アマデウス箱 から〜



アマデウス・ディレクターズカット版を観て  (2000.10.19)


もう映画「アマデウス」 ディレクターズカット版をご覧になられましたか?   

見られた方には確認と、まだの人にはちょっと無粋だけれど?
旧版になくて、 今回新たに加えられた箇所を、お教えしちゃいましょう!!
  (余計なお世話だって…… まあ、そう言わずに (笑))

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(*所有するレーザー・ディスク及び キネマ旬報 1985年 902号所載の文責採録とに照らしてみたところ、今回新たに加えられた主な箇所は、次の5箇所と思われます)

1) コンスタンツェがモーツァルトに黙って楽譜を持ち出してサリエリ宅を訪れ、
   夫を皇女の音楽教師に推薦してほしいと懇願し、楽譜を見たサリエリはその音楽の完璧さ    
   に驚愕する。ここまでが旧版のシーン。それに続いて、
   「依頼には謝礼が必要だ、今夜 私のもとを訪れることだ」と
   コンスタンツェを口説く場面が加わった。

2) いったんは拒否したものの、それに呼応してコンスタンツェが、その夜サリエリ宅 を訪れる
   シーン。
   覚悟を決めたコンスタンツェは、衣服を脱いで迫るが、サリエリは冷たく拒絶し、 召使に命じ  
   て彼女を追い出す。    (ここで話題のコンスタンツェのヌード・シーンが登場します)
   二重に自尊心を傷つけられたコンスタンツェは、泣きながら自宅のベッドに伏せる。
   コンサートから帰宅したモーツァルトは、事情の分からぬまま泣き崩れるコンスタンツェを優し  
   く抱擁する。

3) サリエリと ヨゼフ2世の会食シーン。
   皇女の音楽教師としてモーツァルトは「生徒にみだらな行為をした事実があり不適」  
   と進言するサリエリ。

4) サリエリに金策を申し込むモーツァルト。
   その代わりに、裕福な市民 ミハエル・シュルンベルグ Michael Schlumberg
   の娘の音楽教師の口を紹介され訪問するが、あまりに無作法・無教養な一家に激怒 し
   「犬が音楽を聴きたくなったらまた呼んで呉れ」と、啖呵を切って退出する。

5) 数年後、零落したモーツァルトが同家を再び訪れ、音楽教師を申し出るが拒絶
   される。借金を頼むがそれもすげなくされ、憮然としたまま追い出される。

*上記のほかに、こまかいところで、
  1)の コンスタンツェ登場の前に、サリエリの召使がサリエリに
  『見知らぬご婦人がご面会です』と告げるシーンがこれまではなかった。
 (旧版では、コンスタンツェの待つ部屋にサリエリが入っていくところから始まる)
  などに、気が付いた。(まだ ほかにあるかも?)   
    
 因に海老澤先生によるプログラムの解説は
<夫のためにサリエリに自分の肉体をゆだねようと決心するコンスタンツエの、モーツァルトへの愛、窮乏のモーツァルトが金持のところへ かねの無心に訪れる落魄の哀れな情景。これらはいずれも純然たるフィクションであるが(中略)旧版のいささか唐突な場面転換などの理解に、大きな手助けを与えてくれるのだ。>
    〜と、しています。

 3)については、戯曲「アマデウス」中にも登場するが、他のシーンは戯曲にもなく
映画オリジナルのものと思います。
 (もちろん、3)も一級資料にはなく創作と思われます。モーツァルト・ファンの皆様 ご安心を!)
 それぞれの場面が加えられたことにより、海老澤先生の指摘の通り、
旧版で唐突あるいは説明不足と思われた場面転換の意味が明確化されたわけです。
 
 また、2)のシーンは、1984年旧版公開 当時においては 観客にとても受け入れられそうもなく(旧版のみでも十二分に衝撃的であった!!) これを回避したのは賢明な措置と思います。(戯曲にはありましたが……)
   
 さて 大きな問題は、 今回のディレクターズカット版で初めて登場した
4)の裕福な市民 ミハエル・シュルンベルグ Michael Schlumberg という人物のこと、
 これは果たして 実在の人物? 架空の人物? またこのエピソードは、事実・
創作???         
(もちろん戯曲中にもないし、海老澤先生は純然たるフィクションと軽く斥けているけれ ど…)

 モーツァルト関連人物の日本語人名事典として最大のものと考えられる
白水社版モーツァルト書簡全集第六巻 巻末の人名索引をはじめ、その他の文献、東京書籍版「モーツァルト事典」、平凡社版「モーツァルト大事典」、白水社版 海老澤 敏著「モーツァルト」巻末索引等のいずれにも見あたらないところからは、やはり架空の人物なのでしょう。 

 すると、モデルは? ということになるが、
 無礼な応対に対する怒りについては、若き日のパリで就職斡旋の依頼に訪れた屋敷での不快なエピソードをもとにしての創作でしょうか? 
(1778年5月 ド・シャポー公爵夫人の応対に対する不満の手紙が遺されている)
 
次に ミハエル・シュルンベルグという名前からは
晩年のモーツァルトに度々お金を貸した人物として有名な ミハエル・プフベルグの名が思い浮かびます。
  ミハエル・プフベルグ ⇔ ミハエル・シュルンベルグ  
     う〜む…何となく似てますね!
 (プフベルグにとっては、モーツァルトの シンパ であったからして、このような
人物のために名前の一部でも使われるのは『迷惑・心外・不本意・残念!』なことでしょうが……)
 
 いずれにしても、終幕クレジットに ファン・スヴィーテン伯爵をはじめ、実在の人物名の並ぶ中、
 彼らに伍して堂々と? 映写される Michael Schlumberg という名!!
 シェーファー&フォアマン コンビの並々ならぬ思い入れ?が、うかがえて大変興味深いことであります。
 
 

《HP I教授の家 掲示板 10/12 ほかに投稿したものに修正・加筆しました。》


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