで押さえつけずに、少し押しただけで止めること。このため、芦管の左側、模式図のBの絃もかすかに振動し、音が出る。これは本来不要な雑音だが、消音せずそのままにしている。一方、弦を分割して必要な音高を得るメカニズムで一絃琴と共通する西洋の古楽器クラヴィコードでは、フェルトを用いてこの不要な音を消している。
 西洋人にとって不要なこの音、東洋人には案外面白く聞こえるようだ。私は、一絃琴の本来の音の後ろに付きまとっているこの音を「影の音」と名付けた。弾いた音と影の音は多くの場合不協和だが、いくつかの特定の音を弾いたときは協和音に近づく。その時、コーラス効果が発生し、しぶい一絃琴の音が突然つややかな音色に変身する。弾く位置によって音色が変化する楽器は、世界に一絃琴しかないだろう。コーラス効果とは、複数の人が同じ音高で歌ったときに、音色が本来より豊かなものに変化する現象。低音を除き各音高に3本の弦を持っているピアノや、マンドリンなどの複弦楽器はコーラス効果を有効に使っている。
 また、弾いた音と不協和になる影の音にも趣がある。筝の「裏連」、三弦の「さわり」、尺八の「むら息」など、邦楽では雑音を音色の変化ととらえ、音楽の中に組み込んでいる。中でも一絃琴の影の音は、理論的に計算できるものの、聞いていると予測不能な感じで、とても面白い。私は、影の音は一絃琴の隠し味だと思っている。この影の音を表に出したものが重音奏法。

2. 重音奏法の理論

 二つの音の振動数の比が単純な整数の比になるとき、二音は完全に協和する。完全に協和する音程を純正音程と言い、純正音程で構成された和音を純正和音という。各種音程を振動数の比で表現すると、次のようになる。

   振動数の比が 1:1  →  完全1度(同音)
          1:2  →  完全8度(オクターブ)
          2:3  →  完全5度
          3:4  →  完全4度
          4:5  →  長3度
          5:6  →  短3度
          3:5  →  長6度
          5:8  →  短6度
          8:9  →  長2度(大全音)
          9:10  →  長2度(小全音)

 一方、西洋音楽で使っている平均律は、オクターブ以外の音程は単純な整数の比にならず、完全には協和しない。つまり、純正音程にならない。最も狂いが大きい音程が長3度で、純正なら4:5=1:1.25 のところ、平均律では1:2の4/12乗 =1:1.25992… となり、半音の14%ほど純正から外れる。一流オーケストラは純正和音を目標に演奏しているが、一絃琴あけぼの会がバックに使用するパソコン演奏も、長3度は平均律のままではなく、純正音程で演奏している。
 振動数と絃長は反比例の関係にあるので、振動数の比を絃長の比と読み替えることができる。すなわち、芦管の左右の絃長が単純な整数の比になる位置に芦管を置けば、左右の音は協和関係になる。これが一絃琴の重音奏法の理論で、全て純正音程にできる。ハーモニックス奏法というものがあるが、重音奏法はハーモニックス奏法の応用とも言えるだろう。

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3. 重音奏法の芦管の位置

重音奏法の芦管の位置

 まずは絃を等分してみよう。二等分して芦管を絃の中央に置けば、芦管の両側の音は同音になる。次に三等分して芦管を絃長の 1/3 又は 2/3 の位置に置くと、左右の絃長の比は1:2又は2:1となり、左右の音はオクターブ関係になる。さらに、四等分して芦管を絃長の 1/4 又は 3/4 の位置に置くと、左右の絃長の比は1:3又は3:1となり、左右の音は複音程の完全5度の関係になる。複音程は複合音程とも言い、オクターブ以上離れた音程のことで、1:3をオクターブ内に戻すと、2:3になる。
 この作業を繰り返せばあらゆる音程を作れるが、それらすべてを音楽の中で活用で来るわけではない。その理由は、芦管を置く位置が音階音 ( C、C#、D、D# … = ド、ド#、レ、レ# … ) から外れるものがあるから。例えば絃を七等分し、芦管を 3/7 又は 4/7 の位置に置くと、左右の絃長の比は4:3又は3:4となり、完全4度を構成できる。ところが、この時の芦管の位置 3/7 又は 4/7 は、いずれも最も近い音階音から半音の30%ほど外れてしまう。だから微分音を使う現代音楽を別にすれば、使い道がない。パソコンにプログラムを組んで正確な計算を行った結果から、使用可能と思われるものを選んで図にまとめたものが「重音奏法の芦管の位置」。15個所の芦管の位置と8種類の音程を示している。一絃琴独奏曲「白絲の詩」は8種類の音程を全て使い切った曲である。なお、邦楽の音律は平均律ではないが、重音奏法を使うような曲は平均律に従うと考え、音律は平均律で計算した。
 上図「重音奏法の芦管の位置」では完全1度を除き、同じ音程の芦管の位置が二つずつあるが、演奏に際しては直前の芦管の位置に近いほうを選ぶ。ただし、余裕がある場合は二つのうち音階音により近いほうを選ぶ。例えば、長3度の音程を作るとき、D4 より F#4 の方が音階音により近い。
 また、重音奏法で芦管を置く位置は、通常の演奏で置く位置とはすべて異なる。例えば、開放絃のオクターブ上を弾く場合、芦管の位置は正確に絃の中央になり、それは重音奏法の位置とぴったり同じ、と思う人もいるだろうが、そうはいかない。なぜなら、芦管が絃を下に少し押す結果、絃の張力が少し増し、音高が少し上がるから。この上昇分を補正するため、芦管は絃の中央より少し左、糸巻側に置かなければ開放絃のオクターブ上の音にならない。しかし完全1度の重音奏法の場合は正確に絃の中央。一方、芦管が押す力で張力が増して音高が上がっても、左右両方上がるため、左右の協和関係は崩れない。このように重音奏法の芦管の位置は通常演奏で使う位置とは異なり、しかも1mmの誤差も許されないため、重音奏法を使うには高い演奏技術を要する。

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4. 重音奏法の実現

 芦管の両側の音を同時に出す物理的な方法はいくつかある。
二股ピック

(1) 二股ピックを使って、芦管の両側の絃を同時にはじく。
 写真のピックは小路正弘が木製の「しゃもじ」を加工して作ったもので、右手にはめた一絃琴用の爪を外さずに使用できる。これは「小路正弘作曲 「白絲の詩(しらいとのうた)」の演奏で実際に使用したもの。
(2) 開放絃の中央付近を指である程度強く弾いた後、絃の所定位置に芦管を当てる。
 最初に開放弦を大きく振動させ、絃の所定位置に芦管を当てる。開放絃を爪ではなく指で弾くのは、この方法の場合は重音の音量が小さく、爪で弾くと大きい開放絃の音に重音が隠れてしまうから。もちろん音楽は多様なので、隠すように演奏する場合も考えられるが。また、芦管は絃に押し付けるのではなく、絃に軽く触れる感じ。D#4 又は F4の位置に当てて出す D#4+F4 という長2度の不協和な音はなかなか効果的である。
(3) 余韻の上に別の音を重ねる
 芦管の左右どちらかの絃を弾いた後に、その余韻が残る間に反対側の絃を弾いて、余韻の上に音を重ねる。この方法の利用頻度は高く、「流転」第2章でも盛んに用いた。注意すべきは絃をはじく位置。駒、芦管、糸巻、いずれからも遠い位置を弾くと音が小さくなること。明瞭な音を出すには芦管の比較的近くを弾く。
(4) ギター用の爪と小指を使う
 右手親指にはめるギター用のピックと、右手小指で芦管の両側を同時にはじく。この場合は、一絃琴用の爪を外さないとやりにくいので、使用実績はまだない。

  (参考文献) 藻汐の調べ  一絃琴あけぼの会20年史
         小路玉翠 編 ( 1982年、昭和57年 ) 195〜223p

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