アジア旅行記

【6・4香港編】 '95/06/03〜06             作成日:'97/06/07


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【6月4日 香港 はれ】

◆ビクトリア公園にて
夕方の公園  4時半に到着した。普通にスポーツをしている人達がいたりして、どこでやるのか 良く分からない。公園の東の方にそれらしいところを見つける。最初は近づくかどう か少し遠巻きにしていたのだが、結局近くまで行く。かなり人が少ない。TVの中継 車や警官がいたりはしたが、“大集会”には程遠く、会場の広さばかりが目につき、 こんなもんかと思った。でも、どうもメインの集会は8時からのようだ。6時に一段 落と言う感じになったので、取りあえず夕御飯を食べに行くことにする。
 銅鑼湾をぐるぐる回ってお粥屋さんに入った。とても美味しかったが、メニューが メニューだけに後でお腹が空いた。さて、せっかくここまで来て見過ごしてはいけな いので公園へと直行する。
 公園へ向かっている人が沢山いる。公園まで来ると先程とはまるで違い、かなりの 人達が集まっていた。集会は広東語で行なわれており何を言っているのかさっぱり聞 き取れない。公園の入口で資料が配られており、これにスピーチの内容が書かれてい たので、どうにか何を言っているのか分かった。スピーチ、献花で始まり、会場では ロウソクが配られ火を灯して進められた。全員が起立して1分間の黙とうをする辺り がクライマックスで最も人出が多くなっていたと思う。全体的に静かな感じで進めら れ、みんなが今日ここにこうして集まること自体に意義があるのだ、そんな雰囲気が した。
メインの集会

左のステージには「六・四を忘れず、九七を乗り越えよう」の文字が見える

 黙とうに続いてみんなで歌を合唱する。明確に別れているわけではなかったが、こ こまでが第1部、この後から第2部と分けられると思う。第1部が終わったころから 帰る人が出てくる。第1部は何かを主張するというよりは、あの日、犠牲になった人 達のめい福を祈り、今後このようなことが2度と起きないように願うというものであ る。第2部からは政治色が出てきて、運動家達の紹介などが続く。最後はみんなでス ローガン(誰々を釈放せよ!、など)を復唱し、歌を歌って終りとなった。

チラシ◆公園を後にして
 公園は静かな、しかし何か力強い願いにあふれていたように感じた。公園を後にし ながら思ったのは第1部で帰った人達のことである。割合までは分からないが少なく なかった。これから僕が思ったのは、あの人達は、あの日起きた事を悲しみ、2度と 起きないことを強く願ってはいるものの、政治的な側面には関心がない、と言うより はもしかしたら関りたくないという現れではないかということだ。別の言い方をすれ ば、97年の返還を控えて、心の中にある明日への不安を訴え、安心できる未来を確保 したいが、それは平穏な毎日のことなのだと思う。
 MTRに乗り油麼地へ戻ったが、地下鉄の中は、至極当然のことなのだろうが、公 園の雰囲気とは全く無縁の、いつもと何も変わらない3日の次の日である4日でしか なかった。


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