モーツァルト・エッセイ 2
写楽とジュノーム (2001.12.15)
まずは妙な表題のご説明から
写楽とは東洲斎写楽、ジュノーム(諸説あるが便宜上、ジュノームに統一する)とはモーツァルトのピアノ協奏曲K271作曲の霊感を与えたヒロインのピアニストのことである。
この2人の対比についていぶかる向きもおられるかもしれないが、実は思いがけない共通点がある。 以下に詳説するが、写楽については、当初唱えられた阿波侯の能役者説から北斎説、歌麿説、戯作者 十返舎一九説、オランダ人説、最近では秋田蘭画説、歌舞伎役者説など数々の説が主張され、都度大きな話題となってきたように謎の画家とされてきたことは皆様ご存知の通り。
さて、K271のヒロイン ジュノームについても大きな謎がある。
多くの伝記、CD解説は、声をそろえて
『前年末またはこの年の初め、ザルツブルグを訪れたフランスの女流ヴィルトーゾ・ピアニストであるマドモアゼル・ ジュノーム』と見てきたように記しているが根拠はなにもない。すなわちジュノームについて知られるのは、ヴォルフガングとレオポルト間の3つの手紙のみで彼ら以外の第三者の証言がまったくないのである。
このことについて 現代モーツァルト研究の大家N・ザスロウは喝破している。
「 Was she a great artist ? :彼女は偉大なピアニストだったのか
Was she young and beautiful ? : 若く美人だったのか
Nothing at all is known ~ : 何もわからない(以下 略) 拙訳 」
(より正確にいうと、今日知られるK271の曲が、モーツァルトがジュノームのために
書かれたというのも推定でしかないのだが、このことに触れると複雑になるので今回はこれ 以上触れないこととしたい)
整理してみると、
@ 1778年4月5日付けのヴォルフガングからレオポルトにあてた手紙
: <ジュノメ夫人もこちら(パリ)にいます>
A 同月20日付けレオポルトの返事
: <ジュノメ夫人によろしく>
A 同年9月11日付けヴォルフガングの手紙
: <ジュノミ用協奏曲を(以下略)>
Cジュノームかジュノメかジュノミか?
Dマドモアゼルかマダムか。
Eいったいどんな経歴の者なのか
すなわち、文書に残っているのは@〜Bがすべてで、C〜Eのことはまったく
わからないのである。
数多いモーツァルトの伝記でジュノームに言及した最初の書は、1912年に刊行されたヴィゼワ&サンフォワによるもので、そこに『ザルツブルグに来訪したフランスのピアニスト ジュノーム嬢』と紹介され、以後、今に至る<パリから来た美人閨秀ピアニスト像>が定着していく。(この経緯は吉成 順氏の著作に詳しい)
これを写楽と比較していくと
@ 彼(=写楽)は 1794年(寛政6年)5月頃から翌年2月頃までのわずか10ヶ月
の間に、蔦屋から144枚の版画作品を刊行した後、忽然と消息を絶っている。
A 彼の正体について、蔦屋をはじめ同時代直接の関係者の証言は一切残されていない。
B 「あまりに真を画かんとして一両年で止む」とのフレーズで知られる『浮世絵類考』は、1800年、大田南畝ほかによって書かれたが、正体についての記述はない。
これを後年、1833年に筆写した『増補 浮世絵類考』に至り『俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿波侯の能役者』としるされる
C 1910年、ドイツの浮世絵研究家 ユリウス・クルトにより広く世界に紹介された際、
「斎藤十郎兵衛」説が公になる。 以後、謎の正体を巡り、諸説が展開されることとなる。
(クルト自身、後に、歌舞伎堂艶鏡の可能性を示唆)
すなわち、
ジュノーム、写楽とも、同時代人による証言(一級資料)は一切なく、極論すれば存在すら確実ではない。
しかし、彼らの存在自体が(誰であるかが)作品の価値に影響を与えるものではないことも同様である
(このことが、独欧においてジュノーム捜しが消極的な理由であろう)
また、今日我々が持つ彼らのイメージがそれぞれ後年の他人の著作によって確立したものであることも共通している。
ところで、モーツァルト研究家クリフ・アイゼンがレヴィン=ホグウッドのジュノーム協奏曲CD解説の中で、新説(珍説)を披瀝しているのでご紹介しよう。
正体不明のジュノームあるいはジュノメさがしの1つの手がかりとして、1785年
(モーツァルトのパリ訪問から7年後)12月26日のパリの新聞「パリ・ジャーナル誌」にこんな記事が掲載されているというのだ。
「コンセール・スピリチュエルの演奏会においてウイリョーム嬢(Williaume)がモーツアルトのフォルテ・ピアノ協奏曲を弾いた」。
さらに(不鮮明な書き方だが)「彼女は1786年4月10日にも演奏しているが、
この時は『ヴィリョーム嬢(Villeaume)はピアノフォルテでモーツアルトの協奏曲を弾くであろう』という予告の形となっている」と報告している。
(つまりは時をかえて同紙に2回掲載されたということか)
このウイリョーム嬢または、ヴィリョーム嬢こそジュノーム嬢かもしれないというのである。どういうことなのか?
クリフ・アイゼンは驚くべき(突拍子もない)推理を行っている。すなわち、ジョークの天才モーツアルトがしばしば人名のつづりを面白おかしく笑いのネタにしていることから、この場合もウイリョーム → ヴィール・オンム → ジュンヌ・オンム → そして ジュノーム となったというのだ。
すなわち、ウイリョームと音が似ていることから、 ヴィール・オンム(老人)を連想し、モーツアルト一流のシャレから、反対の意味のジュンヌ・オンム(若者)と飛躍し、音をリエゾンしたジュノームになるというのである。
すなわちジュノームなる者は存在しなかった!!
何という荒唐無稽な推理であろう。(はたまた瓢箪から駒の大発見か?)
モーツァルトのパリ訪問と同時期のことならまだしも7〜8年後のことである。
あまりにも乱暴な推理といわざるをえない。
しかも肝心のウイリョーム嬢または、ヴィリョーム嬢とは何者かとの特定はされていないのであるから、これはミステリーとしてもルール違反である。
興味はつきないところだが、なんとも材料不足・お粗末なミステリーであった。
ところで、一方の東洲斎写楽の正体さがしについては、長い間 歌麿説や北斎説やらにぎやらわせてきたが、最新の研究によると諸々の新発見資料により、阿波侯の能役者 斎藤十郎兵衛という最も非劇的な結論に落ち着きそうとのことであるが、果たしてジュノームの行方の方ははどうなるのであろうか? 写楽の場合のような謎を一挙に解消する画期的新資料発見が待たれるところである。
以上
<資料> @CD:モーツアルトピアノ協奏曲第9・12番(レヴィン・ホグウッド)
POCL1469 解説:クリフ・アイゼン(平野 昭 訳)
A吉成 順 「ジュノーム嬢の伝説」(ユリイカ増刊『特集モーツァルト』所収)
BN・Zaslaw 「 The Compleat Mozart 」
<立川楽しいクラシックの会 15周年記念誌 「土曜日の朝に その2」 所収を加筆・修正した>
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