Kabul, Afghanistan
藤原紀香もいったアフガニスタン、タリバン復活との報もありますが、まあ殺されることもなかろう、やっぱ行かなくっちゃ、といってきました。
無事帰還しましたので、例によってオフタイムの記録です。紀香のまねしてガキどもの写真も撮りましたぞ。
【2003年9月27日 土曜日】
ドバイにてチーム集合。
チケットを受け取り、夜、空港へ。
【2003年9月28日 日曜日】
早朝のアゼルバイジャン航空でバクー行きに乗る。
バクーでトランジット。カブールへ。午前、砂塵のカブール到着。
空気は乾燥し、秋のカブールの天気は素晴らしい。空港には旅客機や戦闘機の残骸、市内の建物には銃痕。倒壊した建物数多し。
市内をUNと大書し、衛星電話とGPSのでっかいアンテナをつけたランドクルーザーが走り回る。
Kabul Airport市内を歩く人々、足のない人多し。子供の数が多い。
インターコンチネンタル(といっても本家のこちらとは現在のところ無関係とのこと)に投宿。
前払い金をUSドルで現金払い。
View from Intercontinental Hotel午後からおしごと。
夕食は市内の中華レストランで。
なんと、中国人ウェイトレスがチャイナドレスを着て働いてる。
なんともたくましい。
3人連れの客と警察官(らしき人々)がなんだかもめている。小姐に聞けば、
「地元の人はお酒を飲んではいけない。酒を飲んでいるのでは、ともめている。」
とのこと。
警察官らしき連中が帰った後、従業員があやしげな紙袋(たぶん酒が入っている?)を客に渡している。
おいおい。
【2003年9月29日 月曜日】
終日おしごと。
Kabul Kids昼食は、藤原紀香も食べたというイタリアンレストラン。
ピザをいただく。夕食は、某法人の拠点にて自炊大宴会。
僕の担当は、ちらし寿司。
標高1800mの高地ゆえ、米がうまく炊けず、芯が残る。
【2003年9月30日 火曜日】
おしごと。
カブール市内を離れ、北方の山岳地帯へ。
途中の草原、激戦地だったようで戦車の残骸が数多く残る。
各国のNGOが地雷の処理に取り組んでいるが、それでも残る地雷原を示す紅白の石並び。4000m級の山並みが美しい。
A war tank was there.カブール市内に戻り遅い昼食をタイレストランで。
働くのはタイ人スタッフ。夕食は、引き続き自炊大宴会。
僕の担当は、麻婆茄子。
アフガンの野菜でつくる麻婆茄子はなかなかでしたぞ。夜中、クルマで走るホテルまでの道は不気味にガラガラ。
酔いがさめちゃいました。
【2003年10月01日 水曜日】
カブール空港からシャルジャ行きの朝8時発予定のアフガン航空便は、遅延。
16時発とのことで、市内に戻る。昼食を市内のインド料理屋でカレービュッフェ。
Many TOYOTA cars in Kabul city
Japanese text remains.市内には実に多くのトヨタの中古車が走っています。多くは日本の中古で、○○工務店とか日本語で書かれています。
アフガンの人々にはそこがカッコいいみたいで、黄色にペイントしたタクシーも日本語部分は黄色にペイントせずに残してあったりするのです。昼食後、市内の宝石店へ寄って散財し、空港へ。
飛行機はさらに遅延することはなく、無事出発。
夜、シャルジャ着。
シャルジャから陸路タクシーでドバイに戻る。アスコットホテルに投宿。
【2003年10月02日 木曜日】
午前、日本人のカブール関係者を訪ねてジュメイラビーチホテルへ。
海上に建つBurj Al Arabも凄い。
なんともアフガンとは別世界の豪華絢爛、アラブ世界の富の象徴。
圧倒されましたな。
Burj Al Arab
【2003年10月03日 金曜日】
ドバイ市内で買い物、散髪など。
夜の便で帰国なのだ。
【2003年10月04日 土曜日】
夜、花火の終わる頃に羽田着。
今年は海賊できずに残念。家に帰れば満開の金木犀の香り。
ああ、日本の秋はやっぱりいちばん素晴らしい。
追伸:
アフガニスタン、ドバイのインターネット、携帯電話事情はこちらを更新したのでよろしくどうぞ。