アジア旅行記

【中国-三峡下り編】 '96/08/10〜21            作成日:'96/09/22


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【観光船での船旅】 '96/08/11〜13
◆なかなか決まらない部屋割り  '96/08/11
重慶の船着き場 地面むき出し、工事中(?)の船着き
場で、旅行社の人からガイドの人を紹介
してもらい、“浮き橋”を渡って船に乗
り込む。川幅はかなり広いのだが流れは
かなり早い。細い浮き橋を渡るとき、
「こんなところで落ちたら、たまらんな
〜」なんて思いながら、ちょっとビクビ
クしながら渡っていった。
 参加したツアーは外国人向けのもので
はないので、見た感じ外国人は私一人み
たい。(台湾人とか香港人はいたかも知
れないけど。)何でもいいけど船に乗り
込んだのはいいが、ガイドの人にちょっ
と待っててと言われ部屋が決まらない。
2等寝室船の前の方にある展望室みたいなところでしばら
く待つ。色んな旅行社のガイドさん達が部屋割り
を考えている。ようやく部屋が決まる。行ってみ
ると3人部屋で、お母さんと娘さんの2人づれが
同室。船で2泊するので、こりゃ気を使う。とこ
ろでこのお母さんは大学の時の大家さんのお母さ
んに似ているななんて思いながら「どこから来た
のですか?」なんてことを聞き話をする。ダムの
底に水没する前に三峡を見ようと北京から来たと
のこと。お母さんによると2人部屋を頼んでおい
たのだがこの船の2等は全部3人部屋で相部屋に
なってしまったとのこと。お母さんが彼女達のガ
イドに女3人になるような部屋割りにできないか
と頼んでいた。2人が動くより1人が動いたほう
が簡単なので「僕が替わってもいいよ」と言う。それでもなかなかうまく行かないみ
たい。
 夕食(14元)を買って帰ってきたら、最終的に3部屋で動かして決めた模様。夕
食を持って隣の部屋に移ることになる。夕食はピーマンの様な野菜と肉を炒めたもの。
えらく塩辛い。さらにピーマンと思っていたのは獅子唐の仲間のよう。こちらも辛い。
耐えきれず残してしまう。今度の部屋はさっきの親子のガイドと、軍関係の記者の人
と相部屋。今度は男3人なので着替えなどを考えると気は楽。


◆朝一番で豊都を観光  '96/08/12
 夜のうちに豊都に到着していたらしい。6時前に起こされる。外はまだ暗い。まも
なく観光のため上陸する雰囲気なので朝食は無理かと思っていると、ガイドが食べて
くるくらいの時間はあると言うので食べに行く。お粥と饅頭。ザーサイが良くあう。
 食べてから一旦部屋に戻る。するとガイドが来て他のツアー客はもう行ったから早
く行けとのこと。なんだ、時間ほとんどなかったんじゃないか。歩いて“鬼城”へ向
かう。旅行先でツアーに参加するなんてこれまでほとんどないし、みんなのペースに
合わさないと行けないのでちょっと不自由。さっき上陸するとき最後の1人だったの
で、「ちゃんとあのガイドについていけよ」なんて言われてしまったのでなおさら気
鬼城の獅子を使ってしまう。
 丘の上まで歩いて登って行ったので朝っぱらからすでに汗だ
く。カメラだけ持ってデイパックは置いて来るんだった。しか
し、ここで案内してくれた女性のガイドはなぜかずっとしかめっ
つら。さらに、時間がないから早くとばかり言っている。他の
ツアーのガイドに着いていったほうが面白い。 ところで、こ
こ豊都は鬼城と呼ばれ、観光コースも地獄を表現した所を回る。
丘を登っていく途中にも鬼が沢山いる。日本人と中国人の鬼の
イメージが違うせいか“怖い”感じはない。まあ、中国人の観
光客も鬼の前でバシバシ記念写真を撮っているくらいだから、
彼らも怖くないのかな?頂上の近くの門の両側にいる獅子も首
輪(?)が骸骨になっていた。丘を降りて地獄のテーマパーク
見たいな所に行く。恐怖感を出すために暗い部屋の中に“出し
物”があるわけだが、とても暑い。内容も大して面白くなかった。
 出港の時間がせまり、ツアーの人達とタクシーで船に戻る。碼頭でミネラルウォー
タを買おうとするが、細かいのがない。しかたなく初めて中国に来たときに余った外
国人専用の兌換券で払う。2〜3年前に人民元に統一され現在は流通していないはず
なので、店の人には大迷惑だろうな。ごめんなさい。でも、大丈夫だよ。きっと。


◆何もない船の旅
 豊都を出港してから、次の目的地である云陽までは船に乗ったまま。三峡と呼ばれ
る峡谷は云陽のさらに先で、通過は次の日になる。これと言って見るものも特になく
暇な時間が流れる。水を浴びた後すこし昼寝をする。
 「もうすぐ石宝寨だ」とガイドが言うので上陸するのかな?と思ったら通過するだ
石宝寨け。いくつかの街に立ち寄るが乗客が乗り降りしたらすぐ
出港で上陸できず。ちょっと大きそうな街に立ち寄るたび
に降りて歩き回ってみたくなる。シクシク。 同じ部屋に
なった別のツアーのガイドさんが、この船のツアーでは小
三峡は行けるけど小小三峡に行っている時間がない。あそ
こはとても面白いので巫山で手配してあげようかと言って
くれる。ただ、その場合巫山で下船して1泊することにな
るので、巫山から宜昌までの船のチケット分とこのツアー
に含まれる小三峡ツアー分が無駄になる。神農渓に行こう
と思っているし、放棄する分が多いのでせっかくだが遠慮
しておく。
 5時ごろ夕食のアナウンス。食べれなくなっては大変な
ので、えらく早いなと思いつつも食べに行く。昨日とほぼ
同じ料理。少し慣れたけど、やっぱり辛くて残す。


◆夕方、張飛廟へ到着(云陽)
桃園の誓い 6時過ぎにようやく云陽に到着。やっ
と上陸できる。今朝の豊都もそうだった
が、みんなが一斉に上陸するので物凄い
混雑。三国志ゆかりの最初の場所。やっ
ぱり興味深い。“桃園の誓い”を再現し
た人形が2Fにある。張飛廟自体は結構
小さい。まあ廟なんだから当然なのかな。
確か張飛廟のこの場所もダム完成後は沈
んでしまうので移転すると聞いているの
だが、なんの工事もしていないみたいだ
が間に合うのだろうか?そういえば資金
不足という話も聞いたことがある。ダム
の底に沈めるのはもったいない。移転し
て欲しいな。
 出港の時にどうも1人取り残された。出店のあたりで「えっ?どうして?」なんて
感じに立ちすくんでいる男の人がいる。船の方では連れの女の人が「何どんくさい事
してるのよ!」と言うふうにその男の人にわめいている。本当にそのあとどうしたの
だろう?同じような時間に多くの観光船が運行しているからそれに乗って追っかけた
のかな?でも、どこで落ち合うのだろう?


◆やった、白帝城へ行ける!(奉節)
 さあ、これで今日の観光は終わり。あとは奉節に停泊して早朝出発。と思っていた
ら「白帝城に行く人は2F中央でチケットを販売しています。」とのアナウンス。やっ
た、行ける。旅行社の人には夜遅く到着するので行けないよ、と言われあきらめてい
たが良かった。しかし、いい加減な旅行社だ。もちろん手に入れに行く。(26元)
奉節に停泊後の9時出発との事だったが、なかなか来ない。
白帝城への小舟 10時になってようやく小舟が来てそ
れに乗って出発。10分位(?)下流に
ある白帝城へ。到着するとガイドの人が
12時半にここに戻ってくるようにと言
われる。いや〜、明日も朝早いのにこりゃ
大変だ。なんて思いながら城の方に他の
人について登っていく。夜も遅いのに軽
食屋、飲み物屋、土産物屋が道の両側で
客引きをやっている。店が途切れると辺
りは真っ暗。坂道なのに何も見えないの
で足元がおぼつかない。白帝城の文字が
ある。さらに白帝廟の入口がある。みん
な写真を撮っている。私も辺りの人に頼
んで撮ってもらう。
白帝城託孤 入ってすぐの辺りに劉備が孔明に将来
を託す有名な場面がある。劉備の横に女
の人がいるのだが後ろを向いていて顔が
見えない。ガイドさんの説明では、余り
に美しすぎて人形に表せないとか、人そ
れぞれ美意識が違うので万人が思う美女
を表現できないとか言われているとのこと。
 その向こうには孔明が星を見たという
観星庁がある。照明の暗いところに行く
と確かに天の川まで見えるのだが、周り
の木や庁自身の屋根が邪魔になってここ
からでは星があまり見えない。ちょっと
不満。劉備、孔明、関羽、張飛の像が祭っ
てあるところの説明では文化大革命の時
ところてんもどきに顔を潰されたので後で造り直したと言っ
ていた(と思う)。 白帝城は高いとこ
ろにあるのでダムができても沈むことは
ないが、離れ小島になってしまう。“陸
地”と橋で結ばれた“完成予想図”がデ
カデカと壁に書かれていた。ガイドさん
いわく、完成後は今日みたいに坂を登ら
なくても良いとのこと。面白いことを言う。
 時間が近づいたので下に降りる。小舟
はまだ来ていない。出店でところてん見
たいなのが良く売れている。良く見かけ
たのでたぶんこの地方の名産なのだろう。
小腹が空いたので面を食べる。“ところ
てん”を試そうかな?とも思ったが、
ちょっと衛生面が気になったし、湯気が上がっているのを見てとても美味しそうだっ
たので麺にした。でも、期待ほどはなかった。
 小舟の上で日記をつけるがもう1時。眠くて書いていられない。それでも船に戻っ
て寝る前に水を浴びる。さあ、また明日も早いぞ。


◆いざ、小三峡へ(巫山)  '96/08/13
三峡の日の出 まだ薄暗いころに起こされる。もうすぐ三峡に入ると
のこと。もう船は動きだしている。前方のデッキへ急ぐ。
すでに人でいっぱい。Tシャツで出てきたが、かなり涼
しい、と言うより寒いくらい。日の出を拝む。
 巫山で小さなボートに乗り換え小三峡へ。行ってみる
と私のツアーのボートは満席で座れない。なんとどんく
さいツアーだ。もう1人座れない人がいて、その人と一
緒に別のボートに乗る。例のお母さん達と同じ船。空い
ていたのは一番後ろの席。もう少し早く来るんだった。
一緒にこっちのボートに移った彼は重慶の警察官で、三
峡下りをするのは初めてとのこと。水没前に一目見よう
という人が多い。
 小三峡の入口の辺りの岩の壁面に小さな穴がずっと続
いている。昔(三国志のころ?)、この穴に棒を刺して
小三峡通路にしていたとのこと。しばらく行く
と“懸棺”がある。これは断崖絶壁の上
の方にある棺桶で、どうやってそこに置
いたのか、何のためにそんなところに置
いたのか、現在でも不明とのこと。小さ
な渓谷を進むのでなかなか面白い。
 窓側に座っていたので景色が十分楽し
めた。そのかわり何度か水がかかり、肩
の辺りが濡れてしまった。まあ、このく
らい御愛嬌と思っていたら、折り返して
戻る途中、他のボートを追い越す際にド
バッと水が入ってきて上半身ずぶ濡れ。
冗談じゃない。まずはデイパックの対策。
カメラがやられては大変。持っていたコ
ンビニのビニール袋にカメラなどを入れ
る。その後着ている服を脱いで絞る。絞
れるほど濡れているのが悲惨。後で写真
を撮っていたら、何故かピンボケの様な
感じ。何だろうと思っていたら、レンズ
とフィルター(スカイライト)の間に蒸
気が入り曇っていた。まあ、この程度で
済んでよかった。
 巫山に戻り、岸で弁当を買う。船の中
より安くて(3元)種類が豊富。美味し
い。でも肉気がなく、ちょっと物足りない。






◆船情報(ツアーに参加する)
 三峡下りをするというと、ツアーに参加して観光船に乗ると言うのが定石です。
「外国人向けの豪華観光船」「普通の観光船」の2種類があります。私が参加したの
は後者です。中国人は660元、外国人は880元の2重料金制です。宜昌までのツ
アーと、武漢までのツアーがあります。ツアーにより内容は若干違いますが、船のチ
ケット、観光地での入場料、ガイド料が含まれます。その他、船での食事が付いてい
る場合もあります。聞くところによると外国人向けの豪華観光船のツアーでは英語の
ガイドが付くようですが、普通の観光船のツアーは基本的に中国人向けなので中国語
のガイドしかいません。
 2等はエアコン、洗面台付きで通常2人部屋だそうです。私の乗ったのは3人部屋
でした。シャワー、トイレは2等全体で共同です。3等は6〜10人部屋で、2段ベッ
トが並んでいます。洗面台付きですが、ファンでエアコンはありません。こちらもシャ
ワー、トイレは3等全体で共同です。
 2等は個室シャワー、個室トイレですが、3等はシャワールームにシャワーのノズ
ルがいくつか並んでいる、トイレは溝があって、低い壁でいくつかに仕切られた(ド
アはない)状態です。


◆船情報(ツアーでないとだめか)
 重慶の旅行社で話を聞いたとき、ツアー意外ではすごく大変、と聞かされましたが、
私の印象からすると、いわゆるバックパッカーから見るとそんなことないと思います。
お勧めは、まず重慶から巫山までの観光船のチケットを手に入れます。たぶん重慶の
朝天門碼頭で手に入るでしょう。
 豊都、云陽ではツアーらしき人達についていけば観光地に行けます。出港時間だけ
はちゃんと確認しましょう。奉節への到着は夜になりますが、すでに書いたように船
の中でオプショナルツアーの募集をしています。これはツアーに参加していようが、
いまいが、関係ありません。夜遅いのでツアーには含まれていないのです。
 巫山では1泊しましょう。そこで小三峡と小小三峡へのツアーに参加しましょう。
小小三峡の観光は92年から始まったそうで、かなり面白いとのことです。残念なが
ら行っていません。
 次は巴東へ向かいます。観光船に乗っても、快船に乗っても一緒です。ここで神農
渓のツアーに参加しましょう。泊まる必要があるかどうかは分かりません。多分泊ま
ることになるでしょう。
 巴東から宜昌へ船で行きます。こちらも観光船でも、快船でも同じです。ただし、
席が取れない可能性が高いです。“散席”(立ち席)チケットを買って席があったら
アップグレードするのも手でしょう。
 最後に、ただしこれらはすべて中国人向けの普通の観光船、快船になります。外国
人向けではありません。また、巫山と巴東でのツアーも中国人向けのもので、ガイド
がつきますが、100%中国語です。

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