mini日録   7月


音楽大学夏季講習 3日目
Date:2002/07/31(Wed) Nr.2    
    音楽大学夏季講習が終わりました。

たった3日間でありますが、何がわからないのか
ということがわかっただけでも収穫と思います。
 う〜む… 負け惜しみくさいか (^^;)

さて、今日の昼食は (こればっかり (笑))
5号館まで遠征し キャフェテリヤ定

「ケータイ家族物語」終了!
Date:2002/07/31(Wed)    
    TV・CM「ケータイ家族物語」が今日で終了とのことです。
 
こういう企画で思い出すのは、もう20年くらいになりますか、キリンビールで
<父:勝 新太郎、 再婚する新妻:松坂慶子
ほか>という企画が開始早々 勝新の大麻事件が起きたため即座に放映中止、撮影済みのものもお蔵入りといった事件がありましたね。
 今回のキャスト選定には、スキャンダル発生可能性なしが絶対条件だったんでしょう。あいちゃんも悪い虫がつかなくてよかったね。鈴木京香、このCMのおかげで、堤と結婚できない?

フライデーや女性自身の発売前夜、ひやひやしどうしだったのは、代理店とDOKOMOの広報だったでしょう。 
 無事に何事もなく終了してよかったですね。
\(^ o ^)/ 

<能書き>
「ケータイ家族物語」とは、ドコモ10周年を記念して作成された連続ドラマCMです。携帯電話を通じての会話やメールにより、離れて暮らす家族の絆が深まっていく姿を捉えていく物語です。
 なまず研究家の父・田村正和が研究のために家を出て琵琶湖の近くの研究所へ、さらに長女・鈴木京香は結婚して仙台へ、長男・坂口憲二は就職して金沢に、次女・加藤あいは大学進学で東京で一人暮らしを始めるところから物語は始まります。このCMは半年間、全10作品に加え「プロローグ」篇、「エピローグ」篇(計12作品)で展開します。

詳しくは→
(早く見ないと、こちらもクローズされちゃうかも?)
http://www.k-taikazoku.net/index.html
http://www.mobile.k-taikazoku.net/str/back/st-00.html

音楽大学夏期講習
Date:2002/07/30(Tue)    
    音楽大学夏期講習2日目。
U崎先生による和声法と対位法入門講義だったが……
 う〜む、難しい!!

慣れたのは、食堂の昼食 (^^;)
 昨日はAランチ、今日はBランチ…
 

音楽大学夏期講習
Date:2002/07/29(Mon)    
    今日から3日間 K音楽大学の夏期講習に
通っています。

音楽基礎理論講習で初心者向けとなってましたので応募したのですが、中味は結構ハード、受講者の大半が音大OBの様子、初見譜歌唱等あり大汗をかきました。
う〜む、なさけない(^^;)
明日は和声法、対位法とのことで戦々恐々としています。(笑)
 
 

  夏の風物詩!篠原風鈴本舗
Date:2002/07/28(Sun)    
    毎年 夏になると各TV局のおねえちゃんアナウンアサーが入れ替わり立ち代り、取材(邪魔)しているが…

ついにTV−CM 「金鳥の夏」に進出(出演)!!

東京で唯一の江戸風鈴作りの出たがり屋のご主人、本望? 

先日はNHK 昼プレ に一家総出で出演していた。
たしか、10年前くらいに出たときは、後継者がいないとかこぼしていたが、今は、息子さんも一緒にやってるらしい、
さらに 美大出のお嫁さんも 絵付けをやってるとか… よかったですね!!

検索したらなんと HPもあった!!通販もしちょります。
(美大出のお嫁さんの担当?)
中に、篠原儀治が苦労話、現在の話、などを綴る随筆もあって数奇な半生を述べておられる!
→ http://www.edofurin.com/
 
 

画家 長谷川利行
Date:2002/07/27(Sat)    
    今夜のテレ東 「美の巨人たち」は
画家 長谷川利行(ハセカワ・トシユキ 通称リコウ)の特集。
 以前、竹橋の近代Mで何点か見て感銘を受けたことがあります。

★ 例によって、大百科によれば…
・長谷川利行 はせがわとしゆき 1891‐1940 (明治 24‐昭和 15)

洋画家。京都府の出身。はやくから文学に親しみ,1919 年には歌集《木葦集》を出版。 21 年上京し,大衆小説を書きながら画作に没頭。度重なる落選の後,帝展,二科展に入選。 27 年二科展出品の《麦酒室》などで樗牛賞を, 29 年には,1930 年協会賞を受賞した。生活は,放蕩,無頼をきわめたが,その激しく大胆な色調と筆触とによって,日本的フォービスムを代表する一人といえる。     山口 泰弘

<関連>
一九三〇年協会

美術団体。 1926 年 (昭和 1) 5 月,小島善太郎,木下孝則,里見勝蔵,前田寛治,佐伯祐三によって結成され,東京・京橋の室内社に滞欧作を陳列して第 1 回展を開いた。いずれもフランスに留学してエコール・ド・パリの雰囲気の中で修業した画家たちで,既成画壇の陳腐を排し,尖鋭化するプロレタリア美術に対抗し,芸術の純粋を求めるというのが趣意であった。会名はミレーやコローが結んだ 1830 年派に倣ったものである。第 2 回展から公募し,30 年 1 月の第 5 回展までに宮坂勝,中野和高,中山巍,木下義謙,林武,古賀春江,川口軌外,野口弥太郎,伊原宇三郎,児島善三郎,福沢一郎らを会員に加え,フォービスムを基調とする清新な運動を展開した。靉光,井上長三郎,長谷川利行,藤川栄子,大野五郎らが協会賞を得ている。 30 年秋,会員の多数が独立美術協会の創立に参加し,解消した。

<主な公開されている作品>
『 田端変電所 』 1923 (T12) 広島県立美術館
『 瓦斯会社 』 1928 (S03) 茨城県近代美術館
『 浦安風景 』 1928 (S03) 府中市美術館
『 岸田国士像 』 1930 (S05) 東京国立近代美術館
『 前田夕暮像 』 1930 (S05) 東京国立近代美術館
『 カフェの入口 』 1930 (S05) 府中市美術館
『 鉄工場の裏 』 1931 (S06) 東京国立近代美術館
『 女 』 1932 (S07) 京都国立近代美術館
『 赤い少女 』 1932 (S07) 板橋区立美術館
『 少女 』 1935 (S10) 群馬県立近代美術館
『 少女 』 1936 (S11) メナード美術館
『 上野廣小路附近 』 1936 (S11) 宇都宮美術館
『 ハーゲンベックのサーカス 』 1936 (S11) 福岡市美術館
『 荒川風景 』 1937 (S12) 府中市美術館
『 大島の海 』 1937 (S12) メナード美術館
『 新宿風景 』 1937 (S12)頃 東京国立近代美術館
『 動物園風景 』 1937 (S12)頃 石橋美術館
『 花 』 不明 府中市美術館
  HP:http://www2u.biglobe.ne.jp/~fisheye/artist/jyouga/hasegawa_toshiyuki.html より

<略歴>
1891年 京都山科に生まれる。
1911年 『みずゑ』主催の水彩夏期講習会に参加。
1919年 歌集『長谷川木葦集』を私家版で発行する。
1921年 この頃時折上京、生田蝶介との縁で『公団雑誌』に<浄瑠璃坂の仇討>を発表する。岩田専太郎、矢野文夫を知る。
1923年 新光洋画展に<田端変電所>が入選。
1925年 二科展、帝展に応募したが落選が続く。大阪府主催の第3回大阪藝術展で受賞。
1926年 二科展に<田端電信所>が初入選(反対がほとんどだったが正宗得三郎が激賞)。帝展に<廃道>が入選。
1927年 1930年協会展に<陸橋みち>他2点が入選。二科展に<酒売場>などを出品し、樗牛賞を受賞。
1928年 1930年協会展に<地下鉄道>などを出品、奨励賞を受賞。
この頃、里見勝蔵、藤川栄子、靉光、井上長三郎、麻生三郎、吉井忠、寺田政明らとの交流が始まる。
1929年 日暮里を離れ、浅草近くのドヤ街に住む。
1930年 二科展に<タンク街道>などを出品する。以後、1937年まで二科展出品を続ける。
1932年 天城俊彦(本名 高崎正男)を知る。(天城は1936年新宿に天城画廊を開き、2年間で10回以上の個展を開催した。)
1935年 アモレ画廊で初の個展。
1936年 天城画廊で5回の個展開催。この年から翌年にかけて、ガラス絵に熱中。
1937年 新宿旭町に移る。一水会展に<ノアノア>などを出品。天城画廊で8回の個展を開催。矢野文夫と大島に小旅行する。
1938年 天城画廊で6回の個展開催。浅草に移る。
1939年 健康状態が目に見えて悪化、ひどい胃痛に悩まされる。矢野文夫の提案で、四宮潤一に一通りの手ほどきをうけて水墨画を制作する。
1940年 5月三河島の路上で倒れ、東京市養育院に収容される。10月12日逝去。
 HP:http://www.fgallery.com/data/artist/t_hasegawa.htm から
 
 
No.69