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   2002.10. 1〜 10. 31       (掲載順を 日付の繰り下がり順に変更しました)


10月生れの音楽家!! 投稿者:管理人  投稿日:10月 3日(木)00時42分45秒

 

毎月 このお知らせを KADANさま掲示板に投稿しておりますが
保存を忘れてしまうので、この掲示板にも収録することとします。
 (KADANさま、お許しを!)

10月1日は、ホロヴィッツの誕生日だったんですね。
生で聴いた方はいらっしゃいますか?

あと、思い出があるのは 武満先生、
シャイな方なんでしょうね、
サントリーホールの柱の陰に隠れて、タバコを吸ってる姿を、
何度かお見かけしましたが
何だか高校生が、隠れて吸ってるかのようで
ほほえましいものがありました。

***************************************
*10月生れの音楽家


10月 1日 ホロヴィッツ(1904年 ウクライナ キエフ生)
10月 8日 武満 徹  (1930年 日本 東京生)
10月 9日 サン・サーンス(1835年 仏 パリ生)
10月10日 ヴェルディ(1813年 イタリア レロンコーレ生)
10月22日 リスト  (1811年 ハンガリー ライディング生)
10月25日 ビゼー   (1838年 仏 パリ生)
10月25日 J・シュトラウス=仔(1825年 オーストリー ウィーン生)             10月26日 D・スカルラッティ (1685年 伊 ナポリ生)  
10月27日 パガニーニ(1782年 伊 ジェノバ生)  

★「俺が入ってないぞ!」という苦情はお断り! (笑)
文句は、ヤマハに言って下さい。
  (ヤマハ ミュージック・カレンダー より)
 


西脇詩の一解釈 投稿者:管理人  投稿日:10月 3日(木)23時42分13秒

 

  あかのまんまの咲いてゐる
  どろ路にふみ迷ふ
  新しき神曲の初め   

(西脇順三郎詩集 「旅人かへらず」 113番)

       注:(あかのまんま=曼殊娑華)
         (神曲=ダンテの神曲地獄編)

  直訳:
「道に迷って泥道にふみこんだら、
 そこは、曼殊娑華が咲き乱れ、
 まるでダンテの神曲地獄編はかくやと思わせる光景であった」


マンジュシャゲ、彼岸花の季節になるとこの詩を思い出します。
「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」 ( 誓子) 
毎年秋のお彼岸の頃に咲く紅い花。
花々が血か炎にも見えることもありまして…。

 曼殊娑華は死のイメージを有することから、個人的な「臨死体験」を思わせる。
この詩の発表された時期(昭和21年)を考えると、
「悲惨な戦争=個人のレベルを超えた無常感」をイメージさせる。

 さらに、どろ路=実人生であるから、
実人生の中にも 「新しき」神曲のようなドラマが起きることを示唆している。

今や詩人は天上の詩の世界に遊ぶことは許されず
泥にまみれた実人生の中に、詩を探すこととなったが、
そこにも、ダンテの神曲地獄編とも見まがう光景があった。
  
 一方 色彩イメージ的には、
有名なダンテの神曲地獄編の挿絵エッチングはモノクロであるから、
曼殊娑華の真っ赤なイメージと遠いところを、
「新しき」神曲とすることで原色のイメージが付加され、
そこは単色の世界であると同時に鮮やかな原色の世界でもあるという、
ダブル・イメージの装いを醸し出す。

たった三行の中に、何とも複雑・精妙・華麗な世界を織込んだ西脇詩中期の傑作と思う。
  
<詩集『旅人かへらず』は、昭和22年発行。
 同時期に出版された『改版 あむばるわりあ』と共に、
 戦前のアヴァン・ギャルドな詩風からの転回を示し、注目を集めたという。
  モダニズム陣営からは、「風邪を引いた牧人」などと揶揄されたが、
 後年の「近代の寓話」 「第三の神話」 「失われた時」 のスケール大きな詩風へ
 続く道を開いた傑作詩集である。
  恒文社から復刻版が出ている>
 


 

お誕生日辞典より 投稿者:秋子  投稿日:10月 4日(金)07時35分56秒

たのもー様、いつもありがとうございます!
せっかくなのでこちらにもお誕生日辞典から10月生まれの作曲家のセイカク診断を書きこませていただきますね。
ところで、週末はたくさんOPERAが放映されるようですね。
楽しみ!個人的には一押しは今日の午後2:15からのカラヤンの「バラの騎士」。
夜中はプッチーニですが、あの時間帯に2つ続けて見るのは大変そう…

ところでホロヴィッツ最後の来日って何年前になるのでしょう?
それぞれのお誕生日ごとに詳しいセイカク診断があるのですが、
ここでは短くキャッチフレーズと長所・短所のみ。

10月 1日 ホロヴィッツ(1904年 ウクライナ キエフ生)
「生まれながらのリーダー」
長所…ユニーク・ひたむき・威厳がある
短所…危険な目にあいやすい・優柔不断・お高くとまっている

10月 8日 武満 徹  (1930年 日本 東京生)
「このうえないロマンチスト」
長所…想像力に富む・ロマンチック・役に立つ
短所…軽はずみ・気分にむらがある・強いものの傘下につく

10月 9日 サン・サーンス(1835年 仏 パリ生)
「鋭い洞察力の主」
長所…マルチ・タレント・観察力が鋭い・ひらめきがある
短所…分類不能・浅薄・ひとりよがり

10月10日 ヴェルディ(1813年 イタリア レロンコーレ生)
「経営管理の達人」
長所…判断力がある・洞察力に富む・正確さを重んじる
短所…慎重過ぎる・臆病・うちとけない

10月22日 リスト  (1811年 ハンガリー ライディング生)
「危険な誘惑者」
長所…周囲に人が集まる・チャーミング・エキサイティング
短所…トラブルメーカーになりやすい・バランスが悪い・おせっかい

10月25日 ビゼー   (1838年 仏 パリ生)
10月25日 J・シュトラウス=仔(1825年 オーストリー ウィーン生)
「イメージを目に見える形にする人」
長所…肉体的に恵まれている・存在感がある・頼りになる
短所…尊大・狭量・ひとりよがり

10月26日 D・スカルラッティ (1685年 伊 ナポリ生)
「組織のまとめ役」
長所…グループを大切にする・金銭の処理がたくみ・組織に順応できる
短所…不機嫌・感情をおさえがち・厳格
  
10月27日 パガニーニ(1782年 伊 ジェノバ生)  
「ダイナミックな情熱家」
長所…生き生きしている・エネルギッシュ・パワフル
短所…すぐに落ち込む・やきもちやき・自滅的

何だかとてもあたっているような気がします!
ホントのとこは確かめようもないですけどね^^
 


志ん朝さんの一周忌 投稿者:管理人  投稿日:10月 4日(金)07時48分29秒

早いものですネ、志ん朝師の一周忌!!

昨年、このWebの準備中、悲報に接したことを思い出します。
(ということは、このHPも一周年!!)
Webスポニチから……

――――――――――――――――――――――――――――――――――
☆平成名人・古今亭志ん朝さんの一周忌、しめやかに営まれる――

 昨年10月1日に63歳で他界した昭和・平成の落語名人、古今亭志ん朝さんの
一周忌が、この1日、丸の内・東京会館で営まれた。
  <中略>

歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんら俳優が多かったのも志ん朝さんが
それだけ舞台に力を入れていたことの証だろう。
森繁さんは最後までとどまって、志ん朝さんの思い出話に加わっていた。

 参会者は400人を超え、全員が着席スタイル。
志ん朝夫人の美濃部聖子さん(60)が、一門を引き継いだ古今亭志ん五(53)の後見で、
すべてのテーブルを回って、丁重にあいさつしていたのが印象的。

聖子さんの考えもあって、全員が何らかの形で志ん朝さんと親交のあった人ばかりで、
写真撮影などマスコミ取材は一切辞退しての催しでもあった。
 理由は、おそらく志ん朝さんの他界直後に週刊誌に心無い記事を書かれたことから、
取材が入ることで志ん朝さんを偲ぶ席が混乱してはいけないという配慮だったからだろう。

 志ん朝さんは本当に落語を、芝居を愛した人だった。昔、文京区の三百人劇場で独演会を
やっていた頃、40代だったと思う…。
志ん朝さんはピリピリしていた。
その日の出来が、高座を降りてくる雰囲気で分かったほどだった。
納得のいかない高座の時は、近寄り難い空気を漂わせていたものだった。
微妙な描写、登場人物たちの活写ぶり。
楽しんで、笑ってもらうための芸の裏にある“ひたむきさ”真剣さに打たれて、
ボクは決して楽屋にお邪魔しなかった。
 それが、50歳を過ぎた頃から、不意におおらかになった。
聞いてみた。
「師匠、50代に入って、ハラが出てきたら、芸が変わりましたね?」と。
答えはこうだった。
「うん、分かる?やなとこみてるねぇ…。
芸ってのは、もっとぞろっぺい(ある意味での気楽さ、ラフさ)でいいってことに
気がついたんだよ。
楽しんでもらうにゃ、自分も楽しめないといけないんだよなぁ…」。
目は笑っていなかった。
 ボクがよく聖子夫人らと徹夜マージャンをしている時など、寿司を買って帰
ってきたりしてくれただけでなく、時には自分でお茶なども入れてくれた優しさ。
空気を察して、そこに居やすくしてくれる繊細な思いやり。
思い出せば、涙がにじむ。そうした繊細さで、芸は裏打ちされ、しかも一徹、
直球の芸だった。
柔らかい名人芸の裏の、剛毅な落語家魂…。
志ん朝さんの芸は、これからも評価が高まり続けるだろう。
一周忌を機に甦った思い出の志ん朝さん。
既にソニーからのCDやカセットも未曾有の売れ行きを示している。
もちろん、ボクの手元にもある。人生の財産だ。            (岸谷 祥)
*******************************
 


ちょっと遅いですが 投稿者:秋子  投稿日:10月 4日(金)07時49分48秒

下の方で小澤のお母様さくらさんのご逝去の話題が出ていましたが
昨日の朝たまたま見ていたTVで、中国でOPERA公演中の小澤さんが、
かつての住居を訪問され、お母様の遺骨をお庭に埋めるところがレポートされていました。
小澤さん一家が引っ越した後そこの住人になられた方(中国人)が今でも住んでおられて、
昔のままの姿でお宅が残っています。さくらさんはよくベンチにこしかけてその大好きなお庭で
過ごされてたそうで、それをよくご存知の小澤さんご兄弟が遺骨を埋めることを実現されたのですが、そのご様子はとてもうれしそうでした。昔住んだおうちって、懐かしいですものね。
私自身何度も引越しましたが、何軒かのかつてのおうちはもう今ほとんど残っていませんから、
TVを拝見しながらいろんな思いが過って、小澤さんの温かい心に、感動しました。


三平師匠の23回忌と いっ平の真打ち昇進 投稿者:管理人  投稿日:10月 4日(金)08時56分05秒

 

志ん朝師一週忌のニュースと前後したが、
故林家三平師匠の23回忌は、先月20日であった。
その直前、師匠の末っ子である 林家いっ平の真打ち昇進披露パーティーが
盛大に行われたそうな。
 このパーティ以外にも、浅草仲見世を練り歩く『お練り』とか
〜これは通常歌舞伎役者の襲名披露の時に行われるもので落語家は異例 
パフォーマンスが行われたそうな。

この件に関連して 姉 みどりさん(峰 竜太夫人)と 
母 香葉子さんの確執などかきたてられ、ゴシップ記事としての
話題もにぎやかだった。

詳しくは、下記 9/20付け Webスポニチをご参照頂きたいが
ゴッドマザー海老名香葉子さんの力の入れ方を見ていると、
何となく Xデー?(こぶ平師匠による 林家正蔵 襲名?)をにらんでの
デモンストレーションという気がしてならないのだが、果たして真相は?

******************************************
☆林家いっ平真打ち昇進披露パーティーの意義――

 爆笑王だった「どうもスイマセン!」の故林家三平さんの23回忌は、きょう
20日である。22年前、54歳の若さで他界したのだった。

 そして、あす21日からは上野・鈴本で二男・林家いっ平の真打ち
披露興行がスタートする。

 その披露パーティーが17日に帝国ホテルで行われたのだが、様々な意味
で歴史的にも画期的なものだった。
落語界的に言えば、円楽一門会を率いる三遊亭円楽が、1978年(昭和53)の
“落語協会分裂騒動”でタモトを分かって以来24年ぶりに落語協会の公式行事
で“祝辞”を述べたのが、第一の理由だ。
 分裂騒動は円楽の師匠だった故三遊亭円生と、先に他界した人間国宝・
柳家小さんの対立が発端だったが、円楽は師に従って協会を脱会。
円生没後は“円生一門の再分裂”を経て、自らの一門だけで独自に
“落語家による落語家のための寄席”「若竹」を建てて経営。
閉場後も独自に一門会として別派活動を続けている存在で、今も落語協会との
寄席定席での活動とは一線を画しているのだから、
実質的には“24年ぶりの雪解け”と言っても過言ではないのだ。

 もちろん背景にはいっ平の師匠・林家こん平との名物演芸番組「笑点」(日
本テレビ系)での“長年の共演”や、分裂・対立はしていても、“冠婚葬祭は
別”という暗黙の了解事項があるのだが、それでも祝い事の公式行事では、こ
れまで一度も円楽が祝辞を述べたことも、頼まれたこともなかったのだから、
それを思えば寄席演芸界では「小泉首相が北朝鮮を訪れるよりも大変なこと」
(パーティーの司会を担当した露木茂アナ)だったのである。

 「志ん朝さん(古今亭)の葬儀にも、目白(柳家小さんの別称)が亡くなら
れたときにも葬儀には伺っていますが、そうですねえ、祝辞は本当に昭和53年
以来ですねえ…」と、円楽自身も感慨深げだった。
「アタシはね、組織がどうのでなく、今、寄席演芸界は全体として活性化へ
努力しなくちゃいけないと思ってるんです。
おめでたいじゃないですか、いっ平君の昇進。
こういうことを機に落語界にみんなの目が向いてくれれば、それが一番いいこと」
と、付け加えてくれた。
 
 そして、大女優・森光子ら800人を超える参会者の多彩な顔ぶれと、北島三郎
の30分にも及ぶ異例の“ご祝儀歌謡ショー”などの実現の背景に三平夫人の
海老名香葉子さんの“政治力あるいはプロデュース力”と、
全体を仕切った“石原プロの力”が貢献していたことが2番目の大きな理由だ。
 こうして、長男・林家こぶ平と二男・いっ平、義兄の春風亭小朝・泰葉夫妻
らのファミリー愛もひっくるめて、いっ平の昇進パーティーは戦後最大の規模
と豪華さで彩られていったのだが、それは単にいっ平の昇進のクローズアップ
だけでなく寄席演芸界全体が注目されるという“役割”をも結果的に果たした
のだった。
 この“いっ平効果”を本物に出来るかどうかが、寄席演芸界の浮沈
にかかわってくる――。                 (岸谷 祥)
 


Re:お誕生日辞典より  投稿者:管理人  投稿日:10月 4日(金)12時22分24秒

秋子さま、恐縮です !!

  ルール違反の二重投稿で、申し訳ありません。(^^;)
  (保存の手間を考えて自分のサイトにもアップした次第です……)

セイカク事典の中では、
やはりホロヴィッツの項が、うなずけるような気がしますね。
中村紘子センセイのご本など読むと
彼もまたバーンスタインに似て矛盾多い性格だったようです。
ところで、
中村センセイお得意のネタによると
ホロビッツ曰く
『ピアニストには三種類しかいない。
  ホモと、ユダヤ人と、ヘタクソだ!!』

因みに、フラウ(ご婦人)は、含まれていない(問題外?)そうです。……
 


たのしみは そぞろ読みゆく書の中に 我とひとしき人を見し時 投稿者:管理人  投稿日:10月 4 日(金)21時24分06秒

たのしみは そぞろ読みゆく書の中に 我とひとしき人を見し時

たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

   どちらも、橘曙覧(たちばなのあけみ)(1812−68)の作品


KADANさま、もとい 今の季節は 秋子様、私 このたび 突然 短歌に目覚めた?
わけではないのですが……(笑)
  心ひかれる歌ですね。
そういえば
秋子さまは、現代詩 ゲンダイシ はお好き?


閑話休題: (以下 東京新聞 日本の文学館より要約して引用)

 橘曙覧は福井の歌人・国学者。
商家に生まれたが学問を好み、家督を弟に譲って隠居、
藩主の出仕の求めも辞退し清貧に甘んじた。
歌は当時主流の花鳥風月ではなく、実生活を身近な言葉でありのまま詠み、
後に和歌革新を志した正岡子規が先駆者と絶賛。
それは地方にあって、権勢や富貴を求めず、
自由な精神を保ちえたからこそ可能だったにちがいない。

 昨年四月、福井市に橘曙覧記念文学館が開館したそうだ。
   (一度訪問してみたい!!)

「独楽吟」全五十二首は 「たのしみは」で始まり「時」で終わる連作。
つつましいが温かい家族との生活、
国学者としての横顔、
自然の中に生きる喜びなどが率直に歌われている。
長女、二女に続き、曙覧は三十二歳で三女も病気で失った悲しみをバネに
本格的に国学と歌の道に打ち込んだという。

http://www.tokyo-np.co.jp/bungaku/


現代詩 投稿者:秋子  投稿日:10月 5日(土)09時34分52秒

たのもー様、詩はほとんど知らないことだらけですが、好きです。
昨年ねじめ正一さんがTVの人間講座でやってましたのでいろいろ知ることができました。
昔から好きなのは谷川さんですが、ポピュラーどころの
新川和江さんや金子光晴さんなど感銘を受けます。
書店に行くと必ず詩のコーナーで立ち読み…^^
TVの「詩のボクシング」も面白いですよね。

橘曙覧のこの「たのしみは」シリーズも読んだことあります。
こういう作り方も面白いですね。いろんなバージョンの可能性があります。
生活の中でふっと湧き上がる実感がたくみに掬い取られていますね。


あ〜 投稿者:秋子  投稿日:10月11日(金)18時47分07秒

もうずうっとストッパーになってる〜
すみませ〜ん…たのもー様…



あっ!フェドセーエフの棒が飛んだ!! 投稿者:管理人  投稿日:10月12日(土)22時20分09秒

先日スカパー映像を何気なく見ていたら
指揮者のバトン(指揮棒)が、折れて飛んでいくシーンを目撃しました。
めったにないこと、と慌てて番組案内を表示させると
:フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団のチャコフスキー交響曲4番
の演奏でした。


昔 木製であった頃は珍しくなかったそうですが、
グラスファイバーになってからは皆無だった由。
ところが ここ数年で大半が カーボン樹脂製になった結果
ごくまれだが 折れるという現象が起きたそうです。
(何だかゴルフ・クラブや 棒高跳びの棒の話みたい…)
しかし、本番中というのは、さらに稀でしょうね。(笑)

その昔、日経文化欄で ドン・アルフォンソさんの
<モーツァルト全デイスコロジー>発行の記事を読んだ頃のことです。
その記事と前後して
<指揮者の折れたバトンのコレクション>という世にも珍妙な趣味!!
の持ち主が一文を寄せていたのを覚えています。
  (アルフォンソさんは、ご記憶ありますか?)

なんでも、コンサートでは必ず1番前列の真中という
指揮者に最も近い席に陣取り、しかも胸ポケットには、
新品のバトン(指揮棒)をさしておくそう。
それも有名指揮者の場合は、あらかじめ写真を見て
バトンの形状を確認し(長い、短い!)
できるだけ近いものを持参するという凝り様!!

成果のほどは結構あって、何回かはマエストロに差し出した
バトンで続けて振ってもらうという栄誉?にも預かったそうな。
コンサートの終わったあと,必ずその折れたバトンにサインを
してもらうのだそうです。
(中には、新品のバトンにサインしてくれたマエストロもいたとか)

指揮法がメチャメチャだった時代ということも関係あるのでしょうか?
グラスファイバー製品の普及と
今や 世界中を制覇したサイトウ・メソッドの合理的指揮法のおかげで
バトンが折れ飛ぶなどというお粗末な?指揮者はいなくなるのかと思ったら!?
何と カーボン樹脂の仕業で復活とは!
興味深いことですね。(コバケンなどはどうでしょうね!)
 
そういえば、オザワ、マズア、アーノンクールとバトンを使わない
指揮者が増えつつあるのかしらん。
その内、世界のオザワ を目指す若者は、皆バトン無しになるかも??

 この話題など エガル様 一言あるのでは?
レス お願いします! (笑)  


今年の国音オペラはフィガロ 投稿者:管理人  投稿日:10月14日(月)02時14分53秒

秋季恒例!の大学院オペラ、行ってまいりました。
たのくらの皆様、ボウシスト・中さん、ほりっぺ様にお会いしました。

今年 フィガロを見るのは
春の亜門演出、つい先日のエクス=ミンコフスキーについで三度目。

今日のフィガロで面白かったのは演出の冴え。
演技もうまかった、準備に念が入っていましたね。
  (それにひきかえ、昨年見たどこぞのオペラ団なんて 
   たった年一回の公演なのに主役がプロンプターに頼りっぱなし、
   恥ずかしいですよネ……なあんて、エラソウにスミマセン 余計な話でした)

記憶に残ったいくつかを

@ 第一幕: 伯爵が椅子に隠れたケルビーノを発見する前に
       ドン・バジリオが気が付くところ。
(黙ってましたが……)

A 同   : フィガロに動員された村娘の中にバルバリーナがいて
       ケルビーノから窮状を耳打ちされたので、自分のショールを
       かぶせ、村娘の中に紛らせ退出させようとするが、
       発見されこの企ては失敗。
     (この場面以外でも バルバリーナはケルビーノを見つけると
       すぐにくっつき積極さをアピールするなど、活躍する)

B 同   : 上記のシーン中、伯爵がベールをかぶせるのをこの場では、
       拒否し退場を促したのに対し、村娘たちがそれぞれ手にした
       花を伯爵にたたきつけ怒りを露にして立ち去る。
       (映画のベーム=VPO版のポネル演出の影響??)

C 第二幕:  (二重唱 「さあ、ひざまづいて」の後……)
    伯爵が夫人とケルビーノのいる部屋へ入ろうとするまさにその直前、
    伯爵夫人はケルビーノの熱情にほだされ思わず接吻しそうになる。
        (う〜む…このシーンは良かったですなあ!)


演奏について
まず声楽陣はみな好演だった。一部だけ触れると……
男声陣は、フィガロ・伯爵とも立派。
フィガロは第三曲 「もし踊りをなさりたければ」 は、
ちょっと平板だったが、その他は好演というべき。
伯爵は好調、まったく破綻なかったと思う。

女声陣、伯爵夫人は良かったですね、
ちょっとコンクール向けみたいな歌い方が気になったが、
実力ある立派な歌唱と思いました。

スザンナ、前半と後半で交代したが、
個人的には前半一、二幕を歌った人の声にききほれた。
これこそモーツァルトのスーブレットにピッタリの声と思いましたネ。
後半のスザンナは、声量もあって歌唱力は立派でしたが、この方は
スーブレットよりイタ・オペの主役を狙えるタイプなのでは。

ケルビーノはもうけ役なんですが、この日の人も良かったですね。
この人はメゾなんでしょうか、低いほうも無理なく出てとてもよかった。
バルバリーナは演出で重視されたのによく答え、演技・歌唱とも良かった。
(先日のエクスの演出でもバルバリーナを重用していたが、
 バルバリーナ重視は世界的な演出傾向なのかしら?)

一日だけでは、もったいない、また聴きたいなあ!!
 と、思いました。
(できれば、ソロ歌手と コレペティトゥアのユニットで
 わが愛好会の例会にお招きしたいものだなあ、と空想しました)


オケですが、序曲では阪先生の早いテンポに付いていけないようで
学生オケの限界かなと思うところも有りました。

でも尻上がりに調子が出てきて、後半は楽しめました。
そういえば 阪先生 序曲をはじめ前半は指揮棒なしで
振っておられたように見受けましたが
後半はバトン(指揮棒)を持っておられました。
オケが後半好調だったのは、もしかしてそのせい???
すると、まさに 《魔法のバトン》 か!! (爆)
 

以上 個人的・勝手な感想を申し上げました。
      (違ってたらゴメンナサイ)

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2002 国立音楽大学 大学院オペラ公演
「フィガロの結婚」[K.492]全4幕(原語上演/日本語字幕付)

日時:2002年 10月12日(土) 10月13日(日) 14:00開演 
場所:国立音楽大学講堂大ホール
入場料:2,000円(全席自由)

  作曲: W.A.モーツァルト
  台本: L.ダ・ポンテ
  指揮: 阪 哲朗
  演出: 中村 敬一
  管弦楽: 国立音楽大学オーケストラ
  合唱: 国立音楽大学


<CAST>  10月13日(日)
アルマヴィーヴァ伯爵: 押川 浩士
伯爵夫人       :  東野 静香
スザンナ       : 新井 紘子(1,2幕)鈴木 裕子(3,4幕)
フィガロ        :  折河 宏治
ケルビーノ      : 坂井田真実子
マルチェッリーナ  : 齋藤存里澄
バルバリーナ    : 國澤さおり


現代詩 投稿者:ドン・アルフォンソ  投稿日:10月17日(木)06時08分12秒

たのもー師匠から西脇順三郎の詩についてコメントを求められ、秋子さんの「現代詩」の投稿があったので、僕も何か現代詩について書こうと思案しているうちに、俗事多忙で今日に至りました。

僕がほとんど集めた現代詩の詩人は、谷川俊太郎(「二十億光年の孤獨」もあります)、飯島耕一、石原吉郎、天野忠(初期の詩集は見つからない)などで、西脇順三郎については、挑戦しましたがどうも僕には難しかった。西脇ファンの親しい友人によれば、「こんなやさしい詩はない」というのですが、どうも難しい。インテリじゃないと読めないんじゃないか。たのもー師匠はインテリがジェンスしているので西脇がよくお分かりになる。これからは、たのもー師匠をインテリ・ゲンチャンと呼ぼうと思う。

西脇順三郎が病気で新潟の実家に車で帰るとき、息子の嫁の膝枕で帰ったというのが気になる。しょうがないじいさんだ。実はその嫁さんというのが、カミサンと大学で同じクラスだったそうで(もう結婚していた)、英語の発音が素晴らしかったといいます。

・・・結局読んでやさしい、インテリじゃなくても分かる天野忠の詩が現在座右の書となっています。

指揮者のバトンについては記憶がなく、どなたかにバトン・タッチします。


Re:現代詩→詩は諧謔!! 投稿者:管理人  投稿日:10月20日(日)21時25分34秒

ドン・アルフォンソさま
 お友達のおっしゃる通り、西脇詩を鑑賞することは全然難しくないですよ。
  《親しい西脇ファンの方 是非一度ご投稿下さい!!》

詩は諧謔!
詩の中に頻発する古今東西の知識はパロディの素材に過ぎないし、
オノマトペ(擬音)の素材に過ぎない、と本人もどこかで述べていました。

だから、中にはくだらない!!としかいえないシャレもあります。
《○時○分、おばあさんはせきをした。/ ゴッホ…》(笑)

超難解でしられる 初版『アンバルヴァリア』現代編の中にも
《何者か藤棚の下を通る者がある。 / そこは通路ではない》(笑)
なんてえ、詩句があるくらいです。

先日投稿した西脇詩解釈は、あれはあれで1つの解釈ですが
深読みしすぎなのかもしれません。
それに、解釈と鑑賞は別物です。
スコア片手でなくとも、モーツァルトは十分楽しめます、
それと同じではないでしょうか。

私も、もっと軽い気持ちで読み直していこうと思っています。
アルフォンソさんも、是非もう一度チャレンジされますよう!!

(緑夫人にはお目にかかったことはないのですが、すてきな方のようですね。)

ところで
今 世田谷文学館で西脇順三郎展開催中ですから
都内近郊にお住まいの皆様、是非ご来館をおすすめします。
 9月28日(土)−11月4日(月・祝) 
→ http://www.setabun.or.jp/

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たった今 モーツァルティアン・フェライン例会から帰ってきたところです。
しばらく行ってなかったのですが、今回は20周年記念例会だからと
誘われたもので。大盛会でした。

そこで伺ったのですが、来月10日の例会に
アルフォンソさま、出席なさるとか!!
ほぼ、1年ぶり お会いするのが楽しみです。

いつ頃、帰国されるのでしょう?
上記 西脇順三郎展には間に合いませんか???


八木重吉 秋の詩 投稿者:管理人  投稿日:10月24日(木)22時45分13秒

 10/24読売・編集手帳に八木重吉の詩
「素朴な琴」
「この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美しさに耐えかね
 琴はしずかに鳴りいだすだろう」(詩集「貧しき信徒」)…

〜が引用されていたので、思わずネットで検索してみました。

正直いって、私の好みのタイプではないのですが
ちょっと《気になる》タイプです。
時には、読みたくなるっちゅうか……

八木重吉に夏は似合わない。
詩も断然 秋か冬を歌ったものが多い。
  (春を歌っても悲しい)
詩集『貧しき信徒』から秋の詩をいくつか拾ってみよう。

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お月見

月に照らされると
月のひかりに
こころがうたれて
芋(いも)の洗ったのや
すすき[#「すすき」に傍点]や豆腐(とうふ)をならべたくなる
お月見だお月見だとさわぎたくなる

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こころがたかぶってくる
わたしが花のそばへいって咲けといえば
花がひらくとおもわれてくる
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美しくすてる

菊の芽(め)をとり
きくの芽をすてる
うつくしくすてる
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果物(くだもの)

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実(み)のってゆくらしい
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秋だ
草はすっかり色づいた
壁のところへいって
じぶんのきもちにききいっていたい
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雨の日

雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
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虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目(だめ)だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる
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あさがお

あさがおを 見
死をおもい
はかなきことをおもい
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萩(はぎ)

萩がすきか
わたしはすきだ
持って 遊ぼうか
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窓をあけて雨をみていると
なんにも要(い)らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
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障子(しょうじ)

あかるい秋がやってきた
しずかな障子のそばへすりよって
おとなしい子供のように
じっとあたりのけはいをたのしんでいたい
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桐(きり)の木

桐の木がすきか
わたしはすきだ
桐の木んとこへいこうか
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響(ひびき)

秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
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故郷(ふるさと)

心のくらい日に
ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる
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柿(かき)の葉

柿の葉は うれしい
死んでもいいといってるふうな
みずからを無(な)みする
その ようすがいい
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秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
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月にてらされると
ひとりでに遊びたくなってくる
そっと涙をながしたり
にこにこしたりしておどりたくなる
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雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい
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 @ インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)より
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*八木重吉 
明治31年(1898)、町田市相原町に生まれ。神奈川師範から東京高師英語科を卒業。内村鑑三の著作に感化されキリスト教徒に。大正10年、兵庫県の御影師範(神戸大教育学部)の英語教師。千葉県柏東葛飾中学校(東葛飾高校)に転任、病弱ながら詩作、第一詩集「秋の瞳」を刊行。昭和元年、肺結核で入院、昭和2年10月26日、29歳で死去。
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リリー・マルレーンを------ 投稿者:管理人  投稿日:10月24日(木)23時18分50秒

リリー・マルレーン、なつかしい歌ですね、
私はもちろんリアル・タイムでなく、25,6年前頃のリバイバルで知った口ですが。

その数奇な運命は、鈴木 明さんの『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』
という著作で 歌手ララ・アンデルセンの名と共に知りました。

その作曲者が亡くなったそうです。正直まだ 存命だったとは知りませんでした。
APによる訃報と天声人語を……
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■《天声人語》 10月24日

 これほど数奇な運命をたどった歌も珍しいだろう。
あの「リリー・マルレーン」である。
作曲したドイツの音楽家のノルベルト・シュルツ氏の訃報に接して、
あの歌のたどった運命を改めて思い浮かべる。

 詩は第一次世界大戦に従軍したドイツの詩人の作である。
それがシュルツ氏の目にとまったのは38年のことで、
彼はベルリンのなじみのバーで、数分間で曲を仕上げたという。
レコードにしたが、当時はほとんど売れなかった。

 第二次大戦中の41年、ドイツ軍が占領したベオグラードのラジオ局から
毎晩決まった時間にこの歌が流れ始めた。
その放送をアフリカの砂漠に進駐していたロンメル将軍率いるドイツ軍の
兵士たちが心待ちにし、聴き入った。<中略>
 「砂漠のキツネ」と連合国軍に恐れられた知将ロンメルも耳を傾けたことであろう。

 やがて連合国軍の兵士たちもこの敵国の歌を口ずさむようになる。
戦地での愛と別れをうたうこの歌はイタリア語やフランス語へ、そして英語へと翻訳され、
敵味方を超えて欧州戦線に広まった。

 44年、連合国軍を慰問する女優マレーネ・ディートリヒがうたい始めたことで、
この歌はまた違った運命をたどる。
ものうげにうたう彼女と切り離せない歌になっていく。
戦争が終わっても世界の多くの人が彼女の歌に魅せられ続けた。

 戦意高揚の歌ではなくどちらかといえば厭戦(えんせん)の歌だ。
だからこそあれだけ多くの人の心をとらえたのだろう。
シュルツ氏を「一曲で、それも一曲だけで思い出されるであろう作曲家の死」
と英タイムズ紙は「追悼」している。

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ドイツの作曲家のノルベルト・シュルツ氏が死去

 
ノルベルト・シュルツ氏(ドイツの作曲家)14日、ミュンヘン近郊で死去、91歳。
第二次世界大戦の兵士らの愛唱歌「リリー・マルレーン」の作曲で有名。

 1938年、恋人を故郷に残し前線に赴いた第一次大戦の兵士をうたった
ハンス・ライプの詩に曲をつけた反戦歌「リリー・マルレーン」を発表、
大戦中の兵士らの人気を呼んだ。
同曲は約30の言語に訳され、マレーネ・ディートリヒなど大勢の歌手に歌われた。
(フランクフルト=AP)     <AP=日経 より>

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緑サンの膝枕! 投稿者:管理人  投稿日:10月28日(月)01時15分59秒

<10/17ドン・アルフォンソさん投稿へのレスです>

>西脇順三郎が病気で新潟の実家に車で帰るとき、息子の嫁の膝枕で帰ったというのが気になる。しょうがないじいさんだ。実はその嫁さんというのが、カミサンと大学で同じクラスだったそう


以前、何かで読んだようで気になっていたが見付かりました。

《雑誌『英語青年』1982.10〜 西脇順三郎追悼特集 》に
緑サン本人の『小千谷への旅』との寄稿がありました。
以下に抜粋を…

「《前略》代々木の家から小千谷への最後の旅に出た。《中略》
 5月10日(恒文社さしまわしの)大型ハイヤーで父の大移動が始まった。
 見送りに来て下さったTさんと主人に支えられて車に乗り込み、
 後部座席に私の膝枕、という姿勢に落ち着いて出発となった」
  
「小千谷に近づき、越後の山々が見えてくると景色は一変して新緑の世界となり
 前の座席から主人が『ほら パパ、もうすぐ小千谷だよ』と声をかけると
 『そうか、では起きてみましょう』と言って、
 クッションの位置を変えて座り直し眼鏡をかけて外をながめるほど
 元気になった。《中略》
  これが私の同行した最初にして最後の旅である 《以下略》」
 


西脇順三郎 投稿者:ドン・アルフォンソ  投稿日:10月30日(水)07時53分26秒

たのもー師匠の考証の見事さに驚きました。やっぱりインテリですよねぇ。よぉよぉインテリゲンチャン!

小生も(仕方なく)地下の書架からまだ売っていなかった筑摩書房の「西脇順三郎 詩と詩論」全6巻を出してきて、いつか読むかもしれないとファミリールームの書架に並べることは並べました。これ並読であります。

師匠ご指摘の「英語青年」追悼号で最初から二番目に書いている由良君美という先生に大学の時英語を習いましたが、これが難しい難しい。嫌いな英語が永劫に嫌いになりました。この体験が西脇順三郎は難しいという心理的圧迫になっているのであります(そんなことはないか)。

由良先生のあの難解な文章も楽に読まれるたのもー師匠には脱帽。



西脇順三郎(補足) 投稿者:ドン・アルフォンソ  投稿日:10月30日(水)08時42分05秒

小生が西脇順三郎の帰郷のエピソードを知ったのは、PR誌「波」か「図書」にのった西脇論の中ででした。たのもー師匠の考証で、今日古い追悼号を探し出し(売ってなかった!)、拾い読みしておりました。すごい人だったんですねぇ。

僕はやさしい文章の(一寸低く見られている)福原麟太郎の大ファンです。単行本もほとんど集めました(むろん田村書店で)。当時渡辺一夫を夢中で集めていた小生に、福原さんを勧めてくれたのは、田村書店の主人です。


お急ぎください 投稿者:もうちゃ箱主人  投稿日:10月31日(木)01時31分19秒

映画「アマデウス」 ディレクターズカット版は、
新宿駅南口 高島屋(高島屋タイムズスクエア) の
テアトル タイムズスクエアで上映中ですが、
HP情報ではいよいよ11月15日までだそうです。
まだご覧でない方はお急ぎくださあい。

詳しい場所、開始時間等はこちら

http://webs.to/times