■日本共産党の綱領的冒険
  中国評価の変更と二段階論の微修正にも失敗し混乱を深めるばかり

   2020年1月22日   阿部治正

日本共産党が、党大会において綱領の一部改定を行った。中国への評価を、社会運動の到達水準から50年も60年も遅れて変更しようとしたが、しかし完全な失敗に終わり、新たな誤魔化しや矛盾を抱え込んでしまった。もうひとつの改定の目玉は、「発達した資本主義国での社会変革の大道は社会主義・共産主義への道」という観点の綱領への追加であるが、これも二段階革命論の微修正にさえ至らず、改定前の綱領との矛盾を深める結果となっている。以下、その問題点について指摘する。

■日本共産党党大会での綱領の改定について @
 画期的どころか時代遅れ! 欺瞞や誤魔化しだらけ


この数日間、日本共産党が党大会を開いて、綱領の改定などを行ったようです。なんでも、中国に対する評価を少しだけキツい方向に変えた。日本における社会変革について、かつてのような民主主義革命から社会主義革命へという二段階論をそっと引っ込めて、時間はかかっても直接に社会主義に向かう道だと書き変えた、ジェンダー問題や環境問題への対応を行ったということのようです。共産党員の皆さんは、素晴らしい、さすが我が共産党だと感激しきりのようです。

以下は、社民党員の阿部ではなく1人の社会主義者としての阿部の意見です。

中国に対して、もはや社会主義を目指す指導部に率いられた国ではないと言い始め、それをあたかも画期的な転換のように自賛しています。しかし、中国が社会主義社会でないばかりか、そこへ向かって進んでいる国でもないことは、すでに1950年代、60年代から多くの研究者、左翼グループ、活動家によって明快に論じられていました。大国主義や覇権主義についても70年代80年代からすでに強く指摘されていたことでした。その認識に数十年も遅れてやっと追いついたことが、何故そんなに画期的なことなのか、共産党員の皆さんの気持ちがわかりません。むしろ遅きに失したと怒らなければならない場面のはずです。

さらに、この中国評価の若干の変更はまぁヨシとしても、未だに中国の社会経済体制の評価については、内政干渉になるので語らないと言って済ませ、それを党員たちが素晴らしい見識だと絶賛している有様はどうでしょう。米国に対しては、資本主義の大国であり、その矛盾が噴出していると批判しておきながら。いったいこの人たちは「科学的社会主義」について何を知っているのだろうと、暗澹たる気持ちにさせられます。やはり、自分の頭で考えるということをしない、一種のカルト集団だということがよくわかります。

共産党の見立てとは違って、私は現実の中国については次のように見ています。革命前の中国は、資本主義の極めて未発展な封建的土地所有が基本の農民的大国でした。封建的関係に加え、列強帝国主義による植民地支配によって苦しめられていました。そのくびきを取り払うために、貧農階級による地主階級に対する徹底した反封建闘争=土地革命、帝国主義による植民地支配を一掃する革命として行われたのが、中国革命でした。こういう革命は、社会科学的には、普通はブルジョア革命と呼ばれます。中国の場合は、土地を持たない貧農とその利害を代表した共産党とが主体となって行った、急進的で徹底した、かつ巨大な歴史的意義を持ったブルジョア革命だったのです。

そして革命の結果は、自ずと列強の植民地支配と封建的生産社会関係からいかにして急速に抜け出すかを、最重要の課題として押し出しました。それなしには、中国は生き残れないからです。ソ連の体制も少し真似ながら、上からの強権に寄りかかりつつ、まずは小農民経済と小商品経済の土壌を作りだし、その上に軽工業や重化学工業を育てて、国を近代的な国民経済を有する国へと発展させることが必死で追求されました。

そのためにいったんは土地所有者=小農民となった農民大衆からの強収奪、小資本経営や一部の大経営とともに新たに形成され始めた労働者階級からの強搾取、そうして得た剰余労働・剰余価値のほとんどを国家のもとに徹底的に集中し、それを上から資本投下をして、強行的に国家資本の建設を図る。同時に小資本を集中してより規模の大きい国家資本に転化していく。中国では、すでに革命の直後から、小商品経済や資本関係を活用した国民経済発展が追求されたのです。

途中で、徐々に発展し始めた資本関係や格差の拡大に対する最初の大規模な反乱としての文化大革命の洗礼を浴びました。しかしそれを抑え込んで、「白猫黒猫論」のケ小平以降の体制の下で、資本主義的大国として急速に発展してきました。そして今や、EUや日本を凌ぐ資本主義的大国として台頭を遂げ、米国と渡り合うほどの力をつけるに至ったのです。

後進的封建的農民的大国にとって、他の道はなかったのかと問われれば、国際環境の組み合わせに多少の違いがあり、また中国国内の路線闘争の帰趨に多少の違いがあれば、それこそ多少違った道を歩むことは可能だったかも知れません。しかし、歴史を考えるときに、「たら・れば」は禁物です。多少の違いはあったにせよ、革命後の中国が、強力な国家権力を確立し、それをテコにして急速な国民経済的発展を遂げてきたことは必然であり、ある種の進歩であることは間違いありません。

今や強大な国家資本主義体制を築くに至った中国は、別の面から見れば、世界有数の巨大な規模の労働者階級を抱える国でもあります。この労働者階級は、いまは体制側の強力なイデオロギー支配の下に置かれ、政治的に分断され、強権に組み敷かれていますが、労働者階級としての経済的地位から必然的に生じる、労働条件や生活条件の改善、労働者の権利の拡張、そしてやがては政治的闘いへの進出を開始せざるを得ないはずです。

日本共産党の新綱領には、依然として中国労働者階級との友誼・連帯の必要は一切論じられず、ひたすら中国の指導者との付き合いの仕方にしか関心が示されていません。相互の、官僚政党としての宿命なのでしょう。しかし、私たち日本の労働者の真の、第一義の課題は、巨大な勢力として形成されつつある中国の労働者・勤労者との連帯の追求です。私たちの、中国労働者との連帯の追求は、もちろん中国が従属させているウイグルやチベット等々の労働者・住民との連帯が前提です。

日本共産党の新綱領のウリとされている、二段階革命論の放棄(?)や環境問題への対応も、中国論と同じく、極めて中途半端であるという以上に、その中に新たな大きな誤魔化し、欺瞞、誤りを胎むシロモノです。この点については、また機会を改めて、書きたいと思います。

■日本共産党党大会での綱領の改定について A
 「社会主義・共産主義への大道」を説くが付け焼き刃
  結局は「二段階革命論」「民主主義革命論」に回帰


彼らは綱領へのこの加筆によって、「社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス・エンゲルスの本来の立場を、正面から堂々と押し出すことができるようになった」と自賛している。しかし、この加筆によって、共産党の綱領はますます整合性のない、混乱に満ちたものになってしまったというのが、多少とも共産党の歴史を知っている誰もが抱く率直な評価だろう。

第1に、この加筆部分は、彼らの綱領の根幹のひとつである、「二段階革命論」、日本の当面している革命は社会主義革命ではなく独立と民主主義的改革のための「民主主義革命」だという規定(※)と鋭く矛盾を来している。この「二段階革命論」「民主主義革命論」は、共産党においても決してすんなりと採用されたものではない。それどころか、発達した資本主義国である日本の革命は「社会主義革命」にならざるを得ないと主張するかつての労農派グループ、社会党や他の左翼グループとの激しい論争の末に採用されたものだ。社会主義革命論は間違いで、二段階革命、日本ではまず民主主義革命とする考えが絶対に、圧倒的に正しいのだとして、他グループを激しく罵倒し、貶めながら採用されたのものだ。いま、その時の論争の総括もないまま、大道は社会主義・共産主義への道だと語りはじめるのは、中国評価の変更と同じく、無反省、欺瞞、混乱と誹られて当然だろう。
(※「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である」 日本共産党の現綱領)

第2に、上の総括と関連するが、路線変更の理由や根拠が何も示されていない。言われているのは、ただ、いまや多くの国々で格差・貧困や環境危機が関心事となり、資本主義の矛盾についての指摘が盛んになり、米国などでは青年の間で社会主義の復権が見られる等々ということだけだ。日経新聞が、「逆境の資本主義」と題する9回連載の特集をしていることなども紹介をされている。しかし、資本主義の矛盾の明らかな発現、社会主義を希求する民衆の声ということであるならば、そもそも共産党が二段階・民主主義革命論を最初に採用した戦前の「27テーゼ」や「32テーゼ」の頃にも、程度の差こそあれ見られたことだ。特に敗戦直後の日本資本主義の崩壊期に、そして日本の高度経済成長がほころびを見せ始めたときには、これらのことはすでに歴然としていた。共産党がいま、社会変革の大道は社会主義・共産主義への道だというのならば、本当は経済と社会の分析、資本主義の矛盾の蓄積とその発現が、社会主義的な方策によってしか解決し得ない事態となっていることのきちんとした分析、その提示が求められるはずだ。そして、かつてはそうでなかったが、今ようやく社会主義・共産主義の条件の形成を語れるようになったのだと言うのならば、敗戦直後や高度経済成長がほころびを見せたとき、そしてその後の経済社会の行き詰まりが歴然としてきたときには、まだその条件は無かったということを説明する義務がある。しかし、共産党にあっては、それはまったくなされていない。

第3に、「社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス・エンゲルスの本来の立場」だと言いながら、社会主義的変革においてその最大の原動力になる労働者階級の行動、その運動の成長と発展、その運動はどのような根本的性格を持つかという点については、まったく述べられていない。労働者については、ただ、勤労市民、農漁民、中小企業家などと同列に並べられて、国民的合意が求められる勢力の一部として触れられているだけだ。しかしマルクスは、資本主義の経済と社会の徹底した研究を通して、資本主義をその次の社会へと変革し、押し進める原動力は、必然的に労働者階級の闘いにこそあり、その闘いは労働者の自由で自発的な結合体、労働者のアソシエーションの力の中にこそあると強調した。綱領改定では、こうした問題意識は全く見られない。この点では、共産党の不破哲三顧問の役割についてひと言触れておく必要がある。綱領改定についての重要報告を行った不破顧問は、社会運動・社会主義運動の中でもう20〜30年ほど前から、マルクス理論の再発見と復興の試みとして強調されてきた「労働者のアソシエーション」について、ちょこっとだけ個人的な見解を述べたことがある(『マルクスの未来社会論』2004年初版)。しかしその内容は、マルクス自身のアソシエーション論とは程遠く、社会科学的な「概念」としての理解ではまるでなく、単なるアソツィアツィオーンの用語借用のレベルにとどまっている。

第4に、「生産の社会化」について語りながら、その内容的理解がまるで無い。そして結局は市場社会主義論に逃げ込んでしまっている。前述の不破顧問は、社会主義に至るには時間がかかる、試行錯誤や紆余曲折は避けられないと語っているが、そんな事は当たり前の話しだ。ここでの問題の核心は、時間とか紆余曲折とかではなく、「生産の社会化」と言われる事象の基本構造、その原理と内在論理を明らかにすることだ。そこでは、直接生産者・労働者が、同時に労働・運営・所有の機能を一体的に担う生産、それが可能となる前提として、生産手段に対する個々人的所有が実現されることが決定的だ。つまり、生産手段が個々の労働者の占有権を内包した共同占有の下に置かれること。これこそが「生産手段の社会化」の根底だということが理解されるべきなのだ。しかし今日まで「生産の社会化」とは、マルクスが強調した生産手段に対する「個々人的所有の再建」ではなく、結局は国家や企業や事業体、そしてその内部の特定の機関の限られた者たちによる生産手段の所有、つまりマルクスに言わせれば私的所有(排他的・剥奪的所有)の一形態にすぎないものを「生産の社会化」と呼んできた。そして共産党こそがその源であり、今日にあっても、こうした謬論は未だに克服されてはいない。

第5に、発達した資本主義国の社会変革が社会主義・共産主義の大道だという点についての、「特別な困難」についても強調をされている。しかし、その特別な困難の背景、その根拠となる、発達した資本主義社会における商品関係、貨幣関係の一般化についての理解がない。商品、貨幣関係の社会全体の隅々までの浸透がもたらす、資本主義に特有の物象化、物神崇拝の一般化、普遍化についての問題意識が欠落している。資本主義社会においては、商品と資本の論理が人々の意識と行動に内面化、一体化されてしまうという事実についての問題意識がまるで見られないのだ。もちろん、綱領の中でそのメカニズムや必然性を論じる必要はまではないが、問題は彼らがこの問題の決定的な重要性をまるで認識していないということだ。こうした認識が欠落しているところ、つまり闘うべき敵の姿が見えていない主体の状況では、「特別な困難」に対しての意識的、戦略的な闘いが骨太く構想されることない。ただ“粘り強く”、“不屈の精神で”、“堅忍不抜に”等々が強調されるだけとなるか、結局は現実の共産党がそうであるように、カルト的信仰心理を掻き立て、それに依存せざるを得なくなってしまう。

第6に、結局は、最初の話しにも戻ることになるが、そしてこれが日本共産党の今回の“綱領的冒険”の結末なのであるが、この「社会主義・共産主義への道」も、次のように弁解されてしまう。「もちろん、すぐにそれを求めるわけでなく、まずは資本主義の枠内での民主主義革命を実現するというのが、わが党のプログラムです…」。つまり社会主義・共産主義への道が語られ、現在の闘いがその道に「地続きでつながっている」と語られたように見えたが、結局はそれらは理論的裏付けも信念もない、単なる思いつきの言葉でしかなかったということ。ブルジョア評論家や、多くの先進資本主義諸国における民衆の世論が社会主義について語り始めたことに慌てた共産党指導部が、共産党に大衆の関心を引き留めるために語った付け焼き刃の言葉でしかなかったという事は、もはや明らかだと思われる。