金満里ソロ公演

ウリ・オモニ

劇評

BHAVANI KRISHNA IYER

先日、KLPacにて行われた金満里のパフォーマンス『ウリオモニ』には、一本のピンが落ちるのも聞こえるほどの静寂があった。

態変の創始者である53歳の満里氏は三歳の時にポリオにかかり、その時から腰から下に重度の障害を持っている。
全シーンで満里氏は舞台の上を転がるが、彼女の障害は、作品の美しさを歪めることはない。彼女の機敏で繊細な身振りが雄弁に伝える。身振りは眼や唇や指、爪先によって形づくられていた。

『ウリオモニ』は満里氏の亡くなった母親で舞踏家だった金紅珠氏への思慕を表現している。

物語は彼女が胎児として演じるところから展開する、それは暗闇の中落ち着かず、物憂げで、未知に対しての恐れを見せる。
次のシーンでは感動的な象徴的な表現で、母と子の結びつきを表す。その母親は子を保護する存在として見える。そして満里氏は、それが永遠に続かないということを伝えながら、子供時代の無邪気さを祝う。
激しい苦痛と絶望が、韓国古典舞踊のスンムと呼ばれる葬儀の踊りにくっきりと投影される。満里氏の感情はこの上なく高まっていたが、音と光の効果は抑えられたものだ。黒い衣装とマスクに身を包んだ一人の助手が太鼓を持ち出して来た。
最後のシーンはドレスアップして豊かな振り付けで踊る満里氏をまるで天使のように見せた。そして彼女は黒い衣装とマスクの2人の助手達によって舞台から運ばれていった。

アクターズスタジオと国際交流基金の合同制作であった『ウリオモニ』はこのような幸せな雰囲気で終わりを迎えた。

満里氏は、身体障害者による世界で最初の劇団の芸術監督である。態変の発端は、身体障害者によって自発的にあるいは別の方法で表現される特異な動きは独特のものであり、美に転じられ得るという発想に基づいている。

態変はこの作品をスコットランド、日本、ドイツ、台湾で上演している。

1月29日付 New STRAITS TIMES ONLINE



感動的な動き チョイ・スーリン

 金が演じた作品は暗く、人生の残酷なねじれを十分すぎるくらいに理解しているかのようだった。冒頭で会場は闇に包まれており、観客が閉所恐怖心を感じるほどそれは続いた。その時薄暗いスポットの中に現れた頭とよじれる二本の腕、それは恐ろしい印象だった。

 黒いカーテンの下から体の他の部分も出てきた時、観ている事がより痛々しく感じた。その痛みはダンサーの身体の障害が本物であるという実感からきており、彼女の不安の表現はその障害を自然に反映したものであった。

 だんだん、身体全部が現れる。ファッション業界が勝手に決め付けた理想的身体、自分はそれよりも劣っていると思う人は皆、自分の身体を気にするだろう。しかしここで、金の障害は観客の前に完全に、しかも全く恥らいなく、さらけ出されている。

 動くために彼女は反動や体重を利用する。そうすることで舞台を転がったり這ったりし、座りながら方向を変えたりする。足をあちこち動かすためには手を使う。

 ”感覚のない”(障害の)体の部分が”感覚のある”(障害のない)部分についていく。”感覚のない”部分の必然的な動きが人の生命の最も奥の部分につながっている、ということを金は見せる。健常の部分もまたそのように動く。

 公演の間、私たちは彼女が赤ちゃんから韓国の太鼓打ちになり、ドレスを纏った花嫁に変身するのを見た。おそらくそれは彼女の母親の人生のフラッシュバックではないかと思われる。前提が何であれ、その変身は何度も衝撃を与えた。(後略)


2006年クアラルンプール公演より/The Star紙 2006.1.29付



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