モーツァルト・エッセイ

紺野さんとの対話:  グラインドボーン音楽祭とフィガロについて

  2000.3.25 日本モーツァルト愛好会 第257回例会で当日配布した資料より転載)  

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1973 グラインドボーン音楽祭のフィガロ LD

 *主な配役

 伯爵:     ベンジャミン・ラクソン      

 伯爵夫人:  キリ・テ・カナワ

 フィガロ :  クヌート・スクラム

 スザンナ:  イレアーナ・コトルーバス

 ケルビーノ: フレデリッカ・フォン・シュターデ                                                             (クリックすると大きくなります)

 演出: ピーター・ホール

演奏: ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラ

     グラインドボーン音楽祭合唱団

 指揮: サー・ジョン・プリッチャード

 (1973年 グラインドボーン音楽祭 ライブ録音、録画)

 

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<今回のプログラムのグラインドボーン音楽祭は、今世界で最も

切符のとりにくいフェステバルの1つとされていますが、当会きって

の英国通 紺野さんは昨年のドン・ジョバンニをはじめ何回も行かれているということで、

何ともうらやましい限りです。

本日は当初紺野さんのお話を交えながらヴィデオ鑑賞を進行させる

つもりだったのですが、何分にもヴィデオが三時間たっぷりかかるために、

トークの時間がとれないので、事前に行った紺野さんとのトークを掲載することと しました。>

 

 


福地勝美 (以下 F): 今日は紺野さんのグラインドボーンについてのお話を交えて

    ヴィデオ鑑賞しようと企画したのですが上記の次第で申しわけありません。

    その代わりといっては何ですが、このトークで少しでもグラインドボーンの魅力

    などについてお伝えできればと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします。

 

紺野信寿(以下 K):こちらこそよろしくお願いします。

    まあこのグラインドボーンは、会員制の小さなオペラ劇場で、シーズンも限られて

    いて、イギリス人でも行くのが難しいのです。創立以来モーツァルトを中心にやって  

    いるので、われわれモーツァルト・フアンには嬉しいですね。

  

F:  最初に、私自身はグラインドボーン音楽祭にまだ行っておりませんので資料の受け売

    りでフェステバルの概要をご紹介したいと思います。

    グラインドボーン音楽祭は、ロンドンから約65キロの郊外サセックス・ダウンズの

    広大な敷地内に1934年大地主のジョン・クリスティという音楽愛好家が個人で開設

    したオペラ劇場で始まったということです。

    熱烈なワグネリアンであったクリスティは、最初ワーグナー楽劇の上演を目論んでいま

    したが、愛妻のソプラノ歌手オードリー・マイルドメイのアドバイスでモーツァルト

    中心の演目に変更したとのこと。

    (マイルドメイの歌唱はブッシュ指揮のフィガロ、ドン・ジョバンニの復刻CDで聴けます)

    当初は定員300名程度の小規模(最終的には830名に増設)だったが、創立60年

    の1994年に、定員1200名の新劇場に建て替え再出発しました。

    この頃NHK=BSで『羊とブラックタイの音楽祭』という題の特集番組が放映

    され、この音楽祭が日本でも一般に広く知られるようになりました。

    本日のLDは取り壊されて今はない旧劇場で収録されたものです。

     紺野さんはこの旧劇場では、何かご覧になられましたか?

 

K:  19786月に「魔笛」を観ました。

    アンドリュー・デイヴィスの指揮、フェリシティ・ロット(パミーナ)、レオ・ゲーケ

    (タミーノ)、シルヴィア・グリンバーグ(夜の女王)、ベンジャミン・ラクソン(パパ

    ゲーノ)などでした。何か田舎の倉庫のような船底天井で、舞台も狭かったですが、

    演出はジョン・コックスと言う人で親しみやすい雰囲気でしたね。

    テレビ中継で働いている人も、みなディナージャケット(イギリスではタキシードを

    いう)だったので、びっくりしました。

 

F:  コックス演出の魔笛はハイティンクの指揮によるものがLDで観られます。

    夜の女王以外は殆ど同じキャストです。

    この魔笛は、コックスの演出もさることながら、太陽をモチーフにしたデビッド・

    ホイックニーの美術で有名ですね。後年更に徹底したコンセプトでメトの舞台に転用

    され、これはレバイン指揮でLDになっております。

     さて、グラインドボーン音楽祭はヨーロッパ楽壇への登竜門としても有名で、

    手許資料によると、ニルソン、ベルガンサ、フレーニ、パバロッティ、カバリエ

    ライモンディ、バトル、キャロル・ヴァネス等がこのフェスティバルでの成功に

    よりスターへの道を歩み出しております。

    ちなみに、テレサ・ベルガンサは1958年、この音楽祭にケルビーノでデビュー、

    絶賛を博し、翌年チェレネントラのタイトル・ロールの大成功により一躍スターダムに

    上ったということです。

    本日観る1973年のフィガロでは主役の2人、キリ・テ・カナワとフレデリッカ・

    フォン・シュターデという(どちらもまだ現役ですが)20世紀後半を代表する

    モーツァルト歌いがグラインドボーン・デビューしました。

    フレデリッカ・フォン・シュターデはこの成功により、カラヤンに翌年のザルツブルグ

    音楽祭のフィガロ(ケルビーノ)に招聘されています。

     紺野さんは、この二人の舞台は、フィガロに限らずどんなものをご覧になっていらっ

    しゃいますか

 

K:  フォン・シュターデは残念ながら聴いたことがありません。

    キリ・テ・カナワは19781月にロンドンのコヴェントガーデン(ロイヤルオペラ)  

    で、「こうもり」のロザリンデで出たのを観ました。

    「こうもり」は縁起の良いグランドオペラで、ヨーロッパでは年末年始にやるところが

    多いですね。ズービン・メータの指揮、相手役のアイゼンシュタインはヘルマン・

    プライ、2人とも絶頂期でしたね。

     その後1997年には、日本でNHK交響楽団、アンドレ・プレヴィンの指揮、

    ジャズのナタリー・コールと共演した楽しい演奏会があり、これも聴きました。

 

F:  私は逆にキリの生の舞台を観ておりません。

    フォン・シュターデは1987年ザルツブルグでレバイン指揮のフィガロ(ケルビーノ)、

    で観ました。この時の演出はポネルだったと記憶しています。

    1979年のベーム=ウイーン・オペラ来日公演のヘルゲ・トマ演出と同じく2幕の

    <さあ、ひざまづいて>のケルビーノが着替えをするシーンで、後姿の裸の肩をチラッ

    と見せるところが、日本公演でのバルツァよりずっとチャーミングで劇場内一瞬シーン

    と静まり返ってしまったのがとっても印象的でした。

    歌はうまいのですが、抜群の美声という訳ではなく、やはり舞台姿が映えるというのが

    彼女の魅力でしょうか? これもスターの重要な要件ですから。

    日本盤は出なかったと思いますが、ロンバールと組んで、コシ・ファン・トゥッテ

   (ドラベルラ)や、デ・ワールト指揮で薔薇の騎士(オクタビアン)を録音しています。

     その薔薇の騎士のレコード・ジャケットでの艶やかさといったら、数ある

    オクタビアンの中でピカ一です。 

     華のある人ですから、80年代のメトをはじめとするガラ・コンサートの常連で、

    昨今のゲオルギューのように、必ずいい所で登場していました。

    エピソードも多く、20歳を過ぎてから音楽の勉強を始めそれまで楽譜が読めなかった

    とか、ニューヨークのティファニーで働いていたとか、十代の頃の数年パリにホーム・   

    スティしたことからフランス贔屓であることなどが知られています。                       

    <ティファニーの売り子からメトのスターへ>というシンデレラ・ストーリーの主人公、

    まさにアメリカン・ドリームの体現者ということなんでしょう。

    フォン・シュターデのケルビーノは、当時前記のカラヤン=ザルツブルグ公演の実況録 

    音が、後藤美代子アナウンサーの解説によりFMで放送されたのを、ラジオにかじりつ

    いて聴いた記憶があります。その時、録音したカセットが残っているはずです。

    CDではカラヤン、ショルティの全曲盤でいずれもケルビーノを歌っていますが、

    圧倒的にカラヤン盤のほうがいいですね。ショルティ盤では、キリが伯爵夫人を歌って

    いますが、フォン・シュターデはコンディションが悪かったのでしょうか、覇気に欠け

    精彩がありません。ショルティとは、80年のパリ・オペラ座ライブ映像でケルビーノ

    を歌っていますが、ここでも、照明が暗いせいか老けてみえパットしません。

    フォン・シュターデのケルビーノを観るなら、本作のLDが一番と思います。

    

F:  次にキリ・テ・カナワですが、

    ご承知のように、キリ・テ・カナワは、大分前から活躍の場をコベントガーデン

    ロイヤル・オペラからニューヨークのメトロポリタンに移してしまったわけです。

    にもかかわらずというか、1982年 王室から男性のサーにあたるデイムの称号を

    授与されております。近年オペラ歌手でデイムに叙されたのは、他にジャネット・

    ベイカーがおります。 サザーランドはどうだったでしょう。

    これは、王室主催チャリティにノー・ギャラで出演させるための秘策という穿った噂   

    もありますが、イギリスでのキリの人気というのは如何なのでしょう。

 

K:  イギリスの王室では、英国楽壇に貢献した人の多くにKBE(Knight of British Empire)

    サーやデームを授けていますね。ショルティ、メニューヒン、ハイティンク、先ほどの

    アンドリュー・デイヴィスなど、女性ではベーカー、サザーランド、キリ・テ・カナワ

    などなど。イギリス人は自分たちの連邦(コモンウェルス)から出てきた人たち、サザ

    ーランド(オーストラリア)やキリ(ニュージーランド)などを応援する気持が強いの

    ではないでしょうか。特にキリはマオリ族の出身ですしね。

    一方キリは日本が大好きなんだそうですね。お相撲を観に行って千代の富士とちゃんこ

    鍋を食べたりして。

 

F:  キリ・テ・カナワの日本での評判は、今一で大味で繊細さに欠けるという評が多いよう

    に思います。キリといえば二言目にはマオリ族出身といわれ一種の偏見がついてまわっ

    たようで気の毒な気がします。

    高橋英郎先生はこのLDについてキリ、フォン・シュターデとも若く未熟でその後の

    LD、CDの歌唱に劣ると評されていますが、私はそう思いません。

    歌唱力はそうでも、デビューしたてのういういしさ、若さの魅力は何物にも代えがたい

    ものです。キリには、<ヤング・キリ>というCDがあり、まだ駆出しの無名時代の録

    音が聴けます。本人は抹消したい思いもあるかもしれませんが、大スター、キリの若き

    日の声かと思えばこれまた何ともいえぬ味があります。

    キリのフィガロの映像には、本作のほかにポネル演出、ベーム=VPOの映画があり、

    同じく伯爵夫人を演じています。(高橋先生はこちらを高く評価)凝った演出で、

    アリアを歌っている最中の表情をクローズアップし、心の声を訴えさせるという手法を

    多用していましたが、そこはやはりオペラ歌手の限界で、本職の俳優とは違い、表情で

    感情表現を表わすのは無理というもの。ことに、2幕冒頭のアリアの長い前奏の間中、

    ただキリの表情のみアップで写されると観ているこちらのほうが気恥ずかしくなり、

    画面から目をそらせたくなってしまい困りました。

     しかし、キリには若い頃からスターの風格があるのを、今回のヴィデオを観てあらた

    めて痛感しました。スターのオーラというものが出ていますね。

     紺野さんはキリについてはどういう印象を持たれていらっしゃいますか?

 

K:   ベームのフィガロのLDはポネルの演出で、回想や自問のシーンには、歌はバックで

    流して、画面では歌わない演技なのですが、私はあまり違和感はなかったですね。

    むしろキリはドミンゴのオテロでのデスデモーナで堂々の演技をしているし、

    カレーラスとのウェストサイド・ストーリーではバーンシュタインが絶賛しています。

    マイフェアレディーのエライザも歌っているし、すごく幅の広い人ですね。日本で

    マオリやアフリカ系の歌手について偏見があるなら、それはおかしいと思うのです。

 

F:   指揮者のサー・ジョン・プリッチャードですが、この人はグラインドボーン音楽祭の    

    アシスタント指揮者から出発し音楽監督までのぼりつめましたが、グイやハイティン

    クというマエストロたちに並ぶとちょっと見劣りするように思えます。

    後年待望のサーに叙され、VPOとのイドメネオ録音により真のマエストロへの道を

    踏み出した直後にガンのため亡くなった悲運の人という印象を持っています。

    わが国には、1970年万博の年、来日直前急逝したサー・ジョン・バルビローリの  

    代役として急遽来日、ニューフィルーハーモニアを指揮しました。

    私はその公演を聴いたのですが、代役とはいえオケの統率が今一で見ていて何とも

    歯がゆく感じたのを覚えています。   

    (資料によれば、初来日はその前年で LPOを帯同して登場している)

    その後グラインドボーンの音楽監督からケルンオペラを経てBBC響のシェフに転じ、

    BBCのシェフは夏の名物プロムスのシェフを兼ねるためプロムスでも活躍したわけ

    です。89年のプロムス・ラスト・ナイトに、既にガンのため勇退を表明していた

    サー・ジョンが特別出演し椅子にすわったまま1曲だけ振ったあとで、聴衆に引退

    のメッセージを伝えると満員の聴衆から暖かい万雷の拍手が贈られました。

     当時、BS放送のライブで観ておりまして、とっても感動的な光景にこちらも瞼が熱

    くなったということを覚えています。

     (この数ヶ月後の125日、奇しくもモーツァルトの命日に亡くなっています)

    紺野さんは、イギリス赴任中 LSOコーラスのメンバーとして活躍され、

    バーンスタインとも共演されたという驚異的な体験をお持ちですが、

    プリッチャードとは共演された思い出はございますか?

 

K:  大きな思い出があります。

    198079日、これは私がロンドン駐在から帰国する直前でしたが、セントポール

    大聖堂でベルリオーズのレクイエムに出たのです。オーケストラはフィルハーモニアで

    した。このレクイエムはすごくスケールが大きくて、ああいう大聖堂でやるのにふさわ

    しいですね。コーラスは私達とブライトン・フェスティヴァル・コーラスの合同で300

    人ぐらいいました。セントポール大聖堂はご承知のように平面が十字架の形をしていま

    すが、その中心のところにオケとコーラスを置いて、両翼とキューポラの上に4群の

    バンダ(金管)を据えるのです。「怒りの日」の章では16個のティンパニ、大太鼓、

    8つのシンバルが咆哮して最後の審判をあらわし、「不思議なラッパ」の章では4群の

    金管が左右と天井から鳴り響くのです。 この時の指揮者がプリッチャードでした。

     そのちょうど1年後の同じ場所でチャールズ皇太子とダイアナさんの結婚式があっ

    たのです。そしてそこでキリがヘンデルのアリアなどを歌ったと記憶しています。

    あれから20年以上たって、あのレクイエムは悲劇の結婚の序章となったようで、

    感慨無量ですね。

     その前に1977年5月、コヴェントガーデンで、彼の指揮で「愛の妙薬」も観たの

    ですが、これはあまり良く覚えていません。

    亡くなったのは1989年ですか。グラインドボーンの下積みから、ロイヤルオペラ、宗教

    音楽まで本当にイギリスの楽壇で活躍した人でしたね。

 

F:  本日は有難うございました。

    今回は他の主役たち、 フィガロのクヌート・スクラムやスザンナのイレアーナ・コトルーバスに

      触れることができなかったことが心残りです。

    そのほかにも、まだまだお伺いしたい貴重なお話が山ほどあるようです。

    今後も折りにふれ、お話し下さい。         


<参照資料>

・続 思いっきりオペラ この声が魅了する  〜本間 公 宝島社
・ヨーロッパの音楽祭  高崎保男編(中矢一義) 朝日新聞社


(附)フィガロの映像をめぐって

 

@ベーム指揮    

 

映画版  LD

ポネル演出

VPO

 

F=ディスカウ、キリ、プライ、フレーニ 

Aベーム

日本公演ライブ

トマ

VPO

ヴァイクル、ヤノビッツ、プライ、ポップ、バルツァ

Bショルティ

LD

 

パリオペラ座

ヤノビッツ、シュターデ

Cスミス

LD

P・セラーズ

VSO

 

Dガーディナー

LD

 

シャトレ座ライブ

 

Eアバード

LD

J・ミラー

VSO

ライモンディ・スチューダー

Fプリッチャード

LD

コックス

LPO

(1973年グラインドボーン音楽祭ライブ)

Gバレンボイム

 

BS

クプファー

ドレスデン歌劇場

 

    

福田代表(当時)から、今回例会のフィガロ映像の選択を依頼され上記手持の中から選んでみました。

まず BCDEは既に以前の例会で放映済み、Aはオペラ・リリカで紹介済みということで除きました。

 残る@FGから選択ということになり、@はあまりに有名な映像なので、既に

当会会員の多くが観ておられること、Gもまた昨年のBS放映なので観た方も多いかと

考え合わせ Fに決めた次第です。

上記消去法で選んだ結果、約30年前の映像となった訳ですが、考えてみると

キリ・テ・カナワ、フレデリッカ・フォン・シュターデという20世紀後半を代表する2人の

モーツァルト歌いのデビュー当時のフレッシュな映像が観られること、

若手登竜門として知られるグラインドボーン音楽祭、それも今はない旧劇場の映像ということで

2000年度、最後の例会として、また時あたかも卒業・新入学のシーズンにまことにふさわしい選択

となったのではないかと自賛しています。(注:この例会を最後に福田代表は勇退し、播磨新代表にバトンタッチされた)


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