京劇

 情報に流されやすい方だと思う。

 子供の頃に見たマンガの影響だろう。21世紀、人々は銀色にてかてか光ったつなぎを着、車は空を飛んでいるものだと信じていた。
 周りを見回してみると、そんなけったいなものを着ている人はいないし、車が空を飛ぶようになるにはもう少し時間がかかるみたいだ。

 だからと言っては何だが、テレビは極力見ないようにしている。情報は新聞などの活字メディアを活用している。動く情報というのは、インパクトが強く、意志の弱い私には刺激が強すぎるからだ。


 …ところが、見ちゃったのよね。

 その日の晩、見るともなしに見ていたのは、NHK。『地球に乾杯』というその番組の中で、中国の京劇が取り上げられていた。

 京劇というのは、中国の伝統的なお芝居で、日本の歌舞伎と似ているところがある。
 特筆すべきなのは、女形がいるということ。男性が、甲高い裏声で女性を演じる。
 歌舞伎と違う点は、歌舞伎は未だに女形は男性が演じているのに対し、京劇は女形という伝統がなくなりつつあるということ。女性の役は女優が演じ、男性の役は男優が演じるようになってきている。
 そうして、今や女形の演じ手は中国全土で3人しかいなくなってしまった。

 かの文化大革命の際、女形は弾圧の対象とされた。演目が次々と中止されたり、革命後の厳しい抑圧などで、女形はがっくりとその数を減らすこととなる。
 番組では、未だ現役として舞台を踏み、最期の女形といわれている、梅葆玖を追いかけていた。

 女形は、昔から演じられてきたものであったが、彼の父上がその技術を至宝のものにまで引き上げた。女性よりも、女性らしくあるためにはどうすべきか。
 たどり着いた先は、何とお釈迦様だった。お釈迦様の、手の型を模倣・網羅する事によって動作の美しさを醸し出しているという。
 確かに、梅氏が舞台上で演じる姿は、優雅ですべらかで、見ているものに浮遊感を与えるような心地よさがあった。…それが画面越しであれ。

 継承者に困った梅氏は、女形を女優、韓等伯に演じさせるという、苦渋の決断をした。
 しかし、彼女は女性であるが故に、女性としての立ち居振る舞いを改めて学ぼうとはしない。劇場で演じる、ヒロインの心情にしか目を向けていなかった。
 女性は、性が女というだけであって、生まれながらに『女らしさ』をまとっているものではないのだ。…梅氏の舞を見ながら、痛感させられる。

 私は確信した。女形は、梅氏で費えるだろう、と
 その信念を学び受けようと思わなければ、そこで文化は途絶えてしまうのよね。残念な事ながら。

 彼は、現在65歳である。彼が現役を退いてしまわない内に、目に焼き付けておきたい。そして、鳥肌の立つような浮遊感を、肌で感じてみたい。
 文化が途絶えてしまうなら、私はその語り部になろうと思う。歴史の生き証人として。


 …あ、でも欲を言うなら、美味しい飲茶も食べてきたいな(笑)。

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