アジア旅行記

中国-三峡下り編

'96/08/10〜21

                             作成日:'96/11/02


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【再び船に乗り沙市へ】 '96/08/17
◆まずは中国銀行へ
巴東への船 巴東は上流から下流に向かって長江の
右側にあった。重慶からの観光船で一度
通っているはずなのに、右岸の街はまっ
たく覚えがない。ガイドのお兄さんにつ
いて上陸する。昼飯でも付いてるかな?
と思ったけど付いてなかった。
 換金しないと人民元の手持ちが少ない。
このままだと船の切符を買うのがやっと。
ご飯が食べられないかも。小さな中国銀
行があったので聞いてみる。すると日本
円はだめだったが、米ドルはOKだった。
これまで中国の旅行の際に日本円以外を
持ってきたことは無かったのだが、今回
はミャンマー旅行で用意した米ドルのあ
まりがあったので念のため持ってきていた。当座の人民元は確保。よかった、よかった。


◆巴東で船を待つ
巴東の街並み 旅行社で沙市までの船の切符を買う。
2時半出港であんまり時間がないから早
く碼頭に行けとせかされる。碼頭に向か
う途中、パン、包子、水そして絵はがき
を買い込む。来年の三峡ダムの第一期工
事完了後は水位が上昇してこの街は水没
するんだな、なんて思いながら写真を撮っ
ておく。
 いわれた碼頭(船着き場)に行くとお
じいさんが扉を閉めているところ。聞く
と「ここではない。あっちだ。」と下流
の碼頭を指し示す。旅行社の言うのと違
うじゃないか、とぶつぶつ言いながら言
われた碼頭に向かう。時間がせまってい
る。碼頭から道路までは結構な階段を登らなくてはいけないので、近道をしようと川
べりを歩く。でもこれは失敗だった。少し行くと砂のような泥のような地面は水を含
んでグズグズだし、ゴミがやたらと落ちていて汚い。道路に上がりたいが階段がない。
やむなく、そのまま川べりを行く。
 言われた碼頭に行くと、なんと待合室料を取られた。なんじゃそりゃ。時間どおり
に船が来たので、係員に「この船だよな」って聞くと、「おまえの切符はこの船じゃ
ない、待ってろ」と言う。定刻を過ぎているので心配になってもう一度聞くと、「お
まえの切符の船はあっちの碼頭だ」と最初の碼頭を指し示す。どうなってるの?じゃ
あ、さっき取られた待合室料は何?
 船はまだ来ていないのは確か。文句言っているうちに向こうの碼頭に船が来ると大
変。急いで戻る。今度は道路に上がって行く。最初の碼頭に行くと親子3人の旅行者
がいた。お父さんが話し掛けてきた。「船乗るの、ここでいいの?」「良く分からな
いけど、そう言われた。」「2時半過ぎてるのに何で今ごろ来たの?」当たり前の質
問だ。いきさつを話す。彼らと4人で船を待つ。
 遅れること1時間。船がやって来た。お父さんも来た来た、とホッとした様子。が
しかし、なんとその船は巴東に停泊せず行ってしまうではないか!4人してどうしよ
うと顔を見あわす。行ってしまった以上どうもこうもない。旅行社に文句を言いに行
く。何だか良く分からないが切符売りのおばさんが言い訳をしている。何をいってい
るのかはどうも良く分からない。雰囲気からはおまえの手続きが悪いと言っているみ
たいだが、そんな道理は認めない。次の船の切符よこせ、と交渉するが今日の船はな
いとのこと。明日の船になるにしても、この旅行社は嫌だ。金を返してもらう。 念
のため、さっき違うと言われた碼頭のそばにあった切符売り場に行く。何だ、4時に
船あるじゃないか。と時計を見ると今ちょうど4時。慌てて切符を買う。するとさっ
きの親子連れも切符を買いに来た。
 少しホッとして切符を見ると4等の切符だった。さすがに4等で夜を過ごすのはつ
らそうなので3等か2等に買えてもらおうとしたら、お父さんが「ここからだと宜昌
までベットがないかも知れないから、船の中で追加料金を払う方がいいよ。」と言う
ので、大丈夫かな?と思いつつ、そうすることにした。でも、彼らは3等を買ってい
た。言っていることと、やっていること違うぞ〜!やっぱりちょっと不安。
 まもなく船が到着。無事、一緒に船に乗り込む。


◆沙市までの船の旅
上海からの親子連れ 満員御礼。ベットに空きは無かった。
無駄のない切符を買ったと言うことか。
さっきの親子も確保できずデッキにいた。
一人だと暇だし、トイレに行くにも荷物
が気になるので、親子と一緒にいること
にした。この親子は上海から三峡下りに
来ていて、宜昌で降り、そこから高速バ
スで武漢に行き、飛行機で帰るとのこと
だった。飛行機に乗るのはビジネス客か
金持ちあるいは外国人と思っていたが、
上海のような“裕福な”地域では普通の
人も飛行機を使うようになったみたい。
 親子に西瓜と瓜をご馳走になる。西瓜
はまずまずだったが、瓜はちっとも甘く
なく、はっきり言って美味しくない。「美味しい?」なんて聞かれたらどうしよう、
なんて心配をしていたら、その前に瓜を切っていた子供がお母さんに「どう?」と聞
き、「美味しくない」と言ったので気が楽になる。結局、「美味しい?」とは聞かれ
なかったけど。
屋根のない空家
 お母さんは結構話し好き。おかげで退屈で死にそう、なんてことにならずに済んだ。
両岸に屋根のない家がちらほらあります。(上の写真:無理やり引き伸ばしたので分
かりにくいですが)これは三峡ダム完成後に水没してしまうため引っ越した後なので
すが、このお母さんによると引っ越し先でも家の材料にする木や土はあるが、瓦は手
に入らないので持っていったので屋根がないとのことです。「農民の暮らしは貧しく
つらい」とお母さんが繰り返し言っていました。親子は宜昌で降りるが、私はこのま
ま夜を船で過ごして沙市まで行くので、荷物を見ておいてもらって食堂に晩飯を食べ
に行く。最初に乗った重慶から宜昌までの観光船よりきれいな食堂だった。ご飯はと
言えば五十歩百歩。でも五十歩の方(いい方)。三峡ダムの工事現場までくるとかな
り暗くなってきた。親子と一緒に写真を撮ったり、住所を教えてもらったりする。宜
昌で親子とはお別れ。
 宜昌で多くの人が降りたので3等のベットを確保できた。(追加料金6元)2段ベッ
トの上の方だったが、ベットがグラグラしていたので少し怖かった。落ち着いたころ
時計を見るともう10時半。到着は朝の4時なので早く寝なくては。残りの日程を考
えると明日も船泊になりそう。洗濯、シャワーが困る。
 ところで、明日ちゃんと起きれるかな?

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