モーツァルト・エッセイ


 

ハ短調」から「ダヴィデ」へ ;「ダヴィデ」から「ハ短調」へ 

      解説:  カンタータ《悔悟するダヴィデ》


 カンタータ《悔悟するダヴィデ》は、よく知られているようにオリジナルな作品ではない。

即ち、1785年ウィーン音楽芸術家協会が3月に行う音楽家の未亡人たちのための慈善演奏会用に

新しい声楽曲を書く約束をしたモーツァルトは、作曲の時間がなかったので、1783年に作曲した

未完成の《ハ短調ミサ曲 K427》に2曲のアリアを加えて間に合わせた、と伝えられている。

このことから、例えばアインシュタインが「はなはだしく分裂した作品」と評しているように、

ネガティヴな視点で語られることが多いのは、この曲を愛する者にとって、大変残念なことだ。

 (因に、3月にブルク劇場で行われた初演コンサートには、偶々ウィーン訪問中だった、モーツァルトの仇敵、

    ザルツブルクのコロレド大司教が出席したとされている。いろいろな意味で因縁に包まれた作品である)
 

 たしかに、この曲は、《ハ短調ミサ曲》前半のキリエ〜グロリア部分に2曲のソロ・アリアを加えた

ものだが、稀代の傑作が未完に終った理由を解明する点からも重要な資料となる。

(ここで詳述できないが、モーツァルトが、《ハ短調ミサ曲》をクレド以下を持たない「キリエ・グロリア・ミサ曲」

  と認識していたことの表れとの推定も可能か?)
 

この曲の奇妙な題名や、歌詞中にダヴィデの名が登場しないことについて一言すると、
「改悛詩篇 Busspsalm」と呼ばれる 第6、32、38、50、102、130、143編の旧約聖書詩篇に

由来する同名の宗教曲が少なからず存在していた伝統をふまえたもののようだ。
ダ・ポンテ作と考えられている歌詞の中で、直接詩篇聖句の影響がうかがえるのは、わずかに

第6曲前半=詩篇130編くらいで、聖句の趣旨は、巧みにイタリア語歌詞に織り交ぜられている。

(今回は、残念ながら、同時代の同タイトル作品との比較・検討ができなかった)
中世以来のラテン語訳聖書しか認められていなかったカトリック圏においては、一般人に聖書の内容は

理解しがたいものであった。そこで好まれたのが、世俗語によるオラトリオである。

因みに、本作も旧モーツァルト全集では、「オラトリオ」とされていた。

曲を理解するには、原曲である《ハ短調ミサ曲》との比較・照合を抜きにするわけにはいかない。

以下に《ハ短調ミサ曲》との照応を掲げる。
 

 1 合唱「私は主に対して哀れな声をあげました」ハ短調 =原曲 キリエ   
 2 合唱「われら栄光を歌わん」ハ長調   =原曲 グロリア
 3 アリア「不快な心配事から遠く離れて」ヘ長調=原曲 ラウダ・ムステ
 4 合唱「いつまでも恵み深くあって下さい、おお神よ」イ短調」
      =原曲 グラティアス
 5 二重唱「立ち上がり、おお神よ、あなたの敵を追い散らしてください」
        ニ短調 =原曲 ドミネ    
 6 アリア「数知れぬ苦しみのさなかで」 変ロ長調 (新作)
 7 合唱「もしお望みなら、私を罰してください」ト短調 
      =原曲 クイ・トリス
 8 アリア「小暗く、不吉な影の中で」 ハ短調〜ハ長調 (新作)
 9 三重唱「私は希望のすべてを、あなたのうちに置きました」ホ短調 
      =原曲 クオニアム
 10 合唱「神のみに望みを繋ぐ者は」ハ長調 
      =原曲 クム・サンクト・スピリトゥ
 
 
この部分の構成は、『小学館版モーツァルト全集第10巻・解説』を参考にした。
   また各曲のタイトルは同書から引用した)


ところで、昨年来この曲は別の意味で、俄かに注目を集めている。即ち、米国のモーツァルト

研究者で作曲家、ピアニストのロバート・レヴィン(《アーメン・フーガ》を使ったレヴィン版モツレクで有名)

が新しく補作した《ハ短調ミサ曲》において、欠落していた「アニュス・デイ」に、この曲の

第8曲のソプラノ・アリアを転用したのである。

これは、モーツァルト自身が、《戴冠式ミサ曲 ハ長調 K317》の「アニュス・デイ」を後年、

《歌劇フィガロの結婚》の中の伯爵夫人のアリアに転用した事例の顰(ひそみ)に倣ったものか!

    逆の例とはいえ、「コロンブスの卵」のような粋なアイデアである。
まさに、「《ハ短調ミサ曲》から出でしものが、《ハ短調ミサ曲》に帰った!」
その新補作は、昨春カーネギーホールにおいて華々しい門出を祝った後、世界各地でお披露目

されている。近い将来に、当合唱団で取り上げられることを密かに期待している。                     

注:本稿
は、「マタイを歌う会」による《悔悟するダヴィデ》公演のプログラム解説に加筆したもの。

  執筆にあたっては、ベーレンライター版新モーツァルト全集(NMA)序文を参考にしたほか,

  礒山雅氏の講演に示唆を受けた。
 


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